第三十三話

 ダウディング商会とサバラン商会の合同名義で発売が開始された洗髪料は国内外で大反響を巻き起こした。
 発注に次ぐ発注が相次ぎ、ダウディング商会をもってしても生産量が追いつかないらしい。
 原材料も十分高額だが、もちろん販売価格もそれに見合った高額になっており、在庫的にも一部の富裕な大貴族しか手に入れられない状況となりつつあった。
 そのため財力に余裕のない貴族の間では値下げを求める声が強くなっている。
 
 「全く、当商会でもこれほどの大商いは久しぶりのことですよ」

 これを超える金額の商いとなると、あの戦役の時ぐらいしか思いつかないほどである。
 目のくらむような収入と、各国の要人とのパイプを一石二鳥で手に入れたダウディング商会は、ライバルたちを引き離し、王国でも一頭飛びぬけた存在となった。
 もちろん、そのダウディング商会と対等の業務提携を結んだ商会として、サバラン商会は大きな注目を浴びていた。
 セリーナが美しく、身寄りのない一人娘であるということが知れると、各商会から下級貴族まで交際を結びたがるものが続出であるらしいが、ほとんど相手にされずに一蹴されているようだ。
 先日に懲りて護衛も増員しており、現在はセルとミランダとグリムルが交代で警護にあたっている。
 
 「まあ、うちはバルド一筋やし」

 と面とむかってバルドに言えないのは花も恥じらう乙女心というものなのかもしれないが、いずれにしろセリーナと強い結びつきがあると誰の目にも明らかなバルドの存在は下級貴族にとっては目の上のたんこぶと言うべきものであった。
 そうでなければ貴族の権威にものを言わせようという粗忽者が、おそらくは何人かは出ることになったであろう。
 王国法により平民の権利は保障されているとはいえ、貴族間のコネと連帯は今でも馬鹿に出来ぬ力を持っているのだ。

 ―――――一方、雅春が強硬に主張したブラジャーの開発は生産という点で暗礁に乗り上げていた。
 技量を必要とする手作業で、かつ立体縫製をサイズに応じて調整しなければならないブラの量産は不可能あった。
 髪のような一目見てわかる違いがないことも需要の拡大にはマイナスの要因だった。
 上流貴族にまさかバストのサイズを図らせて、ということも困難、というより事実上不可能であり、ブランブランと無節操に揺れる胸を保護しようという雅春の悲願は現状達成が難しいと言わざるを得なかったのである。
 しかし現代人の記憶のあるものにとっては現状が非常に目の毒であるということも確かであった。

 『生乳のまま素で服着るとかありえん!ありえんのじゃああああ!』

 と雅春が叫んだかどうかは定かではない。
 しかし幸いにしてセリーナとセイルーンは寄せてあげるブラで、さらに美乳度が増してスタイルの向上に貢献しとてもご満悦であったという。
 ――――――不幸にもAAカップのシルクには目立った変化はないようであったが。

 「お母様………どうして私に胸を与えてくれなかったのですか………」





 騎士学校は喧噪に包まれている。
 今日は久方ぶりの進級試験であるからだ。
 本来の騎士学校は4年の教育期間があるが、実力のあるものに関しては飛び級が認められていた。
 今回、バルドにシルク、そしてブルックスのほかに2名を加え、5名の1回生が2回生への進級試験に臨んでいた。
 試験は座学に加え、最後に2回生との模擬戦でその実力を測ることとされていたが、いかに優れているとはいえ1回生が2回生の精鋭に勝つことは難しいのが通常である。
 これには2回生も面子がかかっているために、えりすぐりの精鋭を送り込んでくるのが普通であった。
 しかしバルドを含め、進境著しいシルクもブルックスも到底普通ではない。
 本来ならば格好よく受けて立つ立場の2回生が、規格外の後輩を前に意気消沈してしまうのも無理からぬことなのかもしれなかった。
 
