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みらい図書館 オリジナルノベル 「七つの罪と、四つの終わり・上(プロローグ~第五話)」【購読無料】
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みらい図書館 オリジナルノベル 「七つの罪と、四つの終わり・上(プロローグ~第五話)」【購読無料】

2013-09-23 10:00
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七つの罪と四つの終わり・上


―――――――――――――――――――――――――――

プロローグ

―――――――――――――――――――――――――――


 ――上へ。天蓋を越え、その向こうへ。

 誰かが言った。雄々しい声で。

 ――其処が私たちの帰る場所。あなたのいるべき世界。

 誰かが言った。優しい声で。

 私は疑問を抱く。〝上〟にはいったい何があるのだろうかと。

 ――此処にはない多くのものがある。此処にあって上にないものは一つだけ。

 それは何?

 ――果て。上には果てのない〝ソラ〟がある。


――――――

 ソラ……。
 あらゆるものが不確かで、ぼんやりとした世界。ゆらゆらと薄い影が揺れ、誰かの声が響き、私の疑問が反響する。それが繰り返される。何度も、何度も。
 その中で私は呟く。
ソラ……ソラ……ソラ……――。
声も、想いも、すぐに滲んで消えてしまう茫漠の中で、それだけは手放さないように。失くしてしまわないように、言葉にする。
そんな風にして、ずっと漂い続けた。何となく、いつまでもこうした時間が続くのだろうと思っていた。
けれど――。
「――――」
 何か、別の音が耳に届いた。
 世界が大きく揺れる。風に揺らぐ。何もかもを曖昧に覆い隠していた霧が流され、薄れていく。
「――――!」
 音は響き続ける。どこから……?
 はっとして顔を上げる。
 上……っ!

7tsumi_000.jpg

「ミリィ!! いい加減に起きなさいよっ!!」
 一際大きな声に驚いて、〝瞼〟を開く。
 その瞬間、私を包み込んできた曖昧な世界は破けて消える。代わりに見知らぬ少女の顔が目の前に現れた。年は十二、三歳ぐらいだろうか。丸く小さな顔は黒い髪に縁どられ、頬はわずかに紅潮している。少女は髪と同じ色の黒瞳で私を至近距離から見つめていた。
「ぁ……」
 誰、と問いかけたつもりだったのだが上手く声が出ず、ただの呻きになってしまう。すると少女の方が質問をぶつけてきた。
「ねえ、あなたミリィよね? ミリィでしょ? ミリィじゃなかったら許さないから!」
 いきなりの詰問口調に私は戸惑う。
「……わ、たし……私、は、ミリィ……なの?」
 恐る恐る問い返す。今度は何とか声が出た。声はとても掠れていて、喉が痛む。
「何であたしに聞くのよ。質問しているのはあたしよ? 自分のことぐらい分かるでしょ」
 少女は眉を寄せ、私を睨んだ。どうやら怒らせてしまったらしい。
 仕方なく、自問してみる。
 私は……ミリィ?
 だがピンと来ない。そんな気もするし、違う気もする。
「ごめん……分からない」
 正直に少女へ告げる。
「は……?」
 唖然とした表情を浮かべる少女。けれどしばらくすると見る見る顔が赤くなっていった。
 嫌な予感を覚えた時にはもう遅く、鼓膜が痛むほどの大声が鳴り響く。
「何よそれ!! ふざけないでよ!! あたしがどれだけ苦労してここへ来たと思ってるの!! あんたミリィでしょ!? ミリィじゃないとダメなのよ!! ミリィじゃなかったら……あたしはもう、どこへも行けなくなっちゃうじゃないっ……!」
 絶叫と共にぽろぽろと涙が零れ落ちる。私の頬で弾ける少女の涙は温かった。
 いったい何がどうなっているのか全く理解できない。私自身のことすら分からない。
 記憶を辿ろうとするが、何も思い出せなかった。
「……ねえ、私がもしミリィだったら……あなたはどこへ行けるの?」
 それが気になって訊ねてみる。
「どこって……上よ! あたしは上に行きたいの!!」
「上には、何があるの?」
「何でも、よ! ここにない全てのものが、上にはあるはずなのよ!」
 少女は断言する。その言葉は何か、私のとても深い場所にあるモノを震わせた。ついさっきまで繰り返し聞こえていた誰かの言葉。けれど何故か少女を目にしてからは忘れていた言葉。それが脳裏を過る。
「……じゃあ、果てもあるの?」
 だからきっとそんなことを問いかけてしまったのだろう。
「え?」
 少女はぽかんと口を開け、聞き返してくる。
「上には、果てがあるの?」
 もう一度、訊ねる。すると少女はおかしそうに笑った。
「あんた――面白いこと言うのね。確かに、よく考えたら……うん、たぶん……上には果てなんかないわね。あったら……嫌だわ」
 少女の返答を聞いて安堵する。上には、果てがない。ならばきっと〝ソラ〟がある。そんな場所へ行けるのなら――。
「だったら、ミリィが……いいな」
 私は心に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「私、ミリィに、なりたいな」
「あんた……」
 その呟きを聞いて少女は驚いた表情を浮かべるが、すぐ我に返った様子で頭を振った。
「そ、そうよ! こんな最下層にいるんだもの、あんたがミリィじゃないとおかしいわ。例えあんた自身が分からなくても、あんたはミリィ! 決定!!」
 びしっと指をさし、宣言する少女。だが私の瞳は突きつけられた指へ釘づけになる。
 少女の手は金属で出来ていた。形状は私の手と同じだが間接部分に隙間が空いており、小さな球体が嵌っている。
「その手……」
 わたしが少女の手を凝視して呟くと、少女ははっとした顔になって腕を背中に隠し、私から離れた。
 それまで少女に圧し掛かられていた私は、そこでようやく周囲の景色を視界に捉える。
 薄暗くて、広い場所だ。黄緑色のライトが高い天井の頂で淡く輝いていた。
 自分が仰向けに寝転んだ態勢であることを今更認識する。
 ゆっくりと上半身を起こしてみる。体はやけに重たく感じたが、声を発したときのような痛みはなかった。
 私が横たわっていたのは卵型の入れ物の中だったらしい。内側には柔らかな緩衝材が敷き詰められていて、すぐ傍には透明な蓋らしきものがあった。
 ベッド……って感じじゃない。まるで……棺みたい。
 そんな感想を抱きながら、私は少女へ視線を向ける。先ほどからずっと金属の手を後ろに回し、私を睨みつけている。
「何で、隠すの?」
 少女が何故そういった反応を示したのか理解できず、問いかける。
「……あんた、笑わないの?」
 逆に質問が返ってきた。意味が分からない。何かおもしろいことや楽しいことがあっただろうか。
「別に笑わないよ……けど、気にはなるかな。どうしてあなたの腕は私と違うの?」
「どうしてって……そういう風に作られたからに決まってるでしょ」
「作られた? あなたは、人間じゃないの?」
 少女の答えに首を傾げる。
「まさかあんた――そんなことも分からないの? 私はドールよ。人の形を模して造られた機械人形。その中でも出来のよくない半端な模造品。人間らしいのは顔と胴体だけで、後はこの通り」
 自虐気味に少女は言い、長いスカートの裾を少し捲って見せる。すると金属の両足がわずかに覗いた。
「ふーん、そうなんだ」
「……淡泊な反応ね。記憶がないのなら驚きそうなものだけど」
「何も思い出せないから何に驚けばいいのか分からなくて」
 私は正直に答える。ドールの説明も「ああ、そういうものがあるんだ」という感想しか抱かなかった。
「……まあ、いいわ。その方があたしとしてもやりやすいし。じゃあ行きましょうか」
 金属の手を差し出してくる少女。
「行くって、どこへ?」
「さっきも言ったでしょ。上よ、上。そのためにまずはこの部屋を出ないと。さ、早く――ミリィ」
「あ……」
 さっきまで何も感じなかった「ミリィ」という名前。それが何故か今呼ばれた時は少しだけ心が揺れた。少女の手を躊躇いがちに掴む。硬質で冷たい感触。
 手を引かれ、箱から降りる。素足で固い床に降り立つ。床は少女の手より冷たく感じた。
「そういえば……あなた、は?」
「あたし?」
「あなたの、名前は?」
 自分がミリィなのだと、そう認識した途端――少女の名前が気になってきて、問いかける。
「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったっけ。あたしはクラィ。これからしばらく、よろしくね」
 にかっと屈託のない笑顔を浮かべて少女――クラィは言った。
「あ、うん……よろしく」
 私も笑顔を返そうと思ったのだが、どうやって笑えばいいのか分からなくて諦めた。
「あたしがこの部屋へ入るのに使ったのはあの換気口なんだけど……さすがに登るのは無理そうだし、正規のルートから出るしかないわね」
 クラィは天井近くにある四角い穴を指差しながら言う。高さは目算で十メートル以上ある。あんな場所からクラィは飛び降りたのか。金属の手足を持ったドールだからこその芸当に違いない。
 クラィに手を引かれ、部屋の端にある扉の前へやってくる。扉は鏡張りになっており、私とクラィの姿が映し出された。そこで初めて私は自分の姿を知る。
 長い白銀の髪、頼りなく細い体、年は十四・五歳ぐらいに見える。身に着けているのは簡素なワンピースだけ。
 これが……私。
 ぼうっと鏡の虚像を見つめていると隣に立つクラィが服の裾を引っ張る。
「ほら、さっさと開けなさいよ」
「え? 私が開けるの?」
 驚いて訊ねる。
「そうよ。あんたがミリィならできるはずよ。絶対に」
 確信を持った声音でクラィは言う。だが私はどうすればいいのか分からない。扉には取っ手やノブがなく、ただ細い溝が刻まれているだけ。
「う、うーん……」
 困りながら扉に触れる。すると指先が触れた部分から光の波紋が鏡面を伝い、部屋全体に広がった。その瞬間、天井のライトが明るくなり、部屋の薄闇が吹き払われる。
 そしてどこからともなく声が響いてきた。
『――名前を告げてください』
「え? な、何? 誰?」
 びっくりして辺りを見回す。けれどクラィ以外に人の姿は見当たらない。
「扉が聞いてるのよ。指示通りにすればいいの」
 クラィが呆れたように息を吐き、私を促す。
『――名前を告げてください』
 繰り返される姿のない声。私は恐る恐る名を口にする。
「ミリィ……」
 かぼそい声が頼りなく部屋に響く。しばしの静寂。
 やっぱり私、ミリィじゃないのかな……。
 そんな考えが頭の隅を過った時、再び声が降ってきた。
『――照合完了。続いて人格情報を告げてください』
「じんかく情報?」
 意味がよく分からなくて首を捻る。するとクラィが横から口を挟んだ。どうしてか満面の笑みを浮かべている。
「ほら、やっぱりあんたはミリィだったじゃない。今の質問はたぶん性格を聞いているんだと思うわ。きっとパスワードみたいなものね。ミリィ、外しちゃダメよ」
「は、外しちゃダメって……私、自分のことを何も思い出せないんだよ?」
「それでもあんたはあんたでしょ。今のミリィはここにいるんだし、考えたら分かるはずよ。これはミリィなら例えどんな状態でも――記憶を失っていても――正解できるように設定された質問なんだろうし」
「でも……」
 そう言われても本当に分からないのだ。困り果てた私を見て、クラィはまた溜息を吐く。
「だったら、どうなりたいかを考えたらいいじゃない。あんたはさっき、ミリィになりたくてミリィになったんでしょ? あなた自身が望むものならば、それはきっと既にあなたの内にあるものよ」
「どう……なりたいか」
 私は果てのない場所へ行くため、ミリィになることを望んだ。そうしなければいけないと思った。
それは目覚める前に聞こえていた声のためなのだろうか。それとも自分のためなのだろうか。クラィに望まれたからなのだろうか。何かを為すためなのだろうか。分からない、何も。まだ私は……自分を知らない。
 鏡に映る自分の姿をじっと見つめてから目を閉じる。そして瞼の裏に映る残像に心の中で問いかけた。
 ――あなたは、どんな人? どうなりたい?
「私は――」


