第三十話

 さっそく美髪の効果を試そうという三人の乙女たちは、その必然の結果として入浴することとなった。
 住居を兼用する商会にも風呂がないわけではなかったが、三人で入れるほど広いはずもない。
 さらに公衆浴場を使用することはシルクが嫌がったし、機密の保持上もよろしい話ではなかった。
 ―――――結果、一行は話し合いの結果シルクの強い意向で、シルクの実家であるランドルフ侯爵家にお邪魔する運びとなったのである。


 ランドルフ侯爵家は王家とのつながりも深いマウリシア王国の重鎮である。
 その権勢は王国でも十指に入る名門で、当代のランドルフ侯爵はトリストヴィー王国の王女に降嫁いただくという栄誉に浴していた。
 そのため、トリストヴィー内乱においては救援派の最右翼となり王女マリアも唯一残された王位継承者として亡命貴族などの支持を一身に集めていた。
 しかし慣れない政治活動で身体を壊したマリアは7年ほど前に、体調を崩し急死してしまう。彼女にとって不幸なことにハウレリア王国との戦役で国力を疲弊させたマウリシア王国は大規模な出兵を行える状態にはなかった。
 祖国が時間を追うごとに悲惨な状態に陥っていることも彼女の心労を倍加させていたに違いない。
 そして残された王位継承者がシルクである。
 妻の二の舞とならぬよう、ランドルフ侯爵アルフォードはシルクに政治活動に関与することを禁じた。
 同時にトリストヴィーを取り戻そうと画策する派閥に対しても、シルクを巻き込むならばランドルフ家は敵に回ることを通知したのである。
 母の悲願を知っているシルクは、自分もまたトリストヴィーのために役割を果たさなければならないと考えているが、そのためにアルフォードはシルクに騎士学校を優秀な成績で卒業することを課したのだった。
 妻を亡くして7年、いまだ39歳という男の盛りであるアルフォードは、先を争うように舞い込む縁談を全て断り、今も独身を貫き通している愛妻家として有名だった。

 「ただいま、ハンス」
 「おかえりなさいませ、お嬢様。こちらはお嬢様のお知り合いでございますか?」
 
 屋敷でシルクを出迎えたのは50代も半ばになろうかという執事である。
 その隙のない身ごなしを見ただけでバルドは彼がかなりの修羅場を潜り抜けてきたであろうことを察知する。
 最近の執事は武力が高いのがデフォなのだろうか。

 「騎士学校の学友とその友人よ。彼はコルネリアス伯爵家の嫡男バルド・コルネリアス。騎士学校の首席と言っていいと思うわ。こちら、騎士学校の侍女のセイルーン、そして彼女はサバラン商会会頭のセリーナ。ちょっと面白いものを扱っているのよ」

 なんとも奇妙な取り合わせだとハンスは訝しんだが、それを表情に出すほど迂闊な執事であるはずがなかった。

 「コルネリアス伯爵の武名はこの私もよく存じ上げております。どうぞ今後ともお嬢様をよろしくお願いいたします」
 「こちらこそ、シルク嬢には望外の知己をいただき恐縮しております。不肖の身ではありますが全力をあげて」

 バルドが伯爵家の嫡男とはいえ相手は王国十大諸侯の一人である。貴族としての格が違いすぎる。
 シルクの懇願に負けてランドルフ家を訪れたことをバルドは後悔し始めていた。

 「そうそう、女同士でお風呂に入りたいんだけど、お風呂は入れるかしら?」
 「は、はぁ………少し時間をいただければ」

 歴戦の鉄仮面ハンスともあろうものが、シルクの突然の問いかけに一瞬返事が遅れた。
 まさか真昼間から初めて訪れた友人と、風呂へ入ろうとする理由が想像がつきかねたのである。

 「―――――それでコルネリアス様はいかがいたしましょう?」
 「僕は結構ですからお待ちしてますよ」
 「それではそちらのテラスにお茶をお持ちいたしましょう」

 女性の風呂は長風呂であると相場が決まっている。
 この待ち時間をつぶすのは骨が折れそうだ。それがランドルフ家のような名門であればなおのことである。
 ため息をつきたくなるのを押し殺しつつバルドはうれしそうに連れ立って風呂へと向かう少女たちを見送った。



 本当に運が悪いということはあるものである。
 本来ならば夕刻までは王宮で職務に従事しているはずのアルフォードが、今日に限って予定の面談が中止されたために早めに帰宅したのは、偶然というにはあまりに不幸にすぎるものであった。
 ―――――――――バルドにとって。

