「記者クラブを破壊する」3.11で考えが変わった-上杉隆氏インタビュー
投稿者: BLOGOS カテゴリー: Uncategorized 投稿日: 2012年3月19日
BLOGOS編集部 2012年03月14日 10:24
大手メディアを中心とした「記者クラブ」だけが、税金で記者室を無償で供与され、官公庁などの会見や取材活動を独占し続ける「記者クラブ問題」。フリーランス・ネットメディアはもちもん、雑誌なども排除されている。この問題を指摘し続け、記者クラブ解体を目指し、戦い続ける元ジャーナリスト、上杉隆氏が40万件に及ぶ「懇談メモ」を所持していることを明かし、その一部を公開した書籍、『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 を出版した。こうしたメモにより各メディアは「オフレコ情報」まで共有し、鉢呂経産相が辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。自由報道協会代表・上杉隆氏に話を聞いた(取材・執筆:永田 正行・田野幸伸【BLOGOS編集部】)
■ディベートができないから「デマ野郎」で片付ける
――まず、以前から気になっていたことを伺います。上杉さんが日ごろおっしゃっているのは、記者クラブで情報操作が日常的に行なわれており、そういうものは無い方がいいし、変えていくために今後戦っていくという事。それに対して、上杉さんには「デマを流すな」「嘘つき」と言う批判が飛んでくる。上杉さんの「記者クラブは不要だ、諸悪の根源だ」という主張に対して「上杉さんは嘘つきだ!」というのは、議論としてかみ合っていません。「記者クラブは有用だ、○○だから無くなったら困る」という反論なら良いと思います。ですが、実際のところは個人攻撃になっています。この、主張と批判が噛み合ってない現状をどうお考えでしょうか?
上杉: 日本のディベート文化の幼稚さに気づいて、随分経っています。議論の仕方が下手というか、知らないのでしょう。ディベートや議論、討論を習ってこなかったので知らないんです。
例えばある発言に対しても、全否定をする。「デマ」と言っている人たちのみならず、日本社会全体に言えることです。ある時僕が「ジャーナリズム崩壊」と指摘しました。筑紫哲也さんの番組の作りや中身について異論があると、「あいつは敵」だとなってしまう。あの筑紫さんですらそうです。
猪瀬直樹さんでも最初そうだった。道路公団についてもう10年以上前でしたかね、「違いますよね、私はこう思います」と言うだけで、正しいとは一言も言っていないんです。僕はいつも、「正しい」と言ったことはないです。これはみんな誤解しています。「私にも間違いはあります」と言っています。「こう思う」という価値観の違いをどんどん提供しています。
「正しい/間違えている」という議論をしたことは無いのに、彼らがそういう議論しかしていないため、その二次元でしかモノを判断できないんです。三次元でモノを言っている人に対して、意味がわからないから、デマだとか嘘つきと言うんですね。デマ・嘘つきというのもどこがどうと具体的に言ってくる人はいません。
「じゃあ、何の事(がデマ)ですか?」というと、最初のデマはまさにメルトダウンですよ。それから、「放射能は飛んでいない、危険でない」。あとなんだろう。ここ1年では、米軍情報。あれは合っていたでしょ? その辺りのことについて「デマ・嘘つき」と言われていました。
でも、そういうレッテルを貼ることって、自分に対する恐怖なんです。脅威とか怖いものに対して対応できないので、レッテル貼りで逃げようとする。それが既存のメディア、日本社会に住んでいる人たちなんです。その象徴が、そういうことを言う人たちです。
具体的にデマ・嘘を指摘してくださいというと、それを指摘することなく、「とにかく嘘つきなんだ!」と繰り返すんですね。だから相手にならないし、話にならない。僕も具体的に指摘されたら反論できるのに、町山智浩さんもそうでしたが、全然関係無いことを持ってくるんですよ。
町山さんと揉めている議論についても全部説明しているんですよ、「官報を読んでみてくれ」と。それをなぜかこっちが逃げているって言うんですね。今回のやりとりを見ていた人はわかると思いますが、全然逃げていないし、普通に交渉しているのに、とにかくレッテル貼りから始まる。
それはやはり既存メディアという、記者クラブシステムの中にいる人のみならず、日本全体の洗脳、ブレインウォッシュを受けている感じです。それに対して「違うんだよ」と言う人は異端で、とりあえずNOと言っておかないと、自分自身に対する否定になっちゃうんです。
年配層で説明すればわかりやすいと思いますが、朝日新聞の天声人語は「試験に出る、大学受験に出る」と言われ、70年、80年代とそうでした。そして一流企業に入った、NHKに入った、という人たちからすると、NHKが基本的に正しいと思っている。そういう人たちが信じていたものが、今や崩壊してきているわけです。3.11以降。ライブドアもそうかな。BLOGOSも。それに対して「そうだ」と認めてしまうと、自分の人生を否定することになるんです。
特に年配層ほどそうです。今の権力構造でパワーエリートの頂点に近い、上層部にいる人ほど反発が激しい。そういう意味で言論の自由を担保に、多様性をきちんと作ろうとしなくてはいけない。そういう人たちほど、ディベートができない、ものすごい社会になっています。それは私が変わるのではなくて、そっちの人たちが変わらないと無理なんですよ。
正直言って相手にしていません。Twitterではいつも言っていますが、Twitterでは議論したことが無いです。Twitterは議論に向かないメディアです。議論のきっかけ、ヒントを与えることはいい。だけれども、そこから本当にディベートするなら別のメディアでやりましょう。僕も含めて、ずっとそう呼びかけています。
端的にいうとみんな脅威・恐怖なんです。知らないものに対する恐れです。水中に泳ぐ生物が何千億年前かわからないけれども、陸上に上がる時には危険な酸素、紫外線があり、放射能もあったでしょう。上がってくる時には、知らないものだから怖いわけです。それに対しては攻撃するしかない。鎖国時代の日本がそうでしたよね、「外は危険だ危ない」と。今の北朝鮮もそうでしょう。実は、日本もそうだったというだけの話です。
■自由報道協会は「反原発」?
