五輪決定の陰で「2度目の立ち退き」、国立競技場の建て替えで
[東京 18日 ロイター] - 国立競技場近くの公営団地に住む甚野公平さん(79)が広げた白黒の写真には、都心にあった自宅の前で記念撮影する家族の姿が写っている。しかし当時の自宅はもうない。
1964年に開催された東京五輪の施設建設のため、立ち退きを迫られ、取り壊されてしまったのだ。そして2020年に再び五輪が東京にやってくるのを前に、甚野さんはまたも立ち退きを迫られている。
前回の東京五輪で、開会式と閉会式を行った国立競技場は現在、建て替えが予定されている。それに伴い、甚野さんと妻が暮らす国立競技場近くの公営団地は取り壊しの対象となってしまった。
甚野さんは五輪との「つらい縁」を感じたという。「国にとってはいい縁かもしれないが、わたしにとっては、ここから離れるのはいやな思い出になる」と甚野さんは胸の内を明かした。
甚野さんは現在の国立競技場の近くで生まれた。第2次大戦中に自宅を焼失した甚野さん一家は、元の家があった場所から20メートルほど離れた場所に居を構え、そこでたばこ店を始めた。
しかし64年の東京五輪開催が決まると、他のおよそ100世帯とともに立ち退きを求められた。たばこ店を続けられなくなった甚野さんは、狭い部屋で妻と2人の子供たちと暮らしながら、洗車の仕事でどうにか生計を立てていた。65年に現在の団地に移り、たばこ店も再開することができた。
それからおよそ50年、甚野さんは再び立ち退きを告げられた。
住み慣れた家を離れなくてはならないということは、甚野さんにとって「宝物がなくなる」のと同じことだという。「五輪のために地域とのつながりがなくなってしまう不安、寂しさ、つらさ」を感じると甚野さんは話す。
来月80歳になる甚野さんは次に住む場所の当てもなく、途方に暮れている。甚野さんの団地にはおよそ200世帯が居住しているが、多くは高齢者で同じような悩みを抱えているという。
「100年に1回なら我慢もする。100年に2回なんて言うのはとんでもないこと。こんなことはなくていい」と甚野さんは憤りを隠さない。
© Thomson Reuters 2013 All rights reserved.