―――――――――――――――――――――――――――

七つの罪と四つの終わり 第一話

―――――――――――――――――――――――――――

「私は――上を目指すクラィの力になりたい。だから、扉を開けて欲しいな」
 今、自分が思っていることをそのまま口に出す。
 鏡の扉がどのような判断を下すのか――不安な気持ちを抱きながら結果を待つ。この答えで自分をミリィだと証明できる自信はない。何しろ私は、自分というものが分からないのだから。
 鏡面に映る私は、強張った表情を浮かべている。
そして隣に立つクラィは、何故か驚いた顔でわたしを見ていた。
「ミリィ、あんた――」
 クラィと繋いだままだった手が少し強く握られる。クラィは何か言おうとしたようだったが、その直前に姿なき声が降ってきた。

「人格傾向、ライブラリとの矛盾はないと判断――要求を承認します」

 ガチャンと何かが外れたような音が響いた後、鏡の扉が重々しく左右に開く。生暖かく感じる風が扉の隙間から流れ込んできて、私の白い髪を靡かせた。外はここより少し気温が高いのかもしれない。扉の先には薄暗い通路が伸びている。
 私は開けた道を呆然と眺めるが、クラィは喜びを抑えきれない様子で飛び跳ねた。
「やったじゃない! やっぱりあたしの予想は間違ってなかったんだわ!! これならきっと塔の扉も開くはず……」
「塔?」
 クラィの言葉にわたしは首を傾げる。
「あとで説明するわ。っていうか外に出ればすぐ分かるから――行くわよ、ミリィ」
 わたしの手を引いて、クラィは走り出した。
「あわっ、く、クラィ?」
 いきなりだったので足がもつれて転びそうになったが、何とか立て直してクラィに付いて行く。この通路はずっと使われていないらしく、床に埃が堆積していた。天井の照明も壊れているようで、所々しか点灯していない。振り返ると私たちの足跡がくっきりと残っていた。
 先ほどまでいた部屋に比べて、ずいぶん汚れているなと思いながら足を動かす。通路の左右にはいくつもの扉があったがクラィは構わず先へと進み、上り階段の前に辿りつく。風は階段の上から流れてきているようだった。
「あたしが侵入したルートとは違うけど、ここからでも出られそうね」
 クラィは呟き、階段を上り始める。階段はつづら折りになっており、先が見通せない。照明もなくて暗いが、どこかから光が射し込んでいるのか物の輪郭だけは辛うじて判別できた。
 上へ行くほどに辺りは明るくなっていく。何度も階段を折り返し、そろそろだろうかと思い始めた頃、ようやく眩い光が目に飛び込んできた。
 次の踊り場に――扉。光はその隙間から漏れている。
「たぶん地盤の変化で扉が歪んだのね。完全に壊れてるわ」
 扉の前に立ち、クラィは呟く。扉には液晶パネルのようなものが取り付けられていたが、触れても反応はない。
「どうするの? これだと開かないよね……」
 せっかく上った階段をまた降りることになるのだろうかと、憂鬱な気分になりながら問いかける。だがクラィはにやりと笑った。
「大丈夫よ。この程度の薄い扉なら何とかなるわ。ミリィ、ちょっと離れてて」
 クラィはわたしの手を離し、扉の前に一人立つ。そして――。
「たあっ!!」
 掛け声と共にミリィは腰を捻りながら足を振り上げる。翻ったスカートの内側から放たれた金属の右足が、扉の中心を打ち抜いた。
 ガァンッ!! という轟音が鳴り響き、扉が外側に吹っ飛ぶ。
「すごい……」
 外の光に目を細めながら、わたしは呟いた。
「ふふん、重労働も軽々こなすワーカーの馬力を甘く見ないでよね」
 得意げに胸を張ったクラィは再びわたしの手を掴み、光の中へと歩み出る。
 じゃりっと、足の裏にこれまでとは違う感触。
「わぁ……」
 私の前には広大な景色が広がっていた。高さは百メートル以上、直径は数キロに及びそうな円柱状の空間だ。地面は平坦ではなく深い谷があちこちにあり、その斜面に建物が立ち並んでいる。高い天井で輝くのは複数の眩い照明。空間のほぼ中央には地上から天井までを繋ぐ、巨大な建造物が聳えていた。
「あの建物が……塔?」
 先ほどの会話を思い出して訊ねる。けれどクラィは首を横に振った。
「違うわ。あれは中央シャフトよ。塔はこの空間そのもの。今いる場所が塔の第八層。資源の採掘を行う労働用ドール――ワーカーたちの区画なの」
「第八層……八階ってこと?」
「ううん、上から数えて八つ目って意味。そしてさっきまであたしたちがいたのが最下層。昔は人間が管理する研究施設だったって言われているわ」
「昔は……って、今は違うの?」
「ろくにメンテナンスもされていない有様を見たんだから分かるでしょ? もうとっくにただの廃墟よ。採掘が進んでもっと深い場所もできたから、最下層って呼ぶドールもほとんどいないわ」
 クラィは自分が蹴り飛ばした金属製の扉を見ながら言う。
「じゃあ何で私はそんな場所に……」
 私は呟き、クラィの顔を見る。これまでのように説明を期待して。だがクラィは目を逸らし、短く答えた。
「――さあね」
「クラィ……?」
 違和感を覚えて名前を呼ぶが、クラィは構わずに建物が密集している場所を指差した。
「あの町にあたしは住んでるの。とりあえずあたしの家に行くわよ。着る物や靴が必要だろうしね。ほら、乗って」
 そう言ってクラィは私に背を向け、腰を落とした。
「え? あ、あの……?」
「おんぶよ、おんぶ。背負ってあげるって言ってるの。裸足のミリィを歩かせるより、この方が早いわ」
 促され、私は恐る恐るクラィにおぶさる。
「ミリィ、ちゃんとしがみ付いてなさいよ」
「う、うん」
 クライの首に腕を回し、ぎゅっと抱き付く。それと同時にクラィは走り出した。
「きゃっ!?」
 思いがけない速度に、私は悲鳴を上げる。だが速いわりに振動は少ない。不思議に思って下を見ると、クラィは足を全く動かしていなかった。
振り返れば地面に轍が刻まれている。どうやら足の裏に車輪があり、それで〝走行〟しているらしい。クラィの脚部からは何かが駆動する甲高い音が聞こえていた。
クラィは私にできないことがたくさんできるんだなと感心している間に、どんどん町は近づく。
 底が見えないほどの深い谷を挟んだ両斜面に、無数の建物がひしめき合っている。谷には大小いくつもの橋が架かっており、一番立派な橋の上はそこ自体が町のようになっていた。近づくにつれて、行き交う人の姿も判別できるようになる。
「あの人たち全員、クラィみたいなドールなの?」
 走るクラィに問いかける。
「そうよ。みんな手足を重労働用にチューンされてるわ。だからミリィの姿はすごく目立つ。できるだけ他のドールに見られないよう気を付けなきゃ」
 クラィはそう答えると谷の上部へ回り込み、細い裏道へ入り込んだ。注意深く周囲を見回しつつ、早足で進んでいく。何度も角を折れ曲がり、私はすぐに方向を見失ってしまった。
 四角くて無個性な建物が多いせいで、同じところをぐるぐる回っているような感覚に陥る。だがちゃんと目的地へ近づいていたらしく、クラィは薄暗い路地に面した二階建ての建物の前で足を止めた。
「――ここよ。まだ労働時間が終わっていなくて助かったわ。帰宅時間になるとこの辺りはすごく賑やかになるから」
 私を地面に降ろし、安心したように息を吐くクラィ。私はクラィに手を引かれるまま家に入る。
 自動的に明かりが灯り、部屋の中を照らし出した。中央に大きな机があり、たくさんの布が散乱している。壁には絵画が飾られていた。描かれているのは抽象的な色の連なり。
 物珍しげに部屋を見回していると、クラィは皮肉気に問いかけてきた。
「ドールが――機械が家を持って、人間みたいな生活を送っていることが不思議?」
「え? 別にそんなことは思ってないけど……というかそれって不思議なことなの?」
 きょとんと問い返すと、クラィは毒気を抜かれた様子で息を吐く。
「ああ……ミリィは記憶がないんだったわね。だったら、わざわざ言うことでもないか」
「ええー、そこまで言われたら気になるよ。ちゃんと教えて欲しいな。私、何も分からないから……何でも知りたいの」
 真剣にお願いする。分からないことは分からないままにしておきたくなかった。
「……仕方ないわね。まあ単純な話よ。あたしたちは〝人間らしく〟作られた人形だから、人間の真似事をするしかないってだけ。他に生き方を知らないの」
 クラィは肩を竦めて説明し、机の上にある布を示す。
「人間みたいに趣味も持っているのよ。あたしの趣味は衣服を作ること。他のドールに頼まれることも多くて、服のサイズは色々あるわ。ミリィに似合いそうなのを見繕ってくるから、その間にシャワーでも浴びておいて。足、汚れてるでしょ?」
 指摘されて、私は自分の足を見下ろす。裸足で埃っぽい通路を歩いてきたので、足の裏は真っ黒だった。
「浴室はここ。シャワーの意味が分からないとかは……ないわよね?」
 部屋の奥にある脱衣所まで私を案内し、確認するように問いかけるクラィ。
「うん、たぶん……分かると思う」
 シャワーという単語は理解できていたので、恐らく問題ないだろう。分からないことは多いが、全ての記憶を失っているわけではないらしい。こうして言葉を使えることから考えても、最低限の知識は残っているようだ。
「じゃあ何かあったら呼んでね」
 クラィはそう言って二階への階段を上っていった。残された私はワンピースを脱ぎ、浴室へ入る。タイルで覆われた室内にはがシャワーと浴槽があり、小さな椅子が置かれていた。
 これかな……。
 水道の栓らしきものを捻ると、シャワーから水が出た。
「ひゃっ!?」
 頭の上から降り注ぐ冷たい水に思わず悲鳴を上げる。冷たすぎてとても体を洗うどころではない。シャワーの下から逃れ、どうすればいいのかとしばらく途方に暮れる。
「――もう、やっぱり分かってないんじゃない」
 すると浴室の扉が開き、クラィが裸で入ってきた。
「クラィ……?」
「お湯はこっち。ほら、洗ってあげるから座りなさい」
 クラィはもう一つあった栓を捻り、私を椅子に座らせる。お湯を出すようになったシャワーを手に取って、私の髪と体を洗い始める。

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「あ、あの……クラィって、水……大丈夫なの?」
 金属で作られたクラィの手足を見て問いかける。私の中から、機械は水に弱いというイメージが浮かび上がってきたからだ。
「大丈夫じゃなかったら、浴室があるはずないでしょ。ワーカーの手足は人工皮膚で覆われた部分よりもずっと耐久力は高いわ。防水性も含めてね」
 呆れたように溜息を吐き、クラィは答える。すごい力を出せるはずの両手で、丁寧に私の髪を洗ってくれた。
 肌に触れるクラィの指は硬質で冷たくて、優しかった。
 私の〝人間の手足〟を見つめる眼差しには何か複雑な色が見て取れたけれど、それがどういう感情なのかは分からない。
「よし、これで綺麗になったわね」
 私を洗い終えたクラィは自分の体も軽く流し、満足げに笑った。
 そのまま脱衣所に連れ出され、ごしごしと髪と体を拭かれる私。傍の籠にはたくさんの服が積まれていた。

