シオンを静かに地面へと横たえる。
彼女の顔は先刻まで彩っていた狂気が消え、元の美しい顔を取り戻していた。傍目にはまるで眠っているようだ。
だが、彼女の胸を汚す真っ赤な鮮血がその見た目を裏切る。
胸部、特に心臓付近は首筋や頭部に並ぶ急所の一部だ。
あの最後の交錯。彼女の執念の一撃に対し、俺はほぼ無意識のうちに反応し、反撃を繰り出していた。身体に染み付いていた流派の動きが、考えるよりも早く身体を動かしていたのだ。
そこに手加減などという文字はなかった。敵の攻撃を封殺し、容赦なく仕留めようとするその動き。結果して、俺の攻撃は見事に彼女の急所を貫いていた。間違いなく致命傷だろう。
俺の左肩から血が滴り落ちて地面を汚す。シオンが放った一撃で、短剣が刺さったままなのだ。
左腕には強い痺れが残っていて上手く動かない。さすがの俺でも、あの毒の直撃をくらっては無事では済まなかったらしい。
横たわるシオンを見つめる。
彼女の結末には僅かに同情はする。過酷な過去を思えば、こうして彼女が周囲に、そして世界に憎悪を抱くのは当たり前なのかもしれない。
だが、道は他にもあったはずだった。彼女のような境遇の被害者を癒すべく、活動している善意のプレイヤー達もいると聞いたことがある。
それでも己の憎悪に身を任せ、狂気と破滅の道を進んだのは彼女自身。特にあの惨劇を見た身としては、シオンに罪は無いとは言い難い。
……はたしてその道を、本当に彼女自身が選んだのか。それともレオンや他者に影響されたのか。今となってはわからない。
それこそレオンですら、俺が知らないだけでシオンと同様の境遇があった可能性もある。『エデン』の暗部によって生み出された被害者達。その闇の深さは、まだ垣間見ただけの俺には測れない。
しかし、どんな過去があろうとも、あまりに大きく道を踏み外した彼女達の結末は決まり切っている。
遅かれ早かれ、風紀を正そうとする他のトッププレイヤー達に目を付けられ、始末されていた可能性は高い。
『どうして私の時に助けに来てくれなかったの?』
シオンの最期の一言が胸に刺さる。今更どうしようもなかったとはいえ、心の内に無力感が広がっていた。
結局彼女は、ずっと救いを求め続けていたのかもしれない。だが彼女に救いは訪れなかった。
彼女との出会いが違ったものであれば、少しでも結末を変えることができただろうか。
救われず絶望の中で倒れる彼女の姿が、記憶の奥の”誰か”と重なった。その”誰か”の姿は、はっきりと思い出せない。
だがかつても今と同じく、やるせない無力感に苛まれていた気がする。
だからこそ……俺はシオンを憎み切れないのかもしれない。
たとえ仮想の、ゲームの世界とはいえ、五感で感じる全てはほぼ現実と見紛うばかり。ならばそれは最早、プレイヤーにとってここは現実世界なのだ。
この世界では既に「ゲームだから」という言い訳は通用しない。
だからこそシオンの経験した悲劇も、狂気じみた惨劇も、「ゲームの世界なのに」と笑うことはできない。そして、それはレオン達を手にかけた俺にも当てはまる。レオンをはじめとする俺が殺したプレイヤー達もれっきとした人間であり、モンスターのようなデータ上の存在ではないのだ。
『エデン』で死亡したプレイヤーがどうなるのかは、未だ不明だ。
無事に現実世界で目を覚ましたのか、それとも現実世界でも死亡したのか。
いずれにせよ、彼女が過去の苦しみから解放される時はくるのだろうか。少なくとも彼女の最期の一言を聞いた身としては、彼女が救われることを願った。
……もっとも、シオンが作り出した新たな被害者達を思えば、そんな救いは許されないのかもしれない。
それでも俺一人くらいはそれを願っておこうと思う。彼女やレオン達の命を奪ったプレイヤー、いや人としてそれくらいはするべきだろう。
そうして俺は、シオンの顔に散った僅かな血の飛沫を拭って立ち上がった。
そして、ハヤト達の治療へ向かおうと一歩踏み出した矢先。
突然の詠唱がその場に響いた。
「【シャドウ・リープ】」
ズブリと一歩踏み出した足が埋没する。いつの間にか俺の足元には真っ黒な闇が広がっていた。
「なっ!?」
意識を切り替えようとした一瞬を狙った完璧なタイミング。思わず驚きの声が俺の口からもれる。
―――魔術攻撃!? まだ仲間が残っていたのか?
