七つの罪と、四つの終わり・上
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七つの罪と四つの終わり・中
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七つの罪と四つの終わり 第六話
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第六層の魔王を名乗る少女――レヴィアタン。
彼女が私へ向ける眼差しには、何故か悲しげな色が混じっていた。それを見ていると胸が痛み、私は何か言わなければと口を動かす。
「助けてくれて……ありがとう」
「お礼なんて、いりませんわ。わたくしがあなたを助けるのは、当然のことなのですから」
そう言うとレヴィアタンは手に持っていた〝セヴァンの右腕〟を投げ捨て、マンモンたちに向き直る。
「き、貴様! 七王会議の決定に逆らうのか!?」
薄れゆく意識の中で、激昂したマンモンの言葉を聞く。腹に開けられた銃創から、何かが流れ出していく。血ではない、何かが。
「ふんっ……もう六人しかいませんのに、七王会議だなんてちゃんちゃらおかしいですわ。あんな強引な多数決、無効に決まっているでしょう? わたくしはあくまで、最初の契約に基づいて行動いたしますわ」
「他の王が黙ってはいないぞ……?」
怨嗟の籠った声でマンモンは言う。
「望むところですわ。わたくしのお友達を傷つけた罪は、その命で贖ってもらうつもりですもの。まずは――アスモデウスの飼い犬……あなたから、死になさい」
「ひぃぃぃぃいぃぃっ!?」
セヴァンの悲鳴が響き、直後に大きな破砕音が耳に届いた。
だがそこで、私の意識は途切れる。
「ミリィ!?」
「マスター!」
最後にクラィとラダーの声が聞こえた気がしたが、もう返事をすることはできなかった。
――――――
頬撫でる細やかな風に、瞼を開く。
高い天井と、揺れるカーテンの端が目に映った。
「ミリィ! 気が付いたの?」
喜びの滲んだ声が耳に届き、視線を移動させる。すると目を潤ませたクラィと目が合った。どうやら私はベッドに寝かされているらしい。
「よかったっす! マスター……一時はどうなることかと心配したっすよ」
ラダーがベッドの横でぴょんぴょん飛び跳ね、私の無事を喜んでいる。
それでようやく、私は意識が途切れる前の出来事を思い出した。
私は銃で撃たれて……そこにレヴィアタンって子が助けに来てくれたんだ。
「ん……」
体を起こそうとするが、腹部に違和感があり、上手く力が入らない。シーツの下で傷口を探ると、包帯が巻かれているようだった。
「――ミリィ、安静にしてなさい。傷口が自動修復するまで、もうしばらく掛かりますわ」
あ……あの子の声だ。
私は頭を動かして部屋の中を見渡す。大きな窓枠に赤い髪の少女が腰かけ、優しい微笑みを私に向けていた。
「あの……あなたはどうして、私を助けてくれたの? それに……ここはどこ?」
恐る恐る問いかけると、彼女は私に近づいてきて言う。
「お友達を助けるのに理由など要りません。ここは第六層、わたくし――魔王レヴィアタンの居城ですわ」
「……お友達?」
私は初めて会うはずの少女を見つめて、首を傾げる。
「やはり……憶えていないんですね。ですがそれでも、わたくしにとってミリィは誰よりも大切な、お友達なのですわ。死んだはずのあなたと、こうして言葉を交わせるだけで……わたくしは幸せですの」
彼女はそう言って、私の頬をそっと指でなぞった。
「死んだはずって……どういうこと? マンモンも、似たようなこと言ってた……もう一度死ねって……そういえば、撃たれたところから血が出なかったし……私って、いったい何なの? 何か知ってるなら教えて――レヴィアタン」
「……わたくしのことは、できればレヴィと呼んでください。昔のように」
真摯な表情で彼女は私を見つめる。
「じゃあ……レヴィ、お願い……聞かせて……私のことを」
口にしてみると、レヴィという響きは耳に馴染む。
「分かりましたわ。まあ、彼らからもずいぶん催促されていましたからね。あなたが目覚めたら、きちんと説明するつもりでした」
レヴィはそう言って、クラィとラダーをちらりと見た。
「そうよ、あたしたちが聞いてもほとんど無視だったんだから」
腹立たし気にクラィはレヴィを睨む。
「当然ですわ。あなたたちはあくまで、ミリィのついでなんですもの。むしろ――命があっただけ、感謝して欲しいものですわね」
「……っ!?」
レヴィに睨み返され、クラィは息を呑んだ。その声音に含まれた〝何か〟が、私の背筋を震わせた。
――やっぱりレヴィも、魔王なんだ。
私には優しいが、クラィたちに対する態度はマンモンとそれほど変わらない。
「ではまず、ミリィが一番気にしている、体のことについて教えてさしあげます。察しの通り、あなたの体は……人間のものではありませんわ」
その言葉を聞いて、私はシーツをぎゅっと握りしめる。
「じゃあ……私は、ドールなの?」
「そうですわね……〝体は〟ドールです。わたくしたち、オリジナルセブンよりも精巧に作られた有機素体。自己修復機能をも兼ね備えた、唯一のヒューマンモデルですわ」
シーツ上から私の腹部に触れるレヴィ。
「そっか……私、人間じゃなかったんだ……」
ずっとそう思い込んでいただけに、ショックは大きい。クラィは幻滅しただろうかと、様子を窺う。
「そ、そんなはずない! ミリィは人間のはずよ! 最下層で見つけた日記にも書いてあったし、人間じゃないと説明が付かないくらい、上位のアクセス権を持っているわ」
クラィは動揺を露わにして、レヴィに異を唱える。
「――そうね、あなたの言う通り。ミリィは、それでも人間なのですわ」
そしてレヴィはその言葉に頷いた。私は混乱し、彼女に問いかける。
「え……? それって、どういうこと?」
「説明するには、少し昔話をしなければいけませんわね。もう百年以上前、わたくしたちは人間たちと共にこの場所を――今は〝塔〟と呼ばれる地下施設を、調査するために訪れましたの」
遠い目をしながらレヴィは語る。
「ですが岩盤の崩落で地上へ戻る術を失い、調査隊も大きな損害を被りました。生き残ったのは十数名の人間と七体のドール。人間たちは生き延びるために地下施設を利用、改良、増設し、最下層区画で生活を始めましたわ」
私は、自分が最初に目覚めた場所を思い出す。
――あの場所で、昔は人間が……。
「やがて、ある人間たちが結ばれ、子供が生まれました。それがミリィ……あなたですの」
「え……?」
それは私の体がドールだという説明と矛盾する内容だった。私は疑問の眼差しを向けるが、レヴィは構わずに話を続ける。
「けれど、そもそもこの塔は人間が生きられる環境ではなかったのですわ。人間は次々と死んでいき、最後に残ったのはミリィだけ。わたくしたちは必死に、あなただけは救おうとしました。しかし……ついにミリィも重い病を発症してしまったんです」
当時のことを思い出しているのか、レヴィは苦しそうな表情で語る。だが記憶のない私は、自分のことだというのにピンと来ない。
「わたくしたちは最終手段として、ドールにミリィの意識を移し替える処置を行いました。ですが、その試みが成功したかは、確かめられませんでしたの。支配者である人間がいなくなった方がいいという意見も多く、結論が出るまでミリィは最下層で眠らせておくことになってしまったのですわ」
「それを……あたしが目覚めさせちゃったわけね」
クラィの呟きに、レヴィは首肯を返す。
「ええ――そういうわけで、人間不要派の王たちは慌てふためいています。オリジナルセブンは〝人間だった頃のミリィ〟とある契約を交わしていますの。それはドールになったミリィの感情を測り、その精神が人間であると認めたのならば、再び配下として使えるという取り決め。電子頭脳の奥に刻まれた最優先命令なのですわ」
「マンモンが言っていた契約って、そういう意味だったんだ……」
私は得心がいって呟く。私が自分の強い欲望を示すと、マンモンはもう私に手出しはできないのだと言っていた。
「そして、今はもう六人になってしまったオリジナルセブン――各層の魔王は通信で緊急会議を行い、多数決で一つの方針が可決されましたの。それはもしミリィが、マンモンが認めざるを得ないほどの〝人間〟だった場合、ドール社会全体にとっての脅威とみなし、排除するというもの。そんなの……認められるはずが、ありませんわ!」
語気も荒く、レヴィは告げる。
これでセヴァンに突然撃たれた理由も分かった。
私はもっと、各層で最も偉い魔王を屈服させるという意味を考えるべきだったのかもしれない。
「……レヴィは、私の排除に反対してくれたの?」
「もちろんですわよ! だってミリィは、赤ん坊の頃からずっと一緒にいたお友達ですもの! わたくしだけではありません、ベルフェゴールだって!」
「……ありがとう。そんなに私を思っていてくれた人がいたなんて……嬉しい」
私は心から礼を言う。思い出せないことが申し訳ないけれど、それだけにこの繋がりが掛け替えのないものに思えた。
「ミリィ……」
目尻に涙を浮かべるレヴィ。
その時――ズズーンと低い轟きが聞こえてきて、城がかすかに振動する。
「な、何っ!?」
「地震っすか!?」
クラィとラダーが驚きの声を上げた。
だがレヴィは厳しい顔つきで首を横に振る。
「――いいえ、上の層から他の魔王が攻めてきたのですわ。中央シャフトにはロックを掛けておいたのですが……思ったよりも早く突破されてしまいましたわね」
窓の外に目をやって、呟くレヴィ。
私は腕の力で頑張って体を起こし、同じ窓の外を眺めてみる。
第六層の町並みはどこか奇妙なものだった。石造りの立派な建物が並んでいるのは七層と同じだが、どこも窓が天井にだけ付いている。
そんな町の中心部、エレベーターシャフトがある辺りから煙が上がっていた。多くの人影がその中で入り乱れている。ハエの文様が描かれた旗が、いくつか揺れているのが見えた。
「あれは……ベルゼブブの旗ですわね。あの肥満男……わたくしの領内に立ち入るとはいい度胸ですわ。ミリィを狙うというのなら……容赦はしませんわよ」
レヴィは口元を吊り上げ、彼方の旗を睨む。
「ちょ、ちょっとどうするのよ? ここで戦争でも始めるつもり?」
クラィが問いかけると、レヴィは肩を竦める。
「それも楽しそうではありますが――物量差でいつかは敗北してしまいます。ですからミリィ、残された道はこの〝塔〟から脱出することだけですわ」
