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みらい図書館 オリジナルノベル 「影人間のフォークロア」case.2 「怪人フェイス1」 【購読無料キャンペーン中】
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みらい図書館 オリジナルノベル 「影人間のフォークロア」case.2 「怪人フェイス1」 【購読無料キャンペーン中】

2013-11-01 18:00

    影人間のフォークロア


    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    case.2
    「怪人フェイス1」


    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


    淀んだ空気、すえた臭い、輝くネオンとLEDの眩しさ。
    通りには人、老若男女、ホストと客引き、派手な格好の若者とサラリーマン。
    亜神市の歓楽街は今日も雑多が溢れている。

    「メイド喫茶サンクチュアリです。メイド喫茶サンクチュアリです」

    手提げのバスケットに入れた片面刷りのチラシを配りながら、照れの滲んだ声で三千子が言う。
    人は川のように流れていく。それは人ではない何か、人の形をした何かのように感じられる。その中に三千子は立っている。川の中に横たわる岩のように。岩は流されたりはしない。けれど削れていく。川の流れに削られて、少しずつ小さくなっていく。
    成果のない客引きを行いながら、三千子はぼんやりとそんな事を考えいた。
    (削れてるのはあたしのMPよね)
    悪夢にも似たあの事件から一ヶ月。
    謎の力を持つ自称探偵、斜篠エイジへの依頼料を支払う為、メイド喫茶サンクチュアリでアルバイトをする事になってから一ヶ月。
    三千子はまだ、この仕事に慣れていない。
    (だいたい、向いてないのよ、あたしには)
    三千子は社交的な人間ではなかった。だから、知らない相手と笑顔で話すなんて事は出来ない。仕事だと分かっていても、どうしても照れが出てしまう。見ず知らずの人とあれこれ話していると、「っていうかこの人ってなんなんだろ。あたしってなんなんだろ」と、思ってしまう。思ってしまったら最後、舌の置き場所が分からなくなった時のように、どうしようもない居心地の悪さに支配されてしまう。
    (役者の才能がないのよね)
    機械のようにチラシを差し出しながら、三千子は思案を続ける。
    メイド喫茶で働くという事は、メイドを演じるという事だ。
    見ず知らずの相手。例えば、父親くらい年の離れた相手。本来なら、絶対に出会うはずがないし、馴れ馴れしく話したりするような関係でもない相手と親密に話さなければいけない。
    メイド喫茶のお客さんを演じる相手に対して、相手が望むようなメイドを演じなければならない。
    それが出来ない。
    (だって、なんか騙してるみたいだし)
    面白くない話に相槌を打ったり、興味のない話題に乗ったり、普段なら話さないようなかわいこぶった事を言わないといけない。いや、勿論そんな決まりはない。オーナーのマリアは客の相手などほとんどせず、奥でゲームばかりしている。
    ミケにいたってはやりたい放題だ。
    「えー、つまんない。お腹空いたー。おじさん、ツルツルだね!」
    おおよそメイド喫茶の店員らしからぬ振る舞いを平気でやっている。もっとも、三千子の考えるメイド喫茶の店員らしさというのが合っているかと言えば、自信も確信もない。テレビや漫画で見て、なんとなくこういう風にやるもんなんじゃないかと思っているだけだ。
    「アホらしい。みっちょんは考えすぎよ。こんなのは適当でいいの。向こうだって文句なんか言わないし、そんな客は追い出してやるわ」
    と、前に相談した時マリアに言われた。
    その時はその通りだと思ったが、だからと言って何かが変わったりはしなかった。
    適当でいい、普段通り振舞えばいいと言われた所で、三千子には見ず知らずの、しかも年上の男性の前で振舞う普通という物を持っていないのだった。
    「本当、なにやってんだろ、あたし」
    大勢の人々に無視されるうち、三千子は虚しくなってきた。
    大体あたし、可愛くないし。メイド服だって似合ってないし。みんなあたしを無視して、なんだか幽霊にでもなった気分。そりゃ、その方が楽でいいけど。でも、マリアさんにはお給料貰ってるわけだし。っていうか、おかしくない? 依頼料を立て替える代わりに働くって条件だったのに、なんでバイト代貰ってるんだろ。
    あれこれと考える。ちゃんと働かないとと思っているのだが、どうしても考えてしまう。それが真面目さなのか不真面目さなのかというのは、判断に困る所だ。
    「い、幾ら」
    「ひっ!?」
    気がつくと、目の前に男が一人立っていた。
    中年で、サラリーマンで、脂ぎっていて、肌色のガマ蛙みたいな男だ。
    「あ、あの、ごめんなさい。ちょっと考え事してたっていうか」
    「・・・・・・幾ら」
    男はフレームの歪んだ眼鏡の向こうから、湿った視線を一直線に向けてくる。
    「え、えっと。こちらになります」
    気持ち悪い。咄嗟に浮かんだ感想を三千子は振り払った。人を見かけで判断しちゃいけない。それにしてもこの人は不潔な感じだけど、話してみたら良い人かもしれないし。
    料金表の書かれたチラシを差し出す。男はチラシを見なかった。猫背のまま、濁った瞳を真っ直ぐ三千子に向けている。
    「・・・・・・違う」
    ぼそりと男が言った。
    男の息が混じった空気は、放置されて腐った水槽のような臭いがした。
    「えっと、何がですか?」
    少しだけ、三千子は怖くなった。
    「時給」
    「時給・・・・・・ですか?」
    男は肯定も否定もしない。ただ、三千子の顔をじっと凝視している。
