ロンバルドの身長はおよそ185cm、体重は90kgに余るであろう。
身体能力を見定めるという理由で互いに武装はしていない。
せめてバルドだけでも武装させてやれよ、というギャラリーの声は表に出ることなく無視されていた。
「行きます」
バルドは恐れることなく踏み込んだ。
遠慮無用という言葉に、身体強化も出し惜しみなく使用している。
そのあまりの速さに、普段から鉄面皮として知られるシルクですら顔色を変えたほどだった。
(予想以上に鋭い………!)
さすがにロンバルドはバルドが単純に速いというだけではないことに気づいている。
身体強化の力に振りまわされている者は、その圧倒的な速度に追随出来ず次の動作が遅れる。中にはそのまま直接相手に体当たりしてしまう者もいるほどである。
しかしロンバルドも驚く速度で突進しつつも、バルドはいつでも左右に方向転換するだけの余裕を残している。
その柔軟さこそがロンバルドには何より驚きだった。
それはバルドが高いレベルで身体強化を使いこなしていることの証左でもあったからである。
見守る生徒たちの中ではシルクとブルックスだけがロンバルドと同じ結論に達していた。
切れ長の端整なシルクの金の瞳が、大きく見開かれてバルドを凝視している。
1回生のなかで最も身体強化に優れた彼女であるが、今のバルドの真似をすることは不可能であると思われたのだった。
(―――――何者なの、あの子)
他人に関わる余裕などない。何よりもまず自分が強い力を手にすること。
そう思いこんでいたシルクだが、なぜかバルドに興味を惹かれずにはいられなかった。
フェイントを使わずに、まずは正面からバルドは掌打を繰り出した。
だがそこにこめられた膂力と速度は尋常なものではない。
軽くあしらうつもりであったロンバルドも本気でガードを固めこれを防ぐしかない。
(体重も軽いくせになんという重さだ!)
ガードした左腕がしびれる感覚に、ロンバルドはまるで鈍器で殴られたのではないかと錯覚しそうになったほどだ。
ところがバルドはロンバルドの予想のさらに上を行った。
「何っ?」
気がついたときにはすでにロンバルドの身体が宙に浮いている。
ガードのため左腕を下げたところまでは記憶にあった。
しかしその後、なぜ自分が宙に浮いているのかがわからない。
少なくともロンバルドの記憶に、バルドに投げられたという感覚はない。
(この国では組打術はあまり普及していないのかな)
なんの抵抗なく投げられたロンバルドの様子にバルドはそう思った。
そう言えば近代に柔道が普及するまで西洋では柔術に類する武術が皆無に等しかったということを雅晴が記憶していた。
おそらくは戦闘スタイルと身体能力の差によるものであろう。
組打術――――古流柔術にも分類されるそれは、戦国期、相手の首を落とすため組み伏せることを目的として発達した技術である。
白兵戦闘において相手に優位に立ち、首を落とすには単純な話、相手を転がしてしまえばよい。
まだ銃もなく、敵も味方も鎧兜に身を包んでいた時代である。
空手のような打撃系ではない武術、柔術の歴史が戦国期に遡るのはそのためだ。
総合格闘技において柔道家は否応なく打撃対策を強いられ、自らも打撃技を身につける必要に迫られるが、本来柔術の技とは相手の首を落とすために敵を地面に転がすことを本義としているのである。
本来の戦い方をしていない以上柔道が総合格闘技で後れを取るのはやむをえまい。
ズシン、と大きな音がして、ロンバルドの巨体が背中から地面に叩きつけられた。
身体強化した肉体にそれほどのダメージはないが、落下の衝撃で息がつまり、体が硬直するのは避けられない。
いったい何が起こったのか、起きあがろうとしたときにはバルドの右手が首筋に添えられていた。
「―――――そこまで!」
耳をふさぎたくなるようなひび割れた大音声。
校長ラミリーズがいつの間にか闘技場に下りてきて、試合の終了を言い渡した。
「してやられたな。あれはいったいどんな技なのだ?」
ロンバルドは恥ずかしそうに頭を掻いたが、そこに敵意の色はない。
純粋にバルドの技術に感嘆しているらしかった。
実はバルドが仕掛けた掌打は誘いである。
インパクトの瞬間、ロンバルドの体重が左に傾くのを見逃さず掌打を打った右手でロンバルドの左手の袖口を下げ、同時に左手でロンバルドの右わきを掬った。
