今日は、最終回です。
1987(昭和62) 帰国15周年記念パーティを名古屋三の丸会館で開催。
1988(63) 沖縄旅行。

「恥ずかしながら、か‥。ああ言わなきゃ言い様がなかった‥」
1990(平成2) 秋頃から長距離の歩行が困難に。
1991(3) JR東海病院に入退院を繰り返す。
1992(4)1月 JR東海病院に再々入院、6月京都大学付属病院へ転院、9月自宅療養に。
1995(7) 『週間プレイボーイ(戦後50周年特集)』(集英社)の取材を受ける。
1996(8)1月 きんさん、ぎんさんとテレビ出演。
1997(9)9月22日17時7分、JR東海病院で永眠、心不全、享年82歳。
1999(11) 千音寺霊園(中川区)に建てられた横井さんの墓石の傍らに、「グアム島乃小動物の霊」。
「わたしは困ってばかりの人生でしたが、
今となっては《困ること》が、
わたしがこの世に生まれて死ぬまでの
神さんから与えられた
仕事みたいなものだった‥」

「もっと困って、困って、
困りぬけばいいのだと思う。」
「困ることが必ず新たな喜びをもたらしてくれる。
本気で困りぬいたとき、
途方に暮れたとき、
初めて知恵が湧く」
「どんなに困っても
無事でさえあれば、
それで良しです‥」
「無事 横井庄一」

この「無事」については、いろんな解釈があると思います。
仏教的に考えると、求める心があるうちはほんとの無事ではありません。
任せてしまったところに「無事」があると説かれています。
でも、凡人のわたしの思うところでは、変事が無い、ということだけで、それはもうたいへんな幸福であると。
横井さんの場合、たいへんな体験をされているので、そう「無事」をとらえておられるのかなあと受けとっているのですが、さて‥。

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1987(昭和62) 帰国15周年記念パーティを名古屋三の丸会館で開催。
1988(63) 沖縄旅行。
「恥ずかしながら、か‥。ああ言わなきゃ言い様がなかった‥」
1990(平成2) 秋頃から長距離の歩行が困難に。
1991(3) JR東海病院に入退院を繰り返す。
1992(4)1月 JR東海病院に再々入院、6月京都大学付属病院へ転院、9月自宅療養に。
1995(7) 『週間プレイボーイ(戦後50周年特集)』(集英社)の取材を受ける。
1996(8)1月 きんさん、ぎんさんとテレビ出演。
1997(9)9月22日17時7分、JR東海病院で永眠、心不全、享年82歳。
1999(11) 千音寺霊園(中川区)に建てられた横井さんの墓石の傍らに、「グアム島乃小動物の霊」。
「わたしは困ってばかりの人生でしたが、
今となっては《困ること》が、
わたしがこの世に生まれて死ぬまでの
神さんから与えられた
仕事みたいなものだった‥」
「もっと困って、困って、
困りぬけばいいのだと思う。」
「困ることが必ず新たな喜びをもたらしてくれる。
本気で困りぬいたとき、
途方に暮れたとき、
初めて知恵が湧く」
「どんなに困っても
無事でさえあれば、
それで良しです‥」
「無事 横井庄一」
この「無事」については、いろんな解釈があると思います。
仏教的に考えると、求める心があるうちはほんとの無事ではありません。
任せてしまったところに「無事」があると説かれています。
でも、凡人のわたしの思うところでは、変事が無い、ということだけで、それはもうたいへんな幸福であると。
横井さんの場合、たいへんな体験をされているので、そう「無事」をとらえておられるのかなあと受けとっているのですが、さて‥。
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無事でさえあれば、それで良しです‥」
横井さんが語られると、重みがありますね。
横井庄一さんの記事、
有難うございました。
戦争、地震、台風、大雨、交通事故、病気、ケガ、こころのケガもふくめて。
何がおきても不思議じゃない。
それも自分だけでなく、家族、子どものこと‥。
ああ、ほんとに何事なく過ごせるなんて奇跡ですね。
これを乗り切っていかなくてはならないのですね、人生いろいろあるけど、とりあえず、なんとかなっていることに感謝です、はい。