とっさにスキル【気配察知】による簡易レーダーへと目を向けると、戦場となっていた場所からわずかに外れた後方の位置に一人のプレイヤーの反応。
【心眼】視界で見れば、そこには漆黒の人影がぼんやりと垣間見えた。未だ何かの魔術かスキルの効果が継続中なのか、【心眼】視界ですらもこの距離でははっきりとその姿を捉える事ができない。
この絶妙なタイミング、あらかじめ戦況を窺っていた可能性は高い。
だが、戦闘中だったとはいえ常に【心眼】と【気配察知】によって、周囲の状況は確認していたのだ。そこにこいつの反応はなかった。
つまり、俺の【心眼】や【気配察知】を欺けるほどの高ランクプレイヤー。
俺の背筋に寒気が走る。
慌てて足元の闇から抜け出そうとするも、遅かった。まるで落とし穴のように身体が沈む。あっという間に胸まで埋まり、俺の思考が焦燥で染まった。
必死に闇の淵へと手を伸ばすが、届かない。抵抗むなしく、俺の身体はそのまま完全に闇の中へと埋没した。
闇の中で感じたのは、宙を落ちる浮遊感。だがそれも一瞬だった。
闇が晴れたその先は再び森の中。
突然の視界の切り替わりに若干戸惑うも、即座に【心眼】と【気配察知】によって周囲の索敵と確認を行う。
景色や雰囲気としては先ほどまでとあまり変化はない。
自身の身体も同時にチェックするが、新たにダメージを受けた様子も何かしらの拘束を受けた様子もない。
攻撃系の魔術か、もしくは拘束系の魔術かと思っていたが、そうではなかったようだ。
だが新たな罠という可能性もある。
周囲を警戒しながらも、俺は腰のポーチからカードを一枚引き抜いて具現化。現れた『生命の実』を口に放り込み、傷と麻痺の残る左腕を回復させた。
短剣による裂傷だけならば他の回復アイテムでも良かったかもしれない。しかし、毒による状態異常もくらっているのだ。
使用された毒のアイテムランクは不明だが、俺の【龍躯】の防御を突き抜けて効果を発しているあたり、かなり高位のものだと判断できる。
そうすると下手な回復アイテムでは、回復できない可能性もあった。その上、すぐにでも新たな襲撃があるかもしれないのだ。念には念を入れて越したことはない。
周囲を警戒して気付いたが、転がっていたはずのハヤト達やライオンハートのメンバーの姿がなかった。【気配察知】の簡易レーダーでもプレイヤーの反応はない。そもそも戦闘の痕跡すら残っていなかった。
そこで浮かぶ一つの仮定。
先ほどまでとは違う場所に俺は移動させられたのか? あの魔術は対象を他の場所へと転移させるものだったのだろうか?
遠くからは時折戦闘音が聞こえ、魔術攻撃と思われる輝きが垣間見えることを考慮すると、そこまで遠くへは移動していないと考えられる。
しかし、転移魔術なんてものがあるとは初めて知った。街の情報屋や酒場などでの噂でも、そんな魔術があるとは聞いたこともない。
だが先ほどの魔術が、本当に転移魔術だったとしたら。
未だ誰にも知られていないレア流派の使い手か……。
俺の中での警戒度が跳ね上がる。
一体何を目的としてこんなことをしたのか……と、そこでふと気づいた。
もしや目的は俺ではなくハヤト達か!?