7tsumi_001a.jpg

「それ……全部クラィが作った服?」
「まあね、他にやる事なかったし。あたしたちに許された、ささやかな娯楽よ」
 どこか暗い表情で笑い、クラィは服を手に取る。
「ミリィ、とりあえず何パターンか試してみるわよ。まずはこれ着てみて」
「う、うん」
 真面目な顔になったクラィにちょっと気圧されて、私は服を受け取る。いまいち着方が分からないものあり、手伝ってもらいながら袖を通す。服を着終わると、クラィは少し離れたところから私を眺め、首を振る。
「……いまいちね。ミリィの白い髪に合ってないわ。次はこっち」
 言われるがまま、次々と着替えていく。
 私は「どれでもいいよ」と途中で訴えたのだが、クラィは一切妥協を許さなかった。
 そして七着目でようやくクラィは納得した顔で頷いた。
「うん、これね。ミリィ、可愛くなったわよ。あ、このリボンを付けたらもっとよくなるかも」
 私の髪をワインレッドのリボンで括り、ツインテールにセットするクラィ。正直さっきの服装より少し温かくなったなという程度の違いしか感じなかったが、クラィが満足そうだったので私も嬉しくなる。
「ありがとう、クラィ」
「お、お礼なんていらないわよ。手足がむき出しのままじゃ色々と目立つし服を貸してあげただけで……」
 戸惑い気味にクラィは顔を背ける。
「そ、それより靴も用意してあるから、さっさ準備を済ませて出発するわよ」
 脱衣所の外には靴が並べられており、私はちょうどいいサイズの紐靴を選んだ。
「いい、ミリィ。あたしたちはこれから中央シャフトを目指すわ。上の層へ行くエレベーターはあそこにしかないの」
 私の靴紐を結んでくれながらクラィは言う。
「中央シャフト……」
 私が最初に塔だと勘違いした天井まで繋がる建物だ。
「直線距離だとすぐだけど、実際は谷があって回り道をしなきゃいけない。道中、他のドールたちと出くわすことも多いと思う。その時に万が一、ミリィの手足を見られたら上層のドールと勘違いされる可能性が高いわ」
「上層のドール……? 人間じゃなくて?」
 不思議に思って問いかける。
「……最下層の研究施設が廃墟になったのは、あたしが作られるずっと前よ。こんなところに人間がいるなんて思うドールは一人もいないわ」
「そうなんだ……でも、ドールって思われるなら別に問題ないんじゃないの?」
「いいえ、大有りよ。あたしたちワーカーが上層のドール――シビリアンやノーブルを前にしたときの反応はほぼ二通り。へりくだって取り入るか、復讐をするかよ」
「ふ、復讐ってどうして……」
「上層の奴らは日ごろからそれだけ横暴に振る舞っているってことよ。だから非常時の方針は今ここで決めておきましょう」
 靴紐を結び終わったクラィは立ち上がり、私に問う。

「ミリィなら、いざとなった時――どうする?」


―――――――――――――――――――――――――――

七つの罪と四つの終わり 第二話

―――――――――――――――――――――――――――

 いざとなった時――私がワーカーでないことが露見した場合にどうするか。
 クラィにそう問いかけられた私は、しばらく考えてから口を開いた。
「やっぱり……上層から来たドールの振りをするしかないんじゃないかな? 逃げたら絶対、騒ぎになると思うし……」
 私の答えを聞いたクラィはちょっと意外そうにまばたきした。
「確かにそれが無難ね。相手が逆上するリスクはあるけれど、波風を立てずに乗り切れる可能性も高いわ。でも、ミリィが自分から提案するなんて思わなかった」
「え、どうして?」
「だって演技をするのはミリィなのよ? あんた、その自信があるの?」
「あ……」
 クラィに指摘され、私は焦る。まだクラィ以外のドールと接したこともないのに、上層のドールを演じるなんてできるわけがない。
「さっきのシャワーもそうだけど、ミリィって肝心なところが抜けてるわよね。まあそこまで心配しなくても大丈夫よ。とにかく偉そうにしておけばいいだけだから」
「偉そうって……どうすればいいの?」
「基本は命令口調ね。あと相手の反論に聞く耳を持たないこと。おどおどした態度もダメよ。胸を張って、相手を真正面から睨みつけなさい。それで大抵のワーカーは委縮するだろうから」
「私にできるかな……」
「できなくてもやるの。不安ならそんな状況にならないよう注意を払って。大丈夫よ、あたしもいるんだから。一緒に上を目指すんでしょ?」
 私の手を握ってクラィは言う。クラィの手はとても力強くて、何だかやればできるような気がしてくる。
「う、うん、そうだね……私、上に行きたい。クラィの力になりたい。だから頑張る」
「よし、いい返事ね。じゃあ方針も決まったし、出発するわよ!」
 クラィは居間の隅に置かれていた大きな鞄を手に取り、玄関へ向かう。
「それ、持っていくの?」
 私は鞄を指差して問いかける。
「そうよ、長旅になるだろうし色々と必要でしょ? それにもう、ここへは戻って来ないんだから、大切なものは持っていかないと」
 その言葉で、私はクラィが捨てようとしているものの大きさに気付く。
 机の上に置かれた作りかけの洋服。壁の絵画。使い込まれた家具。それらは全て置き去りにされるのだ。クラィがこの家でどのくらいの年月を過ごしてきたのかは分からない。けれど、たぶん決して短くはない時間のはずだ。
「クラィ……ホントに、いいの?」
 だから私は、ついそう聞いてしまった。
するとクラィは笑う。少し寂しそうに――けれど、明るく。
「――いいのよ。ありがと、ミリィ」
 そして私たちは旅に出た。
 クラィは上を目指し、私はソラを探して――。


――――――


 私たちは細い路地を縫うようにして先を急ぐ。
 クラィは大きな鞄を軽々と持ち、私は体をすっぽり包めるマントを纏っていた。
 このマントは家を出る直前にクラィが渡してくれたもの。私の手足は衣服である程度隠せているが、それでもよく見れば金属製でないことが分かってしまうからだ。
 私には迷路のような道も、クラィは慣れた様子で歩いて行く。建物の向こうに見える巨大な中央シャフトは一向に近づいている気がしないが、恐らく最短距離を進んでいるのだろう。深い谷があるため真っ直ぐには向かえないとクラィは言っていた。
 しばらくすると谷の対岸とを繋ぐ橋の傍に出る。これまでの路地とは違い、多くのドールが橋を往来していた。
「ミリィ、人目を避けて進めるのもここまでよ。橋を渡らないと中央シャフトへは行けないわ」
 クラィが足を止めて言う。私は建物の影から橋の様子を伺った。
 こちらから向こうへ渡るドールは大荷物を抱えている者が多く、逆にこちらへ渡ってくるドールは手ぶらの者ばかりだ。すれ違う時に挨拶をしているところを見ると、基本的にみんな顔見知りらしい。
 がっしりとした体つきの男性もいれば、クラィのようなか細い少女もいる。だが全員共通して手足が金属製だった。私のような人間の手足を持つものは一人もいない。
「もっと……人通りの少ない橋はないの?」
 自分と違う者たちが大勢いる光景に物怖じし、私は訊ねる。
「ここがあたしの知る限り、一番往来が少ない橋よ。大丈夫、みんな自分の仕事で忙しいから、ミリィのことなんて気にしないわ。変にビクビクして目を引かなければね」
 そう言うとクラィは私の腕を引っ張り、橋を渡り始めた。いくつかの視線がこちらを向くのを感じ、私は体を固くする。
「ほら、ミリィ。しっかり」
「う、うん……」
 肘で脇をつっつかれ、丸まっていた背筋を伸ばす。周囲の様子は気になるが、できるだけきょろきょろしないようにして足を動かした。
 クラィの言う通り、みんな忙しいようで早足で橋を行き来している。
「おう、クラィお疲れ」
 ドールたちは手を挙げてクラィに挨拶するが、私に対しては「誰だろう」という視線を向けるだけだ。
 クラィは「お疲れ様!」とにこやかに応じている。
 このまま何事もなく橋を渡りきれますように……。
 心の中で祈りながら足を動かす。深い谷から吹き上がってくる風が強くて、私はマントが捲れ上がらないように端を押さえた。
 だが橋の中ほどまで来たとき、前からやってきたドールの一団がクラィを見て立ち止まった。
「よお、クラィじゃねえか。今日は採掘場の方に顔を出してなかったが、どうかしたのか?」
 若い男性型のドールが気安くクラィに声を掛ける。彼の目は私を興味深げに眺めている。緊張で体が強張るが、クラィは「大丈夫よ」と小さく囁いて足を止めた。
「今日はちょっと別の仕事を任されたのよ。この子、ロールアウトされたばかりの新入りで、あたしが町を案内してるの」
 ポンポンと私の背中を叩いて説明するクラィ。
「へえ、そうなのか。クラィも人に物を教える立場になったんだな。おい新入り、名前は?」
 男性型のドールが私に問いかけてくる。
「え、あ、ミ、ミリィ……です」
「じゃあミリィ、これからよろしくな。最下層の労働を押し付けられた者同士、仲良くやっていこうや。仕事は楽じゃないが、まあ運が悪かったと思って諦めようぜ」
 彼はそう言って他のドールたちと共に歩き去っていった。どうやらクラィの説明を信じてくれたらしい。
「ふぅ……ちょっと焦ったけど何とかなったわね」
 クラィは悪戯っぽく笑って歩みを再開する。私も後に続くが、いくつかの疑問が浮かび上がってきた。
「ねえクラィ、この層のドールはどうして働かなきゃいけないの? 辛かったら休んじゃいけないの?」
 小声で問いかけるとクラィは溜息を吐く。
「働かないと生きていけないのよ。あたしたちは資源を収めることで、上層から電気を供給してもらっているわ。最低限のノルマをこなせないワーカーは、動力へ充電する権利も与えられずに機能停止。ひどいシステムでしょ?」
「……充電しないと、クラィは死んじゃうってこと? 他にエネルギーを補充する方法はないの?」
「一応、あたしたちは人間型だから食物をエネルギー変換する機能も備わっているわ。けど、それを実行しているワーカーはいない」
「どうして?」
「食物を作るために消費するエネルギーより、食物を摂取して得られるエネルギーの方が少ないのよ。どう考えても割に合わないでしょ?」
「そっか……だから、みんな一生懸命に働いているんだ……」
 大荷物を背負って橋を渡るドールたちを眺めて、私は呟く。
「ええ、そして上層の奴らは何もせずにのうのうと過ごしてる。あたしたちが送る資源がなければ発電することもできないのに……本当なら対等な立場のはずなのに……偉そうにふんぞり返ってる。だから基本的にワーカーは上層のドールに良い感情を持っていないの」
 その言葉に背筋が震える。もし私が上層のドールだと勘違いされたら、彼らの怒りが向けられることになるのだ。
 けれどクラィは怯える私を見て、苦笑を浮かべた。
「そこまで心配しなくていいわよ。上層のドールは恨まれているけど、彼らに気に入られれば上へ連れて行って貰えることもあるの。だから面と向かって敵意を露わにする奴は少ないわ」
「そうなんだ……」
 上層のドールに対する複雑な感情を想像し、私は重い息を吐く。
 こんな窮屈で自由のない世界で、クラィはずっと生きてきたのだ。漠然と上を目指している私より、ずっと強固な想いを持ってクラィは旅立とうとしているのだろう。
 中央シャフトはずいぶん近づいてきていた。谷の対岸はすぐそこだ。
早足で先を急ぎ、一気に橋を渡り切る。地面を踏みしめた私は安堵の息を吐く。
その時、横手から男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「おいてめぇ! 痛ぇだろうが!!」
 何事かと足を止め、振り返る。道の端で数人の男性型ドールが、誰かを取り囲んでいるようだった。いや――よく見れば〝誰か〟ではない。もっと小さな何かだ。動物……だろうか。
「あれは……?」
 私が首を傾げて呟くと、クラィが答える。
「狭い坑道内での作業用に作られた小動物型のマシンね。確か犬の……ダックスフンドって種類に似せて作られたモデルだったと思うわ」
「マシン? ドールとは違うの?」
「別物よ。マシンは道具と同じもの。あたしたちほど高度な電子頭脳を持っていないから感情がなくて、何をされても文句は言わないわ」
 クラィはマシンともめている男性型ドールの一団を見ながら言う。
 犬型のマシンは資材を積んだソリの紐を咥えていた。恐らくここまで荷物を運搬してきたのだろう。
「人にぶつかっておいて、そのまま通り過ぎようっていうのは虫が良すぎるんじゃねえか? ああん?」
 それを取り囲む男たちは声を荒げ、凄んでいる。
「――ボクに非はないっすよ。いきなり進路を塞いだのは、兄さん達でしょ。だからボクが謝るのは不合理だと思うっす」
 犬型であっても喋れるらしく、マシンは少年のような声で反論した。
「なっ、て、てめぇ……っ!」
 マシンの言葉に激昂する男たち。
「ねえ、クラィ。あの子、文句言ってるよ?」
「……おかしいわね。普通なら下手に抗弁せず、すぐ謝るはずなんだけど……このままだと不味いことになるわ」
 顔をしかめ、つぶやくクラィ。
「どういうこと?」
「あいつらはよくマシンに八つ当たりして、憂さを晴らしている奴らなのよ。今みたいに因縁をふっかけてね。だから――」
 ガンッ!
 言葉の途中で鈍い音が辺りに響いた。犬型マシンが男に蹴り飛ばされたのだ。
「……おい、自分の立場が分かってねえらしいな。てめぇらは消耗品だ。壊れてもすぐに代わりが補充される。俺たちに逆らっていいモノじゃねえぇんだよ。余計な口を叩くのは不良品だ。不良品は壊しちまわねぇとなぁ!!」
 地面に臥した犬型マシンをさらに蹴る男。高く舞い上がった犬型マシンは私たちの近くまで転がってきた。
「あっ……」
 思わず駆け寄ろうとするが、クラィに止められる。
「ミリィ、ダメよ。こんなのはよくあることなの。関わらないで」
「で、でも……」
 よろよろと起き上がる犬型マシンを見つめる。短い手足と長い胴を持つ犬型マシンはひょうきんな感じがして可愛かった。それが物のように扱われ、土埃に塗れているのだ。とても見て見ぬ振りはできない。
「気持ちは分からないでもないけど、どうにもならないわ。説得してどうにかなる奴らじゃないの。向こうの人数の方が多いから力ずくでの解決も無理。諦めて先を急ぎましょう」
 腕を引っ張られ、その場を離れる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、クラィ」
ずるずると引きずられながら振り向くと、犬型マシンが発した言葉が耳に届いた。
「……壊れてもすぐに代わりが補充される消耗品っすか。一体それは誰のことを言っているんっすかね。ボクにはまるで、あなたたち自身を表現しているようにも聞こえるっすよ。合理的に考えて、ね」
「…………っ!?」
 男たちの顔が怒りで歪む。つるはしを手にしていた一人が無言で前に進み出て来た。
 只ならぬ雰囲気が辺りに満ちる。今度はもう蹴りでは済まないことが、私にも分かった。
 ――壊される!
 そう思った瞬間、私はクラィの手を振りほどいて走り出していた。
「ミリィ!」
 クラィの制止も聞かず、犬型マシンに近づく男の前に立ち塞がる。
「何だ、お前?」
 つるはしを持った男が訝しげに顔を顰めた。
「――もう、止めてください」
「あ?」

