斧術士の一撃を受け流し、槍術士から突き出される槍を弾く。大剣を迎撃し、撃ち込まれる幾本もの矢を切り払う。
繰り返される猛攻をただただ無心に弾き続ける。
先程から俺を中心に繰り広げられる剣戟は膠着状態に陥っていた。
俺の立ち位置はほとんど変わっていない。常に最小の動きで攻撃を凌ぎ続けた結果だ。
「おぉ!!」
クドーが鍔迫り合いに持ち込む為か、大剣を前面に構えながら突撃してくる。鍔迫り合いに持ち込まれてしまうと、動きが止まったところで他のプレイヤーからいいように嬲られてしまう。そんな思惑には乗るわけにはいかない。
接触のタイミングを計りながら半歩斜め前へ踏み込む。クドーの大剣と正面から撃ち合うかに見せて、寸前に長剣を捻った。軌道を変えた剣身が横から彼の大剣を叩く。
同時に鋭く身体を回転させ、クドーの突進の勢いを利用しながら外へと弾き飛ばした。
「クソがッ!」
盛大に悪態をつくクドー。乱暴に『咬剣スフィルブラッド』を振り回して体勢を立て直す。
「なんだこいつは? なんでこんなに攻撃が通らないんだよ!?」
「ありえねぇ。初心者剣術のはずだろ!?」
俺を取り囲み、武器を構えながらも口々に叫ぶ『ライオンハート』メンバー達。その顔には焦りと困惑が滲んでいた。
それに対し俺は、構えた『迅剣テュルウィンド』の剣先をゆったりと揺らしながら全方位へ警戒を続ける。
多数の高ランクプレイヤー達の猛攻を凌ぎ続けたせいか、図らずも俺は動きの精度が上がっていくのを実感していた。己のイメージ通りに剣が、身体がピタリと動く。
クーパー鉱山ではパーティ戦だった為あまり自覚がなかったが、こうして一人で戦っていると集中している為か深く実感できる。
……なんだろう。まるで勘を取り戻していくようだ。
『真バルド流剣術』の動きが俺の中で息づき始めているのを感じる。
もっと、もっと先があるはずだ……このまま……。
「たかが雑魚一人に何手間取ってるのよ、この愚図ども!! それでもトップギルドの一員なの!?」
突然の絶叫にハッと意識が戻った。
叫び声の元は、シオン。不気味な微笑みは消えたが、血走った眼を大きく見開きながら親指を噛んでいる。時折歪むその美貌が異様な形相を際立てた。
一瞬何事かと空気の凍った一瞬だったが、即座にクドーが叫び返す。
「うるせぇ!! 黙ってろ!! ……ったく、思った以上にやるじゃねぇか師範代。お前が俺ら相手にここまで戦えるなんてな。初心者剣術使いのはずのお前の強さの秘密、探ってみたいところだが時間切れだ。そろそろ終わらせてもらう。獲物はお前だけじゃないんでな……キリュウ! 『吹雪』だ!」
「あいよ!」
クドーの呼び掛けに応じたのは後衛の一人、魔術士。先端に青い宝石が飾られた木製の杖をピタリとこちらへ向け、キリュウと呼ばれたプレイヤーは詠唱を開始する。
「凍てつく冷気よ 極寒の白き輝きよ 純然たる死を湛え 凍える刃となって 彼の者を切り刻め【ミキシング・ブリザード】!」
詠唱を聞いて、俺の背筋に悪寒が走った。
魔術攻撃……それも詠唱の長さから考えて高階位魔術。覚悟はしていたが遂にきたか!
キリュウが叫び終えると同時に俺の周囲が白く瞬いた。急激に気温が下がり始めると同時に俺を中心として空気がうねる。うねりは瞬く間に凍てつく純白の暴風へと成長し、それに乗って小さな煌めきが舞った。
無数の氷の刃が凶悪な風に乗って俺に襲い掛かる。
俺は致命傷を避ける為に両腕をかざし頭部を防御。
容赦なく俺の全身に突き立つ氷の刃は、鎧の装甲の上から凍てつく冷気を発し内部に浸透、無数の細かな氷柱を生成して俺の身体を抉った。
身体のいたる所から血が噴き出し、蒼い装甲を紅く染める。魔術士の援護のない俺ではひたすら攻撃が終わるまで耐えるしかない。
「ぐっ……」
恐るべき吹雪を必死に耐えながらも俺は【心眼】で周囲を警戒。こんな状態の俺を敵が見逃すはずがなかった。
やはりと言うべきか。俺へと駆け寄る一人のプレイヤーの姿が【心眼】視界に映る。
キリュウからの属性付与を受けたクドーが大剣を掲げて吹雪を物ともせずに猛然と駆けていた。
歯を剥き出して嗤うクドー。その顔にはこれから行うPKへの興奮が如実に表れている。
―――そして、クドーは白い凍気が迸る『咬剣スフィルブラッド』を風車の如く振り回し始めた。
その光景に俺の記憶が反応する。
間違いない。あれはクーパー鉱山でレイジが一度見せた型! やはりクドーは『アレクト流剣術』だったか!