クドーは、攻略組たるトップギルドの勢力を削るのが目的と語っていたのだ。
ハヤト達の状態異常が現時点でどれほど回復したのかはわからない。だが下手をすると、まだ無防備な状態で転がったままということもあり得る。
俺という障害のない今、クドー達にとっては目的を達する絶好の機会。取り逃がしてしまったクドー達を呼び戻されてしまうと、かなりまずい。
焦燥に駆られるも、今は現在地すらわからない。当然ハヤト達がいる方角も見当が付かないのだ。
それでも探さないわけにはいかない。それほど遠くへは移動してないと思われるので、周囲を探索すれば【気配察知】で彼らの反応を捉えられる可能性がある。
ギンの救援が間に合ってくれれば良いが……。
いくつかの可能性に希望を託しながら、俺が探索へと走り出そうとしたその時。
前方の地面に再び闇が広がった。
即座に飛び退き、『迅剣テュルウィンド』を構える。
闇の中から浮き出てきたのは一人のプレイヤーらしき姿。
中肉中背の男だ。要所を守る革製の防具を身に纏い、腰には一本の剣を差している。それらの色は全て黒。身軽さを重視した、全身夜に溶けるような漆黒の装い。まるで漫画やドラマに出てくる忍者のようだ。
こういった装いは、隠形系のスキルに長けた弓術系流派や短剣を主武装とする剣術系流派に多いと聞くが、彼が装備しているのは恐らく長剣の類。
だがこの装備の色や体格、それに先刻の出現の仕方から考えるに、彼が先ほど魔術を放ったプレイヤーだと思われる。
そうすると彼は、武術系流派ではなく魔術系流派の使い手という事になるのだが、魔術系流派の使い手として必須装備のはずの杖は見当たらない。見た目だけでは扱う流派の当ては付けられそうになかった。
頭部へと視線を向ける。髪が長く、後ろで一つに縛ってあるようだ。俺を見つめる目はやや垂れ目がちで、その顔には不敵そうな微笑みが浮かんでいた。
足元の闇が消えると、男は笑みを浮かべたまま俺へと一歩踏み出す。同時に俺は剣先を男の首元へと向け、警戒を顕わにした。
男の歩みが止まる。
「おいおい、そんなに警戒するなよ師範代。悲しくなるじゃねぇか」
困ったとばかりに苦笑する男。そこに戦意は感じられない。
突然の馴れ馴れしさに俺は戸惑った。俺の知り合いにこんなプレイヤーはいないはずだ。
「あの状況で不意打ちの魔術行使。敵の増援だと考えるのが当然だろう。それにそもそも俺はお前を知らない。何者だ?」
俺の問いに対し男は一瞬目を白黒させると、何かに納得したように大きく頷いた。
「ああ、そういえばそうだったな。お前は俺を知らないはずだよな。ようやくお前に会えたもんだからうっかりしてたぜ」
ハハッと屈託なく笑う男に俺は更なる困惑の色を隠せない。
「じゃあ自己紹介といこうか。俺の名はゼファー。一応このアジトの中じゃ頭をやっていた」
「は?」
何気なく男が口にした内容にまたも驚きの声をあげる俺。
この拠点の中での頭ということは……。
「強盗プレイヤーのトップだと?」
「ま、そういうことになるな」
俺の疑問に目の前の男―――ゼファーは不敵に笑いながら返す。
嘘か真か。
だが先ほどの転移魔術を考えれば、相当なレア流派を獲得している彼が高ランクプレイヤーに属するのは間違いなさそうだ。そうすると強盗プレイヤー達のトップだという話も信憑性が出る。
やはり強盗プレイヤーをまとめる存在がいたということか。だが、そんなプレイヤーが何故俺などの前に姿を現すのだろうか?