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「止めてください! この子を、壊さないであげてください!」
 勇気を振り絞って私は叫ぶ。
「初めて見る顔だが……新入りか? これは俺たちの問題なんだよ、関係ない奴が顔を突っ込むんじゃねえ。とっとと消えろ」
 だが男は私を威圧的に見下ろして告げる。他の男たちも近づいてきて、私は一歩後ろへ下がった。
 けれど背後には犬型マシンがいる。これ以上退くわけにはいかないと、彼らを睨みつけた。
「……おい、こいつウゼェな」
「一緒にやっちまうか?」
「え、それはちょっとまずくね?」
「大丈夫だって、ちょっと教育してやるだけさ」
 男たちが不穏な会話をしながら私をにやにやと眺める。足ががたがたと震え出すのを押さえることができなかった。
 どうしたらいいの……どうしたら――。
 クラィの言う通り、説得はできそうにない。だったらこの場を切り抜ける唯一の方法は――。
 私は奥歯をぐっと噛み締める。クラィの家を出るときに覚悟はしたはずだ。やり方も教わった。頑張れば、きっとできるはず!
 体の震えを押さえつけ、私は自らマントを脱ぎ棄てる。
「何だぁ?」
 ポカンとする男たち。私は服の袖を捲り、彼らに見せつける。人間の腕を。
 そして胸を張り、高圧的に告げた。
「――もう一度言います。止めなさい!」
 ざわっと辺りにいたドールたち全員がどよめいた。男たちは表情を引きつらせ、目を丸くしている。
「な……こいつまさか、シビリアン、か? 何でこんなところに――」
 たじろぎ、呻く男たち。そこにクラィが駆け寄ってきた。
「こ、この方は視察のために来訪されたのよ! あたしはその案内役。あんたたち、不興を買う前にどっかへ行った方がいいわよ?」
 クラィの言葉に男たちは顔を見合わせ、囁き合う。彼らが混乱している間に、畳みかけるしかないと私は犬型マシンを抱き上げて告げる。
「この子は私が保護します。いいですね。それでは行きましょう、クラィ」
 見かけ以上に軽い犬型マシンを胸に抱き、私は歩き始める。クラィも隣に並んだ。
 周囲の視線が集中する中、ぼろを出さないように堂々と真っ直ぐ前を見る。
 ――お願い、このまま行かせて。
 だが胸の中では必死にそう祈っていた。
 しかし……その願いは叶わない。
「おい!!」
 背後から怒鳴り声。びくりとして足を止める。恐る恐る振り返ると、男たちはつるはしやシャベルを手に私たちを睨んでいた。
「――何ですか?」
 弱気なところを見せてはいけないと、私は重々しく訊ねる。けれど彼らは私ではなくクラィを指差して口を開いた。
「クラィ、てめぇ……裏切りやがったな」
「え……何の事?」
 眉を寄せて問い返すクラィ。どうやらクラィは彼らとも面識があるらしい。
「とぼけるんじゃねぇ! シビリアン共が最下層へ忍んでやってきて、気に入ったワーカーを連れて行くって話は知ってる。てめぇ、そいつに取り入って上へ行くつもりだろ。俺たちはそういう裏切り者が一番許せねぇんだ!!」
「……誤解よ。あたしは本当に案内を任されただけ。変な言いがかりはやめてよね」
 どうやら彼らは妙な勘違いをしているようだった。しかし上へ行こうとしていることは事実なので、クラィの返事は少し歯切れが悪い。それが彼らに確信を与えたのか、瞳に殺気が宿った。
「嘘吐け。中央シャフトへ向かおうとしていたのが何よりの証拠だ」
 工具を構えてじりじりと近づいてくる男たち。もはやどんな言い訳も通用しそうにない。
「――ミリィ、こうなったらもう逃げるしかないわ」
 クラィは私の体を抱え上げ、勢いよく走り出した。
「きゃっ!?」
 私は腕の中の犬型マシンを落としてしまわないよう、強く抱きしめる。足裏の車輪を利用した走行らしく、振動は少ない。
 相当な速度が出ているが、男たちも引き離されずに追いかけてくる。
「……あのー、もしかしてボクは助けられたんすかね?」
 マシンがつぶらな目をパチパチさせて問いかけてきた。
「そうよ! このお人好しなミリィがあんたを助けたせいで、こうして追いかけられてるの!」
 走りながらクラィが答える。
「不合理っすね……ボクを助けても何の得にもならないと思うっすよ?」
「あんたね! 助けられたんだから、せめて感謝しなさいよ! 感謝して、あたしたちの得になることを考えなさい! それが恩返しってものなんだから!」
「ふむ……つまり対価を支払えってことっすか。それは合理的な考え方っす。分かったっすよ、ではボクは姐さん方に逃げ道を提供するっす」
「逃げ道!? そんなのあるの?」
 クラィの問いに犬型マシンは頷く。
「はい、まずは次の角を右に曲がるっす」
「……本当に大丈夫なのかしら。まあこのままじゃいずれ追い詰められるし、今は信用してあげるわ!」
 犬型マシンの指示通りに右折するクラィ。
「待ちやがれ!!」
 男たちも怒声を上げて追尾してくる。
「次、左――次も左――そのまま真っ直ぐ――」
 犬型マシンのナビに従って角を曲がり続ける。次第に道が細くなり、人通りも絶える。
 後方からは男たちの声がまだ聞こえてくるが、姿は見えない。角を細かく曲がっているので、こちらの姿を見失ったのだろう。
 細い街路をさらに進む。
「ここです」
「って、行き止まりじゃない!」
 大きな倉庫の裏手でクラィは足を止める。だが犬型マシンは慌てる様子もなく、突き当たりの壁にある小さな穴を鼻で示した。
「いえいえ、道は続いているっすよ。その穴へ入るっす。狭いですから気をつけて。ここからはボクが先導するっす」
 犬型マシンは私の腕から飛び降りると、穴の中へと入っていく。私とクラィは身を屈めて後に続いた。クラィは大きい鞄を持っているために、動きづらそうだ。
「ちょっ……大丈夫でしょうね? 暗くて何にも見えないんだけど」
「ああ、うっかりしてたっす」
 犬型ドールの声が聞こえると、穴の中に光が生まれた。目を細めて光源を確かめると、犬型ドールの両目がライトになっているのが分かった。穴の中で作業するために作られたマシンだということなので、当然の機能ではあるのだろうが……微妙にシュールな光景だ。
 入口は狭くて、這って進むしかない。だがしばらく行くと天井が高くなり、何とか立って歩けるようになった。
「地下通路はボクらの領分っすから、もう追いつかれる心配はないはずっす。姐さん方はどこへ向かわれるご予定で? そこまで安全にお連れするっすよ」
「あ、だったら中央シャフトの近くまで連れて行ってくれる? 資材搬入口じゃなくて、シビリアン用のエレベーターがある方に出られると、より助かるんだけど」
 クラィの言葉に犬型マシンは頷く。
「お安い御用っすよ。こっちっす」
 とことこと短い手足を動かして地下通路を進んでいく犬型マシン。彼のライトを目印にしながら後を付いて行く。
 会話が途絶え、足音だけが狭い通路に響く。私はふと、肝心なことを忘れていたことに気付き、口を開いた。
「ねえ、あなたの名前は?」
 意外に早く歩いていく犬型マシンの背に問いかける。
「ボクっすか? 型番はDF201、個体識別番号はM300124、自分で勝手に付けた名前はラダーっす」
「ラダー……いい名前だね」
「そうっすか? 名前を褒められたのは初めてっすよ。穴倉専門のマシンなのに、ラダー(梯子)だなんて不釣り合いだとよく言われてるっすから」
 短い尻尾を振る犬型マシン――ラダー。喜んでいるのだろうか……いや、でもクラィはマシンに感情はないとも言っていた。
「不釣り合いなんかじゃないよ。少なくとも今の私たちにはぴったりの名前だと思う」
 私の言葉にクラィも頷く。
「確かにそうね。上を目指すあたしたちの道を繋いでくれたあんたは、確かにラダー(梯子)よ。ありがと、助かったわ」
「お礼を言うのは不合理っすよ。ボクは助けてもらった対価を支払っているだけっす。それも姐さん方を目的まで送り届けて達成されるんすから」
 ラダーは不思議そうに首を傾げた後、前に向き直る。この変な生真面目さというか、合理的な思考は、感情を持たないマシンならではの考え方なのだろう。
 そこからは方角も分からない穴の中を無言で進む。ずいぶん歩いて、まだだろうかと思い始めた頃、ラダーは立ち止まった。
「ここっす。この上がちょうど中央シャフトの傍っすよ」
 よく見れば壁に梯子が設置されており、頭上には縦穴が開いていた。
 ラダーはタカタカタカと器用に梯子を上っていく。私とクラィも後に続いた。梯子を上りきると、薄暗い倉庫の中へ出た。室内には資材がたくさん積まれている。
「まさかマシンがこんな通路を使っているなんてね……」
 クラィは感心した様子で呟き、倉庫の扉を慎重に開く。すると眩い光が倉庫内に射し込んだ。
 私は目を細めながら、クラィと一緒に隙間から外の様子を伺う。
 すぐ傍に大きな……本当に大きな柱が見えた。中央シャフトだ。金属のパーツが組み合わさり、直径数十メートルはありそうな円柱を形作っている。周囲にドールの姿は見えない。
「……リクエスト通り、資材の搬入口とは逆方向に出てくれたみたいね。普通のワーカーはこんなところに来ないから、見咎められる心配はしなくていいはずよ。行きましょう」
 クラィは扉を開け放って、外へ出る。私は周囲を見回しながら後に続いた。ラダーは私の隣をトコトコ歩く。
 すぐ傍で見上げると中央シャフトは視界に収まりきらないほど巨大だった。その壁面は一部がくぼんでおり、そこに鏡張りの扉らしきものがある。私が目覚めた部屋の扉と似ている感じがした。
「さ、ミリィ、お願いね。これが上層へ続くエレベーターのはずなのよ。あたし、最下層へやってきたシビリアンがここから帰っていくのを何度も見てるから、間違いないと思うわ」
「……やっぱり私が開けるの?」
 クラィに促され、私は扉に手を当てようとする。だがふと、ラダーのことが気になって視線を落とす。
「ねえ、ラダーはこの後どうするの?」
「ボクっすか? それはもちろん、また作業に戻るつもりっすけど」
「でも、さっきの人達に見つかったら危なくない?」
「まあそうっすね。見つかったら、きっと壊されると思うっす」
 平然と答えるラダー。
「そ、そんなのダメだよ。ねえ、ここにいるのが危険なら一緒に行かない?」
「無理っすよ。ボクは最下層での作業が義務付けられているっすから。これは最優先命令なんで、どうにもならないっす」
 ラダーは首を横に振る。作業用のマシンとして造られた彼はその役目から逃れることができないということなのか。
 けれど私たちの会話を聞いていたクラィが口を挟む。
「どうにもならない……って決めつけるのは早いかもしれないわ。ミリィ、試しにこう命令してみなさい。自分について来い、お供をしろって」
「え? で、でもラダーは無理だって――」
「いいから、早く」
 急かされ、私は仕方なく口を開く。
「え、えっと……ラダー、私についてきて……私の、お供をして」
 私の言葉を聞いた瞬間、ラダーはびくっとして耳と尻尾を立てた。
「……あ、あれ? 今、何をしたっすか? ボクの最優先命令が書き換わったっす! し、しかもマスター登録がミリィ姐さんに!」
「へ? え?」
 驚くラダーだが、私にも何が起こったのかさっぱり分からない。説明を求めてクラィを見る。だがクラィは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「実を言うとね、あたしもミリィのことを詳しく知っているわけじゃないのよ。ただ、かなり上位の権限を有している可能性が高いとは思ってた。それが今、証明されたわね」
「上位の権限って……私は一体、何なの?」
「――さあ、ね。詳しくは知らないって言ったでしょ。でもミリィならこのエレベーターも起動させられるはずよ。だからお願い、あたしを上に連れて行って!」
 クラィは私に真剣な眼差しを向け、懇願する。
 ――そうだ、私はそのために……。
 何かクラィが隠し事をしているように感じたが、私はそれ以上追及せずに扉へ触れる。すると以前と同様に扉の鏡面に光が走った。そしてどこからともなく声が聞こえてくる。

