重い沈黙が続いた。
あまりのその長さにバルドは自分がもしかして自意識過剰であったのではないか、と真剣に疑ったほどである。
まさかセイルーンもセリーナも自分を男として認識していなかった、なんてことは……。
「本当ですか?」
「ほんまやの?」
ようやく二人はそれだけを呟く。
二人が信じられないのも無理はない。
これまで数年以上のつきあいがあるにもかかわらずバルドがそんなそぶりを見せたことは一度もないのだ。
唯一先日の病の際に、セリーナが衝動的なキスをされた程度だった。
もちろん、バルドの年齢と身分も二人にとっては大きな足かせとなっていた。
「セリーナに行かないで、と言われたとき胸が痛かった。本当はセリーナの言うとおりに何でも言うことを聞いてあげたかった。セイ姉が看病に来てくれた時、意識はなかったけれどとても心が安らぐ感じがしたよ。僕の生きていくうえで二人がいない、とか、まして他の男に盗られるなんて考えただけでも腸が煮えくり返る気がする。子供のくせに何を言ってるんだと思わなくもないんだけど………これからも二人といっしょに生きていきたいんだ」
正直性欲を感じるかと問われれば否である。
思春期に入りかけたとはいえ、バルドはそこまで女に飢える年齢ではない。
しかし傍にいれば胸がドキドキして、同時に安心と心地よさを感じる。
それが失われるかもしれない――――レイチェルの治療に向かうと決意したそのとき、バルドを襲ったのはその猛烈な危機感だった。
考えてみればコルネリアスでトーラスに襲われたときも同じ危機感を感じたように思う。
二人の存在は自分の命を賭けるに値するほどに欠くべからざるものなのだ。
ずっと密かに願い続きてきた希望が、夢ではなく現実であるということをセリーナとセイルーンはようやく理解した。
理解すると同時に、二人は溢れ出す想いのままにバルドに向かって縋りつく。
「バルド!」
「バルド様!」
意識し始めてから時は浅くとも、生涯を共にするに足りるだけの愛情に不足などない。
この日が訪れることを、心のどこかで無理かもしれないと慄きながら、それでも思い続けてきたのだから。
「よかったわね。二人とも」
シルクは自分の予想外の冷静さに驚いていた。
親友に置いて行かれたような悔しさはある。
しかしそれ以上にセイルーンとセリーナの初恋が叶ったということがうれしかった。
やはり自分がバルドに抱いていた想いというのは、友情以上のものではなかったのだろうか。
バルドが二人に求婚した瞬間には頭が真っ白になって何も考えられなかったが、今こうして冷静になってみれば、二人の居場所はバルドの傍以外にあるはずがないとすんなり受け入れることが出来た自分がいる。
だからといって、これがもし二人ではない赤の他人であったらと考えると腹の中でわだかまる暗い情念が出口を求めてのた打ち回るのを感じるのだ。
いったい自分はバルドをどうしたいのだろうか…………。
バルドの隣に立つことに不満はない。
いずれ結婚するのならば彼のように勇敢で強い男性を伴侶としたいものだと思う。
しかしバルドはコルネリアス伯爵家の一人息子であり、自分はランドルフ家の一人娘である。場合によっては二人以上の子供を産んで両家を継がせるという手段もないではないが、それをするにはランドルフ侯爵家は大きすぎた。
それ以外にも、シルクにはいつかトリストヴィー公国を救わなければならないという悲願がある。
シルクの一生を費やしても叶うかどうかわからない悲願である。
そんな大それた野望にコルネリアスの領主となるべきバルドを巻き込むわけにはいかないだろう。
(―――――やっぱり……少し妬けるかな……)
まるで子供のように(年齢的にセイルーンはまだ子供なのだが)バルドの胸に頬を擦りつける二人にシルクは苦笑いを浮かべた。
もしも自分もこんな身分ではなく、市井の女としてバルドの傍に生まれていたら違う未来があったろうか。
「おおっ!そうだ!いいことを思いついたぞ!」
トンと手を打ってテレサが歓喜の声をあげた。
