第三十一話

 全身を冷や汗に濡らしてバルドは弁明を試みる。
 アルフォードの敵意むき出しの姿は、昔森で偶然遭遇した小熊を庇う大熊の姿を彷彿とさせた。
 つまりリアルに命の危機待ったなしである。

 「いいい、いえ、入学仕立ての僕がいろいろご迷惑をおかけしているような状態でして、閣下がご心配なさるようなことはないかと………」
 「ほう、君は入学仕立ての見ず知らずの男を娘が我が家に招き入れる、とこう言うのかね」

 いかん、侯爵が納得するような理由を思いつかない。
 実際なぜシルクがこんなに気安いのか、ブルックスに聞いても不明だしな。

 「―――――とりあえず彼女が戻るのをお待ちいただけませんか?理由の一端はそれでご納得いただけると思いますが……」
 「シルクは入浴しているのではないのか?」
 「今は企業秘密とだけ申し上げておきましょう」

 バルドが想定する効果を、あの商品があげてくれればなんとか追求を免れる目が出てくるだろう。
 もちろん、それまでの時間が針のむしろであることに変わりはないのだが。
 ひとまず矛先を収めたアルフォードだが、不用意な発言があればその瞬間に激発するであろうことは、獲物を狩る鷹の目が雄弁に物語っていた。





 同じころ、脱衣場で服を脱いだ三人はその眩しい肢体をタオルで隠しつつ湯船に向かっていた。
 年長であり、すでに会頭としてある程度の社会経験のあるセリーナは惜しげもなくその恵まれた裸体をさらけ出している。
 豊かに実った両胸の果実はセイルーンとシルクには羨望を覚えずにはいられないものであった。
 しかしセイルーンとシルクの美しさも決してセリーナに見劣りするものではない。
 セイルーンの膨らみかけの大人になりかけた少女だけが持つ危うい色気も、平坦でありながら女性らしい柔らかさを失わないスレンダーな魅力に溢れたシルクの裸体は、男ならば誰もが欲情を感じずにはいられないものだ。

 「………スタイル、いいですね。セリーナさん………」
 「うちもセイルーンくらいの年齢のときは同じくらいやったで」
 「………私もセリーナさんみたいに大きくなるんでしょうか………」

 記憶にある母のスタイルが自分と同じスレンダータイプであったことに軽い絶望を覚えつつ、シルクは哀しげにセリーナの深い谷間を見つめた。
 母の遺伝をこのときほど憎らしく思ったことはない。
  
 「シルクさん、すごい引き締まって綺麗なスタイルですよね……」
 「ううっ……最近お腹のお肉が………」
 「私も本当は太りやすい体質なんですよね……」

 女三人よれば姦しいというが、特にこうしたガールズトークに免疫のないシルクはテンションが有頂天になっていた。
 同年代の友達といっしょに入浴するなどシルクの人生でも初めてのことだ。
 興味津々の目でセリーナとセイルーンの身体を眺めていると、首まで真っ赤に染めて二人は座り込んで両腕で身体の大事な部分を隠した。

 「ちょっとシルクはん(様)遠慮なく見過ぎ!」
 「あ、ご、ごめんなさい……!」

 なぜかそのまま顔を赤くして黙り込む三人であった…………。



 
 オリーブオイルに蜂蜜と卵の黄身を髪になじませること20分、成分が髪に沁みこんだころを見計らって石鹸水で髪を洗った三人は、丁寧に何度もお湯で石鹸を洗い流した。
 これを怠るとアルカリ性である石鹸がキューティクルを過剰に開いてしまい、空いた隙間から髪の栄養がダダ漏れになってしまう。
 これをアルカリ膨潤という。

 「私が流しますよ、シルク様」
 「ありがとうセイルーン」

 肌をさらしあった連帯感なのだろうか?
 俗に裸のお付き合いなどと言われるが、それは本当に効果のあるものなのかもしれない。
 普段はお互いを敵としか認識していなかった三人だが、今は年齢の近い年来の友人のような感じさえする。
 バルドという存在さえ挟まなければ、もともと相性のよい関係だったのだろう。
 お互いの髪を褒めあいながら三人は髪が傷まぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと頭皮をマッサージすると、最後にリンゴ酢のリンスで石鹸のアルカリ成分を中和した。
 果たしてそれがどんな効果を生むのか、子供のように胸をはずませて三人は広い湯船に足を伸ばした。
 大貴族らしく、十人は優に入れるであろう浴場は、彼女たちが全身を伸ばしたとしてもまだ十分な余裕があった。

 「こんなにワクワクするのは久しぶりかも」

 いつのころからか、母の遺志を継がなくてはならない。もっともっと強くならなければならない。そう思い定めてこうした日常を楽しむということを忘れていた気がする。

 「バルドに会ってからうちはいつもハラハラドキドキさせられてばっかりや」

 楽しくてたまらない、というようにセリーナが笑う。
 まるで花がほころんだような屈託のない微笑みだった。
 いったいセリーナとバルドとの間にどんな過去があったのか、自分の知らないバルドとの過去を共有するセリーナがうらやましくなったシルクは無意識のうちに尋ねていた。