    三千子は困惑した。意味が分からなかった。変な人なのは間違いないが。この男は、いったい何がしたいのだろうか。
    呆然としていると、男が財布を取り出した。ウォレットチェーンのついたナイロン製の地味な財布だ。男はマジックテープのついた口を開くと、くしゃくしゃになった一万円札を一枚取り出し、三千子の鼻先に差し出した。
    「こ、これで、じゅ・・・・・・・十分、だろ」
    視線は合っているのに、男の言葉は独り言のように響いた。
    「あの・・・・・・何が、ですか?」
    変なのに捕まっちゃった。こういう時は無視して移動するか、はっきり嫌と言うか、大声を出して罵ってやりなさい。そうマリアに教えられていた。だが、いざそういう場面に直面すると中々行動に移れない。
    「お前みたいなビッチは、こ、これで、十分だって、言ったんだ!」
    不必要に大きな声で言うと、男は押し付けるようにして一万円札を三千子の手に握らせた。
    「ちょ、ちょっと、なに? なんなんですか!」
    「い、いいから、来い。お、お前みたいな、び、び、ビッチは、好きなんだろ。こ、こういうの」
    口の端に泡を浮かべながら、男は三千子の手を引いた。力づくで、遠慮のない振る舞いだった。三千子はつんのめり、転びかけた。その場に留まろうと抵抗するが、男は三千子よりもずっと大きくて、どうにもならない。
    「や、やだ、ちょっと、いやだってば!」
    助けを呼ばなきゃ。だが、声が出ない。喉が震えている。半ばパニックになりながら、視線で助けを求めるが、周りの人間は不審そうな顔をするだけで何もしてくれない。
    そうしているうちに、三千子は細い路地に連れ込まれた。
    ようやく三千子は理解した。
    男は三千子を如何わしいホテルに連れ込もうとしている。
    援助交際をさせようとしているのだ。
    頭の奥で何かが弾けた。恐怖と羞恥、屈辱と怒り。それらの諸々が花火のように弾けて、三千子の頭は真っ白になった。どうしようもなく気持ち悪く、それ以上に恐ろしい。腰が抜けてその場にへたりこんだ。
    「おい、あ、歩け。歩け、歩けって! す、座るんじゃない! この、ビッチ、お、お前、お、俺を馬鹿に、しし、してるのか!」
    男は早口で言うと、力いっぱい三千子の手を引いた。腕が抜けそうになるが、三千子は怖くて悲鳴もあげられない。
    (やだ、やだやだ! ちょっと、やだよ、誰か、助けてよ!)
    咄嗟に浮かんだのは、あの奇妙な探偵の顔だった。陰鬱な、不愉快な薄笑いを浮かべた探偵の顔だ。不思議な力を持つ、奇妙で奇天烈な探偵の顔だった。
    「そこまでだ」
    鋭い声は背後から向けられた。
    (エイジ?)
    驚きと同時に安堵した。そして、奇妙な納得も感じ得た。
    エイジなら来てくれると、心のどこかでそう思っていた。
    だが、違った。
    「レディーに乱暴をする奴は、見過ごせないね」
    王子様。そんな言葉が三千子の頭を過ぎった。
    鮮やかな黄金色の短髪、切れ長の目に凛々しい口元と真っ白い歯。均整の取れたモデルのような体躯と、モデルのような格好。誰が見ても満場一致、文句なしのイケメン。まるで、ハリウッド映画のスーパースターのような男が立っていた。
    「な、なん、だ、おま。おまえ」
    「この顔を知らないの? まさか、そんな奴がいるなんてね」
    甘いマスクの男は苦笑を浮かべると、無造作にこちらに歩み寄り、暴漢の腕を捻りあげた。
    「ああががああ、い、痛い、い、い、い、いたああああ!」
    暴漢は悲鳴を上げて三千子から離れた。甘いマスクの男はそのまま暴漢を突き飛ばし、ピカピカの革靴の先を何度も男の腹や顔や股間にめり込ませた。何度も、何度もだ。
    「ちょ、ちょっと! 死んじゃうわよ!」
    「あれ? 殺しちゃ駄目だったかな?」
    甘いマスクの男は無邪気な顔で言った。三千子が言い返せずにいると、甘いマスクの男は綺麗なウィンクをして、
    「冗談さ。悪い大人にちょっとお仕置きをしただけだよ。マイハニー」
    涼しい顔で暴漢に向き直り、
    「という訳だ。これに懲りたら、二度と馬鹿なマネをするんじゃない。じゃないと、次は本当に殺しちゃうぞ☆」
    「ぃ・・・・・・いぃ、いい・・・・・・」
    あちこち擦り切れて血ダルマのようになった暴漢は、泣きながら何処かに走っていった。
    「・・・・・・あの、助けてくれて、ありがとう――」
    「分かってるよマイハニー」
    男は気障なポーズで三千子に右手を差し出した。
    「・・・・・・あの、なんですか?」
    「勿論サインだよ」
    「サイン?」
    もしかして、この人もヤバイ人なのかな。そう思いかけて、三千子はふと思った。
    「もしかして、有名人の方ですか?」
    「そう聞かれてる時点で有名でもなんでもないけどね」
    甘いマスクの男は、苦笑いすらも絵になっていた。
    「す、すみません! あたし、テレビとかあんまりみなくって」
    「いいさ。この顔が悪いんだから」
    「そ、そんな事ないです! その、カッコいいと、思いますけど」
    「それだけじゃ意味がないんだ」
    寂しそうな顔で告げるが、甘いマスクの男はすぐに爽やかな笑みを取り戻した。
    「ところでハニー。斜篠探偵事務所の場所を知らないかい? この辺にあるはずなんだけど、見つからなくてさ」
    「それだったら、これ」
    三千子はサンクチュアリのチラシを渡した。チラシには、店までの簡易的な地図が描かれている。
    「メイド喫茶? 君みたいに可愛いメイドさんがいる所なら行ってみたいけど、今はちょっと用事があってね」
    「そうじゃなくて。エイジの――斜篠探偵事務所ってこのメイド喫茶の上の階にあるんです」
    「あぁ、そういう事」
    「よかったら案内しましょうか?」
    「・・・・・・いや。それには及ばないよ。でも、そうだな。代わりと言っちゃなんだけど、一つ頼まれてくれないかい」
    「あたしに出来る事なら」
    「簡単な事さ。この手紙を斜篠エイジって男に渡して欲しいんだ」


