2013.2.18
可愛いいヒヨドリ (その2)
ヒヨドリの入ったネズミ捕り籠からヒヨドリを取り出し部屋の炬燵にもどった。 握り締めたゆびを激しく嘴でつつく。 それをなだめながら。のどぼとけと・脇の下をさすってやっていると次第に静かになってきた。 庭に飼っている鶏が同じいことで喜ぶのと全く同じ。
時間が経つにつれますますおとなしくなってきた。もう逃げられないと諦めたのか? 炬燵のぬくもりで気持ちが良くなったのか?
今度は、好きなミカンの房を唇にさしてやると。しばらく考えていたがなんとそれを吸いはじめたではないか。これには驚いた。
今まで野生の鳥として生きていたものが、わずかの時間でこんなになるなんて。
仕事があり、これ以上構っていられないので、誰かにみせようと手にした野生のひよどりを持って外に出ると、グランドゴルフに行く近くの奥さんが通りかかっぅたので見せてやり、手のひらを開いてやった。一瞬立ちどまったが、一声鳴いて元気にとびさった。
2013.2.16
可愛い ヒヨドリ
今日は 庭の梅の木にやたらとヒヨドリが来る。 またまたいたずら心の悪い癖が出てきた。
この前のネズミ取り籠にミカンをいれて梅の木の枝に置いた。するとすぐにやってきて、ぐるぐる飛び回りながら入口を見つけると、美味しい好物のみかんを食べ始めた。そしって2~3分食べたろうか、一声鳴いて飛び去った。
居間の炬燵で好きな連続時代劇のテレビを見ていると、30分ぐらいしてまたやtぅてきた。こんどはまっすぐ入口から中へはいり美味しそうに食べはじめた。
「今に見ておれ。蓋が締まるぞ・・・・」 と見守っていると,ミカンの袋をくわえて引張った瞬間 「ぱたん」 と締った。 もう出れはしない。
今度はこれからが面白い体験をした。次回へ
2013.2.12
メジロとヒヨドリ
庭のメジロの餌籠は10年以上まえから設置しており毎年春先にメジロがやってきている。
あれは数年前、まだ家内が元気だったころのできごと。
「お父さん速く来て 速く・・・ 」 と 家内の呼び声に、事務所から飛んでいくと、 そのメジロの餌籠の中にヒヨドリが入っている。 それもバタついていない。
どうやら「疲労困憊」してしまったらしい。
荒食いのヒヨドリに横取りされないように籠の中に 「ミカンと砂糖水」 をいれているのに、ヒヨドリが身をくねらせてでも中には入り腹いっぱいご馳走になり、いざ出ようとして出れなくなり もがきにもがいた末疲労困憊して動けなくなったたのだとわかった。
籠のふたを開け、動けないヒヨドリをかかえ出し梅の木の枝の上に置いてやった。野生の鳥なのに人間が触っても飛んでいけない。こんなことは初めて。
身も心も疲れ果 動くことさえできない。 先日の 「ネズミ籠のヒヨドリ」 とは違い、このヒヨドリは相当時間ばたついたのであろう。
動けなくてじっとしているヒヨドリを振り返りながら事務所にもどった。
どのくらい時間がたったか、ふと思い出してあのヒヨドリを見にいったらすでにそこにはいなかtぅた。
2013.2.10
ヒヨドリとネズミ捕器
庭の梅の木にぶらさげている 「メジロ」 の餌かごに今日は 「ヒヨドリ」 がまとわりついている。かごは、自転車についている物入れ用のかご。それに蓋をして銅板の屋根を付けている。 餌は ミカンと砂糖水。これはヒヨドリも大好物。
メジロはその籠の中に自由に出は入りして食べているが、ヒヨドリは体が大きいので中にはは入れない。 居間の炬燵の中から見ていてふと気づいた いたずら心。
物置にある 「ネズミ捕り器」 にみかんを入れて、ヒヨドリを捕まえてみよう。 早速仕掛けて外出から帰ってみると大成功。ヒヨドリが篭の中でバタついている。
上の方ではもう一羽のヒヨドリがないている。 篭は金網なので絶対出れない。よく見ると、嘴のところに血がにじんでいる。
