第二十三話

  翌朝、バルドは紺を基調とした騎士学校の制服に袖を通した。
 厳密にはセイルーンに寝起きから世話をされて髪を撫でつけ、制服を着せてもらっていた。
 今日からは部屋が別れるのに大丈夫かと思わなくもないが、セイルーンは一緒にいるときはこの役目を決して譲るつもりはないらしかった。
 騎士と言えば下級とはいえ貴族の仲間であり、制服もまた簡素ではあるが貴族の礼服に似せられている。
 そういうセイルーンも屋敷にいたときとはデザインの違うエプロンドレスを着ており、フリルが多めのその姿はバルドにとっても新鮮なものだった。
 襟元を直してバルドを見上げたセイルーンは、主人の艶姿に納得したように明るい笑顔を見せた。

 「お似合いですよ、バルド坊っちゃま」
 「ありがとうセイ姉」

 こうして長く実家を離れるのはバルドにとっても初めての経験である。
 あまりに母が強すぎて比較対象が少なすぎたが、自分の力がどの程度のものであるのかこの学校で試してみたいという欲求もあって、バルドは常になく心を浮き立たせていた。

 「それじゃ行ってくるよ、セイ姉」
 「私も職場のご挨拶に行ってきます」

 二人は新しい生活の現場へ、それぞれの希望を胸に歩き出した。




 騎士学校の教室はある噂にさざめいていた。
 今日から一人の編入生が入るらしい。
 しかもその編入生はまだ10歳と6ケ月しか経っていないという。
 誰もが知るように、学校の入学年齢は12歳であり、4月時点で12歳に達していない少年は翌年の4月に入学するのが普通なのである。
 もちろん例外というものはあり、学校には十数人の12歳未満での入学者が存在したが、そのほとんどは11歳以上のあと数カ月で12歳という者であり、多少の先行入学という類のものであった。
 10歳6ケ月という年齢は、学校の最年少入学記録を大きく更新するものであったのである。

 「どう思う?シルク」

 隣の席で沈黙する友人に声をかけたのはブルックス・アーバインである。
 校内でも一・二を争う武術の使い手であるが、いささか、というかかなり座学を苦手としており、騎士として数多くの従騎士や雑兵を指揮しなければならない騎士としての総合評価は芳しくない。さらに上級者の命令を逸脱することも多く学校では有名な問題児である。
 
 「―――――興味ない」
 
 そう答えたのはシルク・ランドルフ……非常に珍しい王位継承権のある大貴族でしかも女性である。彼女が現在こうして女性でありながらマウリシア王国騎士学校に在籍している理由は単純ではない。
 彼女の母方の故国はマウリシア王国から南東に位置するトリストヴィー公国である。
 そして公国は長きに渡って内乱が続いており、一大商業国家として名をはせた栄光も今や昔となって久しかった。
 もともと国王に反旗を翻して大公が国を簒奪した経緯のある国家だけに、周辺諸国も援助の手を出し渋っている。シルクはその簒奪された王家の血を引いており、要するにマウリシア王国にとっての政治カードとして重要視されているのだった。
 それでも母の故国の平和と統一を願うシルクは、自らの力を磨くため、そして娘の政治活動に反対する父の苦肉の交換条件として騎士学校への入学を認められたのである。
 彼女にとって重要なのはいかにして故国のための力を得るか、ということであり、転入生の編入に興味がないのはむしろ当然のことなのかもしれなかった。
 非常に整った美しい顔立ちをしているので、いつ政略結婚の生贄にされるかもわからないため、一刻も早く強くなることを己に科したシルクは自然級友との交流を拒む傾向が強い。
 この鉄面皮がはがれるようなとんでもない編入生がこないものか、とブルックスは期待せずにはいられなかった。
 これでもブルックスは彼以上の身体強化技術を持つシルクが、年齢に相応しい少女でいられることを願っているのである。
 
 「ま、間違いなくただもんじゃないと思うんだがね……」

 ガラリと教室の扉が開かれて、いつもの講師が大股で入ってきた。
 つられるように教室中の視線が、講師の後ろをついてくる一人の少年に注がれる。
 その少年は想像していた以上に華奢で、可愛らしい少年だった。
 女装させればおそらく誰も男だとは思わないだろう。
 マウリシア王国でも珍しい銀髪と知性的なマリンブルーの瞳がひどく印象的だった。

 「どうやらどこからか嗅ぎつけていたらしいが……今日からこの学校に編入となるバルド・コルネリアスだ」
 「バルド・コルネリアスです。どうぞよろしく」

 ペコリとおじぎをするバルドに、誰ともなく落胆のため息が漏れた。
 身長も低く10歳どころか9歳と言われても信じそうなほどである。
 とてもではないが、騎士学校最年少入学記録を塗り替えた猛者には見えなかった。

