間話その4

 レパルスは王都キャメロンで傭兵ギルドを取り仕切るギルドマスターである。
 すでに初老の域に達しつつも、髪は黒々として若々しく、鍛え抜いた鋼の身体は全盛期ほどではないにしろ、まだまだ彼が現役であることを教えていた。
 今でこそギルドマスターなどという地位に納まっているが、双剣のレパルスと言えば同じ傭兵たちが争うように頭を下げた時期もあった。
 かつての栄光の日々を懐かしむようにレパルスは目を細める。
 一線を退いて10年、知名度の高さもあってか、いつの間にかレパルスは本人も意図せぬうちに責任ある地位に登りつめていた。
 しかし自分が一線を退くきっかけとなった出来事をレパルスは一度たりともも忘れたことはない。
 窓辺から見上げる視線の先で、閃光とともに遠雷が低い轟音を轟かせていた。
 その眩い煌めきのなかに、ゾッとする記憶を呼び起されてレパルスは人知れず背筋を震わせる。

 「あの夜も――――こんな晩だった」

 雷鳴と豪雨の吹きすさぶ中、レパルスは今でも夢に見る。
 銀髪を翻す人の形をした悪魔の姿を。




 本当にひどい有様だ――――。
 レパルスは負傷者でごった返した回廊を横目で見つつ、城壁の向こうに群がるハウレリア王国軍にうんざりした視線を向けた。
 過日の会戦でマウリシア王国軍はハウレリアの名将ソユーズに完膚なきまでの敗北を喫しており、その損害を回復するためにしばしの時間を必要としていた。
 逆にハウレリア王国軍としては、マウリシア王国軍が損害を回復する前に、なんとしてもコルネリアス領を落とし、穀倉マールバラ大平原を手中に治めなくてはならなかった。
 味方の援軍まで持久することを強いられたイグニス伯爵は、堅固で知られるコルネリアス城塞に拠ってこれを迎撃し、獅子奮迅の働きによって大軍を拘束することに成功していたのである。
 しかし圧倒的少数での戦いは確実にマウリシア軍に消耗を強いており、このままのペースで消耗が続いた場合、マウリシア軍が溶けて跡かたもなくなるまでおそらく半月はかからないだろうというのがレパルスの見解だった。

 (―――――潮時かな)

 防衛戦ということもあり、マウリシア王国軍の戦意は高く、またイグニス伯爵は有能で頼れる野戦指揮官である。
 だからといって傭兵の損耗率が正規軍を下回るということはありえない。
 騎士のように全身鎧をまとうでもなく、金のためにほとんど身体強化も使えない傭兵もいる。そして当然のように危険な持ち場を任される傭兵は、いつの時代ももっとも損耗率の高い兵科なのだ。
 ゆえにこそ、負け戦で真っ先に逃げ出すのも傭兵ということになる。
 イグニスは食糧と医療を手厚く支援することで、なんとか傭兵の戦意を繋ぎとめていたが、この劣勢が続く以上、遠からず傭兵は逃亡を始めることになるだろう。

 「双剣のレパルス殿とお見受けしますが………」
 「………見かけん顔だと思っていたが……何用だ?」

 さきほどから気配を殺して自分に付きまとう存在にレパルスは気づいていた。
 残念ながら傭兵同士にそれほどの信頼関係はない。
 いつ同じ仲間に根首をかかれ、あるいは全財産を奪われるかしれないのが傭兵というものなのだ。

 「すでにわかっておいでと思いますが……」
 「傭兵にも仁義ってもんがある。裏切れってんならお断りだ」

 最近は仁義を通す人間も少なくなってきたが、一度裏切った傭兵がその後の信用を失うことに変わりはない。
 今後も傭兵で生計を立てていくにあたってそうしたリスクを犯す必要をレパルスは認めなかった。

 「ごもっともです………しかし傭兵同士ならばいかがでしょう?仲間割れの刃傷沙汰など日常茶飯事かと思いますが………」
 「何が言いたい?」

 くつくつと可笑しそうに黒服で全身を闇と同化させた男は嗤う。
 こちらの心の底を見透かしたような、嘲笑うような厭な嗤い声だった。

 「銀光マゴット、あの女狐の首に我が主は金貨100枚を支払うと仰せです。頷いていただければ前金として金貨20枚をお渡しいたしましょう」
 「金貨100枚っ!」

 法外な報酬と言うべきであった。
 イグニス伯爵ならばともかく一介の傭兵にこれほどの大金を投じるなど聞いたことがない。
 だが、同じ傭兵としてレパルスは銀光マゴットの実力を高く評価してもいた。
 少なくとも自分一人では勝利はおぼつかないだろう。