それに、仮に彼が強盗プレイヤーのトップだとしたら、何故こんなにも落ち着いているのだ。拠点を襲撃され、配下の多数のプレイヤーを討ち取られている。さらに恐らく精鋭だったであろうクドー達も先ほど俺が撃退したばかりだ。
まだ何か切り札があるということだろうか。
俺は自然と警戒度を深めた。
「おいおい、だからそんなに警戒するなって。少なくとも俺はお前にゃ敵意を持ってねぇよ。そもそも俺なんかじゃお前には勝てないしな」
そう語るゼファーからは確かに戦意は感じられない。
「どういうことだ?」
「どうもこうも、お前とこうして一度話をしたかったのさ。なあ師範代、お前はなんで『シルバーナイツ』なんぞに良いように使われてるんだ? はっきり言ってあいつらとお前じゃ格が違う。もちろんお前が上という意味でだ」
「……」
断言する彼の真剣な様子に思わず声を詰まらせる。
こいつは何故そんな断言ができるんだ?
「不思議そうな顔をしているな。お前は自分の強さをかえりみたことがあるか? レオン達やさっきのクドー達との戦闘。レオンもクドーも中身は最悪だがな、腕はトップクラスだったのは間違いない。そんな奴らをまとめてお前は一人で撃退しているわけだ。一対一での勝負ならともかく、そんな芸当ができる奴はトップギルドの連中でもほとんどいやしない。もし可能だとすればジークかヤクモくらいなものだろう」
そこでゼファーの視線が俺の眼へと向けられる。
「それに、お前がその”眼”を得ているということは……」
ボソリと呟かれた一言。最後の方は声が小さすぎて聞き取れなかった。
だがそれを聞いた瞬間、俺は反射的に目を見開いた。
ゼファーは【竜眼】について何か知っているのか!? リン達以外には詳細を話していないはずなのに。
驚く俺を余所にゼファーは言葉を続ける。
「ともかく、お前は現在の『エデン』の中でも最強格のプレイヤーなんだよ。それを自覚した方が良い。……それなのに『シルバーナイツ』の連中のお前に対する態度はなんだ。新参者のお前へと敵意を剥き出しにするメンバー達に、それを放置するマスター。酷いギルドだと思わねぇか? 攻略を担う最前線がお前と言う貴重な戦力を蔑ろにする。あれでトップギルドなんて言い張ってるんだから笑えるな。『ブラッククロス』は人数が多い分、多少マシみたいだが幹部連中は似たようなもんだ。この異常な世界で長らくトップギルドだなんて持て囃されてただけに、妙な選民思想が芽生えてやがる」
そう吐き捨てる目の前の男。
どうやらギルド連盟の会場での様子を知っているようだ。
強盗プレイヤーの一味だったクドー達も会場にいたことを考えれば、この男が事情を知っていてもおかしくない。
それに『ブラッククロス』の事情にも詳しい様子。大所帯のあのギルドならば事情を探るのはそれほど難しくないのだろう。
しかし、こうして『シルバーナイツ』や『ブラッククロス』へと毒を吐いている姿を見ると、どうも抱いていたイメージと違っていて困惑する。
敵対組織として相手を非難するのは当たり前の姿なのかもしれないが、強盗プレイヤー達をまとめ上げたプレイヤーというともっと凶悪で恐ろしい相手なのだと想像していた。
だが、目の前の男からはそういった雰囲気は感じられない。どこか理性的な感じを受けるのだ。
「俺の力量はさておき、別に『シルバーナイツ』のメンバーに思うところは無いさ。彼らの気持ちもわかるからな。だから特別に関係を結ぼうと思ってるわけでもない。今回は友人の頼みに応えただけのことだ」
だからこそ、俺は普通に受け答えをしていた。もちろん警戒は緩めない。
「……友人ね」
俺の答えを聞いたゼファーは一瞬俺と視線を交わし、すぐに目を逸らした。そして、自嘲気味に薄く笑う。
何故だろう。その姿を見て、俺は微かな懐かしさを感じていた。
俺はこの男とどこかで出会ったことがある……?
