第二十五話

 「痛てててててててて」

 身体中を走る鈍痛にバルドは顔をしかめた。
 あの爺さんめ。本当に遠慮なくやりやがって………。
 ロンバルド先生の後に乱入してきた校長との戦いはバルドの惨敗に終わった。
 もともと体格差があるうえ、身体強化でも一枚も二枚も上な校長を相手に、バルドの組打術はなかなか通用しなかったのである。
 現在の柔道オリンピックを見ればわかるように、柔よく剛を制するのはあくまでも理想であって、現実には圧倒的な剛の力の前に柔が屈服することのほうが多いと言える。
 小柄で非力ながら相手の力を利用する合気を駆使して百戦百勝できたのは、雅春の世界の達人、塩田剛三くらいなものであろう。
 残念ながらバルドの武はその域までは達していないということらしかった。
 それでも歴戦の猛将ラミリーズにたたらを踏ませ、幾たびも膝をつかせたという事実はバルドの評価をいささかも下げるものではなかった。

 「全く……いくらバランスを崩しても関係なく打撃が飛んでくるんじゃ意味がないよ……」
 「はっはっはっ!まだまだ決定力が足りんな。今しばらく基礎を鍛えるんじゃな!」

 もっとも、初めて戦ったときのように完全に魔法をフリーにさせたらどう転ぶかわからんが……。
 地面を砂に変えて、一瞬の隙を生み出した初めてのバルドの戦いぶりをラミリーズは今もありありと思い出す。
 バルドの恐ろしさはこれまで誰も考え付かなかった発想の飛躍にこそある、とラミリーズは確信していた。
 訓練ならばともかく、ラミリーズですら実戦でバルドと戦いとは思わない。
 どんな隠し玉があるかしれないからだ。

 「さすがは校長です!」

 やはり自分の歩んできた騎士道が否定されなかったことがうれしいのだろう。
 ロンバルドも素直に尊敬の目をラミリーズに向けていた。
 はたしていつまでこうしてバルドをあしらっていられるものか。
 新たな騎士に道を示し続けるためにも、自らもまた強くあらねばならない。
 ラミリーズはたるみ始めた己の体を鍛えなおすことを決意した。
 どこまでも元気な爺さんである。




 王立騎士学校の食堂は大きい。
 基本的に軍属である生徒たちは一般人よりもよく食べるし、軍隊にとって最大の娯楽は食事ということもあり、量においても質においても騎士学校の食堂は一流と言って差し支えなかった。

 「な?ちょっとしたもんだろ?」
 「これは期待できるかもね」

 授業が終わると同時にブルックスはバルドに食堂の案内を申し出た。
 ほかにも話しかけたがっていた人間はいたが、こういうのは早い者勝ちである。
 強さが重要な評価基準であるブルックスにとって、バルドは是非とも友誼を結びたい存在だった。
 これは編入仕立てで知り合いもいないバルドにとっても渡りに船だったといえる。
 豪放磊落で腕に自信あり、という様子が節々に垣間見えるブルックスはバルドにとっても好ましい性格のように思われた。
 同じ貴族同士で腹の探り合いをするのを楽しむ趣味はバルドにはない。

 「俺はAコースにしておくかな?バルドはどうする?」
 「お奨めはあるのかい?」 
 「量を重視ならAコース、食材が旬でお奨めなのはCコースかな」
 「それならCコースにしておくよ」

 コルネリアスの子供たちの中では健啖な方であったバルドだが、さすがにブルックスや級友たちほどの量を食べ切れる自信はなかった。
 分厚いステーキに山盛りにうずたかく積まれたマッシュポテトを見た瞬間に食べるのをあきらめたバルドであった。
 