そう言うとレヴィは素早く私を抱え上げる。
「え? な、何?」
「大人しくしていてください。わたくしが、ミリィを必ず上へと導いてあげますから」
レヴィは優しい声で私を宥め、クラィたちへと呼びかける。
「あなたたちも、死にたくなければ付いてきなさい。もう中央シャフトは使えませんから、他のルートで上層へ向かいますわ」
「他のルート? そんなのがあるの?」
驚くクラィにレヴィは余裕の笑みを返す。
「来れば分かりますわよ」
そしてレヴィは私を抱えたまま部屋を出て、城の階段を下りていく。
ぐるぐると、どこをどう通ったから把握できないまま運ばれていると、急に外へ出た。
中庭らしき場所から地下へとさらに下り、狭い通路を抜け、今度は急な階段を上る。
「おおっ、レヴィ姐さんはまさかの縞パンっすか!」
こんな時だというのにラダーだけはいつもの調子で、クラィに蹴り飛ばされていた。
そうして長い階段を上りきると、先ほどまでいた城を見下ろせる崖の上に出た。
どうやら〝塔〟の外壁に当たる場所のようだ。
「さて……ここでしばらく、獲物が罠にかかるのを待ちますわよ」
レヴィは悪戯っぽく笑い、城へとなだれ込んでいくベルゼブブの一団を指差す。
そして敵のほとんどが城内に入った頃を見計らい、レヴィはパチンと指を鳴らした。
「――さあ、暴食のベルゼブブさん、たっぷり石の雨をご馳走になってくださいね」
ドンッと城のあちこちで爆発が同時に起こり、尖塔や外壁が崩壊していく。
「なっ……」
クラィが唖然とした様子で崩れる城を眺める。
「これでベルゼブブを仕留められたかは分かりませんが、少なくとも時間稼ぎにはなるはずですわ。さあ、上層への通路はこの先です」
レヴィは瓦礫の山と化した城に背を向け、外壁に刻まれた割れ目の中へと入っていく。
彼女に抱えられたままの私は、そこが天井の見えない広い空間だということにすぐ気が付いた。
「ここは……何?」
「三層まで続く隠し通路ですわ。〝塔〟にはこうした裏道がいくつかありますの」
レヴィはそう言って暗闇の奥深くへと歩を進める。
「――待って」
だが後ろからクラィがレヴィを呼び止めた。
「何かしら?」
「交代よ。ここからは……あたしがミリィを運ぶわ」
クラィの言葉にレヴィは顔を顰める。
「あなた……まだ、わたくしのことが信じられないの?」
「……そうじゃないわ。ただ、あんたが先頭を歩くなら手が空いていた方がいいかなって……」
歯切れが悪い口調で答えるクラィ。その様子を見てレヴィは目を細めた。
「ふぅん……それなら、ミリィに決めてもらいましょう。どうします? わたくしと彼女、ミリィは――どちらがいいですか?」
「え? ええっ!?」
急に選択権を委ねられて私は焦る。
二人の顔を交互に見つつ、必死に考え、私は――。
つづく。
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七つの罪と四つの終わり 第七話
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「あの、じゃあ……クラィに。やっぱり手が空いていた方がいいと思うし」
レヴィかクラィ、どちらに運んでもらうかという問いに、私はそう答えた。
「……そうですか、分かりましたわ」
レヴィは一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべたが、素直に私をクラィに委ねる。
クラィの腕はレヴィと違い、冷たくて硬い金属製。だが私は、その感触に安心を覚えた。
「クラィ、ごめんね」
まだ銃創が痛むため歩けない私は、手間を取らせたクラィに謝る。
「いいのよ、気にしないで。私がここまで来られたのはミリィのおかげなんだから」
照れくさそうにクラィは視線を逸らした。
「そうっすよ! マスターは怪我人なんすから、仕方ないっす」
ラダーもクラィの足元でぴょんぴょんと飛び跳ね、フォローしてくれる。
そんな私たちの様子をレヴィはじっと見つめた後、前に向き直る。
「では行きますわよ。城の崩落でベルゼブブを仕留め損なっていたら、いずれこの場所にも手は伸びますわ」
三層まで続くという〝裏道〟の階段を上り始めるレヴィ。私を抱えたクラィとラダーも後に続く。
私はクラィに運ばれながら上を見上げるが、天井は見通せない。行く手には闇が蟠り、吹き降ろす風が前髪を揺らす。
それでも周囲が辛うじて見えるのは、壁のところどころに開いた空気穴のおかげだ。そこから外の明かりが微かに射し込み、辺りの暗闇を少しだけ薄くしている。
会話はない。ただ足跡だけが反響する。
レヴィはかなり足早に階段を上っているが、ワーカーのクラィは遅れることなくついていく。
そしてどれぐらい経っただろうか、長い沈黙を破ったのはレヴィの声だった。
「――ミリィ、あなたは人間とドールの〝どこが〟違うか……分かっていまして?」
「え?」
唐突な問いかけに私は驚き、返事に困る。するとレヴィは構わずに話を続けた。
「答えは――心、ですわ。技術の限界だったのか、それともあえて人とは別のモノにしたかったのか……真実は分かりませんが、わたくしたちの心は不完全なのです」
「不完全って……どういう意味?」
問い返すと、レヴィは振り返らないまま答える。
「足りないものがあるのですわ。感情――人の業と言うべき七つの本能。わたくしたちオリジナルセブンを含めたドールは全て、そのどれか一つが欠けているのです」
平坦な声音でレヴィは言う。そこに何か不吉なものを感じつつ、私は呟く。
「七つの本能……」
「人間は己を形作るそれらを、おかしなことに大罪と呼ぶのですわ。強欲、嫉妬、暴食、淫欲、怠惰、傲慢、憤怒――全て心には必要なものだというのに」
レヴィは呆れを含んだ溜息を吐く。
「じゃあ、レヴィにも欠けた感情があるの?」
「ええ、わたくしには食事に対する欲求が――暴食の大罪が欠けていますの。そしてドールのもう一つの特性として、欠けた感情の代わりに他の感情が肥大化する傾向があるのですわ」
そう言ってレヴィは私たちを振り向く。その視線に込められた何かに背筋が泡立ち、私は足を止めた。
「レヴィ……?」
慎重に名前を呼ぶと、レヴィは目を細める。私ではなくクラィを睨んでいるのだと分かった。
「わたくしの膨れ上がった感情は嫉妬。ゆえに嫉妬を司る魔王――レヴィアタンを名乗っていますの。だからミリィと一緒にいるあなたが、羨ましくて仕方がありません。スクラップにしてやりたいと思うほどに」
「っ……!? あんた……やるっていうの?」
クラィが息を呑み、身を固くする。
「ま、待ってレヴィ! クラィを壊さないで!」
私も慌てて声を上げた。するとレヴィは視線を私に向けて、柔らかく微笑む。
「――心配しなくていいですわ。もちろん、ミリィが悲しむことはしません。ただ……わたくしのことを分かって欲しかっただけですの。ミリィはわたくしの、この苦しいまでの気持ち……理解していただけますか?」
問いかけられ、私は戸惑う。
「ごめん……レヴィの気持ち、全部は分からないよ。でも何かを羨ましいと思うのは、少し理解できると思う」
ここに来るまで、何度か「羨ましい」という気持ちを抱く機会はあった。いつも私を引っ張ってくれるクラィの強さを、いつも眩しく思っていた。
「それで十分ですわ。ごめんなさい、ミリィ。先ほどのわたくし、少し怖かったかしら?」
「う、うん……ちょっとだけ」
正直に頷くと、レヴィは笑う。
「正しい反応ですわ。心が完全ではないドールは、恐ろしいものなのです。わたくしも――そして彼女も、ね」
含みを持たせた眼差しをクラィに向けるレヴィ。
「人聞きの悪い事を言うわね。あたしはあんたみたいにミリィを怖がらせたりはしないわよ」
棘のある口調でクラィは文句を言った。
「……そうかしら? ワーカーというのは怠惰の感情が欠如したドールに割り振られる役割ですが、あなたも代わりに肥大化している感情があるはずよ。それがいつか必ず、ミリィを脅かすわ」
「あたしはそんな――」
「わたくしが見たところ、あなたを突き動かすのは最下層に押し込められた〝怒り〟ですわね。それは最も危険な性質ですわ。だって――あのサタンと同じなんですもの」
忌々しげに吐き捨てるレヴィ。彼女はクラィにサタンという人物を重ねて見ているようだ。
「サタン……」
そこでラダーがぽつりと小さな声で呟くのが聞こえた。
「どうしたのラダー? 知ってる名前なの?」
「えっ? あ、いえ、何となく体がぶるっと来ただけで、何も知らないっすよ。不思議なこともあるっすね」
ラダーは階段を少し上って私に視線を合わせ、首を横に振った。
その様子を見ていたレヴィは馬鹿にした顔で息を吐く。
「ふん、マシン風情が彼のことを知る筈がありませんわ。さあ、行きますわよ」
そう言うとレヴィは歩みを再開した。クラィは先ほどより少し距離を取って、レヴィに付いて行く。
「ねえ、サタンって誰なの?」
私はクラィに運ばれながら、気になったことを問いかけた。
「……第一層の魔王ですわ。ルシファーを排除したことで、実質的に〝塔〟の実権を握ったオリジナルセブン。やっぱりミリィは、彼のことも覚えていないんですのね」
レヴィは顔だけをこちらに向け、少しほっとしたような口調で言う。
「うん、私とはどういう関係だったの?」
「……わたくしがミリィの親友なら、彼は兄という感じでした。ついでに言うと、父親代わりがルシファーで、母親役はベルフェゴールでしたわね。早くに亡くなった本当の両親の代わりに、皆でミリィを育てたんですのよ?」
「そう、なんだ……」
私は呆然とする。まだ会ったことのない人たちばかりだが、自分には〝家族〟がいたらしい。
「――けれど、サタンは変わってしまいました。今の彼が何を考えているのか……わたくしには分かりません」
拳を握りしめて呟くと、レヴィは視線を前に戻した。
そこからは再び沈黙が続き、半刻ほど歩いた頃、先頭のレヴィは足を止める。
「着いたの?」
クラィが問いかけると、レヴィは私たちに背を向けたまま答える。
「――いいえ、ここはまだ四層の辺りよ。オリジナルセブンで一番気に喰わない、あいつのテリトリー。だから、こういうこともある程度予想していたわ」
私たちが足を止めているのに、まだ足音が響いていた。
誰かがこちらに近づいてくる。階段を下りてくる。
薄闇の中に、ぼんやりとその姿が浮かび上がった。
「一番気に喰わないなんて、ひどいことを言うね。私は君のことがオリジナルセブンで一番好きなのに」