 「興味深い話だが不可能だな。大金ではあるが命の代価としては安い額だ」

 傭兵にとってもっとも重要なことは生き残ること。
 ある程度のリスクは許容できても一か八かの賭けに命を投じることはできない。
 レパルスの言葉を聞いた男は驚きとともにレパルスを見なおしたように相好を崩した。

 「レパルス殿は賢明な判断力をお持ちの様子。感服いたしました。何せこの話をした傭兵たちは一も二もなく承知していただけましたので」

 聞き捨てならないことを男は言った。
 いったいどれだけの傭兵がこの男の口車に乗ったというのだ?

 「―――――誰だ?いったい何人が手を貸した?」
 「それはレパルス殿が協力をお約束されてからのことに。なかなかに立派な戦力だとは言っておきましょう」

 レパルスは思わず逡巡した。
 なんだかんだと言っても金貨100枚は見過ごすには大きな金額である。
 一流どころが5人もいればいかに銀光マゴットといえども後れをとるとも思われない。
 その中に自分がいるとなればなおのことだ。

 「いかがでしょう?もちろん報酬を分配せよ、などとは言いません。一人一人に金貨100枚お支払いいたしましょうとも」

 男の口車に乗るようで口惜しくはあったが、レパルスの心はすでに承諾の方向に傾いていた。
 銀光は男嫌いでそっけない態度をとることで知られている。
 それを口実に銀光の首をあげて逃亡する。
 敵前逃亡するわけだから、いささか評判は落ちるかもしれないが、許容範囲にとどまる可能性は高い。
 むしろ銀光を倒したことで評価は上がる可能性すらあった。
 そう考えると金貨100枚の報酬はかなり美味しいものなのだ。

 「詳細を聞こう…………」

 レパルスはこの悪魔を取引をすることを選択した。
 少なくともこのとき、レパルスは自分の判断の正しさを疑ってはいなかった。





 
 「鉄腕、お前もか………」 
 「へへ…双剣がいるなら心強えや」

 襲撃に参加する顔ぶれはレパルスの目から見ても立派な戦力だった。
 そのほとんどが二つ名持ちで、幾多の戦場をくぐりぬけてきた猛者ばかりである。
 これで討ち漏らす可能性は皆無になったとレパルスは思った。

 「俺たちだけじゃないぜ。連中地下ギルドから暗殺者まで動員したらしい」
 「傭兵一人に大した念の入れようだぜ」

 ここまで来るとこうも念入りに狙われる銀光に同じ傭兵として嫉妬してしまいそうである。
 間違っても自分を狙うためにこの戦力が用意されるわけがないからだ。

 「ま、これなら銀光も死んで本望なんじゃないの?」


 銀光をおびき出す役割は傭兵仲間でも色男で知られた鷹目のワイズが請け負うことになった。
 もともと一人でいることを好む銀光である。
 しかも彼女が夜になると城内を散策して歩くことは傭兵仲間ではよく知られた話だった。

 「よう、銀光。たまには傭兵同士身体のお付き合いってのを楽しもうや」

 殺すにはもったいない別嬪だが、運が悪かったと思って諦めてもらおう。
 最初から喧嘩を売るつもりでワイズはぶっきらぼうに吐き捨てると、銀光の肩に手を伸ばした。

 「――――死ぬ前に聞いておこうか。誰の差し金だい?」
 
 すでに臨戦態勢に入っている銀光の権幕にワイズはこのまま誤魔化そうかと逡巡したが、警戒されてしまっては結局同じことだ、と芝居を続けるのを止めた。

 「死ぬのはお前さ!ソユーズ将軍が是非ともお前の首が所望だとよ!」

 その言葉を合図に四方八方から刺客が銀光に襲いかかる。
 レパルスをはじめとして一流の傭兵が5人、さらにいつの間に近づいていたのか黒装束の暗殺者が数人城壁から飛び降りるようにして剣を閃かせた。
 前後左右どころか唯一の逃げ場である空中まで包囲されて、誰の目にも銀光の命運は尽きたかに思われたが、銀光は見事な銀髪をたなびかせ、妖艶な美貌を楽しそうに微笑ませただけだった。

