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昨日、私の親しい友人から、素敵な素晴らしい贈り物が届いた。


それは…

赤木圭一郎のLPレコードジャケット。

嬉しさのあまり、おもわず小躍りしてしまいました。

私が「赤木圭一郎」さんの熱狂的なファンと知っていて、街のとあるお店に飾ってあった赤木さんのレコードジャケットを見つけ、店主に何度も何度も頼み込んで譲っていただいたそうだ。

その貴重な品を、私にプレゼントしてくれたと言うわけ。

嬉しくて嬉しくて、その夜、一人酒盛りをした。

勿論、赤木さんのレコードジャケットを眺めながら…


赤木圭一郎。


御存知ない方が多いと思うが…

1959年(昭和33年)日活第4期ニユーフェースとして日活入社。

本名 赤塚親弘(ちかひろ)


1959年鈴木清順監督 「素っ裸の年令」で初主演。


その後、拳銃無頼帳シリーズなどに主演し、日活第3の男と呼ばれた。


1961年(昭和36年)2月14日、12時20分 日活撮影所内 昼休憩時にゴーカートを運転中、ブレーキとアクセルを踏み違え大道具倉庫鉄扉に激突。


2月21日、午前7時50分 前頭骨亀裂に伴う硬膜出血で死去。


まだ若干21歳の若さだった。


私はリアルタイムで映画を観た記憶はないが、亡くなった母は言った。


題名は覚えてはいないけど、「赤木圭一郎」の映画、観せたことあるよ。」


「お母ちゃん本当?」


「うん!間違いないよ。」


私は今でも母の言葉を信じて疑わない。


まったく記憶にないが…映画に連れていってくれた母に感謝している。

私は今でも、年に数回、赤木圭一郎さんの映画を観る。


いつだったか息子が…


「同じもの何度も観てあきねぇ!」


「うん!あきないよ。お父さん!大好きなんだ。赤木圭一郎が!」


そういうと息子は笑みをこぼしながら言った…


「好きなんだ…」


「うん!」


それから、私が赤木圭一郎さんの映画を観ていても何も言わなくなった。


この世界で仕事をしていると、時たま、赤木圭一郎さんと共演した方々にお会いすることがあり、当時の赤木圭一郎さんの貴重なお話を聴ける幸運に出会うことがある。


そんなとき、役者になって良かったと、つくづく思う。


因みに私、いまでも現存する「赤木圭一郎を偲ぶ会」の会員である。



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