丁度そのとき前の道を 子供連れの親子が通りかかったので、その篭をみせてやると不思議そうにみつめている。 「かわいそうだから助けてあげようね」 と言って
篭のふたを開けてやると、ふりむきもせずとんでいった。あんなに元気良く飛んでいったところを見ると中に入ってあまり時間が経ってないと思った。
数年前にもヒヨドリの一件があるが、これは次回にゆずる。
先ほど上の方で泣いていたのは 「つがい」 だったのでは・・・・。今頃は無事を喜んげいるのでは? それにしてもあの白髪頭のGは相当の悪だ。年甲斐もなく・・・
てなことを話ているかも。
2013.1.20
プロとアマ
木工品作りの好きな自分が、先日プロの大工さんに小さなサイドボードをたのんで作ってもらった。
同じ形でもその出来映えにほんとにびっくりした。 まず天板の 「カンナ」 のかかり具合。まるで 「ガラス」 のよう。こちらのものは 「ザラザラ」。
お尋ねすると,カンナの 「刃」 に気をつかっているとのこと。 次に組み立ての形が 「ほぞ」 を堀り本格的な構造でがっちりしている。
かねてから 「プロとアマチヤ」 の違いについて感じていたが、目に見える形で見せ付けられ 「プロ」 についてほんとに頭が下がる思いをいまさらながら痛感させられた。 これは目に見える形で見せられたのだが。目に見えないものの 「プロ」 も同じである。
でも 「アマチヤ」 も捨てたものでもない。素人は固定観念がないので発想が自由。価格のことを考え、手の込んだことをするより作業効率がよく簡単で、素人が作れて 同じ機能がたもてればよい。 木材関係に身を置くものとして、生活を楽しめる木工品作りをこれからも続けていこう。今度は一本足のテーブルの量産を思案している。
2013.1.14
どんど焼
昨夜 町内の「大原神社」の境内で恒例の 「どんど焼」 が行われた。孟宗竹の激しい破竹の音。雨空を焦がす紅蓮の火柱。
つきたての餅やぜんざいをいただきながら、今年がいい年であるよう参加者の顔が輝いていた。
これは 「鬼火焚」 ともいい、九州地区の火祭り行事。広辞苑には 「左義長」 というとのこと。
町内の13名の有志のかたがお世話しており、今年は 「猪の肉」 が持ち込まれ、焼酎が一段とおいしくいただけた。
例年 「薪」 の協力をさせていただいています。
2013.1.12
メジロの好物
毎日やってくる 「メジロ」 の餌かごに、ミカンと砂糖水をいれておくと、砂糖水の方を先に飲むことがわかlった。
ミカンのほうが高いのでたすかる。 砂糖水はうんとあまくして飲みやすいビンに入れておく。100ccほどを5日ぐらいで飲み干す。今来ているのは一羽だけだが,つがいでくるときははやくなくなる。
「すずめ」 のほうは、庭に出て餌台に 「不良米や・粟」 を置くのを電線や隣の軒先から見ていて、こちらが家の中にひっこむのを見届けるとすぐやってくる。
3羽の鶏は、小屋から出して声をかけると(ポッポ)すぐやってくる。餌はすずめと同じ。
2012.12.31
メジロが早々と来る
庭の餌カゴに、メジロが今年は早々とやってきた。
餌のミカンは、ヒヨドリも好物でいっぺんに食べてしまうので自転車の買い物かごのなかに餌をいれてヒヨドリは入れないようにしている。
スズメの方は餌台に毎日来ている。ニワトリは大きくなったので小屋から出していることが多くなった。
庭の全景
メジロの餌かごとメジロ
左上がスズメの餌台とニワトリの親子
育林の経過
父より譲り受けた山林が、台風により倒木被害を受けた。 それ以来育林に努めた結果写真のような山に育つことができた。
贈与をうけた4箇所のうち、全伐ー植林ー間伐と一貫して育林に努めた山はこれがはじめての体験。 この32年間の経過を振り返ってみることにした。
