双極のインテルメッツォ
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double.0
「かけちがいトリニティ」
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ドグシャッ!
プスプスプスプス・・・
主人公、『弟切ケンジ』は焦げていた。
ズドン!
「グェボラッ!」
背中に強い衝撃が走った。
全身がヒリヒリと痛む。オレはヒキガエルの様に地面に突っ伏していた。
焦げた匂いが鼻につく。
オレは何が起こっているのか、まったく理解できずにいた。
「ちょっとアンタ! 何なのよ!」
グリグリグリグリッ。
「ウグググ・・・」
背中にさらに痛みを感じ、オレの喉から変な音が漏れる。
「私の邪魔をするなんて、いい度胸ね!」
頭の後ろから、ハスキーかつちょっとヒステリックな女の子の声が響く。
「なに黙ってんのよ! 何とか言いなさいよ! このっ!」
オレは必死で首を動かすが、背中の重みでうまく振り向くことができない。
グリグリグリグリグリグリッ。
「グエッ!」
オレは再び背中に痛みを感じた。
「なに・・・? もしかしてあんた・・・カエルかなんかなの?」
女の子の声のトーンが急に憐れんだように変わり、フッと背中が軽くなった。
オレはゆっくりと上体を起こして見上げてみる。涙で滲んだ視界には、仁王立ちの女の子が写った。ブロンドの髪にリボン。片手に杖を持ち、肩には黒い仔猫を乗せて偉そうに腕を組んでいる。
魔導科の制服だ。ケープの色からしてオレと同じ二年か。彼女の身体からは、ほのかに柑橘系の香りが漂ってくる。
オレはその顔に見覚えがあった。
彼女はこのグレモリー魔導科学学園、魔導科主席の『マーガレット=カニンガム』だ。
青い瞳、小さな鼻、端正な顔立ち。
かわいらしい容姿をしているが、高飛車なお嬢様として有名な奴だ。一部の学生たちには絶大な人気を誇っているが、オレにとっては最も苦手なタイプと言っていい人物だ。
「アンタ、誰だか知らないけど、あたしの邪魔をしないでよね。今度はこの程度じゃ済まないわよ!」
口を開けて見上げているオレに対して、マーガレットは少しあごを上げて言い放つ。
「なるほど」
オレはこの瞬間に理解した。
ついさっき校門を潜って、科学科の校舎のほうに向かっていた時に、後頭部に強い衝撃を受けた。マーガレットの放った攻撃魔術にブチ当たったようだ。
その魔術の衝撃で、オレはぶっ倒れちまった。理由は分からないが、あのカモシカのような細い足に踏まれていたらしい。
オレは妙に合点がいった。
パンパンッと煤を払いながらスッと立ち上がる。
マーガレットの目をキッと見据え・・・・・・られずに彼女の眉間の辺りを見る。目を合わせたら生き物として負けだと直感的に悟っちまったからだ。
「朝っぱらからなにしてくれてんだよ。おかげでオレ、コゲコゲじゃん・・・」
オレはかすれた声で、不満をボソッ呟いてみる。
マーガレットの肩の仔猫の耳がぴくりと動く。仔猫は前足を伸ばすと、彼女の頬に濡れた鼻をチョン、とくっつける。
彼女は眉を寄せ、キッとオレを睨んできた。
「アンタが勝手に間に入ってきて、勝手に真っ黒になってるんじゃない!」
マーガレットは、髪の毛をいじりながら言い放つ。
こいつ地獄耳なのか・・・? オレは軽く息を吸った。
「こんな所で魔術を使うなんて、なに考えてんだよ。授業以外で使うのは禁止のはずだろ?」
「ふんっ! 科学科の生意気な小娘にはちょうどいい〝おしおき〟よ」
長いまつげの目を細めると、マーガレットは少し得意げに鼻をならした。
「小娘? おしおき?」
周りを見渡すと、いつの間にか遠巻きに人垣が出来ていた。かなりの数の学園生たちが、怪訝な表情でこちらを見ている。
死角になっていて気づかなかったが、すぐ近くに小柄な少女が立っていた。
オレと同じ科学科の制服、青いロングパーカーを着て、ヘッドフォンを首にかけている。はね気味の銀髪ショートが幼く見える、色白な少女だ。
冷たい赤い瞳が、興味なさげにこっちを見ていた。
この娘は誰だ? スカーフの色からすると、新入生のようだが。
少女はオレと目が合うとすぐにぷいと目を逸らし、そのまま背を向けてすたすたと歩いていく。
「ちょっとアンタどこ行くのよ! 話はまだ終わってないわよ!」
マーガレットは、少女に向かって声を荒げた。
少女は足を止め一瞬振り返るが、そのまま平然と人ごみに消えて行ってしまった。
「なによ、あの小娘!」
マーガレットは顔を紅潮させて言った。
「あの娘、誰なんだ?」
オレは訳も分からず、素朴な疑問を投げかけた。
「あれは『アナスターシャ・アシモフ』。科学科期待のルーキーって噂らしいけど、アタシに恐れをなして逃げたみたいね。聞いてたよりも全然大したこと無さそうじゃない」
「ふーん、期待のルーキーねぇ・・・」
同じ科学科だったら、そのうち関わる事もあるかも知れないな。
そう思いながらも、面倒になったオレはマーガレットのせいで地面に散乱したカバンの中身を拾い始めた。
「アンタ、ちょっと待ちなさい!」
拾った教科書や参考書をカバンに詰めていると、いきなりマーガレットに腕を掴まれた。
「な、なんだよ」
「その持っているのは何よ?」
「カバンだけど?」
「逆よ逆! そっちの手に持ってる本のことよ!」
「え? これのことか?」
オレの右手には古めかしい装丁の、ボロボロの古書が握られていた。
「そう! その本のことよ! それ魔導書じゃないの? なんで科学科のアンタがそんなモノ持ってんのよ!?」
「・・・お前には関係ねーだろ」
オレは掴まれた腕を振りほどき、ぶっきらぼうに言った。
「何よその言い草――」
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
マーガレットはムッとした表情で何かを言いかけたが、その時、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
すでに辺りには、オレたち以外はいなくなっていた。
放課後。
そそくさと教室を出たオレは、魔導科と科学科の間にある、中庭に茂る林の中を歩いていた。林には小川が流れ、降り注ぐ木漏れ日が心地いい。
オレは朝の喧騒など嘘だったかのような穏やかさを感じていた。
林の遊歩道を少し抜けると、古ぼけたレンガ造りの建物が見えてくる。
二階建てのその建物にはツタが絡まり、レンガに苔を生やしている。ボロボロだがひと目で歴史のある建物だとわかる。
正面の玄関を入ると、薄暗い一階の廊下が左右に伸びている。外の穏やかさとは対照的に、得体の知れない何かが出そうな、陰鬱とした雰囲気だ。
風で揺れる木の音だけが耳に聞こえてくる。
オレは廊下を左に進み、突き当りの木で出来た扉に向かった。自分の靴の音が反響して廊下に響く。
扉は両開きで、取っ手として鉄で出来た輪っかが付いている。右側中央には、日に焼けた張り紙がしてある。
「-魔導科学技術研究会- 会員募集中!」
とマジックで書かれている。
張り紙を横目に見ながら、オレはいつも通り左側の扉を押して中に入った。
部室内には散乱したガラクタや薄汚れて年季のはいったホワイトボード、使っていない埃をかぶったパイプイスが、いくつか壁に立てかけてあった。
オレはカバンを床に放り投げると、いつも使っている会議机の上においてある作りかけの装置を手に取った。
「へへへ」
思わず笑みがこぼれた。
装置とは言っても手の平より少し大きい棒状のモノ。
外殻は真鍮製のパイプを加工したもので、中には魔導エネルギーを『目的の形』に制御するチップセットや配線が仕込まれている。
先端が開閉するギミックもあり、そのための歯車が妖しい光沢を放っていた。
『目的の形』とは、傘みたいなものだ。
これは魔力を動力源に、雨をよけるためのフィールドを頭上に展開する装置。
あとは棒の中のシリンダーに魔力を注入して、出力を調整すれば完成だ。
オレは愛でるような気持ちで棒を眺めた。
他人から見たらちょっと気持ち悪いかもしれないな。
まあ、構わないか。この旧部室棟には、今はこの『魔技研』しか存在しない。
つまり、この古びた建物にはオレ一人しかいないわけだ。
「さて、今日も一人で頑張るか」
オレは少し大きな声で言った。
少し伸びをして、ふと目を落とすと会議机の上には、今までオレが作った装置が並べてある。
小さな卵形の魔力電池 『マギエッグ』
脳波で動かせる掌大の走行車 『バジリスク』
瞬時に飲み物を冷やせる魔氷 『アイスキューブ』
鼠を操れる魔笛 『ハーメルン』
腕時計型の魔力探知機 『シーカー』
魔力を視覚化できる眼鏡 『フォースアイ』
魔力がなくても擬似的な魔術が使える手袋 『デモンズハンド』
オレが入学して以来、コツコツと作り上げた自慢の発明品たちだ。
オレは作業をするべく床に腰を下ろしてあぐらをかくと、ズキリと背中が痛んだ。
今朝、マーガレット=カニンガムに踏まれたところだ。
「いつっ・・・!」
「あいつ、マジで何だったんだ。攻撃魔術くらってその上踏みつけられたのに、罵声を浴びせられた記憶はあっても、謝られた記憶はないぞ・・・」
オレは顔をしかめて文句を呟きつつも、少しホッとしていた。
もうあいつとは会わないし、関わらないと決めたからだ。
「さわらぬ神に、祟りなし・・・、っと」
顔を手元の装置に向けると、オレはふと思い出した。
「あれ? あの場にもう一人女の子がいたな。一年生で、名前は・・・ア・・・ア・・・何だっけ?」
思い出したくない出来事を思い出すのは大変らしい。きっとオレの脳と心が、記憶にアクセスするのを拒んでいるんだろう。
トン・・・トン・・・
その時、扉のほうからノックのような音が聞こえた。
オレは誰か来たのか? と思い扉のほうを振り返るが、誰かがいる気配はない。そもそもこの部室に用事がある人間なんていないはずだ。
「・・・・・・・・・」
そういえば噂で聞いたことがあるぞ。この建物で上半身だけの女が追いかけてくるとか、真っ黒な子供が天井に張り付いていたとか・・・学校にありがちな〝アレ〟を。
オレはゴクリと唾を飲み込んだ。
「は、はは・・・ど、どこにでもある噂だよ、な。ははっ・・・」
そう自分に言い聞かせるように、オレは顔を引きつらせながら震えた声で呟く。脳裏にはすでに、廊下の陰鬱な雰囲気を思い出しちまっていた。
背中に冷たい汗が流れてゆく。
「・・・気のせい、気のせいだろ」
オレは変化のない扉をたっぷりと確認すると、数十秒間、固まっていた視線をぎこちなく手元に戻す。
戻した視線の先に人の足がチラっと見えた。
「おわわああああっ!!」
ビックリしたオレは情けないことに、すっとんきょうな声で叫んじまった。
瞬時に顔を上げると、白い顔をした女の子が立っている。
「な、なな、な・・・あわわ!」
オレはビビリながらも、見開いた目でその顔をよく見てみる。朝の騒動の時に見かけた、背の小さな銀髪の女の子だった。
オレは生きている人間だと分かってホッと胸をなでおろす。
同時に叫んでしまった自分を、少し恥ずかしく思って顔に熱が帯びるのを感じた。
「お、お前、いつの間に入ってきたんだよ・・・! おかげでビックリしちゃっただろ!」
「・・・・・・」
女の子は動かず、生気のない表情でオレを見ている。
いや、オレの手元の装置を見ているのか?
その静かな佇まいに、この娘は本当に生きている人間なのか不安になってくる。
「お、お前、今朝校門にいた娘だろ? 名前は・・・ア・・・ア・・・、アなんとか?」
オレは不安をかき消すように、または〝アレ〟ではないことを願いながら声をしぼり出す。
「・・・ナースチャ」
その声は不思議と耳に心地の良い響きだった。
そして女の子が口を開いて声を発したことに、オレはひそかに安堵した。
この娘は生きてる人間だ、と。
「ナースチャ? そんな名前だったっけ?」
オレはそんな言葉は初めて耳にする。
「・・・ナースチャ。本名はアナスターシャ=アシモフ。ナースチャは愛称・・・」
そうだ。オレはマーガレットからその名を聞いたことを思い出した。
「お前、自分を愛称で呼ぶのか?」
オレの問いかけに対して、彼女は小鳥のように首を少し傾けて言った。
「・・・悪いの?」
「い、いや別に・・・」
バツが悪くなったオレは、とっさに質問を変えてみた。
「それでナースチャ、この部室に何の用だ? ここにはオレしかいないぞ」
「・・・タブレットPC、見せて」
「・・・は?」
ナースチャは抑揚のない声で続ける。
「朝、あなたが持っているのを見たの。それを見せて」
確かにオレは自作のタブレットPCをいつも持ち歩いている。今朝も手に持っていた。
「・・・なんでお前に見せなきゃなんないんだよ?」
「・・・興味があるの。あなたのタブレット」
オレは自分が作ったものに対して、「興味がある」と言われたのは初めてだった。嬉しいような、恥ずかしいような、なんとも言えないむず痒い気持ちになった。
しかし、オレのような『健全な』青少年なら人様に見られたくないモノがPCの中に少なからず入っている。興味本位で中のデータを覗かれたら、たまったもんじゃない。
しかも下級生の女の子に!
オレは学生生活を平穏に続けたいんだ。この状況なら誰でもこう答えるに決まっている。
「ノー、だ」
オレが突っぱねるように拒絶すると、ナースチャは少しだけ唇を尖らせて不機嫌さをあらわにした。
彼女の表情の変化を見るのは初めてだ。普通の女の子っぽい顔も出来るんだな。
「私が興味あるのはタブレットのデータではなく、その『作り』・・・。中のデータは見ない」
彼女の赤く澄んだ瞳は心の中まで見通せるのか?
ナースチャは足を交差させながら、ジッとオレの目を見てくる。
「わ、わかったよ。そんなに見ないでくれ」
オレは観念して、カバンからタブレットPCを取り出し、ナースチャの小さな手に渡した。
決して美少女に見つめられて、耐え切れなくなったわけではない。と、心の中で言い訳をする。
「・・・・・・」
ナースチャは渡したタブレットPCを両手に持ち、背面や横の音量ボタンなど、細かいところまで真剣な眼差しで見ている。
オレは朝からちょっと気になっていることを口にしてみた。
「なぁ、ナースチャ。お前、科学科期待のルーキーなんだってな。頭良いのか?」
ナースチャはタブレットPCから目を逸らさずに答える。
「・・・別に。去年、空間の特異点と圧縮航行に関する六つの論文を発表して科学アカデミーに賞をもらった。あとはこの学校の入学試験で満点をとっただけ」
は?
