「………初めて会うというのによくわかったな」
「立場上情報収集は欠かせませんので」
人を食ったようなバルドの物言いにも、ウィリアムは興味深そうな笑みを浮かべただけだった。
「姉上や母上が見違えるように美しくなってな。いつか会いたいものだと思っていたよ」
「あれはサバラン商会とダウディング商会の商品でございますが」
「考えたのはお前だ。そうだろう?」
自重を止めたとはいえ、バルドの情報はまだほとんど知られていなかったのだが、やはり王宮はそのあたりの情報には敏感だということか。
表情にはおくびにも出さずバルドは警戒を強める。
「一貴族ならばともかく国を相手に隠し事が出来るとは思わないほうがいいぞ?俺がこの話を聞いたのも父上からだからな。巷で有名な金細工や砂糖菓子もお前の仕込みだそうじゃないか」
「いえいえ、私などはほんのわずか手伝いをしただけですので」
「今はそういうことにしておくさ」
国王の耳にも入ったか。統治手腕の優れた王だが、同時に性格が悪いと国外はおろか国内でも噂される王である。
余計な厄介事に巻き込まれなければよいが。
「お前にその気があるのなら騎士などではなく財務書記官として登用したいらしいぞ?」
「光栄なお話ですが、私は父の跡を継ぐ身ですので」
「イグニスならあと50年は現役でいてくれるさ」
いくらあの脳筋でも50年は無理だろう。
いや、脳筋だし、部下に任せて座っているだけでいい………のか?
イグニスが聞いたら泣き出しそうな失礼なことを考えつつバルドは首を振った。
宮仕えに自分が向いているとは到底思えなかったからである。
「まさかそれだけのためにこの騒ぎを起こしたわけではありませんよね?」
「楽しそうだと思ったのは確かだが、遊びや酔狂で無茶をしているつもりはない。己の力に見合った環境を要求するのは当然だろう?」
王族として生まれ育った者の傲慢だろうか。
少なくとも力量に見合った実力主義を受け入れるだけの器量はありそうだが、この世界は何も武量だけで組織の中の自分の立場を決められるほど単純なものではない。
「ならば伝統に倣い、先達として殿下に身の程を教えて差し上げましょう」
バルド達という例外があったとはいえ、本来は上級生が高い壁となって下級生の模範たることを示すことがこの模擬戦の伝統である。
それはバルオが2回生になっても当然変わることはない。
身分を考えれば不遜ともいえるバルドの言葉を、ウィリアムは好戦的な笑顔で受け止めた。
「―――――それでは見せてもらおうか、先輩」
ウィリアムはマウリシア王家の四男として生を受けた。
上に二人の姉がいる六人兄弟の末っ子である。兄の一人は幼くして早世したために、実質的には三男にあたる。
王太子は21歳になる長男のリチャードが大過なく務めており、先日王太子妃の懐妊が明らかになったためウィリアムと二男のエドワードは晴れて兄のスペア役を御免となったわけだ。
生まれてくる子供が男であるとは限らないが、王位継承権はリチャードの子供のほうが上になる。
すると二人は新たに公爵家を立ち上げるか、後継ぎのいない大貴族に婿養子として迎えられるか、あるいは自分で就職先を探すという選択を迫られることになる。
吝嗇家で有名な父が名ばかりの公爵家に年金をはずんでくれる可能性は零に等しかったし、かといって他家に婿入りして肩身の狭い思いをするのも御免こうむる。
いずれにしろ臣籍降下が避けられない以上、ウィリアムとしては自分の得意とする武術によって身を立てたいという希望があるのだった。
もっとも好き好んで働き口を探すウィリアムは例外で、普通は出来るだけ条件のよい婿養子先を探すのがほとんどだ。
すでにエドワードのほうは十大貴族のひとつであるエディンバラ公爵家への養子縁組が内定しているらしい。
王室の変わり種であるウィリアムはなぜか姉には非常に可愛がられた。
そのやんちゃぶりが母性本能を刺激したのか、はたまたウィリアムが天然のたらしの素質があったためかはわからないが、本人の自覚のないままに割と女性の関心を惹きつける男である。
これが雅春なら間違いなく「リア充爆発しろ」と叫んでいるところだ。
本人さえその気があれば婿養子先など引く手あまたであるのだが、今のところウィリアムにその気はない。
それだけ自分に自信があるためだとも言える。
ウィリアムは正の構えから悠然と待ち構えるバルドを見た。
年齢は下であるはずなのに、まるで教官のような貫録を感じさせる構えであった。
同年代でライバルというものを持ちえなかったウィリアムは、王宮での教師を唸らせた自分の武がどこまで通じるか、純粋な興味で高鳴る胸を抑えることが出来なかった。
「いくぞ」
「いつでもどうぞ」
虎でも軽く吹き飛ばせそうな勢いでウィリアムが突進とともに薙ぎを飛ばす。