――著書にも書かれていますが、原発容認の人があまり会見に出てきてくれない。自由報道協会の会見が、反原発の方が多いように見えてしまっている。上杉さんもそうなんじゃないかと皆さんそう思っている。だけど、上杉さんは原発の容認派だという。これを知らない方は結構多い。
上杉:それは、みんな知りたくないからでしょう。それを知ってしまうと、自分たちの反論が成立しなくなる。非常に幼稚なんです。世の中は多様性があって、価値観がそれぞれのテーマ・イシューによって違うということが、先進国の中で日本だけできていない。
ヨーロッパなら、2月に行ったルクセンブルクの欧州会議。欧州委員会とフランス原子力規制局ですね。あの会議は、6割くらい原発賛成なんです。いろんな意見があります。賛成の中も多様で、単純に2つに分かれているわけではない。いろんな中間派もあって、その中で意見を挙げて共通点を探します。共通の意見は、「除染は人類には不可能だ」と。それから「子供は比較的弱いから避難させよう」、そういう共通認識を図ります。
みんなそれぞれスタートは、「世の中は違う人間でできている。それぞれが違うんだけれど、その中の同じものを探していきましょう」というものです。もちろん合意できない人もいますから、そこから漏れる人もいます。むしろ合意して全会一致は異常だ、全世界このサイクルです。日本だけ「すべてはひとつが正しい」と。神みたいなことです。神の国ですよね(苦笑)。
――二元論にすぐ持ち込んでしまう。
上杉:今回はまだ二元論だったからいいです。記者クラブ以外は正しくない、という絶対主義ですからね。だから、(自由報道協会会見の)実績を見てもらっても原発賛成は少ない。そういうふうに言っていますが、僕は少ないどころか、逆に多いと思っています。
(会見実績リストを見ながら)・・賛成、反対、この人も賛成でしょ・・・ほら。数えれば賛成の方が多いですよね。反対派が多い、というのはイメージなんです。ざっと見てもこんな感じです。ものすごいバイアスのかけ方をするんです。それは議論をしないから。ネットでもそうだけれども、イメージ作りをしてそこにみんなを乗っけてしまう。メディアの人たちがそうやるからです。
――「自由報道協会は反原発派の集まり」、みたいなイメージがあります。
上杉:単純に数えればいい。この作業すらやっていない。すごく幼稚な言論空間にいる、というのが前提なんです。あまりにも幼稚すぎて相手にするレベルにもなっていません。だけれども、日本人だしこの社会にいるわけですから、それをなんとかしなくちゃいけない。何が手っ取り早いかといえば、記者クラブというもの、システムが幼稚な言論空間を作り出している装置なんです。なのでその装置を破壊する。
ということで、3.11以降ここに注力しているのです。3.11前は記者クラブ賛成というか破壊とは言っていません。10年間ずっと、オープンにしてくださいと言っていただけ。あってもいいです。でも、記者クラブの人たちは知っているんです。知っているんだけれどもそうなると都合が悪いんです。
――上杉さんが敵じゃないと困る。
上杉:国民の知る権利、情報公開の見地から言えば相手側に利があるわけだから、システムの破壊者に仕立て上げる。3.11以降はそれを止めました。それは事実です。このシステムはダメだと。
僕にとっては記者クラブがあろうがなかろうが関係ない。ただ、日本の言論空間の健全化、民主化を担保するべき多様性からすると、「不健全なシステムだから、このシステムはなくした方がいい」というロジックの立て方です。そこに3.11が加わって、ほんとうに不要だと感じたのです。
――これはほんとひどい。
上杉:簡単に数えて7割くらいが賛成です。この検証をしないで言う。代表(上杉隆氏本人)は賛成ですからね。メンバーは、反対の人が多いんじゃないですかね。あ、今イメージで言ったからもしかしたら数えてみると違うかもしれない。
こうやってレッテルを貼り、ディベートをする能力も資格もないのが記者クラブなんです。砂の中に頭を突っ込んで、それを避ける。自分の都合の良いことだけ叫んで、ヤバイと思ったらまた突っ込む。この繰り返しをしているのが記者クラブというシステム、私が関わった12年間ですね。ほとほと呆れたというか、もう怒りなんかは無いです。10年以上前に消えています。
あとはこれをなんとかしなくちゃいけないなと思います。そこにいる記者個人個人は優秀だから、早くこのシステムを破壊することによって、解放すれば良い。emancipation(解放)と言っているのはオープン化の解放、記者クラブを解放すれば記者個人の自由な仕事ができる。
それが普通の世界基準だから、解き放つ方の解放ですね。それをするべきだ、私の狙いはそこです。「ジャーナリズム崩壊 」(幻冬舎新書)に4年前に書きました。それは今も変わっていません。
■40万におよぶ「癒着メモ」
――今回の本で驚いたのは、いわゆる懇談メモです。「あ、これを出しちゃうんだ」と。これも全部出して「こういう体制なんだ」ということを、見せて戦っていく。今回、これを公開に踏み切った理由というのはあったのでしょうか?