「・・・天才じゃねーか」
オレは呆気にとられて、ナースチャの顔を見た。まさかアンドロイドじゃないだろうな。
先端技術で作られたキメの細かい白い肌に、もっちりとしたほっぺたが内蔵されている。両方の伏せたまぶたには、長いまつげがUSB接続されている・・・とか? オレは馬鹿なことを考えていた。
パカッ
タブレットPCから乾いた音が鳴った。
「あっ!」
ナースチャは背面のカバーを、いとも簡単に外しちまった。
「お、おい、なにすんだよ・・・! 壊すなよ!」
オレは焦って声を上げた。中には思春期男子が見られたくないデータはもちろん、授業の内容や音楽データも入っている。
ナースチャはまるで植物のように微動だにせず、背面の基板や配線を見つめている。
「このまま分解するつもりじゃないだろうな・・・」
頭の中の言葉が、思わず口に出てしまった。するとナースチャが顔を上げる。
「・・・これ、あなたが作ったの?」
「そうだけど・・・何?」
「基板は何かの樹脂だけど、配線に銀を使っている。なぜ? バッテリーの代わりには、奇妙なガラス製のシリンダー。これは魔力を封じ込めたもの? つまり魔力を電力に変えて動力源としている・・・? まさか・・・。そしてこの記憶装置があるべき場所には、変な汚い紙・・・」
ナースチャは眉根を寄せブツブツと喋っている。そして、難しい顔をしてオレを見る。
「・・・なにこれ。こんなの見たことない。動くの?」
「いや、普通に動くけど」
オレは手を伸ばし電源ボタンを押す。タブレットの画面には、待ち受け画面の猫の写真が表示された。
ああ良かった、壊れてはいないようだ。
「・・・!」
タブレットPCが稼動すると、ナースチャは少し目を開いた。
オレはナースチャがいちいち反応してくれることに嬉しくなってしまい、聞かれてもいないのに自慢のタブレットPCの説明を始めた。
「この基板は漆の樹脂で、配線には合成銀を使ってる。そのガラスのシリンダーは魔力電池だよ。ただ、電池と言っても魔力を電力に変えてるんじゃないぜ。その中を通ってるのは魔力そのものだ。魔力をデジタル信号のように変換して制御してる。銀は魔力の伝導率が良いからな。その紙は記憶装置になってる。カラスの羽を月桂樹のオイルに浸けて、羊皮紙で包んだ物。ちなみにディスプレイも魔力で投影してるんだぜ」
オレが話し終わると、ナースチャはむくれた顔でスタスタと詰め寄ってきた。ナースチャの綺麗な顔が間近に迫り、ドキドキしちまった。
「・・・な、何だよ。そりゃあオレが作ったものはガラクタに見えるかも知れない。でもなぁ――」
「嘘つかないで」
オレの話を遮り、ナースチャが落ち着いた声で冷たく言った。
「こんなの・・・。こんな技術、見たことも聞いたこともない。魔力をエネルギーとして封じ込める? 信号に変換する? そしてそれを記憶させて表示する? そんな技術はこの世界に存在しない」
「え? ちょ、ちょっと待て」
オレは両手を開いてナースチャを制しながら言った。
「ま、魔導も科学も似たようなモンだろ? コントロールの仕方も、オレが持ってる本に書いてあったし ――」
「魔導と科学が似ている? ふざけないで。科学は未来を切り開くもの。あんな古臭いマヤカシと一緒にしないで」
「・・・!」
一瞬、部室から音が消えた。
ナースチャの信念が込められた声と氷のような赤い瞳に睨まれて、オレは固まってしまった。
数秒経ってから、ナースチャは目を閉じて大きく息を吸い、深呼吸をした。
「科学と魔導は相容れない。科共と魔協で戦争もあった。学校内でも科同士で対立してる。世界中そう。あなたもわかっているはず・・・」
ナースチャは静かな声で、オレを諭すように囁く。
オレが生まれてからずっと周囲に聞かされていた、飽き尽くした退屈な言葉だ。
「それはオレだって知ってるさ。だけどオレは、この二つが分離してるものだとは思わない。だからこの魔技研を創ったんだ。魔導と科学、もしかしたら融合出来るんじゃないかって思ってな」
「・・・・・・」
ナースチャは少し上を見て考えた後、小さな声で呟いた。
「・・・変な人」
そう言った時、少し笑ったように見えた。
「お前に言われたくはない」
オレがツッコミを入れた途端、大きな音が鼓膜を揺らした。
ビィー! ビィー! ビィー!
あまりの音にオレは心臓が口から飛び出すかと思った。ナースチャも肩をビクッとさせて、身をかがめている。
二人は両耳を手で塞ぎ、周囲を見渡す。
「この音は・・・!」
オレは頭が割れそうになりながらも、心当たりのある会議机に向かった。
音の原因はこれだ。魔力探知機『シーカー』。
オレは腕時計型のそれを持ち、ガラスカバーの横にあるボタンを押して、音を止めた。
キーンと大きな耳鳴りがしてる。後で音量調節しとかなきゃな。
「な、なんなんだ、突然・・・?」
半球状のガラスカバーで覆われた探知機のディスプレイを見ると、この部室の扉の向こうに強大な魔力の反応が集中している。
この魔力探知機は、主に人間の眉間から後頭部の盆の窪にかけて展開されている「魔導力場」――ちょうど地球の北極と南極の磁場のようなもの――を検知する装置だ。
つまり、扉の向こうに強大な魔導力場が存在するってことになる。
ドカッッ!!
突然、ドアが吹っ飛んだ。
オレとナースチャが扉の方を振り返ると、見覚えのある細い足が伸びていた。
「やっと見つけたわよ! 黒コゲ潰れカエル男! 神妙になさい!」
そう言うなり、ズカズカと大きな足音を立てて、入ってくる。
「そう、マーガレット=カニンガムだ」
「・・・冷静に何言ってるの?」
解説風に語るオレに、ナースチャが呆れたように呟く。
マーガレットはそのまま眼前まで詰め寄ってきた。
「さあ、出しなさい! 黒コゲ潰れカエル男!」
手を腰に当てて、エビ反りになるくらい胸を張っている。
オレはわけも分からずに焦った。
「な、何を・・・? いや、それより扉が・・・」
「いいから! あの魔導書を見せなさい! 早くっ!!」
マーガレットは鼻息を荒くし、手を『パー』の形に開いて、シュッと俺の前に突き出してきた。
少し考えて、今朝マーガレットに見つかったあの古書の事だろうと、オレは気付いた。本ひとつのために学校中を探し回っていたとすると、ちょっと健気な感じもする。
「あぁ、アレか。分かったよ。ちょっと待ってろ」
引き下がりそうにもない彼女を見て、俺は素直に従った。床に放られたカバンに向かい、古書を探す。
「あら・・・? アナスターシャ=アシモフ! なんでアンタがここにいるのよ!?」
マーガレットはナースチャの存在に今まで気付かなかったみたいだ。
「・・・あなたには関係、ないでしょ」
「今朝はおめおめと逃げてくれたわね。ということは、私の勝ちよ。分かったでしょ? 魔術こそが科学より優れたものだって」
オレがカバンを漁っている間、後方から二人の声が聞こえる。
姿は見えていないが、マーガレットが腕を組んでナースチャに詰め寄る光景が容易に想像できる。
「魔術なんて科学の前身。今は必要のない、時代遅れの骨董品」
マーガレットの言葉にナースチャが反論する。
「ふん、科学が魔術の亜流だってことを認めるのね。そうよ。生みの親である魔術には、比べ物にならないほど立派な歴史があるのよ!」
「・・・道化師と殺人鬼の歴史がね」
「な、なんですって!? 由緒ある『魔導十二家』の一つであるカニンガム家を侮辱するつもり!?」
「・・・肩書きに意味などない」
「キ、キーーーーー!!」
冷たい瞳で淡々と語るナースチャに対して、顔を真っ赤にしたマーガレットが奇声を上げる。
「はぁ・・・」
一触即発の会話を聞きながらオレはため息をつき、古書を片手に立ち上がる。
「やめろ! 騒ぐなら出てけ!」
オレは慣れない大声を出した。少し裏声になったかもしれない。
マーガレットはギロリとオレを睨み、ナースチャはそっぽを向いて知らんぷりをしている。
「む、何よ。アンタがモタモタしてるからでしょ。早くその魔導書を渡しなさい」
また掌を突き出してくる。細い指を目いっぱい開いている。
「ほらよ」
ちょっとムッとしながら、オレは本をマーガレットの掌の上に乗せた。すると途端に、マーガレットの顔色が変わった。
「え・・・、この魔力は・・・?」
そう呟きながら、マーガレットはペラペラとページをめくった。
「何この本、どういう事なの? 魔力は感じられるけど、中身は全部白紙じゃない!」
「へっ!?」
オレは本を奪い取ると、中身を確認する。辞書ほどの厚みがあるこの本のページには、びっしりと魔導と科学についての解説がなされていた。
「ビックリさせるなよ。書いてあるじゃん。ビッシリと」
横からナースチャが本を覗き込んできた。
「・・・何も書いてないわ」
ナースチャはまるでかわいそうな動物を見る目でオレを見てくる。マーガレットも残念そうな顔をしている。
「ふぅ、悪かったわ・・・。朝のアタシの魔術で頭を打ったのね。さあ、保健室に行きましょう。特別に連れていってあげるわ」
ガシッ、と腕をつかまれ引っ張られる。
オレは混乱した。二人にはこの字が見えないってのか?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! オレには文字が見えるし、ちゃんと読めるんだ! ホラ、これを作ったときもこの本を参考にしたんだ!」
そう言ってオレは、会議机にならんだ発明品の中からとっさに掴んだ魔力電池『マギエッグ』を二人に見せた。
「何よこれ? ホラもたいがいにしなさい」
マーガレットはやれやれ、といった様子でそれを手に取った。
すると、マギエッグが青白い閃光を放ち―――
パァーン!
大きな音を立てて爆発した。
部室内はパチパチという青い火花と、黒い煙でいっぱいになった。煙で何も見えない。
「ケホッケホッ! ちょっとこれはなんなの!? 朝の仕返しのつもり!? よくも・・・!」
「い、いや違うって! そんなつもりじゃ!」
「・・・・・・・・・」
ナースチャは息を止めているようだった。
三人は急いで窓を開け放ち、煙を逃がす。みんなの顔が黒く汚れて、髪の毛が乱れている。
「・・・何をしたの? 自分の力もコントロールできないなんて」
ナースチャが外の空気を吸い込んでから、そう言った。
「何よ! 私は何もしてないわ! ケホッ! これが何なのかも知らないし!」
マーガレットは目を涙でいっぱいにしながら、苦しそうに反論する。
「これは魔力をエネルギーとして蓄積できる電池みたいなモンだ。たぶんマーガレットの魔力が強すぎて、限界以上の魔力が流れ込んだせいだと思う」
オレは煙を逃がした後、『マギエッグ』の破片を拾って説明をした。
マーガレットはパンパン、とすすを払いながらこっちを見た。
「はぁ? 魔力は何かモノに宿すことは出来ても、純粋なエネルギーとしては溜めて置くことは出来ないわ。魔力の原理として、そんなの常識じゃない」
「いや、この本に書いてあったんだ。その通りに作ったら・・・出来た」
「まだ言うの? つまりこう言いたいわけ? 『この本はオレにしか読めない。馬鹿どもには白紙に見えるんだ。フハハハー!』って!?」
マーガレットはわざとらしくオレの口真似をして、高らかに笑った。窓際にいるナースチャは無表情なまま傍観している。
「そんなこと言ってないし、思ってもねぇよ」
あとオレはそんな笑い方はしない、と心の中でつけ加えておく。
「分かったわ。じゃあその本、しばらく貸してちょうだい。あたしが調べてみるから」
マーガレットはまた掌をパーにして突き出してきた。
「だめだ、これはオレの大事な本だからな」
当然拒否すると、マーガレットは腰に手を当てて、「はぁ」とため息をついた。
「何よケチ。これだから器の小さい庶民の男は・・・」
!!!!!!
オレはそのときピン、と閃いちまった。
「ただし!」
急に大きな声を出したオレに、二人は注目した。
「この魔導科学技術研究会! 略して魔技研っ! ウチに入会してくれたら調べてもいいぞ!」
何秒経っただろうか、マーガレットが静寂のなか、ピクリと動いた。
「はぁ!? 何でアタシがこんな寂びれた研究会に入んなきゃならないのよ! いいから本を渡しなさい!」
マーガレットはオレの手をつかんで、本を奪おうとしてくる。
「や、やめろ・・・!」
オレが身をかがめ必死になって抵抗していると、
「・・・わかった」
ナースチャが近づいてきて言った。
「へ?」
オレとマーガレットの動きが止まった。ナースチャが続ける。
「入会、する」
オレはドキンと心臓が跳ねた。
「ほ、本当か!? 入会、してくれるのか!?」
ナースチャはコクン、と小さく頷く。
「や、やった! 会員が増えたぞ! しかも女子で天才だ!」
オレは小さくガッツポーズをする。
その時、マーガレットがオレからパッと離れた。
「アンタ、カンケーないでしょ。何でアンタが入会するのよ?」
ナースチャはオレのタブレットPCを指差した。
「・・・私はあのタブレットをもっと調べてみたい」
「タブレット? なるほどね。アンタも目的があってここに来たわけね」
マーガレットはあごに手を当てて、足元を見ながら何かを考えている様子だったが、少しして諦めたように息を吸った。
「わかったわ。アタシも入会してあげる」
オレはカッ、と目を見開いた。
「よっしゃあ! 会員が二人も増えるなんて・・・」
「勘違いしないでよね! アタシは本を調べたらこんな会、やめてやるんだから!」
オレは興奮して上げようとした両手を、そっと戻した。
「くっ、こいつ、侮れん・・・!」
「こいつじゃないわ、アタシのことは『メグ』と呼びなさい。アナスターシャだけニックネームで呼ぶなんて、まるで私のほうが下みたいじゃない」
「・・・何の上下だ?」
「それで?」
メグはオレの言葉なんか気にせずに続ける。
「・・・は?」
オレはマーガレット、いやメグの言ってる意味がよくわからなかった。
「アンタの名前は?」
そういえば、この二人に名乗った覚えがなかったな・・・
「科学科二年の弟切――弟切ケンジだ」
そう、その時オレは考えもしなかったんだ。
当然だろう? この出会いが、世界を敵にすることになるなんて・・・
つづく。
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double.1
「季節はずれのクラウドナイン」
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ドダダダンッ!
ズルズルズル・・・。
主人公、『弟切ケンジ』は寝ぼけていた。
「うぅーん、いててて・・・」
オレは呻きながら、重たいまぶたをこじ開けた。
焦点の合わない視界に、いつもの無機質に白い天井が映る。天井の真ん中には、蛍光灯の残り灯が緑色にぼんやりと光っていた。
カーテンの隙間から、優しい日差しが部屋の中に差し込み、テーブルの木目にキラキラと反射している。
「ふあぁ・・・、もう朝かぁ。・・・よっと」
オレはあくびをしつつ、一緒にズリ落ちた布団をベッドへと戻した。
眠い目をこすりながらチェストの目覚まし時計を確認すると、一気に目が覚めた。
「七時・・・四十分!!?」
目玉が飛び出るかと思った。何でベルが鳴らなかったんだ?
授業開始が八時十五分。
このグレモリー学園の男子寮から、科学科の教室まで歩いて三十分。
・・・あと五分でこの寮を出ないと遅刻しちまうじゃないか!