身体強化ばかりでなく全身のばねと腰の濃い点を生かした見事なものだ。
バルドは部分強化で咄嗟に軌道を逸らしながら、ウィリアムに対する認識を改めた。
少なくとも王族であることを鼻にかけていばるだけの男ではない。
ランバルドがわざわざバルドを呼びに来たのも、実際に2回生で相手を出来るのがバルド以外にいないからなのだろう。
ブルックスの一か八かの賭けみたいなのを別にすれば、だが。
「まさか一歩も動かせないとは思わなかったよ」
プライドを傷つけられたかのように唇を歪めてウィリアムは肩を竦める。
部分強化まで使った、当たれば盾ごと吹き飛ばすほどの一撃だったはずだ。
それを無造作に一歩も動かず受け流されてしまっては、さすがのウィリアムも心穏やかではいられない。
現役の武官である教師ですら、こんな受け止められ方をしたことはないのだ。
「―――――下手をすると動くことすら出来ずに殺されかねない人(母)がいましたのでね」
「世の中は広いな」
なぜかブルックスとシルクが真剣な表情でうんうんと頷いていた。
それを見たバルドは胸にせつないものがこみあげてくるのを抑えることが出来なかった。
事情のわからないウィリアムだけが取り残されて首をかしげていたが、とにかくバルドはよほど厳しい教師に習ったらしいということで納得した。
「速度と膂力は素晴らしいものを持っています。部分強化の制御もなかなか。ですがまだまだ身体能力に頼りすぎていますね。経験も足りません」
ほとんど生まれて初めて駄目出しをされたウィリアムは直感的にバルドの言葉が正しいことを承知していたが、不機嫌な様子を隠そうともせず、イライラした口調で答えた。
「随分と俺のことがわかってるんだな、先輩」
「わかる、ということも強さの一つです。覚えておきなさい、後輩」
いかに身体能力で劣ろうとも、勘と経験と身体に覚えこませた武の本領はそんな差を軽く凌駕するだけの強さを持つ。
そうした武の深さを、ウィリアムは経験させてもらえなかったのだろう。
最小限の動きで見舞われたすばやく小さな突きをウィリアムは余裕をもって弾き返した。
「なんだ?この程度が―――――――」
その先をウィリアムは言えなかった。
小さいが矢継ぎ早の連続攻撃を捌くのに集中しなければならなかったからである。
一撃一撃を防御することはそれほど難しくないが、防御するのが精いっぱいで、攻撃に転じるような余裕はない。
さらに腹、胸、顔と狙いの変わる攻撃を捌くうちに、いつの間にか体を崩され、捌くことすら困難になり始めた。
どうにかしなくてはならない、と思うが、事態を打開するだけの技も経験もウィリアムにはない。焦りがさらにウィリアムの防御を窮屈なものにした。
「握りが甘い」
突きと見せかけて軽く薙ぎ払いを見せただけで、ウィリアムの槍は甲高い音を立てて宙に舞った。
「技は一つだけではありません。常に三手先を読んで攻防を組み立てるのです。そうでないと結局こうして敵の術中に落ちます」
あまりにあっさりやりこめられた――――最初から最後までバルドの思い通りに動かされたということを理解したウィリアムは呆然と立ち尽くすしかなかった。
騎士団でも十本の指に入るという騎士にもそんなことを指摘されたことはなかった。
自分の才能は騎士団でも十年に一人であると絶賛され、勝てはしなかったものの現役の騎士をてこずらせる程度には実力があると信じていた。
もしかして俺はおべっかを真に受けていい気になっていただけなのか………。
「勘違いのないように言っておきますが殿下は決して弱くはありません。ただ私から言わせてもらえば基礎がおろそかでバランスが悪くなっております。それさえ叩き込めばまだまだ強くなられるかと」
「…………お前が言うのならそうなのだろう。悔しいがどうしてそこまで強くなれた?」
「生き延びるためには強くならねばなりませんでしたので」
再び力強くうんうんと頷くブルックスとシルクにウィリアムは思わず苦笑する。
「コルネリアスはそれほど生きるのがつらい土地なのか」
「…………聞かないでください」
なぜか負けたウィリアム以上にがっくりと肩を落とすバルドに、完敗した悔しさが癒されていくのを感じる。
ようやく素直に自らの未熟を認めたウィリアムはこみあげる笑いの衝動に身をゆだねた。
こんなに腹の底から笑ったのは初めてかもしれなかった。
「それまで!バルド・コルネリアスの勝ち!」
ランバルドの宣告を聞いたウィリアムは慇懃に腰を折る。
「今日のところは潔く負けを認めよう、先輩」
「負けることは何も恥じるものじゃない。生きて進む勇気があるのならば胸を張れ、後輩」
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