[福井先生の反論フェイズ(15分)]
福井:えー、ありがとうございました。大変勉強になりました。
最初に一点。「先ほど(福井が)あげた資料のなかで、死後50年が70年(になったからといって二次創作が出来なくなったという実例)は無かったじゃないか」というお話でしたが、ルイス・キャロル(の『不思議の国のアリス』)は死後50年のすぐあと(にディズニーが二次創作作品を発表)ですね。
それから『銀河鉄道の夜』、杉井ギサブロー監督の、80年代を代表する大変すばらしいアニメ映画作品がありますけれども(1985年公開)、あれは(宮沢賢治が亡くなったのは1933年なので)著作権保護期間が切れるまでお蔵入りしていた、というのは大変有名な話でございます。
◆妥協点を見いだすのは交渉を尽くしてから
さてそれではこれから、いただいた論点のうち重要だと思えるものについてすべてお答えしていきたいと思います。
まず前提としてTPPの協議は始まったことによって、最終的な妥結を巡る状況は理解できます。しかし延長そのものによる懸念点、あるいはメリットの少なさは、なんら変わるものではないと思います。
そして私は、「それについては交渉を尽くすべきじゃないか」という立場をもう一度申し上げておきます。
では個別の論点です。
まず玉井先生がおっしゃっていた「貿易赤字の問題」ですね。
えー、「赤字の9割はビジネスソフトである」と。だから著作権保護期間が70年に伸びてもあまり影響ないんじゃないか、というお話でございますけれど、この「9割」という数字の根拠ですが、資料には「日銀レポート」と書かれているので、おそらく2004年3月の山内さん(?)のレポートじゃないかと思いますが、これ私も見たのですが、ちょっとデータとしては使えないなと私は思っております。
なぜならば、このレポートでは「9割がビジネスソフト」という記述が1行だけ、そういう言及ありまして、根拠となった数字が「5億円以上の支払い案件を抽出してカウントした」と書いてあるんですね。
ご存じのとおりコンテンツというのは大半はそんな多額の支払いはともなわないので、これでは正確な数字はでません。
◆貿易赤字はやっぱり増える、個々を改善しなければ全体も改善しない
もうひとつ、この貿易赤字についてなんですが、北米向け3300億円の赤字をひとつの根拠にされておりましたが、これ、延長した時には「支払い」は増えるでしょうが「受け取り」が増えるとはとても思えませんから、「赤字額」ではなく「支払い額」を根拠にして考えるほうがいいのではないか。
さらにいうと北米向けだけでなくEU向けも増えるわけですから、そういうのを総合的に言うならば、年間の対外的な支払い額は7142億円となります。
しかし何よりも、(日本→米国の著作権支払い額のなかで)そのうちの「いわゆる映像や音楽や文学のような文化的な作品の比率が何割か」というのは、もっとストレートに、米国商務省が各項目ごとの数字を出してくれております。
このなかに内訳がありまして、今日は直近の2012年のものを持ってきましたが、これによるならば、書籍やCD、映像などだけで、日本からの受け取り金額は、米国は1000億円を超えております。
このほかに商品化などが加わる可能性があります。
やはり延長すると対米の支払い額は相当増えるんじゃないかなと考えるのが自然かと思います。
加えて言うならば、「貿易は赤字で考えるのではなく全体で考えるべき」というのはそのとおりですが、個々の項目の総和こそが全体であります。ひとつひとつの赤字項目に焦点を当てていかないかぎり、全体をよくすることはできないと思います。
◆延長によって利用が増えるなんてことはない
次です。
「延長によってかえって古い作品の利用が促進されるんじゃないか」という点です。
第一に「権利が続いていれば発掘が進むこともある」という話ですけれども、だとすれば、先ほどの資料にあるように、なぜ著作権保護期間中に98%までの作品が市場から消えていくのでしょうか。98%の作品が市場に現に存在しないという現実がある。それをどう説明するのか。
それよりも、やはり非営利の研究活動、教育、福祉、あるいはアーカイブ活動などが進まないことで死蔵が増えてしまうリスクのほうが遥かに大きいのではないか。
