ようやくバルドが王宮から解放されるとあってサバラン商会にはバルドの友人たちが勢揃いしていた。
広さから言えばシルクのランドルフ侯爵邸がもっとも望ましかったが、伝染病にかかった人間を十大貴族であるランドルフ侯爵邸に招き入れるのはさすがに抵抗が大きかったのである。
「ぐふっ……うふふふふふふふ………」
「気持ち悪いからその笑い方、やめてもらえます?」
「えらいすまんなあ………にゅふっ」
「―――――次にその厭らしい顔を見せたら…もぎます」
「もぐって何を??」
本能的な危機を感じてセリーナはセイルーンの視線の先にある谷間のくっきりした胸を押さえた。
セリーナが満面の笑みとともに身体をくねらせるのも当然であろう。
長年片思いをしていた相手に抱きしめられ、あまつさえ唇まで奪われたのだ。
これを告白と思わずして何と呼ぶだろうか。
そんな状態で大事な話がある、と言われて舞い上がらないほうがどうかしていた。
セイルーンにしてもぶちぶちと文句を言いつつ機嫌は決して悪くはない。
回復の暁にはバルドからキスしてもらえるという約束を彼女は一日千秋の思いで待ち焦がれていたのである。
二人の乙女がそれぞれの妄想のもとに、謎の痴態を繰り広げているのをシルクは冷めた目で見つめていた。
これはシルクだけがバルドとの間で秘め事が発生しなかったこともあるが、常識的に考えて彼女たち以外の人間も呼び出されている以上、そんな色っぽい話にはなるまいというのが彼女の判断であった。
もっとも早くも色ボケ症状を呈しつつある二人には思うところがないわけではなかったが。
(―――――不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です不潔です)
この光景をバルドが目撃したならば恥も外聞もなく裸足で逃げ出すであろうことは明らかであった。
「恋に盲目的なセイルーンもこれはこれでよし!」
「お前は本当にブレないな」
どこまでも己の欲望にのみ忠実なテレサをブルックスはある種尊敬のまなざしで見つめていた。
そんなカオスな状況に現れたバルドは覚悟を決めていたにもかかわらず、思わずバックダッシュしたい衝動に駆られたという。
「…………サンファン王国へ出張………ですか?」
「まあその……陛下の勅命なんだ。断ることは許されない」
実情から言えばこれは国王が与えてくれた温情措置であるとも言える。
本来であればバルドは機密保持のために王宮に幽閉されるべき人間であった。
もちろんそんなことになれば怒り狂ったマゴットによって王宮は屍で埋まるであろうが、少なくともバルドが王国にとって危険極まりない爆弾であることは変わりはない。
今後の安全を手に入れるためにもバルドは国王から与えられた信頼に対し、目に見える形で答える必要があるのであった。
「学校はどうするんだ……?」
「騎士どころか爵位までもらっちまったしな………一応休学ということで様子を見るらしい。こうなると本当に卒業できるかどうか疑問だが……」
「そんな面白いことを僕が見過ごすとでも思うのかい?是非とも僕もサンファン王国へ同行させてもらおうじゃないか!」
「そりゃいい!俺も参加させてもらうぜ!」
勢い込んで口を挟んだのはテレサとブルックスである。
二人にとって学校、というのは必ずしも重要なものではない。
テレサは自分が面白そうなことが最優先だし、ブルックスは自分を強くしてくれる環境と、その力を発揮できる場所を必要としていた。
二人ともバルドの行くところトラブルと冒険が付きまとうであろうことを確信している。
サンファン王国で果たしてどんなトラブルがあるのかわからないが、ここでバルドから離れるという選択肢は二人にはなかった。
「許可がおりるかどうかは別として、二人がついてきてくれるなら助かるな。本職の騎士を部下にするのはさすがに肩がこるだろうからね」
個人的な武勇に関してだけ言えば、テレサもブルックスもなんら騎士に引けを取るものではない。礼節や言動に深刻な問題があるようにも思えるが、随行する護衛としてなら十分に役に立ってくれるはずであった。
たまに自分が11歳であるということをバルド自身も忘れそうになるが、やはり大人を相手にすれば疲れるものは疲れるのだ。
「私も行きたいけど……行けるかどうかは父上次第かな」
ランドルフ家の一人娘であるシルクは、簡単に国外へ出国するのが認められる環境にはない。
ましてトリストヴィー公国の情勢が不透明である現在ではそれは不可能に近いだろう、とバルドは思ったが口に出すことは思いとどまった。
下手にシルクを不安にさせるようなことは慎むべきであった。
問題はそんな簡単に休学が認められるかどうか、という点であったが、おそらくあの校長のことだ。笑って何事もなく承認するだろう。
もっとも場合によっては間違いなく命に係わる危険と背中合わせであることを考えれば、学校を休学することが本人にとって幸いなのかどうかは別な話であった。
「サンファン王国での滞在はどれくらいになりそうなんだ?」
「少なくともひと月――――長ければ三か月以上はかかると思う」
技術支援がある程度形になって国民に受け入れられるためにはその程度の時間は必要であろう。
その結果目に見える形でサンファン王国に恩を売らなくてはならないから、悠長に遊んでいる余裕はない。
「もちろん私も連れていってもらえるのでしょうね?」
セイルーンが雲行きの怪しい会話の流れに慌てたように口を挟んだ。
ようやくバルドが戻ってきてくれたのに、再び一人で危険な場所へ自分を置いていくということを許せるわけがない。
先ほどまでの天にも昇る気持ちもどこへやら。
セイルーンは愛すべき主との別離の危機に張り裂けそうな痛みを感じてしまう。
愛するバルドに自分も愛されたいという女としての欲望もあるにはあるが、セイルーンにとってバルドの傍にいれないということは愛されないこと以上につらいことであった。
バルドのために奉仕するということはセイルーンの人生にとって最も重要なレゾンデートルであったのである。
「せ、せや!ちょうどうちもサンファンで商談が………」
「諦めてください。今会頭が王都から離れる余裕があると思いますか」
「うぐぅ…………」
ロロナの冷たい突っ込みにあってあえなくセリーナの目論見は撃沈する。
しかしバルドがマウリシア王国の看板を背負い、全く味方のいない他国に使節として赴く以上セイルーンやセリーナを同行させることは最初からもってのほかである。
外交とは昨日の敵が今日の友となることは日常茶飯事であり、サンファン王国もまたいつマウリシア王国の敵に回るか、しれたものではないのだ。
トリストヴィー公国が水面下で工作に動いている可能性が高い現状では特にそうであった。
「―――――悪いが二人とも今回は連れて行けない。連れて行けるのは王国に忠誠を誓い、自分で自分の身を守れる才のある人間だけだ」
「そんなっっ!」
妥協を許さない峻厳な宣告にセイルーンは悲痛の声とともに涙した。
また一人でバルドの安否を心配する日々を送ることを考えると絶望に身がすくむ思いだった。
(―――――これを言ってしまったらもう引き返せない……言うか?それとも引くか?)
バルドは珍しく自分の決断を逡巡するが、結局はそれが先送りでしかなく、バルドの心はすでに決まっていることを考えれば、先送りは誰にとっても不幸であるということはわかっていた。
覚悟を決めて深呼吸をすると、バルドは丹田に力をこめる。
「二人にはここで僕の帰る場所になって欲しい。しかるべき時が来れば僕は二人を妻に迎えるつもりだから」
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