 「お前、誰とあたった?」
 「ハーミスとか言う奴かな」
 「うわっあたりじゃん!俺のブルックスと代わってくれよ!」
 「お前はまだいいじゃん、俺なんてバルドだぜ………」

 後輩に手も足も出ず敗北するなど2回生の面汚しもいいところである。
 同じ2回生のなかでも間違いなく彼らは優秀な戦闘者であったが、それゆえプライドが傷つくことが悔しくもあり情けなくもあった。
 同じころ、午前の地獄の筆記試験を終えたブルックスはようやく苦手の座学から解放され、ぐったりと机に突っ伏していた。

 「終わった……とにかく終わった……!」
 「終わるだけじゃダメだろ。何のために勉強に付き合ってやったと思ってるんだ?」
 「ありがとよ。こんなに勉強したのは俺の人生でも初めてだよ」

 バルドとシルクが進級試験を受けると知って、もっとも発奮したのがブルックスだった。
 せっかく得たライバルであり友人でもある二人に置き去りにされてはたまらない。
 二人のいなくなった1回生などぬるま湯もいいところである。是が非でも合格してついて行かなくてはならなかった。
 そして苦手な座学の克服にバルドの協力を仰ぎ、連日連夜の特訓の末ついに合格レベルまで学力を引き上げることに成功したのだった。
 
 「よしっ!あとは派手に暴れるだけだ!」

 基礎以外ろくに訓練もできなかった鬱憤を、ブルックスは2回生との模擬戦で晴らすつもり満々であった。
 対戦する2回生はブルックスのあまりの戦意の高さに面食らうことになるだろう。

 「まさかあのブルックスが本当に合格するとはねえ………」

 ブルックスのかつての怠慢ぶりを知るハーミスは、そもそも座学を本気で勉強するブルックス自体が驚きであった。
 あまりバルドたちとの接点はないが、父を騎士に持つ代々の騎士爵家の出身でオールラウンダーに優秀な成績を修めている。
 
 「剣を振ることしか能がなかったからな」
 
 もう一人の1回生ネルソンも半ばあきれ気味に笑った。
 どうやらブルックスの座学嫌いは相当根の深いものであったようだった。
 ネルソンは男爵家の二男で、兄のスペアであることに我慢できず自分の力で身を立てるために騎士を志したという変わり種であった。
 大抵の世襲貴族の場合、二男は長男に何かあったときのスペアで、長男に子供が生まれると同時に臣下として分家されることが多い。まさに体のいい飼い殺しである。
 とはいえ絶縁を覚悟でネルソンのように自活しようとする人間は稀有であると言ってよい。

 「大きなお世話だ。俺だってやるときゃやるんだよ………」

 強くなるためなら、どんな嫌いなことでも努力できる。
 バルドという刺激を得て、自分がどれだけ強くなったか自覚があるだけにブルックスは切実にそう思っていた。

 「それでは午後の考査を始める」

 講師のバッカニアがバルドたちを呼びに来たのはそれから半刻ほど過ぎたころであった。




 1回生側の先発はブルックスである。
 どうやら筆記試験の順位を反映しているらしく、ブルックスが最下位であったのは予想通りというべきか。
 そんなこともお構いなしにブルックスは久しぶりに腕を振るえることの悦びを隠そうともせず獰猛に笑った。
 対する2回生は悲愴である。バルドはともかくハンスとネルソンには、いや、出来ればブルックスかシルクに勝利して勝ち越しで模擬戦を乗り切りたいというのが彼らの偽らざる願望であった。

 「頼むぞカニンガム!生意気な1回生をぶちのめせ!」
 「おおっ!任せておけ!」

 ブルックスの対戦相手であるカニンガムは身長180cmを超える堂々たる体躯で、少なくとも体格という点ではブルックスより遥かに優越していた。
 しかし戦闘力とは必ずしも体格だけで決まるものではない。

