メディアに関わる人間として気になるので書いておきます。
みのもんた氏「これっていじめじゃないですか」
みのもんた氏が、ブーメランとも開き直りとも取れる発言を行っています。
「手出しこそしないけれど『あいつはくさい』と言い立てられるいじめと共通していませんか?」(中略)「頭一つ飛び出ている人をたたき、留飲を下げている。昔は故田中角栄元首相。今はみの=悪と決め付けられている」。
(中略)しかし、である。みのさん自身が、政治家や官僚らに厳しいコメントを浴びせ、たたく風潮の下地を作ってきたのではないか。「言いたいことを言ってきたことが結果的に他人をたたくことを許す風潮を生み出したかもしれない。だけどそれにじくじたる思いはありません」と言い切る。
なぜならと続ける。「僕の役目は江戸時代の瓦版売りのお兄さんのようなもの。配るだけでなく『ニュースの裏にはこんなことがありそうだ』と伝える。」
こうした発言に対して、2chには、予想どおりの反響が書き込まれています。
10 :名無しさん@13周年:2013/11/02(土) 14:38:54.66 ID:9VvDoW8R0
>>1
お前がさんざんやってきたことだろ痛いニュース(ノ∀`) : みのもんた 「頭一つ飛び出ている人をたたき、留飲を下げている。これっていじめと共通していませんか?」
44 :名無しさん@13周年:2013/11/02(土) 14:41:32.80 ID:KdDjHADd0
>頭一つ飛び出ている人をたたき、留飲を下げているあほか、
自分のこと言ってどうする痛いニュース(ノ∀`) : みのもんた 「頭一つ飛び出ている人をたたき、留飲を下げている。これっていじめと共通していませんか?」
180 :名無しさん@13周年:2013/11/02(土) 14:47:57.91 ID:z8oF8QJa0
たしかにそうだが
そのイジメで飯食ってきた人だからなぁ痛いニュース(ノ∀`) : みのもんた 「頭一つ飛び出ている人をたたき、留飲を下げている。これっていじめと共通していませんか?」
みのもんたは大衆のうつし鏡
みのもんた氏の発言で面白いなぁ、と思うのは下記。
僕の役目は江戸時代の瓦版売りのお兄さんのようなもの。配るだけでなく『ニュースの裏にはこんなことがありそうだ』と伝える。
さて、「瓦版売のお兄さん」と表現しているように、彼が語る「ニュースの裏」は、専門的な知見に立ったものというよりは、「非・専門家による意見」と見ることができます。
彼が語る「裏」は、常に大衆の方を向いています。番組を見てくれる人たちが理解できない「裏」を説明することは、彼には求められていません。そういう深みのある情報を短時間で伝えるのは難しい仕事ですし、そもそも数字が取れるとはかぎりません。
マスメディアで数字を追うという立場にいる以上、彼が語る「裏」というのは、専門的な知識のない普通の人々が思わず共感してしまう程度の「裏」に、構造的に留まります。
そして、そういう「裏」が、まさに「他人をズバッと切る」という攻撃的なものだった、と思われます。
いますよね、そういう「裏」の突き方をして話題を盛上げるのが上手い人って。人気者を公衆の面前でズバッと批判して、嫉妬する人たちの溜飲を下げるようなポジションの人。
ではそういう「ズバッ!と裏を伝える」人が、個人として悪い存在なのかというと、ぼくはそうは思いません。むしろ彼らは、周囲の意思を読み取った末に、そういう立場に立っていると考えるべきです。特にメディアにおいては「空気を読んで」彼らは悪人に徹しているのです。
この件にかぎらず、ぼくらは「マスメディアは市民のうつし鏡である」ことを忘れてはいけません。
みのもんた氏の「ズバッ!と裏を伝える」という手法とその実践は、暗にぼくらが望んでいたことです。実際、彼の手法は長らく支持されてきたことが、それを証明しています。
上に引用した通り、2chの書き込みでは「お前がさんざんやってきたことだろ」と言う意見も見受けられます。
しかし、この書き込みの主は「みのもんた氏は大衆の思いを読み取り、行動している」ことを忘れています。
もしもみのもんた氏が「お前がさんざんやってきたことだろ」という言葉を読んだら「お前らがさんざん求めてきたことだろ」と返すでしょう。これこそ、みのもんた氏が語りたいけど語れない、本当の「裏」です。
メディアと市民は、共犯関係にあります。このことに対して、意外すぎるほど人は無自覚です。
みのもんた氏の語る「裏」が浅いのは、大衆がその程度の「裏」しか理解できないからです。みのもんた氏が攻撃的なのは、大衆がそういう復讐を代理的に求めているからです。
その意味で、みのもんた氏はオリジナリティのある個人というよりは、正確に大衆の欲望を反映するロボットのようなものです(メディアというのは、大なり小なり、そういう存在です)。
大衆が馬鹿であればあるほど、メディアは儲かる
ここでのポイントは、大衆がバカであればあるほど、メディアは儲かるという点です。
「バカな大衆」というのは「思慮が浅い人々」と同義です。ちょっと思考が深い人からすれば、「バカな大衆が何を求めているか」は手に取るようにわかります。実際、「思考の深さ」というのは多様ですが、「思考の浅さ」というのはかなり共通しています(だからこそ世の中には「入門書」が存在するわけですね)。
さらに、思慮の浅い人たちというのは、周囲の意見に同調する傾向が強いため、得てして同じような知的結論に達します。何かの答えをもっているわけではなく「みのもんたが言っているから」それを己の答えにしてしまう、ということが普通にあるほどです。まさにバカですね。
メディアは、そういうバカな人間が増えれば増えるほど、コンテンツ制作のハードルも下がり、かつ、数字も取りやすくなります。
(余談ですが、ぼくはコンテンツを作る側の人間なので、しばしば「日本人が全員馬鹿だったら、ブログのアクセスも集めやすいだろうなぁ」と邪念を抱くことがあります)
メディアは資本主義に乗る以上、バカを増やそうとしてしまいますし、また、メディアで語られる言葉は、どうしたって「バカ向け」になります。頭が良い人向けのニッチコンテンツというのは、今の現状、大規模な資本主義には乗りにくいのです。
「そのイジメで飯食ってきた人だからなぁ」「お前がさんざんやってきたことだろ」と、みのもんた氏を罵るのは簡単ですが、ぼくら自身が、そのイジメを暗に求めてきた市民であることを、自覚しないといけません。
中村うさぎ氏がマツコ・デラックス氏に語った言葉を借りれば、「みのもんた」は、神輿に祭り上げられて、些細なミスで大衆の憎しみを買い、道ばたに棄てられた偶像でしかないのです。
ただね、今のあんたは「祝祭の神輿に載せられた地母神」だわ。人々は、あんたを神輿に載せて担ぎ、あんたのパワーを身に浴びながら、狂乱の祭りに興じてる。でも、その祝祭が終わったとき、人々はあんたをどうするかしら?大衆の欲望を一方的に塗りたくられたあんあたは、禊ぎとして彼らの憎しみを一身に背負い、叩き毀されて焼かれるのかもしれないわ。
まとめ。
・みのもんた氏は一見、ブーメランとも開き直りとも取れる発言をしている
・しかし、みのもんた氏は大衆の欲望を正確に反映しただけ
・資本主義的マスメディアには「大衆をバカにしていく原理」が組み込まれている
・ぼくらは「鈍感」という悪徳に陥らないために、そうした原理を、語られざる「裏」として認識しなければいけない