2012年01月16日
古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント
―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部)
「3.11で社会は変わった」という言説に根本的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「本当に震災後に日本社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか―。(東京堂書店HPより)
■ジャーナリズムとアカデミズムの間
小熊 ご新著の『絶望の国の幸福な若者たち』を拝読しました。いろいろ欠点はありますが、ある意味歴史に残る本かもしれないと思いました。
これは必ずしもいい意味ばかりではない。たとえば、1979年に発刊された『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著)は、あの時期の日本の気分をよく表したタイトルで有名になりましたが、そういう意味で名前が残るかもしれないと思います。過去の若者論の系譜を踏まえながら、現在の日本の若者が置かれている状況の統計的研究もフォローし、格差や年金財政の問題もおさえたうえで論じているわけですけれども、全体的には、若者は絶望的な状況にありながらおおむね幸福である、と捉えていますね。
古市 状況認識としてはそうですね。日本社会全体に関しては多額の財政赤字、少子化による現役世代の減少と、高齢化による社会保障費の増大、廃炉もままならない原発など、まさに題名の通り「絶望」的ともいえる状況です。しかし、20代における生活満足度の推移、幸福度の推移を追ってみると、彼らの満足度や幸福度がこの数十年で最高水準であることがわかります。
また、意識ではなく客観的な水準で考えても、現代の若者は少なくとも物質的には「幸福」であるといえると思います。先行世代が残した社会的なインフラもある。本のなかでも書きましたが、そこまでお金をかけなくても、そこそこ楽しい暮らしができてしまう。さらに親世代がまだ元気だから、金銭面や住居面を含めて様々なサポートを受けることができる。そのような意味を込めて「絶望」の国なのだけれども、「幸福」な若者たちである、という題名の本になりました。
小熊 しかし前著の『希望難民ご一行様』より、新著は劣っていると思いました。前著は、ピースボートのスタッフ側の視点が欠けているとは思いましたが、一つの社会をよく描いていると思いました。たとえばピースボートに乗る人には30前後の看護師が多いという調査結果がありましたね。看護師というのは、お金がある程度作れて、腕一本で渡っていけて、真面目な人が多くて、次の職場に行く前に乗船の時間が空けられるという人です。そういう女性たちが、ここで人生の転機をちょっとはかりたいということでピースボートに乗るのでしょう。この人たちの労働状況とメンタリティをよく表しています。
それに比べると、今回の本は調査がとても粗い。2、3人街頭で捕まえて聞いただけみたいなものが多いですし、あなたが自分の持っている憶測や仮説を当てはめて全体を作ったように感じます。調査というのはちゃんとやれば自分の仮説が打ち崩されるものなんですけれども、安全な範囲で聞いているなという印象を持ってしまいました。
ただ、たぶんこれが今の日本社会の気分なのだろうな、というものを捉えているとは思います。その点は、あなたの優れた勘を示しているし、その意味で歴史的な本になるかもしれないと思いました。
古市 2、3人よりは多いと思いますが、そこにサンプル・バイアスという問題があるのはご指摘頂いた通りだと思います。
『希望難民ご一行様』はもともと修士論文として書いた論文です。だからはじめから研修者目線で、何かの規範的な命題を打ち出すためというよりは、先にフィールドワークのデータがあって、そのなかからどのように論文を組み立てられるかを考えて書いたものです。自分がピースボートのなかで見てきたものや、アンケートの結果からどのような分析を導き出せるかを試行錯誤するという作業です。もともとが学術論文であるため、仮説があり、検証部があり、結論があるといういわゆる「論文」としても読めるような内容になっていたと思います。
一方で、『絶望の国の幸福な若者たち』は、はじめから「若者」について書きたいという動機があった一冊です。今僕は26歳なんですけれども、自分が若者であるうちに、若者として、若者というものを描いてみたいなという想いがありました。学術書とエッセイ、ジャーナリズムとアカデミズムの真ん中を目指した本です。自分の「感覚」というものをそのまま織り込んでしまったのも事実だと思います。
「こう思っている」とか、「こんな感じではないか」とか、論証しきれていない部分も多い。そして仮にも社会学者を名乗るならば、サンプル・バイアスがかからざるをえないワールドカップ時の街頭調査なんてやらないほうがいいのかも知れない。だけど、そういうスケッチも含めて2010年代の若者のリアリティを残しておきたいという気持ちがありました。ワールドカップのあの雰囲気を切り取るには、他に方法が思いつきませんでした。小熊さんにおっしゃって頂いた「日本社会の気分」を切り取っておきたかったんです。