早期にクドーの剣術流派に当たりをつけていた俺は、これを、この型を彼が使ってくるのを待っていた。
舞い散る氷の刃に顔を切り刻まれるのを一切無視して俺は長剣を構える。これから先はタイミング勝負。失敗はできない。
俺の集中力が増し、一段と周囲の動きが遅くなった気がした。
「おぉぉらぁぁ!!」
気合の叫びと共にクドーが俺へと大剣を振り抜く。ゴウッと唸りを伴うその豪快な一撃は、周囲を包む吹雪ごと吹き飛ばすかのようだ。
刃が迫る直前に【心眼】で周囲の状況を確認。瞬時に見つけ出した『目標』に合わせて己の立ち位置を調整した。
やがて、吹雪の壁を引き裂いて現れるクドーの一撃。集中力を増した俺の視界の中では、弾き飛ばされる無数の氷の粒の一つ一つがはっきりと見える。
迫る斬撃に対し、俺は正面からゆっくりと剣を合わせた。
接触の瞬間、大剣の勢いに逆らわず僅かに剣を引いて斬撃の間合いを殺す。『咬剣スフィルブラッド』にかけられた属性付与のせいで瞬時にビシリと剣と俺の腕に霜が走るが気にしない。
同時にわざと後方へと重心を傾ける……そして、腕にかかる剣の反発力を利用しながら地面を思い切り蹴りつけ、跳んだ。
クドーによる『アレクト流剣術』の型の威力と俺自身の跳躍力。俺は砲弾のように空を舞う。
吹雪を突き破って飛び出した先は……ギンを狙う弓術士達。
「しまった! ラウル! クロ!」
攻撃の手応えの無さに何が起きたのか気づいたのだろう。慌ててクドーが叫ぶが、遅い。
空中で身を捻り攻撃体勢を整える。ダメージの余波である白い冷気と鮮血を撒き散らしながら、後方でギンへと攻撃を加えていた弓術士二人の眼前に俺は飛び込んだ。
「えっ!?」「なっ!?」
突然の乱入者に驚愕しながらも距離を取ろうとする二人。だが、俺は既に剣を頭上に掲げ攻撃準備を終えている。
ようやく捉えたこの好機、ここで確実に敵を減らさなければならない。
「……っ!!」
奥歯を噛み締め、今までの鬱憤を晴らすかのように全身の筋肉を隆起させる。ギシリと鎧が軋み、全身の傷から血が噴き出した。
あまりに近いその間合いに弓術士達の顔が焦りと恐怖で歪む。
「く、くそっ! こいつ!?」
「防御だっ! 所詮はバルド流、俺達でも十分凌げる!」
逃げるのは最早無理だと判断したのか、短剣を抜き防御の構えを取る二人。
だが、劣勢の俺に相手を生かすような半端な攻撃をするつもりはなかった。
―――狙うは頭部。一撃で仕留める。
引き絞った弓の弦を放すかのように、俺は猛る攻撃意思を解放した。
『真バルド流剣術』一の型【竜双牙】。
ザザンッと刹那に奔った二条の銀閃は、構えられた短剣を物ともせず二人の弓術士の頭部を両断。勢い余ってその身体の半ばまでも断ち切っていた。
断末魔の悲鳴もあげず血を撒き散らして倒れ伏すプレイヤー達。それには目もくれず、俺はギンへと一瞬鋭く視線を向ける。
突然の事態に呆気にとられていたギンのようだったが、俺の視線にハッと気づき即座に反転。そのまま脱兎の如く離脱を図った。幸いにもその背に攻撃を加える者はいない。
ひとまずは目標の一つを達成できそうだ。だが、まだまだこれからが正念場。
ギンの後ろ姿を見届ける前に俺は次の行動に移っていた。
「はぁ!? 後衛とはいえ一撃で!?」
「ラウル! クロ! マジかよ!? 畜生、許さねぇぞ!!」
仲間を殺され憤怒するクドー達。
この好機は長くは続かない。既にクドーが阻止すべく俺を追ってきている。
前衛プレイヤー達の包囲を脱した上、まだ邪魔のいない今の内ならばもう一人ならば仕留められそうだ。
残る敵後衛プレイヤーは弓術士と魔術士が一人ずつ。
―――答えなど初めから決まっていた。俺は目標へと一歩踏み出す。
向かう先には、キリュウと呼ばれた魔術士の姿。
魔術攻撃の有無は俺にとって死活問題。考えるまでもなくここは魔術士を仕留めるべきだ。
しかし俺の剣が届くにはまだ僅かに遠い。距離を詰める為に駆ける。
「う、わぁ! ひ、氷塊よ 矢となって 彼の者を討て【アイス・ボルト】!」
キリュウが慌てて突き出した杖の先から幾本もの氷の矢が生成され、猛烈な勢いで撃ち出された。視界の中で輝く幾本もの赤い攻撃予測軌道。
駆ける足は止めず、前面へ突き出すのは俺の左腕。俺を貫く攻撃予測軌道へと腕を伸ばし、飛来する氷の矢を次々とその拳で叩き落とす。氷を砕く澄んだ音が連続して森に響き渡った。
俺には属性付与などされていない。当然のように凍てつき、傷付く左腕。霜と鮮血で斑に染まった蒼い装甲の隙間から更なる血が零れた。
だが、全身に魔術攻撃をくらって足が止まるより遥かにマシだ。
左腕を犠牲にして氷の矢を潜り抜け、距離が詰まる。だが、まだ足りない。
「氷塊よ 槍となって 彼の者を討て【アイス・ランス】!」