 「セリーナさんはどうしてバルドと知り合ったんですか?」
 「知り合ったというか、うちが財産狙いのくそ叔父に殺されそうになったときに、さっそうと現れて助けてくれたんがバルドや。恰好よかったでえ、バルドは」
 「そ、それずるいですよ!?」

 白馬の王子様に救われるとか、いかにも女の子が憧れるシチュエーションではないか。
 平凡な幸せを捨てて騎士を目指すシルクでも、やはり少女らしい憧れを抱くことはあるのである。

 「私、本当はバルド様付きの侍女なんです。学校では内緒でお願いしますね?」
 「セイルーンさんまで!?」

 二人が予想以上にバルドに対するアドバンテージを握っていると知ってシルクは悲鳴をあげた。これじゃスタートがあまりに不利すぎる!なんのスタートかという突っ込みはひとまず置くとして。

 「いつからセイルーンさんはバルドと一緒にいるんですか?」
 「もうじき3年になりますね………シルク様の前では猫をかぶってますけど、私に言わせればバルド様はまだまだ手のかかるやんちゃな弟みたいなものですよ」
 「―――――やっぱり………ずるいです」

 身体は湯で温まっているはずなのに、心の奥はどんどん冷えていく気がする。
 せっかく手に入れたように思われた女友達が、自分だけを置いて先に行ってしまうような、自分の知らないバルドが自分を捨てて去ってしまうような不思議な感覚だった。
 どうしてこんな感覚を覚えてしまうのか。
 
 「シルク様はバルド様をどう思っていらっしゃるのですか?」

 ポツリとセイルーンに確信に迫られてもシルクは答えを出せずにいた。
 その気持ちは、シルクの胸でまだ名前を名づけられずにいたからである。

 「最初は――――その強さに憧れました。あの人の強さに追いつきたいと思った。でも今は違う気がする………なんて言うか、他人じゃないというか………父とはまた違うんだけど……ごめんなさい、うまく言えません」

 初めてバルドを見たときから、どこか他人でないような不思議な感覚を覚えたのは事実である。その思いは日々を追うごとに強くなっている。
 だからといってバルドをランドルフ家の婿に迎えようと考えているわけではない。
 そもそも自分もバルドも兄弟はいない以上、両家の存続のためには結ばれるなどということはありえないはずだ。
 では自分はいったいバルドをどう思っているのだろうか?
 わからない――――――自分の気持ちが。

 「無理に答えを出さなくてもいいんですよ?」
 「えっ………?」
 「だって私たちまだ12歳かそこらなのに、大人みたいに簡単にわかるはずないじゃないですか。ああ、セリーナさんは人生経験豊かそうですけど」
 「なんやて?そこで年齢を言うんか、このチビっ子!」
 「ちょっ!身長のことを言ったら……もう戦争しかないじゃないですか!」
 「はんっ!戦争したかったらもう少し女を磨いて出直しとき!」
 
 掴み合いを始めかねない一触即発の状況でセイルーンとセリーナが睨み合う。
 一人で深く悩んでいたのがバカバカしくなってシルクは壊れたように笑った。

 「あはっ…あは、あははははははははは!!」
 「何笑っとるんや!」
 「そうです!これは女のプライドをかけた戦いなんですよ?」
 「でも、だっておかし………あはははははは!」
 
 こんなに笑ったのはいつ以来だろう。
 よく考えれば自分もまだ12歳の半ばにすぎない子供であった。
 シルク自身が認めようと認めまいと、未成熟な精神と身体は隠すことはできない。
 ようやくシルクはそんな幼い自分を受け入れられる気がしていた。
 そしてバルドやセイルーンやセリーナたちと一緒に大人になって行けばいいのだ。
 そのころにはきっと答えのでないこの気持ちにも、本当の答えが出ているはずだから。
 笑いの発作はなかなか治まらない。
 セイルーンとセリーナは呆れたようにシルクの狂態を見つめつつ、そっと互いに暖かな視線を交わしあった。
 彼女たちにとっても、もうシルクは他人ではなくなろうとしていた。




 ちょうどそのころ。
 1時間という長時間が経過しても動きのない状況に、アルフォードは目の前の男に対する敵意が抑えられなくなりつつあった。
 ギリギリと拳の関節をきしませてアルフォードは凶暴に嗤う。

 「―――――そろそろ私も忍耐力が切れそうなのだが……どうだろう。一つ男らしく拳で語り合うというのは」
 「今しばらくっ!今しばらくお待ちください!これを見逃せばきっと後悔なさいますぞ!」

 (―――――――頼む、早く戻ってきてくれ!僕が無事でいられるうちに!)

 冷や汗ではなく脂汗で全身を濡らしたバルドが三人の帰りを今や遅しと待ち焦がれていた。
 遠くからかすかに聞こえる乙女たちの楽しそうな笑い声を聴きながら。

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