第二十八話

 こげ茶亭を出たバルドが向かったのは防具屋であった。
 貴族でもあるシルクは上等な防具を所有しているが、身体強化に才能のあるシルクにとってその防具は相性が悪い――――というか枷にしかならないとバルドが忠告したために、代わりを見つくろう約束になっていたのである。

 「さすがに王都は大きいなあ………」

 コルネリアス領では武器や防具だけでなく、鍋釜の補修まで請け負う町の便利屋さん的な店であったが、さすが王都は専門店が複数立ち並ぶにぎやかさである。

 「いらっしゃいませ。今日はどんなものをお求めで?」
 「彼女のレッグガードとアームガードに質の良い素材を見つくろっていただきたいのですが。クッションの強いブーツも」
 「――――誠に失礼ながら、こちらのお方はどちら様でいらっしゃいますか?」
 「騎士学校の生徒です」

 上品な衣装に人目を惹く美貌のシルクが、まさか一線の戦闘職を志望しているのが意外だったのだろう。
 店主は驚いたように目を見張ると頭を下げた。

 「なるほど、身体強化用というわけですな」

 身体強化は身体にかかる負担が大きく、特に関節部の保護は筋力に劣るシルクには特に必要である。
 加減を間違うとあっさり骨がぱっきり逝ってしまうだけに本当に洒落にならない。
 実際にバルドは一度膝の関節と、拳や上腕部を数度骨折している。
 問題はこの関節部ガード、少々見栄えが悪いのだ。
 豪奢な装飾の銀細工であしらわれた今シルクが使っているものとは天地の差である。
 とはいえ、負担を正確に緩和できる精妙な身体強化の域に達するまでは必要である、とバルドは判断していた。
 足首の負担を和らげるクッションの大きなブーツも必須である。
 そのあたりは店主もわかっているらしく、シルクのためにピンク色でデザインの凝ったレッグガードとアームガードを倉庫から取り出してきた。

 「こちらですが女子用に設計されておりまして関節部を守りつつ、伸縮性にもある程度気をつかったものになっております」

 身体強化による急激なストップ&ゴーを緩和し、重要な関節部を守る。
 その重要さはシルクも十分に理解していた。
 それに理由はわからないが、バルドのアドバイスで、というのがなんとも言えず心地よい。

 「それではこちらでお願いします」

 メルグ牛の皮で作られた伸縮性とクッション抜群のブーツも手に入れ、シルクはほくほく顔で防具屋と出たのだった。




 その後、セイルーンの小物買いに付き合った三人はバルド自身のメインである、とある商会を訪れようとしていた。
 王都でも一流の商会が立ち並ぶ目抜き通りの一角に、少々くたびれてはいるが、古式ゆかしい格式と伝統を感じさせそうな店構えの看板には、大きくサバラン商会と書かれていた。

 「お邪魔します」
 「あああ!バルド!待っとったでえ!」

 扉をくぐるとそこには女主人風にめかしこんだセリーナが歓喜の笑みで待ち構えていた。

 「バルド!うち、会いたかったぁ!」

 ぐわしっっっ

 そのあまりに異様な光景に不覚にも沈黙の時が流れた。
 バルドに飛びつこうとしたセリーナの顔を、シルクのしなやかに長い手がしっかり鷲掴みにしていたのである。
 本人も無意識の行動であったらしく、口を塞がれてもがもがと呻くセリーナの声が聞こえると、シルクは慌ててセリーナの顔から手を放した。

 「あ、あらっ?ごめんなさい……」
 「ぷはあああっ!何さらすんや阿呆!乙女の顔を断りもなく鷲掴みにするとはどういう料簡や!」

 ようやく息苦しさから解放されたセリーナは顔を真っ赤にして激昂する。
 それはそうだろう。気になる男の胸に飛び込んだつもりが、隣の女にアイアンクローされた日には誰だって怒らないほうがおかしい。