 「あれ…………?」

 今にも肉汁たっぷりのリブステーキを口に頬張ろうとした瞬間、ブルックスは昨日までは存在しなかった可憐な姿を発見した。

 「…………メイ………ド?」
 「ん?そうみたいだね」

 呆けたように眺め続けるブルックスの視線の先には、くるくると健気に働くセイルーンの姿があった。
 メイド特有のフリルのカチューシャに黒と白のエプロンドレス。鎖骨のラインに沿うようにあしらわれたフリルはピンクに染められて可愛らしいアクセントになっていた。
 衣装の破壊力に加え、十人が十人認めるほどの美少女である。
 シルクのような女性がいないわけではないが、基本的に男臭い激務の学校でセイルーンの姿は一服の清涼剤のような役割を果たしているらしかった。
 ブルックス以外の男たちの視線を独占している様子が、何よりも雄弁にその事実を明らかにしていた。
 そうしてバルドはブルックスに気づかれないようにひそかにセイルーンに向かって手を振る。
 それに気づいたセイルーンは、はにかむようにうれしそうに微笑んだ。
 しかしその微笑みはまさに絶賛凝視中の男どものハートを破壊するには十分すぎたのである。
 
 ボタリ

 ブルックスのフォークからステーキが器に落ちて、ソースの跳ねを飛ばした。

 「大丈夫ですか?」

 何気ない風を装ってセイルーンが布巾を手にテーブルを汚したソースをふき取りにやってくる。セイルーンにとってはバルドに接近する絶好のチャンス到来である。
 内心でウキウキしながらブルックスの目の前を拭き取る姿を至近距離で見ることになったブルックスは完全に石化した。

 「うっ……あっ………」

 頭の後ろで結い上げられポニーテールになった茶金の髪が揺れるたびに、思春期の女の子特有の甘い香りがブルックスの鼻腔をくすぐった。
 免疫のない青少年にはいささか刺激の強い光景であった。

 「お水のお代わりはいかがですか?」
 「ありがとう。いただくよ」

 とはいえバルドにとってはいつもの日常と変わらぬ光景である。
 ごく当たり前のようにコップを差出し、セイルーンは幸せそうに水を注いだ。
 あまりに自然なやりとりであったために、食堂のギャラリーが無言になってしまったほどだった。

 (うまくやってそうだね)
 (坊っちゃまこそ、もうお友達を作れてよかったですわ)

 一応セイルーンがコルネリアス家の侍女であることは内緒になっている。
 これをきっかけに貴族の生徒が侍女を連れ込むようになっては困るからである。
 最悪二人の関係がばれた場合には、偶然再会した同郷の友達と言い張ることになっている。
 これでも二人はばれないように控えめにしているつもりなのだが、こっそり顔を近づけて耳打ちなどしている様子は、傍目には親しい友達か恋人同士のようにしか見えなかった。

 「お………おい、バルド………そのメイドさんと知り合いなのか?」
 「そんなはずないじゃないか。どうしてだい?」
 「いや、だってどう見ても親しすぎだろ!」

 食堂のすべての男がブルックスの言葉にうんうん、と頷いている光景は一種異様であった。
 なかには涙を流してハンカチを噛みしめている男もいるが、都合よくバルドはそれを無視することに決めた。

 「……実は私、コルネリアスの出身なので、若様を拝見したことがあるんですよ。それでもしかして覚えてくれてたりしないか、と思って聞いてみたんです」
 「俺なら絶対に忘れたりしないな!」

 再びうんうん、と頷く男たち。なかなかいいコンビネーションである。

 「それはありがとうございます。これからよろしくお願いしますね?申し遅れましたが私はセイルーンと申します」
 「俺はブルックス!ブルックス・アーバインだ!」

 鼻息も荒くアピールを続けるブルックスの気持ちに気づかぬほどバルドも木石ではない。
 というより先ほどから自分も紹介してもらおうと、ほかの男たちがタイミングをうかがっているのが丸わかりである。

 (まあ、セイ姉は可愛いからな…………)

 年齢の割に低い身長も、成長し始めた胸の丸みといい、子犬のような大きな瞳とくっきりと整った鼻立ちといい、庇護欲を激しくそそられる容姿である。
 正直幼いころから一緒にいるバルドでさえ、無防備に接近されると理性がクラリとくるほどなのだ。
 しかも最近理性を破たんさせるようなアプローチが増えている気がするから性質が悪い。

 「せせ、セイルーンさんはいくつなんだ?」
 「もうじき13歳になりますね」
 「それじゃだいたい俺と同い年だな!」

 ブルックスとセイルーンの会話に紛れて一人の人物が近づいていた。
 二人にあまり注意が集まりすぎていたために、不覚にもバルドですらその接近に全く気付かずにいた。

 「あの………私もごいっしょさせてもらってもいいかしら?」
 「えっ?確か―――――シルクさん?」
 「覚えてくれたんだ……私も……バルド君と呼ばせてもらっていいかしら?」