つい先ほどまでセイルーンとセリーナをいらだたしげに睨んでいたテレサが、いかにも楽しそうにいたずらっぽい笑顔を浮かべている。
「僕がバルドと結婚すれば、もれなくセイルーンとセリーナがついてくるじゃないか!どうだいバルド?僕と結婚しないか?」
「だめえええええええええええええええ!!」
どこまでもブレないテレサに三つの悲鳴が重なる。
せっかくの甘い恋人の交わりに、いささか問題のある百合が参戦してくるなど悪夢以外の何物でもなかった。
「なぜだ?僕はいい妻になると思うぞ?なにせハーレムを作り放題だ」
「お前の欲望のために僕の家庭を乱さないでくれ」
望んでいた反応と違うことにテレサは頬を膨らましたが、さすがにこの暴挙を認めるつもりはバルドにもセイルーンにもセリーナにもなかった。
というよりセイルーンとセリーナは本気で貞操の危機を感じている。
これまで何度もセクハラを受け続けているのだから当然の反応だろう。
そのせいか、テレサの言葉にシルクが激しく反応したということを、その場の誰もが気づかなかった。
「バルドが倒れた?それで?バルドは無事なのかい?」
早馬で王都からの知らせを受け取ったマゴットは惑乱の極致にあった。
伝染病の治療でバルドが召喚されたというだけでも許せないのに、しかもバルドが感染して生死を彷徨っているという。
「幸いセイルーンの決死の看病ですでにバルド様は回復されました。このたびの功績に対し、陛下はバルド様にセヴァーン男爵の地位を贈られることを決定いたしました」
「セイルーン!よくやってくれた!貴女をバルドにつけた私の判断は間違ってなかったよ!」
子供のころから可愛がっていた侍女の献身にマゴットは相好を崩した。
これだから私はバルドを王都へ出すのは反対だったのだ……!
「バルドは大丈夫かい?後遺症なんてあったりはしないだろうね。いや、やはりここは私が直接行って確かめなきゃ………」
今にも旅支度を始めそうなマゴットに、言いずらそうに使者は答えた。
「それがバルド様はこのたびサンファン王国へ大使として赴かれることが決定しておりまして………もうじき旅立たれるころか、と」
使者の言葉を聞いたマゴットの表情が能面のように無表情になると、イグニスは慌てて妻を背後から抱きしめた。
それがいかに危険なサインであるかをイグニスは誰よりもよく承知していた。
「――――国王陛下は私に喧嘩を売っているんじゃないだろうね?」
「そ、そのようなことは誓って!陛下はバルド様を非常に高く評価しておられます。今回の大使任命も王女レイチェル様の相手として相応しい人物であるか試すためで………」
「ああん?」
本来であれば名誉な話でも、現在のマゴットにとっては息子を谷底に突き落とす行為にしか思えなかった。
だいたい見たこともないレイチェルなどという小娘を、大事な息子の嫁として認めたつもりはない。
「待て!待て!陛下も善意でしたことだ!ここは私に免じて許してやってくれ!……何をしている!早く帰らんか!」
なぜマゴットが激怒しているのか理解できなかった使者も、自分の生命の危機であることだけは十分すぎるほど感じていた。
脱兎のごとく逃げ出して空になった広間で、マゴットは凄惨な笑みをイグニスに向ける。
「このぶつけどころのない怒りをあなたが全部受け止めてくれる、ということでいいのね?」
もちろんだ、と答えようとしたイグニスに、長年培われた経験がけたたましい警鐘を発していた。それは死亡フラグであると。
「……………すまんがジルコとミストルとゲパルトも加えてくれるか?」
イグニスの命令で連れてこられた三人は怒り狂ったマゴットを見て一様に自分たちが置かれた絶体絶命の危機を察した。
「諸君たちにはすまないが死守だ。撤退は認めない」
「…………大将………早く私もそっちに連れてっておくれよぅ」
涙で視界がにじむ暇もなく、彼らの絶望的な戦闘は始まろうとしていた。
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