面積 被害面積1ヘクタール
植林 1980年 杉2200本・檜800本植林。
補植 1986年 鹿の被害を受け檜575本を植える。山頂付近。
下刈 植林以来7年ほど毎年の夏実施。梶原進さんに依頼。
保安林 1993年福岡県知事より 「水源かん養」 のための保安林の指定を受ける。免税扱いとなる。
切捨間伐 1995年900本
収入間伐 2012年8月 370本実施。 別紙に収支明細有り。
残存本数 約 1700本が 写真の現在の姿。
2012.12.30
間伐の終わった山
今年(2,012年)間伐の終わった福岡県東峰村金剛野の山。 間伐は大きい良木から伐る、「収入間伐」 に努めた。林間に陽がはいり健康な山林になった。
間伐材の半分は、仕入先の製材所に間伐の実費で販売し、残り半分は通常のルートの木材市場に販売した。
木材流通の短絡化のテストとして、製材所も喜んでいただき良い体験ができた。
福岡県東峰村金剛野 今年間伐終了の杉山
富崎雅規 福岡市在住(長女の長男)
佐々木匠真 横浜市在住(長男の長男) 11月8日生年月日祖父と同じ
2012.12.29
自分の山見学
孫の匠真・雅規と、我が管理した山林の成長状況を見につれていった。見事に杉・桧が成長しているのを見て喜んでもらった。
立木だけでなく、高三年と、中三の孫の成長も同じく頼もしい限り。 今夜の焼酎は特別おいしいぞ。
2012.12.24
住宅の気密性
昭和一桁の人間には住宅の 「気密性」 が快適な暮らしと言う言葉がどうしても理解できない。 人間の生活に寒い・暑いは不快な生活だが、これを住宅の気密性にもとめることが正しい方法とした考え方を疑問に思へてならない。
地球の ヒートアイランド現象・都市部の湿度の減少。女性には乾燥は美肌の大敵。だから 「加湿器」その他化粧品 。などなどこれらが、科学の進歩のように評価されている。果たして人類の進歩なのか・後退なのか21世紀が直面した人間の 課題に思えてならない。
大きなことでなく、身近な人の家そのものを見る時、家の前をコンクリートできれいに整備し、室内にはクーラー・暖房機など完備。 それに反し我が家は
隙間だらけの家。炬燵。みかん。寄り添う団欒の場。 重ね着の上に「たんぜん」。「襟巻き」。寒さは防がねばならない。布団にくるまりぬくぬくと寝る。ただし布団の中に「電気毛布」が入れてある。 便利さと自然との調和。 これも必要だなとと思いながら、焼酎を飲んでいる。 2012.12.24 佐々木 敬生
2012.12.17
住宅のパネル工法
自宅裏の水田が宅地になり、今 二軒がほぼ同時に家を建て始めた。こんな近くで家が建つなんてめったにない。住宅産業に身を置くものとして大いに関心をもって最初から毎日進捗状況をみている。
一軒は日本の代表的な木造住宅。でも使われている木材(杉)はすべてが積層材。柱も床材もすべて。これにはびっくり。その為品質管理は完全のようで部材に明記されている。むく材はまったくない。こちらでは上棟式・餅まきもあった。
もう一軒は 「パネル工法」 とのこと。全てがトラックに積める大きさの「パネル」になっていて、それをクレーンで吊り上げ組み立てていく。だから早い早い3日で二階建ての屋根までできてしまった。 しかも驚くのはそのパネルの木材が外材なので係りの人に尋ねてたら、これは全部フイリッピンで作っているとのこと。
階段・ベランダ・玄関・窓・すべてが完成品として出来ているので組み立てられたら立派な出来映え。そしてその組み立ては全部が全部 「釘」 どめ。
最先端の住宅産業の現場を見て、為替問題・国産材の流通・世界各国の人件費・住宅需要者のニーズ・技術の進歩などなど、複雑な思いをしながら見守っていこう。