 「やれやれ、女の誘い方がなっちゃいないね。せめて踊りだけはいい男だと証明しな!」

 その光景をレパルスは一生忘れない。忘れられるはずがない。
 まさに銀光―――――神速の一閃だった。
 喉から脊髄まで貫かれた鉄腕が、壊れた人形のように誰もいない空間に向かって突進して壁にぶつかったままジタバタと手足を痙攣させていた。
 ドサリ、と黒装束も物言わぬ躯となって大地に落下したままピクリとも動かない。
 いったい何時、どうやって攻撃したのかもまるでわからなかった。

 「女一人に躍らせておく気かい?輪舞曲は一人じゃ踊れないよ?」

 背後から聞こえるからかうような死神の声に、恐慌がレパルスを襲った。
 明らかにレパルスが戦場で見たものとはレベルの違う速度だった。
 相手の戦力を見誤るのは、傭兵が決して犯してはならない過ちだった。

 「手加減―――――していたのか」
 「ん?本気を出す必要がなかっただけさ。あんたは楽しませておくれよ?」

 次の瞬間、反射的に首をのけぞらせたのは完全に勘だった。
 長い戦場経験で培われた勘は、確かに主人の命を救った。
 死の閃光がまさに目の前を通過するのをレパルスははっきりと見たのである。
 
 「諸共に死ね」

 もう一人の傭兵、兎足のエクゼダーを屠った銀光に湧いて出たような十数人の黒装束が飛びかかる。
 味方同士傷つけあうことも厭わぬ決死の突撃、相討ち覚悟の飽和攻撃に今度こそ銀光が死んだのでは、というレパルスの希望は空しく裏切られた。

 「無粋な仮面舞踏会(マスカレード)は嫌いさ」

 何故だ?どうして傷ひとつつかずに生きている?
 人が理解できぬ事態に遭遇した時に抱く畏れと恐怖がレパルスを支配した。
 もはや抵抗する気力も恥も外聞もなかった。
 哀れな窮鳥よろしく、レパルスは土下座して命乞いを始めた。
 レパルスほど虚心になれなかった鷹目と白狼は逃げ出すことを選択したが、それを逃すほど銀光は慈悲深くもなかった。
 不用意に背中をさらした二人は本人達も気づかぬうちに心臓を貫かれて声もなく絶命した。

 「命だけは助けてくれ!金は払う!なんでも言うことも聞く!だから命だけは!」
 「双剣………あんたはもう少し骨のある男だと思ってたんだけどねえ……」

 興が削がれたように銀光は槍を引いた。
 軽蔑されようが全財産奪われようが命に比べればなにほどのこともない。
 どんな暴言を吐かれようとレパルスは銀光に逆らうつもりは微塵もなかった。

 「そう言えばあんたソユーズ将軍に依頼されたと言ったね。私の首をとったらどうするつもりだったんだい?」
 「首をもって本陣のロゴスを訪ねるように言われたな。哨兵には話を通してあるそうだ」
 「へえ………本陣にね」

 面白いことを見つけた子供のように、銀光はニタリと幼い笑みを浮かべた。
 
 「それじゃあ持っていってやろうじゃないか」

 そう言ったかと思うと、銀光は腰まで伸びた銀髪を惜しげもなく肩口からバッサリと斬り落とした。
 金玉が縮みあがるほど恐ろしかったはずなのに、その光景を見たレパルスは美しいと感じずにはいられなかった。

 「銀髪をかぶせておけば、そうばれることもないだろう?」




 二人がコルネリアス城から抜け出すころには西方から遠雷が轟き始めていた。
 まもなく嵐が来ることを予感させずにはおかない湿った空気が、レパルスにはまるでハウレリア軍か、あるいは自分の未来を暗示しているものに思われてならなかった。

 「………銀光の首をお持ちしました」
 「ほう……話は聞いている。通れ」

 もしかしたら手柄を奪われるのではないか、というレパルスの不安は杞憂であったらしい。
 ほとんど大した警戒もなく、レパルスともう一人は本陣のなかへと通された。
 国家間の紛争において、暗殺という手段は恥であるという認識が各国にはある。
 あくまでも殺害の犯人は傭兵であり、偶発的なものであるというポーズがハウレリア王国軍にもあるからなのだが、この時点でレパルスにはそうした事情など想像することも出来なかった。

 「おや、ほかの方々はどうしたのですか?」

 本陣の入り口に立ったレパルスに声をかけたのは昨日銀光の暗殺を持ちかけてきた黒服の男であった。
 過剰ともいえる戦力を手配したにもかかわらずこうして本陣にやってきたのがたった二人しかいないということに、彼自身慄然としたものを感じずにはいられなかったのである。
 しかし本当の恐怖はすぐにやってきた。

