畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

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横井庄一・「知ってるつもり」7/エンディング

2013年08月11日 | 横井庄一記念館によせて
今日は、最終回です。

1987(昭和62) 帰国15周年記念パーティを名古屋三の丸会館で開催。
1988(63)   沖縄旅行。

  
「恥ずかしながら、か‥。ああ言わなきゃ言い様がなかった‥」

1990(平成2)  秋頃から長距離の歩行が困難に。
1991(3)   JR東海病院に入退院を繰り返す。
1992(4)1月 JR東海病院に再々入院、6月京都大学付属病院へ転院、9月自宅療養に。
1995(7) 『週間プレイボーイ(戦後50周年特集)』(集英社)の取材を受ける。
1996(8)1月 きんさん、ぎんさんとテレビ出演。
1997(9)9月22日17時7分、JR東海病院で永眠、心不全、享年82歳。
1999(11) 千音寺霊園(中川区)に建てられた横井さんの墓石の傍らに、「グアム島乃小動物の霊」。

「わたしは困ってばかりの人生でしたが、
今となっては《困ること》が、
わたしがこの世に生まれて死ぬまでの
神さんから与えられた
仕事みたいなものだった‥」
    

「もっと困って、困って、
困りぬけばいいのだと思う。」
「困ることが必ず新たな喜びをもたらしてくれる。
本気で困りぬいたとき、
途方に暮れたとき、
初めて知恵が湧く」
「どんなに困っても
無事でさえあれば、
それで良しです‥」
    

    

「無事 横井庄一」   

 
この「無事」については、いろんな解釈があると思います。
仏教的に考えると、求める心があるうちはほんとの無事ではありません。
任せてしまったところに「無事」があると説かれています。
でも、凡人のわたしの思うところでは、変事が無い、ということだけで、それはもうたいへんな幸福であると。
横井さんの場合、たいへんな体験をされているので、そう「無事」をとらえておられるのかなあと受けとっているのですが、さて‥。


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2 コメント

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無事でさえあれば (miku)
2013-08-13 09:10:10
「どんなに困っても
無事でさえあれば、それで良しです‥」
横井さんが語られると、重みがありますね。
横井庄一さんの記事、
有難うございました。
無事 (畑のかえる)
2013-08-13 19:12:55
ほんと、無事であるとことは、ありがたい。
戦争、地震、台風、大雨、交通事故、病気、ケガ、こころのケガもふくめて。
何がおきても不思議じゃない。
それも自分だけでなく、家族、子どものこと‥。
ああ、ほんとに何事なく過ごせるなんて奇跡ですね。
これを乗り切っていかなくてはならないのですね、人生いろいろあるけど、とりあえず、なんとかなっていることに感謝です、はい。

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