第三十九話

 「まったく陛下にも困ったものだ。成り上がりや野蛮人の権利など気にする必要はなかろうに……」
 「このままダウディング商会が成長すれば公正な競争市場が失われかねませんな!」

 口ぐちに王都の新たな変革への不満を口にするのは財務省の官僚と、その利権のおこぼれにあずかっている貴族たちである。
 彼らにとって、商会の規模は同レベルで官僚の口利きで勝敗が決する程度に拮抗していることが望ましい。
 ダウディング商会が飛びぬけてしまっては恩を売ることも難しくなり、賄賂を要求する機会も減ってしまうのである。ただえさえダウディング商会はパイプ役であったクラン部長が事故死してほとんど彼らの利権にならない存在となっていた。
 その商会がこのまま巨大化を続ければ、財務省の利益誘導を必要としない国際商会として手が付けられなくなる可能性があったのである。
 
 「辺境の田舎者が力をつければ王国の土台が揺らぎかねん。一刻も早く道を正さねば」

 同様に財務省と辺境貴族の口利き役である大貴族としても、現在の事態は愉快なものではなかった。
 基本的に辺境貴族は貧しい。肥沃な土地を持つ裕福な貴族もなかにはいるが、ほとんどの貴族は軍役を背負っているうえ、大消費地である王都に商売の主導権を奪われていた。
 そのため有利な値段で売るためには商会とのパイプや大貴族の口利きが不可欠であり、また不便な田舎から王都で職を探そうとする二男、三男の面倒見てやることも、重要な利権の一つであった。
 地方の景気が活性化し、地産地消が定着するようなことがあれば、従来の利権で莫大な利益を吸い上げていた彼らは破滅するほかはない。
 収入に見合った慎ましい生活をする気など最初から彼らにはないのだから。

 「ダウディング商会の独占を禁止する法律をつくりましょうか?」
 「しかしダウディング商会の取り扱い品は多すぎる。下手に独占を禁止してとばっちりを食うのは御免だぞ?」

 いくらなんでもダウディング商会の商品だけに課税することは不可能である。
 しかし例えば砂糖の独占を禁止した場合、その他の独占市場まで開放を迫られる可能性があった。その結果利権を失うことになっては本末転倒というものであろう。
 
 「低利で資金を融資することも出来ますが……」
 「現状は金さえ投入すれば解決するものでもあるまい。要するに奴らが取り扱っているものが真似できないことが問題なのだ」
 「あの洗髪料はまずいぞ、あれでかなりの貴族がダウディング商会の顔を窺いだしたからな」

 数に限りがある以上、売り手の立場が強くなるのは自明の理である。
 需要と供給の関係はこの世界でもなんら変わるところがない。
 上級貴族の婦人を虜にしたことで、ダウディング商会の立場は先日とは比べ物にならないほど強化されている。
 それがわかるだけに額を寄せ合った男たちは苦々しかった。

 「やはり―――――弱いところから崩していくのが定石だろうな」
 「弱いところ、というと?」

 真正面から相手をするには敵は大きくなりすぎた。
 今やランドルフ侯爵家の後見すらついたダウディング商会をあからさまな手段で陥れれば下手をすればこちらが反撃で痛い目に会う。

 「ダウディング商会と提携しているちっぽけな商会があったろう。しかも一人娘が会頭という都合のいい話だったはずだ」

 理由はわからないがサバラン商会が何らかの情報を握っているのは、ダウディング商会が下部組織ではなく、対等の提携相手とみなしていることを見ても明らかである。
 たかが一人娘を籠絡する手段などいくらでもある。
 男は同じことを考えたクランという男の末路がどうなったのか知るはずもなかった。





 「今度はいったい何をやってるんだ?」
 「ちょっとセイ姉の手間をはぶいてあげられないか、と思いましてね」

 そう言いながらバルドはゴートに頼んで用意した青銅の釣鐘のような置物を弄んでいた。
 水の都であるキャメロンは大抵の場所で数メートルも掘れば水が湧き出す地域だが、その水はもっぱら人力で釣瓶を利用しているのが一般的であった。
 女性や子供にとって、重い水を釣瓶でくみ上げるのは重労働であり、騎士学校で勤めることになったセイルーンはコルネリアスの屋敷にいたころとは違い、朝も早くから水を汲む必要に迫られていた。
 その事実にバルドが気づいたのはつい先日のことである。
 相変わらずセイルーンにセクハラを働いていたテレサが、赤く荒れ果てたセイルーンの手のひらに気づいたのだ。
 コルネリアスにいたころは白魚のように白くしなやかだったセイルーンの手は、慣れぬ力仕事と水仕事で見るも無惨に変わり果てていた。

 「お気になさらないでください………これが私の仕事ですし」

 屋敷にいたころは下男やほかの侍女がやっていた仕事である。
 たまたまバルドのお付であったから任されなかっただけで、それが侍女の仕事のうちであるとセイルーンはごく当たり前に受け入れていた。
 しかしそれをバルドが受け入れられるかは全くの別問題である。
 