要するに体崩しと掬い投げなのだが、ここまで見事に決まったのは相手の力を利用する柔術と身体強化の相性が悪かったからだ。
ロンバルドは自分の身体強化の力で墓穴を掘ったとも言えるのである。
「相手の力を逆に利用する………か」
身体強化の力が圧倒的すぎて、これまで省みられなかった発想である。
アウレリア大陸に柔よく剛を制すという言葉はない。
しかしそれが自分を軽々と打ちのめしたという事実を、ロンバルドは素直に認めた。
「身体能力で相手より劣っている場合には非常に有用な技だな。バルド候補生、時間が空いたら教えてくれ」
「私のような者でよろしければ」
互いに礼を交わし合うと、これまで時が止まっていたかのように静まり返っていた生徒たちから、呪縛を解き放たれたかのような歓声があがった。
「すげえ!どうやったんだ今の?」
「魔法じゃねえの?」
「信じられない!まるで先生が自分から飛んだふうに見えたぜ………」
なかでもブルックスはバルドの見せた新たな武の可能性に今すぐにも戦いたい欲求を必死に抑えていた。
(すげえ!すげえなんてもんじゃねえよ!)
実のところ最近ブルックスは身体強化などの魔法技術で伸び悩みを感じている。
今のところは武術のセンスと経験で補っているが、いつか自分が弱者に転落するのではないかという恐怖をブルックスはいつも覚えていた。
バルドのそれは魔法で劣勢に陥っても、武術はそれを凌駕することができるという希望をブルックスに与えた。
(俺だってやってやる!これで燃えなきゃ男じゃないぜ!)
「さて、バルド候補生」
「なんでしょう?校長………」
うれしそうでたまらないという笑顔を浮かべたラミリーズを見たバルドは厭な予感しか感じなかった。
実家のとある戦闘狂もよくこうした笑顔を浮かべていたからである。
「今度はわしと一勝負じゃ」
「そんなこったろうと思ったよ!」
王都の中心部に通じる目抜き通りに、ひと際大きな店構えの商会がある。
その名をダウディング商会。
総合商社と言っていいほどマウリシア国内であらゆる物品を取り扱い、国外との流通にも一定の影響力を与えるほどの大店である。
「それではどうしても店を売る気はない、と」
「これでも父から受け継いだ大切な店ですので」
「暖簾というものは商品に対する信用の担保でしかないのだがな。商人の本懐はより多くの商品をより安全により多くの大衆に届けることにある。その手段として我が傘下に下ると言うのは賢明な選択だと思うのだが」
「誰が、いつまで、いくらで、という点が抜けておりますわ。残念ながらその点を考えると私の商会をお譲りすることはできませんの」
口惜しそうに男は唇を噛む。
わずか18歳の女が経営する田舎商会と侮っていたようだ。
サバラン商会が王都に支店を出すという話を聞きつけ、どうせならダウディング商会のもとで販売したらどうだと持ちかけたまでは良かったが、目の前の少女は目のくらむような大金にも目もくれず、甘い罠にも決して乗ろうとはしなかった。
一度ダウディング商会の組織に組み入れてしまえばあとはなんとでもやりようはある。
そう思った男の目論見はもろくも崩れ去った。
「王都は貴女が思うほど甘い場所ではありませんよ?」
「お気遣いありがとうございます、クラン様。これでも分はわきまえてるつもりですわ」
クランと呼ばれた男は忌々しそうにセリーナを見た。
「本当にそうならよろしいのですがね」
「ご用命があればサバラン商会はいつでも歓迎いたしますわ。それではごきげんよう」
クランの捨て台詞も意に介さずセリーナは綺麗にお辞儀をしてみせるとダウディング商会を辞去したのだった。
「どうでしたい?会頭」
店の前で待っていた巨人――――コルネリアスで雇いなおした傭兵のグリムルは値踏みするような目をセリーナに向けた。
「案の定乗っ取りの話や。うちも甘く見られたもんやな」
緊張が解けたのか、セリーナは途端にいつものくだけた口調に戻って言った。
ダウディング商会の目論見はわかっている。
砂糖や金メッキという、現在サバラン商会が独占している技術を吸いあげて、絞れるだけ絞ったら切り捨てる腹だ。もちろんダウディング商会の内部でのしあがるという選択肢もないではないが、父の残した商会を食い物にされて黙っているつもりはセリーナにはない。
そんなことよりも―――――!