これについて具体的な数字が出ています。
イリノイ大学のポール・ギルドさんという方の研究で、すでに米国において保護期間が切れPDになったベストセラー小説、1913〜1922年までの作品、これがオーディオブックになって活用されているもの。
それから、保護期間がまだ続いていてもうすぐ切れそうな1923年〜1932年までのベストセラー小説でオーディオブックになって活用されているもの。
この二つを比較したところ、前者(保護期間が切れたもの)のほうが遥かに活用率が高いという結果が出ています。ちなみに質も有為な差はなかったそうです。
こういったことを考えると、「延長によって発掘が進む」ということは、ないとは言えないけれど、総体としてみるとやはり死蔵リスクのほうが遥かに高いといえるのではないかと、そう考えられると思います。
◆「世界」は欧米だけではない。アジアにも目を向けましょう
三つ目です。
「保護期間の統一によって先進国の、いや世界中の足並みが揃う」という件です。流通が促進されるのか、という点。
先ほど申し上げたとおり、中国という、仮にもGDP世界2位の国、そしてアジアの、ASEANの国のほとんどは死後50年です。インドネシア、マレーシア、カンボジア、ベトナム、タイ、フィリピン、台湾。これらみんな死後50年です。先ほどの玉井先生のお話は「アジアはどうか」という視点があまりにも欠けているのではないかな、とも思うわけです。
さらに、先ほど「あまり大きい問題とは思えない」とおっしゃられたけど、「米国のなかでも1977年までは発行時起算だ」という点は、小さい問題だとは到底思えないわけです。現にまったく揃っていない。
そのせいもあって、(足並みが)揃うことによる効果が出てくるのは相当先の話になってしまうというのは、先ほども言ったとおりであります。
ここで少しだけ辛口なことを言わせてもらえば、そもそも足並みが揃わなくなったのは誰のせいかという話があるわけです。
もともと「死後50年」がほとんどで足並みが揃っていたのに、相談もなく「70年」に延ばしちゃったのはいったい誰なんだと。まあこれは言わないのが大人の態度というものかもしれませんが(会場笑)。
◆実際の現場では「許可」は長いほうに合わせている
さらに。「今現在、(著作権保護期間が)不統一だということで、流通が阻害されたという話はあまり聞かない」ということを私が申し上げました。これは私だけでなく、さまざまな専門家に聞いてみても、あまりそういう相談は受けたことがないとおっしゃいます。
それはなぜか。
例えば誰かがインターネットでサイトを立ち上げる。仮にサーバーは日本に置いてあるとして、日米両方の言語で日米両方のユーザーに向けたサイトを作ったとします。
そこに何かコンテンツを載せるとします。
その著作権はどこの国の法律が適応されるのか、という問題は理論的にはあるのですが、それは実際に法律の問題として相談されることはない。なぜかというと、現場では安全を見て許可を取るんですよね。
保護期間の続いてる国と続いていない国にまたがってビジネスをやろうと思ったら、続いている国に合わせて許可を取る。
つまり(もし70年に伸びれば)許可なんかいらない場面でも許可がいることが増えるっていうだけの話なんですよ。
国内での活用、アジア向けの輸出、そういうところで許可を取る場面が増える。いつでも簡単に許可が取れればいいですけども、先ほど玉井先生もおっしゃっていたとおり、許可が取れない作品もある。死蔵リスクも増える。
というと、統一のために長いほうに揃えるというのはちょっとどうなのかな、と思うわけです。
これは二次創作についてもそうです。
現状でも二次創作を(国をまたがって)やろうと思ったら、長い国に合わせて許可を取っています。
でもそのためにわざわざ保護期間を延ばして、国内向けだったら許可がいらなかったのに、許可が必要な状況を作り出さなくちゃいけないのか。そういう話があります。
◆大賛成できるのは、この問題ともうひとつだけ
次、孤児著作問題です。
これは大賛成です。今日、玉井先生がおっしゃった話のなかで私が大賛成できるのは、ここと、私の本は借りるより買うべきだというところだけです(会場爆笑)。