『――登録コード・ミリィと確認。現在アクセス権を限定解除中につき、当設備を利用される場合は個人情報の照合が必要です。照合をされますか?』

「あ、は、はい……」
 言っていることはよく分からなかったが、とりあえず頷いておく。
 この前は人格情報の照合を求められたが、それは記憶のない私でも正解できるものだった。今回も恐らく何とかなるだろう。
 しかしその考えが甘かったことを、直後に私は知る。

『――それでは照合を開始します。登録コード・ミリィの両親の名を告げて下さい』

「え……?」
 姿なき声が訊ねたのは、私の記憶に全く存在しない事柄についてだった。
 私は呆然とし、そして――。


―――――――――――――――――――――――――――

七つの罪と四つの終わり 第三話

―――――――――――――――――――――――――――

 あたしが〝彼女〟のことを知ったのは、本当に偶然からだった。
 ここ――〝塔〟の第八層では、あたしたちワーカーが資源の採掘を行っている。当然のことながら下へ下へと掘り進んでいくわけなのだが、八層の下にはかつて人間が使っていた施設があった。最下層と総称される施設群はあちこちに点在していて、適当に掘れば壁にぶちあたってしまう。だから採掘は人間の施設がある場所を避けて進められた。
 しかし、それでも偶に予定外のことは起きる。
 地図に記載されていない施設があったり、ノルマをこなすため掘削計画にない場所を掘り進めて最下層へ出てしまうこともあった。
 あたしの場合は後者。いい鉱脈を発見し、勝手に採掘した結果――うっかり施設の外壁を破壊してしまったのだ。
 基本的に施設の立ち入りは禁止されているが、好奇心を抑えきれなかったあたしは内部を探検した。
施設内にある機械はほとんど壊れていて、辛うじて起動したコンピュータもワーカーにはアクセス権がなく、データを閲覧することはできなかった。
 だが、とある小部屋であたしは紙の記録媒体を見つけた。
 その中には、自らの運命を変えることができる可能性が記されていた。

 あたしはその可能性を――彼女を――ミリィを探し、見つけ出した。
 ミリィは記憶喪失らしく、自分の名前すら思い出せない様子だった。
 だからたぶん、あたしはミリィよりもミリィ自身のことを知っている。
『――それでは照合を開始します。登録コード・ミリィの両親の名を告げて下さい』
 中央シャフトにある上層へと移動するためのエレベーター。その扉が求めた答えもあたしは知っていた。
 けれど違和感を覚える。前回はまるでミリィが記憶喪失であることを想定していたようだったのに、今回は記憶のないミリィでは答えられない質問だ。
 案の定、ミリィは困り果てた顔でしばらく考え込んだ後、助けを求めるようにあたしを見た。