小熊 別に学術書らしくないから不満だというのではなくて、著者が自分のなかに予めある見解をそのまま出しましたという本は、好きじゃないんですね。その作品を作る過程で著者自身が変化していったり、化学反応を起こしているものが好きです。そういう化学反応がない人は、何を書いてもみんな同じになってしまう。
あなたが今、日本で若者と分類されるぐらいの年齢で、ある種記念写真的に書いておきたかったというのであれば、それはそれでいいと思います。たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。
古市 そうですね。親も元気だし仕事もある。そんなに毎日の生活に不満はない。だけど、そのリアリティが「自分だけ」のリアリティとは思いません。この5年間ぐらい、世の中には不幸な若者論―非正規雇用者がこれだけ多くて若年層はこれだけ貧困な状況に置かれていて、若者はなんて可哀想なんだ―という議論が世の中を賑わせてきました。しかし、それも一つのリアリティなんだけれども、「幸せな若者がいる」というリアリティも確かにある。親の経済状況や大学進学率を考えると、それは決してマイノリティとはいえない。もちろんどっちが正しい、間違っているというわけではなくて、それを示すこと自体が、論争なり話し合うきっかけにするために必要なことだと思ったんです。だから「著者自身の変化」や「化学反応」というものは、むしろ本を出版したあとに色々と経験しました。
■現在の若者が置かれている状況
小熊 つぎに今の日本の若者の状況を考えましょう。前提の一つは、ポスト工業化社会への移行です。情報技術の進歩で選択肢や柔軟性が高まり、長期雇用が短期雇用に切り替わり、非正規雇用が増えて雇用の不安定性が高まる社会ですね。ニューエコノミーともいわれますが、そうなると自分の選択可能性も広がるんだけれども、相手から選択される可能性も増える。たとえば面接にたくさんアプライしなければいけなくなるし、自分が選ばれない可能性も増えます。
結婚相談の仕事をしている方が出した本の中に、女性は「普通の人」を求めているということが書かれていました。しかし、普通の人というのは、容姿が普通(1/2)×性格が普通(1/2)×収入が普通(1/2)×趣味(1/2)……とやっていくと、0.数パーセントしかいないんですね。選択可能性が広がってくるというのはそういうことです。
また、今の日本の状況としてもう一つよくいわれるのが、企業と学校があまりにも強固な場として機能してきたから、そこから外れてしまうと承認される場がなくなってしまうということです。高卒で非正規になってしまうと、もう「居場所」がなくなってしまう。さらに、新卒一括採用が中心なので一度こぼれてしまうと敗者復活ができない。
古市 まさに『希望難民ご一行様』の主題がそういった問題系でした。
小熊 そうした日本の状況のなかで、承認を求めるために、いろんな場所に集まってくる若者たちの気分を、あなたは描いていますね。
■タイで「ユニクロ」「東芝」はステータス
小熊 またあの本には、「安く物が買える」ということが、若者が幸せを感じられる根拠の一つであると書かれていました。私はやはりそうなんだと思うとともに、もう少し全体状況のなかで位置づける必要があると思いました。
たとえば服を安く買えるというのはどういうことか。先月、タイに行ってバンコクのユニクロや伊勢丹を見てきました。ユニクロではTシャツが299バーツで、1バーツが2.5円ぐらいですからだいたい800円くらい。日本とたいして変わらないんですね。
古市 タイの人々からすれば、安くないということですね。
小熊 それはどういうことかというと、ユニクロの製品はカンボジア製だったりして、日本で売っているのもタイで売っているのも同じものなんですよ。
古市 輸送コストが同じということですか。
小熊 輸送コストは多少違うかもしれませんが、基本的には同じ工場で作っていて、労働賃金が同じなんです。バンコクでは電気製品も東京と値段がほとんど変わりません。たとえば東芝の電気製品はベトナム製です。日本の感覚では安いんだけど、タイの感覚ではそんなに安くない。タイの人たちにとってみると、ユニクロの服や東芝の電気製品は、ステータスシンボルなんですね。
私が現地の講演で、日本の貧困層というのは一見貧乏に見えませんという話をしました。なぜならユニクロの服と東芝の電気製品は持っているからです。時給700円で月200時間労働すれば、200時間働くのはけっこう大変ですが、14、15万稼ぐ。家賃に7、8万払うとしても、カンボジア製の服とベトナム製の電気製品は買える。親の実家に住んでいればもっと余裕があるし、古着で買えばもっと安いです。私の今日の洋服は下北沢で700円で買いました。全身、たぶん2000円か3000円で済んでます。
古市 いつも服は下北沢の古着屋ショップで買われるんですか?