上杉:ジャーナリストって、外国向けにはやっているんです。英語の名刺には書いている。しかし、日本語の方はもう止めました。つまり、日本でのジャーナリスト活動は止めた。
なぜかというと、恥ずかしいというのと同時に、将来いろんなジャーナリストが出てきてこの時代を振り返った時に、「なんだこの新大本営は」となってしまう。これは先ほど名付けたんですが。
新大本営の発表に「何もできなかった」じゃないか、と言われることは歴史に裁かれる可能性が非常に高い。その時にジャーナリストと名乗るのは恥です。恥の文化である日本において、自分の良心が許さないわけです。加担することにつながるから。だから、やめようというのが去年の3月のことでした。
そして「やめるのなら、新しい言論空間を作ろう」と思ったのです。彼らを12年間待ったわけです。こちらからは、紳士的に開いてくださいと。いろんなアプローチをやったんだけれども、結局できなかった。
何万人もいるのに。誰一人やらなかったんです。「俺はやった」「俺は考えた」とみんないろいろ言い訳しますが、結局誰もやらなかった。自分たちは行動を起こさなかった。だったらあんたたちのやっていることはどういうことか、わからせてあげないといけないと思いました。
自由報道協会を作ったのはそういうことです。例えば、記者会見がおかしい。日本の記者はみんな幼稚だから、ほんとうの記者会見を知らない。外国でやっているように、アクセス権を公平にすると。自由報道協会で、「こういうやり方が本物ですよ。あなたたちがなんと言おうとこれが世界の標準です」というのをずっと提示してきたわけです。ところが、それでも気づかない。気づいているけれども、気づきたくないんでしょう。
だったらあなたたちがやっていることを、出してあげましょう。と言って、その時思ったのが、懇談メモなんです。全部出しちゃおうと。
ただ、ジャーナリストの間はこれを出すのはフェアじゃないと思って、出さなかった。「ジャーナリストをたたんでから、出しましょう。これを正しいというつもりはありません。皆さんでどうぞ判断してください。反論があるなら反論してください。訴えたいなら訴えてください。まあ訴えられないでしょう」と。武士の情けで記者の名前だけは伏せてあります。それはどうしてかというと、この他にまだ40万メモくらいありますよ。12年分。出したくないものがいっぱいあるんだと。
――早く気づいてほしい。
上杉:だから自分たちでやれと。12月に出してから、これはうがった見方かもしれませんが、自分たちで検証をやりだしたのかな。たとえば事務局長もそうだし。いろんな形で少し報道が自ら変わっているかもしれません。まだまだ甘い、100点満点からすると3点くらいですけれど(苦笑)。ただ、やっていなかった時よりも少し加速したのかな。要するにアイツに出される前に出した方がいいと。そういう意味で出した。「自分たちでやれ」と。出されるよりいいでしょと。これは相当インパクトがある。
おとといもそうですけれど、記者クラブでランチしているんです。フジと朝日と共同と読売の記者と毎月一回ずつランチをしています。もちろん上の方です。いろんな会が出てくるんです。危機感を持っていますね。TBSの局長の一個下のクラスもいます。
要するに、こんな感じでやっていると、絶対会っていないように思えるでしょ? ですが、ずっと普通に会っています。彼らこそ危機感を持っているから。なんとかしないとって。電通の人とかもずっと会っています。
先週、枝野幸男経済産業相と飯食って。ああいうふうにやっていても、元からの付き合いがあるからそういうもんなんです。競争でギャアギャア言っている人もいるけれど、もう本当にわかっていないなあと思う。わかっているあなたたちがやらないとダメですよ。ランチしながら、「いい加減にそろそろやらないとほんとうに潰れますよ」そういうことを言っています。向こうも危機感を持っているから、「どうすればいい?」って。
毎回同じことを言っている(苦笑)。12年間同じことを言っている。ほんとに12年前と同じ。朝日だったら秋山さん、局長の頃に、集まって電通の人を呼んでどうすればいいんだって。僕が「朝日ニュースター時代にレクチャーしたじゃないですか。なんでやっていないんだ」というと、「いやいや、これから、今やろうとしている。日経が先にやっている」と。12年前からおんなじことを言っているんです。
彼らが自分で動かさないと。外から言われても、変わらないんです。当たり前ですよね。プロ野球チームに対して評論家が外から言っても、結局は中の監督がやらないと変わらない。それと一緒で、記者クラブ問題というのは、記者たちの問題なんです。外の人間がいくら言っても変わらない。自分たちでやらなくちゃいけない。
そういう意味で、あなたたちのようにひどいことをやっている人間は、少しは考えた方がいいよ、と爆弾を落としたわけです。これは目的じゃなくて、あくまで手段として。核爆弾と一緒で、全部使うと終わってしまう。「これはまだジャブ程度」と言ったのは、そういう意味です。もっとひどいのがいっぱいある。
もしやるんだったら、それを爆発させないです。もっとすごいことを知っていますから。これが出たということは全員気づいているんです。「ボタンを押させるなよ。こっちも自爆するけどお前たちも一緒だぞ」と言っているんです。それにも関わらず、私たちの事情を知らない人たちが湧いてくる。
■メモの入手はどこから?
