第二十七話

 騎士学校の休日は8日に一度である。
 一年は365日で一日は24時間なのに、週の単位が違うのだ。
 これは8という数字が大陸最大の宗教組織、エウロパ教において完全数として尊ばれているからということらしい。
 天地の創造は8万年の長きに渡り、8柱の神の努力によって完成した。
 そして出来たのがこのアウレリアス大陸と七つの島である。
 つまり8つの大地が創造されたというわけだ。
 そんなわけでようやくの休みが訪れようとしていたわけなのだが………。

 「私と買い物に付き合っていただけませんか?バルド様」

 セイルーンの何気ない一言で張りつめた緊張状態を保っていた食堂は極低温の氷の世界に包まれた。
 
 「お、おれも一緒に行っていいかな?」
 「ごめんなさい」

 ブルックス、終了。
 一部の隙もない笑顔で容赦なく切って捨てるセイルーンの鬼畜っぷりに、なぜか背筋にゾクゾクするものを感じてしまうソフトMなブルックスであった。

 「別にいいじゃないか。ブルックスが一緒でも」
 「お前は空気を読めええええ!」

 なぜかブルックスに鉄拳制裁を食らった。せっかく誘ってやったのに、謎だ。

 「こんなことが許されていいのか?」
 「いつまでこの試練は続く?」
 「諦めるな!必ず打破の道はある!」

 ひそひそと話し合っていたクラスメイトは何かを決意した男の顔で、シルクのもとへと向かった。

 「いいんですか?あいつらに好き勝手させておいて」

 …………所詮他人頼りであったという。
 これを一概に責めることはできない。現状彼らとバルドにはそれほどの武力の差があることも確かなのである。
 真っ向からバルドに対抗できるのはブルックスとシルクあるのみ。
 ブルックスが消極的ながらもセイルーンを応援する立ち位置である以上、彼らにとって頼りは消去法でシルクしか残っていないのだった。

 「うん」

 すると何かに対して頷いたシルクは、やにわに立ち上がるとバルドに向かって歩き出した。
 期待のこもった熱い視線を集めたシルクが、バルドの前に立ちふさがるようにして宣言する。

 「私もついていく。この間防具を見てあげるって言った約束を守って」
 「そっちかあああああああああああ!!!」

 セイルーンの目論見を粉砕してくれることを願った男たちは、シルク自身がいっしょに出かけたいという気持ちを軽く見すぎていた。
 人は自分の見たいものだけを見るとはこのことか。
 その後食堂では抱き合って男泣きする異様な光景が見られ、たまたま訪れた講師の目を剥かせたという。

 「まだだ!まだ俺たちの戦いは終わっちゃいない!」
 「そうだ!いつか奴の背中を追い越し、彼女を振り向かせてみせる!」
 「お前には渡さん」
 「セイルーンは俺の嫁!」

 さっそく仲間割れを開始した彼らに未来はあるのか?
 それは神のみぞ知る。





 翌日の王都は綺麗に晴れた青空だった。
 セイルーンは相変わらずメイド姿だが、シルクは薄いピンクのブラウスに白いパンツルックという出で立ちである。
 ほとんど私服を見たことがないせいか、どこか新鮮に感じてしまうのは男心の埒のないところであるかもしれない。

 「さて、どこから行く?」
 「今日は後から無理に押し掛けたんだから私は最後で構わないわ」
 「私も、バルド様とご一緒ならどこでも構いません」
 「それじゃまずうちのご用達から行ってみようか」

 王都を南に進むと比較的裕福な平民の住宅街が広がっており、その中の一角に店の外にまで行列が出来た小洒落た軽食屋が見えてきた。
 『こげ茶亭』と白い樺に彫られた看板が、花で飾られて通りに立てかけられている。
 実は今王都で話題の甘味所である。

 「当たるとは思ってたけど、まさかこれほどとはなあ………」

 レシピの使用契約と、砂糖の安価な供給契約を結び、少し高価だけれど平民がふつうに食べることのできるお菓子があれば人気が出るのではないか、というバルドの考えはまさに的中した。
 貴族は確かに上客ではあるのだが、購買が不安定で何かと交渉に気を使わねばならないのが玉に疵なのである。
 平民から広く薄く利益を得られるならば、収入の安定にはむしろ貴族よりも優良な客となる。このバルドの構想にセリーナも同意し、こげ茶亭オープンの運びとなったのである。
 これまで貴族しか食べられなかった、否、貴族ですら食べられなかった稀少なお菓子が食べられるとあって店は連日の大行列となりオープンから8日目にしてすでに2号店の開店が決定していた。
 この客すべてがバルドにとってはレシピ使用料の収入源である。
 のど元からこみあげる至福の悦びをこらえて、どうにかバルドは「ぐふふ」と低く笑いを漏らすに留めた。
 もっともセイルーンだけはバルドが何を考えているのかお見通しであったが。