小熊 あるいは、yahooオークションとかです。
古市 そうなんですか(笑)。今日の対談はそれをお聞きできただけでも価値があると思います。
■問題は30歳を過ぎてから
小熊 しかし、こういう若者は30歳を過ぎると苦しくなってきます。まず、可処分所得の半分ぐらいを家賃で費やしてしまう。親と同居だとしても、給料が上がる目処がないから家を買えない。結婚ができない。親元から出られない。子供が作れない。勢いで子供を作ったら、高等教育はできない。今の日本で子供を大学まで卒業させるには、だいたい一人3000万円。全部私立に行って私立の医科歯科大に進めば6000万円以上します。到底そんなことはできるはずはない。
なぜこうなるのかというと、説明は簡単です。工業製品は輸入できます。だからカンボジア製の服やベトナム製の電気製品は、日本のワーキングプアは買えるんです。ところが、土地は輸入できない。だから家賃は高いし家も高い。それから次に輸入できないのはサービスです。特に教育サービスは輸入できないから高いんです。
たとえばタイでラーメンを食べると50〜100円ぐらいですが、日本で食べれば500円です。原料代は似たようなものでも、日本人が作っているから高いんですね。タイで中国製のインスタントラーメンを買うと日本と同じ値段です。タイではベトナム製の電気製品を買って、カンボジア製のユニクロの服を買って、インスタントラーメンを食べているのは中産階級のシンボルなんです。
ところが日本のワーキングプアというのは、電気製品を買ってユニクロ着て、インスタントラーメン食べるしかないんです。でもそれは、タイの人から見ても、そしておそらく日本の年長者から見ても、一見豊かなんです。「貧乏だというけどきれいな服を着ているじゃないか」というわけです。だけど先の展望は全くない。この問題に気づくのはたぶん30歳を過ぎてからなんだろうなと思います。
古市 本の中で「貧困は未来の問題、承認は現在の問題」と書きましたが、20代ではそのようなことに気づきにくいということですね。30歳を超えて自分がそういう状況に置かれてはじめて気づく。
小熊 たとえば、95年ぐらいの漫画を見ると、この人たちはどう考えてもその後の展望がないなと思える職業の登場人物が出てきます。21、22歳ぐらいのフリーターでレジ打ちとか、それでフリーのカメラマンもやっているとか。しかし、非常に今を楽しんでいて、将来もなんとかなるだろうと思っている。
95年ぐらいの時点では、まだ非正規雇用の激増がはじまったばかりで、その人たちが先行きどうなるかというのは社会全体でもわからなかった。でも、さすがに今は、若いときに非正規になるとその先がないという不安を、みんな薄々感じはじめている。だから大学生を見ていても就職活動にものすごく熱心です。しかし、そこのルートに入れなかった人も、とりあえず服は買えるし、電気製品は買えるし、ネットはやれるし、20代のうちは「とりあえず幸せ」と思っているかもしれません。
古市 しかも、一見そっちのほうが幸せそうに見えてしまうんですね。
小熊 そうですね。その状態が発展途上国の人たちや、日本の年長者から見ると豊かに映るということもわかっているから、それで豊かだと思ってしまう。しかしみんな、それが先進国型の貧困形態だということが、まだよくわかっていないと思います。たぶん、あと10年ぐらいしたら、それは貧困生活なんだということを、20代が前提にする時代がくると思いますね。
■ヨーロッパ型の労働モデル
古市 20代の若者が、フリーター的な生き方を30、40代まで続けていくというモデルはありえないと思いますか。
小熊 現状の日本の制度ではありえないですね。あなたがいう「フリーター的な生き方」というのが、「とりあえず幸せ」をずっと続けられるという意味なら。
古市 ヨーロッパでは、20、30代前半ぐらいまではフリーター型で生きてく若者が多いという前提で、労働市場と教育機関の往復が可能な仕組みを持つ国が多いですよね。ニューエコノミー的な労働の流動化を前提として、いろんなセーフティーネットがこの20年間で張り巡らされてきました。
小熊 そういわれますね。
古市 スペインは2010年10月段階の調査で25歳以下の失業率が48パーセントといいます。一方で日本では若年失業率が10パーセント以下です。この数字だけを見て、ヨーロッパはすごく失業率が高いのに、日本はすごく低い、なんていい国なんだと単純な紹介がされがちですが、実はヨーロッパではセーフティーネットがあまりにも充実しているからこそ、若い人は働く必要がないという状況があります。無理して働くくらいなら、政府から失業保険をもらったり、職業訓練を受けて、働かないほうがましだと思っている層が多数いる。今の日本は、このようなヨーロッパ型の労働市場へ移行する過渡期といえるのでしょうか。
