自民党や新生党、新進党の元衆院議員で、科学技術庁長官を務めた中島衛(なかじま・まもる)氏が5日午前2時半、脳内出血のため飯田市大通1の飯田病院で死去した。77歳。下伊那郡飯田町(現飯田市)出身。自宅は飯田市今宮町2の17。葬儀・告別式は、30日正午から飯田市上郷黒田2723の2、平安祭典上郷斎場。喪主は長男の隆(たかし)氏。
中島氏は3日午後に体調が急変。同病院に搬送されて入院、昏睡(こんすい)状態が続いていた。
中央大経済学部卒。父は元衆院議員の故・中島厳氏。1976(昭和51)年の衆院選に旧長野3区から出馬し初当選、96年まで衆院議員を通算6期務めた。故・金丸信氏を政治の師と仰ぎ、87年には経世会(竹下派)発足に参加。92年に宮沢内閣の科学技術庁長官として入閣し、原子力発電へのプルトニウム利用などに携わった。
93年には羽田孜元首相らと共に自民党を離党、政権交代可能な二大政党制を目指し新生党や新進党に参加した。小選挙区比例代表並立制が導入された96年の衆院選に長野5区から新進党公認で出馬し落選、政界を引退した。
建設政務次官のほか、衆院決算委員会、建設委員会、地方行政委員会の各委員長などを歴任した。2006年には旭日大綬章を受章した。