現れたのは、どこか中性的な雰囲気のある青年。舐め回すようにレヴィのことを見つめ、唇を嫌らしく吊り上げる。
「……あなたが好きなのはわたくしの外見だけでしょう? 淫欲に溺れたアスモデウス」
汚らわしそうにレヴィは吐き捨てる。
「心外だなぁ。私は君の全てが好きなんだよ。その魅力的な肢体はもちろん、高飛車な性格も何もかもがね。プライドの高い君を組み伏せて、悦楽の虜にしたとき、どんな表情を浮かべ、どんな声で哭くのか……想像しただけで昂ぶって仕方がない!」
上気した顔と声で高らかに叫ぶアスモデウス。
「へ、変態っす! こいつはマジヤベぇ変態っす!!」
ラダーが怯えた声でクラィの足元を走り回った。
するとアスモデウスの視線がこちらへ向く。
「ふふ、そして私はあなたにも興味があった。あなたが人間として生きていた頃から、私はずっとあなたを見ていた。絶対に手が届かないからこそ、想いは膨らんだ!」
ぞくりと言いようのない悪寒が背筋を走る。ひどく下劣な感情に晒されていることを全身が感じ取った。
「ようやく、ようやく……私がずっと欲してきた二つの肢体を手に入れる機会が巡ってきた! ああ、大丈夫。私は君たちを壊したりはしない。永遠に鎖で繋ぎ、愛欲の海で幸せな夢を見せてあげよう!」
アスモデウスは両手を広げ、一歩ずつ階段を下りてくる。
レヴィはそんな彼を見て、小さく鼻で笑う。
「――ああ、そういうこと。一人で現れて変だとは思っていたけど。あんたも七王会議の決定に逆らうつもりなのね」
「その通り! 君たちを廃棄なんてさせるものか。君たちは誰にも渡さない……私だけのモノだ!!」
気持ちが悪い。心底から嫌悪を抱く。
彼に囚われれば、死ぬよりも酷い未来が待つのだろう。私の震えを感じとったクラィは何も言わず私の手を握り、アスモデウスを睨む。
「――あんた、好き勝手なこと言ってくれるわね。ミリィはあんたなんかに絶対渡さないから!」
するとアスモデウスは冷めた眼差しをクラィに向けた。
「誰だい……君は? おやおや、醜いワーカーか。君のように美しくないものは、要らないよ。視界に入るのも不愉快だ。今すぐ消えろ」
「それはこっちの台詞よ。色欲に狂った変態は消えなさい。この手でブッ飛ばすのも気持ちが悪いから」
その言葉を聞いたアスモデウスから表情が消える。
「……言ってくれるね。気が変わった。君は私の手で引き裂いてやろう」
殺気を向けるアスモデウス。
クラィは私をそっと階段に降ろし、臨戦態勢を取る。
だがアスモデウスがクラィに注意を向けた時、レヴィは既に行動を起こしていた。
「――余所見は、命取りですわよ」
いつの間にか、レヴィがアスモデウスに肉薄していた。
レヴィは華奢な右腕をまるで槍のように、鋭く突き出す。
「さて、どうかな」
しかしアスモデウスは、慌てることなくレヴィの腕を手で払う。
「……っ!?」
レヴィはすぐさま距離を取るが、アスモデウスに触れられた部分を手で押さえた。
「好機とは見つけるものではなく、作るものだよ――レヴィアタン。自分が作り出したわけでもない隙に飛び込むのは、少し軽率ではないかな」
「アスモデウス……あなたいったい、わたくしに何を――」
荒い息を吐き、頬を上気させながらレヴィはアスモデウスを睨みつけた。
「ふふ、私の愛撫はいかがだったかな? とても気持ちがいいだろう? 私は日夜快楽を追及していてね。指で触れれば、相手の電子頭脳に直接、快楽信号を送り込むことができるんだよ」
右手の指を蠢かせ、アスモデウスは笑う。
「っ……そのような下劣極まる追加機能を……」
レヴィは歯を噛み締め、快楽に耐えながら呟く。
「たった一撫でしただけで、その有様だ。じきに何も考えられなくなる。さあ、全てを私に委ねて楽になるといい」
そう言うと、今度はアスモデウスが仕掛ける。
「くっ!?」
レヴィアタンは何とか触れずに回避しようとするが、そこはオリジナルセブン同士。恐らく基本性能は互角なのだろう。完全に躱し切ることはできず、アスモデウスの指が鋭くレヴィの服や肌を浅く切り裂いた。
「っ……あっ……んっ……」
その度にレヴィの動きは鈍り、熱い息を吐いて、ついにはペタンと地面に座り込んでしまった。
「――ようやく堕ちたようだね。さすがはレヴィアタン、よく耐えた。おかげで私も楽しめたよ」
レヴィの血――恐らく人間とは違う成分なのだろうが――指先についたそれを舐めとり、アスモデウスは嫌らしく微笑んだ。
「あ……あ……」
レヴィは体を痙攣させながら、焦点の合わない瞳で虚空を見上げている。
「これでレヴィアタンは私のモノ。淫欲が欠落している者でない限り、私の力に抗うことはできない。さあ、次は君たちの番だ」
アスモデウスが私とクラィを見つめ、舌なめずりした。
「ま、マスターと姐さんはボクが守るっす!」
ラダーが果敢にも私たちの前に飛び出すが、その体は震えていた。
「ふむ、ではまず邪魔なマシンとワーカーを処分してしまおう」
余裕の表情を浮かべ、階段を下りてくるアスモデウス。放心しているレヴィの横を通り過ぎ、まずはラダーに手を伸ばそうとした。だが――。
ドスッと、アスモデウスの右胸から細い腕が生えた。
「え……?」
私は呆然と声を上げる。
「な――」
アスモデウスも驚愕の表情で、自分の胸から突き出した腕を見下ろした。
「隙は、作り出すもの……でしたわよね?」
レヴィの声が彼の後ろから響く。
「――何故、動ける? 君の思考回路は、もう快楽に塗り潰されているはずなのに……」
アスモデウスは震える声で呟いた。
「ただの快楽で……わたくしの心は支配できませんわ。何故ならわたくしは、本当の愛を知っていますもの。この心は既に……ミリィへ捧げているんですからっ!」
ブチブチとアスモデウスの体内にあるチューブや機関を千切り、レヴィは腕を引き抜く。
「が……」
口から異臭のする黒いオイルを吐き出し、アスモデウスは階段に倒れ伏した。
「れ、ヴィア……」
それでもまだ機能を停止せず、身を起こそうとするアスモデウス。
「さようなら、あなたの声はもう聞きたくありませんわ」
レヴィはそのまま容赦なく、アスモデウスの頭を踏み潰した。機械の部品と、赤黒い液体が辺りに飛び散る。
頭を失くした胴体はバランスを崩し、階段をごろごろと転げ落ちて行った。
凄惨な光景に、私は息を呑む。だがレヴィが膝からがくんと崩れ落ちたのを見て、慌てて近づいた。お腹の傷は痛んだが、ある程度動けるぐらいには回復したようだ。
「レヴィ! 大丈夫?」
体を支え、レヴィの顔を覗き込む。
「……ええ、平気ですわ。けど……すぐには動けそうにありませんわね」
顔を上気させ、息を荒くし、潤んだ瞳でレヴィは私を見つめる。アスモデウスの攻撃は十分に効果を発揮していたらしい。
「ありがとう……私のために、ここまでしてくれて」
「……感謝していただけるのなら、一つだけお礼が欲しいですわね」
「お礼? うん、何でもいいよ。私にできることなら――」
私の言葉は途中で途切れる――レヴィの唇に口をふさがれて。
「んっ……」
レヴィの舌が口内に入ってきて、私の舌と絡み合う。熱い吐息と唾液が、口の中で混じり合った。
頭がぼうっとしてくる。体も熱くなってきて、何だかとてもムズムズした。
「ちょ、ちょっと何してるのよ!」
そこでクラィの声が耳に届き、我に返る。
レヴィはぷはっと唇を離し、妖しく微笑んだ。
「……ごめんなさい。どうしても我慢ができませんでしたの」
「え、あ……う、うん……」
私はどう返事をしていいのか分からず、曖昧に頷く。何でもいいと言ったので、文句を言える立場ではない。それに――。
「ミリィ、わたくしの口づけは心地よかったですか?」
「えっと……その、たぶん」
自信はなかったが、あれはたぶん気持ちがいいという感覚だったのだろう。
「でしたら憶えておいて下さい。その感情が――それを求める衝動が……〝淫欲〟というものですの」
上気した顔でレヴィは笑い、私を抱き寄せた。
「レヴィ……?」
「本当は……もっと、もっと、ミリィを気持ち良くしてあげたいのですが……ここでは他人の目がありますからね。ベルフェゴールのいる第三層に着くまで、おあずけですわ」
耳元で囁かれ、鼓動が早くなる。
「あ、あんたたち、早く離れなさい!」
そんな私たちを見たクラィが苛立った声を上げ、駆け寄ってくる。
「ぼ、ボクも気持ちよくなりたいっす! 気持ちよくなりたいっす!!」
レヴィは素気無くラダーを足で転がし、クラィに挑発的な眼差しを向けた。
「あら、あなたに命令される筋合いはありませんわよ? わたくしとミリィは、唯一無二のお友達なのですから」
「そ、それは昔のミリィのことでしょ! 今のミリィとは、あたしの方が仲いいんだから!」
「ふふ、一丁前に嫉妬しているんですの? 嫉妬の魔王であるわたくしと張り合おうだなんて百年早いですわよ」
睨み合うレヴィとクラィ。
「ふ、二人とも喧嘩しないで」
私はおろおろしながら二人を眺める。
だがその時、突然レヴィが表情を険しくした。
ドンッと私をクラィの方へ突き飛ばしたレヴィは、階段の上方を睨んで両手を広げる。
その瞬間――緑色の閃光が、レヴィの体を貫いた。
「え……?」
私はただ、間の抜けた声を上げる。
ぐらりと体を揺らし、仰向けに倒れるレヴィ。
ガシャン、ガシャン、と暗闇の向こうから足音が響く。一つではない、複数の足音が重なり、反響して聞こえてくる。
姿を現すのは、人型のシルエット。だが……ドールかどうか、判断に迷う。
彼らは全身が銀色の装甲に覆われ、人間らしい部分はどこにもない。
あれではまるで――人型のマシン。
彼らは手にした銃を私たちに向けている、レヴィを貫いた光はあの銃から放たれたものだろう。
そこでようやく、頭が状況を理解する。
倒れて動かないレヴィの姿に、胸が軋みを上げた。
レヴィの体から流れ出た液体が、私の靴を濡らす。
「いやああああああああっ!!」
憶えていないはずなのに、残っていないはずなのに、色んな表情を浮かべるレヴィが脳裏を過ぎった。
幼い私に微笑みかけるレヴィ。お姉ちゃんのように冒険へ連れて行ってくれたレヴィ。背が並んだ私を見て喜んだレヴィ。病床に伏した私を毎日励ましてくれたレヴィ。
閃光のごとく情景が駆け抜ける。断片的に甦った記憶と、目の前にある惨状が、私の心に大きな亀裂を生んだ。
自分では制御できない、強い衝動が湧き上がる。熱くて、熱くて、自分自身さえ燃やしてしまいそうな感情が心を焼く。
レヴィが撃たれた。倒れた。壊された。
――くも。よくも。よくもよくもよくも!