今度は先程の矢に比べかなり長大な氷の塊が生成された。鋭い切っ先はこちらへ向けられている。
巨大な氷の投槍は一瞬フワリと揺れたかと思うと、唸りをあげて撃ち出された。
それに対して俺はまたしても左腕を突き出す。零れる血が滴となって舞い、俺の顔を汚した。
―――事ここに至っては、左腕は使い潰す。俺の膂力ならば右腕だけでも剣は振れるだろう。
飛来した氷の槍は突き出された左腕を見事に貫いた。瞬時に左腕が凍り付き、魔術の氷は更に肩へ浸食してこようと貪欲に牙を剥く。
一瞬それを見た俺は無造作に己の腰へと左腕を叩き付け、腕を蝕む氷を粉砕。同時に俺の左腕も血肉が破れ、ボトボトと鮮血が溢れた。
もう左腕の感覚は半ばない。だが止まるわけにはいかない。
駆ける俺へと別の方角から今度は実物の矢が襲ってくる。生き残ったもう一人の弓術士が射たようだ。
だが魔術攻撃でなければ問題ない。見向きもせずに右手の剣で切り払う。
魔術士へは……もう少し。
「おおぉぉぉ!!」
自然と雄叫びが口から漏れた。
一歩、更に一歩とキリュウへと迫る。魔術士キリュウの顔に困惑と恐怖の色が走った。
「こ、こいつ止まらない!? あれだけくらってるのに! なんでっ!? くっ、これならぁ!! 凍てつく冷気よ 一つに集いて 彼の者を破砕せよ【フロスト・ボム】!」
キリュウの掲げる杖の先で真っ白な冷気が立ち昇る。だが即座に渦を巻いて凝縮していき、僅かな間に純白に輝く光球が生まれた。
彼が杖の先端を俺へと突き付けると同時に、純白の光球は弾丸の如き勢いで放たれる。
キリュウはもう目の前だ。この攻撃さえ凌げば恐らく俺の剣の間合いに入る。
俺は一瞬の躊躇もなく左腕を突き出し、宙を奔る光球を鷲掴みにした。
その瞬間、光球は破裂して一気に膨張。ドンっと腹に響く重低音を響かせて、周囲を真っ白な冷気が覆い隠した。目の前が純白に染まる。
ビキビキと左腕を中心に身体を蝕む極寒の冷気。
だが、こんなものでは俺は止まらない。纏わりつく氷を砕きながら更に一歩先へ。
敵は……。
「や、やった!? さすがにもう」
―――そこか。
「たおし……ムググッ!?」
混乱しながら声無き悲鳴をあげるキリュウ。それもそうだろう。
俺の左手が彼の顔面を掴んでいた。肉は削がれ、骨すら見えるような左腕。感覚もほぼないような状態だが、顔面を締め上げる程度の膂力は残っているようだ。
滴る血がキリュウの顔と服を汚す。
俺の眼を間近で見て顔面を蒼白にした彼は逃げようと必死に俺の腕を叩いて暴れるた。だが、その力はあまりに弱い。
背後にはクドー達が迫っているのを【心眼】で把握していた。遊んでいる余裕もない。俺の戦闘思考が即座に身体を動かす。
剣を握る俺の右手が、泣きそうな表情をしたキリュウの首へと一閃。眼を見開き呆然とするキリュウの首が横一文字に深々と切り裂かれ、血を噴いた。
目の前の俺へと返り血が飛ぶ。
掴んでいた顔面から手を離すと力無く地面へ倒れこむ身体。
俺はそれを視界の端に収めつつ、ゆっくりと振り返った。
「師範代ぃぃぃ!!」
クドーが鬼の形相で飛び込んでくる。俺の視界で輝く攻撃予測軌道は、勢いを乗せた上段からの斬り落とし。
俺は右手だけで『迅剣テュルウィンド』を掲げ、その攻撃を真っ向から受け止めた。
ガツンッと金属の打ち合う甲高い音が響き、クドーの突進が止まる。ギリギリと刃が軋む音が鳴るが、クドーの大剣と俺の長剣は見事に拮抗していた。
……いや、拮抗というのはおかしいか。俺には明らかにまだ余裕があった。
俺を押し込もうと渾身の力を込めて身を乗り出すクドーに対して、俺は一歩も引かず右手のみで長剣を支える。
その現状が信じられないのか、驚愕の表情と共に目を見開くクドー。
わざわざ鍔迫り合いに持ち込んだのも意味があった。反応の鈍い左腕を何とか動かす。深手を負った左手が震えながらも掴み取ったのは、腰のポーチから抜き出したアイテムカード。
「くそったれが! 初心者剣術の使い手がなんでこんな芸当ができる!? お前は一体何者なんだよ師範代!?」
吠えるクドーには応えず、左手のアイテムカードを具現化。手の内に現れた黄金の木の実、『生命の実』を口に放り込む。
直後に身体が輝き、傷は全て完治した。一度左手を握りこんで具合を確かめる。
【心眼】で確認すると、他の『ライオンハート』メンバーも追いついたようだ。再び俺は囲まれようとしていた。
そこでようやく俺はクドーの眼を見る。そこに垣間見えたのは怒りと困惑と、僅かな恐怖の色。俺はそんなクドーをただただ無機質に観察する。
俺の思考は先程から驚く程澄み切っていた。
今、俺の脳裏を支配するのは如何に効率良く敵を排除し生き残るかという事。
そして、大きな懸念材料だった魔術士の排除を成し遂げた以上、先程までのように防御に徹して油断を誘う必要もない。
