第三十五話

 一見バルドの相手は平凡で取り立てて警戒する必要もないように見える。
 同じことを仲間の2回生も思っているらしく、シルクにエースが敗れたことで、彼らの士気は見るも無惨に低下していた。

 「あと少し……あと少しだったのに……」
 「ていうかこんな奴らが5人もあがってくるのかよ……」

 げんなりとした顔で彼らは俯く。
 味方であれば頼もしい仲間だが、同時にライバルでもある新たな同級生の存在は、良きにせよ悪しきにせよ彼らに多大な影響を与えずにはおかないはずであった。

 「………よろしくお願いします」 
 「こちらこそ、お手柔らかに」

 にこやかに笑う姿からは威厳の欠片も感じられないが、身体の奥に秘められた武の気配は隠しきれるものではなかった。

 (………2回生の隠し玉………か?)

 それにしては2回生の空気が微妙だ。やはりシルクが相手にしたのが最強であったのだろう。
 とするとこの男は味方にもその実力を隠していたということになる。
 間違っても油断のできない男であった。

 互いに礼を交わして二人は期せずして槍の穂先を合わせる。
 同時に気合とともに踏み込んだ二人は、激しい勢いで槍を突き出した。
 まるで鏡に映った虚像であるかのように、二人は巧妙に盾で槍をそらして離れざま薙ぎを見舞う。
 華麗なバックステップでそれを躱した二人は再び開始位置へと戻って静止した。
 傍目には最初から示し合わせた演武を見ているかのような戦いぶりだった。

 「………おい、いつの間にアルベルトの奴あんなに腕をあげやがったんだ?」
 「信じられねえ、デイビットより速いぞ」

 おそらく、先ほどまでの試合の人間ならすでに決着はついている。
 その力量の違いがわかるだけに、2回生の仲間たちは半信半疑で仲間のアルベルトを見つめている。
 踊るように槍を交わし合う二人は神速の一撃を存分に突き、薙ぎ、叩きあった。
 そんななかでおそらく二人だけは、わずかな技量の差に気づいていた。
 
 (やばいな。こいつ僕よりも強い……!)

 驚くべきことに講師すら凌ごうというバルドよりも、相手のアルベルトのほうが強い。
 しかもその差はわずかなように見えるが、まだ本気を出していない節すら感じさせる。

 (試してみるか………)

 この世界の槍術はちょうど西洋の騎士が使っていたランスのものに近い。
 破壊力重視で直線的な動きが多く、先ほどまでの戦いでほとんど薙ぎが使用されなかったのはそのためだ。
 これに対し、左内がいた日本の戦国時代には宝蔵院をはじめとして数多くの槍の流派が見られたが、その型のなかに中国の槍術の影響を受けたものも少なくなかった。
 槍を単純な刺突武器としてではなく、杖術として独自の発展を遂げたものさえある。
 左内が目にした戦場では足軽はもっぱら槍を持ち上げて、下に向かって叩くのが通常だったものだ。
 左内の知る中国槍術封閉法では外回し、内回し、突きという三つの動作を基本としているが、そのうち回すという行為は極めるとほんの一瞬で相手の槍を抑えこんでしまうことが可能だった。
 蛇のようにアルベルトの槍にからみついたバルドの槍が、完全にアルベルトの槍の自由を奪う直前、ほんの一瞬驚くほどの膂力でアルベルトは槍を強引に引き戻した。
 否、引き戻させられたというべきか。
 もしそうしなければ今頃アルベルトの槍は地に落ちて二度と動くことは叶わなかったであろう。

 「解除」

 呆れたように肩を竦めてバルドは魔法の解除を宣告する。
 なんら魔法が使われた気配を感じなかった観客たちは不審そうにバルドの突然の行動を見守るが、次の瞬間、アルベルトと思われていた男の姿が全く別人へと変わっていることに気づいた。
 誰も気づかぬうちに高度な幻影魔法が使われていたらしかった。

 「手がこみすぎですよ、校長」
 「やれやれ、隠し通せると思ったんじゃがな」

 ポリポリと頭をかきながら悪びれもせずラミリーズは笑う。
 いたずらにちょっと失敗した悪がきのような屈託のない微笑みだった。
 いい年齢してこの爺は………。

 「バレてしまっては賭けはわしの負けじゃな」
 「はっ?賭けって大切な進級試験に何やってくれちゃってるの?」

 そう言いつつ、バルドは最初に感じた嫌な予感が膨れあがってくるのを感じた。
 逃れようのない特上級の災厄が襲ってくるような……これと似た恐怖をバルドは確かに感じた覚えがあった。

 「ま、まさか……………」

 全身を貫く寒気と悪寒。
 もしこの予感が当たっているとすればもはやバルドは詰んだに等しい。

 「王都の温さに鈍ったのではないかい?我が息子」
 
 意訳
 「会いたかったわ、マイサン」

 眩しいほどの銀の煌めきを背負い、年齢を感じさせぬ若々しさで獰猛な武威を発散する最強の戦士。
 嫌になるほど見続けてきた暴力の女神がそこにいた。

 「ご無沙汰しております、お母様」

 ―――――詰んだ。終わった。あとは非道の蹂躙に耐え抜くのみ。

 「少し故郷の厳しさを思い出してもらわないとねえ………」



 ――――――その後の死闘を……あるいは虐待と評すべきかもしてないが……目の当りにした誰もがバルドの強さの理由を知らずにはいられなかった。
 むしろなぜ今まで生きていられたのか不思議になったほどである。