――メモの入手先というのは、貴重なソースという言い方をされています。おそらく議員秘書をやっていたこともあり、そういった頃の人脈かなと想像します。当然、話せない部分はあると思います。貴重なソースという部分をもう少し広げて、具体的にお話することはできるでしょうか?
上杉:狭めるんじゃなくて、広げるんですか(笑)?
――まったく想像がつかないんですね。想像はするのですが、記者クラブのメモがなぜ上杉さんのところに集まるのか。
上杉:これそのまま。(本の挿絵を見ながら)。これなんです。僕は官邸から取っているわけです。誰とは言わないけれど、どうしてここかと言うと、官邸にすべてのメモが上がってくるんですよ。
仲がいいから、NHKからとったり、朝日からとったとなると、最初の一個しか取れないわけです。メモが。ですが、これで全部取れますよね。全部持っているんですよ。全部持っているというのは、もちろん一個一個くださいなんてできませんよね。
なので、それを集約しているところからもらうしかない。それは官邸しかない、だからここです、と言っているんです。ただ、12年間もここからですというとわかってしまう。政権交代もあったし、「なんで政権交代があったのに?」となってしまう。
――残っている人が誰かわかってしまいますよね。
上杉: 12年前はパソコンなんてありませんでしたから。元々、こんなメモはネット上では取れなかった。じゃあなんで紙の時から持っているんだ。というのは、要するにこの辺りの人たちなんです。確かに秘書をやっていたことも大きいんですが、それだけではないです。どうしてかというのはソースに触れてしまうので。
いずれにせよ、結果としては官邸からです。政治部は政治部、経済部は経済部でまたあったりします。社会部も、実は警察を中心にこういうのがあったりします。全部ありますね。これはみんな知っているわけです。言わなくても。
でも一般の人はこれを見て驚愕しているんです。「そんな映画みたいなことがあるのか」って。中にいた人は、日常化して当たり前なんです。僕も実は当たり前だと思っていたから、12年間持っていたけれども、武器として使う感覚はなかったんです。
ところが、烏賀陽弘道さんと畠山理仁さんと小川裕夫さん、岩上安身さんと「自由すぎる報道協会」というユニットをやりました。そこで、烏賀陽さんが「それすごいね!」って。僕からすると、「え? なんで?」みたいな。その時、それがすごいんだと自分でも初めて認識したんです。
「じゃあちゃんと中身を見てみよう」と言って自分で見たら、一日150枚か200枚くらい。A4で。今までどうでもいいと思っていたから、ちゃんと見ていなかったんですね。確かにすごいことも書いてあるんです。
確かにクズなことも書いています。知らない人からすれば、中身よりこのシステム自体が驚愕なんだと。それはそうだな。これは官僚にずっと渡っているから。「官僚はやりたい放題じゃないか、これが官僚主義の最強の武器なんだ」って気づいたんです。
だから記者クラブシステムが無ければ、こんな情報は上がらない。このシステムを作ったのが、記者クラブの問題なんです。
■AKB48高橋みなみの母、逮捕報道の自粛
――クラブがあってこのシステムもあって、マスコミ報道は横並びです。最近似たような事象で、AKB48高橋みなみさんのお母さんが逮捕された事件がありましたね。テレビで報じたのは上杉さんがレギュラーの北海道のU型テレビだけ。クラブが無くても、横並びでやってしまう。スポンサーがあろうとなかろうと、自主規制してしまうものなのでしょうか。
上杉:自主規制という内部圧力、コンプライアンスという内部圧力。それも圧力と言っていいと思います。だって空気ですから。勝手に作り出しているんですよ。勝手に作ってくれと(苦笑)。
それを打ち破るのは自分でしかできないんです。お手伝いする作業はいろんなところでやってきています。手を変え品を変え。そういう意味では、今回具体的に圧力がかかったのは、震災前だけですよね。
震災の3.11以降は無い、すべて自主規制です。TBSもそうだし。津田大介も昨日メールをくれて、俺は自由に喋っているよって。「いやいや、お前何言っているんだ、それは3.11以降だろ」って。3.11以降、最初は厳しかったけれど、途中から(東電の批判も)喋っている。横並びに。もちろん逆の横並びですよ。
――「あそこが攻撃しはじめたから、ウチも」という。
上杉:工程表の時はそうでもなかったですかね。田中真紀子の時もずっとそう思っていました。もう10何年前ですけれど。みんな番組が同じように自主規制で。で、僕のコメントを無くして脅してやって。5月に秘書官と事故だのなんだのあってからは、手のひらを返して。
そういうのがアンフェアだ、とずっと言っているんです。そういう反吐が出る行為というのが繰り返されています。ウチとしてはまたかという感覚なんですね。田中真紀子のみならず、石原慎太郎もそうだったし。あとはNHKの海老沢さんもそうだった。
ところが最初にやった人に関しては、自分たちがやったって、相手に手柄を与えるようなことはしないから、デマ・嘘つきのままにしておくんです。あるいは適当だとかインチキだとか。
ジャニーズだって、ニューヨーク・タイムズと東スポと週刊文春しかやっていなかった。そのうちの一つなんですが、ニューヨーク・タイムズに出会って、あの時はニューヨーク・タイムズがこうだって言っていた。ジャニーズを三回も記事にしているのに、他はゼロ。
本当にひどい国だなというか、ひどいメディアを持った国。最低レベルでしょう。その最低レベルを潰しても仕方ないんです。最低のものを潰しても、最低のままだから。だから少しでも世界標準に近づこうと思って、自由報道協会を作ったんです。
世界ではこれは認められるけれども、社団法人なり公益法人申請をして。ヨーロッパでも。日本ではカス扱いですからね。この辺が限界でしょう。
■どうしてこうなった「自由報道協会アワード」
――BLOGOSも自由報道協会の会見に出席しています。上杉さんのやっていることはわかりやすくて、公平でオープンにやってもらっています。ただ、一つだけ。アワード(自由報道協会賞)があの形になったのはなぜなのでしょう?