……それにこいつらの実力は既に十分把握した。
―――反撃だ。
俺がその決意を、殺意を視線に乗せるとクドーの困惑が一瞬強くなった。その隙を逃さず、剣を両手で握って身をひねり彼をある方向へ思い切り突き飛ばす。
「ぐっ!!」
「うぉぉっ!?」
突然自分の方へ飛んできたクドーに驚いて斧術士のプレイヤーの動きが止まった。
その間に俺は反転。他方から近寄る二人の槍術士達へ踏み込んでいく。
俺の行動に一瞬面食らったものの、即座に攻撃を仕掛けてくる槍術士達。
視界に映る幾本もの攻撃予測軌道。矢継ぎ早に連続突きを放ってくるつもりのようだ。
しかし仲間を殺されて動揺しているのか、先程まではあった二人の息の良さがまるでない。タイミングがバラバラだ。
『迅剣テュルウィンド』を構えながら前方へ飛び込む。次々と放たれる猛烈な突き。その全てを弾き、悠々と槍術士の片割れの懐に踏み込んだ。
「んなっ!?」
先程までとは打って変わって攻撃的に迫る俺に戸惑ったのか、それとも易々と懐への侵入を許してしまった事への驚きか、槍術士は驚愕の呻きをあげる。
だが槍の間合いを失ったと判断するや即座に槍を手放し、武器交換を図ってきた。その反応の良さは流石と言える。
躊躇なく主武装の槍を捨て、腰に差した短剣を手にするあたり近接戦闘を別の武器で補うと聞く上位流派『アルベルト流槍術』の使い手だろうか。
抜き放たれた短剣は素晴らしい速度で真っ直ぐに俺へと振るわれた。
狙いは……俺の腕か。
攻撃の軌道を確認した俺の身体が自然と動く。更に一歩、力強く踏み込みながら俺の握る長剣が唸った。
振るわれた『迅剣テュルウィンド』が大気を切り裂いて短剣の攻撃軌道と交差。短剣の抵抗を物ともせずに剣身を押し込み、斬撃を振り切る。一瞬の間を置いて宙に舞う槍術士の腕。
「がぁっ!?」
腕を失って悲鳴をあげる彼へ踏み込みの勢いのまま体当たりをするように接触。その胸元を乱暴に掴みとると、渾身の力を込めて後方へと放り投げた。
そこには今まさに俺へと必殺の型を放とうとしていたもう片方の槍術士の姿。
「うわぁぁ!?」
「はぁ!?」
仲間が冗談のように飛んでくる姿を見て目を丸くする。慌てて型の発動をキャンセルし、身を躱そうとするも間に合わない。二人の槍術士が激突し、投げられた方が地面へと転がる。もう一方はかろうじて転倒は防げたようだ。
だが流石に大きく体勢を崩している。
その眼前へと俺は攻撃意思を迸らせて踏み込んだ。隆起した筋肉で軋む蒼い装甲。
俺の姿に気づき焦りの表情を浮かべながら迎撃しようとする槍術士だが、その動きはあまりに遅い。
振り上げられた『迅剣テュルウィンド』の刃がギラリと輝く。まるで獲物を前にした牙のような凶悪な輝き。
奥歯を噛み締め、渾身の力を込めながら俺はその牙を解放した。
『真バルド流剣術』二の型【竜烈牙】。
ドンッと轟音を伴って放たれる剣閃。一歩踏み出した足が地面を砕く。
狙いは焦りの表情が張り付く槍術士の顔面。そこへ一直線に振り下ろした。
スキル【思考加速】によって引き伸ばされた時間の中で、焦りの表情を浮かべたままの頭部に剣身が食い込むのがはっきりと見える。
彼の視線は俺の斬撃を捉えてはいない。俺の斬撃に全く反応できていないようだ。
やがて刹那の時をおいて頭部を両断。だが渾身の力を込めた【竜烈牙】がそれだけに止まるはずがなく、そのまま身体ごと一刀両断にした。
その場に束の間の紅い雨が降る。
分断された身体から噴き出す真っ赤な鮮血は周囲へと盛大に飛び散り、傍らで身を起こしたもう一人の槍術士の顔を紅く彩った。
彼は何が起きたのか咄嗟に理解できなかったようで、敵を目前として呆然とするという致命的な隙を晒す。
―――そして、そんな隙を今の俺は見逃さない。意識するよりも早く腕が振るわれた。
ザンッと一閃された長剣が呆気なく槍術士の首を断つ。
最期の瞬間まで現状を把握できてなかったようで、呆然とした表情のまま槍術士の首がゴロリと転がった。
力を失った身体が血の海に沈む。
『迅剣テュルウィンド』の美しい剣身に滴る血糊。それをブンッと一振りして飛ばし、俺は残るクドー達へと向き直った。
【心眼】で随時確認していたが、先程の槍術士との戦闘では援護もせずに距離を取り様子を窺っていたようだ。
一体どういうつもりなのか……。
「まったく、初心者剣術使いの雑魚だと思っていたらこんなとんでもない奴だったとはな。とんだ貧乏くじだ。……俺ら相手にこの立ち回り。それにPKへの躊躇の無さ。お前今までどれだけプレイヤー相手に殺しをやってやがる」
大剣を構えながらこちらを睨むクドー。傍らには仲間の斧術士と弓術士。
クドーはまだ鬼のような形相で憎しみと怒りを剥き出しにしているが、残りの二人に浮かぶのは……俺への怯えか?