 「というかあんた誰や?セイルーン!あんたがついていながら何悪い虫つけさせとんねん!」
 「…………面目次第もございません………」

 がっくりと肩を落とすセイルーンだが、ある事実に気づくと途端に般若の形相になって声を張り上げた。

 「って、なんであなたが王都(ここ)にいるんですか!」
 「ふっふっふっ……うちが黙ってコルネリアスでおとなしくしてるとでも思ったんか?」
 「さすがにそこまでは思ってませんが、それにしても早すぎでしょう?」

 セイルーンの予想では出店の準備と、コルネリアスでの引継ぎで最低でも三か月はかかるとみていたのだ。出来れば半年は来ないでほしいというのがセイルーンの偽らざる希望だった。

 「ええ………と、バルドのお知り合い?」
 「うん。サバラン商会の会頭でコルネリアスでの幼馴染みたいなものかな?こう見えてやり手だよ?」
 「会頭?随分若い商会なのね………」

 セリーナは先日19歳になったが、それでも商会を率いる年齢としては十分以上に若い。まともな商会であればまだ番頭どころか手代になれれば御の字というところだろう。

 「セリーナや。よろしゅう。ところでどなたか聞いてもよろしいか?」
 「私はシルク・ランドルフ。バルドのクラスメイトよ。こちらこそよろしくお願いするわ」

 表面上はにこやかに挨拶を交わしながらも、そこで激突する視線は危険な不可視の火花を散らしていた。
 二人ともここに新たな敵が誕生したことを確信していた。



 「サバラン商会ってのはここかい?」

 一触即発の危険な空気にのこのこと姿を現したのは、お世辞にもまっとうな人間とは言い難い男であった。
 その男の後を追うように人相の悪い男たちがゾロゾロと続く。
 店の中に入らきらない人間まで含めればおよそ20人ほどにはなるのだろうか。
 しかし人相や品性の悪さこそ伝わってくるものの、プロの武人が自ずから発する武威もなければ殺し屋が纏うような静謐な殺気のようなものも感じられない。
 要するに素人のチンピラにしか見えないというのが正直なところである。

 「うちに何の用や?今大切なお客が来てるところやから出てってくれんか?」
 「へっ、気の強いだけじゃ世の中渡っていけねえぜ、姉ちゃん」

 台詞まで三下そのものである。
 いつもであればグリムルかセルが問答無用で駆逐したのだろうが、たまたま二人はコルネリアスからの輸送の護衛に赴いており、残るミランダは生理休暇中であった。
 この場にバルドがいたのはまさに僥倖と呼ぶほかはない。

 「なんだあ?随分別嬪が揃ってるじゃねえか。ついでに顔を貸してもらおうかねえ」

 男はセイルーントシルクに粘ついた視線を向けると厭らしそうに唇を歪めた。
 頭の中ではすでに美少女三人を意のままに扱う、極彩色の自分の未来が想像されていた。
 「何だ?この無礼な男たちは?」
 「不愉快だからこちらを見ないでください。もぎますよ?」

 口ぐちにシルクとセイルーンは男たちに挑戦的な言葉を向ける。
 もちろん絶対的な自負と主人に対する信頼があればこその態度だった。

 「口の減らねえ娘どもだ。いつまでその態度が続くかな?」
 「取り込み中すいませんが――――」

 極上の笑顔で、目だけは少しも笑わずにバルドは初めて口を開いた。

 「サバラン商会にどんな御用でしょう?」
 「俺たちはこの街をしきる組織闇の梟のメンバーさ。礼儀知らずの田舎もんがうちに挨拶もなく店を出したって聞いたもんで落とし前をつけてもらおうってわけよ」
 「聞いたことがありませんね?闇の梟とかどこの厨二病ですか。だいたいとっくに地下ギルドには話を通しているのにこんな真似して大丈夫なんですか?」