――――――


 私はクラィに助けを求めることにした。クラィは私のことをそれほど詳しく知っているわけじゃないと口にしていたが、逆を言えば少しなら知っているということ。
 空っぽな私の記憶より、ずっと頼りになる。
「ねえ……クラィは私のお父さんとお母さんの名前、知ってる?」
 恐る恐る問いかける。クラィが私に関することで何度も言葉を濁していたのは気付いていた。だからこの質問はクラィを怒らせてしまうかもしれない。私はそれが不安だった。
 しかしクラィは苦笑を浮かべて、あっさりと首肯する。
「ええ、知ってるわ。シンジとユミカ。それがたぶん今回のパスワードよ」
 その名は私の心に一瞬だけ小さな波紋を生んだ。しかし記憶の水底にあるものが見えてくることはなく、胸の内を揺らしたさざなみも手がかりを得る前に消えてしまった。
『――登録コード・ミリィの両親の名を告げて下さい』
 電子音の問いかけが繰り返される。
「シンジ……ユミカ……」
 私は顔すら思い出せないまま、両親のものと思われる名前を口にした。
『――承認。ロックを解除します』
 クラィの情報は正しかったらしく、エレベーターの扉が開く。
「おおっ、やったすね!」
 犬型マシンのラダーが飛び跳ねて喜んだ。
 クラィの方は何故か険しい眼差しで開いた扉を睨んでいた。だが私の視線に気付くと小さく笑い、エレベーターへと促した。
「さあ、行くわよ。ミリィも色々聞きたいことがあるだろうけど……それは中で話すわ」
「うん……分かった」
 どうして私の両親についてまで知っているのか。それを問いかけようか迷っていた私の心を読んだように、クラィは言った。
 クラィに続いてエレベーターに乗り込む。扉は小さめだったが中は意外と広い。金属の壁で作られた四角い箱といった感じだ。扉の脇にはボタンが付いている。
「ではボクもご命令通り、マスターのお供させてもらうっす」
 ラダーもとことことエレベーターに乗り込んだ。
「ま、マスターって……私のこと?」
「はいっす。マスター登録されましたから、マスターはマスターっす。マスター、姐さん、これからよろしくっす」
 ラダーに姐さんと呼ばれたクラィは溜息を吐く。
「あたしはどうして姐さんなのよ?」
「何となくおっかない感じがしたからっす。あたいに近づくと火傷するぜベイベー的な雰囲気バリバリっす。痺れるっすよ姐さん!」
「あんた……微妙に性格変わってない?」
「んー、どうも最優先命令が書き換わった時にいくつかの禁止事項も無効になったみたいっすね。それで倫理観が少し緩くなったんだと思うっす」
 クラィはラダーの言葉に肩を落とす。
「ミリィに命令を書き換えさせたのはあたしだけど……何だか凄まじく厄介なお荷物を背負う羽目になった気がするわ」
「姐さん、元気を出して下さいっす!」
「誰のせいよ、誰の。全く……マシンには遠回しな皮肉も通じないのね」
「いえ、今のは分かった上でスルーしたっす」
「余計タチが悪いわっ!」
 クラィはラダーの頭を軽く叩いて黙らせてから、エレベーターのボタンに指を伸ばした。
 ボタンは〝Ⅰ〟から〝Ⅸ〟まであり、クラィは迷わず〝Ⅰ〟を押す。しかし反応はない。
「やっぱり、いきなり第一層まで行くのは無理か……」
 上から順番にボタンを押していくクラィ。するとようやく〝Ⅶ〟で反応があった。
 ボタンが点灯し、扉が閉じる。
低い音が響き、箱がゆっくりと上昇し始めたのを感じた。クラィは壁に背を預けると私の方を見て笑った。
「ラダーのせいで話が逸れちゃったわね。あたしがどうしてミリィのことを知っているのか……今からちゃんと説明するわ」
「うん、私も聞きたい。でも……本当にいいの?」
「え? どういう意味?」
「だってクラィ……あんまり話したくなさそうだったから」
 私がそう言うとクラィは呆気に取られた表情を浮かべ、片手を額に当てた。
「はあ……見透かされてたんだ。何ていうか、恥ずかしいわね。ミリィの言う通りよ。あたしは躊躇ってた。ミリィにミリィのことを教えるのが怖かったの」
「怖いって……何で?」
「あたしにはミリィが必要だけど、ミリィは別にあたしがいなくても大丈夫だからよ」
「そ、そんなことないよ! 私、クラィがいなかったらこんなところまで来られなかった!」
 私はそう訴えるが、クラィは曖昧な笑みを浮かべて首を横に振った。
「それはミリィの勘違い。まずは――順を追って話すわね。あたしは半年ほど前、採掘中に偶然最下層へ迷い込んだの。そこで見つけた記録媒体から、あたしは〝最後の人間〟の存在を知ったわ」
「最後の……人間」
 私はクラィの言葉を繰り返す。
「塔にいた人間はとっくの昔に死に絶えたと考えられていたわ。でも、もしも生き残っていたのなら、その人間はかなり上位の権限を持っているはず。上手く利用できれば八層を抜け出し、上を目指せるかもしれない。だから、あたしは〝最後の人間〟を探したの」
 クラィはそう言って私を見る。
「そうして見つけたのが……私?」
「その通りよ。期待通り、ミリィはワーカーのあたしなんかとは比べ物にならないくらい上位のアクセス権を持っていた。扉やラダーの件がそれを証明したわ。だから本当は上に行きたいなら一人でも行けるはずなの」
「け、けどさっきはクラィに教えてもらわなかったらお父さんとお母さんの名前も分からなかったよ?」
「それは……確かに少し引っかかるけれど、ミリィが必死に思い出そうとすれば思い出せたことなのかもしれない。あたしはそのチャンスを潰しちゃったのかもね」
 クラィはすまなさそうに目を逸らす。
「そんなことないよ。私、頑張ってみたけど全然思い出せなかったもん。クラィがいないとダメだよ……」
「いないとダメって――あたしはミリィを都合よく利用しているだけなのよ?」
「利用するつもりだったなら、どうして今の話をしてくれたの?」
「ミリィが……変なこと言うからよ」
「え?」
 私が首を傾げると、クラィは頬を赤くして言葉を続ける。
「あたしの力になりたいなんて、ミリィが言うから……調子が狂ったの。なんかすっきりしないのよ。だから力関係をはっきりさせた上で、あたしの方から改めてお願いするわ」
 クラィは姿勢を正し、私を正面から見つめて言った。
「お願い、ミリィ――あたしに力を貸して。ミリィがいないとあたしはどこへも行けないの。どんな条件を出してくれてもいいわ。あたし、何でもするから」
 私はどう答えていいのか分からなかった。このお願いを受け入れたら、自分がクラィの〝上〟になってしまう気がした。だから考えた末に、私はクラィの手を握る。金属の固い指先に触れる。
「クラィ、本当の事を話してくれてありがとう。私、嬉しいよ。これで私たち……前より少しだけ仲良くなれた気がする」
「ミリィ? あんた何を言って――」
「仲良しなら、一緒にいるのは当たり前だよね。条件なんてなしに、困っていたら助け合うよね。そういう感じじゃあ……ダメ、かな?」
 私の申し出にクラィはポカンとしたが、次第に肩を震わせて笑い始めた。
「ふふっ……あはははっ――ミリィは本当にいつも、あたしの想像を超えていくわね。仲良し……か。それでミリィが納得してくれるのなら、あたしに文句なんてないわ」
「本当? 私たち、仲良しでいい?」
「まあ……ね。あたし、ミリィのこと嫌いじゃないし……ミリィも同じなら仲良しってことになるんじゃない?」
 ぶっきらぼうな口調でクラィは言う。
「ありがと、クラィ!」
 あたしは嬉しくなってクラィに抱き付いた。
「ちょ、ちょっと、止めなさいって!」
 クラィは慌てた様子だったが、私を無理やり引き剥がそうとはしなかった。
 そんな様子をじっと見つめていたラダーが口を開く。
「いやー、丸く収まってよかったすね。麗しい友情っす。ボクも混ぜて欲しいっす。マスターと姐さんに挟まれて幸せ窮屈な思いをしたいっす!」
 駆け寄るラダーをクラィは足の裏で押しとどめた。
「どさくさに紛れてなに変なことをしようとしてるのよ。あんた、とんだエロ犬ね」
「ああっ、ひどいっすよ姐さん! でも……踏まれるのも悪くないかも……っす」
「あんたの緩んだ倫理観。あたしが踵で締め直してあげようかしら」
「ぎゃああっ! 痛い痛い、体が軋むっす!! 関節から破壊的な旋律がぁっ!?」
 ぐりぐりとラダーを踏むクラィ。
「く、クラィ、もう止めてあげようよ」
 ラダーは喜んでいるんだか苦しんでいるんだか分からない反応を示していたが、私は一応止めることにする。
「そうは言うけどね……こいつ、ちゃんと調教しておかないと今後何するか――」
 クラィはラダーに対する懸念を口にするが、その途中でポーンという電子音が響いた。
 ずっと続いていた緩やかな上昇感が消える。
「もしかして……着いたのかな?」
 私のつぶやきにクラィは頷く。
「ええ、たぶんね。ここから先は私も何があるか知らないし、何が起こるか想像もできない。気を抜いちゃだめよ」
「うん……」
 私たちは緊張しながら扉が開くのを待ち受ける。
「楽しみっすね! ボクはおっぱいが大きいお姉さんが出迎えてくれるに一票っす!」
 全く緊張していないのも一匹いたが、私は気にしないことにする。喋る度に可愛くなくなっていくのがとても残念だった。
 ガコンと音が響き、扉がゆっくりと開いていく。
 その向こうには――執事服姿の老人が立っていた。
「ええー……ジジイはお呼びじゃないっすよ……」
「ちょっ、あんたは黙ってなさい!」
 落胆するラダーの口を慌てて塞ぐクラィ。私は場を取り繕うように老人へ愛想笑いを向けた。
「え、えっと……あなたは?」
 躊躇いがちに問いかけると、老人は深々と頭を下げる。
「第七層へようこそ。お初にお目にかかります。わたくしは執事のセヴァンと申します。我が主の命により、ミリィ様をお迎えにあがりました」
「私を……迎えに? それにどうして私の名前を知ってるの?」
「その説明は後程、主から直接お聞きください。さあ、こちらへ」
 促されるまま私はエレベーターの外へ出る。そこは第八層のような荒野ではなく、石畳が敷かれた広場だった。すぐ傍に黒い車が止まっていた。
 ――ああ、これが車だってことは分かるんだ。
 またしても記憶の不思議を感じていると、後ろから腕を掴まれた。
「ちょっとミリィ、なにホイホイ付いて行ってるのよ! あたしたちはもっと上の層に行くのが目的なんだから、こいつの主なんかに会う必要はないわ!」
 振り返るとクラィが鋭い眼差しでセヴァンを睨んでいる。
「そうっすよ! ジジイと行っても楽しくないっす! どうせならメイドを寄こしやがれっす!」
 ラダーもよく分からない文句を言う。
 セヴァンは足を止め、クラィとラダーを冷たい目で眺めた。
「主が招待なされたのはミリィ様だけです。職務を邪魔されるのであれば、少々手荒なことになりますよ?」
 すごく嫌な予感がして私はクラィを庇うように手を広げた。
「クラィとラダーは私の〝仲良し〟だから……どこかへ行くなら一緒じゃないと嫌。傷つけたりしたら、絶対に許さない」
「こ、このようなワーカーとマシンごときを、友人だというのですか?」
 困惑した様子のセヴァン。
ああ、そうか……仲良しというのは友人という意味なのか。
「うん……二人は、私の友達。それが何か、おかしいの?」
 じっとセヴァンの瞳を見つめる。すると彼は表情を引きつらせた。
 ――怯えてる?
 いったい何に対してか分からないが、セヴァンは恐れを抱いているようだった。
「……仕方ありません。分かりました。友人のお二人もご同行ください」
 そう言ってセヴァンは車の後部座席のドアを開く。
「っていうか、そもそもどうしてあんたに従わなきゃいけないのよ?」
 不機嫌そうにクラィが訊ねる。
「先ほど、上の層へ向かうと仰っていましたね? ならば主に謁見することは、その目的に適っていると思いますが」
 口調は丁寧だが、視線だけは冷たいままセヴァンは言う。
「どういうこと?」
 問い返すクラィに、セヴァンは静かに、畏怖を込めて告げた。
「我が主は――この階層を支配する〝魔王〟なのですよ」


――――――


 車に運ばれ、辿り着いたのは大きな石造りの城だった。
 道中、窓から見えた町も石造りのものが多かったなと思い出す。道も、建物も、第八層よりきちんと整備されている印象だ。しかしここまで住人の姿をほとんど見かけていないことが気になった。
 遠くに人影を発見しても、車が近づくとすぐ家の中へ入ってしまうのだ。まるで――身を隠すように。
「さあ、こちらへ」
 車から降りた私たちは、セヴァンに先導されて城の門を潜る。
「メイド! メイドはいるっすか!?」
 ラダーはきょろきょろと城内を見回すが、メイドどころか誰の姿もない。
「何だか気味が悪いわね……」
 クラィは辺りに注意を払いながら呟く。
 高い天井の廊下を歩き、立派な扉を開けるとそこは煌びやかな広間だった。金や銀に輝く調度品が壁を飾り、見事な刺繍が施された絨毯が敷かれている。
 そして綺麗な宝石が埋め込まれた中央の玉座には豪奢な衣装に身を包んだ男が座っていた。目つきが鋭く、不満げに口を引き結んでいる。

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「ふん、その顔……間違いないようだ。報告は正しかったらしいな、セヴァン」
「はい――我が主」
 機嫌が悪そうな男の言葉にセヴァンは頷く。
「まったく……どうしてこんなことになるのやら。あんな取り決めをするのではなかったな。ああ、厄介だ、厄介だ」
 忌々しげにつぶやき、男は私を嘗め回すように見た。
「あなたが……〝魔王〟なの?」
 私が問いかけると、男は顔を顰めて首肯する。
「その通り。オレ様が第七層の全てを管理する魔王マンモンである。早速だが、一つ試させてもらおうか。面倒事は早めに片付けるに限る」
 ギロリと私を睨み、マンモンと名乗った男は言う。
 どうやら私はあまり歓迎されていないらしい。
「試すって……何を?」
「それはもちろん貴様の〝欲望〟をさ。さあ、答えろ。貴様が今、最も欲するものは何だ?」


―――――――――――――――――――――――――――

七つの罪と四つの終わり 第四話

―――――――――――――――――――――――――――

「私は……上にあるはずの、果てのないソラが見たい。それが今、欲しいもの」
 第七層の〝魔王〟だという男――マンモンに私は答える。
 ぴくりとマンモンは眉を動かして私を睨んだ。
「ソラが見たいだと? またずいぶんと大それた事を言う。貴様はそれがどういう意味なのか理解しているのか?」
「……分からない。ソラがどんなものかも、私は知らない」
「ふん、だとしたらそれは欲望とは言えんな。ただの淡い夢想だ。〝強欲〟たる者は欲するだけでなく、どんな事をしてでもそれを手に入れる意志と力を持ち合わせなければならない。そうでなければオレ様は認めない」
 その言葉に反応したのは話を横で聞いていたクラィとラダーだった。
「あなたが認めないと、どうなるっていうの?」
「そうっす! さっきから聞いていれば偉そうに、何様のつもりっすか!」
 マンモンは彼らに目を向けた。
「何様だと? オレ様はこの第七層を支配する魔王だ。オレの許可なくして上層へ行くことはできん。上を目指したいなら、オレ様が感服するほどの欲望を見せてみろ。もちろんただ気持ちを述べるだけでは足りん。力ずくでも何でもよい。入手した上でオレ様の前に持ってこい」
「持ってきたら、上へ行かせてくれるのね?」
 クラィの問いかけにマンモンは頷く。
「ああ、そういう〝契約〟だからな。だが逆に持って来れなければ、ミリィは永遠にここの住人――オレ様の所有物だ」
「所有物って……何するつもりよ?」
「どんなことでもさ。所有物は何をされても文句を言えない。しかし安心しろ。次の挑戦を終えるまでは客人として扱ってやる。おいセヴァン、こいつらに家を一つ貸してやれ」
「はい、分かりました。皆様、こちらへ」
 執事のセヴァンは私たちを促す。
 もう話は終りということだろう。けれど私はどうしても一つ聞きたいことがあってマンモンに問いかける。
「あなたは……私のことを知っているの?」
 ギロリとマンモンが私を睨む。そして、突き放すようにこう言った。
「――ああ、知っているとも。オレ様は、貴様が大嫌いだった」