更には人が住んで、近所付き合いまではじまる。住む人は若い人のようなので自分が先に死ぬこと必定。そんなことまで考えている。
2012.12.9
道の駅
自社の配送拠点倉庫のちかくに 「道の駅」 がある。倉庫に行った時は必ず立ち寄ることにしている。
じつは この駅に、倉庫の家主のお母さんが自分で作った野菜を出荷している。腰はまがっていて80才後半ながら元気そのもの嬉々とし
動きまわっている。 60坪ほどの畑ながら四季折々の野菜を作り,軽四輪車ではこぶ。
数年前、転倒して腰を痛め入院していたが、野菜が気になり医師の言うことも聞かず退院してしまった。
道の駅の展示品は、専業農家をはじめ、このような近隣のかたたちで支えられている。そして、日曜日となるとお祭りのような人出でごったがえす。
今全国に、2.012年9月現在996ヶ所あるとのこと。需要創造のこのような事業、木材業界のヒントになりそうな気がしてならない。
2012.12.10 佐々木敬生
2012.12.3
木材の流通革命
流通革命と聞くと、スーパーだユニクロだと連想するが、更に地元農産物の販売で「道の駅」など日曜日はごったがえしている。
振り返って木材の流通は旧態然としている。そして嘆き節だけ聞こえてくる。先日のNHKの放送でもそうであった。
戦後植林した木材は、40年生50年生の立派な木になっている。外材に頼ることはない。この宝の山に気づいた人がいま嬉々として事業を営んでいる。協和木材・日吉町森林組合・八木木材などなど紹介もされ見学者も多いとのこと。
佐々木商店 はこのような背景の中で取引先に必要とされる木材を 「どのように」提供すれば更に喜ばれ、100年先まで共存できるかを
考えているところです。
前回の自分の山の択伐は半分を仕入先の製材所に。半分を従来の販売ルートで販売して、収支の比較も解ったので今度は、全量製材所に渡すことを考えています。これは来年度の計画ですでに段取りもできているので、その折お知らせし木材流通のささやかな実例とさせていただきます。
2012.12.3 佐々木敬生
2012.11.19
国産木材のチャンス到来
木材製品の販売を続けて28年経過した今、外材に比べ国産材のチャンス到来を痛感する。まえにも書いたが国産材が外材に比べて極端に安くなっている。しかも国内木材の備蓄は、外材に頼らなくてもよいほど山に眠っている。
少しばかりの自分の山を見ても、戦後植えた杉・桧は樹齢50年の立派な木材になった。それも間伐など基本的な管理をしてきた結果と思っているが、 あとはどのようにして、木材需要に応じるか?である。ここでは木材の流通面からのみ書いてみる。
第一は流通ルートの短略化である。 必要とする消費者に如何に安く届けるか。スーパーの食品でも品質と価格が安ければお客様は必ずやってきてくれる。木材でも同じこと。 今の木材流通の改善と改革をすることによってのみ 「チャンス」 到来である。 続く
2012.11.19 佐々木敬生
2012.11.17
減量への工夫
今 一番気にしていることは、体重をへらすことである。 80キロ.身長171cm。体格指数(BMI)を計算すると27.3となる。
指標と言うことより、胴まわりが97cmではやはり太りすぎ。せめて73キロぐらいにしてからだを軽くしたい。それが100才までの工夫と考えているがなかなか達成できない。
先日本屋に行って目に付いたのが 「空腹が人を健康にする」 南雲吉則著。 1日1食が健康な体にする人間(生きもの)の原点だとのこと。 これまでの健康管理の常識と考えていたことを見直さねばならないことににきずいた。 腹が減ってなくとも3食きちんと食べる。1日に30種類いじょうのものをバランスよく食べる。 これらが根本的に誤りで、現代の肥満・メタボリック・などなどの原因とある。
南雲医師本人の実践例に感心しながら