          icon_kagefo.jpg


    「チェックよ」
    「待った」
    「待ったなし」
    「うーん、これは困ったね」
    悪趣味なチェス盤を薄笑いで眺めながら、エイジは首を捻った。
    五秒程考えて、
    「うん。駄目だね、これは。投了、お手上げ、僕の負けだ」
    「口ほどにもないわね。エイジ、あなた、チェスの才能がまるでないわ。目が開いたばかりの赤子でも、もうちょっとマシな指し方をするわよ」
    「べつに大口を叩いた覚えはないけどね。それよりマリア。さっきから疑問だったんだけど、なんで僕達は将棋のルールでチェスをしているのかな?」
    「決まってるじゃない。その方が面白いからよ。相手のコマをぶん取って自分の物としてこき使う。どう、自分の手勢に裏切られた気分は」
    「どうって言われても。十年来の親友ならまだしも、こいつは三日前に手に入れたばかりの物だからね」
    「稀代のアマチュアチェス職人の遺作。あまりに精巧に出来た駒は指し手の命を吸うと噂される。噂は現実となり、恐れをなした富豪は噂のオカルト探偵に処分を任せた、と」
    「そしてマリア。君はこの、曰くつきのただのチェス盤を高額で売り捌くわけだ」
    「そういう契約よ。私が仕事を見つけ、あなたがそれを解決する。私は仕事に必要な情報、道具、住処を提供し、後始末をしてあげる。代わりに、私は相応の報酬を頂くわ」
    「それについて異論はないよ。それが僕と君との約束だ。君は僕に協力し、その分け前を得る。僕は僕の望みを叶え、君は生きる理由を手に入れる」
    「あらあら、随分押し付けがましいのね。鼻につくわ」
    「性分でね。全く、僕は押し付けがましい男なんだ」
    ふんっ。と、マリアはふてくされたように鼻を鳴らした。
    「ところで、そのオカルト探偵ってのは止めて欲しいね。僕は別にオカルトの専門家ってわけじゃない。ただの、普通の、探偵さ。勿論、有能ではあるけどね」
    「そう思うなら好きなだけ自称したらいいじゃない。人の口に戸は立てられない。あなたが幾らそう思っても、そうあろうとしても、他人の評価は変えられないわ」
    「分かっていても抗うのさ。それが人間ってものだろう?」
    「あなたが人間を語るの?」
    「僕が人間を語っちゃ駄目かい?」
    二人は見つめ合った。沈黙が舞い降りて、二人の間でダンスを踊る。凍りついた静止画のような時間が暫く流れ、不躾なチャイムがそれを破った。
    「依頼人?」
    「アポは入ってないはずだけど」
    何事もなかったかのように、二人は入り口に視線を向ける。けれど、エイジには分かっていた。いずれまた、同じようなやり取りが繰り返される。マリアを責める事は出来ないし、責められるのは自分の役目だ。それがエイジの背負う業であり、罪であり、罰でもある。
    「邪魔するぞ。似非探偵の偽者――って、なんだ。銭ゲバ女もいやがるのかよ」
    現れた大男は、マリアを見て露骨に顔をしかめた。
    「やぁ、十草(とぐさ)さん。久しぶりだね」
    エイジが挨拶をする横で、マリアが目の前のティーカップを十草に投げつけた。
    「あぶねぇな。何しやがるんだ銭ゲバ女」
    「黙りなさい。税金泥棒の無能刑事。水虫に塗れた汚い足で私のビルに入ってこないで」
    「ぎゃーぎゃー騒ぐな鬱陶しい。俺はそこの似非探偵の偽者に用があって来たんだ。てめぇは大人しく下のぼったくり喫茶でおままごとでもしてろ」
    「警察の犬ころが言うじゃない。ここが何処で、私が誰か、知らないとは言わせないわよ」
    「不法滞在者を違法労働させてる脱法業者の親玉が何を偉そうにしてやがんだ。ぐだぐだぬかすと豚箱にぶち込むぞ」
    「試してみなさいよ。泣きを見るのはどっちか、すぐに分かるわ。警察は廃業、明日から橋の下の自由人になってる事請け合いね」
    「キヒヒヒ、ヒハハ、全く、二人は本当に仲がいいね。僕は羨ましいよ」
    「ぶち殺すぞ!」「ぶち殺すわよ!」
    「ほら、仲がいい。みっちょんもそう思うだろ?」
    同時にハモる二人を笑い、エイジは入り口で困惑する三千子に尋ねた。