上杉:素晴らしい質問ですね。炎上ビジネスとして。ウチに入会してください(笑)。入会金じゃなくて、会費が足りないんです。明日総会なんですね。アワードは単純に理事会でも説明して、内部の人間は知っています。メール行ってませんか?
――小沢さんが賞を取ったというのもあるのですが、ディレクター目線としては、司会の吉田照美さんが賞を受けたりとか、山本太郎さんの出方とかがなんであんな感じだったのか、理解できないんです。
上杉:あ、会員に入っていないんですね? 会員に入っている人はみんな知っています。よろしければ、メーリングリストに議事録を起こしてその後会議して、検証委員会をやっています。入ってくれるとわかります。見てもらうのが一番なんですが、単純に言うと膨大な量だし是非会員になってください。推薦人が二人必要ですが、どっちでもいいです。個人資格だから。あとはそのままそれを見れば過去のも見られるので。どういう話が行われていたかも。
自由報道協会賞、元々予定は3月26日でした。どうしてかというと、鳩山由紀夫さんが2009年に総理官邸の会見を開けた日なんです。一回目の総会もそこにやる予定だったんです。
二回目もそうだった。総会の時にアワードをやるんですね、一周年とかではなく。それは決まっていました。会員に、発起人の一人である日隅一雄さんがいます。12月の頭くらいに、おしどりマコさんが実は彼女が医学部ということもあって、こっそりカルテを盗み見て彼が癌だって気づいた。
日隅さん本人が知る前に、ドイツ語のカルテを見て。それを見て「あっ、どうしよう」と思った。マコさんは日隅に「家族はいるの?」という話をして「いない」とわかったので、これは言った方がいいとなった。で、医者に言って、告知させた。
その時で余命6ヶ月。だからマコさんがずっと見ていたわけです、経過も含めて。ところが12月の頭にいきなり、「上杉さんマズい。もう厳しい」と。12月に、本人が言っていたよりもほんとうにやばくなった。落ち込んでしまったのもあって。
自分には何も残っていない。東電の会見に一緒に出ていた立場からしても、本当にひどい。マスコミは。3月4月も含めて、自分はもうどうでもいい。会見の記事に日隅さん木野さんの名前を一文字でも書いてくれとずっと頼んでいたんです。
新聞記者の友人とかに。一文字でいいから使ってくれと。彼らがやって初めて工程表も出てきた。一言でいいんです。フリーランスって書くんじゃなくて、一言、木野さんじゃなくても日隅さんとでもいいから書いてくれと。
それくらいいいじゃない、って言っても「無理です」と。テレビだったら言えよって。私たちの質問で、とか言わなくていいから、コメンテーターに言わしてくれと。だけど結局。一言も言わなかったです。あまりにもアンフェアだなと。まあいつものことですが。
僕のことを言ってくれとは一言も言っていないです。これはどうにもならないなと。だから、岩波の方から行ったんです。本は時間がかかるから。とりあえず幻冬舎に頼んで、日隅さんと木野さんの対談をお願いします。で、岩波が先に出ました。そういう準備をしていましたが、まだ間に合わないと。
そこで「そうだ、アワードを前倒ししてやればいい」と。それで日隅さんをタクシーに乗せて、「1月にアワードをやろうと思っている」と言いました。まだその時は何も決まっていませんでしたが、「申し訳ないんですが、名前を貸してもらえませんか?」と。「実はアワードは定款に入っているんで、正式にやらなくちゃいけない。自由報道協会賞じゃなくて、たとえば、新聞協会賞とかピューリッツァー賞もそうだけれど、象徴となるような名前がほしい。日隅さんは命をかけて今回の情報に対して言ったということで、是非お名前を借りたいのですが」と。
そう言うと、絶句されたんです。嫌なのかなって思ったら、「そんなことまでしてもらっていいんですか。飛び上がりたいくらい嬉しいです」と。その後タクシーを降りて、すぐに緊急理事会を開いて。理事と事務局にそうしたいと伝えた。
みんなが「えっ!」ってなったのは、1月27日だと準備できないですよって。だから、「とにかくやるんだ」と。民主独裁です(笑)。私一人でやる。関わった人は賞が取れないから。僕一人で。で、インターンを全員呼び戻した。バイトも含めて。
彼らに近況を伝えて、「実はこういうことだから。10人くらい集めて協力してくれ。バイト代は払うから。インターンには頑張ってくれ」と言って始まったんです。それで一ヶ月くらいで準備してもらって。