2012年11月16日より即刻 「1日1食」 をスタートした。
もうひとつ、 この本の中に嬉しいことが書いてある。酒は毎日飲んでいいとある。 アルコールは水銀などと同様 「蓄積毒」なので,一生にどれだけ飲んだかが問題。、少しずつ毎日飲のめばよいとある。教えに従い、これまでより少し高めの焼酎を買ってきて少しずつ飲むことにした。
2012.11.12
81才の現役
今月で満81才になった。血圧と通風の薬は飲み続けているもののいたつて元気。今月のゴルフコンペを楽しみににしている。
現役と言っても、以前のようにトラックの運転での納品は後継者の秋月君にまかせて6年になる。体力を使わない仕事の現役である。
つまり P/L B/S 作り。決算書作り。振替伝票・売掛金台帳・元帳・経費帳などなど。日々の販売明細が、何処に・何を・いくらで・利益・%・入金は?. このようなことを書く現役である。 20才の時7年間の結核闘病のときに「簿記実務検定2級」を取得していたのが役にたっているわけ。だから事務員はいない。勿論会計事務所や税理士にはたのまない。それだけ経費がいらず販売価格が安くできる。 でも最近は物忘れが多いので気をつけている。決算書作りも27年間
して来たのに忘れたことが多い。そのときは資料をもってすぐ近くの税務署の窓口にいくと丁寧に教えてくれる。また書いてもくれる。 なかでも消費税の計算は一番助かっている。だから即座にはらうことにしている。
まだまだこれから 「何」 が お客様へ貢献できるか? そして後継者の力になれるか? 焼酎を飲みながらかんがえていきます。
2012.11.12 佐々木 敬生
2012.11.7
木材の価格 (内地材と外材)
現在の取引先で1店からだけ外材の米栂の注文が時々ある。仕入れ価格は内地材の杉より極端に高い。杉の倍近くなる。
米栂は 釘の保持力が強いと言うことで当社も経常的に在庫して納品に備えていたが、今は経常在庫はしてない。工事店も価格には勝てない。
木材についてかかわりのない一般の人に 「 外材と内地材でどちらが高いと思いますか?」 とたずねると 「内地材」 と答えた。
昔 内地材が極端に高く外材が安かったころのイメージを今でも一般の人はもち続けている。
現実は、杉・桧とも極端に安くなり林業関係者の苦労は続いているが、このような逆転で内地材の需要が増加傾向にある。
最も良い例が、日田市内にあった外材の製材所が1店のみになり、あとはみんな内地材の製材に転換している。
激変する日本経済の内、木材業界の進路も厳しいものがあるものの 「森林」の人とのかかわりの大切さを忘れてはならない。 「創造型需要」 の明るい夢をもって植林・育林・流通に努力していきます。 焼酎があれば鬼に金棒だ。 2012.11.8 佐々木敬生 満81才の誕生日
2012.11.5
木材の価格 その3
木材の産出地 日田 に製材所(電話帳記載97軒)が沢山あるからといって仕入れ先を気ままにきめたのではない。
今日になるまでの28年間、仕入先は販売以上に紆余曲折があった。 最初に覚えたのは、結束した製品と単価は良いと思っていたのに製品の結束を解くと曲がりがでるクレーム。その工場の材料の原木は小曲がり材ばかりであった。
次に覚えたのは、製品の厚みが均一でない点。これは帯鋸の「目立て」の問題とのこと。クレームのでた製品を工場にもって行き改善を求めた。3度同じことが続くので仕入れを止めて製材所を変えたた。
また木材は運賃がかかるので製品と単価が良くても自社の近くが便利で最適。販売先も同様。全国に販売するのを得意がってる製材所を聞くと不思議な気がする。
まだまだ気がつかないことがあると思うので謙虚に自社の役割をはたそうとかんがえています。どうぞよろしくお願いいたします。
佐々木 敬生