頭の中が赤熱する。荒れ狂う感情が私を突き動かす。
大切な人を傷つけた銀色のドールたちを、歯を噛み締めて睨みつけた。
そして私は、胸の内にある感情を言葉にする。
つづく。
―――――――――――――――――――――――――――
七つの罪と四つの終わり 第八話
―――――――――――――――――――――――――――
「――お前たちなんか、死んじゃえ」
私は銀色のドールたちを睨みつけ、胸の内で荒れ狂う感情を言葉にした。
するとこちらへ銃口を向けていた銀色のドールは、びくりと痙攣して動きを止める。
そして、ゆっくりと――ぎこちない動きで自らのこめかみに銃口を押し当てた。
「え……? いったい、何を――」
クラィが呆然と呟く声を聞く。
それとほぼ同時に、銀色のドールたちは引き金を引いた。緑色の閃光が各々の頭部を貫き、バタバタと彼らは階段に崩れ落ちる。
そのうちの一体がごろごろと私の足元にまで転がってきた。銀色の装甲に覆われたドールには人間らしい〝顔〟がない。頭部には視覚用らしき大きなレンズが一つ収まっているだけ。その隙間から燃料らしき液体がぽたぽたと、まるで涙のように漏れ出ていた。
「じ、自殺したっす! これ、マスターがやったんすか?」
ラダーが驚いた声で問いかけてくる。その言葉で私は我に返る。
「私……が?」
自ら頭を撃ち抜いた銀色のドールたちを見回し、震える声で呟く。
胸部を貫かれて倒れ伏すレヴィ、興奮した様子で跳ねまわるラダー、そして――愕然とした表情で私を見つめるクラィ。
私が……私が〝殺した〟の?
がくんと膝から力が抜ける。
頭が痛い。内側からの感情に焼かれたかのように、体も熱い。
「ミリィ!?」
倒れそうになる私に、クラィが手を伸ばす。
さっき、とても怖い表情を浮かべていたのに。怯えるような、恐れるような、まるで化け物を見るかのような、そんな眼差しで私を見ていたのに。
それでも私の手を取ってくれたことに安堵を抱き、私は意識を失った。
瞼の向こうに光を感じる。体が規則的に揺られている。
「ん……」
小さく唸って目を開けると、そこには知らない景色があった。
大きな湖が目の前に広がっている。湖畔には素朴な木の家がちらほらと点在し、白い砂浜には水着姿で戯れるドールたちの姿が見えた。
私はどうやらクラィに背負われているらしい。クラィの柔らかな黒髪が鼻先に触れている。
「あ、ミリィ、気が付いたのね!」
私の身じろぎに気付いたのか、クラィが首を捻って私を見る。
「マスターが起きたっす!」
視界に入らないが、下の方からラダーの声も聞こえた。
そしてクラィの前には見知らぬ女性の背中が見える。誰かを腕に抱えている。彼女はクラィたちの声を聞き、こちらへと顔を向けた。
「――おはようございます、ミリィ」
柔らかな微笑みを浮かべ、彼女は挨拶をする。初めて会うはずなのに、懐かしさを感じた。
全体的におっとりした雰囲気で、体つきはとても女性らしい。具体的に言うと胸がすごく大きい。まるで幼子をあやすように腕に抱えているのは、胸部に穴の開いたレヴィだった。
「レヴィ!?」
私は女性に挨拶を返すのも忘れて叫ぶ。
「ちょ、ちょっとミリィ、暴れないで」
身を乗り出そうとした私をクラィが諌める。
「レヴィは……レヴィは死んじゃったの?」
私は皆に問いかける。それに答えたのはレヴィを抱いた女性。
「動力炉を壊され、現在は強制的なスリープモードへ移行しています」
「それって……どういうこと?」
「修理しない限りは、このままだということです」
「しゅ、修理できるの!? そうしたら、レヴィは生き返るの!?」
私は勢い込んで訊ねる。すると女性は複雑な表情を浮かべた。
「――修理ができれば、ですがね。詳しい話は私の館に着いてからにしましょう。もう、すぐそこですから」
そう言って女性は湖畔の道が続く先に見える、立派な屋敷を指差した。
明らかに他の建物より大きい。そこでようやく私は、女性に問いかける。
「あなたは、いったい……」
「ああ――そうでした。今のミリィには自己紹介をする必要があるのでしたね。私は〝塔〟の第三層を統べる魔王、ベルフェゴール。ベルと呼んでくれると嬉しいです――昔のように」
ベルフェゴール……知っている。レヴィが言っていた。それは私の〝母〟代わりだったというドールの名前。
レヴィと同じく、私の破壊に反対してくれたというオリジナルセブンの名前だった。
湖畔の道を歩き、館に辿り着く。
するとメイド服を着たドールたちが私たちを出迎え、そのまま一番奥の部屋に通された。
ベルフェゴール――ベルは豪奢なベッドにレヴィを横たえ、私たちを部屋のテラスへと誘う。
大きな湖を一望できるテラスには品のいい机と椅子があり、ベルに言われるまま私とクラィは腰を下ろした。ベルも私たちの向かいに座る。
すぐにメイド服のドールが紅茶を運んできて、私は香りのいい紅茶を飲みながら簡単な経緯を聞いた。
レヴィは第六層を出る前にベルへ連絡を取っていたらしい。だが到着が遅いため様子を見に行ったところ、抜け道の出口で私とレヴィを抱えたクラィに出くわしたということだった。
銀色のドールは第四層から来た可能性が高いとして、抜け道は爆破して塞いだようだ。
「あなた方のことは私が〝捕えた〟ということにしてあります。レヴィのように表立って敵対していない以上、他の魔王もすぐに強引な手は使ってこないでしょう。これからどうするにせよ、しばらく休んでいかれるのがいいかと思います」
ベルは紅茶を一口飲んで、そう告げる。だがクラィは落ち着かない様子で遠くに見える中央シャフトを指差した。
「で、でもオリジナルセブンの決定はミリィの破壊なんでしょ? 捕えただけで何もしなかったら、きっと直接ミリィを壊しにくるわ。ゆっくりしている時間なんてない!」
「――そうですね。いつかはそうなるかもしれません。けれど、今すぐではないでしょう。この第三層にある湖は〝塔〟唯一の水源。第二層にある発電所や工場を動かすにも、欠かせない資源です。例え第一層のサタンであろうと、簡単に手は出せません。来るのはきっと――この第三層を一気に制圧できるだけの準備を整えた後です」
「けど……」
それでも焦りを滲ませるクラィをベルは余裕を持った表情で見つめる。
「怠惰が欠けているワーカーさんには納得してもらえないかもしれませんが、休息は大事なものですよ。特にミリィは体を回復させる時間を必要としています。分かりませんか?」
ベルはそう言って私を見る。
確かに腹部の銃創もまだ完全に治ってはいないし、体の熱も引いてはいない。
「……ごめん、クラィ」
たぶん私のためを思って先を急いでいるクラィに謝る。
「あ、謝らないでよ。あたしこそ……ごめん。ミリィに無理させたいわけじゃなかったの……」
気まずそうに視線を逸らすクラィ。
「分かってる。心配してくれてありがとう、クラィ」
礼を言ってから私はベルに向き直る。
「――ベルもありがとう。本当に私たちを助けてくれるんだね」
「もちろんです。たとえミリィが憶えていなくても、あなたは私の娘なんですから」
ベルは私の右手を両手で包み込み、優しく微笑んだ。心にじんわりと温かいものが広がる。
「ねえ、ベル……レヴィは、今すぐ直せないの?」
私は部屋のベッドに横たわる、かつての〝親友〟であり、たぶん〝姉妹〟でもあった少女のことを訊ねた。
「……ごめんなさい。ここの設備ではレヴィの修理はできないの」
「じゃあ、どこならできる?」
「それを言うと、今すぐ飛び出してしまいそうだから秘密です。ミリィがきちんと休んで、元気になったら教えてあげます」
口調は優しいが、どこか有無を言わさぬ迫力でベルは言う。
「……分かった」
仕方なく私は頷く。
「くっ……も、もう我慢できないっす!」
だが――そこで突然ラダーがテーブルの上に飛び上がり、そのままベルの豊満な胸へと突進した。
「ひゃっ!? あ、あんっ」
驚くベルの胸に顔を埋め、嬉しそうに尻尾を振るラダー。
「うっひゃーっ、最高っす! ここは天国っすか? 天国なんすね!?」
「このエロ犬! あんたはいつもいつも……もうちょっと空気を読みなさいよ!」
目尻を吊り上げて叱るクラィ。普段なら殴り飛ばしているところだが、ラダーがベルと密着しているため手を出せないようだ。
「ず、ずっと気になってはいたのですが……このマシンはいったい何なんですか?」
ベルは困惑しながらもラダーの頭を撫で、私に問いかける。
「えっと、その子はラダーっていって……最下層で壊されそうになっていたのを、助けたの」
「最下層のマシンですか……それがこんな風に感情的な行動を示すなんて……まさか――」
はっとした様子でじゃれつくラダーを見下ろすベル。
「どうしたの?」
「……ミリィ、この子を少し私に預けてもらえませんか? 少し調べてみたいことがあるんです」
「え? あ……うん、ラダーがいいなら構わないけど」
意志を確認するようにラダーを見る。
「マスター! ボクは全然オーケーっすよ! 問題ないっす! というか願ったり叶ったりっす! 天国続行っす!」
その様子を見ていたクラィは心配そうに呟く。
「本当にいいの? そいつは紛れもない変態なエロ犬よ?」
「……ふふ、平気ですよ。こういう方の扱いにはなれていますから」
ベルはどこか意味深な台詞を呟き、ラダーを抱き上げたのだった。
ベルに部屋を貰った私とクラィは、館で体を休めた。
クラィはずっとそわそわした様子で、窓から中央シャフトの方を眺めていたが、ベルの言う通り、すぐに他の魔王たちが襲ってくるようなことはなかった。
そうして時間が過ぎていく。
三日経った頃、私の傷が治ったのを確かめたベルは、皆を湖の砂浜に誘った。
本当は早くレヴィの修理方法について知りたかったのだけど、ゆっくりと遊んで〝怠けて〟からだと、ベルに言われてしまう。
「ひゃっほー! 砂浜っす、水着っす!」
ラダーは湖畔に着くなり、興奮して走り回っていた。ベルに何を調べられたのかは分からないが、見たところ特に変化はない。
「……あたし、泳げないからこんなのいらないんだけどな」
クラィは剥き出しになった機械の手足を気にしながら、はしゃぐラダーを無造作に足で転がす。身に着けているのは黒色の水着で、私もベルから白い水着を借りている。