 「そらそらっ!寝るのは死んでからにしな!」
 「くそっ!このドSめ!」

 バルドの身体能力を持ってさえ完全には防御しきれぬ銀光の連撃、そのいくつかがバルドの身体を打ち据えたかと思うと、大地に倒れることすら許さず大上段からの追撃が飛ぶ。
 かろうじてバルドは横っ飛びして態勢を立て直すが、空振りしたその一撃は石畳に深い溝を刻みこんでいた。
 痛みによるダメージで、わずかでもバルドが硬直して逃げ遅れれば間違いなく命のない致死的な一撃であった。
 これにはさすがのラミリーズでさえこめかみから滴る冷や汗を禁じ得ない。
 こんな教練を騎士隊で実施したら、訓練だけで部隊が壊滅することは確実だった。
 正直、ラミリーズにもなぜ今バルドが生きているのか理解できない。
 その理由は決して余人にわかってはもらえない、絶大な母の愛こそがなせるわざであったのだが。

 「逃げ足だけは一人前になったじゃないか」

 意訳
 「会わないうちに腕を上げていてうれしいよ」

 ―――――――どこまでもわかりにくい女であった。
 かろうじてバルドが戦闘力を失わずにいられるのはこれまでのマゴットとの戦闘の経験があるからだ。
 しかしそれ以上にマゴットはバルドの反応とその思考の傾向まで、ほとんど全てを知悉していると言ってよく、戦い続けるギリギリの線で手加減をしているからこそできる芸当だった。
 されるほうにすれば地獄が長引くだけという、あまりにも重すぎる母の愛ではある。
 重い打撃音とともにバルドの小さな身体が、弾かれ、叩かれ、飛ばされ、それでも決して倒れ伏すことを許されない。
 迂闊に横たわろうものなら容赦なく命を奪う一撃が飛んでくるのである。諦めた瞬間こそがまさに死の瞬間であった。
 その拷問としか思えない一方的な蹂躙にシルクは思わず目を覆う。
 自分はバルドの強さに憧れたはずなのに、ボロボロのバルドに胸が痛むのはなぜなのか。
 今は血を分けた息子に血も涙もない暴力を振るうマゴットに憎しみすら覚えていた。
 だが同時に、マゴットに対して不思議な親近感、まるでずっと昔から知り合っていたような既視感を覚えてシルクは訝しむ。
 少なくともシルクの記憶にある限り彼女とは今日が初対面であるはずだった。
 一方的にシルクに嬲られていたバルドだが、ただ耐え続けていられるほど被虐趣味があるわけではなかった。
 隙あらば仕返しする機会を虎視眈々と狙っている。
 実力差は覆すべくもないが、せめてマゴットの肝を冷やしてやらなければ気が済まない。
 
 (嫌がらせではあるが………)

 戦国期に槍の宝蔵院と謳われた宝蔵院流槍術は、突かば槍、薙げば薙刀、引かば鎌と呼ばれた。
 片鎌槍に代表されるように、戦国期の槍はそうした戦いの汎用性が突出している。
 マウリシア王国の槍術には突きと薙ぎはあっても、引き技が存在しないことをバルドは承知していた。
 ダメージが増えるのを承知で踏み込んだバルドはマゴットの首筋めがけて突きを見舞う。
 造作もなくそれを避けたマゴットだが、突いたと見せかけてバルドは腰をきりつつ、渾身の力をこめて槍を引いた。
 見た目には何の変哲もない動作であったが、もしも鎌がついていたならばマゴットの頸動脈は寸断されていたはずである。
 ともに槍を合わせていたマゴットは、首筋に走った冷たい殺気の悪寒を確かに感じ取っていた。マゴットが傑出した戦士だからこそ感じ取れたのだ。

 「小賢しい………とりあえず実家には連れ帰らなくて良さそうだね」
 「ありがとうございます……(いつかカマドウマを背中にねじこんでやる!)」
 「―――――今日は死ぬにはいい日だね?」
 「滅相もありません、お母様」


 気が抜けたバルドの膝から力が抜けて前のめりにゆっくりと倒れこむと、シルクは反射的に駆け出していた。

 「バルド!大丈夫?」

 ためらいもなくバルドを薄い胸に抱きかかえる見慣れぬ美少女に、マゴットの目がスッと細められる。
 早くも愛する息子に悪い虫がついていたか。全く、セイルーンは何をしていたんだ。
 値踏みをするようにマゴットはシルクを見つめる。
 バルドには及ばないが、年齢にしてはなかなかに鍛えられた娘である。
 顔立ちも気品と気の強さと素直な性格がそのまま顔に表れたかのようで、なかなかにシルクの好みであった。
 不思議とマゴットの心を捉える横顔である。将来が絶望的な薄い胸にも親近感を覚える。
 おそらくはどこかの貴族の娘だろうが、バルドの嫁にするにはなかなか悪くない人材かもしれなかった。

 「息子が世話になっているようだね。名前を聞かせてもらえるかい?」
 
 まさかマゴットから話しかけてくるとは思わなかったシルクは、先ほどの理不尽な憎しみも忘れて反射的に答えた。

 「シルク・ランドルフ・トリストヴィーです、お母様」
 「…………お母様?」
 「い、いえっ!失礼をいたしました。銀光マゴット様の勇名はかねがね」

 探るような目をシルクに向けたマゴットは、何かを悟ったかのように深々とため息をつくと肩を竦めて低く笑った。

 「嫁に来るなら構わないが、バルドは婿には出せないよ?大切な跡取り息子だからね」
 「か、勘違いしないでください!私とバルドはそんなんじゃ!」

 首筋まで真っ赤に染めてあたふたと慌てふためくシルクは、抱きしめていたバルドの上半身から無意識に手を放してしまう。
 支えを失ったバルドが固い石畳に思いっきり後頭部を打ち付ける鈍い音が、むなしく闘技場に響き渡った。
 



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