          icon_kagefo.jpg


    「刑事さん!?」
    エイジの紹介に、三千子はあからさまな驚愕を浮かべた。
    「驚くのも無理ないわね、この顔じゃ。亜神署の鬼刑事。不死身の傷男(アンデッド・スカー)、だったかしら?」
    三千子が下から持ってきた紅茶をすすり、マリアが言う。
    「余計な事を言うんじゃねぇ」
    厳つい顔を殊更怖くして十草が唸った。
    不死身の傷男というのは、どうやらこの男の異名らしかった。十草の顔には、あちこちに刃物で切りつけたような傷が走りに、その一つが片目を潰している。よく見てみれば、傷の幾つかは首から胸に向かっており、袖から覗く手も傷だらけで、左手の薬指が欠けていた。不死身の傷男とは、そんな容姿からつけられた名なのだろう。
    「十草さんとは三年程前に知り合ってね。以来色々あって仲良くしてるんだ」
    「仲良くねぇよ。てめぇとは仕事だけの関係だ。それにだ、似非探偵の偽者。お前と会ったのは一年前の事だ」
    「そうだったかな?」
    飄々としたエイジの態度に、十草が舌打ちを鳴らす。
    「それより、この嬢ちゃんはなんだ? 新しいバケモノ仲間か?」
    「いい加減にしないと――」
    いきり立つマリアを抑えて、エイジが言った。
    「十草さん。あなたはここに喧嘩をしに来たわけじゃないでしょう?」
    十草が鷹の目の鋭さを持つ隻眼で睨み、エイジは緩んだ薄笑いでそれを受け止める。
    「あ、あの! あたしは――」
    割って入ったのは三千子だった。
    「あたしは、下のメイド喫茶でバイトしてる並木三千子です。ただの、普通の、高校生で。だから、よくわかんないけど、あたしの事で喧嘩しないで下さい」
    「ただの普通の高校生って・・・・・・なんでそんな奴がここで働いてるんだ」
    納得がいかないのか、訝しげに十草が尋ねる。
    「それはその、色々事情があって。エイジに仕事を依頼したんですけど、後で依頼料を聞いたら払えなくて、そしたらマリアさんが立て替えてくれるって言うから、それで・・・・・・」
    「体で払えってか? 相変わらずあくどい商売してるじゃねぇか。銭ゲバ女!」
    応接用の長テーブルを拳で叩き、十草がマリアを睨む。
    「ま、待ってください! 確認しなかったあたしが悪いし、バイト代だって貰ってるんです!」
    「お前、こいつを庇うのかよ!」
    「庇うって言うか、依頼料は高かったけど、依頼の内容を考えれば当然っていうか。それに、エイジは事件を解決してくれかたら。文句とか不満はないっていうか・・・・・・」
    上手く言葉にならないが、それは事実だった。あの事件は、警察には解決できなかったろうし、エイジにしか解決出来なかったはずだ。依頼料が高額なのも、あのような危険な仕事なら、文句は言えない。
    「そういう事よ、無能刑事。私は、支払能力のない彼女の為を思って、依頼料を後払いにしてあげただけ。これを詐欺だと言うのなら、この世から善意という言葉は消えてしまうでしょうね」
    勝ち誇った様子でマリアが言う。
    十草は不満そうに鼻を鳴らし、三千子を睨んだ。
    「お前、住所は」
    「えっ」
    「住所だよ、住所。あと、電話番号だ。今時のガキなら携帯ぐらい持ってんだろ」
    「え、な、なんでですか?」
    「ちょっと。誰に断って私の物をナンパしてるのかしら」
    「いやいや、十草さんも隅に置けないね。確かにみっちょんは可愛いけれど、そんな風に堂々と口説く事はないんじゃないかな?」
    「馬鹿野朗! 誰がこんな小便臭いガキ口説くか!」
    「は、はぁ!? 誰が小便臭いガキよ!」
    失礼な物言いに、三千子が食って掛かる。
    物静かな娘だとでも思っていたのだろう。三千子の豹変に、十草は狼狽した。
    「こ、言葉の綾だろうが!」
    困惑した様子で言い訳をすると、懐から取り出した名刺を三千子に渡す。
    「とにかく。こいつらの事で困った事があったら連絡しろ。何を勘違いしてるか知らんが、こいつらは真っ当な人間じゃねぇ。馬鹿正直に信用してると痛い目見るぞ」
    「余計なお世話よ!」