オレは部屋の隅に置いてある姿見鏡に向かう。怒髪天を突くようなやんちゃな寝癖を見て、潔く直すのを諦めた。
とにかく時間がない。
遅刻をすると、担任のクラーク先生のゲンコツを食らう羽目になる。あの衝撃はハゲかねない程の威力だ。
ハゲるよりは変な髪型のほうがまだマシだろう。
オレはスライディングをするように急いで洗面所に滑り込むと、歯ブラシと歯磨き粉を一緒に口の中に放り込んだ。
少し足首をグネったが気にしないでおこう。
続いてジャンプしながら洗面所を飛び出し、寝巻きのジャージを脱皮するように上下同時に脱ぎ捨てる。
部屋に戻り、突き指しそうになりながらクローゼットを開けて制服を取り出した。もちろん移動の最中は血が出るほど歯ブラシを高速で動かしている。
オレはYシャツとブレザーを同時にはおると、ズボンを勢いよく上げた。
正確にはオレがズボンの中に入る、といった方がいいかも知れない。
ここまで二分ジャスト。記録更新だ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
オレは息切れをしながら、再び洗面所に舞い戻る。口の中の泡を吐き出すと、予想通り血の混じったピンクの泡になっていた。
口をすすぎ、両手に水を溜めて親の仇のように顔をこする。これも当然、小指が鼻の穴に刺さって鼻血が出た。
いちいちダメージを気にしてられない。
三分経過。
オレは上級者向けの技を連発したせいで、太ももと腕の筋肉が吊りそうになっていた。
ピンポーン♪
朝の過酷な戦場に、間の抜けたインターホンが鳴った。
くそっ、こんな時になんだよ!
オレは拭くものも拭かずに、玄関に向かってドアを開けた。
「おーい、起きてる・・・か? うわっ、どうしたんだ? 血だらけだぞ!?」
顔を見せたのは隣室のユーキだ。
黒縁眼鏡をかけた長髪で、オレより少し背が高い。一見秀才に見えるタイプの男だ。
・・・一見、な。
ユーキとはクラスが違うが、同じ日本人として入学以来の付き合いだ。たまに一緒に登校してるから、今日も迎えに来てくれたのだろう。
「あぁ・・・ハァハァ、ちょっとした戦があってな。だが、どうやらオレが勝利しそうだ・・・! ゼェゼェ」
オレは髪をかき上げながら、すこしカッコつけて言ってみた。
「そ、そうか? 満身創痍の負け戦に見えるんだが・・・。まあ、とっとと学園に行こうぜ」
ユーキは呆れたような顔をしていたが、オレは気にせずに部屋の中へ戻った。
カバンに教科書やタブレットPCを無造作に詰め、ネクタイを首にかける。
時計を確認すると、七時四十四分。部屋の中は、まさに戦の跡に相応しかった。
オレは密かにほくそ笑み、謎の充実感を得ながら玄関に向かった。
ここはハウイ諸島のオーク島という所だ。
ちょうど太平洋の真ん中くらいに位置している、全長三十キロメートルほどの島。
ブラス湾という港湾に、ブラス島という小さい島があり、そこに『グレモリー魔導科学学園』は建っている。
オレとユーキは学園に向かって、海沿いの二十号線をてくてくと歩いていた。
今朝はよく晴れていて、暖かい日差しと、海からのさわやかな風が心地よく頬をなでる。重力に逆らったオレの寝癖が、海底のワカメのように揺れていることだろう。
ユーキが目を細めて、オレの頭を見ている。
「ぷっ、はははっ。相当危ない橋を渡ったようだな。普段から早寝早起きしないと、肝心な時に力が出ないぞ?」
「うるせー。今日は目覚ましが鳴らなかったんだ。それと、肝心な時ってなんだよ? 学園に行って帰ってくるだけだろ」
ユーキが一層ニヤケて、左の人差し指を立てる。
「ケンジはバッカだなぁ。例えば、風の妖精さんのおちゃめな悪戯で、前を行く女生徒のスカートがめくれかけたとするだろ?」
また始まった、とオレは思った。
ユーキは悪い奴じゃないがエロ方面の想像力がたくまし過ぎる。成績もいいし黙っていればモテそうな雰囲気なのに、ついたあだ名は『妄想王(パラノイア・キング)』。
とても残念な奴だ。
そんな俺の思いとは裏腹に、ユーキは続ける。
「女生徒がスカートを押さえるまでの時間は、平均して0.5秒だ。俺たちはそれを超える反射速度で、カバンを地面に叩き付けなければならないだろ?」
オレはユーキの言っていることの意味が分からなかった。
「はぁ? 何でカバンを地面に叩き付けなきゃなんないんだよ?」
「お前は本当に鈍いな・・・。いいか? スカートを抑えてしまうその一秒にも満たない瞬間にカバンを落として身を屈め、自然を装って中を覗き込み、その素晴らしき桃源郷を網膜にしっかりと焼き付けるんだ。それでその一日がハッピーになるなら、その一瞬こそが肝心、そうだろう親友?」
ユーキはニッと歯を見せながら、親指を立てた。
「はぁ・・・・・・」
オレは少し磯臭い風を吸い込んで、ため息をつく。
「ユーキ、お前なぁ。そんなことの為に早寝早起きを推奨していたのか? もっと健康のためとか、朝の空気に流れる生命の息吹を感じるとか、色々と有意義なことがあるんじゃないか?」
ユーキはハンッ、とどこかの外人のように両手を広げて首を振った。
「ケンジはロマンチストだなぁ。俺にとってはそれ以上の有意義なことなど、この世に存在しない」
そう断言するユーキの顔は口の端がだらしなく歪み、夢見るようなまなこで中空を見つめていた。
あぁ、駄目だ。こいつはすでに妄想という無限の世界に旅立っちまった。
オレは痛む足首を気にしながら、しばらく黙って歩いた。
「・・・ケンジはいいなぁ」
藪から棒にユーキが口を開く。
現実世界に偉大なる妄想王がご帰還なされたようだ。
「何が?」
「何がってお前、魔技研にかわいい女の子が入ったじゃないか! しかも二人も! 魔術の天才と科学の天才! 正直言ってうらやましいっ!!」
「はぁ? 何言ってんだよ」
オレはその二人のかわいい天才様たちがいがみ合う姿を思い出して、少し辟易とした気分になった。
「二人が入会して一ヶ月くらいは経つだろ? そろそろ何か進展があってもいいんじゃないか? あっ、まさかお前! 両手に花で天国気分か? ぐむむっ、許さん、許さんぞケンジィ!」
ユーキはそう言うと、おもむろにおれの胸ぐらを掴んできた。
何を怒っているんだ、こいつは。
「いてっ、違うってマジで! あいつ等はなんと言うか、そういう次元の奴らじゃないんだよ。例えるなら、毎日のように台風と雹が一緒にやってくるって言うか・・・トラとライオンと同じ檻に入れられてるって言うか・・・」
オレが説明すると、ユーキはパッと手を離した。
「はー、ダメダメだなケンジ! ちったあ男を見せてみんかい!」
「そう言われてもなぁ・・・。そうだユーキ、お前も魔技研に入らないか? いや、入ってくれ! 頼む! オレはあそこで平穏な日々を過ごせる自信がない!」
オレは手を合わせて懇願したが、ユーキは顔の前で手を横に振る。
「入りたいのは山々だが、俺にも漫研と生徒会があるからなぁ。そもそもお前から二人を誘ったんだろう?」
「そりゃそうなんだけどな・・・」
「だったら自分で何とかするんだ。自分自身の手で、胸やらパンツやらを掴んでみせろ!」
黒縁眼鏡を人差し指でくいっと直し、眉を上げてキリッとした表情でユーキが叫ぶ。
無駄にカッコイイのがさらに残念度を増している。
オレはそんなユーキを無視して、海に視線を向けた。
南の水平線の上空には、季節はずれの入道雲が顔を見せ始めていた。
「・・・え~、であるからして、約三十年前には、西側の魔導理念協定機構と、東側の科学技術国家共同体との間で、エネルギー利益や基本思想の相違が大きくなった。つまり軍事的緊張が一気に高まり――」
オレは科学棟、2-Cで四時限目の授業を受けていた。
「――そして二十五年前、緊迫した状況を打破すべく、ここ『ブラス島』で行われた魔科間の不可侵条約サミットで事件は起こる。そう、有名な『11.9』の爆弾テロだな。いまだに真相は解明されていないが、どちらもこの事件の責任を擦り付けあい、お互いを責め立て、結局は魔導科学大戦の火蓋が切って落とされてしまったわけだ。戦火はあっという間に全世界に広がり、その後約十年間にわたって大戦は続くこととなったのだが――」
近代史のポルシェ先生の高い声が頭に響く。
白衣を着て髪はモジャモジャ、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけている研究者気質の先生だ。
とにかく字が汚くて、解読するのに時間がかかる。
オレは窓際の一番後ろの席で、板書された難解な文字をノートに書き写していた。
シャーペンで紙のノートに字を書くなんて、時代錯誤もいいところだな、と思いながらも、せっせとペンを走らせる。
授業の音声や板書を学校用のタブレットPCに自動的に記録できるハズだが、何故かこの学園では使われていない。
オレは気もそぞろにペンをころりとノートの上に転がすと、窓の外を眺めた。校庭では体育の授業が行われていて、生徒たちがグラウンドをぐるぐると走っている。
ジャージの色からすると、一年生の授業らしい。
「ん?」
よく見ると、集団からかなり遅れて、独りで走っている生徒がいた。背の小さい銀髪の女子、たぶんナースチャだ。
真っ白な足が交互に伸び、手を下げてだるそうに走っている。顔はうつむいてるし、かなり遅い。どこか具合でも悪いのか?
そんな心配をしていると、ナースチャはメガホンを持った先生から、なにか大声で怒鳴られていた。
ナースチャは気にすることなく、自分のペースを保っている。
「あいつ、先生に対してもあんな感じか・・・」
オレは声に出さずにそう呟くと、ポルシェ先生のカン高い声が聞こえてきた。
「弟切ィ! 聞いてるのか!? 先の魔導科学大戦ではじめて使われた兵器の名前は?」
ビシィ! とオレを指差して、先生が質問する。
もちろん授業など聞いていなかった。
ギギギィと椅子を鳴らして、オレはゆっくりと立ち上がる。
「え、え~と・・・」
助け舟を期待して、隣の席のリン=フォルスナーをちらりと見るが、彼女は教科書へのラクガキに夢中のようだ。
オレはあきらめて、肩の力をだらりと抜いた。
「・・・わかりましぇん」
うんうん、そうだろうな、といった納得顔の表情で先生は頷いた。
「弟切、お前はもう少し人の話を聞かんか。他人とのコミュニケーションは大切なことだぞ。機械ばかり弄ってないで、たまには友達とでも遊んだらどうだ?」
教室にクスクスと小さく笑う声が蔓延する。
オレは目をつむり、天井を仰いでイスに腰を落とした。
確かにオレはクラスで浮いているかもしれない。
しかも魔導書を持って、魔導科の生徒と同じ研究会に入っているとなれば、変人扱いだ。まさに水に落とした油のような存在だろうな。
さっき先生が話していた魔導科学大戦の禍根は、いまだに双方に大きな溝を残していた。
「ふぅ」
オレは軽く息を吐くと、ノートの上に転がっているシャーペンを手に取った。
「・・・というわけで、自律式有脚戦車『ジグジロ』や、召喚魔獣兵『ヤグール』が初めて各地に投入され、争いは熾烈を極めることとなった。無人軌道要塞『黒天』なんかは今もなお軌道上を航行しているな。よく晴れた日は、望遠鏡などで赤道上空に見られる。そして――」
ポルシェ先生が言い終わる前に、授業終了のチャイムが鳴った。
「お、もう昼か。今日はここまで!」
先生は教科書を閉じてポンと叩くと、教室から出て行った。
クラスメイトたちはゴゴゴと地鳴りのようにイスを鳴らし、各々の友人たちと弁当を広げたり、学食に連れ立っていく。
オレは板書を写しかけたままのノートを机の中にしまい、横に掛けてあるカバンから財布を取り出した。
財布といっても現金は入っていない。
この学園では、学生証のICチップで電子マネーを使用する。学園だけではなく、このオーク島では寮や近隣の街ならどこでも使えるので便利だ。
オレは魔技研で使うパーツやらを少し前に買い込んで、今月の残金が残り少ないことを思い出した。
「今日は・・・コロッケパンだな」
購買のコロッケパンは、安くておいしいので人気がある。
パンはふっくら、衣はサクサクでジューシーだ。ボリュームは少々物足りないが。
「どこかでバイトでもしないとなぁ」
オレは呟きながら、購買に向かおうと席を立った。
その時、廊下のほうから生徒たちのざわめきが聞こえてきた。
「ん? 何だ・・・?」
廊下側の窓から、生徒たちの訝しげな表情や、困った顔が見てとれる。
「変質者でも入ってきたのか?」
オレは一瞬、ユーキの顔が脳裏に浮かんじまった。すまん。
心の中でユーキに謝っていると、廊下のざわめきが一層大きくなり、教室の後ろ側のドアが勢いよく開けられた。
「あっ!」
オレは口を大きく開いて叫んじまった。
「弟切ケンジの教室はここかしら? いるなら早く出てきなさい!」
聞いたことのある声が教室に響く。
「ウソだろ・・・」
開けられたドアには、よく知っているブロンド髪の偉そうな奴が立っていた。肩に乗っている黒猫の「クロスケ」まで偉そうにスカしてしる。
「メ、メグ・・・!?」
オレが思わず彼女の名前を口にすると、メグとクロスケが瞬時にこちらに向いた。
地獄耳すぎるだろ。
「あっ、いたわねケンジ! ちょっと来なさい! 早く!」
メグは周りの目を気にする事なく、人差し指をクイクイッと挑発するように動かしている。
オレは両手で顔を押さえた。
魔導科の生徒がこの科学棟にズカズカと乗り込んで来るなんて、前代未聞だ。
しかも一番目立つ、主席のメグが偉そうに歩いてるとなれば、そりゃあ生徒たちはざわつくハズだ。
「よりによって、魔導科学大戦の講義の後に来るとは・・・」
オレは顔を押さえながら、悲壮な声を上げる。
「ちょっとケンジ! 聞こえてるんでしょ!」
気がつくと目の前にメグが立っていた。
クラスメイト達は遠巻きにして、近隣クラスの野次馬達は教室の外から様子を伺っている。
「ケンジ! ・・・やだ、なに泣いてるのよ? 気持ち悪いわねぇ」
オレは気づかないうちに、目から心の汗を流していたらしい。
こうなったらもう、明るく開き直るしかなかった。
「やあ、マーガレット=カニンガムじゃないか! 奇遇だねえ、こんな所に何の用だい? オレはこれから購買に行くところさ! 良かったら一緒にアンニュイなランチでもどうだい? ハハッ!!」
メグは青ざめた表情で、オレの顔を覗き込んでくる。
「なにあんた・・・どうしちゃったの? 泣きながら笑って、ついに壊れちゃったかしら? あんたとランチなんて行くわけないじゃない」
オレは両手を広げて、朝のユーキのようにジェスチャーを加えながら続ける。
「ハハ、気の強い娘さんだ! それにしてもチャイムが鳴って二分も経たない内に来るなんて、よほど急いでいたのかい?」
「移動なんて、転移魔術で一瞬よ。アンタこそ、その壊れた人格を急いで医者に見てもらったほうがいいわね」
魔術、という言葉に周りの空気がピリついた。
「そうそう、壊れたといえばこれよ! 『ファントムリング』が動かなくなっちゃったじゃない! 早く直して頂戴!」
そういってメグがポケットから取り出したのは、合成銀でできた指輪。
これは魔導ホログラム装置で、体表面の光を屈折させ、自分を異なる形に見せることができる、いわば変身装置だ。メグが魔技研に入って初めて作ったものでもある。
オレは変身の魔術くらいメグも使えるだろうと思ったが、なぜかこれを作りたがった。
「壊れた? おかしいな、そうそう壊れるモンでもないはずなんだが・・・」
オレはムッとした表情のメグから指輪を受け取ると、内側のカバーを外した。
