【楽天、巨人を知る男 朝井秀樹の「おじゃまします」】
ヒデキ、感激です!
笑顔の選手たちに囲まれ、星野監督が宙に舞いました。仙台の皆さん、おめでとう! スタンドを埋め尽くしたファンの笑顔を見ながら、僕は仙台にこの球団が生まれたときのことを思い出していました。
近鉄が消滅した2004年オフ、僕は分配ドラフトで楽天に所属することになりました。「仙台ってどこやねん」。小学校から大阪を出たことがなかった僕は、見ず知らずの土地に移ることに少なからず抵抗があったことを覚えています。
その年の11月、初めて仙台を訪れたときは「寒っ、こんなところで野球できるんか?」と思いました。わけがわからないまま過ぎた初めてのシーズンは、首位と51・5ゲーム差のぶっちぎり最下位。当然、選手たちは沈んでいました。そんな僕らを助けてくれたのが東北のファンです。大阪だったらドヤされている試合でも、常に温かい声援を送っていただき、選手たちは心から感謝していました。ファンとの一体感は、今につながるこの球団の財産でしょう。
そして07年、田中が入団しました。最初の2、3年は僕も「負けてたまるか」と意地を張っていましたが、そんなプライドはすぐにはじき飛ばされました。田中のすごさは、課題を克服する力、そして一流投手の良さを吸収する力を持っているところ。チーム内では岩隈さんに学び、瞬く間にプロの投手になりました。WBCや五輪から帰ってくると、毎回見違えるほど成長していました。
野村元監督から聞いた話の中で「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という言葉がありますが、まさに楽天は、田中の成長とともに強くなってきたんだと実感しています。田中が先頭を走り続け、その背中を他の選手たちが必死で追いかけてきた結果が、今日の栄冠だと思います。
第6戦、その田中がついに敗れました。ショックを心配する僕に、嶋は力強く言いました。「今まで田中に助けてもらった分、次は僕たちが助ける番です。今日はやります! チーム全員がその気持ちです」。田中の背中を追ってきた選手たちは、シリーズでさらに大きくなっていたのです。
報道によると、田中は来季メジャー移籍が確実と言われています。絶対的な柱が抜けた後、次は誰がその役目を担うのか――。楽天の底力が試されるのはこれからです。
(元楽天、巨人投手)
☆あさい・ひでき 1984年1月1日生まれ。29歳。大阪市東住吉区出身。右投げ右打ち。高校時代にはPL学園のエースとして名を馳せ、2001年にドラフト1位で近鉄へ入団。04年オフのプロ野球再編に基づく選手分配ドラフトで楽天に移籍。07年に8勝、08年に9勝をマークして先発の柱となり、活躍。10年7月のシーズン途中に巨人へトレード移籍し、4勝1敗、防御率2.01の好成績を残してチームのCS進出に貢献。12年オフに現役を引退した。
一宮競輪開場63周年記念(GⅢ・毛織王冠争奪戦)は29日、決勝が行われ、関東3番手にいた長塚智広が、猛然と迫ってきた浅井康太に伸び勝って優勝を手にした。