僕はピューリッツァーとかの選考過程とかをホームページに行って取ってきて、全部訳して。いろいろやりました。でもやっぱり限界があって、途中から事務局の畠山さんと島田さんと村上さんに電話して、「悪いけど間に合わない。この場に来て申し訳ないけれど、受賞を辞退してくれないか。ノミネートを」と。それで、辞退してもらって、堤さんも辞退。調書を出した木野さんも辞退。烏賀陽さんも。で、この辞退した人間で事務局を作って、やろう。
そのかわり他は一切タッチできない。タッチしちゃうとフェアじゃないから。で、やったんです。その中でプレゼンテーターとかも決めていきました。その中で結果として内輪になったのは、すべてをオープンにやりましょうと。ノミネートもオープン、選考過程も投票もオープン。で、システムを作ってもらった。システム担当に、徹夜して作ってもらって。投票してもらって。パソコンの複数票はどうする?それはもう仕方ない。
岩上さんが組織票を入れるかもしれない。それも仕方ない。一回やって検証委員会を立ち上げて、一年かけて良くしていこう。一回目はとりあえずやろう。間に合わない。で、日隅さんに決まりましたと。
「1月27日、プレゼンテーターで来てもらえますか?」と。「絶対来てくださいね、写真(遺影での参加)は無しですからね」と言った。それが日付の早まった理由です。結果、賞に関してはまったくタッチしていないんです。逆に、インチキしないようにやった。個人的にはNHKの科学文化部とかTwitterとか官邸災害とか、それから朝日とかTBSの記者とか。正直、そこに取ってほしかった。個人的には。それだとフェアじゃないですか。見え方としても。
だけれども、そこはいじれないわけです。一回作ったルールを変えることになりますから。内心そう思いながら、ノミネートを見ながら「自分で入れたいな」というのはありました(笑)。ただそこの部分は、業界賞を一個だけ別に作って、そこでやろうと。そこもフェアにしないといけないので、どうやって選考しようか。それをオープンにするために議事録に残すんですね。
結果どうなったかというと、個人的には違うなと思う所もありましたが、IWJがダブル受賞。ニコニコ生放送があって。2位が次点でNHKの科学文化部が入っていましたかね? 個人的にはそれがよかったんですが。今やっている最中ですが、2回目3回目で変えていこうと。
■小沢一郎氏受賞騒動は「判断ミス」
上杉:小沢さんに関しては、単純に私の判断ミスです。それは最後の方で記者会見賞を作ろうと。記者会見をやっているからこそ存続している。「この中で一番良い記者会見をした人への賞にしよう」、と思ったんです。そうすると、それを投票行為にするには趣旨が違うんじゃないかって。と、同時にどうしようかと。単純に無料で来てもらっているから、足を運んでもらった回数で決めよう、記者会見最多賞という。
だけど最多賞というと、賞を与える必要がないんじゃないかと思って、会見賞にしましょうと。事務所の方に、これは自動的に受賞ですから、先に連絡して、来てもらえますか? と。それは政治家とか関係ありません。ピューリッツァー賞も政治家が取ったりしているし。政治家だからというけれど、自由報道協会は自由な言論のためだから、関係ないんです。
だから、山本太郎だって取れる。さらに新聞の記者でもとれるし、全員にチャンスがある。いいかなと思ったけれど内部から批判が来たので、すぐ緊急会見を開きました。やっている最中に。
選考過程が忙しくて、みんな一週間徹夜とかなんです。ヘトヘトなんだけれどもしょうがない。じゃあわかった。これは検証にしよう。賞は止めましょう。元々一周年の式典とついでに賞と。一番呼んでくれたのでありがとうございますと。
別に小沢一郎じゃなくて、町山さんだって票が多ければ大歓迎です。誰がというわけではなくて。それは普通にやるべきだと思います。だって、BLOGOS賞だって政治家が受賞していますからね。普通にそれでいきましょうと。それで納得しない人は納得しないでしょうから、それを理由にやめた人はゼロです。賞を辞退したひとは一人いましたが。高田(昌幸)さん。辞退を取り消してもらえますか? と電話したんです。
もう言った以上は、取り消すのもアレだから。高田さんがおっしゃることは無くなりましたよ。それは自由なのでどうぞ。こっちは困らないから。で、辞退された。
あと協会内ではそれについて批判はあったけれども、それについての批判は「どうぞみなさんの言うとおりにしました。」申し訳ございません、失礼しました。と一件落着でした。外の人はいろいろ言いますが、内部からは以上ですね。
――江川(紹子)さんはどのタイミングでお辞めになったのでしょうか?
