何で捕まったかわからない──いま、横浜事件を考えてみる   
「横浜事件」もアメリカの公文書館の資料を証拠にした

───「横浜事件」の政府関係者は、敗戦で自分達が戦争犯罪者になる可能性があったから、「泊事件」の証拠とかを全部処分してしまった。遺族の方は再審裁判を起こす際に、アメリカの国立公文書記録管理局(註50)に保存されていた謄本(全文写し)を使って裁判した。日本には残っていなくて、何でアメリカに残っていたんでしょうか?

 アメリカは戦後の占領下で、とにかく全部押さえて行ったからね。燃やされちゃった部分ももちろんありますけど。アメリカはその辺、すごいですね。

───「公文書管理法」(註51)は、福田政権の時、2009年に、やっとできた。それまで閣議決定の議事録すらなくて、東日本大震災が起こった後に、「閣議決定の議事録ないの?」という話になって(笑)。
「議事録を作る」「それを残す」「開示請求に対して開示ができる」。ある程度秘密があっても、何年か後には原則開示という文書の管理の仕方、行政の管理の仕方という思考方法が日本人にはなかったということなんですよね。

 そう、思考がないんですよ。長いものにはず〜っと巻かれてきたから。巻かれっ放しが当たり前になっちゃってきた歴史があるからさ。

───「横浜事件」の裁判ひとつ起こすにしたって、アメリカの公文書を頼りに、遺族の方は、やっとそれで証拠を出せた。

 よく見つけたものだと思いますね。

─── これからはしっかり情報開示のルール、行政側を縛るルール作りをやっていかないと駄目だと思います。

 何をもって秘密とするかというあたりが、我々の手の届かないところに行っちゃうと大変なことになる。

───「メーデー事件」(註52)の時に、ふじたさん自身が捕まって留置所に入れられて、お父様が面会に来られて。心配されてました?

 「人の名前出すなよ」って(笑)。「ああこれだ〜」と思って。二重橋前でもって頭殴られて、何針縫ったかな、どこかの病院に担ぎ込まれたんですよ。それで縫合手術をして送り返された。そしたら、ちゃんと次の日の朝、警察が現れた。カルテが全部、押収されたらしいです(笑)。後になって聞いたんだけど。

─── それで何日位、留置されてたんですか?

 留置期間いっぱい、勾留期間いっぱい、いたんですから、21日間かな。
 手帳なんか持ってるでしょ? 色々な名前が書いてあるじゃないですか。これやっぱり、ちゃんと警察は(それらの人のところに)行きましたよ。そういうところは、全然、変わってないなと思った。

─── 今も、脱原発関係(註53)や、生活保護の支援団体(註54)に、市民の権利を脅かす形で、逮捕や、捜査・押収が行われ、名簿や住所録を押さえるということがされているようですしね。
 最後に、今後の劇作家協会や、劇作家の方々に伝えたいことがあれば、お願い致します。

 Image最近、こういうことを素材にする仕事をする人が、いなくなっちゃったな、と思いますね。テーマ主義にこだわっているわけじゃないんですけど。

─── 社会問題というのは、本当は面白い、書くテーマとしては非常に豊かな素材なんですけどね。

 僕、やっぱりね、戦後すぐに新劇なるものを観て、観たのが焼け跡の東京で『女の一生』(註55)だったんですよ。その次に観たのが田中(千禾夫)さんの『雲の涯(はたて)』(註56)だったんですよ。
 芝居って、時代をきちんと映せるんだっていうね、その感動で今でも芝居をやってるんですよ。
 井上(ひさし)さん(註57)なんか、割に近かったんじゃないかな、年も一緒だしね。あの人は本当にアンテナの広い、とんでもない人だったけれども、やっぱり非常に共感出来るところに、あの人はいたな。

[了] 



註50:アメリカの公文書記録管理局
「アメリカ国立公文書記録管理局(NARA)」は米政府の書類と歴史的価値のある資料を保存する公文書館。国際条約、外交文書、議会記録、連邦裁判記録、大統領メモ、国勢調査、破産報告、軍隊記録、特許書類などあらゆる公的資料が保存されている。米国連邦政府下の独立機関で、米議会の決議書、大統領の布告や行政命令、連邦行政規則集などを発行する義務がある。保管所は全国に33箇所置かれており、本館と運営部門はワシントンD.C.にある。1934年に国立公文書施設を創立。国立公文書館の情報保全監察局が、妥当な機密指定かどうかを監視し、局長は政府各機関からNARAへ移管命令が出せる権限や、監察権や機密の解除請求権を持つ。1966年情報公開を促す「情報自由法」で、機密解除は10年未満に設定され、上限の25年に達すると、自動的にオープンになる。大統領は「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。行政機関は機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励され、外部機関に通報する権利もある。

