風知草:大同団結へ戻る道=山田孝男
毎日新聞 2013年11月04日 東京朝刊
先々週、北京で開かれた民間対話「第9回東京−北京フォーラム」に参加して感じたことがある。
日中両国が、平和友好条約締結・発効の1978年当時共有していた共通の目標が、今は見失われているということである。
往年の共通目標は経済発展だった。日本は発展途上の中国を助ける。中国の発展を通じて日本はさらに富む。共通の目標(大同)あればこそ、尖閣諸島の対立も小異であり得た。
今は違う。地球環境と資源の制約により、両経済大国の利害、必ずしも一致しない。衝突する。おのずと無人島の帰属が小異でなくなった。小異を元通り小異たらしめるためには、新たな「大同」が要る。
縁あってフォーラムに毎年参加してきたが、今年ほどミもフタもないあいさつを聞いた記憶はない。
「日中関係悪化の元凶は日本だ、靖国だ、歴史認識だ、釣魚島(尖閣諸島)支配だ、改心せよ……」
言うだけ言って退散の中国側VIP筆頭は唐家〓(とうかせん)元外相(75)。それで知日派かと驚く反日宣伝にもわずかな情味はあった。
78年、来日した最高実力者・トウ小平(とうしょうへい)の随員として松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助と会見、「明日の繁栄はアジアにあり」と聞かされて感動したという逸話が織り込まれていたのだ。
78年への郷愁はフォーラムの通奏低音だった。2日目に登場した福田康夫元首相(77)は、トウ小平が、当時最新鋭の新日鉄(現新日鉄住金)君津製鉄所(千葉県君津市)を訪れた際のこぼれ話を披露した。
「同じものを中国に」というトウの要請に、新日鉄のトップが「もっといいものをつくります」と応じ、上海の宝山製鉄所に実ったという話。当時、日本の首相は福田の父・赳夫。康夫は首席秘書官だった。
トウ訪日団の随員だった徐敦信(じょとんしん)元駐日大使(78)も登壇し、「日中平和友好の精神は、信は万事の本(もと)、小異を残して大同につく−−だった」と回顧した。
あのころ、日中首脳会談で尖閣「タナ上げ」合意があったかどうかという議論がにぎやかだが、トウが記者に質問され、「タナ上げでいい」と答えたのは事実である。こう言った。