実際、孤児作品対策はデジタル化の行方を左右します。確実に左右します。それは単に文化にとってだけでなく、経済にとっても左右します。
それは、私自身も拙いながら提案してきたことと、今日教えていただいたこと(玉井先生が提案してきた内容)は一致しています。
これはぜひ進めていくべきでしょう。
ただし、ここから少し辛口になります。
まだその国内法の立法は、具体化の緒にすらついていません。米国でも孤児作品法案は難航しています。イギリスだって難航中です。
そのような段階で、「保護期間を延ばしても、国内法で対処すれば大丈夫だよ」、「保護期間は伸びても大丈夫だ」というのは、それはさすがにあまりに無責任な態度だと私は思います。
すでに「死後50年」の段階で充分(権利者を)見つけにくいのに、なんで20年延ばしてその問題をさらに深刻にするんだろう。そう感じます。
むしろ延ばさないですむなら延ばさないようにする、そのために最善の交渉をする。今我々がやることはそれであり、それこそが最大の孤児著作物対策ではないでしょうか。
さらに。
権利処理が難しいのは、孤児著作物だけではないと私は思うんですよね。
あるいは「権利処理が難しそうなもの」を指して孤児著作物とおっしゃっているのかもしれませんが、世界的には、「もう捜しても権利者は見つからない」、あるいは少なくとも禁止的(?)なコストがかかっちゃうものを孤児著作物と呼んでおります。捜せば見つかるかもしれないけど、膨大なコストがかかってしまうもの。
そういう作品についてはやはり、保護期間が20年伸びれば、青空文庫のようなアーカイブ活動はやはり停滞するだろうなとというふうに思うわけです。
それからマリア・パランテの提言について。
これは一言だけ。
えー、「短縮の提案ではない」とおっしゃいますけれど、該当箇所を読み上げますと、「著作権の保護期間が長いことによりもたらされる圧力や行き詰まりを、いくらか軽減することについて検討してはいかがでしょうか。たとえば遺族や相続人が著作権局に登録しないかぎり、著作者の死後50年間の経過により著作権をPDとする方法があります」と、こう言っています。
私はこれは、実質的には著作権保護期間を50年間にしましょう、と言っているように思えますが、いかがでしょう。
◆「まとめ」として
最後です。
おそらく保護期間の延長によって(貿易)赤字が増大することは事実です。それが具体的に何%かというのは今後検討しなければいけないことですが、増加することは事実です。
期間統一は長期化の理由にはならないと思います。
権利処理が困難になってビジネスが停滞し、死蔵の恐れが増すこと、さらにはメリットが少ないことは、ちょっと争うことができない事実だと思います。
このように保護期間の無用な延長は、文化・社会にとっては重大な問題です。それこそ、先ほどJASRACの収入は少ないとおっしゃったけども、JASRACの収入は増えるでしょう。海外企業も増えるでしょう。
しかしそうしたごく一部の団体の収入が増えるのみである。
なぜそんなことに我が国が踏み入る必要があるのか。
これが私の感想です。
そして、玉井先生のおっしゃる「交渉材料にしましょう」というのは、一見耳障りがいい。「なるほど大人の交渉な気がする」と思うかもしれない。
しかしこれは要するに「保護期間を差し出そう」という延長誘導論です。
なぜ交渉する前に、その話をするんでしょうか。
交渉を尽くして、もうこのままではTPPは妥結できないよ、デッドロックに乗り上げた。それから日本全体の判断で、そういう(延長誘導論の)話が出てくるならまだわかる。
なぜ今その話が出て来るんでしょうか。
我々はいま交渉を尽くすべきです。
「譲る用意がある」という話が海外に伝わるというのは、交渉の話をする時には大変まずい状況だと私は思います。
これが私の考えです。ご清聴どうもありがとうございました。
(会場拍手)
司会:えー。まさにピッタリ15分でございました。福井先生は放送大学でも講義ができるんじゃないかというくらいのピッタリで、驚きました。続きましては玉井先生ですが、これもプレッシャーがかかると思うんですが、15分でお願いします。