「まあ、いい。お前がそう思っているなら好都合だ……師範代。俺と一緒に来い。お前はそんな立場にいて良い存在じゃない。いずれ『エデン』の行く末を左右するプレイヤーになるはずだ。それを可能にする力を持っている。俺とお前が組めば、きっと新たな答えが見つかるだろう」
男の真っ直ぐな視線が俺を貫いていた。こうしてしっかりと視線を交わして初めて気付く。
傍目に纏う余裕を滲ませた雰囲気。だが、男の瞳の奥にはどこか必死な、執念じみたものが見え隠れしているように感じるのだ。一体何が彼をそこまで駆り立てているのだろうか。
ゼファーの話を聞くに、どうやら俺を勧誘するつもりらしい。しかし、『エデン』の行く末を左右するだなんて何を言っているのだろうか。
多少己の実力に自信はついてきたが、それでも一人のプレイヤーに過ぎない。数万人はいるとされている『エデン』内プレイヤーの一人。それも最近まで大多数に馬鹿にされてきた”師範代”なのだ。
そんな俺のできることなど、たかが知れている。とても彼の言うような大それたプレイヤーになるとは思えなかった。
それに、新たな答えとはなんだ? この男は一体何を知っている?
「俺に強盗プレイヤーの一味になれと?」
「いや、それは少し意味合いが違う。結果的に下衆なプレイヤーどもを飼っている状態だが、それは手段に過ぎない。俺の目的は別にある。手懐ける為に奴らの行いを黙認しちゃいるが、賛同してるわけじゃないってことはわかっていて欲しいな」
苦い顔でそう答えるゼファー。
表情を見る限りでは、本心を語っているようにも見える。しかし、簡単に信用するわけにはいかない。
クドー達も他のトップギルドのメンバーを欺いてきたのだ。そんな奴らの頭領たるこいつが、一筋縄でいくような相手だとは思えない。
「では、お前の目的とやらは何だ?」
そう尋ねた俺に対し、男はニヤリと笑った。
「ゲーム『エデン』のクリアだよ」
その一言を聞いて、俺は絶句する。
―――『エデン』のクリア!? 強盗プレイヤーの頭目が?
想定外の答えを聞いて、俺の脳裏に混乱が躍った。
「馬鹿な……お前達はグランドクエストの妨害だってしてたじゃないか」
「ああ、そういえばそんなこともあったな。ありゃあ、あのキーアイテム入手が目的だったんだよ。もちろんトップギルドの連中の攻略足止めも可能ならしておきたかったから、上手いタイミングで盗み出してやったんだけどな。ククッ、あの時のあいつらの慌てぶりはいつ思い出しても笑えてくるぜ」
笑いながら語るゼファー。俺の困惑は晴れない。
キーアイテム入手が主目的だった? それに結局はグランドクエスト攻略の妨害も目的としている?
こいつの真意がわからない。
「一体どういうことだ……?」
怪訝そうに呟いた俺を見て、男は指を振りながらチッチッと舌を鳴らした。
「おいおい、何でも聞けば答えてくれると思ったら大間違いだぞ、師範代。これでもかなりサービスしてるんだ。これ以上のことを聞きたければ、俺の仲間になるのが条件だな……ま、一つだけ言えるとすれば、俺は俺のやり方で『エデン』のクリアを目指しているってことさ」
彼の忠告に思わず言葉が詰まる。
彼の言う通り、敵対組織のプレイヤーがベラベラと内情を話してくれるはずはないのだ。
それにしても、『エデン』のクリアか……。
この男は本気でそんなことを考えているのだろうか。だが、妄言だと簡単に切って捨てるのも難しい。
転移魔術を使う謎のレア流派を獲得しており、俺の【竜眼】についても何かを知っている様子。さらにトップギルドの内情にも詳しい。
そして、攻略の最前線たるトップギルドの一つすら配下に置くプレイヤーでもある。言葉巧みにまとめあげたのか、それとも実力でトップを勝ち得たのか、それはわからない。
だが彼を、ただの強盗プレイヤーだと判断するにはあまりに危険だった。
彼は知られざる何かを知っているようだ。
そう考えると、目の前の男が急に不気味に見えてくる。知らず、ゴクリと俺の喉が鳴った。
「どうだ、師範代? 俺と来いよ」
不敵な笑みを浮かべてゼファーが俺を誘う。
まるで悪魔の囁きのようだ。
一瞬俺の心中に迷いが走った。
ゼファーの考える『エデン』クリアとは、なんだ? 何故グランドクエスト攻略の妨害をする?