 店の前で行列を整理している元気そうな茶色のカフェエプロンを付けた少女に、バルドは近づいて声をかける。

 「予約していたバルドだけど、いいかな?」
 「バルド・コルネリアス様ですね?店長から申し付かっております!」

 いったいどんな紹介のされかたをしていたのか、少女は非常に緊張した面持ちで慌ててバルドを店内の奥へと案内した。
 実質的にバルドはこげ茶亭のオーナー同然なのだから彼女の緊張はむしろ当然なのだが、バルド自身はまるで気づいていなかった。

 「この店はコルネリアス領に所縁か何かなの?」
 「いや、ちょっとした伝手があるだけのはずなんだけどね」

 レシピと必要不可欠な砂糖の購入元を抑えているのは伝手とは言わない。

 「ようこそお越しくださいました。私が当店の店長フリッガでございます。つたない腕でございますが、精一杯腕を振るわせていただきますのでご堪能いただければ幸いでございます」
 「楽しみにしてきましたが、そんな肩肘を張らずにお願いします」
 
 店長以下店員勢揃いで出迎えられ困惑するバルドである。

 「ちょっと、これで本当に関係ないの?」
 「いや、大したことはしてないはずなんだけどな………」
 「とんでもありません!」
 「キャッ!」

 突然割り込んできた破鐘のような声に驚いたシルクとセイルーンが可愛らしい悲鳴をあげた。
 背高なコック帽にエプロンとネクタイに身を包んだ30代ほどの男性が興奮に顔を紅潮させて今にも拝み倒しそうな勢いでバルドを凝視している。
 
 「当店のメインパティシエを務めますタイロンと申すもの。あなたのレシピを見たときの私の感動をほんのわずかでも味わっていただけるなら、これに勝る喜びはありません」

 ウェイトレスが焼きあがってきた菓子を乗せた陶器の皿をテーブルに置いた。
 何を隠そう先日のカステラである。
 コルネリアスで試食を済ませたカステラを売りこむべく、セリーナはすぐさま王都でのパートナーを探し始めたのだ。
 そのなかで頑固一徹なパティシエとしてちょうど前のカフェを解雇されたタイロンと、新たなコンセプトを求めて商会の間で情報収集を行っていたフリッガと知己を得ることができたのである。
 ほとんど奇跡のような僥倖であった。
 たまたまコルネリアス産の砂糖の商談中であったセリーナとフリッガが出会い、その使い道について立ち話をしているところにたまたま通りかかって熱弁を振るい始めたのがタイロンだった。
 カステラを初めて製作したタイロンは感動で滂沱と涙を流しながら、菓子の歴史が変わったと独語したという。
 セイルーンはすでにカステラを知っていたが、初めてカステラを見るシルクは控えめながら興味をひかれたように首をかしげた。

 「よくわからないけど、これもしかしてバルドが考えたの?」
 「厳密には知っていた、だけどね」
 「どうぞお召し上がりください。新たな菓子の歴史の1ページでございます」

 タイロンのすすめられるままにカステラを口に含んだシルクの表情が変わる。
 このときばかりは隣にバルドがいるのも忘れて、至福の甘味に陶然となってしまうのをシルクは自覚した。
 男性にも甘味好きはいるが、女性の甘味好きはもはや本能に近いものがあり、その幸福感は単なる味覚を超えて脳内麻薬と密接に結びついている。
 その証拠にすでに食した経験のあるセイルーンも、バルドそっちのけでカステラの口福に酔っていた。
 ふっくらとした柔らかさを残しながらしっとりとした食感も残した生地。そして上品でありながら蕩けそうな甘さ。
 子供から大人まで楽しめる極上の菓子であった。
 完食してフォークを空になった皿の上にさまよわせていたシルクは、ハッとなって現実への帰還を果たした。
 
 「いかがでしたか?」
 「すごいです!こんな素敵なお菓子食べたことないわ!」
 「貴族のお嬢様にそう言っていただけると鼻が高いですな」

 面はゆそうにタイロンは鼻をこすった。
 名乗ったわけではないが、シルクはどこから見ても貴族の御嬢さんにしか見えないからわかって当然であろう。

 「………甘さが苦手の男性客にはお茶を混ぜたほうがいいかもしれないな」
 「お茶?おおっ!なるほどお茶の香りと渋さで砂糖の甘さを中和するのですな!なんと心躍るアイデア………これはこうしておれん!」

 バルドからすれば雅春が当たり前に食べていた抹茶カステラや紅茶シフォンを思い出しただけなのだが、タイロンにとっては神の啓示に等しい重大な言葉であったらしい。

 「ま、待ってください!チーフ!お客様の注文が山のように待ってるんですよ!」
 「ぬぬっしかし俺は諦めん!注文もこなす!新しいメニューにも挑戦する!」
 「無理ですよ!何考えてんですかぁ!」
 「男には負けるとわかっていても戦わねばならない時があるのだ!」


 厨房から絶叫と悲鳴が上がっている気のせいだろうか。
 迂闊に呟いてしまったことの影響にどん引きしながらも、企画した商売の成長を確信したバルドは上機嫌でこげ茶亭を後にしたのだった。


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