「畜生……ありえねぇぞ、こんな……クソ……」
目を見開いた斧術士がブツブツと呟くのが微かに聞こえる。そんな彼を一瞥し、シオンへと視線を向けるクドー。
「シオンよ~、ワリィがこれまでだ。今更かもしれんが流石にこれ以上損害出すわけにはいかんし、悔しいが今こいつに勝てる気がしねぇ。俺らはここらでオサラバさせてもらうわ」
「…………」
クドーの言葉に無言で応えるシオン。彼女の表情が一層温度を下げた気がした。
それを気にすることなくクドーは俺へと向き直り、ゆっくりと後退し始める。彼に続くように斧術士と弓術士も俺を警戒しながら後退った。
俺はその場から動かず、ただ静かに彼らの動きを観察しながら剣を構え続ける。
そんな俺を見て、悔しそうに歯軋りするクドー。
「……バケモノめ。この借りは必ず返すぞ。絶対に殺してやる」
そう吐き捨てると、クドーは斧術士と弓術士を伴い森の奥へと消えていった。
禍根を残さない為にも追って始末するべきなのかもしれないが、無防備なハヤト達をこのまま敵地の中に放置していくわけにはいかない。
それに……もう一人問題のプレイヤーが残っていた。
クドーを見送り、俺はシオンへと視線を向ける。
彼女は顔を俯かせ、静かに肩を震わせていた。
「……ッ……」
クドーに見捨てられ、混乱しているのだろうか。
微かに耳に届くのは嗚咽のようにも聞こえた。
「……ッフフ……」
彼女の震えが段々と大きくなる。
「……ッ……ッフ…………フフッ…………フフフッ」
俺の心の内に僅かな困惑が生じた。顔を伏せた彼女から漏れ聞こえてくるのはもしや……笑い声か?
彼女がどんな表情を浮かべているのかはまだ見えない。生産系プレイヤーである調薬士のはずなので戦闘力はさほどないと考えているが、彼女には見事に罠にかけられている。
まだ何を隠しているかも判らない為、警戒は緩めない。
「……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
シオンはしばらく肩を震わせた後、突如顔をあげ狂ったように笑い始めた。
美しく整った顔が大きく歪む。
「まったく、笑わせてくれるわね。トップギルドに名を連ねるなんて大層な事を言っておきながら、たかが一人を始末できないだなんて」
前髪を掻き上げながら気怠そうにシオンは呟いた。そこに此方を気にする素振りは全くない。
「……おかげで私がやらなきゃいけないじゃない」
「!?」
彼女のセリフに耳を疑う俺の視線の先で、彼女は奇妙な形状のナイフを取り出した。
そのシルエットは異様に細く、まるで針のようだ。
更にシオンは小瓶を取り出し、その中身をナイフへと注ぐ。ドロリとした緑色の液体がゆっくりと滴り落ちた。
彼女はトップギルドにも誘われるような高ランクの調薬士。回復アイテムは勿論、毒物の生成もお手の物だろう。あの小瓶の中身も毒物の類だろうか。
『バルド流剣術』のマスターNPC、アシュレイの話によると俺の獲得した【龍躯】ならば毒への耐性があるようだが、果たしてそれがどれ程通用するのか。
警戒を新たに剣を構え直す俺だったが、ふと気づいた。
レオンが所持していた薬の数々、それはシオンが生成したものか。そして、先程のレオンへの拘り様から言って彼女が語った弟とはつまり……。
シオンが抱く憎しみの原因を少なからず理解して俺の心の内に僅かに苦い物が広がる。
ここにきて俺の行動のツケが回ってきたという事らしい。
そんな俺の前で、シオンはナイフを振り上げる。剣身に滴る毒物らしき液体。
次の瞬間、俺は今度は己の目を疑った。
―――シオンは全くの躊躇無く、ナイフを自分の腹部に突き立てたのだ。
「なっ!?」
思わず驚きの声をあげる俺だったが、シオンの表情はまるで変わらない。
いくら極細のナイフとはいえ、剣身の根本まで己の腹部に埋まっていてこの反応とは。彼女も予め痛覚を遮断するブースト系アイテムを服用していたようだ。
……それにしても一体どういうつもりだ? 彼女の思惑がさっぱり判らない。
「……別に自傷癖があるわけじゃないのよ。ねぇ、知ってるかしら? 実験していて気づいたのだけど、プレイヤーの身体って中々奥が深くてね。同じ毒を使うにしても投与する場所によって効果が劇的に変わるのよぉ?」
驚く俺を見て、嘲笑うかのようにシオンが薄く笑みを浮かべる。そのまま彼女はナイフを腹部から抜き出した。
傷口から血が零れ、ローブを汚す。それには全く目を向けず、シオンは新たな小瓶を手にして中身を一気に嚥下した。
同時に腹部の傷口が僅かに輝く。小瓶の中身は高ランクの回復アイテムだったようだ。
「どうも身体の特定の部位に特別な判定があるみたいね。有名な所だと頭部や心臓に対する一撃死判定なんてあるけど、これも似たようなものよ。……ただし、私が見つけたこれはブースト系アイテムの効果にも適応されるのだけど」
そこまで語るとシオンはにっこりと笑った。ナイフと小瓶は姿を消し、彼女の両手には先程ハヤト達を昏倒させた二本の短剣が握られる。短剣と表現するにはやや長めのその剣身は相変わらず毒々しい液体で鈍く光っていた。
彼女の言葉で悟る。
……つまり、先程の行為は件の特定部位へブースト系アイテムを直接投与したわけか。
しかし、本気で俺と直接戦う気か? 例の劇的な効果とやらがどの程度か判らないが、いくらブースト系アイテムを使用したといっても彼女自身は生産系プレイヤーのはずだろう。
攻撃の型はおろか、戦闘動作のシステムアシストすら戦闘系プレイヤーに比べて満足にないはずだが……。
俺の困惑を他所に、シオンはゆっくりと構えを取る。
「だから……」
その見覚えある構えを見て、俺は更なる困惑を覚えた。
……これは『ガーランド流剣術』の構え!? 彼女は調薬士ではないのか?