「ミリィ、一緒に泳ぎましょう」
自身も水着に着替えたベルは、私の手を引いて湖へと足を浸す。
「きゃっ」
思ったよりも水が冷たくて、私は声を上げた。
「人間だった頃のミリィは体が弱くて、水泳などはとてもできませんでしたから……こうやって一緒に泳ぐのは夢の一つだったんです」
ベルはとても嬉しそうに、水に戸惑う私を見る。
それから私はベルに泳ぎ方を教えてもらい、意外とすぐに泳法を覚えた。
水の中へ潜ったりするのはとても新鮮で、私は湖の中を泳ぎながら探検する。
「ミリィ! あんまり遠くに行かないでよー」
機械の手足が重くて水に浮かないクラィは、砂浜から私を呼ぶ。いつの間にか岸からずいぶん離れてしまっていたようだ。
「あ、うん! 今戻るね!」
そうして砂浜に戻った後は、砂浜でティータイムとなり、そこでベルは私がずっと知りたかったことを教えてくれた。
「――これだけ泳げるなら、もう傷は完全に治ったようですね。これ以上、あなたたちを引き留める理由はないようです」
どこか寂しそうにベルは呟き、言葉を続ける。
「レヴィを修復するには、第二層にあるドール生産工場の施設を利用するしかないでしょう。ただ、本来第二層を支配していたルシファーはもういません。恐らくはあなたたちが出会ったという銀色のドールたちが、第二層を管理しているはずです」
「銀色のドール……あれは、いったい何なの? ベルは、何か知ってるの?」
私はベルに問いかける。
「あれはサタンが新たに生産している戦闘用のドールです。いえ……人型をしてはいますが、本質的には戦闘用のマシンと言った方がいいのかもしれません。あれに使われている電子頭脳はマシンと同じものという話ですから」
マシンと同じ……それはドールのような人格を持っていないということなのだろうか。
ベルの言葉に困惑していると、クラィが疑問を口にする。
「戦闘用? それって、何と戦うためのものなのよ?」
よく考えれば、それは確かに不思議な点だった。
今は私のせいでオリジナルセブン同士が争うことになっているが、本来ドールしかいないこの塔で戦う相手などいないはずなのだ。
けれどベルは澱みなく、はっきりとその問いに答える。
「――人間です」
「え?」
「サタンは戦闘用マシンを大量に作り、人間と戦おうとしています」
「人間って……もう人間はいないんじゃないの? ミリィも……体は、ドールだし」
ちらりと複雑そうな視線を私に向けるクラィ。
「あなたの言う通り、この〝塔〟にもはや純粋な人間はいません。けれど――〝塔〟の外ならば、人間はいるかもしれないでしょう? それも、大勢」
「な――それって……」
「はい、サタンは〝塔〟の外へ侵攻しようとしているのです」
クラィはベルの言葉に息を呑む。
「人間に……喧嘩を売ろうとしているの? っていうか、ドールは人間に逆らえないんじゃ……」
「ドールにとっての人間とは、ユーザー登録をしている人物を指します。この場合――該当するのはミリィだけです。外の人間たちは、〝塔〟のドールに対して何の権限も持ちません」
「そうなんだ……でも、やっぱりわざわざ敵を増やそうとする理由は分からないわね」
納得できない様子でクラィは腕を組む。
「表向きの理由は、埋蔵資源の底が見えたから――ということになっています。けれど私には、もっと別の目的があるような気がしてなりません。サタンはルシファーを破壊してまで第二層の工場設備を掌握し、戦闘用マシンを作り始めたのですから……」
ベルはルシファーのことを思い出しているのか鎮痛な面持ちで呟く。そして珍しく静かに話を聞いているラダーに視線を向けた。
「……? ボクの顔に何かついてるっすか? あ、抱きしめたくなったのなら、いつでもどうぞっす! 遠慮なく、むぎゅーっと」
「あんたは少し黙っときなさい」
クラィはもはや慣れた動作でラダーを踏みつけた。
「おぱいっ!?」
妙な悲鳴を上げるラダーを見下ろし、ベルは呆れたように溜息を吐く。
「いえ、何でもありません。とにかく――サタンの行動は常軌を逸しています。戦闘マシンを量産するため、最下層のドールを〝再利用〟しようとしているほどですからね」
「ちょ、ちょっと待って! それ、どういうこと? あたし、初耳よ」
クラィが血相を変えて身を乗り出す。
「サタンは最下層への電力供給を止め、ワーカーを全て機能停止させた後、その体を回収して戦闘用マシンに作り変えようとしています。外へ出るのなら、もう資源開発用のワーカーは必要ないからと言って……」
「ふ、ふざけないでよ! ワーカーは使い捨ての道具じゃないわ! そんな計画、今すぐ止めさせないと!」
激昂して叫ぶクラィ。私も心にもやもやした感情が湧き上がる。
「……こうなると思って黙っていたんです。ですが、もう止めはしません。ただ――一度に多くのことを成し遂げるのは難しいでしょう。無茶と言い換えてもいいです。だからミリィ、一番の目的をしっかり心に刻んでいきなさい」
「一番の……目的?」
私が問い返すと、ベルは真剣な顔で頷く。
「ええ、この〝塔〟から脱出するのを優先するのか、もしくはレヴィを治すために行動するのか、それともワーカーを救うのを一番の目的にするのか……いざという時に迷わないよう、出発する前に決めておくべきです」
クラィの視線を感じる。ラダーも茶々を入れることなく、私の答えを待っている。
「私は――」
つづく。
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七つの罪と四つの終わり 第九話
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「――まず、レヴィを直したい。ごめんね……クラィ」
第二層での方針をベルに訊ねられた私は、自分の意思を告げてクラィに謝る。たぶんクラィは、ワーカーたちのことを気にしているだろうから。
けれど予想に反して、クラィは私に優しい視線を向けた。
「いいわよ、別に。彼女には助けられた借りもあるしね」
「ワーカーのこと心配じゃない?」
「もちろん心配だけど……皆を置いて上へ向かったあたしが、どの口でワーカーの事を第一に考えてってミリィに言えるのよ。だから、気にしないで」
肩を竦め、苦笑を浮かべるクラィ。
「……ありがとう、クラィ。でもレヴィを直したら、次は発電所に向かうって約束する。そして最下層への送電停止を食い止めるから」
「全く――本当にお人好しね、ミリィは」
クラィは呆れた表情を浮かべながらも、声には嬉しそうな色を滲ませる。
「話は纏まったようですね。それでは――第二層への抜け道に案内します」
様子を見ていたベルが口を開く。
私とクラィは一度視線を合わせてからベルに向き直り、こくんと頷いた。
「出発っすね! ああっ……おっぱい天国との別れは名残惜しいっすが、マスターのために頑張るっす!」
ラダーも尻尾をピンと立て、気勢を上げる。
「そんなに名残惜しいなら、あんたはここに残ってもいいのよ?」
しかしクラィは冷たくラダーを見下ろした。
「そ、そんなっ!? 姐さんっ、見捨てないでくださいっす! ボクは天国より姐さんたちの方が大切っすよ!」
「ああもう、纏わりつかないでよ!」
足元に寄ってくるラダーを、つま先で転がすクラィ。
ベルはそんな二人を見つめ、楽しそうに笑った。
「ふふ、お気持ちは分かりますが。そのマシンは連れて行った方がいいですよ。第二層に着いたら、まずはコンピューター端末を探して、そのマシンと接続してください。そうすれば道は開けるはずです」
ラダーの尻尾を摘み、そこから接続用コードを引き出して見せるベル。
「はうんっ!?」
妙な喘ぎ声を上げるラダーを見下ろし、クラィは眉を寄せた。
「どういうこと? そのエロ犬に何かすごいプログラムでも仕込んでくれたの?」
「そうですね――まあそういう感じです」
何故かベルは少しはぐらかすような笑みを浮かべ、ラダーに意味ありげな視線を向けた。
ベルに案内された抜け道は、第三層の湖から上層へ伸びる水道管に沿って作られた、メンテナンス用の縦穴だった。
階段はなく、上層まで梯子が延々と続いている。
私は肩にラダーを乗せ、クラィは背負ったレヴィを紐で固定し、先の見えない長い梯子を上っていく。先を行くのはクラィだ。
「――ミリィ、気を付けて」
ベルは梯子の下で、私たちを見送ってくれた。本当はベルも一緒に来て欲しかったが、彼女がこの層を離れると〝塔〟の水源はサタンたちの手に落ち、彼らの計画を早めることになってしまう。そのため彼女は第三層に残らざるを得なかった。
ベルの姿が見えなくなるまで、私は何度も振り返りながら梯子を上る。だがやがて下方は闇の帳に覆われ、そこからは前だけを見て手足を動かした。
途中で何度か休憩を挟み、数時間かけて私たちは第二層へと辿り着く。
突き当たりにあった重いマンホールの蓋を持ち上げ、外の様子を窺うクラィ。蓋の隙間から光が射し込み、私は目を細める。
「――大丈夫そうね。誰もいないわ」
クラィはそう言うと蓋を完全に開き、外へ出た。私も後に続く。
そこは左右に高い塀が聳える路地のようだった。塀の向こうには工場らしき大きな建物が見える。天井の照明はどこか白々としており、空には無数の電線が張り巡らされていた。
自然が多かった第三層とは正反対の場所だ。
「クラィ……ここからどうする?」
道の左右を見回し、私は問いかける。今のところ人影はないが、あまり一か所に留まらない方がいいだろう。
「とりあえず、どこかの建物に忍び込みましょう。ベルに言われた通り、まずはコンピューター端末にエロ犬を繋いでみるわよ」
クラィはそう答えると、私の肩から飛び降りたラダーに視線を向ける。
「ふっふっふ、期待していてくださいっす! まあボクにも何が起こるのか、さっぱり分からないっすけどね!」
妙に自信ありげな様子で応じるラダーに、クラィは深々と嘆息する。
「……めちゃくちゃ不安だわ」
そうして私たちは街の外周方向へと歩き始める。中心部の方が誰かと出くわす可能性は高いと判断したからだ。
しばらく歩くと塀の切れ目が見えてきた。いざというときにクラィが自由に動けるよう、私はレヴィを代わりに背負う。胸に穴の開いたレヴィの体はだらんと弛緩しており、小柄な割に重く感じた。