 セヴァンに案内されたのは、城の近くにある石造りの建物だった。長らく誰も住んでいない感じだったが、中はきちんと清掃されており家具も一通り揃っている。
「どんなひどい家を宛がわれるか心配してたっすけど、思ったよりマトモっすね」
 まだ目の前にセヴァンがいるというのに、ラダーは遠慮なく感想を口にする。
「……ミリィ様は〝今のところ〟大切なお客人ですから。我が主は挑戦の期間を設けなかったので、結果が出るまではずっとお使いくださって結構です」
 恭しく頭を下げながらも多少の毒を込めて言うセヴァン。
「つまり、マンモンに挑戦しないって選択もあるわけね」
 クラィの問いにセヴァンは頷く。
「はい、よほどの自信がない限りは現状維持が賢明です。苦しい生活から抜け出すのが目的ならば……それで十分でしょう」
 セヴァンの言葉にクラィは表情を険しくする。
「……あたしの望みを、勝手に決めつけないで」
「ふむ、的外れなことを言ってしまいましたか。それは失礼いたしました。ただ、一つだけ覚えていてください。これは我が主とミリィ様の勝負です。あなたやそこのマシンなどに我が主は興味がありません」
「あたしたちは所有物にすらなれないってこと?」
「その通りです。もしもミリィ様が敗れれば……元の場所へ戻されるか、ゴミとして処分されるかのどちらかでしょう。私としては後者の可能性が高いと思いますがね。それでは――」
 深くお辞儀をしてから、セヴァンは去っていった。
 ラダーが焦った様子で私の足元を走り回る。
「マスター、絶対に負けないでくださいっす! お願いするっす! ボクは何ならずっとここにいても構わないっすよ?」
「あたしは嫌よ。ここは下と何も変わらない。あの憎たらしい魔王がいる限り、支配されてる立場に変わりないわ」
 クラィは憤りを込めた口調で言う。
「でも……どうするの? あの人を納得させるだけの欲望なんて、私は思いつかないよ」
 私は正直に今の気持ちを告げる。二人の運命を背負っているのなら、軽率なことはできない。
「だったら探しに行けばいいわ。ここでじっとしても始まらないし、とにかく町の方へ行ってみましょう。もしかしたら何か〝欲しいもの〟が見つかるかもしれないわよ?」
 クラィが私の手を引く。
「あ、姐さん、マスター、置いて行かないでくださいっす! ボクもお供するっす!」
 ラダーが慌てて追いかけてくる。私たちは一緒に家を出て、石畳の坂道を下る。車が通れるだけあって道幅は広い。
 車に乗っていた時は気付かなかったが、坂の上にある家ほど大きく立派だ。マンモンの城を頂点として、下へ行くほど家は小さくなっていく。
 すれ違うドールは一人もいない。無人というわけではなく、遠くに人影が見えて近づくと隠れられてしまうのだ。結局そのまま誰にも会わず、最初の広場に戻ってきてしまう。
「どうして避けられているのかしら……」
 クラィが呟く。
「姐さんがおっかない顔してるからじゃ――って冗談っす、冗談!」
 ラダーはクラィに睨まれて謝る。
「全くこの馬鹿犬は……けど、部分的には合ってるかもね。何となく、怖がられている気がするわ」
 クラィの言葉に私も頷く。
「うん、私もそう思う。でもどうして私たちを怖がるんだろ?」
「さあね。誰かに話を聞かないと分かりそうもないわ。大通りは視界が広すぎて近づく前に逃げられるから、今度は裏路地を歩いてみましょう」
 私はクラィに腕を引かれ、細い道に足を踏み入れる。
 元々誰も通りそうにない道のため当然人通りはないが、誰かがいる気配はある。町にかすかな音が溢れている。それは主に家の中から聞こえてくるようだった。
「みんな、家の中で何かしてるのかな?」
「そうみたいね……窓が見当たらないから何してるかは分からないけど」
 私の言葉にクラィは頷く。
 そのまま細い道を通って坂を上っていくと、あるラインを境にして家の大きさが変わった。改めてよく観察すると、大きな家には窓がある。
 どうしてだろうかと首を傾げていると、少し先の角から二人組の男が現れた。
「――ん?」
 男たちは訝しげな顔をするが、逃げる気配はない。
 それどころかにやにやと表情を緩めて、こちらへ近づいてくる。
「な、何かヤバそうな感じじゃないっすか? 逃げた方がいいと思うっす」
 不穏な空気にラダーは怯えるが、クラィは一歩前に出て首を横に振る。
「いいえ、ようやく他のドールと会えたんだから逃げる理由はないわ。とりあえず何か用があるなら聞いてやりましょう」
 二人の男は私たちの前で足を止める。クラィのように両手両足がむき出しの機械ではない。皮膚に覆われた人間と変わりないものだ。でも、どれだけ人間に似ていても彼らは人間ではないのだろう。
「あの……何ですか?」
 私は恐る恐る男たちに問いかける。二人とも私たちより二回り以上体が大きい。
「――寄こせ」
 彼らは笑みを口元に貼りつけたまま、端的に告げた。
「え?」
 意味が分からずに問い返すと、男は表情を全く変えぬまま言う。
「お前らが着ているものを、全部寄こせ」
「な……ど、どうして?」
「何故だって? それはお前らが知らない顔だからだ。俺が顔を覚えてない奴らは全員成り上がりだと決まってる。だから、寄こせ」
 男の言葉にラダーが口を挟む。
「話が繋がってないっす! 何でマスターたちが脱がなきゃいけないんすか! とんだスケベ野郎っす! 変態っす!」
 クラィはそんなラダーを見て息を吐く。
「……ラダーが言わないで。でも、納得できないのは確かね。あんたたちの言葉に従う理由は何もないわ」
「理由? 何言ってんだ、これはお前らの義務だろうが。まあ拒むならそれでも構わないぜ? だったら力ずくで奪うだけだ。それはそれで面白い」
 男たちが詰め寄ってくる。その迫力に私は思わず後ずさった。クラィがあたしを庇うように前へ出る。

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「力ずく? やれるものならやってみなさいよ」
「ふん、いつまで生意気な口を叩いていられるかな。お前ら〝成り上がり〟が俺達純正のシビリアンに敵うわけ――」
 伸ばされた男の腕をクラィは無造作に掴む。
 それだけで男は言葉と動きを止めた。男たちの眼差しがクラィの手に注がれる。金属質な輝きを持つ、ワーカーの腕に。
「な……こ、この腕力……お、お前まさか処置前なのか!?」
「処置……? いったい、何を言ってるの?」
「くそっ、離しやがれ! お前ら、シビリアンに逆らったらどうなるか分かってるんだろうな? また地獄に逆戻りだぜ? それでもいいのか?」
 顔を苦痛で歪めながら、それでも上から目線で告げる男。
「いいのかって聞かれても意味が分からないから答えようがないわ。ただ――あんたがムカつくのは事実ね」
 そう言うとクラィは唐突に男の手を離す。急に自由となったことでバランスを崩す男。
「や、やっと自分の立場を――おぶっ!?」
 余裕を取り戻しかけた男の顔面にクラィは右の拳を叩き込む。男は軽々と吹っ飛び、向かいの壁に激突した。
 二人のうち残された方の男はしばし呆然とした後、怒りに顔を歪めた。
「お前……こんなことをしてタダで済むと思うのか? ここにいられなくなるぞ?」
「最初から七層に長居するつもりはないわ。それよりさっきの処置って意味を教えなさい。あと、どうしてこの町はこんなに静かなの?」
「な、何を偉そうに質問してやがる! 俺はシビリアンだぞ! お前みたいなスレイブが――」
 ドンッ!
 言葉を最後まで口にする前に、男はクラィに殴り飛ばされていた。私はクラィの表情に息を呑む。分かりやすい怒りなどそこにはなかった。クラィはただ暗い眼差しで壁にめり込んだ男を見つめていた。
 彼はたぶん、クラィの逆鱗に触れたのだろう。スレイブというのがどういう意味なのか気になったが、とても問いかけられる雰囲気ではなかった。
 私が何も言えずにいると、クラィはハッとした顔で私を見て苦笑する。
「あ……うっかり二人ともやっつけちゃったわね。これ、どうしようか?」
「え? そ、そうだね……このままだとまずいと思うけど……」
 いつものクラィに戻ってくれて安心するが、現状の対応策は何も思いつかない。
 そのとき、背後から声が響く。
「あ……あなた達、何て事を――」
 振り返ると質素な身なりの女性が路地の角から顔を出していた。その顔は蒼白で、体を震わせている。
「――アンナ?」
 クラィが女性を見つめて声を漏らした。
「え……あ、あなたまさか……クラィ?」
 見つめ合う二人。どうやら彼女はクラィの知り合いらしい。
「アンナ……あんたはやっぱり――」
「は、話は後っ とにかくこっちへ来て! ほら、あなたたちも!」
 彼女――アンナはこちらに駆け寄ってくるとクラィの腕を掴み、私とラダーにも呼びかける。
 クラィは抵抗せず、アンナに引っ張られていくので私とラダーも慌てて後を追った。そうして一軒の小さな家に案内される。
「早く入って」
 アンナは私たちを家に入れると周囲を確認して扉を閉じた。
 外から見た時は窓が見つからなかったが、天井がすりガラスになっているため中は十分に明るい。部屋の雰囲気はどこかクラィの家と似ていた。たくさんの布や服がある。奥には機織り機のようなものが見えた。
「……まさか、ここでクラィと再会するなんて思ってもみなかったわ」
 アンナは壁に寄りかかって溜息を吐く。
「……あたしもよ」
 暗い表情でクラィは頷く。重い空気が横たわった。私が口を挟めずにいると、空気を読まないラダーが声を上げた。
「姐さんとアンナさんはお知り合いなんすか?」
 アンナはぎょっとした顔でラダーを見る。まさかマシンが話に割り込んでくるとは思わなかったのだろう。
「……そうよ。昔の友達。あたしに裁縫や服の仕立てを教えてくれた子。その技術がシビリアンの目に留まって、上層へ行っちゃったの」
 答えたのはクラィ。
「やっぱり……恨んでる?」
「アンナがいなくなった直後は、裏切られたみたいに感じたわ。でも――それが単に羨ましかっただけって自覚してからは、そういう気持ちはなくなったけどね」
「そう……でも、謝らせて。ごめんなさい」
「いいのよ、結局あたしも他の皆を置いて上へ来たんだから。あなたと同罪」
 自嘲気味にクラィが言うとアンナは複雑な表情を浮かべる。
「クラィはその、どうして〝以前のまま〟なの? ここに来たら全員処置を受けるはずなのに……」
「以前のまま? さっきの男たちも言ってたけど、処置ってどういう意味?」
「重労働用の金属腕脚を人工皮膚製のものへ交換することよ。ただしシビリアンたちのものより性能は低いから、力で敵わなくなっちゃうけど」
「ああ……だからあいつら驚いてたのね」
 納得した様子で頷くクラィ。
「クラィはどうやって七層に来たの?」
「それは、この子のおかげ」
 クラィはそう言うと私の腕を引っ張る。
「わ」
 突然のことで驚いた私はバランスを崩すが、クラィは悠々と私の体を抱きとめた。
 アンナはクラィに抱きしめられる格好になった私をまじまじと見つめる。
「その子がシビリアンってこと?」
「いいえ、この子―ーミリィはシビリアンでも、ましてやノーブルでもない。人間よ」
 クラィの言葉を聞いたアンナはぽかんと口を開ける。
「……人間? 本気で言ってるの?」
「本気よ。事実、この子が持つ上位のアクセス権のおかげで、私は七層に来れたんだから」
「そんな……嘘よ、人間なんてとっくの昔に――」
 疑わしそうな顔で私を見つめるアンナ。私は居心地が悪くなって視線を逸らす。
「信じられないなら別にいいわ。それよりアンナの方はどうなのよ。何ていうか、思ったほど幸せそうには見えないけど」
 窓のない家を見回してクラィは言う。
「クラィの言う通りよ。私、幸せじゃない。いつ壊れるか分からない不安と戦っていたワーカー時代と比べたら、生活自体は裕福だけど……支配されていることには変わりないもの」
「さっきの男たちみたいな奴らがアンナたちを苦しめてるの?」
「ええ、私たちはあいつらに〝奪われるためだけに〟囲われているのよ」
 絞り出すようにアンナ告げた。
「奪われるため?」
「……シビリアンはワーカーを労働から解放し、人工皮膚の手足をくれたわ。でもその代わりに……私たちは要求されたらどんな物でも差し出さなければならないの」
「何よそれ、そんなの……」
「そう、結局ところどこまで行っても私たちは奴らのスレイブなのよ」
 クラィの表情が険しくなる。
 これ以上、話に置いてきぼりになるのは嫌だったので私は思い切って問いかけた。
「ねえ、クラィ……スレイブって何? それに、シビリアンやノーブルってワーカーとは何が違うの」
「有体に言うとロットアップの時期よ。最初、この〝塔〟にいたドールは七体だけだって言われているわ。オリジナルセブンと呼ばれる彼らがまずノーブルを作り、ノーブルがシビリアンを作り、シビリアンはワーカーを作ったの」
 こちらを見ずにクラィは答える。
「時期……? ただ、それだけなの?」
「そうね。いつ、誰の奴隷として造られたかって違いだけ」
 吐き捨てるように告げられたクラィの言葉に、私は息を呑む。
「奴隷……」
 その単語については理解できた。理解できたからこそ、納得できなかった。
「それがスレイブの意味。シビリアンたちがワーカーに使う蔑称よ。ちなみにシビリアンは市民、ノーブルは貴族ってこと。あのマンモンってやつはたぶん、ノーブルか〝それ以上〟ね」
「みんな……仲良くはできないの?」
「今の支配構造じゃあ無理でしょうね。あたしが思うに、たぶんこれが〝人間らしい〟ってことなんじゃない? あたしたちは人間に似せて作られたモノだから」
 ――人間。それは、私のこと。
 どこか責められているようにも感じて、私は俯く。
 するとラダーが足元に近づいてきて私を見上げた。
「マスター、暗い顔する必要なんてないっすよ」
「え……?」
 ラダーはいつになく真面目な眼差しを向ける。
「人間を悪く言われて、悲しいんすよね?」
「う、うん……」
「大丈夫っすよ! 誰が人間を語ったところで、マスターはそれを否定できるっす。何故ならマスターは人間なんすから」
 ラダーは後ろ足で立ち上がって言う。
「私が、人間……」
「だから人間がどんなモノなのかは、マスターが決めればいいことっす」
「決める?」
 私はよく意味が分からずに首を傾げる。
「そうっす! マスターは〝どうしたい〟っすか?」