疑問が次々と湧き出る。
正直、この男が握る秘密に興味はあった。仲間になればその全容を知ることができるだろう。
だが、レオン達、クドー達、先刻見た監禁部屋での惨劇、そしてシオンの姿が脳裏に浮かんだ。
「断る」
俺の答えにゼファーの眉がピクリと動いた。
「ふ……ん、まあ、いきなり敵の親玉に勧誘されても断るよな。とりあえず理由を聞こうか? やっぱり強盗プレイヤーを率いるようなやつとは仲間になりたくないってか?」
「簡単に言えばそうだ。俺にも友人がいるからな。あいつらを裏切るつもりはない。それに何より……お前が信用できない」
交差する俺とゼファーの視線。一瞬、この場に静寂が満ちる。
だが、やがて彼は視線を逸らし大きくため息をついた。
「そりゃごもっともだ。信用できないってのも当たり前だな。だが……友人か。師範代、お前の友人とやらは本当に信用、いや信頼できるのかな? 今はまだお前の強さは世間に知られておらず、一部のプレイヤーのみが知っている状態だ。しかし、今回の件を皮切りにやがては多数のプレイヤーが知ることになるだろう。ダラスの笑い者だったお前が突如最強プレイヤーの仲間入りってわけだ。するとどうなると思う?」
ゼファーが薄く笑う。しかし、その目は笑っていない。
真っ直ぐに俺を見つめていた。
その異様な様子に俺は口を開けない。
「お前がプレイヤー達のストレスの捌け口になっていたのは自覚しているだろう? そんな見下していた相手が突然遥か高みにいっちまうんだ。プレイヤー達は驚き、疑惑を持つだろう。そして、激しく嫉妬する。やがてはお前に対し憎悪に似た嫌悪を抱くようになるだろうな」
そんな馬鹿な……とは言い返せなかった。
先日参加したギルド連盟会議でのプレイヤー達の様子が思い浮かぶ。
「ありえないって思ってるか? 意外と人間ってのは嫉妬深いものさ。現にお前はその一端をこの前見たばかりだろう? それにここは仮想世界で自由な世界。現実世界よりもずっと心のタガが外れやすくなっている。加えて、三年もログアウトできず外の情報が入らないってのは普通のプレイヤーにとっちゃかなりストレスになってるはずだ……そういった負の感情が一気に流れ込むわけよ。はたしてそんな状況になっても……」
そこでゼファーは言葉を切った。そしてゆっくりと再び口を開く。
「―――お前の友人は友人として戦い続けてくれるかな?」
いつの間にかゼファーの笑みは消えていた。
再び場が静寂に包まれる。
ゼファーの語った内容は、有り得るかもしれない可能性。もしかしたら何も変化はないかもしれない。多少のいざこざは当然あるだろうが。
しかし、『エデン』内に存在するプレイヤー達はそこまで年齢層が高くない。元々ゲームだったと考えるとそれも当たり前だろう。
そんなプレイヤー達がストレスの捌け口を突然奪われると、どんな行動にでるのか……。ゼファーの言うことも一理ある気がする。
「さあ、わからないな。だがな、もしそれであいつらが俺の元を離れたとしても、俺はそれを恨みも軽蔑もしない。きっと苦しんだ末の決断だろうからな。それくらいはあいつらを信用してる。それに今までだってダンジョンではずっと一人で戦ってきたんだ。それが少し延長になるだけのこと。大した問題じゃない。……まあ、その際は物理的に向かってきてくれれば対処がわかりやすくて楽だと思うがな」
そう言ってやると、ゼファーは真剣な表情を崩し、目を丸くした。
そして腹を抱えて笑い出す。
「ククク……はっはっは!! そうだな。そうだった。それでこそお前だよ、師範代! はっはっは! ……だからこそ俺は……クク」
笑い続ける目の前の男。
