「ほう………あのウィリアムの手綱を取った男がいたか」
「はい、それがあの件の少年だそうで」
「間違っても父の血筋ではないな……母……もどうかわからんが」
イグニスが聞いたら涙を流して嘆きそうな主君の冷たい一言であった。
どうやらイグニスは王宮でも脳筋で名が知れているらしい。
「末恐ろしいとはこのことですな。反目するかと思いきや懐に抱え込んだ様子。あのウィリアム王子をですぞ?」
「我が息子を協調性障害のように言わんでくれるか?」
「殿下がいったいどれだけの人間を再起不能にしてきたか知って言いますか?」
「―――――正直すまんかった」
最後に生まれた奔放な末っ子が一番可愛く思えるのは世界が違っても同じであるらしかった。
ケチだ、性格が悪いと評判のウェルキンだが、そうしたところは別に普通の親と変わるところはないのである。
「ウィリアム王子がひとまず落ち着かれたのは喜ぶべきことです。騎士学校で智勇を磨かれれば将来的に騎士団を任せるにしろ、養子に出されるにしろ王家にとって有益となることでしょう」
「全くだな。イグニスの息子もついでに引き抜きたいものだが」
「今となってはそれは難しいでしょうね」
またぞろ悪巧みを始めそうな国王に宰相のハロルドはにべもなかった。
国王の手腕は国内外で評価も高いが、いささか手段を択ばない傾向にあって現実的な障害を軽くみることが多い。
そこでソフトランディングのため苦労を強いられるのがハロルドであった。
女房役とは、まさに彼のためにある表現と呼んでいいのかもしれなかった。
12年前のハウレリア王国との戦役―――――通称アントリム戦役あるいは盲腸戦役などとも呼ばれる――――コルネリアス領の北西部からハウレリア王国内に細長く突出したアントリム子爵領の境界線をめぐって国境警備隊同士が偶発的に戦闘状態となり、連鎖的に各方面での衝突を呼び込んだ戦争である。
アントリム領の形状からマウリシアの盲腸などとも呼ばれ、当主一族が戦役で全滅したことで現在は王室の直轄領となっている。
当時、宰相となって半年にもならなかった彼は初の対外戦に逸る国王をいさめることにも、保守的な貴族を懐柔することにも失敗した。
結果、講和もままならず、軍部の暴走も止められず、ほとんど奇跡のようなコルネリアス伯爵の勝利によってかろうじて王国が救われたことをハロルドは片時も忘れたことはない。
当時王都では援軍として騎士団の再編成が行われていたが、根こそぎかき集めても兵力はハウレリア侵攻軍の七割に届かなかった。
あのまま決戦を強いられていれば王国は本当に滅亡していたかもしれない。
二度とあの絶望を味わうことのないよう、ハロルドは国王のバランサーとして現実主義の徒であることを自身に課していた。
その後マウリシア王国の復興に手腕を発揮し、国王の補佐及びお目付け役としてハロルドはなくてはならない存在として王宮に確固たる地位を築いている。
「軍部はともかく辺境領主の不満はそろそろ危険水域です。国内経済の復興のため目をつぶってきましたが、そろそろ財務省の色は変えるべきかと」
「――――そうか。俺も連中の戦争恐怖症にはうんざりしていたところだ」
国土の荒廃と労働人口の減少をもたらした戦役後、ウェルキンとハロルドは経済復興を最優先の課題とした。
長期的に見てそのほうが余剰戦力を蓄えることができると判断したためである。
税率の軽減やインフラの整備などの経済政策は、幸いにして効果を発揮してここ数年でマウリシア王国はかつてを上回る繁栄を築こうとしていた。
しかしその余力を軍事費に振り分けようとすると財務省は激しい抵抗を示した。
利権を有する大貴族を抱き込み、軍部を拡大すればまた暴走して王国に仇なすとして頑として軍事予算の増額を認めようとはしなかったのである。
予算という巨大な利権を有した彼らの抵抗を排除することは専制君主たる国王と宰相の力をもってしても容易ではなかった。
丸々と肥え太った羊が護衛をケチればどうなるか、狼の善意を期待するほど愚かなこともないのは子供でも分かる理屈なのであるが。
とはいえ財務官にとって戦争とは悪夢であることも確かである。
相手を滅亡させて植民地として占領するならばともかく、互角の国との争いは消耗戦になり、人材も物資もただ消費していくだけで何の生産性もなく利益ももたらさない。
そればかりか自分たちが運営していた貴重な予算は圧縮され、軍事費ばかりが増大していくのだ。
ハウレリアとの戦いはまさにそうだった。
戦争を歓迎する財務官僚は自殺願望があると言っても過言ではない。
財務に携わる人間というものは、とかく金で利益を測りたがる傾向がある。それが結果として売国同然の所業につながるなどとは思ってもみないのだ。