 「うそ………だろ?」

 セイルーンと会話していたのも忘れてブルックスは呆然とそれだけを口にする。
 いったい誰だ?こいつは。少なくとも俺の知ってるシルクはこんな殊勝な女じゃねえぞ。
 シルクといえば無口、無愛想を絵に描いたような女で、自分が強くなることにしか興味がない、間違って女に生まれてきたとしか言いようのない奴だったはずだ。
 間違っても友達の隣に座っていいか、などと頬を染めながら聞いたりする女じゃない。

 「試合見てたわ。すごい技ね」
 「母に比べれば足元にも及びませんよ」
 「お母さん………なの?ごめんなさい、私恥ずかしいことだけどこの国の事情に詳しくないのよ」

   同じマウリシア王国貴族とはいえ、彼女は今は亡きトリストヴィー王国の第一王位継承者である。
 母を亡くしてからは父である侯爵にかごの鳥同然に保護されていたらしい。
 その彼女が10年も前の戦役の英雄を知っているはずがなかった。

 「シルクさんはマウリシア王国の方ではないのですか?」
 「いいえ、生まれも育ちのこのマウリシアだけれど……母はトリストヴィーの王女で、あの反乱の日には母といっしょに里帰りしていたわ」」
 「それは――――なんと言ったらいいか……」


 トリストヴィー公国が内戦中であることはバルドも知っている。
 一度はジルコも参戦したらしく、陽気な彼女にしては珍しく歯切れ悪そうに言っていた。
 あそこは地獄だ、と。
 かつての王国を取り戻そうとする王党派に、政権を手中に収めた大公派、そして自立商人たちによる独立派が勝手に争いを拡大し、いったい誰が敵で誰が味方かも容易に判別できない有様らしい。
 そんな状況で生きていかなければならない大衆にとっては確かに地獄であろう。
 
 「別に気にしなくてもいいのよ?私はこうして無事だったし。父もよくしてくれているわ」

 そう言われて本気で気にしない人間はいないであろうが、バルドはひとまずシルクの言葉を受け入れた。

 「でもね?いつかあの母の故郷から争いをなくしたい。そのために私は強くならなきゃならないの。お願い、バルド君――――」

 身を乗り出して今にもバルドの手を握りしめようとしたシルクの声を遮るように、カタンと硬質の音が鳴り響いた。

 「お水です。ご注文をどうぞ」
 「え………それじゃフレッシュチーズサンドとサラダを」

 せっかく盛り上がったところに水を差されて、不満そうな表情を隠そうともせずシルクは答えた。
 この空気を読まない侍女は何者だろう。私は今それどころではないというのに。

 「ここは神聖な学び舎でございます。今少し慎みに思いをいたされてはいかがでしょうか?」

 そうセイルーンに言われて初めてシルクは自分が身体ごとバルドに向かって身を乗り出していることに気づいた。空中をさまよう手は、侍女の言葉がなければバルドの小さな手を握りしめていただろう。
 羞恥に顔を真っ赤に染めるとともに、シルクは侍女に対する憤りを感じずにはいられなかった。そもそも侍女に自分がそんな叱責を受ける筋合いのものとも思われなかった。

 「何をなさってるの?もう注文は言ったはずよ」
 「これは失礼をいたしました。ご学友がお困りのようでしたので」
 「ええっ?そこで僕に振るの?」

 突然始まった修羅場に困惑していたのは確かだが、何よりセイルーンの変わりようが怖すぎた、とはとても言えない。

 若干引き気味のバルドの様子に、シルクはいささか性急に事を運びすぎたことを自戒した。
 しかしそれとは別の理由で、シルクは目の前の外見だけは可愛らしい小悪魔な侍女を全霊の怨念をもって睨みつける。
 彼女がどんな理由にせよ自分とバルドの関係を快く思っていないことは明らかであったからだ。
 バルドとブルックスに冷や汗を流させるほどの絶対零度の視線がぶつかった。
 理性でなく本能によってシルクもセイルーンも自覚していた。


 ――――――この女は不倶戴天の敵である、と。

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