 「おいおい、そんな細っせえ身体で大丈夫かあ?」

 ブルックスは本心からバルドのためにそう言った。
 たまに実家の箔付けのために入学して、3日も耐えられずに学校を去る者もいるのである。
 いつの時代も軍隊というところは泥臭く、多大な基礎体力を必要とするものなのだ。

 「ご心配には及びません」

 そう言ってバルドはブルックスに軽く頭を下げた。
 悪意を感じられないところを見ると本心から言っているに違いない。それに何ともいえず憎めない男だとバルドは思った。

 「バルド候補生、途中編入だろうと学校は一切特別扱いはしないからそう思え。戦場で敵は相手を選んではくれんからな」
 「承知しました」
 「しかし貴様らにとってはこいつは戦友だ。きちんと面倒を見ろ!この先背中を預ける仲間になるんだからな」

 もともと一線の騎士であった講師、ロンバルドは大きな目を見開いて一喝するのを忘れなかった。
 
 「はい!」

 生徒たちが唱和する。
 騎士たるもの、仲間の危機を見捨てることなかれ。
 任務以外の理由で仲間を見捨てることは、王国騎士団では最大の恥として認知されていた。いささかなりともその薫陶は生徒たちに息づいていたのである。

 「………とはいえ実力がわからなければ安心して背中を預けることもできまい。そこで今回の授業は実習とする!」

 ロンバルドはニヤリと笑った。
 彼自身、銀光マゴットの息子であるバルドがどこまで出来るものか、確認したいという思いがあったのである。

 


 教室から東側の階段を降りると、そこには各種の武装や訓練設備の整った闘技場が整備されている。
 王立なだけあって潤沢な装備が置いてあり、コルネリアスではなかなか手に入らない鍛えの美しい騎士槍が並べられていて、バルドは面白そうに視線を彷徨わせていた。

 「バルド候補生、身体強化は使えるのか?」
 「問題ありません」
 「そうか」

 通常いかに騎士学校といえど入学前に身体強化を修めているのは稀である。
 子供が身体強化に失敗して暴走すると、取り返しのつかない惨事を招くことが多く、優秀な監督者が必要であるためだ。
 バルドはコルネリアス伯爵家で、しかも両親が戦役の英雄だから、そんな心配などなかっただろうが。
 もしロンバルドがそんなことを考えていると知ったら、バルドは涙ながらに反論しただろう。
 見守るなんてとんでもない。制御しなければ生き延びられない環境だったんです、と。
 実際マゴットは一番最初に強化を成功させると、その後は完全に実戦形式でバルドを鍛え上げた。
 口でものを教えるより身体に覚えさせるのがマゴット流であった。


 「なら話が早い。俺が相手をしてやろう」
 「………光栄です」

 
 この人も母と同じスパルタ方式なのだろうか。
 まさか編入初日から講師相手に戦わなければならなくなったバルドは、かろうじてため息を呑みこんだ。
 ここで醜態をさらせば、学校生活が息苦しくなるのは明白である。
 しかもなぜか生徒たちにも注目されているし、中には同情の視線を向けてくる者までいる。
 するとこの講師かなりやばい奴なのではあるまいか。

 バルドの予想はあたっていた。
 ロンバルド・ウェイスリーは当年とって34歳、対ハウレリア戦役の生き残りである。
 長く小隊長を務め、二つ名こそないが派手さないが頼りになる騎士として紅炎騎士団に所属した。
 不幸なことに28歳のときに訓練中の事故がもとで膝を故障した彼は、騎士を引退して騎士学校の講師に招かれたのだった。
 現在の講師たちのなかでも、短時間に限って言えばロンバルドは5本の指に入る強豪なのである。
 だからこそ、というべきか。
 ロンバルドはバルドの中に秘められた武の気配を敏感に感じ取っていた。
 見た目にはそんなはずはないと誰もが笑うだろう。
 生徒たちも小さくて華奢なバルドが、講師自らしごくのは可哀そうだと考えているようだ。
 しかしバルド自身がロンバルドを恐れる様子は微塵もない。
 そもそも冷静に事態を受け入れていることがおかしかった。


 (面白い――――――かもしれんな)

 久しぶりに戦いの昂揚が全身を支配するのを感じてロンバルドは唇を歪ませた。
 引退してから久しく感じたことのない勘定だった。


 「遠慮はいらん。かかってこい、バルド候補生」
 「不肖バルド・コルネリアス、参ります」







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