小熊 過渡期なのかどうかはわからないですが、まずあなたもご存知の通り、雇用慣行が変わらなければだめです。新卒一括採用が中心で、フリーター経験のある人間を雇いたいという企業は1.3パーセントという状況が変わらなければね。それから、日本のセーフティーネットをこれから整えるかどうかということになってくると、財政は苦しいから難しいところです。
日本のフリーター層は、大卒や大学院卒もいますが、やはり高卒が多くて、高校卒業のときに正規雇用ルートに入っていけなかった人たちです。90年代に高卒労働市場は1/5くらいに減ってしまった。昔だったら高校から工場に一括採用してもらえたようなルートが崩壊し、高校を卒業してフリーターになるしかなかったような人たちがたくさんいます。いったんそのルートに入ってしまうと、現在では将来のモデルはほとんどありません。
日本で若年失業率が、ヨーロッパのようには上がらないのは、一つには働かざるをえないからです。つまり、敗者復活の機会がないからです。ヨーロッパなら、時給数百円の非正規雇用でずっと働くくらいなら、失業保険でしばらく耐えようとか、その間にもう一回学校に行ってキャリアアップして正規雇用に就こうと考えます。しかし日本ではそういうモデルが成り立っていない。学校に行きなおしたところで、新卒から漏れると正社員になれる目処がないから、時給800円でも働くしかない。
アメリカやヨーロッパだったら、展望もなしに非正規でずっと働く若者が少ないから、若年失業率が上がって移民が入るんです。ところが日本では、正規雇用のチャンスを永遠に失い続ける若者と、女性と子育てを終えた主婦が働くので、移民が必要ない。移民なみの条件で働く人たちがいるからです。
■高卒者の不遇
古市 非正規雇用の人は、本当に働く場所がないんでしょうか。たとえば過剰な大企業志向というのがよくいわれています。新卒一括採用にしても、大企業に入れる倍率を考えてみると、確かに学生2人に対して1人分しか席が用意されていない。一方で、中小企業であれば、学生1人を中小企業が4社以上で争っている状況です。マッチングがうまくいけば、一生フリーターはフリーターでいなきゃいけないという状況は、あまり想定できないのですが。
小熊 大卒に関していえば、あなたのおっしゃる通りです。でも大卒は半分強。残りの半分はどうなるか。大卒が中小企業に就職したら、大卒に就職市場を食われた分だけ、あぶれる人が出ますね。
古市 大卒の新卒一括採用の問題ばかり取り沙汰されますが、確かに、この20年間、産業の空洞化やグローバリゼーションの影響で、ブルーカラー系の職業が減りました。高校を卒業したら、たとえ苦手だとしてもサービス業をやるしかない。もしくはどうせ仕事がないから大学に行くしかないと、逆に大学の進学率がどんどん上がっていく。
小熊 そうです。あとは専門学校ですね。
古市 高卒の人たちが、不遇な状況に置かれているのはその通りだと思います。
小熊 高卒一括採用で工場に勤められるというルートが崩壊しても、ほかのモデルがない。高卒でサービス業に就いても一生時給数百円、しかも35歳まで。専門学校に行ったところで、音楽ではほとんど職がないし、美容師は溢れかえっていて、過酷労働になっているのはご存知の通りです。
古市 そうですね。美容師に関していえば、だいたい東京都内だと時給換算すれば、それこそ200、300円ぐらい。月給20万円以下で朝から晩まで休みなく働くような人がものすごく多い。一見、美容師やミュージシャンは夢に満ち溢れた職業に見えます。高校生が将来何になりたいかを考えたときに、手に職があって、しかもちょっと世の中にちやほやされる、そうした職業に就きたいと思うのは自然なことだと思うのですが、実際のそのルートは極めて過酷です。
小熊 私は貧乏ミュージシャン友達が多いので、そういう人たちが40歳を過ぎたらどういう境遇にあるかは、わりと知っています。
古市 みんなが憧れるクリエイティブな職業に就いたとしても、30歳くらいまではいいけれども、30、40代になるにつれて不遇と呼ばれる状況に落ちざるをえないということですよね。
小熊 20代後半から30歳前後に運良くある程度までいくと、スタジオミュージシャンとしてなんとか食べていけるぐらいのレベルに到達する。そこでまだ若いし、未来があると思うから、自分はこのまま上昇し続けると思ってしまうんですね。ところがミュージシャンの一生なんていうのは、20代から30代前半がピークで、40歳を過ぎるともうつらい。若い人がどんどん出てくるし、掛け持ちでやっていたバイトも35歳までの募集が多くて、だんだん苦しくなる。劇団なんてもっと悲惨ですよ。公演があるたびにバイトを辞めなきゃいけませんからね。