――早く、直してあげないと。
レヴィが撃たれた瞬間に脳裏を過ぎった記憶は、夢のように薄れてしまっている。だけど、彼女が自分にとって大切な存在であるという認識は揺るぎない。
「……ここは、無理そうね」
クラィは塀の角から敷地の中を覗き込み、小さく呟く。手招きをされたので、私もそっと顔を出してみた。
大きな建物へと資材を運び込む人たちが見える。そして彼らを監視するように、銃を持った銀色のドール――レヴィを撃ったのと同じ戦闘用マシンが立っていた。
「ワーカーはここでも酷使されているみたいね。ベルの話が本当なら、じきに解体されて戦闘用マシンの材料にされるっていうのに……」
歯がゆそうな面持ちで呟くクラィ。本当は今すぐ飛び出したいのだろうが、それをぐっと堪えて私に言う。
「――引き返しましょう。反対方向に進んで、人気のない施設がないか探した方がいいと思うわ」
「うん……そうだね」
レヴィが壊された時の激しい感情がこみ上げてきそうになっていた私は、奥歯を噛み締めて頷く。またあの時のように命令一つで戦闘用マシンを壊せる保証はない。仮にできたとしても、それをクラィに見せたくはなかった。あの時のクラィは――まるで化け物を見るような目を、私に向けていたから。
私たちは足音を忍ばせながらその場を離れ、反対方向へ向かう。するとすぐ十字路に出て、私たちは右に曲がった。この辺りは裏路地のようで、扉が異様に少ない。あったとしても完全に施錠された裏口ばかりだ。
しばらく進むと再び塀の切れ目が見えた。先ほどと同じようにクラィが先行し、私は様子を見守る。
「ぱっと見た感じ……誰もいないわ。何の施設かは分からないけど、今は使われてないみたい。いい感じに狙い目ね」
クラィは私を呼び寄せ、二人で敷地の中へと入る。何となく平べったい印象のある一階建ての四角い建物だ。入口はきっちりロックされており、押しても引いても開かない。
「……どうしよ、私が命令したらエレベーターの扉みたいに開くかな?」
私はクラィに問いかける。
「たぶん開くとは思うけど……それはこの場所にミリィがいることを知られることになりかねないわ。下手に上位権限を使うより、もう少し原始的な方法でいきましょう」
クラィは思案した後、建物の外周に沿って移動した。裏手に窓を見つけたクラィは、機械の腕で躊躇いなくガラスを叩き割る。大きな音が響き、私はびくっと体を固くした。
「く、クラィ、こんなことして大丈夫なの?」
焦って問いかけると、クラィは開き直った笑みを浮かべる。
「まあ誰かが侵入したことは気付かれるかもしれないけど、ミリィがいるってことまでは伝わらないわよ。とにかくコンピューター端末がないか探しましょう」
割れた窓の手を突っ込んで内側から鍵を外し、窓を開けるクラィ。軽々と中へ飛び込み、私からレヴィを受け取った後、私が中へ入るのも手伝ってくれる。最後に外のラダーを私が引っ張り上げ、私たちは内部の探索を始めた。
埃の積もり具合から見ると、結構前から誰も立ち入ってない場所らしい。部屋は真っ暗で電気が来ているかも怪しく思える。
これでは望み薄だろうと私は考えるが、意外にも目的のものはあっさり見つかった。
そこは恐らく、施設内の監視を行う部屋。たくさんのモニターとそれを制御するコンソールがある。だがモニターは真っ暗で、コンソールに触っても反応はなかった。
「電源を入れないとダメね。どこかにそれっぽいボタンはないかしら」
クラィは難しい顔で呟き、適当にボタンを押し始める。だが全てのボタンを押しても、反応はなかった。
「……ダメね。ケーブルを接続する端子はあるみたいだけど、電源が入らないんじゃ、どうにもならないわ。やっぱり生きた施設に行かないとダメみたい」
「ちょっと待ってくださいっす! その前に、試しでケーブルを繋いでみないっすか?」
ラダーはそう言って、ケーブルが格納されている尻尾を振る。
「……意味があるとは思えないけど、まあいいわ」
全く期待していない様子でクラィはラダーのケーブルを引き出す。
「あふんっ」
「だから変な声を上げないでよ!」
喘ぐラダーを軽く蹴飛ばし、クラィはケーブルを部屋のコンピューターと接続する。
だがその途端――部屋が明るくなった。
モニターが一斉に点灯したのだ。コンソールのボタンも縁が輝き、薄らと浮き上がって見える。
「あ、あんた何したの?」
驚いてラダーに訊ねるクラィ。
「わ、分からないっす! 動けって思ったら動いたっす! あ――な、何か色々分かるっすよ! とりあえずレヴィ姐さんを直せそうな施設を探してみるっす!」
ラダーがそう言うとモニターに表示された画像が目まぐるしく切り替わる。
「すごい……」
正直、何をやっているのかは理解できないが、私は画面に表示される情報を見て感心する。
「――んー、ここは中央のネットワークからは切り離されてるっすね。更新時期が古くて不安っすが、一応第二層のマップはダウンロードできたっす。狙い目は工場よりも、メンテナンス用の施設っすよ。近くにあるみたいっすから、付いてきてくださいっす!」
ラダーはそう言うとケーブルを引き抜き、部屋を飛び出す。
「あっ、待ちなさいよエロ犬!」
クラィが声を上げ、私たちはラダーの後を追う。割った窓から私たちは外に出て、先導するラダーについて行った。
そして、先ほどの建物より比較的新しい施設に辿り着く。
「ここがメンテナンス施設っす! 工場よりも重要度は低いっすから、たぶん警備はないはずっす」
「メンテナンス施設でレヴィは直せるの?」
私はラダーに問いかける。
「たぶん大丈夫っす。必要な部品があった場合、この施設は付近の工場から自動でそれを取り寄せる仕組みになってるっすから」
すらすらと答えるラダーに、クラィは訝しげな視線を向けた。
「あんた……いったいどうしちゃったのよ? どうしてそんなことが分かるの?」
「分かるものは分かるっすよ! たぶん中央のネットワークに接続できれば、もっと色々分かると思うっす。姐さんのために、発電所の制御施設も探し出してみせるっす!」
自信ありげに請け負うラダー。
私たちは周囲を確認しながら、メンテナンス施設へ入っていく。現在、施設を利用している者はいないようだ。ラダーの言う通り、警備をしている戦闘用マシンも見当たらない。
「こっちっす!」
ラダーは奥の施術室へ私たちを導いた。
天井には複雑な機器が設置され、奥には操作パネルらしきものが見える。部屋の中央には大き目の施術台があり、私たちはその上にレヴィを横たえた。
「レヴィ……」
顔に掛かった髪を指先で払ってから、私は部屋を見回す。
「……ここから、どうすればいいんだろ? 私たち、施設の使い方なんて分からないけど……」
「大丈夫っす! ここもボクに任せて下さいっす! さあ姐さん、また接続してくださいっす!」
そう言ってラダーはクラィに尻を向ける。
「またやるの……? 正直、もうヤなんだけど」
顔を顰めながらもクラィはラダーの尻尾からコードを引き出す。
「あうんっ」
「いい加減にしなさい!」
体を震わせるラダーの頭を軽く叩き、クラィは操作パネルにコードを繋げた。
すると先ほどと同様に画面が明るくなる。
「この施設はネットワークに繋がってるっすね。あ――」
だがそこで、ラダーは突然体をびくりと硬直させた。
「え、エロ犬? どうしたの?」
クラィが慌ててラダーの体を揺する。
「そういうことだったんすね――全部、分かったっす。思い出したっす!」
ラダーはそう呟くと、私の方に視線を向けた。
「マスター、ボクの〝オリジナル〟が話したいって言ってるっす」
「え――?」
私は意味が分からず間の抜けた声を上げる。
ブンッと画面が一斉に切り替わった。複数のモニターが全て同じ映像を映し出す。
そこに現れたのは、髪の長い男性の顔。顔立ちはとても整っており、瞳は左右で色が違った。
「だ、誰よ、この気取った感じの男は――」
突然のことに驚くクラィ。彼は切れ長の目を細め、私たちに微笑む。
「おお、ミリィ――百年ぶりだな」
そのよく通る声音は初めて聞く気がしない。ベルと会った時に抱いた既視感と同じものを抱く。
「あなたは……誰?」
躊躇いがちに問い返すと、彼は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「ああ、やはり分からないのか。俺はルシファー。かつて第二層の魔王だったドールだ」
その言葉にまず反応したのはクラィだ。画面に詰め寄り、彼――ルシファーを睨む。
「う、嘘! あんたはサタンに壊されたってベルに聞いたわよ!?」
「その情報は正しい。俺は確かに、完膚なく破壊された。ここにいるのは、ただの亡霊みたいなものだ」
「亡霊……?」
眉を寄せるクラィに、ルシファーは自嘲気味な笑みを向ける。
「電子頭脳が壊される寸前に、ネットワークを通じてパーソナルデータのバックアップを取ったのさ。とは言っても、下手な所へ隠せばすぐに見つかる。そこで俺が選んだのが工場で生産中の、マシンの電子頭脳だった」
ケーブルで接続されたラダーに視線を向け、ルシファーは言葉を続ける。
「マシンに用いられている電子頭脳は、ドールの電子頭脳にリミッターを掛けただけのものだ。ゆえに使われていないデータ領域が多くあり、私はそこに己を潜ませた。君たちがラダーと呼んでいるマシンは、その一つというわけだ」
「……最初に会った時から変なマシンだとは思っていたけど、それはあんたのせいだったのね」
クラィは納得した様子で腕を組む。
「ああ、私のデータが影響を与えていたのだろう。そしてさらにミリィがマシンとしての機能制限を解除することで、私はマシンの自我と半分混じり合ったのだ」
「……ちょっと待って。つまりラダーがエロ犬化したのは、あんたの影響ってこと?」
「まあ、そうなるな。ふふ、私も男性型ドールだからね。魅力的な女性には弱いのだよ」
「って、さわやかな表情で流してるんじゃないわよ! ミリィ、こいつ本性はとんでもない変態よ。気を付けなさい」
クラィは真剣な表情で私に言う。
「あ、あはは……で、でも、私のお父さん代わりだったってベルは言ってたし、悪い人じゃないと思うよ」