「こんな事もできるのよっ!!」
口端を吊り上げて、シオンが地を蹴る。一体どれ程の力で蹴りつけたのか、轟音と共に蹴り砕かれた地面の欠片が宙に舞った。
「っ!?」
弾丸の如く一瞬で間合いを詰めるシオン。予想外の速度に虚を突かれた俺は一瞬反応が遅れた。
俺の眼前でシオンの両腕が霞む。
俺の視界に表示される攻撃予測軌道。初撃は左上段からの袈裟斬り、続けて右下段からの斬り上げ。剣先の動きを視線で追うも、その速度は恐ろしく速い。
遅れを取り戻すべく渾身の力をもって腕を動かし、かろうじて短剣の攻撃予測軌道上に長剣をすべり込ませた。
だが、シオンの斬撃を弾こうした瞬間。
またしても俺の脳裏に驚愕が生まれる。
―――重い!!
刃を弾いた俺の両腕に予想外の衝撃が走る。
「ぐぅっ!?」
思わず呻き声をあげながら、次々と放たれる斬撃を必死で防御した。押し切られる事こそないが、弾く度に重い衝撃が伝わりビリビリと腕が痺れる。
……その細腕のどこからこんな力が!? 例の効果とやらがこれ程とは!
凄まじく重い斬撃が無数の連続攻撃となって襲い掛かってくる。
初動の遅れもあってシオンの先を制せず、俺は防御一辺倒となってひたすら耐えるしかない。
いくつもの斬撃を弾きながら、俺は既視感を覚える。一撃の威力こそ段違いだが、その動きには確かに見覚えがあった。
この動きはやはり『ガーランド流剣術』……調薬士と言っていたのは偽りだったのか!?
投与されたブースト系アイテムの効果なのか、目を異様なほど真っ赤に充血させたシオンは嬉しそうに短剣を振るい続けた。間近で見た彼女の身体には筋肉の筋が不気味に浮き出ている。
「あははは!! どう!? 驚いた!? 私の奥義で生み出した『狂神の御心』との相乗効果! びっくりする程のステータス上昇でしょう!? 刃に塗った『断罪者への贄』も強力なのよぉ!? ホラッ! ホラッ! ホラッ!」
はしゃぐ彼女に応える余裕は俺にはなかった。
右に、左に、目まぐるしく奔る長剣。シオンが放つ斬撃を弾く度に、重い激突音が大気を震わせる。
彼女の凄まじい膂力と短剣特有の攻撃速度、そして二刀流による攻撃密度。それらが俺の防御の隙間を掻い潜る。直撃こそ防いでいるが、浅いながらも俺の腕や脚にいくつもの傷が刻まれ血が滲んだ。
恐らくステータス向上効果のブースト系アイテムと思われる『狂神の御心』。それが一体どれ程の効果なのかは判らない。
だがシオンいわく調薬術の奥義で生成された物である以上、生半可な効果ではないはずだ。
更にそれを効果の大きい特定部位とやらへ直接投与している。
……その結果には、彼女の言う通り驚く他ない。
見た目を裏切る恐るべきステータス補正。そこから繰り出される短剣とは思えない重い連続攻撃。
一撃でも受け損なえば大きなダメージを被る。それでもし戦闘能力が低下するような事態になれば、あっという間に俺を戦闘不能に追い込むだろう。
しかし、ステータス補正の問題だけならば何とか凌げる。
現状、俺にはもう一つ懸念があった。
掠り傷が増えるにつれ、微かに身体の反応が鈍ってきているのだ。
俺の意識と身体の動きとに僅かなギャップが生じてきている。疲労ではない。【龍躯】と俺が纏う防具である『ブレイブシリーズ』の回復効果のおかげで、体力的にはまだまだ戦える自信がある。
そうすると答えは自ずと見当がついた。
……明らかにシオンの短剣に塗られた『断罪者への贄』という毒の効果だろう。
恐らくは麻痺毒だと思われるが、先日のレオン達がリンや俺達に使用した麻痺毒は俺に通用しなかった。
前回と違う麻痺毒なのかは判らないが、ハヤト達の症状と今の俺にも効果を示す強力さを見るに、これも奥義に連なる高アイテムランクの毒なのかもしれない。
ハヤト達とは違って一撃で昏倒とまではいかないのは幸いだが、それもまだ傷が浅いからという可能性もある。
流石の【龍躯】でも完全無効化は無理のようだし、直撃をくらってもまだ戦闘を継続できるかは怪しい所だ。
―――このまま彼女に先を取られ続けるのはまずい。どうにかして一旦仕切り直さなくては。
そう考えた俺は、多少のダメージを覚悟で強引にシオンへと攻撃を繰り出そうとした。
だが一歩踏み込んだその直後、突如彼女は攻撃を止め軽やかなステップで後方へと飛び退く。
勢いでフワリと舞う返り血に汚れたローブと長い黒髪。禍々しい装いと整った顔立ちが彼女を死神の如く飾り立てた。
俺の行動は肩透かしをくらった結果になったものの、一応場を仕切り直す事はできた。即座に構え直し次の攻撃に備える。
一旦距離を取ったシオンは両手の短剣を弄びながら、一つ大きな溜息をついた。
「まったく、本当にしぶとい。直撃はないとは言ってもそれだけ傷を付けられてまだ動けるなんてね。……あなたには本当にイライラさせられるわ……鉱山の仕掛けだって結局は邪魔されたし」
機嫌の悪さを全面に押し出すように、俺を睨みながらシオンが親指の爪をガリガリと噛み始める。
だが、俺は彼女のそんな様子よりも今シオンが語った内容に反応してしまった。
「鉱山だと? 何の事だ?」
予想外の言葉に驚いた俺は思わず聞き返してしまう。
「ボスと周辺モンスターを呼び込んで全滅させてやろうとしてたのよ。せっかくあそこまで集めたのに……」
爪を齧りながらボソリとシオンが答えてくれた。
俺の脳裏にモンスターのひしめく広間とボスの間から抜け出して襲ってきたレッドホーンの姿が思い浮かぶ。
あれはどうやらシオンの手引きだったようだ。
通常のモンスターだけならともかく、ボスまで呼び込むなど可能なのか? 俺はともかく、レイジ達もそんな手段がある事を知らなかったようだった。
あの『ブラッククロス』ですら知られてなかったような情報をシオンは持っているのか?