上杉:その前ですね。江川さんは違うと思う。後づけですから。これは調べてもらえばわかります。江川さんは別件で、退会届を出したんです。その後に小沢問題があったんです。だからあの人は言わないでしょ? ちゃんとしたことを言わないでしょ?
普通だったら言うんです。それはちょっとずるいと思います。ちゃんと言った方がいいと思いますよ。ジャーナリストとして。イメージとしてそこに乗っかる。後から小沢にあげるのはおかしいと言ってる。
江川さんの退会届が出た時刻と、あきらかに違いますよねと。僕はそれをどっかに、確かJ-castかな。に書いたんです。すぐ抗議しろ、違うと。それは江川さんには恨みはないけれど、実は違う。あとは誰がどう賞を取るとか、関係ないので。協会では説明しました。違いますと。あとはその内容は江川さんご自身がどうして辞めたかというのは、説明すればいいんじゃないですか?
協会は入退会自由、理由も問わないので。だから辞めたことに関して、こっちからは言わないです。江川さんが言いたければ言えばいい。そこで誤解されても別に構わないです。ただ、違うと思ったことだけは明確に言います。江川さんの退会理由はまったく関係ありませんと。
■ミドルメディア「NO BORDER」とは?
――最後に、上杉さんがこの記者クラブに代わる、ミドルメディアをご自身でやろうとしている。どんなことをメディアでやっていこうと考えているのかお聞かせください。
上杉:世界中では基本的に、「通信と放送の融合」という言葉がありますよね。どの国でも放送は大きくて、通信は小さかったんです。それは当たり前ですよね。それが言われてから、ここ15年くらいですか。
地デジのこともそうだけれど、その時の通信分野について。その頃、森総理はITを「イット」と読んで。あの頃から言われていたんです。15年間経って、世界中のメディア言論関係はもうすでに融合しちゃって終わったんです。だから、日本以外に「通信と放送の融合」という言葉が残っている国は無いんです。当たり前ですよね。もう終わっているから。ラジオとテレビの共存なんて、どこも言っていないですよ。
これは日本だけが、記者クラブとクロスオーナーシップで放送権・帯域・再販とかいろんな理由があって、残っています。不健全なわけです。しょせんテレビはツールなわけですから。ネットだってそうです。
ツールを賢く使えばいいんです。「このツールは正しい、このツールは正しくない」ってやることは意味がない。最初に言ったように、幼稚なんです。テレビは所詮ツールです、道具ですから。道具が正しいなんてことはない。あるいは「インターネットに嘘が多い」のではなくて、インターネットはツールだから。それを嘘が多いと言うのは議論の立て方が話になっていない。
バカなの?って全員に対して思うわけです。それをパワーエリート層が言っているなんて終わっている国だなあって。テレビって意志は持っていないでしょって。日本は不健全に2つがわかれている。
わかりやすく言うとテレビと通信ですよ。これが、融合されれば、価値観が多様になるわけです。それはできないというのは、ずっと不健全で、記者クラブを解放すれば解き放たれて融合すると言い続けてきました。
でもできないなって。それはどうしてかというと、ある意味マイクロメディアの象徴ですよね。ライブドアさんとかもニコニコさんもいるし。インターネットメディアの緩い集合体の場なわけです。
最初はそういうのを求めた場を作りたいと。換言すると、日本におけるマイクロメディアの場なんです。雑誌も入っているし。海外メディアも入っているし。この場とマスという日本で一億くらいあるマスメディア、言論世論を作っている。メディアをくっつけるためにはどうしたらいいかというと、歩み寄ればいい。
ところが記者クラブはずっと排除しているわけです。ご存知のように。私たちには関係ないって。じゃあそういう場を作ってマイクロメディアをやるんです。まさにガンジー方式です。非暴力主義。
だから、ここには全員入れるわけです。読売も産経新聞もチャンネル桜も来ている。みんな全員入れます。それはNHKも。私たちが手を差し伸べたんです。どうぞどうぞと。こうやって協力してより良い言論空間を作りましょう。
一年間言い続けました。去年だけで60回以上会見をやって。小沢一郎の会見だって全部入れて、質問も自由です。でもこれは珍しいと思います。世界の他の国々で、通信と放送が融合した時は、大手が食ったり、襲ったり、手を差し伸べたり、吸収したりということで引き抜いたりして、融合した。大きい方から小さい方へ向けてね。
日本だけは小さい方から大きい方へ手を出した。大きい方は何をしたかというと、まずは拒否した。あんなのはデタラメだと。つまり怖いんです。利が無いから恐怖なんです。最初の僕の講義と一緒なんです。
それはどうしたものかなと思ったのですが、そしたらミドルメディアという概念が。日本では藤代(裕之)さんが作ったと言っているけれども、ちょっと違うと思う。分断されている時代に、ミドルメディア的なものが立ち上がりつつある。だから藤代さんのイメージがある。
まあそれはよいとして。ミドルメディアだなと。世界では遅いけれど。実際は単純なんです。普通は、小さい方からはいかない。大きい方からなんです。僕は少なくとも最初からずっとマスメディアにいた人間ですから。
途中から記者クラブ批判をしてマイクロメディアに移ったんです。いいか悪いかは別として、マイクロメディアというか反記者クラブとしての象徴的な人物になっちゃった。結果として。一番の敵、親玉なんです。
でも、こっちが急に一緒にやりましょうと言ったらどうなるんだろうと思ったんです。メディアの中心に直接行かなくても、ここに来ている人が増えています。3.11以降。
「もう耐えられない」って言って。この人たちは海外に行ったりしています。ネットだったりニコニコにも行ったり。この人たちの場が無い。でも優秀な人たちなんです。既存のシステムに対してNOというから。
これも加速度的に増えているんで、友達もいっぱいいます。NHKにも4人くらいいるのですが。テレ朝もいるし、朝日もいるし、そういうのが集まれる場を作れないかなって。これらは大手じゃないですか。そしたらここを開けることによってこっちも入りやすいんです。
マイクロメディアは小さい方だから拒否しない限りは勝手に来てくれるんです。広告代理店とか放送局の人たちに声をかけて。システムを作っている最中なんです。850万円くらい使っているんだけれど。
それを、場を作って、スタートすればこっちのマイクロな人たちは、自動的に来ます。拒否しない限り。大手の人たちも場があれば安心する。僕が代表になるとあの野郎って思われるから、消しちゃう。そうすれば来やすくなる。
――それはネットメディアの記事投稿の場ですか?
