「セリーナ会頭はいるか?」
きらびやかな衣装に身を包んだ場違いな男たちがサバラン商会を訪れていた。
その様子にきなくささを感じた受付はすみやかにグリムルをはじめとする護衛に通じる秘密の呼び鈴を鳴らす。
「どういったご用件でしょうか?」
「貴様ごときが余計な口を聞くな。早く会頭を呼べばよいのだ!」
荒々しく一際目立った衣装の若い男が、受付の机を叩いた。
顔立ちは悪くはないが、受付の女性を見下しきったその瞳は、彼がひとりよがりな虚構の世界に生きている住人であることを告げていた。
「用件を言っていただかなければお取次ぎできません。規則ですので」
「無礼な!私がネヴィス男爵ポールと知ってのことか!」
「大変申し訳ございませんが貴族様でも当商会の規則は遵守していただきます」
メイブルという受付に採用された女性は、すでに数十回こうした無法者に対応していたために淀みなく口上を述べた。
そのくらい肝が太くなければ一流商会の受付は務まらない。
「ふざけるな!平民の分際でこの私を侮辱するか!」
本気で断られるとは思っていなかったらしいポールはますます激昂する。
爵位のない平貴族ならばともかく、男爵家の当主ともなれば社会的な地位は比べ物にならないほど高くなる。
まして男には黙って引き下がることのできない事情が存在した。
ネヴィス男爵家は比較的マウリシア王国では家柄の古い名門と言ってよい一家である。
しかし戦役により当主が戦死し、さらに後を継いだポールが領地経営に無能であったために、今では借金に次ぐ借金で、いつ破産してもおかしくない状況にある。
そこに降ってわいたかのようにポールに依頼されたのがセリーナとの婚姻であった。
平民ごときと結婚するのは貴族の誇りを穢すものだが、商会を経営するセリーナの財産は確かに魅力的であり、財産を奪ったあとは適当に殺しておけば新たに良家から妻を迎え入れることも可能である。
知り合いの大貴族からこの話を聞いたポールは一も二もなく飛びついた。
貴族でありながら食事や衣料に気を使わねばならない生活などまっぴら御免だった。
だから気が進まぬながらもセリーナという平民を娶ってやろうというのに、会うこともできないでは自分を救おうとしてくれたマロリー公爵にあわす顔がない。
「早くセリーナという小娘を連れてまいれ。四の五のぬかすと貴様の命はないぞ!」
腰に差していた剣を引き抜き、恫喝するようにその刃を見せつけるポールの前に、巨体の傭兵が進み出た。
「こんなところで抜き身を見せちゃいけませんぜ………」
本来ならグリムルはこのようなところで用心棒に甘んじている男ではない。
戦場では10人力として恐れられた歴戦の傭兵なのである。
今こうしてセリーナに雇われているのは、大きな戦場が大陸の外縁部にしかないことと、何よりバルドたちが目指す変革に興味をそそられているからだ。
――――――断じてマゴットが怖いからではない。大事なことだからもう一度いうと、マゴットが怖いからではないのだ。
「なっ!高位貴族たる私を脅してただで済むと思っているのか!?」
明らかに腕利きの傭兵であるグリムルの登場に、声を震わせてポールは後ずさった。
もともと戦闘経験のないポールでは実力ではグリムルどころか街の少年にすら敵うかどうか怪しいのである。
ポールが引き連れてきた郎党たちも、すぐにグリムルの実力に気づいたのかいつものように強気に出れない。弱いとみればいくらでも凶暴な口を聞く彼らだが、強いとわかる人間に対してはお飾りも同然の役立たずである。
グリムルはそんな虎の威を狩るチンピラをこれまで何度も見てきた。
恐るべきものなど何もない。
「なんや、物騒なことになっとるなあ………」
胡乱そうな目でセリーナが現れたのはそのときだった。
自分が何をしに来たのかを思い出してポールは値踏みするようにセリーナを見つめた。
なるほど色香の高い女だ。獣人族であるというところが気にくわぬが、犬として飼いならしてみるのも悪くなさそうな気がする。
何よりそこらの令嬢など及びもつかぬほど美しいところがよい。
気の強そうなセリーナをあられもなく凌辱することを夢想してポールは機嫌を直した。
豊かな胸も雪のように白い肌も、何とも言えずいたぶり甲斐がありそうだ。
「ちょうどよいところに来た。セリーナよ、栄えある王国男爵たるこのネヴィス男爵ポールがおぬしを妻として迎えてつかわすぞ」
「お断りや、はよう帰り」
その間、0.02秒。まさに音速を超える速さの拒否っぷりにポールは完全に石化した。
財力で完全に詰んだ状態にありながら、ポールはなぜか平民が貴族の座を得ることをこのうえない名誉と考えていると信じていたのである。
貴族の誇りという最後に残されたよりどころを否定されて、ポールは頭が真っ白になった。
この女はなんと言った?