しかしあの状況、一歩間違えれば彼女自身も巻き込まれて死亡する可能性が高かったわけだが、一体何が目的だったのだろう。
「何故そんなことを?」
気づけば俺は疑問を口にしていた。
シオンは爪を齧るのを止め、ガラス玉のような瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「何故って? ただの気まぐれと……そうね、あのパーティに気に食わない奴がいたからよ。私の可愛い弟をマネする奴がね」
「マネ……?」
「いたじゃない。調子に乗って二刀流を使ってた奴が。あの子以外の奴が二刀流使ってるのを見るとムカつくのよね」
そう言って薄く微笑むシオン。
俺の背中に若干冷たいものが走る。
……つまりただ戦闘スタイルが似ているというだけでパーティ諸共皆殺しにしようとしていたって事か。
俺は思わず呻いた。
「そんな事で……」
「そんな事? ……ええ、そんな事よ。くだらない理由で呆れたかしら? でもね、仕方ないじゃない。ムカつくんだもの! どうしようもなくね!」
俺の呟きに反応してシオンが嗤う。
「私とあの子の絆を侵す奴は許さない! 私達の邪魔をする奴は死ねばいい!」
高らかに叫ぶシオンを俺は静かに見つめた。
叫び終えると彼女は再び仮面のように表情を消す。
「でもね」
ポツリとシオンが呟いた。
「一番許せない奴が目の前にいるわ」
彼女から底知れぬプレッシャーを感じる。まるで一段と深い闇を目にしているようだ。
自然と俺の喉が鳴った。
「私のたった一人の家族。私の愛する弟……レオンはお前が殺したのね?」
シオンの凍る様な視線が俺を貫く。それに対し、俺は真っ直ぐに見返した。
別に弁明しよう等とは全く思わない。
するにしたってレオンが悪だったなんて言えば良いのか?
まして俺の行動が正義だったなんて微塵も思わない。
所詮この世界に法はない。何をするにも自由だ。もしあるとすれば、それは力による支配だけ。
レオン達は力及ばず、俺に敗れた。そこに正義も悪もない。
シオンの問いに俺は簡潔に答えた。
「そうだ」
その瞬間。
彼女の形相が一変するのを俺は目にする。
そして、美しい死神は再び俺へと襲い掛かった。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!」
狂ったように呪詛の叫びを口にしながら短剣を振るうシオン。
轟音を伴う斬撃が雨あられと俺へ降り注ぐ。だが俺の握る長剣が宙を奔り、そのことごとくを弾き返した。
彼女の膂力も攻撃速度も既に把握している。
今度は油断なく構えていた為に先程のように圧倒はされない。冷静にそれぞれの斬撃を適切に処理する。
「弟は、レオンは、私の為に全てを投げ出してくれたのよ! こんな汚れた私の為にね!」
剣戟の最中、叫ぶシオン。と同時に、彼女が一際力を込めた斬撃を放ってくる。
俺を十文字に引き裂くような軌道のそれに対し、斬撃が交わる一点へと俺は長剣を叩き付けた。
ガンッと衝撃を伴う金属音が響き、俺とシオンの動きが止まる。
ギシギシと剣身の擦れる音と共に鍔迫り合う俺達。
吐息が届くような至近距離でシオンがそっと囁いた。
「ねぇ知ってる? 私だってね、最初は優しくてか弱い女の子だったのよぉ。……おかげで下衆なプレイヤー共に攫われてグチャグチャに犯されたんだけどねぇ」
アハハと口では笑うも目は全く笑っていない。
「酷かったのよぉ。家畜みたいに飼われててね、来る日も来る日も来る日もあいつらは猿みたいにっ…………結局最後には飽きられて捨てられたんだけどね。まあ、殺されなかっただけマシかしら、おかげでレオンと一緒に復讐できたのだし。泣き喚くあいつらを細切れにするのは楽しかったわぁ」
薄く微笑む彼女の力が増す。俺も更に力を込めて押し返した。
ミシリと互いの剣が軋む音がする。
「レオンは私の為に何だってやってくれたわ。私もレオンの為に何だってやった。姉弟二人で生きてきたのよ。……私にはレオンさえいてくれたら他に何もいらなかった」
間近で見る彼女の瞳はどこか虚ろで、幽鬼を思わせた。一体どんな地獄を見ればこんな表情を浮かべられるのだろうか。
俺には想像はできても、実感はできない。
―――『エデン』によって狂わされたプレイヤーの末路。その一端が目の前にいた。
「……レオン達がこれまでしてきた事を知っているのか?」
「もちろんよ。なんたって必要なアイテムは殆ど私が用意してあげてたんだからね!」
俺の問いに笑顔で答えるシオン。
その返答は半ば予想できていたとはいえ、なお疑問が浮かんだ。
「被害者としての立場を知りながら何故加担する?」
「…………」
突如彼女の顔から表情が消える。
「うふふ……被害者だからこそよぉ」
表情は凍らせたまま、口端だけを吊り上げるシオン。