 「どうした?来客の予定は聞いていないが」
 「お嬢様のご学友がお越しでして」
 「シルクが?あの娘が友達を連れてくるなどいつ以来のことだ?まさか男ではあるまいな?」
 「お二人は美しい女性でございましたが………もう一人はコルネリアス伯爵家のご嫡男でございます」

 ハンスの言葉を聞いた瞬間アルフォードの顔色が変わった。
 
 「コルネリアス家の嫡男だと?」

 アルフォード自身、ハウレリア王国との戦役には参戦し直接武勇を振るった雄武の男である。数こそ少ないがイグニス伯爵とも面識があり、戦場においては頼もしい戦友であると思ったこともあった。
 しかし一介の傭兵にすぎないマゴットと結婚したことは立場上弁護することはできなかった。上流貴族にはその血を穢すことなく、その誇りと義務を次代に引き継いでいくという責任があるはずであった。
 恋愛は自由であるかもしれないが、貴族の義務はその血統に負っているところが多く、イグニスのような奔放に妻を決められてしまっては貴族制度そのものが崩壊し王国の藩屏たる責務を果たせなくなる恐れがあったのである。
 だがそんなことよりも何よりも、シルクが初めて家に連れてきた異性であるという事実そのものが大問題であった。
 要するに、バルドが誰であろうとアルフォードにとっては娘についた悪い虫以外の何物でもなかったのである。
 
 「シルクは?シルクはどこにいる?」

 たとえそれが事実であろうとも、ハンスは間の悪さを承知したうえで答えないわけにはいかなかった。

 「ただいま湯あみに参られたところでございます」

 男を伴って家に帰ってきたうえに風呂に入る、というそのシチュエーションから想像するところはひとつしかない。
 少なくともアルフォードにとって学校から友達を連れてきながら風呂に入るという行為がありえないというのは確実だった。
 ああ、やはり騎士学校などに通わせるべきではなかった!
 あの可愛いシルクが、欲望に塗れた男どもの巣に通うこと自体間違いだったのだ!
 もしも、もしもシルクと間違いが起こってしまったなどと言ったそのときは――――たとえイグニスの息子であろうと命日になると覚悟してもらおう!
 ハンスはアルフォードの煩悶が誤解であることを察していたが、誤解を解くだけの材料がないとともに、先ほどシルクが見せた乙女特有の表情にアルフォードの誤解が決して故ないわけではないと思い直した。 
 やはりあの少年は少し痛い目を見るべきなのだ。
 実のところ赤ん坊のころからシルクを世話してきたハンスも、十分親ばかの類友なのであった。

 テラスで傾き始めた夕日の光を浴びながらお茶の一服を楽しんでいたバルドは、温かいお茶を飲んでいるはずなのに、どんどん寒気が全身を覆っていくことに暗澹とした思いを隠せずにいた。
 こんな風に寒気を感じたときには大抵の場合――――――。

 「君がイグニスの息子か」

 どうやらここまで走ってきたらしい長身の男――――鋭い目つきと整った鼻梁に、意思の強そうな太い眉。佇まいから発せられる隠しようのない品から察するに、この男こそランドルフ家当主アルフォードであるに違いなかった。

 「お初にお目にかかります。イグニス・コルネリアスの嫡男バルド・コルネリアスと申すもの。どうかお見知りおきを」

 予想していたイグニスの息子―――――シルクにまとわりつく悪い虫とはいささかイメージが違うことにアルフォードは思わず毒気を抜かれた。
 母譲りの見事な銀髪に幼い顔立ち、おそらくは10歳程度でシルクより年下であろうバルドは男と女の関係を想像するにはあまりに幼すぎた。
 だが貴族という生き物は往々にして早熟で、許嫁など一桁の年齢で決められることも珍しくはない。
 アルフォードは改めて気を取り直した。

 「父上のイグニス殿とは先の戦役では世話になったものだ。息子が騎士学校に入学しているとは知らなかったが、私で出来ることならば遠慮なく頼ってくれて構わない」

 もっとも娘さんをくださいなどと言った日には即斬り捨てる自信があるが。

 「お心遣いたかじけなく」

 「――――――――ところで」

 返答によってはただでは返さないと固く決意しながらアルフォードは核心に迫った。


 「正直に、本当に正直に答えてくれたまえ。虚言を吐かれた場合、私は君の安全を保障することができない。神に誓って真実を話すのだ。―――――君とシルクはどういった関係だね?」

 「ぶふううっ!」

 ようやくにして先ほどからアルフォードが発散しているプレッシャー、というか殺気の正体に気づいたバルドは噴き出した。
 どうやら抜き差しならぬ窮地に追い込まれていたらしかった。


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