許せない
許せない
こんな扱いを私が受けることを認めることはできない!
「この売女がああああああ!」
男とみればすぐ尻を振る淫売でありながら、王国男爵である自分を拒否することなどあってはならない。制裁が必要だ。この屈辱は絶対に晴らさなくてはならない。
本能の命ずるままにポールはセリーナに向かって斬りかかる。
「おいおい、それはちょっと洒落にならんぜ」
そんな素人の衝動的な攻撃を見過ごすグリムルではない。
無造作に素手でポールの剣をはたき落すと、手加減しつつ顔面に拳を叩き込んだ。
「へぶっ!」
無防備に一発もらったポールは、鼻血を噴き上げながらゴロゴロと床を転がって3mほども吹き飛ばされた。
さすがに主人を殴られては黙っていることも出来ず、剣を抜こうとした郎党(ゴロツキ)たちも、セルやミランダにあっという間に無力化され、サバラン商会の窓口には若い男たちが死屍累々と横たわる惨状となったのである。
セリーナに求婚にやってきた身の程知らずはこれが初めてではない。
そのいずれもがいささか過剰なほどの護衛戦力によって撃退されてきた。
本気で力づくでセリーナをものにする気なら、正規の王国騎士団が一個小隊が必要なはずであった。
「――――――なんと非道な。王国貴族に対してかかる振る舞い、覚悟のほどは出来ておろうな?」
法服に身を包んだ初老の貴族がニヤニヤと笑みを浮かべてやってきたのはそのときだった。
「正当防衛や、何も後ろ暗いところはないで」
男の法服は、彼が司法省の人間であることを告げている。
セリーナはおそらくは先ほどの男爵は、この男のための前座であったことに気づいた。
案の定、したり顔で男は演説するかのようにセリーナを糾弾し始めた。
「わざわざ頭を低くして求婚に訪れた男爵に対し、平民の身分もわきまえず暴行を加えて恥をかかせるとは言語道断。王国法に基づき不敬罪にて逮捕いたします」
「ちょいと待ちや!うちは殺されかかったんやで!」
「何を世迷言を。男爵はあれほど頭を低くして礼を尽くしたではありませんか」
「―――――夢は寝て見るんやな」
王国法は貴族によって平民が恣意的に害されないよう、平民の権利を保障しているが、税制や各種の特権で貴族の身分は守られており、そして平民が貴族を侮辱することを禁じる王国法第六条が存在した。
「法の番人たる私が証言しているのですよ!その発言は新たな不敬罪と看做さざるを得ません!」
司法省の法服貴族には、自らの証言をもとに逮捕権限が与えられている。そうした意味で男がしようとしているのはあくまでも合法なものであった。
「王国法第六条に基づき、司法権限第四条によりセリーナ・サバランを逮捕します!」
男は勝利を確信した。
逮捕さえしてしまえばサバラン商会の資産を差し押さえることは難しくない。
その後で司法取引を行うなり、捜査にかこつけて商品の秘密を暴くことも出来る。
自分の縄張りに引きずり込んでしまえば、たとえ十大貴族が相手でも対抗できるだけの自信が男にはあった。
「―――――司法権限第一条第二項、汝偽証するなかれ。これにより司法官の証言に異議を唱えます」
勝ち誇る男の笑みを止めたのは、侮蔑もあらわに口元を歪めたバルド・コルネリアスの姿であった。
バルドの全身から漂う鬼気に思わず腰が引けてしまった男であるが、サバラン商会とコルネリアス伯爵家との関係を知っていた男にとって想定の範囲内ではある。
気を取り直した男は虚勢を張るように声を荒げた。
「法を守る我が証言を疑うとは!司法官の証言を誹謗すれば貴様もただではすまぬぞ!伯爵家の嫡男とはいえ、特別扱いされるとは思わぬことだ」
「ネヴィス男爵が抜刀してセリーナに襲いかかったことは私が証言しますよ。王国法第十条により貴族の証言には真実の推定が働くことはご存じのはず」
「ふん!話にならぬな。位階も持たぬ小僧の証言と司法官である私の証言のどちらが正しいのか、など考える余地もあるまい」
「私の証言だけではありませんよ。どれだけの人間が目撃したと思ってるんです」
