団塊世代が憧れた野球の神様、川上哲治さんが亡くなった。私の父は熱烈な巨人ファンで、疎開先の山梨で真空管ラジオのつまみを回し、耳をそば立てて試合の実況中継を聞いていた。親孝行にと、入学した都留高では野球部に入ったが、甘かった。同期には甲府商の堀内恒夫さんがいた。県大会で投球を見て「こりゃダメだ」と退部を決めた。同じ1年生が速球をガンガン投げ込む姿に「あれが堀内だよ。すげぇ〜!」と仲間が感嘆の声を上げていた。
ところで、私は空手の現役時代、大会後の祝勝会に出たことがない。それはプロのキックボクサー時代も同じで、なぜか素直になれない自分が自分で疑問だった。だが、野球の神様の死は、私の長年の矛盾に答えをくれた。
川上さんは投手として巨人に入団したが、シーズン前に打者に転向。そして翌年、首位打者になったのだが、そのことを「怖かった」と回想した。そして、暇さえあれば夜中でもバットを振っていたという。
私も稽古は誰もいない道場や夜中だった。KOされる怖さから目立つことを避け、華やぐ場所を嫌った。それより練習していた方が安心できたのだ。 (格闘技評論家)
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