「ふふふ………セイルーン!自分にだけ美味しい思いはさせへんで!バルドの傍にいるのはこのうちや!」
まさにそのためにこそ王都に本店並みの支店を構えることにしたのだから。
騎士学校にいようとバルドがセリーナのビジネスパートナーであることには何ら変わらはないのである。
「どうしたの?会頭」
「ほっとけ、いつもの発作だ」
屋台で串焼きをつまんでいたらしいミランダがグリムルの言葉に苦笑する。
なかなかどうしてセリーナはやり手の商人なのだが、バルドのことになると理性の箍がはずれるらしい。
薄情にもジルコをコルネリアスに残してミランダとグリムルとセルはセリーナに雇われて王都へとやってきていたのだった。
ジャムカは新たな戦場に旅立ち、ミストルは可哀そうなジルコに付き合うためコリネリアスに残った。
今頃はとっとと見捨てて逃げ出した自分たちをさぞ恨んでいることだろう。
まあ、ご愁傷様というほかないが。
あのままマゴットに怯えて暮らすなど想像したくもない。
「待っててや!バルド―――――――!」
一方クランとしてはこのままサバラン商会に王都内でフリーハンドを与えることは、商会内での自分の地位の低下を意味するだけに、何らかの手を打つ必要を迫られていた。
「ふん、金や地位には転ばなかったようだが、脅しにはどうかな?」
国内きっての大店だけに、傭兵や裏社会にはそれなりの伝手がある。
美しい商家の娘が誘拐されたり、暴行されてしまうのは王都でも決して少ない話ではない。
殺してしまっては秘密が探れないから、商売をする気力がなくなる程度に痛めつけてやればよいだろう。
そう考えたクランだが、のっけからその目論見も躓くことになる。
「馬鹿を言うな!サバラン商会っていやあ、銀光のお手つきだろう?俺達を殺す気か!」
「あまり俺達を捨て駒扱いするなら、こっちも考えってもんがあるんですぜ?」
まったく想定外なことにクランを待っていたのは罵詈雑言と拒絶の嵐であった。
わずかでも戦役に従軍した経験があるものなら銀光マゴットを敵に回すということは死を意味するということを知っていた。
戦争経験のないクランはそのことがわからなかったために、なぜ彼らがこれほど強行に拒否するのかが理解出来ずにいたのである。
「悪いことは言わん。手を出すな。あれを敵に回すということは王国騎士団一個大隊を敵に回すより遥かに性質が悪いことなんだ」
結局これまで大枚をはたいて協力関係を築いてきた組織は全てクランの要請を拒絶した。
なかには協力関係を解消するとまで言ってきたものもいたために、逆にクランが頭を下げるはめとなったほどである。
どうしてあんな田舎商会のために、ダウディング商会の幹部である自分がこんな目に会うのか。
理不尽な怒りをもてあましたクランは、それが自分の破滅への一本道であるということに気づかずにいた。
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