 「楽しいなあ。こんな楽しいのは久しぶりだぜ」

 遠慮する必要のない上級生を相手に、友人や講師という観客を前にして剣を振るう。
 自分に注目が集まっているのがブルックスには何とも言えず心地よかった。
 まるで童話の世界の英雄になったような、そんな年齢相応の子供らしい錯覚すら覚えていた。

 「始め!」

 講師の号令とともに、一礼を交わしたブルックスとカニンガムは滑るように疾走する。
 ともに身体強化を完了した二人はまるで一筋の閃光のように激突した。
 さすがに身体強化ではカニンガムに一日の長があったのか、盾ごとブルックスは押し込まれてしまう。

 (ちぃっ!やっぱり真っ向からじゃ分が悪いか……)

 出来れば力でも負けたくなかったが、どうやらそこまで2回生の壁は甘くないということらしい。
 本来ブルックスは技術型のファイターである。
 槍の技量という点においてはバルドと唯一比肩しうる腕を持つ。
 そして………。

 「くそっ!ちょこまかと………!」

 カニンガムの槍があたらない。
 膂力に勝るカニンガムは盾で防御させるだけでも優位に試合を運べると考えていたが、全くかすりもしないことに焦燥を覚え始めていた。
 まるで攻撃の瞬間から軌道を見切られているような感覚、事実ブルックスはカニンガムの攻撃がどこを狙い、いつ動くかその全てを把握していた。
 ほかの誰よりも優れたブルックスだけの特殊な才能、人並み外れて動体視力がいいということの優位は身体強化を経て一段と高いレベルに昇華されていたのである。
 
 「おい……なんかすげえぞ」
 「信じられねえ……」

 2回生からすれば悪夢としか言えない光景であったろう。
 体格に恵まれ、攻撃の速度では2回生でもトップクラスのカニンガムの攻撃が全く通用しないのだ。
 それも紙一重でありながら笑みさえ浮かべて悠々と躱し続ける様子から察するに、一枚どころか二枚はブルックスが上なのは明らかだった。

 「どうした?躱してばかりじゃ勝てねえぞ?」
 
 カニンガムは攻撃をいったん中止してブルックスを挑発した。
 どんな達人であろうとも、攻撃の瞬間がもっとも防御がおろそかになることは変わらない。
 カウンターを狙うためにカニンガムは重心を落としてブルックスの攻撃に備えた。

 「それじゃお言葉に甘えて………」

 ブルックスは一歩を踏み出す。
 無造作な一歩であったが次の瞬間、ブルックスの姿は虚空に消えた。
 否、消えたと思うほどに急速に加速したのである。

 「部分強化、だと?」

 通常の身体強化ではここまでの速度は出せない。
 ほかの強化を削って瞬発力を強化したに違いなかった。
 部分強化は強化された部分以外とのバランスが損なわれるために実戦で使えるものは4回生でも数えるほどしかいない。
 いかに早く動こうと、その速さに見合った判断と行動が伴わなければ意味はないからだ。
 常人を超える動体視力を持つブルックスだからこそ出来た技であった。

 「ぐふっ!」

 ほとんど無防備に一撃を浴びてしまったカニンガムは腹を抑えて悶絶する。
 丸い布で緩衝が図られている槍先とはいえ、目にも止まらないような速度で受ければ無事には済まない。
 慌てて駆けつけた魔法士がカニンガムの治療を開始するのを見た2回生たちはまるで災厄にでも出会ったかのように顔を見合わせた。

 「そこまで!ブルックス・アーバインの勝ち!」

 「痛てて………やっぱ一撃しか使えねえか」

 一息ついたブルックスはどっかりと尻もちをつくように腰を下ろした。
 たった一度の加速でふくらはぎの筋肉や足首の関節も悲鳴をあげていた。
 ブルックスの技量をもってしても、まだまだ部分強化を制御することはかなわなかったのである。
 しかし外したらおしまい、というスリルが何とも言えず楽しかった。
 そして何より、1回生の先鋒として幸先よく勝利を得ることが出来たということが誇らしく、ブルックスは屈託のない雄叫びをあげた。

 「勝ったぞ!!」



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