第二十二話

 コルネリアス領を抜けるとそこにはマールバラ大平原が広がり、大陸でも有数の穀倉地帯となっている。だからこそハウレリア王国などはコルネリアス領を突破してこの穀倉地帯を我がものにしたいのだ。
 まだこの国では4輪作―――ノーフォーク農法は普及していない。貝殻や腐葉土を使用した肥料はすでに使用されているが、長い戦役で馬の繁殖は奨励されたが、牛や豚などについては金持ちが道楽で経営しているのがほとんどだった。
 家畜用の飼料を生産するノーフォーク農法と家畜の確保は切っても切れない間柄で、家畜の普及は今後の課題のひとつと言えるだろう。
 もっともバルドが費用を負担し、コルネリアスの農場ではすでに運用を開始しているが。
 守銭奴ではあるが、使うべきことには迷わず使うというのが左内の流儀でもあった。
 平原をすぎると巨大なアレイスタ湖と、そこから流れだすアムリタ川が平原の豊富な水源となって大地を潤していた。
 この豊富な水源あってこそ、マウリシア王国は豊饒の国たり得るのである。
 同時にこのアレイスタ湖は王都前の最終防衛線であって、ここを突破されるともはやまともな防御施設は王都自身以外にはない。
 そうした意味でも将来にわたりコルネリアス領が軍事的要衝であり続けるのは間違いないことであろう。
 そして馬車に揺られること一週間、ようやく地平線の彼方に王都の巨大な城壁が見え始めた。
 早馬であれば2日ほどで到着する距離なのだが、さすがに2頭立て馬車ではどんなに急いでもこのくらいはかかってしまうのだ。
 前世の記憶による障害で、ほとんど屋敷から出る機会のなかったバルドにとって、王都を訪れるのは初めての体験である。
 コルネリアスでは考えられない巨大な構造物はバルドの厨二心を大いに刺激した。

 「すごいっ!あれが王都キャメロン……!」

 城下をまるごと覆う巨大な城壁、そしてさらにオニール川から引き入れられた水が丸ごと王都の外郭を覆っていた。
 こうした水城は戦国期でも太田城や土浦城など全国でもある程度見られたので、左内であればそれほど驚くべきことではなかったかもしれないが、この大陸においては王都が水に浮かぶのは世界広しと言えどもキャメロンあるのみである。
 建国以来マウリシア王国は3度ほど王都への侵攻を許しているが、いずれの国もキャメロンの鉄壁の守りに手も足も出ず撤退するはめとなった。
 難攻不落の水上都市キャメロン――――本の中でしか知らなかったその場所が、今バルドの目前にある。
 いかに前世の記憶があろうとも、バルドの心はまだ10歳の少年である。
 目を輝かせて興奮のせいか、無意識に足踏みをするバルドの様子に、セイルーンは声を出さずにクスリと微笑んだ。
 あの女狐は坊っちゃまのこんな姿を見たことはないだろうと思いながら。




 王立騎士学校は本来、軍務卿が管轄する王立騎士団の騎士を養成するために、先々代の国王によって設立された教育施設である。
 しかし現状では卒業後は領地に戻る貴族子弟の箔付けと本当に騎士を目指す者との二極化が進んでいた。
 中には貴族としての権威を振りかざし、学業をおろそかにする愚か者もいるが、そうした人間が学校に残れるほど甘くはなかった。
 建学時国王その人の勅命として、たとえ王族といえども力と精神伴うことなくば退学と定められていたからである。
 だからこそ王立騎士学校は今も騎士を目指す者にとって憧れと尊敬を集めて続けていた。

 その王立騎士学校にバルドたちが到着したのは、すでに夕刻にさしかかろうとした時間であった。
 門衛に到着を知らせると、待ち構えていたかのように校長室へと案内された。
 しかもどこか怯えた風なのはなぜだろう?
 そんなとりとめのないことを考えていると、いつの間にか5階建の最上階に構えられた王立であることの証として王旗を彫り込まれた巨大な校長室の扉が見えた。

 「失礼します」
 「おお!待っていたよバルド君」

 本当に戦場の鬼神であったのかと疑わしくなるような好々爺然とした笑みを浮かべて、ラミリーズは両手を広げた。
 今や一線を退いたラミリーズにとって、バルドのような将来有望な少年を鍛えることは何にもまして楽しい天職である。
 たった9歳で自分に膝をつかせた少年がどこまで強くなったのか、そしてこの学校でどれほど強くなるのか、一刻も早く確かめたい衝動に駆られたが、ラミリーズは表面上は威厳ある校長らしく、バルドの手を握るにとどめた。

 「よくぞ来てくれた。君が入学する日を首を長くして待っておったよ」
 「父が無理を言ったようで申し訳ありません」
 
 12歳入学のところを10歳と半年ほどで押し込んだのはイグニスの我がままであったことをバルドは知っている。
 バルドの言葉を聞いてラミリーズは困ったように顔を歪ませたが、その内容はバルドの予想を完全に裏切っていた。