    言いながらも、名刺を受け取る。その場で破り捨ててやろうかと思うが、一応ポケットにしまった。口は悪いが、十草は警察官として三千子の身を案じているらしい。
    「ったく。だから俺は嫌なんだ。ここに来るとろくな目に合わねぇ」
    「こっちの台詞よ。あなたを見ていると不愉快で吐き気がしてくるわ。どうせ金にならない話でしょ。とっとと用件を済ませて私の前から消えてちょうだい」
    「言われなくてもそうさせて貰う」
    「十草さんはね、時々こうして、ロアに関する情報を知らせてくれるんだ」
    三千子の視線を察し、エイジが補足した。
    「そうなの。じゃあ、あたしは下に戻った方がいいわね」
    「何か用があったんじゃないのかい?」
    「後でもいいから」
    「あら。みっちょんも一緒に聞くのよ」
    戻ろうとする三千子を、マリアが呼び止める。
    「えっと、なんでですか?」
    「決まってるじゃない。この男が嫌がるからよ」
    言ってから、マリアは十草に視線を送った。
    「好きにしろ。どうせ言っても無駄なんだ」
    諦めの宿った声で言うと、十草は姿勢を正した。それだけで、事務所の空気が一変する。十草の真剣さが伝播したかのようだ。
    「『怪人フェイス』ってのを知ってるか?」
    「いいや。初耳だね」
    自信たっぷりにエイジが答える。
    「知っとけよ! お前は、仮でも嘘でも探偵だろうが!」
    「ははは。世情にはとんと疎くてね。面目ない」
    憤懣として十草がため息をつく。
    「怪人フェイス。ちょっと前に噂になった実在の泥棒だったかしら。変装の達人で、有名な美術品ばかり狙う泥棒だったと思うけど。アメリカの話よね」
    「噂に尾ひれがついてるな。奴はただのケチなこそ泥だ。精巧に出来た手製のラバーマスクで他人になりすまし、地方の美術館に忍び込んで大して価値もないような美術品を盗んで悦に入ってる典型的な愉快犯だ。現場付近に犯行に使ったフェイスマスクを置いてくのが名前の由来だな」
    「それで?」エイジが先を促す。
    「一週間前の話だ。亜神市に住むある金持ちの家に泥棒が入った。盗まれたのは『教え』って名の薄気味悪い絵画なんだが――」
    「ちょっと待って。それってまさか、ピースリー作の《教え》じゃないでしょうね」
    「だったらどうだってんだ」
    面倒そうに十草が言う。
    「ピースリーと言えば伝説的な怪奇画家だわ。彼の描く絵を見た物は尽く狂気に囚われ、この世ではない世界を覗くと言われてる。盗まれたのが本物の『教え』なら、時価五億は下らないわよ」
    「ご、五億!?」
    悲鳴じみた声を上げたのは三千子だった。五億。ただの絵が五億。三千子には、想像も及ばない世界の話だ。
    「物知りだと褒めてやればいいか? そんな事でいちいち話の腰を折るんじゃねぇ」
    十草の言葉に、マリアは空のティーカップに手をかける。
    「十草さん。あまりマリアをいじめないでくれるかな。後で八つ当たりをされるのは僕なんだか――」
    マリアの拳がエイジの顎を捉えた。
    「後でじゃないわ」
    それに、いじめらてなんかいないわよ。と、マリアが付け加える。
    「とにかく。そのなんたらって奴の絵が盗まれた。現場には使用人の顔が落ちてたんだ」
    「怪人フェイスの仕業って事だね」
    「そうだ」
    十草は頷くが、不可解な点があった。
    「確かに面白い事件だけど、それだけじゃないかな?」
    ただの事件。ちょっと変わった普通の事件。あくまでも、この世の事件だと、暗にエイジは示している。
    「それだけだったらお前の所に来たりはしねぇよ」
    当然という風に告げ、十草はポケットから煙草を取り出す。
    「このビルは禁煙よ」
    マリアに言われ、十草は口惜しそうに煙草を戻した。
    煙の代わりに深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
    いかにも不愉快そうに、十草はそれを告げた。
    「落ちてたのはマスクじゃない。剥ぎ取られた、本物の顔だ」
    「顔って・・・・・・この顔?」
    それ以外にないのだが、受け入れられず三千子が尋ねる。
    「そうだ。その顔だ」
    それにな―ーと、十草が後を続ける。