仮に無人の荒野の領有をめぐって争いがあれば、そんな荒野はくれてやったほうが結果的に予算と人命を失わずに済むと考えるのが彼らである。
しかし荒れ果てた不毛の荒野でも、人が住んでいないゆえに軍事基地化することが容易であり、地下資源があるかもしれず、荒野を通行する自国民の安全保障にもつながるという目に見えにくい部分を彼らはあえて無視して自らの利権の確保を優先する。
こうなると腐敗した官僚は国家を内部から食いつぶす獅子身中の虫でしかない。
「連中はコルネリアスや辺境の繁栄を喜ぶまい」
地方の自発的な繁栄は彼らの利権構造を根底から揺るがしかねない。
中央政府の予算が地方の死命を握る、そうした権限の拡大こそが彼らの権力の源泉となる。経済的に独立した地方など彼らにとってみれば商売敵以外の何物でもなかった。
すでにコルネリアス領での砂糖の生産方法を国家事業として取り上げるため、情報を公開させるべきであると主張する官僚の要望があがっていた。
ウェルキンはこれを握りつぶしていたが、ダウディング商会という販路を手に入れたサバラン商会が国外にまで広がった流通を拡大していくようなことを黙ってみているはずがない。
利権派閥を動員してでも妨害工作に出るはずであった。
もっともイグニスの影響力は彼らが馬鹿にするほど弱いものではなく、むしろイグニスがその気にさえなれば、軍部を扇動してクーデターを起こせるほどに強力である。
戦場で心から背中を預けられる男というのは宝石よりも貴重なのだ。
ともにイグニスと戦った男ならば、その価値に気づいて友誼を結びたいと考えるのは当然であった。
財務省と辺境貴族の全面衝突はマウリシア王国にとっては役災にしかならないということでウェルキンとハロルドの考えは一致していた。
「――――監視を強化しておきましょう」
「あの小僧とその仲間にも気を配っておいてやれ。俺の勘ではいずれこちらの切り札になるはずだ」
「御意」
「やあ、セイルーン!そのメイド服もまた愛らしいじゃないか!」
「えええええっ!どうしてここにテレサ様が………!」
バルドとウィリアムの戦いの後、シルクと対戦したテレサはほぼ互角の戦いを繰り広げた。
最終的にはシルクがテレサを敗ったものの、内容的にはシルクが危ない場面のほうが多かった。
このところバルドと稽古していなければ勝利していたのはテレサのほうであったろう。
そう考えるとシルクは素直に勝利を喜べずにいた。
負けたテレサのほうは落ち込むかと思いきや、シルクに抱き着いて彼女の実力を褒め称えた。
「実にすばらしいお点前であった。是非とも手ずからご教授いただきたい、お姉さま!」
「―――――お姉さま?」
ゾクリと背筋を震わせて、身の危険を感じたらしいシルクは慌ててバルドの背中に隠れる。
「ふふふ……恥ずかしがり屋だな、お姉さまは。これは明日からの楽しみが増えた」
「私はその気はないから違う相手を探してちょうだいっ!」
「誤解されては困るが、僕は綺麗な女性が好きなだけさ!」
「いやいや、誤解してないし」
相変わらずのテレサの性癖にバルドは困ったように苦笑する。
長い付き合いのテレサだが、はて、いつからこんな女性好きになったものか。
記憶を辿るが明確な答えは思いつかない。
少なくともセイルーンと三人で遊んていたときにはもうこの有様であったと思うのだが。
試合を終えて食堂に向かったテレサはそこでセイルーンとの再会を果たし、感激の熱い抱擁を交わしていた。
(助けてください!バルド坊っちゃま!)
(ごめん、無理)
いつになくハイテンションなテレサはメイド服の上からセイルーンの身体を弄ぶ。
そしてこのところ成長著しい胸の感触を感じ取ったのか、ニヤリと嗤うとテレサはおもむろにセイルーンの胸に手を伸ばした。
「形といい、柔らかさといい申し分ない!素晴らしいよ、セイルーン!」
「やぁんっ!どこ触って………ひゃああんっ!」
テレサの手の中でポヨポヨと形を変える柔らかな魅惑の塊。
そして鼻にかかったような甘い声でセイルーンが悶える様子は健全な青少年には刺激が強すぎる光景であった。
「ブフーーーーーーッ!」
鼻血を噴き上げてブルックスが後頭部から床に倒れこむ。
ブルックス以外にも恍惚とした表情で、血の海に沈む男子生徒が続出していた。
姉弟同然に育ったバルドですら、見たことのないセイルーンの色っぽさに下半身の血流が激しくなるのを我慢できない。
「…………不潔……」
「ええっ?責められるの僕?」
生ごみでも見るような目でシルクに責められたバルドは、そのあまりの理不尽さに涙した。
「感じやすいセイルーンも素敵さ」
「もう許してええええ!」
カオスと化した食堂にセイルーンの哀しい悲鳴が響き渡っていた。
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