俺のセリフのどこがそんなに面白かったのだろうか。いまいちこいつの思考がよくわからない。
どうも俺のことをよく知っているらしいのは言葉の端々から理解できるのだが、俺にとってこの男とは初対面のはずだった。わざわざ俺のことをずっと探っていたのだろうか。だとすると随分酔狂なプレイヤーだ。
俺は眉を顰めながらゼファーの笑い声を聞き続ける。それすらも彼にとってはツボに入ったようで俺の顔を指差しながら笑い続けた。
なんとも失礼な男だ。
なんだか一気に場の空気が緩んだが、それでも構えを解くことはしなかった。
「クク……ふう、笑った笑った。仕方ない、今回は諦めるさ。でもな、心変わりしたらいつでも歓迎する。それは覚えておいてくれ」
未だ笑みを噛み殺しながら喋るゼファーに対して、俺は鼻を鳴らして答える。
「覚えておくのは良いが、俺がお前を逃がすと思ってるのか?」
すると、ゼファーはニヤリと口端を吊り上げた。
「ああ、【神脚】でも使うつもりか? 今のお前が使えるかはわからんが、確かにあれを使えば俺が逃げに徹しても倒すことはできるな」
「なっ!?」
何気なく語られた内容に俺は衝撃を受ける。
―――【神脚】を知っているだと!?
「だが、止めといた方が良い。近くにまだ俺の仲間が潜んでるからな。俺がやられたら即座にお前へと襲い掛かるだろう……【神脚】使用後の反動で無防備なお前へとな。もしまだ【神脚】を使えないとしたら、お前の剣はこの間合いだと一足では届かない。逃げるだけなら十分可能だ」
更に俺は驚愕した。
【神脚】の効果だけでなく、使用後の反動まで知っているようだ。
思わず呻きそうになる。
「はは、間抜けな顔をしているぞ、師範代。また俺を笑わせるつもりか。……そうだな、久しぶりにあれだけ笑わせてくれた礼に一つ忠告をしてやろう」
ゼファーの顔に再び不敵な笑みが浮かんだ。
「『シルバーナイツ』のヤクモ。あいつはお前の敵だ」
「!?」
「せいぜい気を付けろ。この世界、思った以上に裏は深いぞ」
そう言い残すと、ゼファーは後方へと大きく飛び退いた。
「待て!」
慌てて彼を追いかけるも、数回飛び退いた後に彼の足元の影が大きく広がり、真っ黒な闇と化す。恐らくは先ほどの転移魔術だろう。
その闇の中へと身を躍らせるゼファー。
「また会おう、師範代。次は色好い返事を待っている」
そう告げて彼の身体は闇に飲まれた。そして、あっという間に闇のようだった影は消える。ゼファーが消えた場所に辿り着くが、当然何も起きない。
一応、【気配察知】と【心眼】で周囲を探るもプレイヤーの反応や姿は見受けられなかった。
この場に残ったのは俺と周囲の木々の僅かな騒めきのみ。
混乱した頭を冷やすように一つ大きく息を吸い、そのまま吐いた。吐息と共に焦りや困惑が洗い流される。
様々な謎を残して強盗プレイヤーの頭目、ゼファーは消えた。
彼は一体何者なのだろうか。
それにヤクモが”敵”とはどういうことか……。
謎は深まるばかりだ
だが、今はゆっくりと考えている暇はない。
敵地のど真ん中で一人はぐれた状態なのだ。それにハヤト達の安否も気にかかる。
なるべく早く合流しなければ……。
ゼファーの忠告はひとまず脳裏の隅にしまい込み、俺はその場から駆けだした。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。
ついったーで読了宣言!
― お薦めレビューを書く ―
※は必須項目です。
この小説をお気に入り登録している人はこんな小説も読んでいます!
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。