    「怪人フェイスってのは、一ヶ月前に自殺してるんだ」


          icon_kagefo.jpg


    怪人フェイス。本名はスタン・スミス。アメリカ人で、元ハリウッドの特殊メイクアーティストだ。若い割りに才能のある奴だったらしいが、偏屈な性格でな、喧嘩の末美術監督を殴って業界を干されたんだそうだ。その後はさっきも言った通り、持ち前の特殊メイク技術を悪用してくだらねぇ自尊心を慰めてたってわけだ。
    なんでそんな事を知ってるかって? 向こうの警察に知り合いがいる。つまり、怪人フェイスの正体はとっくに分かってたって事だ。
    当然だろ。警察ってのは無能じゃない。精巧に出来たラバーマスクを使うってだけで犯人は相当絞られる。おまけに犯行現場にそいつを残してくってんだから、捕まらない方がどうかしてる。
    そういうわけで、奴の逮捕は時間の問題だった。スミスもそれに気づいて逃亡したが、行く先々で同じ事を繰り返すから意味がねぇ。全く、愉快犯ってのは麻薬中毒と同じだな。駄目だと分かってても止められねぇんだ。哀れだよ。奴にとってはそれが唯一、自分の有用性を証明する方法だったんだ。そんな事しても何にもなんねぇってのに。
    逃げても逃げても捜査の手は伸びてくる。そのうちにやっこさんおかしくなっちまったようだな。最後には、モーテルの一室で死体で発見されたってオチだ。
    ご丁寧に、死体は酸で顔と指紋が焼かれてて、近くには遺書が置いてあった。
    内容はこうだ。