1センチに満たない幅の指輪の中には、二つの装置が入っている。
体表面に魔力の膜を貼る装置と、脳波からのイメージを受信してその膜に光学的に反映させる装置だ。
前者は真鍮製の薄いディスクで、体表面を伝う電流を検知して同じように魔力を流すもの。後者は合成銀でできたコンタクトレンズのような形で、脳波からのインプットとアウトプットを同時に行うものだ。
動力源は使用者から直接魔力を供給するから、電池切れということはまずない。
「う~ん、見たところ、おかしい所はないけど」
オレがそういうと、メグがすごい勢いで突っかかってくる。
「ウソ! 昨日の夜、魔法少じ・・・、少し使おうと思ったら、うんともすんとも言わないのよ。絶対壊れてる・・・」
メグは言い終わると、少しシュンとした表情に変わった。
こいつか落ち込んでいる顔なんて、初めて見た気がする。よほどこの『ファントムリング』を気に入っていたのだろうか。
「わかったよ、放課後までに調べておくから、これは預かっておくぜ」
「うん、よろしく・・・」
クロスケも尻尾を下げて、ニャンと鳴いた。
メグは来たときとはうって変わって、肩を落として教室から出て行く。
周りで観察していた生徒達も、ぱらぱらと散っていった。
「もうコロッケパンは売り切れだろうなぁ」
オレは『ファントムリング』を握り締めて、ダッシュで購買に向かった。
走っている廊下の窓からは、黒い雨雲が渦巻いて近づいて来ているのが見えた。
――放課後、オレはいつものメンバーと魔技研部室にいた。
部室の窓にはタパタパと、大粒の雨が打ち付け始めていた。
オレはいつものようにパーツが散乱している床に座り、傘型超魔導障壁『マギティヴィティシールド』の柄を調整していた。
見た目はただの真鍮の棒に見えるが、柄のボタンを押すとシャフトが伸び、先端から超魔導障壁が傘のように展開される。
『超魔導』というのは、空気中の分子を急激に冷却することにより魔力抵抗が激減して、魔力が展開しやすい状態の事。
別名を『スーパーマギティヴィティ』と言って、比較的新しい技術だ。
『マギティヴィティシールド』は傘部の障壁の展開と同時に冷却魔術を発生させるようにしてある。
つまりこの傘を開くと、すこぶる寒い。雨や物体を凍らせて弾く仕組みだ。
今はシャフトが折り畳み傘くらいの長さにしか伸びないので、もう少し伸ばさないと手が凍っちまう。
オレはちょうどいい長さの棒が無いか、辺りを見回す。
メグは部室の奥にあるホワイトボードの前のパイプイスの上で、あぐらをかいていた。オレが直した『ファントムリング』を指に着けて、ニヤニヤとそれを眺めている。
故障の原因は、単純な接触不良だったので、すぐに直った。
よく見るとメグはあぐらの姿勢のまま、15センチほどぷかぷかと体が浮いている。
リングが直って文字通り『浮かれている』んだろう。
クロスケはメグの膝の上で気持ち良さそうに丸まっていた。
ナースチャはというと、メグとは反対側の、入り口に近いほうのイスに背筋を伸ばした姿勢で座っていた。
魔導眼鏡『フォースアイ』を掛けて、なにやら小さな基盤をいじっている。
ナースチャの輝きのある銀髪と色白の肌に、眼鏡が妙に似合っていた。冷たい目つきが隠れて印象が和らいだだけかも知れないが。
ナースチャは魔技研に入って間もなく、机の上においてあった『フォースアイ』を興味深げに見ていた。
オレは「掛けてみなよ」とナースチャに勧めて「メガネが似合うな」と言うと、ナースチャは気に入ったのか、その日以来、毎日のように着けている。
ふいにコン、とオレの膝に何かが当たった。黒猫のクロスケが頭を擦り付けていた。
オレは猫好きだから、クロスケの頭を撫でたり、喉を撫でたりする。クロスケは気持ちよさそうに目を細めて、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「ホンット不思議ね。普通、使い魔は主人たる者以外には懐かないんだけど、なんでアンタには懐いているのかしら?」
メグはぷかぷかと浮きながら顎に指をつけ、不思議そうにこちらを眺めていた。浮遊魔術がちょっとうらやましい。
「ふふ、オレの人徳のなせる業だろうさ。オレの大きな愛が、この小さなクロスケには伝わっているのだ。ふははは」
「クロスケ、こっちにおいで」
メグは汚いものからでも引き離すように早口でクロスケを呼び戻すと、クロスケはそれに従いササッとメグの膝に収まった。
少し悲しい気分だ。
オレは『マギティヴィティシールド』の柄を床に置くと、おもむろに立ち上がった。ひとつ伸びをして、部室の隅に置かれた小さな食器棚に向かう。
メグが寮から棚や食器などを持ってきてここに置いたものだ。
オレは食器棚に置かれていたポットを手に取った。
銀色に輝いて、アンティーク調の細かい装飾が彫られている。メグが名家のお嬢様であることを実感させる作りだ。
メグは確かに口と態度と性格は悪いが、ひとつひとつの所作には品がある。黙っていれば、深窓の令嬢に見えるかも知れないな。
「メグ、いつものやつを頼む」
メグは俺の言葉が聞こえていないのか、あぐらの体勢でゆっくり上下しながら、クロスケを撫でている。
「メグ! 頼む!」
オレはメグの目の前でポットを左右に振って見せた。
「うるさいわねぇ、聞こえてるわ」
メグはまるで悪戯猫のような声でそう言うと、右手でパチンと指を鳴らした。その瞬間に、オレが持っているポットがずしりと重くなる。
「おっと」
オレは思わず落としそうになっちまった。いつまでも慣れない感覚だ。
続いてメグは人差し指でポットをコン、と弾く。するとポットはボコボコと大きな音を立てて、口から湯気を噴き出した。
「いつ見てもすごいな。メグの魔術は・・・一瞬でお湯が出来るなんて」
オレが感心していると、メグはふんと鼻を鳴らして言った。
「こんなの、初歩中の初歩もいいところよ。その辺を歩いている犬にだって出来るわ」
・・・ウソつけ、と心の中で思った。
そもそも魔術を使うには、魔導因子と呼ばれる遺伝的な素質が必要だ。
さらに今メグがやったような呪文や魔導言語を発しない無詠唱魔術は、そうそうお目にかかれるモンじゃない。
さすがは魔導十二家のひとつ、カニンガム家の跡取り娘だ。
オレは便利な術だなと思いつつ、魔術の恐ろしさを感じた。
つまり指先ひとつで人間の体の血を沸騰させることが出来るのだろう。
メグの感情の沸点は異常に低い。今後はあまり怒らせないように気をつけよう。
オレは三つのカップを食器棚から取り出した。
ピンク、ブルー、ブラックの三つ。ピンクはメグのもので、ブルーがナースチャ。ブラックはオレのカップだ。
メグのカップにはアールグレイのティーバッグを入れ、ナースチャとオレのカップにはインスタントコーヒーの粉末を入れる。
高級そうな茶器にティーバッグやインスタント?とかいうツッコミはしないでくれ。部費には限度があるのだ。
砂糖を入れるのはオレだけだ。三~四杯は入れる。やっぱ脳には糖分が必要だしな。
二人が入会してからは、いつの間にかオレがお茶係になっていた。そのうちクロスケの分まで用意するんじゃないだろうな。
オレはポットのお湯を注いで、二人に手渡した。
メグは当然のように無言で受け取り、ナースチャは「ありがとう」と蚊の鳴くような小さな声で囁いた。
「なぁナースチャ、いつもブラックだけど、甘いのは嫌いなのか?」
オレは女子学生は甘いものに目がない、と思っていたので質問してみた。
ナースチャはクイッと指で眼鏡を上げると、カッコつけたように足を組んでコーヒーに口をつけた。
ナースチャはいつも明らかに「苦っ」という風に、一瞬顔をしかめる。今もすぐに仏頂面に戻ると、オレを見上げて言った。
「コーヒーはブラックと相場が決まってる。名立たる科学者はみんなそうだった」
「・・・そんなことはないだろ。統計でも取ったのか?」
オレが反論すると、ナースチャはパーカーのポケットからタバコのようなものを取り出した。
「なっ!? お前タバコ吸うのか?」
オレは驚いた。まさかそんな不良だったとは!
ナースチャはそんなオレを無視して、巻かれている白い紙を剥がし、ポリポリと食べ始めた。
「な、なんだ・・・チョコレートか・・・ビックリさせやがって」
フーと額を拭うオレを見て、ナースチャはチョコを咥えながらクスクスと少し笑った。
普段のナースチャは表情に変化の少ない変わった奴だと思う。
でも眼鏡の奥の笑った瞳は、普通の少女そのものの、輝いた美しいものだった。ユーキがうらやましいと言っていた意味が少しわかったような気がした。
そんな風に思っていると、ナースチャは手を伸ばしてチョコを一本差し出してきた。
「あ、ありがとう。でもなんでシガレットチョコ?」
「マッドサイエンティスト」
「・・・え?」
「マッドサイエンティスト」
ナースチャは九官鳥のように抑揚のない声で、同じ言葉を繰り返した。
「マッドサイエンティストはお酒・タバコ・ブラックコーヒーに、夜な夜な溺れるの。日光も脚光も浴びちゃ駄目」
「マッドサイエンティストって・・・悪の発明家とか、ヤバい科学者のことだろう?」
ナースチャは両手でコーヒーカップを持ちながら、黙って頷いた。
「もしかしてナースチャはマッドサイエンティストになりたいのか?」
今度は顔を赤くして、恥ずかしそうに肩をすくめてコクンコクンと頷く。
「・・・そ、そうか、目標があるっていいことだよな。でも、マッドサイエンティストってなろうと思ってなれるものなのか?」
オレはうつむいているナースチャに向かって素直に疑問を投げつけた。
ナースチャはハッとした様子で目を少し見開いた。
「・・・なれないの?」
子犬のような声でそんな風に言われてしまうと、オレも困ってしまう。
「い、いや、わからないけど。ああいうものは段々と狂ったり、暗黒面に堕ちていって、結果的になってるものなのかと思ってたからさ」
ナースチャはオレを見上げたまま、数秒固まっていた。
「・・・そう」
ナースチャは明らかに落ち込んだ様子で、膝に乗せている基盤へ視線を落とした。
オレは頭をポリポリとかきながら、話題を変えようと基盤について話し始める。
「な、なぁナースチャ。その基盤は何を作ろうとしてるんだ?」
ナースチャが持っているのは、手の平に収まるサイズの基盤だ。
「・・・テレパスの魔術を応用した携帯電話。普通の電話としても使用できて、魔力を持った人となら、直接頭の中と会話できるモノ」
「なるほど、実現できれば魔技研三人での連絡が簡単になるな」
「でも、離れた場所にいる魔導士の特定の仕方がわからない」
「魔導士の特定の仕方か・・・。なぁメグ、テレパスの魔術を使うときはどうしてんだ?」
メグは指で髪の毛をクルクルと回しながらこちらを向いた。
「アタシの場合は・・・そうね、その人を思い浮かべるわ。名前、容姿、匂い、魔力の特徴なんかを思い浮かべて、念じるだけ。あまり離れすぎると届かない場合もあるけど、このオーク島くらいならどこでもリンクできるわよ」
「思い浮かべるだけなのか? それじゃあまったく参考にならないな・・・。オーク島全体となると、半径三十キロメートルくらいか。かなり広範囲に飛ばせるんだな」
「アタシの場合は、よ。普通の魔導士なら、ブラス島・・・三キロメートルくらいがいい所じゃないかしら。それ以上離れると、ノイズというか、大気中の元素の影響を受けて繋がりにくくなるの」
「うーん、ノイズ処理もしなくちゃならないのか。魔導士の特定の方は――」
オレがそう言いかけた時、ナースチャが話に割り込んできた。
「メグ、魔力の特徴で見分けるという事は、もしかして魔導力場の形には人それぞれの固有の形があるの?」
「そうね。魔力が小さい人は見分けるのにコツがいるけれど、アタシくらいになると特殊な力場の形をしているものよ。単純に大きさも違うけれど」
メグはあぐらをかきながら、えっへんと胸を反らす。
そのまま一メートルくらい浮き上がると、体のバランスを崩し、後ろにくるりと一回転して元の位置に戻った。
器用な奴だなと思ったが、クロスケが落ちまいと必死にメグのスカートにしがみ付いているのを見ると、ただのおっちょこちょいなのかも知れないな。
でも、スカートがまくれたりしないのはやっぱり女の子ということだろうか。
「ん・・・じゃあ、力場の形と大きさをデータとして登録できるなら、メグとの通話は出来るかも知れない」
ナースチャはそう言いながら、コーヒーをすすって、また苦そうにしていた。
「問題は、どうやってメグの魔導力場をデータにするか、か」
オレが呟くと、ナースチャはあごに指を当てて、少し考えてる風に動きを止めた。
そして自分の掛けている眼鏡を指差して言った。
「・・・ケンジ君。このメガネは魔力の動きや大きさが見えるけれど、この見えてる情報をデータとして保存できると思う」
ナースチャは言い終わると、大きなまばたきをした。
「おお、それはいいアイデアだな。早速やってみよう」
魔力眼鏡『フォースアイ』は、レンズのガラス部分に琥珀の粒子が混ざっていて、表面には竜血樹の樹脂がコーティングしてある。フレームは普通の炭素繊維だ。
琥珀は人間には見えない魔光と呼ばれる魔力の光を反射する特性があり、その反射した光を竜血樹の樹脂に投影して視覚化している。
ナースチャは部室内に散乱しているパーツの中から、壊れたデジカメとケーブルを拾ってきた。
デジカメを開けて光学センサを変換機ごと取り出し、眼鏡のレンズに貼り付けると、それをオレのタブレットPCに繋ぐ。
ナースチャは慣れた手つきでタブレットPCを操作すると、眼鏡をメグのほうに向ける。
PCのモニタには、メグの周りに展開されるオーラのような魔力の動きが表示された。
「おお・・・」
オレが画面を覗き込むと、メグに近いほど青く、離れるほどに赤く見えている。ちょうどサーモグラフィのような映像と、数値が確認できる。
「この数値をデータとして保存して、携帯のメモリに登録すれば、多分繋がるはず」
オレはナースチャの無駄のない一連の動きを、見ているしかなかった。
「くっ、さすがだなナースチャ」
「・・・こんなの犬でもできる」
ナースチャはモニタを見ながら、静かに言った。
「そのセリフ、さっきも聞いたぞ」
と突っ込んだが、無視されたのでオレは窓の外に目をやった。
暗い雨雲が空一面に広がって激しい雨を降らせていた。時おり遠くの方で雷が光っている。
窓の隙間から冷たい空気が侵入してきて、雨の匂いを運んできた。雨の日の夕方は、部室の蛍光灯がうすら寒く感じられる。
部室に掛かっている時計を見ると、六時四十五分を指していた。
腹も減ったし、もう結構遅いな。
オレはふと、傘を持ってきていないことを思い出した。
『マギティヴィティシールド』を使ってみるかと思い、部室の中央に置かれた柄を手に取った。
「お前ら、傘持ってきてるのか?」
オレは気になって二人に聞いてみる。
メグはクロスケを撫でながら顔を上げる。
「アタシはいつも携帯用の傘を持っているわ。いざとなったら転移魔術もあるし。なに、アンタ、傘忘れたの?」
「いや、こいつを使えばいいかなと思って」
オレは手の『マギティヴィティシールド』をプラプラと揺らして見せた。
「ああ、それね。ちゃんと動くといいけど」
「ナースチャはどうだ? 傘持ってるか?」
オレが振り向きながら聞くと、ナースチャは窓の外を見て小さなため息をついた。
「私は――」
ナースチャが口を開いた途端、窓の外から強烈な光が差し込んできた。
三人とも数秒固まっていると・・・
ドガーン!!