 地下ギルドに話を通しているというバルドの言葉にはっきりと男の顔色が変わった。
 決して表に出ることはないが、大なり小なり王都での非合法活動は地下ギルドの統制を受けている。
 万が一地下ギルドに逆らったなどと判断された日には自分たちの命は道端の草より簡単に刈り取られることだろう。

 「じょ、冗談言っちゃいけねえ………餓鬼が驚かせやがって………」

 王都では絶大な影響力を持つ地下ギルドだが、同時に非常に用心深い組織でその首脳部と連絡を取ることは一般人には不可能に近い。
 末端のチンピラである彼らにしても噂に聞くだけで、組織の代理人にさえ会ったことがないのが実情なのだ。
 小さな少年に間違っても連絡がとれるはずがなかった。

 「と、とにかくてめえらは怒らせちゃいけないお方を怒らせたんだよ!餓鬼もひっくるめてみんな娼館に叩き売ってやる!」
 「―――――お方、ね」

 彼らは所詮徒党を組んで使わるだけの小悪党である。
 その彼らが白昼こうして行動を起こした以上、それなりの後ろ盾がいるに違いない。
 もっともその後ろ盾は彼らの考えなしの行動に頭を痛めている可能性が高いだろうが、とバルドは内心で嗤った。

 「そのお方とやらを聞かせてもらうとしましょうか」
 「はあっ?そんなことより自分の心配をしやが………!」

 男は最後まで言葉を発することができなかった。
 一陣の風と化したバルドが瞬く暇も与えずに男たちの大半をなぎ倒していたのである。
 セイルーンにはバルドの機嫌が相当悪くなっているのがよくわかった。
 本来バルドは素人に分類される人間には力を振るわないのだが、殺されこそしないものの男たちのほとんどは骨折かそれに類する怪我を負っていたからである。

 「よく相手は選ばないと、後悔してからじゃ遅いんですよ?」
 「ひいいっ!た、助けてくれ!」

 内部での悲鳴を聞きつけた待機組が加勢に駆けつけようとするが、見えない壁に突き当たったかのように吹き飛ばされ石畳に身体を打ち付けられることになった彼らは理由もわからずに激痛に身を悶えさせた。
 魔法解除は魔法の初歩だが、チンピラに魔法が使えるはずもない。
 突風の魔法で彼らは全滅に近い損害を受けていた。

 「さて、改めて聞きましょうか。あのお方とは誰です?」
 「し、知らねえ!本当に知らねえんだ。信じてくれ!」

 つい先ほどまで弱者をいたぶる暗い悦びに浸っていた男は、実は自分こそが弱者であったという事実に泣きわめきたい思いであった。
 いったい誰が信じるというのか。
 10歳になったかならないかくらいの少年に、腕自慢の大の大人が二十人もそろって一瞬で叩きのめされてしまったのである。
 しかもさきほど表の仲間を吹き飛ばしたのはおそらく魔法だ。
 つまり、少年は相当上流の英才教育を受けている可能性が高かった。


 「――――身体強化というのはね、筋力や骨組織、神経の伝達速度に干渉して無理やり限界を超えた力を引き出す魔法です。こんな子供にあっさり骨まで折られたわけですから、どれほどのものかおわかりでしょう?」

 壊れた人形のようにこくこくと必死に男は頷く。
 もし逆らったらどんなことになるか想像しただけでも小便が漏れそうなほどに恐ろしかった。
 
 「さて、ここで問題です」

 相変わらず目だけはいっさい笑わぬままに、バルドは男が腰を抜かしそうなほど獰猛なほほえみを浮かべた。

 「僕があなたの痛覚神経を強化した場合、その痛みに人間は耐えられるでしょうか?」


 「―――――クランです!ダウディング商会のクラン部長!!」


 微塵の躊躇もなく、一刻も早くこの死神の魔の手から逃れようと男は言ってはいけないはずの名を絶叫した。


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