    『俺が死に、奴が生まれる。ここに眠るのは顔のない男だ』

    つまらない遺言だ。奴は最後まで、自分の事を認められなかったんだ。
    ろくでなしの社会不適合者って現実をな。


          icon_kagefo.jpg


    「――だから、今この街で暴れてる怪人フェイスってのは、本物じゃない。いや、こいつが本物って事になるのか。一人歩きした都市伝説、お前ら流に言う所のロアって奴だ」
    「納得だよ。死後、怪人フェイスの噂に尾ひれがつき、顔剥ぎの怪人を生み出した。僕の経験で語るなら、噂は人の間を巡るうち、純化される。それも、大抵の場合悪い方向にね。今はまだオリジナルの怪人フェイスの名残がある。泥棒って部分がね。でも、やがてそれもなくなって、ただ顔を奪うだけの存在に成り下がるだろうね。悲しい事だ。そして哀れだ。そんな事は、止めさせないと」
    張り付いた微笑は、いつの間にか影に隠れていた。今そこにあるのは、見ず知らずのロアに対する同情と哀れみ。そして、使命感にも似た必死さだった。
    「そうしてくれる事を願うね。口惜しいが、俺にはロアをぶち殺す手段がねぇ」
    「別に僕は、彼らを殺すつもりはないよ」
    「そりゃそうか。なんてったって、お前も奴らのお仲間だもんな。そうだろ! 似非探偵の偽者野朗!」
    突然だった。なにがしかの怒りに駆られ、十草はエイジの胸倉を掴んだ。
    「ちょ、ちょっと! なにしてんのよ! 意味わかんないわよ!」
    驚いて三千子が止めに入るが、
    「何も知らねぇガキは引っ込んでろ!」
    十草の迫力に気圧され口を噤んだ。
    「銭ゲバ女もだ! よくもてめぇ、涼しい顔でこいつと一緒に居られるな!」
    怒りの矛先はマリアにも向かった。普段のマリアなら言い返しただろう。だが、今回はそうならなかった。表情の失せた顔を俯かせて、沈黙を保っている。
    「・・・・・・ちくしょう! だから嫌だったんだ! ここに来るのはな!」
    十草は毒づき、放り捨てるようにエイジを開放した。
    「エイジ! 大丈夫!?」
    「どうだろう。目の前に黒髪の天使(ドール・クラィ)が見えるよ」
    「馬鹿!」
    こんな酷い事をされて、何故エイジは笑っていられるのか。三千子には、全く理解出来なかった。
    「・・・・・・とにかく。そういう事だ。怪人フェイスについて何か分かったら連絡する。邪魔したな」
    席を立つ十草の顔には、やるせなさのようなものが浮かんでいる。
    「毎回言っているけれど、何度でも言うわ。二度と現れないで。情報なら、電話で話せば済むでしょう」
    マリアの言葉を受け、十草はドアノブに手をかけた格好で立ち止まった。
    「・・・・・・俺はそいつから逃げたくねぇ」
    呻くように呟いて、十草は去って行った。
    「なんだったのよ。あの人」
    ぎこちない空気の中、三千子が尋ねる。
    「色々あってね」
    「色々って何よ」
    三千子が追求する。エイジはなんでもない事のように振舞うが、とてもそうは思えない。これは何か、のっぴきならない事情があったに違いなかった。
    「そういえばみっちょん。エイジに何か用があったんじゃなかったかしら」
    思い出したかのようにマリアが言った。
    「いえ、大した事じゃないんですけど」
    三千子は戸惑った。なんとなく、こんな事があった後では場違いな話に思えた。
    「いいから話しなさい。これは業務命令よ」
    そう言われては仕方ない。
    「さっき外で客引きしてたら変なお客さんに捕まって、ホテルに連れ込まれそうになったんですけど――」
    「なんだって!?」
    ソファーをひっくり返しそうな勢いでエイジは立ち上がり、三千子の所にやってきて激しく肩を揺すった。
    「大丈夫かい! 何もされなかったかな? いや、勿論されてたとは言えないだろうけど。でも、正直に言うんだ。たとえ辱めを受けたとしても、その事でみっちょんの価値が下がる事はないんだよ! あぁ、くそ! なんてこった! 僕が近くにいながらみっちょんを危険な目に合わせるなんて! 何が有能な探偵だ! こんな女の子一人守れないなんて! 僕はクズだ! 使用済みの爪楊枝にも劣るゴミだよ!」
    「ちょ、ちょっと! エイジ、おち、落ち着いて、首が、もげ、もげもげ、もげるでしょうが!!」
    と、狂乱するエイジの顎を掌低で打ち上げて黙らせる。
    「ぼ、僕の首ももげそうだよ」
    舌でも噛んだのだろう。怪しい呂律でエイジが言う。
    「みっちょん。そいつはどんな男だったのかしら。年は、背格好は、髪型は、何か特徴になるものはあったかしら。そのゲスの持ち物を持ってたら出しなさい。ミケに探させて、十霞国川(とがすみくにがわ)に沈めてやるわ」
    感情が顔に出ないマリアだが、それでも三千子にははっきりと分かった。マリアは怒っている。それも、とてつもなく、物凄く、怒り狂っている。