ゴロゴロゴロ・・・
部室が揺れるほどの音が鳴った。大気の中をビリビリと振動が伝わってくる。
クロスケは毛を逆立てて、メグのスカートの中に逃げ込んでしまった。
「うわ~、近いな。今日はもう帰るか」
「やめたほうがいいわ。せめて雷が通り過ぎるまで待たないと、また黒コゲカエルになるわよ」
「誰がそうしたんだよ・・・」
オレは1ヶ月前の惨事を思い出して、身震いをした。
「じゃあナースチャ、もう少し部室にいよう」
ナースチャの方を見ると、ナースチャはフードを被って両目をつむり、両手で耳を塞いで部室の隅っこで丸くなっていた。
人はこんなにも小さくまとまれるものなのかと思うほど、コンパクトサイズになっている。
「ナ、ナースチャ。雷が怖いのか?」
オレは優しく問いかけてみたが、耳を塞いでいるナースチャに聞こえるわけがない。
オレはナースチャに近づき、ポンと肩を叩いた。ナースチャは肩を跳ねさせ、両手を耳から離した。
「・・・もう行った?」
顔面蒼白でか細い声を出すナースチャ。よほど怖いのだろう。
「あぁ、大丈夫だ。ここにいれば直に落ちてくることはないだろ」
オレが言い終わると同時に、また強烈な光と振動がやってきた。
ドドン・・・!!
バリバリバリバリ!
オレも一瞬ビクッとするほどの音量だった。
ナースチャはまた丸虫のように丸まってしまった。昔のゲームで、こんな感じで丸まる主人公が居たなと思ってしまった。
「ウソつき!」
ナースチャは耳を塞ぎながら、泣きそうな声で叫ぶ。
メグのほうを見ると、小首をかしげてやれやれと両手を上げていた。
「仕方ないな・・・。しばらくはそっとしておこう」
オレはナースチャから離れると、ドアの方に向かった。
「ちょっとトイレに行ってくる。ナースチャを見ててくれ」
メグにそう言い残し、部室を出た。
いつもの薄暗い廊下は、天候のせいでより一層陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
オレは外の雨の音を気にしながら、部室等の玄関近くのトイレまで早足で歩く。必要もないのに我慢していたせいで、膀胱の辺りが痛む。
用を足し、洗面所で手を洗いながら目の前の鏡を見た。薄暗い照明に照らされた自分の顔が映る。
ジッと見ていると、得体の知れない恐怖に襲われる。
オレは蛇口の水を止めて、さっさと戻ろうと考えた。
その時、パチンという音と共に電気が消えて真っ暗になっちまった。
「うわっ、ウソだろ!? 停電かよ!」
何も見えなくてオレは焦った。こういうときは動くべきか、じっとしているべきかわからない。
とりあえず電力が回復するまで待っていようと、息を潜めていた。
トイレの小さい窓から、雷の光がフラッシュのように中を照らす。
「!!?」
一瞬、鏡に映ったオレの後ろに、誰かが立っていたように見えた。
オレは恐る恐る後ろを振り返ると、首を曲げた瞬間に真後ろで低い声が聞こえた。
「追放・奈落・意識・二十八」
後頭部に誰かの手が触れ、抵抗する間もなく意識が遠のく。オレは力なくタイルの上に倒れた。
オレは薄れゆく意識の中で、外の雨の音を聞いていた。その雨の音に混じって、誰かがオレの名前を呼んでいるような気がする。
その声は――
つづく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
double.2
「不確定性原理のエレクトロン」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――雷は嫌い。
ただの大きな静電気だと頭ではわかっているけど。
電化製品は壊れるし、火事になるし、まれに人も死ぬ。
明滅する光は刺激が強すぎて、脳神経細胞に良くない。
それにあの大気を揺るがす巨大な音。
ゴロゴロと鳴るさまは、誰かの体内でおなかの音を聞いている気分になる。
・・・最悪。近くに落ちたのかな。
ピリピリとした電気特有の不快な刺激が、首筋の表皮に感じる。
私は両手で耳を塞ぎ、目をつむり、少しでも雷を自分の五感から遠ざける。
とにかく早く過ぎ去ってほしい。
私は座った体勢のまま、体を縮めて自分のパーカーの袖の匂いをかいでいる。
柔軟剤のフローラルな香りは、服の手ざわりと気分を少し和らげてくれる。
・・・どれくらい経っただろ?
こうしていた時間は、一時間にも十時間にも思える。
別に光速に近づかなくても、時間の流れは観測者によって遅くなるようだ。
ヴァインシュタインめ。
硬い木の床にじっと座っていたから、少しおしりが痛い。
確認はしないけど、たぶん赤くなっていると思う。
私はおそるおそる顔を上げて、薄目で部室の中を伺う。
薄暗い窓の外では、まだ強い雨が滝のようにザーザーとうねりを上げている。
雷の光は確認できない。もう行ったのかな。
振り返って見るとメグは浮かぶのに飽きたのか、ちょこんとイスに座ってクロスケを撫でていた。
・・・ケンジ君はいないみたい。
「・・・雷、もう行った?」
私は小さい声で、メグに問いかける。
「はぁ、もう遠くに行ったんじゃない?」
メグはため息交じりに、興味がなさそうに答えた。
私はほっとして、こわばっていた肩をゆっくりと下げる。
全身の力が抜けるようだった。
「・・・ケンジ君は?」
「トイレよ。こんなことを私の口から言わせないで欲しいわね」
メグは座ったまま両手を広げて、頭を横に振った。
「・・・そう」
私は立ち上がってスカートを払うと、イスに置いてあったコーヒーカップを両手で持った。まだ手が少し震えている。
コーヒーはすっかり冷めてしまっていた。
そのままイスに座って窓の外を確認する。
確かに雷の光は、はるか遠くの上空で力なく点滅していた。
「アンタ、高校生にもなって雷が怖いわけ? 臆病なクロスケでさえ、堂々としたものよ」
メグはクロスケを抱え上げて、私のほうに見せた。
クロスケはだらりと力を抜けていて、猫とは思えないほど伸びきっている。
薄目で私を見下している様だった。
「・・・放っといて。雷避けの魔術はないの?」
「天気を操る風の魔術はあるにはあるけど、発動させるのは思ってるより大規模で大変なのよ。お湯を沸かすのとはわけが違うわ」
「・・・そう、次はお願い」
私がそう言うと、メグはあきれた表情で一分ほど固まっていた。
「・・・ん?」
抱えられたままのクロスケが、なにかにピクッに反応して、メグと同時に扉の方に顔を向けた。
「今のは・・・なに?」
ピー ピー ピー
メグが呟いた次の瞬間、部室内に規則正しい電子音が鳴り響く。
「ちょっと、静かにして頂戴。これアンタのケータイの音?」
「・・・違う。これは・・・」
私は奥の会議机に向かい、腕時計型の魔力探知機『シーカー』を手に取った。
入会した日の騒音がすごかったから、次の日にケンジ君がメグには反応しないように音量を調節していたのを覚えている。
私はボタンを押して音を止めた。
画面を見ると赤い点が一つ表示されている。
「・・・廊下のほう、トイレの辺りに魔導力場の反応があるみたい。ケンジ君、魔術を使えるようになったの?」
「は? あんな一般人に使えるわけないでしょ。誰か来たんじゃない?」
メグはクロスケを床に置いて、扉に向かう。
「・・・この雨の中?」
私も妙に気になって、メグに続いた。
メグが勢いよく扉を開けると、暗い廊下が変わらずに続いている。
いつもにも増して、怪しい雰囲気をかもし出している。
「誰もいないわね・・・」
メグの言葉と雨の音に混じって、かすかな鈍い物音が響いた。
「・・・?」
目を凝らして廊下の奥を覗くと、ぼんやりと黒っぽい人影がトイレから出てくるのが見えた。
何か大きな、寝袋のような物を右手で抱えている。
「ケンジ? 誰か来たの?」
メグが大きめの声で問いかけると、その人影はゆっくりとこちらを向いた。
「ケンジ・・・じゃない」
メグの言うとおり、全身に黒い服を着た見知らぬ男だった。
ベストにブーツ、目出し帽を被ったその姿は特殊部隊の様にも見える。
私は一歩前に出て目を細めた。
男が脇に抱えているのは・・・ケンジ君!
青白い顔でぐったりとしてる。まるで死んでいるみたい!
「・・・ケンジ君!」
「ちょっとアンタ! ケンジに何したの?!」
私とメグは驚いて駆け足で男に向かっていった。
すると男は落ち着いた雰囲気で、ゆっくりとこちらに手をかざす。
「・・・焼却・空間・塵芥・十」
男が低い声でいくつかの言葉を発した。
男の周囲から紫色の光が手に集まって、ボォッと光る。
次の瞬間、廊下を埋めつくすほどの大きな炎の塊が私たちに襲ってきた!
ゴオォォォォッ!!
・・・私は目の前に出現したあまりの光景に、少しも動けなかった。
神話は信じていないのに、まるでドラゴンの喉の中にいるような感覚。
周りの景色がスローモーションみたいに、ゆっくり見えた。
迫ってくる炎の色とらせん状のうねりが、ハッキリと認識できる。
青、紫、そして赤・・・死を感じる色。
顔や目にジリジリとした刺激を感じ、吸う息は熱くて肺が焼けそうだった。
「――ナースチャ! しゃがみなさい!!」
メグの声で私は我に返ったように、とっさに身を屈めた。
メグは私の頭を飛び越え、杖を構えて激しい緑色の光を放つ!
ドガォォォォン!!
――大きな爆発が起こった。と思う。
耳がキーンと鳴っていて、何も聞こえない。
私は息を止めて身を屈めながら、必死に目を開けた。
大量の灰と煙の向こう側では、私たちの前方一メートルのところまで、廊下全体が黒く焦げていた。
床も天井も壁も、ほとんどが炭になっている。
廊下の窓ガラスは見事に全部、窓枠ごと粉々に吹き飛んでいた。
私はというと、少しも火傷を負っていなかった。
驚いたことに、メグが防壁魔術で炎から守ってくれたみたい。
廊下の奥にいた男は少し動揺した様子を見せると、すごい速さで玄関から逃げていった。
「ナースチャ! 追って!!」
メグは急に魔術を使ったせいか、体勢を崩して床に片手をついていた。
顔をしかめて、額には汗が滲んでいる。
「メグ・・・大丈夫?」
「アタシを誰だと思ってるの?! いいから早く行きなさい!」
私は『ありがとう』という言葉を口にする前に、うなずいて走り出した。
クロスケも後ろから飛び出してきた。併走しながら私の顔を見る。
「・・・クロスケ」
私がそう呟くと、クロスケはジャンプすると私のパーカーのポケットにスポッと収まった。
私は走りながら考える。
――ケンジ君が殺された?
違う。もし仮に殺したのであれば、ケンジ君をさらう必要はないはずだ。
あの男は何者? 私たちを殺す気だった――
ザアァァァァ・・・ッ!
何もわからないまま急いで玄関を飛び出すと、外は激しい雨が打ち付けてきた。
冷たい雫が服に染み込んで、私の全身を濡らす。
「・・・これじゃ何も見えない」
私は手に持った『シーカー』を確認してみる。
男はすでに探知できる距離からは出たようだ。
黒い画面には何も映っていない。
「・・・っ!」
私はうつむいてパーカーのフードをかぶり、ポケットの中に両手を入れた。
左手にはクロスケのモコモコした温もりがあり、右手にはコツンと硬いものが指に当たった。
「あ・・・」
ケンジ君の作った魔力を探知できる眼鏡『フォースアイ』だ。
私はそれを取り出して顔にかける。
雨の雫がレンズについて見えにくいけど、かすかな魔力の痕跡が男の行き先を示してくれていた。
煙のような赤い光の筋が、林の中に続いている。
「・・・あっち」
私は魔力の流れを追って、林に向かって走り出した。
バシャバシャという私の足音は、すぐに雨の中に溶けていく。
林の中は霧に覆われ、土は泥に変わり、滑って足をとられた。
単調な木々の間を縫って走っていると、どれくらい進んだのかわからなくなってくる。
非現実的な状況とあいまって、私の頭は混乱していた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・まるで夢の中」
気温が低い。体感温度はたぶん10℃以下。
体温は下がり、皮膚の感覚がなくなってきた。
全身の震えが止まらず、足の筋肉が言うことを聞いてくれない。
「はぁっ、はぁっ、落ち着いて・・・。私は万能なマッドサイエンティスト・・・。素粒子の世界では、十のマイナス三十三乗センチメートルの一種類の一次元の弦が、右回りに十次元で振動するとそれは重力子になる。左回りに二十六次元で振動するとそれはすべての粒子になる」
私は走りながら、震える唇で『ヘテロティック型超弦理論』を呟いた。
科学のことを考えると、昔から心が落ち着く。
「・・・つまり私は、振動するエネルギーッ」
私は勢いよくジャンプをして、増水した小川を飛び越える。
地面に右足が着いたとき、それは起こった。
バシャッ!!
足の周囲の土から、木の根のようなものが飛び出してきた!
その根は瞬く間にシュルッと私の足に絡み付いて、すごい力で締め上げてくる。
「っ!! 罠・・・!?」
私はそれに気がつくと同時に、前のめりに転んでしまった。
「くっ・・・!」
地面に強く胸を打って、息が止まる。
口の中には土が入り、ジャリという音がした。
ポケットを確認してみると、クロスケは少しだけ顔を出してクンクンと鼻を鳴らしている。
『フォースアイ』は、衝撃でレンズが割れてしまっていた。
――罠まで張ってるなんて。
私はその場に膝をつき、震える指で根をはがそうと試みる。
根はがっちりと私の足首に巻きついて、離れる気配はなかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、コホッコホッ・・・な、なんで・・・?」
息が整えられない。心臓が破裂しそう。
この事態を脱するための考えが、うまくまとまらない。
いつもなら冷静に対処できるはずなのに。
「うぅ、はぁっ、はぁっ!」
焦ってる・・・? 私が・・・?