註51:「公文書管理法」
 福島第一原発事故後、市民からの情報請求で、日本政府の閣議決定の議事録がないことが報道され、1885年(明治18年)の制度開始以来、議事録保存が明文化されていないことが判明した。(当時内閣官房長官だった枝野氏は「有事の際は録音し混乱のなかでも事後的な記録作成に役立つように備えるべきだった」と述べている)
 日本の情報公開制度は歴史が浅く、1999年に「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(情報公開法)が制定された。しかし不開示規定があり、特定秘密保護法案の検討過程も、法案の内容に触れる部分は、「公にすることにより、国民の間に混乱を不当に生じさせる恐れがある」とされ、ほとんどが黒塗りだった(国会提出前の法案についても同様の扱いがなされている)。民主党政権は2011年4月に情報公開法改正案を提出し、この不開示理由を削除していたが、改正案は2012年末の衆院解散で廃案となった。
 また、年金記録問題などずさんな公文書の管理が明らかとなり、2009年に「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法)が制定されたが、文書未作成・違法廃棄などへの罰則規定がなく、行政による懲戒処分のみである。更に、アメリカの国立公文書館の職員が2500人であるのに比して、日本は僅かに42人と、今後、新たな文書保存施設の整備や職員の大幅な増員、文書管理の専門家育成なども急務とされる。

註52:「血のメーデー事件」
 1952年5月1日、皇居前広場で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件。GHQによる占領が解除されて3日後で、デモ隊からは1232名が逮捕され、うち261名が騒擾罪の適用を受け起訴された。裁判は検察側と被告人側が鋭く対立したため長期化し、1970年の東京地裁による一審判決は、騒擾罪の一部成立を言い渡したが、1972年の東京高裁による控訴審判決では、騒擾罪の適用を破棄、16名に暴力行為等の有罪判決を受けたほかは無罪を言い渡し、検察側が上告を断念して確定した。

註53:脱原発関係
 2011年の原発事故以後、脱原発のデモが各地で行われ、東京では2011年9月に大規模なデモがあった際に、十数名が逮捕されたが、多くは歩道と車道を警官が無理に誘導する混乱の中で起きた。また、関西では2012年、JRの構内をデモの参加者が歩いただけで、逮捕された。
 市民の抗議活動に対する警察の過剰な姿勢は以前からあり、2008年には、当時の麻生首相の豪邸を見に行く「リアリティツアー」があり、約50名の小規模な行動で、特に隊列を組むこともなく歩いていたところ、渋谷駅前を出発してからわずか5分程度で、3名が逮捕された。

註54:生活保護の支援団体
 2013年10月、生活保護の申請同行支援を積極的に行っている支援団体3ヶ所が、大阪府警察本部警備部によって家宅捜索を受けた。行政窓口では、違法な理由で「相談扱い」で追い返す「水際作戦」が後を絶たず、同行支援がなければ生活保護が受けられない困窮者が多数いる。捜索差押令状には、令状の差押対象物件として「会に関する活動方針、規約、規則、会員名簿、住所録、機関紙誌、名刺、会員証、写真その他組織実態、会費運用状況及び生活保護に関する取り組みなど明らかにする文書類及び物件」という、被疑事実とは関係のない記載があり、容疑とされた不正受給とは関係のない行政への不服審査請求に関する集約表や大会決定集などが押収された。

註55:『女の一生』
 1945年4月初演、空襲警報の鳴る中、渋谷東横映画劇場で上演された。森本薫作。戦後1946年11月に再演する時初演台本を戦後版へ改訂。杉村春子主演で950余回の上演回数を誇り、文学座を代表する作品となる。

註56:田中千禾夫さんの『雲の涯(はたて)』
 田中千禾夫(1905~1995)。劇作家、フランス文学者。代表作に、『おふくろ』『教育』『マリアの首』など。『雲の涯(はたて)』は1947年、疎開先の鳥取で書かれた作品。

註57:井上ひさしさん
 井上ひさし(1934年〜2010年)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。日本劇作家協会・初代会長。放送作家として『ひょっこりひょうたん島』など、小説家として『手鎖心中』『吉里吉里人』など、劇作家として『日本人のへそ』『雨』『化粧』『頭痛肩こり樋口一葉』『國語元年』『父と暮せば』『紙屋町さくらホテル』『ムサシ』『組曲虐殺』など。沖縄戦を題材にした『木の上の軍隊』の上演が予定されていた。作品のためにあらゆる資料を集める博覧強記ぶりでも有名で、蔵書20万冊を「遅筆堂文庫」に寄贈。「九条の会」の呼びかけ人でもある。

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