 「10歳で入学することは何も問題はない。有望な少年が12歳より前に入学することは割とあることでな。むしろマゴットの要請が厄介だ」

 ライリーズの言葉を聞いてセイルーンがピクリと身体を震わせる。
 マゴットの依頼といえば、セイルーンを学校内での侍女として働かせるというものであったからだ。

 「ああ、お嬢ちゃんが働くのは問題ない。さすがにバルド君の傍付きにさせるわけにはいかんがな。わしが困っているのはマゴットが12歳でバルド君を卒業させろと言ってきたことよ」

 ―――――貴女は何をしてくれちゃってるんですか?母さま。

 「一応課題を達成すれば騎士学校を卒業することは可能だ。正直本気になったマゴットが学校に突撃した日にはその日が騎士学校最後の日になるでな。可哀そうだがバルド君には頑張ってもらわねば」
 「王立騎士学校でも母を止められませんか?」

 騎士学校がそんなことでいいのか、と思わなくもないのだがバルドの疑問はラミリーズに一蹴された。

 「では問うが、一線を離れた教員が百名ほどと、まだ見習いのひよっこが何人いたところであのマゴットに勝てると思うか?」
 「…………激しく無理がありますね………」

 高笑いしながら蹂躙している母の姿しか想像できない。
 あれは現役の実働部隊が一個大隊でようやく互角に持ちこめる怪物なのだ。

 「それと誠に済まんがバルド君は夜間外出にはわしの許可が必要となる。そんなことをして何になるのかわからんがマゴットに念を押されていてな」

 実はイグニスが童貞を喪失したのが13歳の誕生日であることを白状したせいなのだが、セイルーンは賢明にも口に出すことはなく静観した。
 バルドを誘惑の魔の手から守ることはセイルーンも望むところであったからである。

 「長旅で疲れたじゃろう。今日のところは教員用の空き部屋を用意したからそこで休んでくれ。寄宿舎とセイルーン君の職場は明日案内するでな」

 思わぬ母の置き土産にゲッソリとした表情で退出するバルドが哀れと思わなくもなかったが、12歳での卒業はそれほど困難なことではないとラミリーズは考えている。
 ラミリーズの勘ではバルドの実力は武力の突出した一部の学生しか対抗できないと見ている。
 問題は座学だけだが、あの早熟なバルドであればなんなくこなしてしまうだろう。

 「麒麟児を得て明日から我が校がどう変わるか楽しみじゃわい」

 戦役から10年を経過して、教員の間でも戦争を知らないものや固定観念が払しょくできないものが増えてきた。
 学生ばかりでなく、教員のものの考え方までバルドは影響を与えずにはおかないのではないか。
 昨年ラミリーズの足元を掬った魔法の運用――――何か根本的な部分でバルドには自分たちに見えていないものが見えているのではないか。
 そんな期待をラミリーズは覚えてならなかったのである。

 「わしも手合わせしてもらおうかの?」

 一線を引いたとはいえまだまだ闘争本能の衰えない校長が、ぐふふとくぐもった笑いをもらしているのをバルドは知らない。







 ちょうどそのころ――――――。

 「いいところに来たね。ジルコ、少し私の相手をしな」

 先日命尽き果てる寸前まで折檻されたばかりのジルコは慌ててブンブンと首を振った。

 「いやいやいや、遠慮しておくよ。それで今日は姉御にお別れの挨拶に来たんだがね」

 すでにバルドの依頼は完了した。
 料金も満額もらったことだしそろそろ次の戦場に向かおう。
 ジルコがそう判断したのも無理からぬところである。
 しかし本当はマゴットの怒りに触れて一刻も早くこの土地から離れたかったというのが本音であった。

 「何言ってんだい。あんたはバルドが帰ってくるまで私のおも……相手をしながら街の警護をしてもらうよ」
 「今絶対におもちゃって言おうとしたよね!?」

 瞳を潤ませてジルコは半泣きになって抗議する。
 冗談ではない。バルドが帰ってくるまでマゴットの相手を勤めさせられたら死んでしまう。

 (大将………よく生きてあんな立派に育ったもんだよ)

 「―――――バルドにカマドウマのことを教えたのはジルコあんただね?」

 ギクリ

 死刑宣告を受けた被告のような哀れを誘う表情でジルコはマゴットを見上げた。

 「その細可愛い首と相談してよくお聞き。うちに残って働くか出ていくのか」
 「誠心誠意働かせていただきます…………」
 「賢明な判断だ。まずは死合いから始めようか」
 「試合の字が違う!!」

 流れの傭兵であったジルコがコルネリアスに縛りつけられた瞬間であった。

 「ほらほら、気を抜くとどうなっても知らないよ?」
 「大将!やっぱりSだよ!どSだよこの人!!」



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