「何で私がこんなに汚れなきゃいけないの? おかしいでしょ? 他の奴らも同じ目に遭うべきなのよ。じゃないと不公平でしょ? ……そう、皆もあんな地獄を味合わないと許されない!」
語るにつれ彼女の顔は憤怒の表情に染まり、ギリギリと歯をくいしばる音まで聞こえた。
「許せない。許せない! 許せない!! なんで助けなんかが来るのよ!? 皆死ねば良い!! 私を犯したゲスどもも、レオンのマネするクズどもも、こんな都合良く救われるあいつらも! そして、私からレオンを奪ったお前もぉぉっ!!」
一際力強く短剣が押し込まれ、俺が押し返そうとした瞬間にシオンは後ろへ飛び退いた。上手く間を外された結果となったが、即座に構え直し次の攻撃を警戒する。
軽やかに舞う彼女はまるで獣のようなしなやかさを備えていた。
そして着地と同時に地を蹴り、再び俺へと無数の斬撃を放ってくる。
「どうして私の前に現れた!? どうしてレオンを殺した!? どうしてせっかく見つけた私の幸せの邪魔をする!?」
シオンの叫びとともに、放たれる斬撃の速度が上がっていった。煌めく無数の銀閃を俺は黙々と撃ち落とす。 彼女の問いに対して、俺は沈黙で返した。こうなったのも様々な因縁が絡み合った結果だ。俺は全く悪くないなどと主張するつもりはないが、今の彼女には何を言っても納得はできないだろう。
一方で、こうして彼女の攻撃を捌きながらも俺の意識は冷静に戦況を分析していた。
そして脳裏に浮かぶ、ある推測。
―――すなわち、シオンは『ガーランド流剣術』を習得していない。
これはあくまでシステム上でという意味だ。
よく観察すれば、ステータスの恩恵で斬撃の威力は凄まじいが動きそのものは単調なのだ。一応『ガーランド流剣術』の動きをなぞっているものの、大半が力任せに斬撃を放り込んでいるだけ。そこにはレオンや先ほどのプレイヤー達のような、俺の防御の隙を突こうとする巧みさはなかった。
恐らく流派の動きだけを軽く仕込まれたのだろう。
システムによる臨機応変なアシストがないため、彼女の猛攻をいなせるステータスを持ち、ある程度攻撃パターンを理解してしまえば対応は容易だった。
最初と比較して明らかに俺の被弾率が減り、剣戟が拮抗する。
既に、反撃しようと思えばそれは可能だった。だが、俺の内心に燻る若干の迷い。
―――はたして彼女を殺すべきか、否か。
話を聞く限り彼女が自分の意思でレオン達に協力し、先刻の監禁場所での惨劇にも関与していたのは間違いないようだ。そして今、直接俺をPKしようと襲ってきている。
本来ならば体勢を立て直した時点ですぐに反撃をするべきだろう。
だが彼女との会話が僅かに引っかかる。彼女の語った絶望。理想だった筈の世界に裏切られ、地獄を味わった経験。
……そんなことがなければ彼女もここまで堕ちていなかったのではないか。
我ながら甘いと感じる思考が微かに躊躇を生んだ。
そして、その躊躇が俺の防御に穴を作る。
彼女の左手の斬撃を防いだほんの一瞬、シオンの動きに対して俺の動きが遅れた。ただそれだけの僅かな穴を彼女は見逃さなかったようだ。
その隙へと放たれる右短剣の凄まじい一突き。
「あああぁぁぁぁ!」
絶叫と共に狂気じみた気迫が迸った。
偶然か、それとも狙ったのか。シオンの恐るべき執念を宿した一撃は美しくすら見える鋭さを伴って宙を奔る。その軌道は真っ直ぐに、俺の急所たる首筋への最短距離。
間近に迫る死の予感。あまりの見事さに一瞬思考が空白に染まる。
先刻の遅れが致命的だった。愚かな油断だったと後悔する暇もない。このままでは防御が―――間に合わない!
刹那の分析が脳裏を走るやいなや、俺の身体は無意識に動いていた。
シオンの突きに対し、左半身になりながらあえて踏み込む。装甲の隙間に短剣が潜り込み、俺の肩へと食い込む剣身。
すかさず左手で追撃を放とうとするシオンだが、踏み込みと同時に俺の右手の長剣が既に閃いていた。
小さく螺旋を描いた『迅剣テュルウィンド』が彼女の左腕を切断。剣閃はそのまま踏み込みの勢いを乗せて奔り、シオンの胸へと伸びた。
ゾブリと肉を貫く音、遅れて腕と短剣が地面に落ちる音。
荒々しい剣戟の騒ぎから一転して静寂の中、吐息のかかるような至近距離で俺とシオンは見つめ合う。
彼女は静かに己の胸を貫く長剣を見下ろし、そして再び顔を上げた。その顔に浮かぶのはどこか寂しげな表情。そこには先ほどまでの狂気の気配は微塵もなかった。
俺はただ呆然と彼女を見つめる。
そんな俺を真っ直ぐに見返しながら、やがて彼女の口が小さく開いた。
「……ねえ、どうして……どうして私の時に助けに来てくれなかったの?」
微かな声色でそう囁いたシオン。
俺の返事を待たずに彼女はゆっくりと瞳を閉じて脱力し、俺へと身体を預けた。
シオンの血に染まりながらも、俺は彼女の身体を抱き留めて立ち尽くすのだった。
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