「何人目撃者がいようと私が証言すればそれは正しいのだ。司法官の判断が間違うことなどありえないのだよ」
バルドがイグニス伯爵に泣きついて告訴したとしても、バルドと平民の証言で裁判の判断が覆ることはありえない。
たとえ裁判長が男の証言に疑問を抱いたとしても、司法官より平民の証言を信じるという前例が生まれることは司法省の存在意義に関わる問題だ。
自らの組織を守るために、彼らは不本意でも男を擁護せざるをえない。
まして強力な後ろ盾がついていることを考えれば万に一つも負けるはずがなかった。
「司法権限第一条第一項、汝良心を裏切ることなかれ。己の良心に恥じるところはありませんか?司法官殿」
バルドの言葉は男にとって負け犬の遠吠え以外の何物でもなかった。
良心?そんなもの犬にでも食わせてしまえばよい。
世の中は金と権力がすべてなのだから。
「悔しいか?小僧。貴様がどれだけ腕自慢で槍働きを鼻にかけようと、私が黒と言えばそこの娘は黒であり、真実などというものは決して誰も助けることはできない。そうだ、土下座して許しを乞えば娘の罪を軽くしてやらんでもないぞ?何といってもここでは私こそが法なのだからな」
もちろん土下座されてもセリーナを許すつもりなど欠片もなかったが、男は派閥の利権を大幅に縮小させたバルドに対する加虐心の命ずるままに嗤った。
正義などというものを信じている世間知らずの心をへし折り凌辱することが、男にとっては何にも代えがたい快楽なのだ。
「世間知らずはあんただろう。真実は時として何より鋭利な刃となる。自分の狭い世界が世界のすべてと勘違いしている低能に下げる頭はないよ」
「何だと?貴様!」
万策尽きて屈服するかと思った獲物が突然剥き出した牙に男は憤怒と同時に違和感を覚えた。
バルドの様子が敗北を認めたようには思えなかったからである。いや、むしろ罠にかかった獲物を蔑んでいるかのような――――――。
「王国法の擁護者である父を差し置いて自らが法であると言ってのけるとは、司法官の質も地に落ちたものだな」
「……………最低」
セリーナの背後から現れた二つの小さな影を見た男は、思ってもみなかったその姿に雷に打たれたようにのけぞって痙攣した。
喉が痛いほどに枯れて主に水分の補給を訴える。
ウィリアムとシルクという存在は、バルドと違い男が無視するには相手が悪すぎた。
「―――――真実が誰も助けない、か。お前の一言一句を父に伝えておくからその言葉が正しいかどうか確かめてみるんだな」
「そ、そんな……どうして殿下がここに!」
「お前のような馬鹿の動きを監視するために、ここは先日から宰相府が網を張っていたんだよ」
サバラン商会へと向かうウィリアムたちのもとへ、宰相府の情報官を名乗る男が現れたのは数十分前のことである。
陰ながらサバラン商会を警護していた彼らは、己の手に余る貴族と司法官に対抗するためウィリアムに助けを求めたのである。
宰相ハロルドが直接動けば相手も警戒して巣穴にこもってしまう可能性が高い。
彼らに襤褸を出させるためには目立たぬ学生というウィリアムの立場を利用することが望ましかった。
「癪ではあるがバルドの友人のためなら仕方あるまい」
「ありがとうございます。殿下」
騒ぎを聞きつけたセリーナが受付に姿を現した時点で、すでに罠は完了していたのである。
そうとも知らずに得意顔で一席打った男はいい面の皮であった。
「そこの馬鹿男爵といっしょに黒幕を話してもらうとしようか」
ようやく男はことが最初から黒幕たる後ろ盾の失脚を狙った罠に自分がまんまと飛び込んでしまったことを悟った。
がっくりと項垂れた男と意識のない男爵が宰相府の男たちによって連れ出されていく。
後日バルドたちのもとに、王家とも遠いつながりのあるマロリー公爵家の当主が隠居し、2,3の男爵家と子爵家が取り潰されたという知らせが届けられた。
どうやらあの頭の悪い男爵が頼まれもしないのにベラベラとしゃべったらしい。
「まあ、助かるけど王国の行政府がこれで大丈夫か心配になるね………」
「それを言うな……」
進む
戻る