<国立能楽堂開場30周年記念公演> ●能「住吉詣」 悦之舞(観世流) →大槻文藏(シテ/明石の君) 梅若玄祥(ツレ/光源氏) 武田志房(ツレ/惟光) 寺澤幸祐(ツレ/侍女) 大槻裕一(ツレ/侍女) 松山隆之(立衆/従者) 土田英貴(立衆/従者) 角当直隆(立衆/従者) 川口晃平(立衆/従者) 小田切康陽(立衆/従者) 武富晶太郎(子方/童) 寺澤杏海(子方/随身) 武富春香(子方/随身) 福王和幸(ワキ/住吉の神主) 山本則孝(アイ/社人)他 →藤田六郎兵衛(笛) 曽和正博(小鼓) 國川純(大鼓) ●狂言「鶏聟」(大蔵流) →山本則俊(シテ/聟) 山本東次郎(アド/舅) 山本則重(アド/太郎冠者) 山本泰太郎(アド/教え主)他 ●能「正尊」起請文(金春流) →金春安明(シテ/土佐坊正尊) 武蔵坊弁慶(ツレ/本田光洋) 金春憲和(ツレ/源義経) 山井綱雄(ツレ/静御前) 山中一馬(ツレ/江田源三) 政木哲司(ツレ/熊井太郎) 中村昌弘(ツレ/義経郎党) 辻井八郎(ツレ/姉和光景) 本田布由樹(ツレ/正尊家来) 本田芳樹(ツレ/正尊家来) 山本則秀(アイ/召使の女)他 →松田弘之(笛) 幸正昭(小鼓) 亀井広忠(大鼓) 桜井均(太鼓) この日は台風18号が正午に関東地方最接近という最悪のコンディション。鉄道各路線が次々と運転を取りやめるなか、自分の路線は雨風にめっぽう強いためぴんぴんしており、そのまま大江戸線に潜って事なきを得た。千駄ヶ谷ルノアールで軽めのランチ(そして、千駄ヶ谷に行くたびに使ってたニューヨーカーズカフェが閉店しているのを発見!)。 国立能楽堂開場30周年記念公演は、東西の人間国宝たちが一堂に会し、能が3日間+狂言オンリーで1日=4日間が費やされる一大イベントでした。第1希望は有給休暇を取っての9/17(火)、第2希望は9/15(日)だったけど、まあそううまくもゆかない。9/16(月祝)だってそうそうは見られない巨大編成作品による番組だったのだから、これは文句は言いっこなしだ。 + + + まず、この日いちばん好かったことから書きましょう。 ◆おはなし 吉日の婿入りで舅に挨拶しようと意気込む聟が、しかし自分はマナーを知らないので教えてほしい、と意地の悪い教え手を訪う。教え手は「これこそ当世風である」と騙して、舅に会ったら鶏がつつき合うように振る舞うのがよい、と聟に吹き込む。 そして実践してしまう聟。ところがこの狂言の真骨頂はここからで、奇怪な振る舞いの聟に相対した舅が「これに驚いては物を知らない舅と思われる…!」と考え、同じように鶏の真似をして応対するのだよね。この人間らしい悲哀。完全な真面目。 ◆やはらか狂言 舅役の人間国宝・山本東次郎さん(これまでにもどこかでお姿を見ていたかもしれない)のしなやかな身体に、この日は否応なく引き込まれた。舞台上を浮遊しているのではないかという足運び、泰然と生真面目の同居、柔らかく凛として、しかも聴き取りやすいディクション、、狂言でこんなに透き通った身体感覚を感じたことがなかった僕には、たいへんなショックなのだった。 その「やはらかな」演技は、硬質な山本則俊さんの聟の演技と互いに引き立て合って、藝術としての狂言の深淵をぱっくりと覗かせていた。でも、それでいてくすくすできるのだから、まったく狂言というのは興味深いじゃないですかー。 + + + ◆住吉詣 「源氏物語」第五十四帖「澪標」に基づく、源氏と明石の君の哀しいお話です。 住吉神社に大願を懸けて詣でる源氏の行列。たまたまそこを訪れていた元カノ・明石の君は、行列の麗々しさに気おされながら源氏にひと目会うことを望み、やがて感興を催した源氏の前でひとさし舞う。しかし源氏は留まることなく帰っていく。 ◆人物たちであって人物たちでない 「住吉詣」のコアには光源氏と明石の君がいるけれど、この能には源氏の随臣たちが大勢登場する。源氏の乳母子である惟光は多少の台詞も用意され、人物として機能しているが、それ以外の人物たちはまったくただの書き割り以上ではない。 したがって、子方の2人が散々居眠りをこいている状況は「人物でなさ」をぶち壊す愉快で致命的な罅であった。源氏と明石の君がいくら舞を舞っても、後景の、たとえば松の木Aがうつらうつらしていればどうか。眠かった幼児たちに全部の責めを負わせる気はまったくないけれど、何周か回って能の階段を踏み外した公演のように思えた。この後の美しい狂言との、絶望的な落差。 加えてこの公演では、梅若玄祥さんの源氏も、大槻文藏さんの明石の君も、軽やかさより石像のような重厚感を帯びる。より率直に言い換えれば「抑制された人物らしさではなくて、どこまでも人物らしくなさ」を辺り一面に照射していたのだった。ここの一線はすごく微妙なのだと思うけれど、舞台上で唯一人物らしかったのが、偶発的な居眠りおちびさんたちでは。 ●正尊 この公演の少し前に、Eテレ「古典芸能への招待」で放送された「正尊」。頼朝からの刺客・土佐正尊と義経一行のチャンバラ劇です。 神様も亡霊も鬼も何も出てこないあの能は、能のフォームを利用する意味があるのだろうか?陰翳を欠いたドラマトゥルギーと、金春流の不思議な謡い方が精神を酔わせる。どやどやと頭数が揃って、しかし歌舞伎のような群舞の美しさもない。当分、この演目を見ることはないだろうなと思う。 + + + めでたく観能10回目を迎えまして。 あの舞台上の緊張感は、たとえば《大地の歌》の最後の3分間が80分間に引き延ばされたようなもので、およそ現実世界では味わうことができない。クラシック音楽の、弛緩した心地よさより凝縮した緊張感のほうを好む皆さんは、思い切って能に向かってみることを強くお勧めするものであります。
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