私は宇宙物理学も量子論も、独学で勉強、研究していくつもの発見をしてきた。
真空のゆらぎの中に生まれる素粒子の数だって一秒で計算できる。
科学アカデミーの援助や特許で、経済的にも独立している。
なのにこの現実では、自分の足すらどうにもならないなんて――。
「・・・ぅ」
鼻の奥が熱くなるのを感じ、目に涙が滲んだ。
今まで独りで何でも出来た、やってきた・・・つもりだった。
「・・・ぅ、グスッ」
体の震えは止まらず、手足の感覚はとっくになくなっていた。
ゆがめた顔からはポロポロと涙の粒が、太ももに落ちて雨に混じる。
私は手を止めると、目を閉じて空を仰いだ。
生まれて初めてかもしれない。
誰かの助けを期待したのは。
「・・・メグ・・・ケンジ君・・・」
私は雨に消え入るような声で呟く。
するとクロスケが私のポケットの中で、モゾモゾと動きながら「ニャア」と鳴いた。
薄く目を開けると、放射状に降るの雨の軌跡の中心部に黒い塊が見えた。
「ナースチャ!!」
声と共に降りてきたのは、メグだった。
「メグ・・・!」
私はホッとして、詰まった声を搾りだす。
メグは浮遊魔術で追ってきたのだろうが、私とは対照的に少しも雨に濡れていなかった。
「樹木を利用した罠の術式ね。 待ってて、今助けるから」
メグは私の前で2メートルほど浮きながら、指揮者がタクトを操るように、続けざまに杖を四回振った。
一回目で足の根が逃げるように離れ、二回目で服が乾いた。
三回目で雨が避けるようになり、四回目で体がウソのように軽くなった。
「・・・すごい」
私は驚いて、自分の体を確かめる。
「あったりまえでしょ! アタシを誰だと思ってるの?」
メグは胸を張りながらも、ニコリと微笑んだ。
いつもなら鼻につく態度だけど、今回ばかりはその自信を頼もしく思った。
「クロスケ、おいで」
メグが手を出しながらクロスケを呼ぶと、私のポケットから飛び出してメグの手の上に乗り、そのまま定位置の肩まで駆け上がる。
「私は先に行くわ! ナースチャはついてきて!」
メグはそう言って今度は横に杖を振ると、いくつもの白い光の玉が木々の間に現れた。
「それを目印に! ケンジまで案内する!」
「あ・・・」
私が言い終わらないうちに、メグは目にも止まらぬ速さで上空に飛んでいく。
また『ありがとう』と言いそびれてしまった。
私は気を取り直して、再び林の中を駆け出した。
先ほどとは比べ物にならないほどの身軽さだった。
足が動くし、息も上がらない。
「・・・これが、魔術・・・」
私は少しだけ魔術に関心しながら、先行する光の玉を追っていった。
しばらく走っていると、前方に開けた場所が見える。
そこから光の瞬きと破裂音が聞こえた。
「メグ・・・!」
急いで林から抜けると、海沿いの国道に黒い男を見つけた。
男は上空のメグに向かって、いくつもの炎の玉を次々に放っている!
「そんなの当たらないわよ! 三流魔導士!」
メグは空中でヒラリヒラリ、と曲芸のようにかわし続けていた。
クロスケは道を挟んだ向こう側で、「フーッ」と威嚇していた。クロスケも無事みたい。
「ケンジがいるから、このままじゃ攻撃できない・・・! クロスケ、行け!!」
メグが回転しながら叫ぶと、クロスケが男の腕に向かっていってガブリと噛み付いた!
「フゥーッ!!」
クロスケが唸ると同時に、毛を逆立ててバリバリと青く放電し始める。
「クソッ! させるかぁっ!」
男は腕を思い切り振り払い、クロスケが空中に放り出されてしまった。
「クロスケ・・・!」
私は思わず飛び出して、クロスケの元に向かった。
クロスケはクルクルと回りながら、私の腕にストンと落ちる。
「ニャ」
猫を抱いたのは初めてだった。濡れてないし、思ったよりフワフワで軽い。
「・・・ケガしてない? 良かった・・・」
私はクロスケをそっと地面に放し、男を睨んだ。
男はメグとの戦闘に夢中だ。
――私はチャンスを逃さない。
真空の『場』に生まれる素粒子の対消滅は、一兆分の一秒の、さらに百億分の一の間に行われる。
私は毎日そんな世界を見ているんだ。
今がその『場』―――!
私は思い切り地面を蹴って、男に向かって走り出す。
体勢を低くして男の死角に入ると、高く跳んだ――。
「なっ!?」
男はふいを突かれて、こちらを振り向く。
・・・計算どおり。
私はその顔の真ん中に、力をこめて膝を打ち付ける!
ゴキッッッッ!!
「グァッ!!」
男は鼻と口から大量の血を噴き出しながら吹っ飛び、水しぶきを立てて地面に倒れた。
同時にケンジ君も放り出されて、地面を滑った。
私は、片手をついて着地する。
「ナイス、ナースチャ!! 行くわよ!」
メグは待ってましたと言わんばかりに、空中で杖を両手で掲げて力を溜める。
「・・・我が盟約に従え。雲海の雷神、大気の精霊、大地の鼓動よ。今一つとなりて、古の魔橋を彼の者に渡さん――!!」
メグが呪文を唱えると、ゴゴゴという大きな音と共に、風が渦を巻いてメグに集まっていく。
林の木々はいっせいに騒がしくなり、雨粒や地面の水が宙に浮き始めた。
私の髪の毛も逆立っている。
すべての物体がメグのほうに引っ張られていく。
メグの魔力がこれほどの物なんて――!
「雷槌よ! 焼き尽くせ!!」
ドッ!! ガッシャァァァン!!!
超特大の雷が大気を揺らした。
雷というより、これはもう爆発の光の柱だ。
私はとっさに目と耳を塞ぎ身を丸くするが、ものすごい風圧に体が流されそうになる。
――こわい!
信じられない、私のこんなに近くに雷を落とすなんて・・・!
静電気が私の全身をビリビリと痺れさせる。
しばらくして風が収まる。雷は――もうない。
安心して目を開けると、黒い服の男はさらに黒く焦げてプスプスと煙をあげていた。
あの威力なら、死んでしまったかもしれない。
周りの地面も陥没してしまっていた。
私はケンジ君に駆け寄り、首筋に指を当てた。
体温はかなり低いけど、脈と呼吸はしっかりと確認できた。
「・・・はぁ、良かった」
よく見ると、ケンジくんの腕も焦げていた。
雷に少し当たったらしい。メグは細かい調整が苦手なようだ。
メグは仁王立ちのまま、上空からゆっくりと降りてきた。
「ふー、やったわね! アタシの雷の味はどう?!」
「・・・どう、じゃない。すごくこわかったし、もう少しで私に当たるところだった。実際、ケンジ君にはちょっと当たってる」
私はふんぞり返ってるメグに向かって、文句を言った。
「あは、細かいことはいいじゃない。悪党をやっつけたんだから」
メグは右手の人差し指をクルクルと回して、鼻高々にしている。
「それで、ケンジは無事だったの?」
「・・・気を失ってるだけみたい。・・・あと腕の火傷」
「しつこいわねぇ。無事ならいいわ。あの第二の黒コゲ男はどうする?」
メグと私は地面に倒れている焦げた男を一瞥する。
「・・・普通なら警察に――
私がそう言いかけた時、焦げた男がパッと立ち上がった。
「まさか! あれを喰らってまだ動けるなんて! 今度こそ息の根を止めてやるわ!」
メグが杖を構えると、男は身をひるがえして、夜の闇の中に溶けていくように消えていった。
「・・・消えた」
「待ちなさい! 逃げるの!?」
メグは国道の先に向かって叫ぶが、そこにはザーザーと雨音だけがむなしく鳴っていた。
「メグ、ケンジ君の処置が先。とりあえず保健室に運ぶ」
私はメグの後姿に向かって諭すように言った。
「・・・そうね。魔術で運ぶわ」
メグはケンジ君の体を乱暴に浮かせて、国道を歩き出す。
私も後を追うように付いていった。
「・・・あの男は魔導士? なぜケンジ君を誘拐するの?」
「アタシに聞かれても知らないわよ。それよりナースチャ、アンタの蹴りもなかなかやるじゃない」
「・・・子供のころ、格闘技を習ってた。その動きをまだ覚えてる」
「へ~、意外ね。でも子供のころって、アンタ今でも子供じゃない。ふふ」
私はムッとして見ると、メグはうすら笑いを浮かべていた。
「・・・私は大人の女性。マッドサイエンティシズムを遂行する、孤高でセクシーな科学者」
「何に憧れてるんだか。それが子供だっつーのよ」
メグはあきれたように、左手をパッと開いて振った。
「・・・大人」
「子供よ」
「・・・」
ふと足元を見ると、クロスケがちょこまかと早足で歩きながらあくびをしていた。
人間の言い争いなんか、退屈なのだろう。
「・・・メグ」
私はメグを呼び止めた。
「何よ、まだ言い張る気?」
メグは足を止めて振り返る。
「・・・ありがとう」
私は小さく呟く。
三人と一匹は、夜の道を学校まで無言で歩いた。
気が付くと、いつの間にか嵐は過ぎ去り、夜空には星が瞬いていた。
「―――ぅ」
・・・ここはどこだ?
何があったんだっけ・・・。
オレは頭がボーっとしてうまく考えられなかった。
・・・寒い。誰か暖房をつけてくれ。
ついでに暖かいスープもくれるとありがたい。
何でこんなに寒い?
確かオレは、部室にいたはずだ。
雨が降って、雷が鳴って、ナースチャが丸くなって・・・。
そうだ、オレはトイレに向かったんだ。
そこで・・・そこで何かがあったような――。
「はっ!?」
オレは飛び起きた。
といっても、上体だけガバッと起こした感じだ。
「あ、あれ・・・? ここは――
見慣れない部屋で、オレの上半身は裸だった。
白いベッドに、白いシーツ。白い壁に白い天井。部屋の中には消毒液のような匂いが充満している。
白いカーテンの向こうの棚には、いろいろな瓶が陳列されていた。
まるで病院のような整然とした無機質さを、蛍光灯の光が強調している。
「・・・起きた? 弟切くん、気分はどう?」
カーテンがシャッと開き、白衣を着た女性が顔を出した。
黒髪で、優しそうな瞳をしている。
顔立ちは幼くも大人にも見える不思議な雰囲気だが、とにかく美人だ。
「ここは保健室よ。私は養護教諭のヴィルヘルミナ。ヘルミナでいいわよ。よろしくねぇ」
「あ・・・保健の先生だったか。オレはどうしてここに・・・?」
先生はニコリと微笑んで、オレが寝ているベッドに腰をかけた。
「覚えてないの? 二人の女生徒が弟切くんをここに運んできてくれたのよ。あなたは雨に濡れて、体温がかなり下がっていたわ。だからシャツを脱がせて、体を拭いたの」
先生はなぜか目を輝かせて説明してくれた。
「二人・・・メグとナースチャか」
「そうね、確かにそう言ってたわ。もう遅いから、二人は寮に帰宅させたの」
「そうか・・・。二人にケガとか無かったか?」
「青春ねぇ」
「え?」
オレが聞き返すと、ヘルミナ先生は苦笑いのような困った表情を見せた。
「大事なお友達なのね。少し疲れた様子だったけど、大丈夫よ。それよりあなたの症状だけど、軽い脳震盪(のうしんとう)と、腕の火傷ね。どちらも大したことなくて良かったわ」
「火傷?」
右腕を見ると、白い包帯がグルグルと巻かれていた。
痛みはないが、皮膚がつっぱる感じがする。
先生の言うとおり、大したことはないのだろう。
それよりさっきから、鼻の奥がムズムズしていた。
「ハックション! ハクション!」
「あら、風邪も引いちゃった? お薬持ってくるから、ちょっと待ってて」
先生はパタパタとサンダルを鳴らして、カーテンの向こう側に消えていった。
「ズビー」
オレは鼻水をすすり、おでこに手を当てる。
うーん、熱はないみたいだけどな・・・。
先生が戻ってきて、オレにカプセル薬を手渡した。
「それを飲んだら休んで。今日はここに泊まっていいから」
学園の保健室に泊まるなんて、なんか変な気分だ。
オレはその変な気分と一緒に、薬を飲み込む。
「先生。今、何時だろ?」
「夜中の二時半よ。残業手当が出ることを一緒に祈って」
「オレのせいで、すみません・・・」
「ふふ、冗談よ」
ヘルミナ先生はまるで子供のようにはにかんだ。
オレが布団を直して横になると、先生は再びベッドに腰掛けて、カルテのようなものを書き始めた。
「弟切くん。無理しないでいいから、なにか思い出せることがあったら話してみてくれない?」
「あぁ・・・。んと、確か夕方くらいかな? オレは魔技研の部室にいた」
「あら、魔技研の子だったの? 旧部室棟の一階ね。科学科と魔導科の生徒が一緒に活動してる珍しい部だって、先生の間では有名よ?」
「そ、そうなのか。それで、メグとナースチャ――ここに運んでくれた二人と三人でいたんだけど・・・オレは急にトイレに行きたくなった」
「あら、ここに尿瓶あるわよ? 使う?」
先生はベッドの下からぱっと尿便を取り出す。
「い、今じゃなくてその時だよ! 雷が鳴ってたころ!」
ヘルミナ先生は「あらぁ」と少し残念そうな顔をしながら、尿瓶をベッドの下にしまった。
落ち着いててやさしい雰囲気の先生だが、ハッキリ言ってちょっと変だ。
「トイレに行って、手を洗ってる時に・・・男が立ってた気がする。鏡越しに見えたんだ」
「男が立ってた、と」
先生は強調するように、そこだけ繰り返しながらカルテに書きとめていた。
「それは、男子生徒かしら?」
「いや、制服を着ていなかったし、なんつーか・・・忍者みたいな奴だった。一瞬しか見てないけどな」
「制服を着ていなかった、と。よしっ」
・・・何がよしっ、なんだ?
ヘルミナ先生はいつのまにか、ニコニコと笑顔になっている。
「そんで・・・うーん、呪文のようなものが聞こえて、それからはよく覚えてない」
呪文、という言葉に先生はピクリと反応した。
急に真顔になって、シリアスなトーンで質問してくる。
「・・・呪文? なんて言ってたか思い出せないかしら?」
「すみません、まだ頭がボーっとしてて。でも、今まで聞いたことが無い感じだった」
「・・・そう、わかったわ。ありがとう弟切くん。詳しいことは明日にしましょう。今日はもう休んで」
先生の顔には再び、優しい笑みがあふれていた。
「あっ! 弟切くん、もう一ついい?」
先生がカーテンを閉めようとした時、思い出したように聞いてきた。
「あぁ、何?」
「どっちが彼女なの?」
「え゛っ」
オレは質問の意味がわからなくて、すっとんきょうな声を出してしまった。
先生はそんなオレに構わず、質問してくる。
「魔技研の二人よ。どっちが弟切くんの恋人で、どっちが愛人なの?」
「そ、そんなんじゃないって! 二人は魔技研の仲間で、ただの友達だよ!」
「あらぁ、そうなの? 残念ね。私がもう二十歳は若かったら、弟切くんみたいな子は放っておかないのに」
こ、この人は何を言ってるんだ? 二十歳って、年はいくつなんだ?