―――――――――――――――――――――――――――

七つの罪と四つの終わり 第五話

―――――――――――――――――――――――――――

「なっ……」
 目の前のマンモンが絶句する。
 私はさらに言葉を続けた。
「もう、この願いは皆さんの耳に一度届いているはずです。だから今、その答えを聞かせて下さい!」
 私の声が反響し、収まると、静かだった広場に靴音が聞こえ始めた。
 一人、また一人と、元ワーカーたちが私の後ろへと集まってくる。スペースから出て来たアンナさんとクラィ、それにラダーが私の隣に並んだ。
 全員だ。
 広場に集っていた元ワーカーは一人残らず、私の側に立つ。
 その様子を呆気に取られて見ていたシビリアンの一人が声を上げる。
「ふ、ふざけるな! そんな要求通るわけねえだろうが! てめえらスレイブもだ! シビリアンに逆らってタダで済むと思ってねえだろうな!」
 よく見れば、彼らは七層に来た日、私たちに絡んできたシビリアンだった。
「――あたしに任せて」
 クラィが一歩前に出て、シビリアンたちを睨みつける。
「よく聞きなさい、シビリアン! この子――ミリィは人間よ。シビリアンとか、ノーブルとか、オリジナルセブンとかの区分けなんて関係ない! ドールより上位に在る者なのよ!」
 シビリアンたちがどよめき、顔を見合わせる。
 その反応に満足そうな表情を浮かべたクラィは、さらに畳みかけた。
「それにタダで済まないのはどっちの方かしらね。確かに処置を施された元ワーカーより、あんたたちシビリアンの方が性能は高いわ。でもこうして広場に集まってみると分かる。数はこっちが上よ」
「だ、だからどうした! 性能の差が埋まるほど、数に違いはねえよ!」
「……そうね、今まではそうだったかもね。でも、今はこのあたしがいるわ。未処置のワーカーはあんたたちより強い。〝自分が壊されても戦いに勝つ〟覚悟があるシビリアンは何人いるかしら? もし戦いになったら、最低十人は再起不能にしてやるわよ」

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 口の端を吊り上げてクラィは言う。その鬼気にシビリアンたちは後退した。特に一度クラィにぶちのめされている者は、顔を蒼白にしていた。
「あ、姐さん、パネェっす……」
 何故かラダーまでぶるぶる震えている。
 シビリアンが黙ったのを確かめたクラィは、私の肩をポンと叩いた。
 後は私の仕事――ということだろう。
 ようやく驚きから覚めた様子のマンモンは、苦々しい顔で私を睨んでいた。
「何と、強欲な……。オレ様の財を根本から奪う気か」
 私は頷く。
「うん。これが、私の〝欲望〟。手に入れることができる望み。判定して――マンモン」
 臆することなく、私は命じる。
「……くく、判定など必要ない。既にオレ様の電子頭脳は、貴様の欲望を認めてしまった。契約により、もうオレ様は貴様に逆らえん」
「それじゃあ!」
 喜ぶ私に、憎々しい眼差しを向けてマンモンは頷く。
「ああ……もう既に貴様は七層における最上位権限を手に入れた。貴様のものとなった元ワーカーどもに、シビリアンは指一本触れられまい。エレベーターで上層へ向かうことも自由だ」
 その言葉を聞いた元ワーカーたちが沸き立つ。
「やった! アンナ、やったわよ!」
 クラィがアンナの手を握って喜ぶ。
「う、うん……夢みたい……」
 その様子を眺めながら、皮肉気にマンモンは口元を歪める。
「ふん……愚かなものだ。オレ様より強欲な人間のものとなったことが、どれだけ恐ろしいことか分かっておらん」
 私はそんなマンモンに問いかける。
「あなたは私のことを嫌いと言っていたけど……どうしてなの?」
「それはもちろん、貴様が人間だからだ。人間はオレ様が欲するものをいとも簡単に手に入れる。容赦なく奪い去る。そんな存在を、この〝強欲〟の魔王が認められるはずあるまい?」
 マンモンが向ける混じりけのない敵意に、私は息を呑んだ。
 だがクラィが勝ち誇った顔で口を挟む。
「ふん、負け惜しみはそれぐらいにしておきなさい。みっともないわよ。さあミリィ、エレベーターも使えるようになったんだし、とっとと上へ行くわよ」
「ええっ、クラィ……もう行っちゃうの? もう少しぐらいゆっくりしていってよ。私、何もお礼してないのに……」
 アンナが慌てた様子で引き留めるが、クラィは首を横に振る。
「お礼なんていらないわ。私たちは私たちの目的があって、やったことだもん。貸し借りはなしよ」
「……ボクとしてはお姉さんたちに、いっぱいお礼して欲しかったりするっすけど……ぐふっ」
 足元から小さく抗議の声を上げたラダーを踏んづけるクラィ。
「バカ犬の言うことは気にしないで。ただの雑音だから」
「ひ、ひどいっす……お礼! お礼が欲しいっすー!」
 暴れるラダーを抱え上げ、クラィは私の手を握る。
「さ、行くわよミリィ」
「――うん」
 慌ただしい出発だが、何となくこれが私たちらしいと思えた。
「ふん、行くがいい。オレ様はもう貴様らを阻めん。だが――」
 背後からマンモンの低い怨嗟が聞こえてくる。その声に不吉なものを感じて振り返った瞬間――。
 パン!
 乾いた音と共に、お腹の辺りに強い衝撃が走った。
 遅れて凄まじい痛みが襲うが、それはすぐに消え去り――全身に力が入らなくなった。
 がくんと膝を付いて倒れた私は、無骨な鉄の塊を手に持つセヴァンを目にする。
 ――あれは、銃?
「ミリィ!」
 クラィの切羽詰った声が響く。
「くく……あっははははははは!! 確かにオレ様は手出しできんが――本来〝第四層〟に属するノーブルのセヴァンだけは例外だ! ミリィ、貴様はここで始末する。この塔にもはや人間は必要ないのだ!!」
 マンモンの哄笑が、頭の中でぐるぐる回る。
 分からない。何が起こっているのか分からない。
 衝撃を受けた場所を、上手く力が入らない腕でぎこちなく探る。
 ――穴が開いていた。何か、液体のようなものが流れ出していた。
 その指を顔の前に持ってくる。だが予想に反して私の指は赤く染まっていなかった。
 何か半透明の、よく分からない液体で濡れていた。
 ……え?
 疑問を覚えるが、思考ができない。
 そんな私にセヴァンは銃を突きつける。
「終わりだ。〝もう一度〟死ね、ミリィ!」
 マンモンが叫び、セヴァンがトリガーを引き絞る。
 私は目を閉じた。銃声が鳴る。だが、衝撃はない。
「え……?」
 薄らと目を開けると、私の前に見知らぬ少女が立っていた。
 フリルが付いたゴシックな服装に身を包んだ少女は、セヴァンから〝もぎ取った〟右腕を手に、私を振り返る。
「もう大丈夫ですわよ、ミリィ。わたくしの大切な、大切な、お友達」
 童女のような、ひたすらに無垢で真っ直ぐな笑顔を浮かべて、その少女は私を見つめる。
「あ、あなたは……?」
 掠れた声で問いかけると、少女はどこか悲しそうな表情を見せ、こう答えた。
「わたくしはレヴィアタン。第六層を統べる魔王ですわ」

 知らない名を名乗る少女に、私は――


「七つの罪と、四つの終わり・中」につづく。



―――――――――――――――
籠村コウ 著
イラスト ゆく

企画 こたつねこ
配信 みらい図書館/ゆるヲタ.jp
―――――――――――――――

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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