「おお、さすがは俺の娘だ。この手で抱きしめられないのがとても残念だよ。今の私では一緒に風呂へ入ってやることもできん。すまないな」
申し訳なさそうに頭を下げるルシファー。
「やっぱり間違いないわ! こいつやっぱりエロ犬と中身は一緒よ!」
クラィの言葉にルシファーは余裕の笑みを浮かべた。
「はは、君の罵倒は心地よいな」
「しかもドMだし!」
私を庇うようにクラィは手を広げる。
「――だが、歓談はここまでにしておこう。あまり時間は無駄にできない。まずはレヴィの修理に掛かるとしようか」
苦笑を浮かべたルシファーは急に真面目な口調で呟いた。すると部屋の機器が一斉に動き出して施術台のレヴィを取り囲む。
「直して……くれるの?」
私が問いかけると、ルシファーは真剣な表情で頷く。
「もちろんだ。ただしオリジナルセブンの規格に合う部品を調達するには、工場のラインにも干渉しなければならない。時間も掛かるし、ハッキングに他の魔王が気付く恐れもある。無事に施術を終えられるかは、運次第だな」
「じゃ、じゃあ――レヴィが直るまで、私はここを守るよ!」
「……いいのか? ここに留まれば留まるだけ、状況は厳しくなる。上層を目指すなら、レヴィのことは俺に任せて先を急いだ方がいいと思うが」
ルシファーは心配してくれるが、私は首を横に振る。
「ううん、私はここにいる。まずレヴィを直すって決めてきたから! もしピンチになっても力を合わせれば何とかなるよ」
私の言葉にクラィも頷く。
「――そうね。私も、そんなミリィに付き合うって決めてる。だから無駄口叩いてないで、とっとと修理を進めなさい!」
それを聞いたルシファーは愉快そうに笑った。
「はっはっは――力を合わせれば何とかなるか。その楽観、その慢心、悪くない。人間らしく、そして心地いい〝傲慢〟さだ。分かった、できるだけ早く施術を終わらせよう」
「ボクも頑張るっす! 効率的な修理プロセスの演算を手伝うっすよ!」
ラダーも声を上げる。それを聞いたクラィは、ラダーに問いかける。
「えっと……あんたは、ルシファーと同一人物ってこと?」
「ボクはボクっすよ! オリジナルとはまた別っす。二重人格みたいなものっすね」
「ふぅん……まあいいわ、じゃあ頑張りなさい。後で踏んであげるから」
「了解っす! 燃えてきたっすよ!」
「……やっぱりドMなのね」
クラィは呆れたように嘆息する。
それから私たちは、施術の邪魔にならないようモニターの前でじっとしながら、レヴィの修理が終わるのを待った。
専用のアームが目まぐるしく動き、コンベアに乗って運ばれてきた部品が瞬く間に消費されていく。
だがそれでも施術は数時間に渡った。途中から私はクラィの手を握り、このまま無事に終わることを祈る。
しかし現実は甘くなった。モニターに映し出されたルシファーが、固い声で警告する。
「――どうやら、俺たちの存在が察知されたようだ。手勢を引き連れて、こちらへ向かってくる者がいる」
「だ、誰!? まさか、サタン?」
クラィが問い返すと、ルシファーは首を横に振った。
「いや、違う。敵は〝暴食〟のベルゼブブ。第五層の魔王だ」
「ベルゼブブ――第六層で城の爆破に巻き込んだはずなのに……生きていたのね」
私はクラィの呟きを聞き、崩落するレヴィの城を思い出す。
「防衛戦をしなければならない今の状況では、最悪の敵だな。単純な戦闘能力で言えば、奴はオリジナルセブン最強だ。まともに戦っては勝ち目がない」
「そんなにヤバい相手なの?」
緊張した声でクラィは訊ねる。
「ああ、奴はあらゆるものを〝食べる〟。食欲に憑かれ、そのために己を極限まで強化した魔王。獲物を捕らえ、喰らうには、力がいる。圧倒的な暴力こそが、絶えぬ食を支えるものなのだ。奴にミリィを認めさせるには、力でねじ伏せるしかない」
「ち、力って、そんなの無理に決まってるでしょ!」
「そうだな。だが――君が協力してくれれば、わずかに可能性は生まれる」
真剣な眼差しをクラィに向けるルシファー。私は何となく、嫌な予感を覚えた。
「あたしにできることなら何でもするわよ。だからさっさと言いなさい」
「――返事はよく考えてからしてくれ。何故なら俺の提案とは……君を改造することなのだから」
「な……」
絶句するクラィ。私もその言葉には黙っていることなどできなかった。
「どういうこと? クラィにひどいことをするのはダメだからね!」
私がそう言うと、ルシファーは説明する。
「俺は彼女に、ある機能を移植したいと考えている。それはかつて私が有していた力だ。パーツの予備はあるので、時間は短くて済む。外見が醜くなることもない。この改造を施せばベルゼブブとの戦いで有利に立ち回ることができるだろう」
「…………」
クラィは考え込むように、顔を伏せた。
その様子を見て、私は言う。
つづく。
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七つの罪と四つの終わり 第十話
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「改造を受けるのは……私じゃダメなの?」
ベルゼブブと有利に渡り合うため、ルシファーはクラィにある機能を移植したいと言う。だがそれなら私でも構わないはず。少し前まで私は自分のことを人間だと思い込んでいたけれど――今はこの体がドールであることを知っている。
しかしモニタに映し出されたルシファーは首を横に振った。
「すまないが、ミリィの体は特別製だ。オリジナルセブンを含めたドールたちとは、規格が違いすぎる。だから私の機能を移植することはできない」
「そんな……」
呆然とする私の肩に、クラィがそっと手を置いた。
「ありがと、ミリィ。気持ちだけ受け取っておくわ。ルシファー、今すぐ始めてちょうだい!」
覚悟を決めた表情で、クラィは告げる。
「――分かった」
ルシファーも真面目な顔で頷いた。部屋にあったもう一つの施術台が、低い駆動音を響かせて起動する。
「姐さん……」
この時ばかりはラダーも心配そうな表情を浮かべていた。
レヴィの治療と並行し、クラィの改造が始まる。
「もう、そんな顔をしないでよ。あたしは別に嫌じゃないの。だってこれで――あたしはただのワーカーじゃなくなるんだから」
施術台の上に寝転んだクラィは、いつも通りの強気な笑みを浮かべたのだった。
およそ三十分後――私たちのいるメンテナンス施設は、大勢のドールに包囲された。
私は足が震えるのを堪えながら、施設の入口に立ち塞がる。
ドールの軍勢は何故か敷地内に入って来ず、私のことを遠巻きに眺めていた。
彼らを率いる魔王――〝暴食〟のベルゼブブだけが、その巨体を揺らし、大地に重い足音を響かせながら近づいてくる。
ベルゼブブは他のドールと比べて、圧倒的に〝異質〟だった。
私の三倍以上はある身長に、肥え太った体。体重は十倍以上あるかもしれない。こんな大きさと体型のドールを見るのは初めてで、私は圧倒される。
「げはははは――やっと、やっとだ……ついにこの時がきた」
口元から下卑た笑いと涎を垂れ流し、瞳に飢えた光を宿らせ、私に近づいてくるベルゼブブ。
怖い。今すぐ逃げ出したい。
でも、背を向けるわけにはいかなかった。レヴィの修理はまだ終わっていない。それまで何とかして時間を稼がなければ。私と――クラィで。
先ほど改造が完了したクラィが、事前の作戦通りに行動してくれるのを信じて、一歩前へ足を踏み出す。
それを見たベルゼブブの配下が、武器を手に前へ飛び出してきた。
「ベルゼブブ様、ここはまず私にお任せを!」
「……邪魔するな」
だがベルゼブブはその巨腕を伸ばして、配下のドールを摘み上げる。
「え……? な、何を――」
「ちと質は悪そうだが……前菜代わりだ」
不機嫌そうに呟きながら大きく口を開くベルゼブブ。耳の近くまで裂けた口腔が、ドールを呑み込んでいく。
「や、やめっ……ああっ……ぎゃああああああああああああああああっ、い、嫌だ! た、食べな、い、で――」
バキボギ、ゴギ――。
砕かれ、咀嚼され、嚥下される。悲鳴は途切れ、ベルゼブブの口からボロボロと彼の体を形作っていた部品と、オイルが零れ落ちた。
「あ、あ……」
その光景に膝が震える。目の前で行われたことが、すぐには理解できなかった。
「さて、次はメインディッシュだ」
口元に付いたオイルを拭い、ベルゼブブは再び私に迫ってくる。
そこでようやく悟る。彼は、私を喰らいに来たのだと。
「ずっと、ずっと、喰いたかったんだ……柔らかそうな肌、折れそうなほど細い手足、白い首筋……いつ見ても涎が止まらなかった……人間だった頃に喰えなかったのは、本当に残念だった……とても、とても、残念だったんだ」
ベルゼブブは目を血走らせ、私に迫る。
「私を食べて……どうするの? ドールなんだから、電気だけでも生きていけるんじゃないの?」
震える声で、私は問う。人間に似せて作られたドールには食べ物をエネルギーに変える機能もあるが、それは非常に効率が悪い。電力を直接取り込むのが普通だと、以前第七層で私は知った。なのに……どうして彼はそんなにも食べようとするのか。
「どうする、だと? げはは――意味などない。喰いたいから喰う。美味そうだから腹が鳴る。ただそれだけだ」
それ以上会話をするつもりもないらしく、ベルゼブブは獰猛な笑みを浮かべながら地を蹴った。
「っ――」
あの巨体からは想像もできない速度で、突進してくるベルゼブブ。
食欲だけに支配された狂獣の眼光に、本能的な恐怖が湧き上がる。
だが、立ち竦んではいけない。私がやるべきことは時間稼ぎ。まずは十分にベルゼブブの注意を引きつけた後、ひたすら回避に徹するのだ。
脳裏にルシファーの言葉が過ぎる。彼は作戦を立てている時に、こう言った。
『ミリィの体は戦いに適しているとは言い難いな。有機素体を採用した分、再生力は高いが……防御力は低く、高い馬力も出せないだろう。だが基本的な運動性能自体は低くない。今は人間としての〝常識〟が無意識にリミッターを掛けているのだろうが、意識してそれを外せば――』
――攻撃を躱すぐらいのことは、きっとできる!
恐怖心を押さえつけ、ベルゼブブから目を逸らさずにタイミングを計る。
風を裂き、巨大な腕が伸びてきた。
――今!