■好きなことを続けられる環境はない
古市 『希望難民ご一行様』で書いた問題意識とつながってくると思いますが、みんなが夢を追えばいいとか、好きなことをやったらいいといったメッセージが世の中には溢れています。だけど、当たり前のことながら、誰もが夢を叶えられるわけではない。結局は社会的弱者にならざるをえない可能性が、今の日本社会においては高いということですね。
小熊 ニューエコノミーと非正規の増大という先進諸国共通の現象と、いったん正規雇用からあぶれると復活のチャンスがないという日本独自の現象とが複合していますが、今のところはフリーターに将来のモデルはない。今の40代以上だったら、その道をあえて選んだ人たちも多いかもしれませんが、30代半ばぐらいだったら、就職氷河期で否応なく漏れおちてしまった人たちが多いです。今これらの人たちは大変です。今の20代の人たちは、繰り返しいいますが、そのことがあまりよくわかっていないと思います。
古市 だけど「画期的な生き方」や「一部の成功例」にばかりスポットライトが当たります。たとえばシェアハウスにしても、本当は貧しくて住居をシェアせざるをえない人がいるにもかかわらず、メディアが注目するのは、先進的な高学歴の人たちが集まったシェアハウスばかりです。こんなクリエイティブなことが起こるんですよ、とか。そうせざるをえない人を無視して最先端だけが注目されてしまう。
小熊 まあそうですね。どの業界でももちろん成功者はいますから。弁護士でも医者でもミュージシャンでもなんでも、一番成功した人を拾ってくれば輝かしいです。もちろん学問業界のなかで、あなたが一番下に入る可能性ももちろんこれからいくらでもあります。
古市 小熊さんが26歳のときはどのような人生を描いていましたか。その頃は岩波書店にお勤めされていたと思いますが。
小熊 古い体質の会社勤めにありがちな悩みでしたね。命令通りに人事異動を受け入れて、明日から営業に行ってくれといわれたらその通りにしなくちゃならないので、自分のキャリアプランが立たない。それで得意分野を身につけないと消耗品になってしまうと思って、30歳のときに大学院へ行きました。結果として学問方面へ進んでしまいましたが。
古市 多くの人は限界があると気づいても、結局はそこの企業にしがみつくか、せいぜい転職するしかない。20代に将来の展望を持てというのは、そもそも難しいと思います。
■日本でやれることは何か
古市 20代のうちは、やっぱり将来のことをそこまで真剣には考えられないと思うんです。もちろん漠然とした不安はあるんだろうけど、それは分節化されないもやもやした不安に過ぎない。雨宮処凛さんや赤木智弘さんが自分たちの不遇な状況を訴えはじめたのは、彼らが30代になってからです。20代のときではない。しかし、そうしたことを意識せずにいる20代が多くいる現状において、一体何ができるのでしょうか。
小熊 包括的な案が出せれば私は救世主になれます。最低限日本でやれることは、雇用慣行を変えることでしょう。それが変わらないと、敗者復活できる目処がない。それが変わっても救われない人は出ますが、モデルプランが立てられる分だけ、今よりましにはなります。ただそうなれば、低賃金で展望のない非正規職なんかで働くより、職業訓練でも受けて正規職を狙うという人が増えるでしょうから、若年失業率は上がると思いますが。
古市 上がらざるをえないということですか?
小熊 そうなればヨーロッパ、アメリカ型に近づいてくる。そして日本の若者が敬遠する低賃金非正規労働市場に、移民が入るでしょう。
古市 しかし、雇用があまりにも流動化して、会社をどんどん変えていくような社会において、果たして人は幸せでいられるのかという問題もありますよね。
小熊 流動化せざるをえないのはニューエコノミーの必然です。日本の場合は、その潮流に抵抗して、正規職の流動性を低く抑えている分、しわ寄せで非正規の不安定性が高すぎる。
(つづく)
小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。
シノドスとは、現代社会を多角的に検討する「知」の交流スペース。知の生産と流通を大学という特権的な場から解放して、現代人の生活にもっと身近なかたちで展開していきたい。そんな思いから立ち上げました。
セミナーとレクチャーの開催、メールマガジン配信、そして出版活動。アカデミック・ジャーナリズムを旗印に、第一線の論者たちが集うプラットフォームを創造し、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。
ウェブサイトはhttp://synodos.jp/