 「ところで隣にいる方は誰です?私が依頼した人ではないようですが………」
 「つれないねえ……あんたが呼ぶからわざわざ足を運んでやったってのにさ」
 「まさか――――!?」

 男は絶句した。
 ありえないありえないありえないありえない。
 地下ギルドの総力をあげて手練の暗殺者を選抜したうえ、自分が品定めをしてまで腕の確かな傭兵を選んだのだ。
 その罠を噛み破るとすればそれはもはや人間ではない。化け物の所業だ。
 腰も抜かさんばかりの男の様子から事態を察した衛士が慌てて声を張り上げた。

 「将軍をお下げしろ!」
 「もう遅いね」

 本陣に入った瞬間からソユーズ将軍の姿を探していた銀光は、すでに大勢の衛兵に守られて天幕の後ろに下がろうとする老将軍に向かう一筋の光となっていた。
 将軍に覆いかぶさるようにして一人の衛兵が彼女の槍を受け止めたのははたして天運であったのか、兵士の献身のなせるわざであったろうか。
 いずれにしろ彼女の必殺の一撃は一人の兵士の命と、老将軍の腹に軽傷を与えるにとどまった。

 「ちぃっ!」

 予想以上に深く突き刺さってしまった槍を抜くために必要としたわずかな隙に、老将軍の姿は人ごみの中へと溶けるように消えていた。
 千載一遇の機会を逃したことに舌打ちをした銀光を倒さんと、数百という兵士が雲霞の如く群がった。
 だがそこに広がるのは蹂躙という名の虐殺。
 不可視の速度で動きまわる銀光を誰も捕捉できない。
 一方的に銀光の槍で貫かれた死体の山が本陣に積み上がっていく。
 今こそレパルスは理解した。
 ―――――銀光の力は一個大隊に匹敵するという。
 戦場にありがちな誇大表現であると思っていた。
 だが事実は違う。
 おそらくは銀光が力を発揮できるのがおよそ一個大隊を相手にする程度の時間ということなのだ。
 逆にいうならば、銀光が銀光としての力を発揮している間、あの化け物は無敵だ!

 そのまま全軍が総力をあげて銀光を拘束したならば、遂にこの化け物も力尽きるときが来ただろう。
 しかしにわかに発生したハウレリア軍本陣の混乱を見逃すほどイグニスは愚かではなかった。
 動物的な本能によって乾坤一擲の機会を確信したイグニスは全軍をあげて逆襲に転じたのである。
 ソユーズ将軍が健在であればむしろこれを奇貨としてイグニスに逆撃することも可能であったかもしれないが、肝心のソユーズは治療中であり、指揮すべきハウレリア軍の本陣は混乱の巷にあった。
 混乱を収拾する機会を与えられることなく、ソユーズ将軍の首は撤退のどさくさにまぎれてイグニスによって落とされるはめとなった。
 五倍以上の圧倒的戦力を誇ったハウレリア遠征軍は兵力の三分の一以上を失うという大損害を出して敗退した。
 運と決断と実力を兼ね備えたイグニスの勝利は若き英雄譚として、瞬く間にマウリシア王国全土に広まっていった。
 だがレパルスは知っている。
 あの晩の奇跡の勝利は実はたった一人の化け物によって成し遂げられたということを。





 「ギルドマスター、ダウディング商会のクラン部長からサバラン商会への工作依頼が届いておりますが………」
 「サバラン商会?聞きおぼえがあるな」
 「コルネリアス領から出店した中堅商会ですが、確か地下ギルドから回状が回っていたかと」

 レパルスの脳裏にあの晩の恐怖がまざまざと蘇った。
 地下ギルドからの回状にはこうあったのだ。

 『銀光の駒が警護する商会あり。注意されたし』

 冗談ではなかった。
 事態を甘く見れば傭兵ギルドは明日にも傭兵ギルド跡地と名称を変える必要に迫られるだろう。
 世の中には決して手を出してはいけない不可触の存在がある。
 往々にして若い野心は、向う見ずにもそれが死神であるということに気づかずに危険な火遊びをしてしまうものだ。


 「―――――クランの若造に言っておけ。今後傭兵ギルドは一切関わりを断る、と」


 おそらくあの野心家が自制することはあるまい。
 それと知らずに逆鱗に触れたときがあの男の最後だ。
 破滅する男に便宜を図るほどレパルスはおひとよしではない。
 いつの世も疫病神と知って近寄ろうとするのは愚か者と自殺志願者だけなのだから。





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