 「現代知識なめんな」

 そこでバルドが用意したのが、今でも稀に田舎で見かけることのできる手押し式のポンプというわけだ。
 手押し式ポンプは構造的にはそれほど難しいものではない大気圧を利用したもので、ハンドルを上下してポンプ内を真空にしようとすることにより、井戸の水にかかる大気圧が水を吸い上げる揚水の原理を使用している。
 これならハンドルの上下操作だけで水を汲みあげることができ、釣瓶の荒縄で重い桶を苦労して引き上げる必要はなくなるはずだ。
 さらに桶に満杯に汲まれた重い水を運ぶために、運搬用の一輪車も準備するという念の入れようであった。
 現代日本でも作業現場で使用されている一輪車、通称ネコとも呼ばれるこの運搬用の一輪車の歴史は意外に浅く、一般に知られる形になって大量生産されたのは近代になってからと言われている。
 非常に簡便で持ち運びに適しているのは現代でも重宝されているという事実が雄弁に物語っていると言えよう。

 「これは魔法か?」

 勢いよく蛇口から吹き出す水を見てウィリアムは呆れたように呟いた。
 水は人間の生活に絶対に必要でありながら、容積の割に重く、これを運ぶのは地位の低い使用人にとって何よりも重労働であると言われている。
 なかには午前中を全て水運びに費やし、疲労困憊してしまう使用人がいることをウィリアムは承知していた。
 それでも各家庭に井戸があるマウリシア王国は恵まれているほうで、水資源の乏しい国では井戸が村にひとつしかないようなことも多く、その運搬手段は常に問題となってきた。

 「ただの仕掛けですから誰にでも使えますよ」
 「―――――そうだろうと思ったよ」

 本当にバルドは問題の本質がわかっているのか?
 まだまだ年若い少年でしかないウィリアムでも、この発明が世界を変えかねないことを理解していた。
 これまで人海戦術でしか解決できなかった水の大量輸送すら可能とするポンプと手押し車は毎日の重労働から人々を解放し、別の仕事を行う余裕をもたらすだろう。
 すなわち稼働労働人口が増加する。
 新たな生産需要が拡大している王都にとって労働人口の拡大は決して無視しえぬ結果をもたらすに違いなかった。
 もちろん、重労働から解放された平民がどんな心象を抱くかなど想像するに難くない。
 王家の一員として教育を受けてきたウィリアムにはその効果が容易に想像することが出来た。
 このまま放置してよい問題では断じてなかった。

 「この絡繰り、作るのは難しいのか?」
 「構造自体は単純ですからね……すぐに量産できると思いますよ」

 ウィリアムが何を考え、どういう結論に達したか、バルドも当然のように理解していた。
 あまり金儲けにはなりそうにないから放置していただけで、政治的、経済的見地から大局に立つものならのどから手が出るほどに欲しい装置だ。
 特許という概念はこの世界にはないが、もし特許使用料が請求できるなら国家間の戦略商品になる可能性すらある。
 実際にやり手のウェルキン国王なら、情報が漏えいする前にこれを交渉カードとして使うだろう。
 要するにバルドは王族でありウィリアムを利用して、王室に恩を売る機会を狙っていたのである。
 もちろん、セイルーンの負担軽減がもっとも大きな理由ではあるが。

 「父上には俺から話をつけておく。出来るだけ多く作ってくれ」

 現在王家と貴族の力関係は微妙だ。
 戦役後力をつけた新興貴族と、古参貴族、そして辺境貴族に官僚貴族がそれぞれの利害で対立し、王家はそのバランサーの役を担っていた。
 貴族の反乱で滅亡したトリストヴィー王国のように、全面的に貴族と対立するほどウェルキン国王は愚かではない。
 貴族間の対立を煽り、決してその力を王家に集中させないだけの政治的工作は初歩であるとさえ言える。
 さらに王家の力を確固とするためには民衆の支持があることが望ましい。
 ポンプはその格好の材料になる可能性があった。
 ウィリアムがそう正しく判断していることに、バルドは新鮮な驚きを隠せずにいた。
 腕自慢の暴れん坊と思いきや、この王子なかなかどうして―――――。

 「私が作るわけではございませんので、聞いてまいりましょう」

 知識はあっても技術のないバルドは、もっぱら製造に関してはゴートに、そして流通と資材の確保はセリーナに頼っている。
 最近は生産拠点をダウディング商会の工房に移しているとはいえ、独立したひとつの商会でもあるサバラン商会にとって、コルネリアスのゴートの工房の存在はなくてはならぬものであった。
 この二人の意見を聞かずしては、さすがのバルドも迂闊な返事は出来なかったのである。

 「バルドが気を使う相手か。是非俺も紹介してもらいたいものだな」

 バルドとサバラン商会の関係はウィリアムも知っているが、セリーナがただの傀儡なのか、それともバルドの手綱をとれるほどの女傑なのかはこれからのウィリアムにとっても決して無関係なものではない。

 「失礼ながら騎士より宰相を目指すべきだったのではございませんか?殿下」
 「ふん、お前にだけは言われたくない」

 見かけとは明らかに生まれ持った才覚の違う二人は、互いに皮肉気な笑みを浮かべるとシルクとブルックスを伴ってサバラン商会へと出発した。


 「坊っちゃま!お願いします!置いて行かないで!」
 「さあさあ、さっさと水を運んでしまおうじゃないか!君の柔肌のためなら僕はいくらでも水を汲むつもりさ!」





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