上杉:いろんなイメージがあります。いろんな人たちがいていろんなものがある場ですね。要するにメディアグループみたいな感じです。小さな有料化のアプリのサイトを作ったり、メルマガ的なやつを作ってみたり、あるいはハフィントン・ポストみたいなやつとか。ポリティコとか。いろんなイメージをやってどんどんやってみようと。
その中でコンテンツはそういうものの組み合わせで、自由報道協会にいる人たちには誰にも声を掛けていないし、言っていなかったんです。だからみんなショックを受けているんです。それは、全員書き手の誰にも言っていないんです。
書き手として可能性のある人に声を掛けているのは、ニューヨーク・タイムズの元ボスとか。BBCの外国人記者とか。アルジャジーラの記者とか。あとはFCCJ(外国特派員協会)にいる何人か。
そういう海外の記者にまず声を掛けています。その記者たちに声をかけているからNoBorderなんです。翻訳できるやつも呼んでね。彼らを中心に考えています。日本人だけれども海外メディアに在籍したことがある人。
そういう人なら詳しい説明がいらないので。バイネームで声を掛けて。他はもう声を掛けません。世界標準はこれだ。これが実は新聞なんです。こういうような形でやります。3.11に立ち上がるというかシステムはできるけれども、そこからスタートなので、6月11日とかちょっと時間が掛かると思います。ちゃんと起動するまでに。
パイロット版的に動かしていって、いろんな人を呼び込んで。マイクロメディアの方からやってきたんだけれども、一年間でここまでやってきたというのはすごくできていると思います。これだけ悪名高く、マスメディアからも叩かれているし。
何も怖くなければ、無視すればいいですから。やはりいろいろ注目されていることなんで。ジャーナリストは批判に慣れていないから、その度に右往左往します。小沢問題でも、会議をやるとみんな深刻な顔して、もう(自由報道協会は)終わりですって。「ラッキー、炎上ビジネスだよ」って言ったら、誰もウケない。「こんなの大したこと無い」って言っているのに。いいじゃん仮につぶれても。誰も死にはしないんだからって。安心しろって。
――3.11にシステムとして立ち上がったものがどんどん出来ていくと
上杉:そうですね。そこからプロジェクトで小さいものをパイロット版的にやっていく。それが形になったとしても大きくなるわけでなく、一形態なんです。それこそ唯一のプログラムみたいなものです。Powered By No Border にする。津田大介の新しいメディアとも、連携できるかもしれないしね。記事の交換とか。あとはあずまん(東浩紀)の思想地図βとも連携できるかもしれない。
――ニコニコ動画さんとは?
上杉:ニコニコ動画は、すでにマスになっちゃったと思っています。川上量生会長とも話したんだけれど、向かう方向が明確に違う。電通やNHKにいた人間が入ってきていますから。そうすると記者クラブ的な考えで進んでしまう。そういうことを責める必要は無いと思います。そういう方針なだけでしょうから。ニコニコは、ミドルメディアをやるのかなと思っていたんです。あ、マスだなって。それは明確に違う。
そこは連携というか否定する必要なく、一緒にやればいい。ニコニコさんのおかげで助かっていることもいっぱいありますので。会見場とかUstreamもそうですけれど。そういう意味でネットメディアは相対的に弱いので、みんなで力を合わせて。その先で競争すればいい。その黎明期に戦う必要はない。一緒にやれるところは一緒にやる。あとはライブドアじゃないけれど、堀江貴文も二年後に出てくれば、この流れの中で一緒にやれるだろうし。
講談社のWeb現代とも連携できるんじゃないかと思います。連携できないところはないと思います。お互い囲い込みする必要は無いので。ネットメディアの良いところはカッコつける必要がないところです。ネットメディアはシェアができるので。書き手にとってもWin-winですよね。同じものを二回使えたらラッキーだし。
――ありがとうございました。