見た目は同級生のようにも見えるぞ。
オレはこの人が本当に先生なのか、そもそも人間なのか不安になってきた。
「うふふ、冗談よ。さ、もう寝なさい。私は隣の部屋にいるから、何かあったら遠慮なく呼んでね。例えば――若い肉体が暴走して抑えがきかなくなる、とかね」
「おやすみなさい!」
オレは先生の言葉を最後まで聞かずに、布団を頭からかぶった。
うふふ、という怪しい笑いと共に先生の足音は遠ざかって行く。
「マジかよ・・・」
何に対してそう言ったかはわからないが、オレは急に疲労感に襲われて眠りの世界に落ちていった。
つづく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
double.3
「学園波乱のオーメン」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――目を開けると、十メートルほどの高さの半透明な柱が何百本も群立していた。
ひどく人工的な静けさの中で、白い光がさざ波を立てるように柱を透過している。
オレはその光の海を、目的もなく彷徨い歩いていた。
床は濡れたプラスチックで、ツルツルと滑ってうまく歩けない。
辺りにはきついミントの香りが漂い、鼻がツンと痛くなった。
どうやらオレは、超巨大な歯ブラシのヘッドの中にいるようだ。
「なんで・・・?」
エコーの効いた声でそう呟くと、柱の間からひょこりとクマのぬいぐるみが顔を出した。
子供くらいの大きさのクマは、黄緑の炎に包まれてごうごうと燃え盛っている。
手には黒光りする鉄のような、でかくて重そうな魔法のステッキを持っていた。
オレは恐ろしくなって逃げ出すと、クマが追いかけてきて早口で何かを叫びだした。
「$〇#☆%&▲≪―!!」
テープを早送りしているようなキュルキュルとした声で何を言っているか聞き取れないが、明らかに怒っているようだった。
クマは黒い泡を吹き出しながら、狂ったように両腕をグルグルと回している。
――殺される。
オレが両手で頭を抱えると、今度はクマの後ろから宇宙人が出てきた。
黒目の大きい、肌が灰色の、映像や写真でよく見る『宇宙人像(グレイ)』そのものだ。
小さい口からは、冷気のような白いもやをコーコーと吐き出している。
宇宙人は何をするでもなくオレとクマをしばらく観察していたが、突然クマの尻にケリを入れた。
クマは余計に燃え盛り、宇宙人とケンカを始める。
クマと宇宙人がボコボコに殴り合っている姿は、すこぶる滑稽だ。
オレは段々と面白くなってきて、口を押さえる。
すると突然、上空からハミガキ粉が大量に降り注いで――
「ぅう~ん。キシリ・・・フッ素が・・・フッ素化合物がオレを責める・・・」
「――君。・・・ケンジ君」
「ケンジ、起きなさい! いつまで寝てんのよ!」
ペチペチと頬に刺激を受けて、オレはしかめっ面のまま目を開けた。
保健室のベッドの脇に、クマと宇宙人が立っていた。
「あぁ、まだ夢か・・・」
「違う! いいから起きろっ!」
バッと布団をはぎ取られて、オレの思考が急速に覚醒する。
よく見ると、メグとナースチャが不思議そうな顔でオレを見ていた。
壁の時計を確認すると、八時半を回っている。
「お、おぅ、おはよ・・・。どした?」
「どした? じゃないわよ。はぁ、どんな夢をみてたんだか・・・」
メグが布団をベッドに放り投げながら、頭を振っている。
「巨大な歯ブラシの中でクマと宇宙人がな――」
「聞きたくない」
ピシャリと冷たい拒否をされて、オレは黙り込んだ。
「ったく、心配して損したわ・・・」
メグは小さい声でブツブツ言いながら、不機嫌そうにうつむいてしまった。
「・・・ケンジ君、具合はどう?」
ナースチャがそう言いながら、オレに顔を近づけてジッと見つめてくる。
目を見てるというよりは、瞳孔の確認をしてるのだろう。
ナースチャの顔が近づいてくる。
――い、息が当たりそうなほど近いんですけど。
甘い匂いがするし、オレはドギマギと挙動不審になってしまった。
「あ、あ、あぁ大丈夫だ。見てのとおりピンピンしてるよ。腕は少し痛いけど」
オレはサッと身を引いて、二人に腕の包帯を見せる。
「・・・ごめん」
メグが急に謝りだした。
「え? 何が?」
「い、いいえ。べ、別になんでもないわ」
メグはプイと顔を背けて、薬品棚のほうを向く。
変な奴だな。前から思ってたけど。
「・・・元気そうで良かった。ケンジ君、私たち学園長に呼ばれてる。昨夜の件で聞きたいことがあるって」
「あぁ、そうか。頑張れよ」
「アンタも来るのよ!」
メグが近寄ってきて、オレの耳を強く引っ張りだした。
「ぃででででっ! わ、わかった! わかったから引っ張んなって!」
耳がちぎれたみたいに痛い。
おちゃめな冗談なのに、これじゃ『寝耳に万力』だ。
メグは力の加減っつーもんを知らないのか?
オレは右耳を押さえながら、涙目でベッドから降りて靴を履く。
「あれ、そういえばヘルミナ先生は?」
「・・・学園長室。今朝登校したとき、ケンジ君を連れてきてって頼まれた」
ナースチャが首を傾けて、保健室の扉のほうを示す。
「そうかぁ・・・」
できれば先生の存在も夢であって欲しかった。
オレは少し深呼吸をして、保健室を後にした。
魔導科棟と科学科棟の間にある、教員棟の最上階――十三階に学園長室はあった。
屋内にも関わらず、廊下はコケの生えた石畳で壁はツタが走る古いレンガ造りだ。
まるで古い遺跡に足を踏み入れたように感じる。
鉄製の扉も重々しい、荘厳な雰囲気をかもし出していた。
オレたち三人は、ギギギィという音と共に分厚い扉をゆっくり開けた。
中を覗くと、魔導書や科学書の類が本棚からあふれ出し、床や机に乱雑に積まれている。
薄暗いオレンジのランプの光が、試験管の薬剤や人骨標本をあぶり出すように照らしていた。
ドーム上の天井にはランプのほかに多くの薬草や果物、小動物のミイラのようなものが吊るしてあった。
オレは学園長室に入ったはずなのだが、ここは怪しい錬金術師か、魔女の住処って感じだ。
ただ一つ違うのは、どこからかダンスミュージックのようなノリのいい音楽が聞こえてくることだ。
ズンズンとイキのいい低音が響いている。
「・・・ここ?」
オレは確信が持てずにメグとナースチャのほうを振り返る。
「そのはずだけど・・・」
「・・・そう書いてある」
メグは半信半疑で答え、ナースチャは『学園長室』と書いてある扉のプレートを指している。
「とりあえず入ってみるか」
本や骸骨を避けながら進んでいくと、奥にもうひとつ部屋があった。
音楽はそこから聞こえてくるようだ。
アーチ上の横柱をくぐろうとした時、ヘルミナ先生が奥からやってきた。
先生は昨夜と同じく、ニッコリと優しい笑顔で出迎えてくれた。
「あらぁ、来たわね。すっかり顔色もよくなって、良かったわぁ~」
先生はベタベタとオレの顔や体を触ってくる、というかまさぐってくる。
「あっ、ちょっ、先生っ」
メグとナースチャは怪訝な表情でオレと先生を交互に見ていた。
「お、おかげさまで、元気になりましたから」
オレはヘルミナ先生を手で押しやり、距離をとる。
「キャッ! 元気ですって。一体どこがでしょうね、学園長!」
先生は大はしゃぎしながら奥の方に向かって行った。
「はぁ・・・」
オレはため息をついて、手で眉間を押さえながらうつむいた。
「ちょっとケンジ、先生とはどういう関係?」
「・・・禁断の愛・・・いかがわしい・・・」
メグとナースチャは、一層冷たい目でオレを見てくる。
「ち、違う。ヘルミナ先生とは昨日会ったばかりだし、どんな関係でもない! 元々ああいう人なんだって!」
「へぇ、一晩で、ねぇ?」
「・・・いかがわしい・・・」
オレはもう弁明するのも面倒臭くなって、部屋の奥に向かった。
二人はなにやらボソボソと話しながら、オレと一定距離を取ってついて来ている。
女子の想像力というものは恐ろしいものだ。
部屋に入ると、歴史を感じさせる重厚な机の向こう側に学園長がいた。
しわくちゃな顔には長く白いひげを蓄え、白いローブを纏い、『ザ・魔導師』といった風体の先生だ。
学園長は曲がった腰をビートにのせて、一心不乱に踊っている。
相当な高齢だろうに、かなり激しくブンブンと頭を揺らしていた。
その脇では、ヘルミナ先生がオレの元気な部位について喋り続けている。
「・・・もうやだ、この学校」
ここは変人先生が集まる収容所か?
先生たちだけじゃない、ユーキや後ろの二人だって変人として収容されているとすると、納得がいく。
もちろんオレは例外だ。
「すみません! オレたち、呼ばれて来たんですけど!」
オレは先生たちに近づいて、大声で話しかけた。
「お? おぉ? ほぅ、君が弟切ケンジくんじゃな。後ろの二人はマーガレット=カニンガムくんに、アナスターシャ=アシモフくんかな」
学園長はピタリと動きを止めて、こちらを振り返りながらしわがれた声で話しだした。
「わざわざ来てもらったのに悪かったのぅ。ダンスに夢中で気づかんんかったわ。ほっほっほ」
学園長はニコリと笑う。
「あ、いえ・・・」
オレは苦笑いをしながら答えた。
「そこに盆栽があるじゃろう? 魔力を秘めた木で、音楽を奏でることが出来る『音栽』というものじゃ。最近はジャズヒップホップにハマッておってのう。ほっほっほ」
学園長が指差した机の上には、松のような盆栽があった。
確かに音楽は音栽とやらから聞こえてくるようだ。
「メロウで素敵ですわ、学園長」
ヘルミナ先生が学園長の肩に手を置き、甘く囁くように言った。
「ほっほ、そうじゃろう、そうじゃろう」
オレは話が脱線する予感がして、早々に用件を切り出す。
「あ、あの、昨日の件で聞きたいことがあるとか・・・」
「あぁ、そうじゃったな」
学園長は人差し指を立てて、ようやく話をする気になったようだ。
「おほん、昨日の誘拐未遂事件のことじゃが、犯人の目星や動機に心当たりはないかのう?」
学園長が質問すると、後ろにいたメグが胸を張りながらズイと前に出た。
「学園長、今朝ヘルミナ先生に報告した通りですわ。午後七時ごろ正体不明の男が旧部室棟に侵入しましたの。攻撃魔術を使いケンジを気絶させて、そのまま連れて逃走。それをアタシ達、主に『アタシ』が未遂に終わらせましたわ。男は黒い軍服のようなものを着ていて、顔はよく見えませんでしたの」
メグは優等生らしく堂々と話しているが、オレは驚いてメグを二度見する。
「ちょ、ちょっと待て。オ、オレ、誘拐されたのか!?」
「え? そうよ。主に『アタシ』がアンタを助けたの。完全なる命の恩人よ」
メグは少しアゴを上げて、オレを下に見てくる。
その目は「感謝しなさい」と、濁った光を発していた。
「そ、そうだったのか・・・。二人とも、助けてくれてありがとう」
オレが二人にお礼を言うと、ナースチャは何か言いたげにムッとしていた。
「それなんじゃがな、弟切くん。君は誘拐される原因についてなにか心当たりはないかの?」
「原因ですか? う~ん、家は金持ちじゃないし、誰かに激しく恨まれてることも・・・たぶん無いと思います」
学園長は深く頷きながら続ける。
「ふむ・・・魔技研では普段はどんな活動をしているのかのう?」
「色々と発明品というか、便利な道具を地味に作ってるだけですが・・・」
「ほう、それはどういうモノじゃ? 良かったら聞かせてくれんか?」
「大したモノじゃないですよ。魔導と科学の技術を合わせて、魔力が見える眼鏡とか、探知機とか、ラジコンや傘ですね」
オレが説明を終えると、ヘルミナ先生が口を挟んできた。
「あらぁ、傘? どんな傘なのかしら。かわいい花柄だったら、私もひとつ欲しいわぁ」
「・・・傘といっても超魔導技術を使った高エネルギー障壁。私も少し手伝ったけど、空間に放出された魔導エネルギーを電磁界で保持制御する。驚くべき技術・・・」
我慢できなかったのか、ナースチャが前に出てきてオレの代わりに説明してくれた。
「そう、花柄じゃないなんて残念だわぁ」
ヘルミナ先生は本当に心から残念そうに、肩を落とした。
学園長は机にひじを突き、眉を寄せて深く考えている様子だった。
「ふむ、そうか・・・」
しばらくそうしていたが、何かに納得したのか、うんうんと頷いて顔を上げる。
「・・・わかった。ご苦労じゃったの。三人とも授業に戻っておくれ」
「仰せの通りに」
メグが仰々しくお辞儀をする。
オレたちは一息ついて、扉のほうに向かった。
「弟切くん」
部屋から出ようとしたとき、後ろから学園長の声が聞こえてきた。
振り返ると、学園長が立っている。さっきより背が高く見えて、オレは少し驚いた。
「これからは警備も増やすが、くれぐれも気をつけるんじゃよ」
学園長の目つきは厳しく、オレは背筋にイヤな感覚を覚えた。
「・・・はい」
また何か事件が起こる予兆だろうか。
オレは平静を装って、足早に学園長室を出たのだった。
授業に戻ったオレは、昼休みを大歓迎していた。
昨日の昼から何も食べてないからだ。
三時限目辺りからは、グーグーと腹の音が栄養を欲して鳴り止まなかった。
昼休みのチャイムと共に、購買までダッシュして人気のヤキソバパンを三つも買ってきてやったぜ。
「うふふ・・・うふふ・・・」
今のオレはアラブの石油王のごとく、すべてを手に入れた気分を味わっている。
席に戻ってきたオレは、クリスマスプレゼントを開けるように期待に胸を膨らませながら、ビリビリと袋を破った。
「あぁ、この芳醇なソースの香り・・・。たっぷり楽しませておくれ。いっただきま~・・・」
オレが今まさにヤキソバパンを口に入れようとした時、教室のスピーカーから大きな音が聞こえてきた。
「ピンポンパンポーン。え~、科学科および魔導科の諸君。教頭のホーキングである。これより緊急全校集会を行う。手に持った食べ物を机に置き、咀嚼を中止して至急体育館に集合。ひとりたりとも遅れないように――」
オレは手を止めて、口をあんぐりと開いたまま聞いていた。
――全校集会? 昨日の件のことだろうが、あまりにタイミングが悪い。
オレは今まさに、至福の時間を過ごすところなのに!