私を捕えようと大きく広げられたベルゼブブの五指。その指先から、私は寸前のところで逃れる。
空振ったベルゼブブの腕は、そのまま地面に突き刺さり、土煙を巻き上げた。
「……いけないなぁ。メインディッシュが逃げちゃあ、いけない」
ゆらりと身を起こし、平坦な声で呟くベルゼブブ。
「私は……食べ物じゃない」
「いや、食べ物さ。俺より弱いものは、全て食糧。弱肉強食という言葉を知っているか? 弱者は強者の餌になるって意味だ」
自らが強者であることを微塵も疑わぬ顔で、ベルゼブブは告げる。
「だったら……あなたに私を食べる資格はないよ。私はあなたより――強いから」
ベルゼブブを挑発するため、私はあえて神経を逆なでする台詞を選んだ。
ピクリと彼の眉が動き、唇の端が引きつる。
「……ほざけ。人間だからというだけで、無条件に偉ぶれた昔とは違う。今のお前は、俺より弱い、ただのドールだ」
両腕を広げた格好でベルゼブブは再び私に飛び掛かってきた。
私はそれを紙一重で躱し続ける。思った以上に体は軽く動いてくれた。だがそれでもベルゼブブを引き離せるほどではない。確実に私は逃げ場を奪われ、壁際に追い詰められてしまう。
「前も後ろも行き止まり……さて、そろそろ皿に乗る時間だな」
舌なめずりをして、ベルゼブブは私に両腕を伸ばす。けれど私は精一杯強がって、口元に笑みを浮かべた。
「ううん、前と後ろがダメでも――まだ、上がある!」
私はそう言って、右手を掲げる。クラィを信じて、天に腕を伸ばす。
地面に影が落ちた。その影はあっという間に大きくなり、私の右手を力強い金属の手が握りしめる。
「な――」
ベルゼブブは頭上から舞い降りた者を見て、呆気に取られた表情を浮かべた。
私の手を掴んだのは、黒い翼を背に生やしたクラィ。大きな黒翼を羽ばたかせ、クラィは私を天へと導く。
あっという間に地上が遠ざかり、ベルゼブブの姿が小さくなった。
これがクラィに移植されたルシファーの力。誰よりも傲慢な彼が望んだ、天からの視点。
「ミリィ、大丈夫だった?」
クラィは私を片腕で抱え上げ、心配そうに問いかけてくる。
「うん、平気。でもよかった……ホントに飛べたんだ」
私が答えると、クラィは苦笑を浮かべた。
「まあぶっつけ本番だったからね。コツを掴むまで少し時間が掛かったけど、もう大丈夫――あたしはこの翼を使いこなせる。誰もあたしのいる場所には届かない!」
高揚した様子で叫ぶクラィ。
「で、でも逃げてるだけじゃダメだよ? 私たちはレヴィの修理が終わるまで、時間を稼がなきゃいけないんだから」
「分かってるわ。まずはあのデカブツを施設から引き離して――ルシファーに教えられた場所まで誘導する」
「うん……行こう、クラィ」
私が頷くと、クラィは地上へと急降下し、ベルゼブブの頭上を横切る。
「喰えるものなら喰ってみなさい! この肥満魔王!」
「――貴様ぁっ!」
クラィの挑発に乗り、ベルゼブブは私を抱えて飛ぶクラィを追ってくる。
邪魔する壁を砕き、建物をなぎ倒し、一直線に突進してくるベルゼブブ。
そのパワーと体の頑丈さは常軌を逸していた。けれどその巨体故に彼は飛ぶ機能までは有していないらしい。ベルゼブブは背に蠅の羽根を模したマントを羽織っていたが、それはあくまで装飾品のようだ。
「見えた――あの建物ね!」
クラィは目的の場所を見つけたらしく、進路を微調整する。
風が強くて、私は薄目を開けることしかできない。行く手にあるのは、赤い屋根が目印の大きな工場だ。
ルシファーによると、資材の廃棄と再処理施設だという。中にあるのは――巨大な溶鉱炉。
「自分から溶けた鉄の中に突っ込むといいわ!」
クラィはそう言いながら工場の上を通り過ぎる。そして追ってきたベルゼブブは、それまでと同様に施設の壁を壊し、工場の中へと突進した。
彼の成した破壊が連鎖し、天井が崩れ落ちる。その下に熱く煮えたぎった溶鉱炉が見えた。
スピードを殺し切れず、その中へと落ちていくベルゼブブ。赤く輝く熔鉄の中へ、彼の姿は呑み込まれる。
「やった!」
クラィは歓声を上げる。けれど私は、気を緩める気にはなれなかった。
「クラィ、早くレヴィのところへ戻ろう。ルシファーも言ってたじゃない。もし作戦が成功したとしても、ベルゼブブを倒し切るのは難しいだろうって」
「そうは言うけど、いくらなんでも溶鉱炉の中に落ちたら――」
苦笑いを浮かべて言うクラィだったが、途中で表情が引きつる。
熱く煮えたぎった溶鉱炉の中で、何か動くものがいた。赤い鉄を滴らせながらも、溶鉱炉の壁に近づく大きな姿。
「嘘……でしょ。これで壊れないなんて……いったいどんな体してるのよ」
「急ごう、クラィ」
「ええ――分かったわ」
真面目な顔で頷き、クラィは翼を羽ばたかせる。風に乗り、メンテナンス施設へと戻ると――思いがけない光景が待っていた。
倒れ伏すたくさんのドールたち。
ベルゼブブに率いられていた軍勢が……壊滅している。
山積みになったドールたちを踏みしめているのは、フリルの付いた可愛らしい衣装を纏う少女のドール。
「レヴィ!」
私は彼女の名前を呼ぶ。するとレヴィは視線を上げ、優雅に微笑んだ。
クラィに抱えられて地上へ降りると、私は彼女の元に駆け寄る。
「よかった! 直ったんだね!」
「ええ――おかげさまで。事情はルシファーから聞きましたわ。わたくしのために……本当にありがとう……ミリィ」
レヴィは礼を言うと、私をぎゅっと抱きしめた。
そして私の肩越しに、クラィを見る。
「あなたにも一応感謝してあげます。わたくしのミリィを、ここまで守ってくれたのですからね」
「――全く、相変わらずね。言っておくけどミリィはあんたのじゃないから」
不機嫌そうな口調で釘を刺すクラィ。
「姐さん、すごかったっす! 最高にカッコよかったっすよ! まさに黒き堕天使っすね!」
そこにラダーが駆け寄ってきて、私たちの周りを走り回りながらクラィを褒めた。
「く、黒き堕天使って……そんな恥ずかしい呼び方止めて!」
顔を赤くしてクラィは叫ぶ。
「そうっすか? ボクのオリジナルは自分のことをそう呼んでたみたいっすけど」
「……あんな変態と一緒にしないで」
「まあとにかく、その翼は姐さんが付けてる方が似合うっすよ! おっさんに翼が付いてても誰得って感じっすからね!」
「あんた……自分のオリジナルを、よくおっさん呼ばわりできるわね」
呆れた口調でクラィは言い、深々と息を吐く。
それを見ていたレヴィは私から体を離し、代わりに手を強く握った。
「ミリィ、あんな漫才コンビは放っておいて、早くわたくしと逃げましょう」
だがクラィはその発言を聞き逃さず、素早くツッコむ。
「誰が漫才コンビよ! 言っておくけど……第一層へ行くにはあたしの翼が必要なんだから!」
「……仕方ありませんわね。でしたら早く運んでくださいな」
「こいつ……途中で落としてやろうかしら」
ぶつぶつと不穏な事を呟きながらも、クラィは両手でそれぞれ私とレヴィを抱えた。
最後にラダーが私の肩に飛び乗ってくる。
「――ルシファーに挨拶しなくていいのかな」
私はメンテナンス施設に視線を向けて呟いた。
「大丈夫っすよ! オリジナルはまだボクの中にいるっすから。尻尾をコンピュータに接続すれば、またいつでも出て来れるっす」
ラダーの言葉に、私は安堵の息を吐く。
ちょっと変な人だったけど……父親代わりだったという彼と、これでお別れするのは少し寂しく思っていたので安心した。
ドォォォォォォン――!
遠くで爆発のような大きな音が鳴り響いた。ベルゼブブが溶鉱炉から這い出てきたのかもしれない。急がなければ。
「行くわよ――!」
私の腰を強く抱き、クラィは翼で風を巻き起こす。
ふわりと体が浮き上がり、私たちは宙の住人となった。
第二層の天井――巨大な複数の照明が煌々と輝く中へと、私たちは昇る。
天井には飛行可能なルシファーだけが使えた秘密の通路があるらしい。
そこを目指してクラィは飛ぶ。
「あそこっす! 照明の傍――大きな配管が剥き出しになっているところに第一層への抜け道があるっす!」
ラダーが細かい場所を指示し、私たちは太いパイプの裏にある秘密の通路へと降り立った。
捻じれたパイプがまるで螺旋階段ように上まで続いている。ここを登って行けば、第一層に行けるのだろう。
ごくりと唾を呑み込む。ずっと目指してきたソラが、あと少しのところにある。
第一層を抜けたところには、いったい何があるのか。ソラは、どんなものなのだろうか……。
「――ねえ、ミリィ」
物思いに沈んでいると、レヴィが少し不安そうな表情で私の名前を呼んだ。
「何?」
「この先には――第一層の魔王、サタンがいますわ。あなたは彼の事を何か憶えていまして?」
「ううん……何となくレヴィのことだけは少し思い出せた気はするんだけど、他は全然。でも、私にとって兄みたいな存在のドールだったってことは、ベルから聞いた」
私の返事を聞くと、レヴィはさらに表情を曇らせる。
「そう……だとしたら、ミリィでもサタンが変わった理由を突き止めるのは無理かもしれませんわね」
「変わった……?」
「ええ、今のサタンはミリィが人間だった頃の彼とはまるで別人ですわ。どうして彼がルシファーを破壊し、戦闘用マシンの量産に動いたのか……誰もその理由を知りません」
少し寂しげな表情で呟くレヴィ。どうやらかつてのレヴィとサタンは、それほど悪い関係ではなかったらしい。
「何か……あったのかな?」
「いえ――わたくしの知る限りでは、何も。本当に何一つ、思い当たることがないんです。だからこそ、わたくしは彼が恐ろしいですわ」
両腕を抱き、レヴィは微かに体を震わせる。
そんな彼女に私は――
「七つの罪と、四つの終わり・下」につづく。
―――――――――――――――
籠村コウ 著
イラスト ゆく
企画 こたつねこ
配信 みらい図書館/ゆるヲタ.jp
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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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