    「この街であたしの物に手を出すなんてね。自殺志願者は望み通り殺してあげないと」
    あ、これマジだ。壮絶な気配に鳥肌を浮かべつつ、三千子は悟った。
    「ち、違うってば! 二人とも勘違いしないで! あたしは別に何もされてないわよ!」
    「あぁ、それはよかった! 僕は心底安心したよ。でも、考えてみればその通りだね。み
    っちょんはその辺のチンピラが裸足で逃出すくらい強いんだから。暴漢の一人や二人撃退するくらい簡単な事だった」
    エイジの言葉に三千子は傷ついた。何故だか分からないが、今の一言は三千子の女の子な部分を深く傷をつけたのだった。
    「そ、そんな事ないわよ! あたしはね、も、もうちょっとで、本当に危なくて、やばかったんだから! ほ、本当に、ほんとうに怖かったのに、なのに、エイジは来てくれなくて、怖かったのに、なんで、そんな事、言うのよ――」
    堪えきれず、三千子は声を上げて泣き出した。何で泣いてるんだろ。冷静な部分が疑問を放つが、とにかく悲しかった。
    「み、みっちょん!?」
    これには流石のエイジも狼狽した。唖然として、助けを乞うようにマリアへと視線を送る。
    「本当、救いようのないクズね」
    氷点下の声音で言うと、マリアは背伸びをして三千子を抱きしめた。
    「よしよし、怖かったわね。強い人間がみんな戦えるとは限らないものね。それに、みっちょんは女の子だもの。乱暴されたら怖いに決まってるわよね。今度から、客引きは店の前だけにしましょう。後でみっちょんに乱暴したゴミ虫の事を教えてちょうだいね。ミケに拉致らせて、二人でお仕置きしましょう。大丈夫、ビルの地下に秘密の部屋があるの。拷問道具は一通り揃ってるし、やり方は私が教えて上げるわ。生かさず殺さず、ゆっくりと自分のした事を後悔させてあげましょう」
    「うぅ、うぅ、まりあざぁぁん!」
    三千子は子供みたいに泣いて、小さなマリアを押しつぶしそうな勢いで抱きしめた。
    「よしよし、いい子ね。好きなだけ泣きなさい」
    マリアは三千子のしたいようにさせ、黙って頭を撫でてやっている。血も涙のないように見えて、案外情の深い所があるのだ。
    「ご、ごめんよみっちょん。悪気があったわけじゃないんだ。いやいや、悪気がなかったら許されるという話でもないけれど、でも、本当に悪いと思ってるんだ心から。だから泣き止んでくれないかな? この通り、お願いだよ」
    平身低頭必死になって謝るが、三千子が泣き止む気配はない。あぁ、困ったな。どうしたらいいんだろう。エイジは助けを求めてマリアに視線を送る。すると、
    「土下座なさい」
    マリアは言った。氷点下を下回る絶対零度の声音で。
    「ど、土下座はちょっと・・・・・・」
    「あらそう。いたいけな乙女をガチ泣きさせといて土下座も出来ないの。大した器ね、斜篠エイジって男は」
    その一言が効いたのだろう。エイジは苦い物を無理やり飲み込んだように呻き、次の瞬間には、三千子の前に体を投げ出し完璧な土下座を示した。
    「悪かったよ。この通りだ。さっきのは斜篠エイジ最大の失言だったよ。強くても、みっちょんはか弱い一人の乙女だって事を忘れていた。思い出したからにはもう忘れないからこの通り、許してくれないかな」
    と、思いつく限りの謝罪を並べる。
    すると、三千子の機嫌も直ってきた。確かにさっきのエイジの一言はデリカシーの欠片もない酷い暴言だった。だが今は、何が悪かったのか理解してちゃんと謝っている。最初にこの事を話した時もあんなに心配してくれたし、別にエイジが乱暴を働いたわけじゃないのだ。後で気まずくなるのも嫌だし、この辺で許してあげよう。
    思って三千子は顔を上げ、足元のエイジを眺めた。全く同じタイミングで、エイジも顔を上げた。
    「あっ」
    っとエイジは呟いた。
    「あっ」
    っという三千子の声は言葉にならなかった。
    土下座するエイジの位置からは、三千子のスカートの中が完全に丸見えになっていた。
    「これはご――」
    誤解と言う前に、エイジの口を三千子の靴底が塞いだ。
    それから五分ほどエイジをしばき倒し、ようやく三千子は例の手紙をエイジに渡した。



    常立文示作《神のシュミラクラ》を頂く


    怪人フェイス




    つづく。


    ―――――――――――――――――――
    七星十々 著 / イラスト 田代ほけきょ

    企画 こたつねこ
    配信 みらい図書館/ゆるヲタ.jp
    ―――――――――――――――――――

    この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


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