周囲のクラスメイト達はガタガタと立ち上がり、体育館に向かっていく。
「ちぇっ」
オレは集会でこっそり食べればいいやと思い、ヤキソバパンをブレザーのポケットにパンパンに詰めて立ち上がった。
「――なお、ポケットに入れた食べ物は没収するからそのつもりで」
・・・オレはポケットのヤキソバパンを取り出して、机に叩きつけた。
きっと涙を流していたに違いない。
体育館に着くと、左側に魔導科、右側に科学科の生徒達が雑然として並んでいた。
入学式や卒業式以外は授業も行事も別々にやるので、両科同時に集合することはかなり珍しい。
正面の壇上には学園長がマイクに向かって立っていた。
「静かに整列するように!」
教頭のヒステリックな声が響いてそそくさと列に加わった。
「あぁ、褐色の君よ・・・」
オレはさっき食べ損ねた愛しいヤキソバパンの香りを想って、ゴクリと喉を鳴らした。
「・・・プッ、恋人でも出来たか?」
左の列からユーキの声が聞こえてきた。
「あ、ユーキか・・・。オレ、声に出してた?」
「結構でかい声でな。どうせヤキソバパンかコーヒー牛乳の事でも考えてたんだろ?」
眼鏡を指で直しながらユーキは笑っている。
オレは図星を突かれて、少し恥ずかしくなってしまった。
「なぁケンジ、この集会って何なんだ?」
「さぁな・・・」
多分オレの誘拐事件の事だろう、とは言えずにとぼけて見せた。
詳細を話しても、恐らく信じてもらえないか、余計な心配をかけるだけだしな。
列が整って静かになったところで、壇上の学園長が口を開く。
「え~生徒諸君。ご機嫌いかがかな。楽しいランチタイムを邪魔してしまって申し訳ないのう。実は昨晩、当学園の生徒を狙った誘拐未遂事件が発生したのじゃ」
学園長がそう言うと、体育館全体が一気にザワザワと騒がしくなった。
「静粛に、静粛に。幸いにも未遂に終わったが、賢明な諸君らにおいては部活中や下校時に大いに気をつけてもらいたい。なるべく互いに声をかけたり、周囲に気を配るのじゃ。しばらくの間は警察にも協力してもらい、自立型の警備ロボットなどをさらに配備するつもりじゃ」
学園長が話している間もみんなのザワつきは収まらず、不安を口にする女子生徒もいれば、返り討ちを画策する男子生徒のグループもいた。
壇の下では、ハゲ散らかした教頭と生徒会長がなにやら相談をしている。
「お、おいケンジ。誘拐未遂だってよ! ついに俺の男気を見せる時が来た! 女の子が誘拐されそうなところに颯爽と現われ、正義のパンチで悪を討つ俺! 大丈夫かい? 怪我はないかい? って感じでな!」
ユーキは妄想を垂れ流しながら、ハァハァと息を荒くしていた。
さすがは学園にその名を轟かす『パラノイアキング』だぜ・・・
周りの生徒も慣れたもので、全員がユーキを無視している。
「助けてくれてありがとう。あなたのお名前を教えてください。 ・・・いや、名乗るほどの者じゃありませんよ、お嬢さん。無事でよかった。 あぁ、なんて素敵な人・・・」
ユーキはまだ現実に戻って来ていないようだ。
オレはもう可哀相で、一人二役を続けるユーキを見ていられなかった。
「おいユーキ、被害者が女の子とは学園長は一言も言ってないだろう・・・」
「ケンジ、よく聞け。男を誘拐する物好きなどこの世には存在しない。女の子オンリーだ」
真顔で語るユーキに、オレはたじろいだ。
被害者は目の前にいるんだけどな、とオレは壇上に目を向けた。
「――以上じゃ。生徒諸君らの叡智と健康を祈る」
いつの間にか学園長の訓示は終わっていた。
集会が終わり、生徒達はバラバラと体育館から出て行く。
ユーキはいの一番にダッシュで出て行った。
犯人はアイツじゃないだろうな、と疑念を抱きながら出口に向かうと、大きな扉の手前で生徒会長の『シャルル=オットー』が仁王立ちで立っていた。
シャルルは魔導科の三年、金髪碧眼・容姿端麗の男で、女子に絶大な人気を誇っている。
メグと同じく、有名な『魔導十二家』の出身だと聞いたことがある。
シャルルは出て行こうとするオレの肩を、突然ガッと掴んできた。
「・・・科学科二年、弟切ケンジだな?」
オレはビックリした。
文字通り住む世界の違う人間に、名前を呼ばれるとは思ってもいなかったからだ。
「そ、そうだけど」
「教頭先生に聞いたが、昨日は大変だったらしいな。そのまま消えてくれれば僕の心もスッキリしたのだが」
「・・・え?」
何だこいつは?
初対面で、オレを全否定するつもりか?
「何言ってんだ?」
「僕は生徒会長として、『マガ研』なんて胡散臭い研究会を認めていない。前会長が承認したから仕方なく存続させてるが、はっきり言って部費の無駄だ」
なるほど、こいつも科学科と魔導科の交流を嫌う輩の一人か。
「『マガ研』じゃなくて『魔技研』だ」
「名前なんてどうでもいいさ。あのマーガレット=カニンガムがこんな奴と一緒に活動してるなんてどうかしてる。魔導科にとっては大きな損失だ。一体どんな脅迫をして『マガ研』に入れたんだ?」
シャルルは鼻筋の通った高い鼻をブンブンと振って、オレに詰め寄ってくる。
今すぐその鼻をへし折ってやりたい気持ちになったが、今は腹が減ってそれどころじゃないことにしておく。
「脅迫なんかしてないさ」
・・・取引はしたがな。
「じゃあ何か? 彼女は、自ら望んで貴様とつるんでるという事か? そんなの信じられないしあり得ない」
「信じようが信じまいが、それが事実だ」
ハハ、と鼻で笑いながら両手を広げて頭を振るシャルル。
高慢な態度と人を馬鹿にした仕草はメグとかなり似ているが、イヤミのレベルは断然こいつのほうが上だ。
名家の魔導士ってのはみんなこんな感じなのだろうか?
「話は終わりか? オレと話してる暇があったら、校門の所の縁石でも直しておいてくれよ。生徒会長」
オレはトゲトゲしい声で言い放ち、シャルルを横目に通り過ぎようとする。
「・・・僕を甘く見ないほうがいい、弟切ケンジ。後で後悔することになるぞ」
「『後で後悔』なんて、意味が重複してるぞ。優等生の生徒会長様」
オレは振り返らなかったが、きっと端正な顔を赤くして怒っているに違いない。
少しスカッとした気分で教室に戻ったオレは、机の上のヤキソバパンがひとつ消えてる事にひどく落ち込んだのだった。
――放課後、オレは林を抜けて旧部室棟に向かっていた。
学園内の至る所で、自立式の警備ロボットが電子音を鳴らしながら徘徊しているのを見た。
大きさは直径五十センチくらいの円盤形で、高さは三十センチくらいか。
底に付いた四本の足でチャカチャカと動き回っている。
形からすると、恐らく先の魔導科学大戦で投入された自立式有脚戦車『シロジグ』を小型化したものだろう。
ちなみに漢字では『白地駆』と書く。豆知識な。
魔技研の部室に到着すると、珍しい事にメグとナースチャが既に来ていた。
メグは窓を開け放ち、杖でサッシをゴツゴツと叩いている。
「・・・ったく、何様のつもりよ・・・! アタシに意見するなんて三千年早いってーのっ!」
ずいぶんとご機嫌斜めのようなので、オレはあまり近づかないようにしようと瞬時に決めた。
ナースチャを見ても、オレは青ざめた。
なぜかロープでグルグル巻きにしてある警備ロボットをひっくり返している。
床に膝をついて、ジタバタと暴れるロボットの腹をいじくっていた。
「・・・ナ、ナースチャ。それ・・・どうしたんだ。警察のロボットだぞ?」
「・・・捕まえた」
ナースチャはニヤァと口の端を歪めながら、作業を続けている。
「・・・え?」
「・・・捕まえた。電磁ロープで。簡単だった」
ナースチャはこっちを向いて、キラキラした目で語る。
「そ、そんなことしていいのか? お巡りさんに捕まって怒られちゃうぞ?」
「・・・いい。この子は私のモノ。私の言うことしか聞かないように改造するの」
「そうか・・・。オレは何も見てない。無関係、ノータッチだ」
ナースチャがこの目をしている時は、何を言っても無駄だ。
オレは諦めて放って置くことにした。
「あっケンジ、来てたのね!? これは一体どういう事!?」
「・・・気づかれてしまったか」
メグは力強い足取りで、オレのほうに高速で近寄ってきた。
「アンタ、シャルルと何か話したわね! 『弟切ケンジと話すな』とか、『魔技研を辞めろ』とか色々言われたじゃない! アイツ何様のつもりよ!」
メグはオレに向かってブンブンと杖を振っている。
魔術じゃなくて、杖で撲殺されされそうな勢いだ。
「し、知らねーよ! アイツの方から勝手に話しかけて来たんだ」
「シャルルから? おかしいわね。一般人の、特に科学科のアンタみたいなのに興味を持つなんて」
「・・・何か引っかかる言い方だけど、事実だ」
「ふぅん」
メグは腕を組んで、右上を見ながらなにかを考えてる様子だ。
「メグ、シャルルとはどういう関係なんだ? 魔導十二家なのは前に聞いたけど・・・」
「ただの婚約者よ」
「はぁっ!?」
「親同士が勝手に決めた婚約者。昔、純血の魔導因子を保持するために決められたの。私にとっては興味ないし、どうでもいいことだけどね」
「そ、そうか。名家同士には良くありそうな政略結婚って事だな」
「まったく、いい迷惑よ。初めて会ったのはこの学園に入ってからなのに、何かにつけて言いがかりをつけてくるんだから。あの高飛車な態度でね!」
オレとナースチャはジト目でメグを見ていた。
『お前が言うな』と目で訴えているのだろう。
「・・・ケンジ君。この後、警察が事情聴取にここに来るって。ヘルミナ先生が言ってた」
「こ、ここに来るのか!?」
オレは焦った。
ナースチャのロボをなんとか隠さなければ、器物破損と横領の現行犯逮捕になりかねない。
「ナースチャ、それ隠せ!」
「・・・?」
なんで?って顔でオレを見ていたナースチャだが、必死になっているオレを見て、リモコンのようなもののスイッチを押した。
するとナースチャが抱えてたロボットは、ブゥンという音と共に透明になって消えた。
「それ、光学迷彩か?」
「・・・構成粒子の振動を変えたの。今は少しずれた次元に移動してる。ここにあるけど、ないように振舞う」
「そ、そうか? よくわからんけどさすがだぜ・・・」
オレはナースチャの技術に驚くと同時に、ほっと胸をなでおろした。
「これで逮捕は免れたか・・・」
ナースチャは作業を中断されたせいか、少し怒ってるように見える。
「そういえば二人とも、昨日のことだけどさ・・・」
事情聴取の前に、オレはうやむやな記憶を補完するべく、改めて事件の確認をしておこうと思った。
「オレはトイレで倒れてたんだよな?」
「・・・トイレの確認はしてない」
「アタシたちが男子トイレを覗くわけないじゃない。妙な魔力の気配がしたから見に行ったら、変な男がアンタを抱えて廊下にいたのよ」
オレはこめかみに人差し指を当てて、記憶をたどる。
「なんとなく覚えてる。黒い服を着た男だな」
「・・・そう。変わった魔術を使ってた」
「あれは多分、南アムリタ大陸発祥の『カオスマギ』ね。かなり珍しい種類の魔術だけど、その亜流だと思うわ」
「オレが聞いたのは、その呪文か・・・。なんで魔導士はオレなんかをさらったんだ? はっ、まさか美男子すぎるからか!?」
「・・・・・・」
ナースチャを見ると、ふるふると顔を振っている。
メグも口を開けたまま、天井を仰いでしまった。
「うーん、考えても埒が明かないな。トイレになにか痕跡があるかもしれないから、確認してみよう」
今のままでは、またトイレで何かあったときに対処の仕様がない。
ずっとトイレに行けなくのも困るし、この年でオムツをつけるのは何としても避けたい。
「アタシは行かないわよ。男子トイレなんて」
「・・・私も」
「・・・だろうな」
オレは呟きながら扉のほうに向かう。
期待はしてなかったが、はっきり言われるとちょっと寂しい。
オレが扉に手を掛けようとしたとき、扉の向こうから大きな声が聞こえてきた。
「うわわわわぁぁ!」
ドカッ!!
何かが扉ごと突き破って、オレの顔面に突っ込んできた!
「うおっ!!」
オレの鼻に激痛が走って、後ろに倒れこんだ。
ツーンという刺激が涙を誘う。
「な、何だ・・・?」
涙と目のチカチカでよく見えない。
「あわわ! ご、ごめんなさい!」
オレの上に壊れた扉が乗ってて、その扉の上に誰かが乗っている感触がする。
「う゛ぅ・・・ど、どいてくれ・・・! 苦しい」
オレは鼻を押さえながら叫んだ。
押さえた手は、鼻血で血だらけになっていた。
「あっ! ご、ごめんなさい! よいしょっと!」
「グエッ」
誰かが移動した拍子に、オレの腹に圧力がかかって声が出た。
昼に食べたヤキソバパンの具が出そうな勢いだ。
ガタガタッ。
オレが扉をどけて上体を起こすと、見知らぬ女の子が立っていた。
「だ、大丈夫ですか?」
その女の子は、ゆるふわのロングヘアーを揺らしながら心配そうにオレの顔を覗いている。
背はナースチャより少し低いくらいで、髪の色はかなり珍しいピンク色をしている。
長いまつげとタレ目が特徴的な、不思議な雰囲気のかわいい女の子だった。
「あ、ああ。なんとかな」
オレは強がりを言いながら、ヨタヨタと立ち上がる。
「ごめんなさい。わたしボーっとしてることが多くて・・・」
ボーっとしてるだけで、扉を突き破るものなのか・・・?
その女の子がすまなそうに謝ると、メグがその子に杖を構えて詰め寄っていく。
「――ちょっと、アンタ誰よ? 昨日の奴の仲間?」
急に質問されたからか、女の子は怯えるように肩をすくめた。
見ようによってはメグが尋問しているようにも映る。
「あっ、じ、自己紹介が遅れました! わ、わたし、魔導科の一年で、『サクラ=ピルグリム』と申します。サクラって呼んでください」
「ア、アンタ、魔導科なの? それにしては魔力を感じないわよ」
「わ、わたし、魔力は激よわなんです・・・。それにドジみたいで、さっきも扉をノックしようとしたら転んじゃって、うぅ」
その女の子、サクラは両手でスカートをギュッと握り、うつむいてしまった。
オレは鼻声のまま、落ち込んでいるサクラに話しかける。
「そ、そうか。それでサクラ、何の用事でここに来たんだ?」
サクラは暗い表情から一転、パァッと花が咲くように明るい笑顔になった。
「あっ、ハイ! わ、わたし、魔技研に入会したいんです!」
『・・・え?』
オレたちはポカンとした表情で、サクラを見つめた。
学校の中でも、特に一年生はこの魔技研の存在を知る者は少ない。
オレは会長として、仲間が増えるのは大歓迎だけど・・・
つづく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
著/画 田代ほけきょ
企画 こたつねこ
配信 みらい図書館/ゆるヲタ.jp
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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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