第981回武藤記念講座東京大会(要旨)
2013年10月19日(土)
  前侍従長
渡邉 允氏
「天皇皇后両陛下にお仕えして」
東京六本木「国際文化会館」
第一章「国民の幸せを願って」
第1節「天皇はなぜオリンピック招致には関与されないのか?」
 2020年の東京オリンピック招致運動に際しての、高円宮妃殿下のブエノスアイレスでのスピーチは、強い印象をお与えになったが、宮内庁は、このスピーチは招致運動のためではなく、東日本大震災時の諸外国からの支援に対する感謝のスピーチであるとの態度を、終始一貫とっており、政府の考えも同じである。これに対して、皇室はスポーツの祭典の招致に何故かかわってはならないのかとの声が多く聞こえるが、その理由は、招致運動は、オリンピック組織委員会委員の多数の票を獲得するための選挙運動であり、天皇は実際の政治に関与されないとの憲法の規定に従っているからである。
 即ち、天皇陛下は仲良くすることには関与されるが、争いごとには関与されるべきではなく、今回は勝ったものの、もし負けた場合天皇陛下が参加したことによる影響の大きさも考えねばならないからである。
 同じように皇位継承問題についても、これは法律の問題であり、法律の問題と言うことは政治の問題であるので、陛下はご意見を仰らないのである。< /p>
第2節「国民の一人一人に心を通わせて」
 両陛下の国民に対する思いやりは、非常に丁寧である。即ち両陛下の思われている国民とは国民全体と言う意味ではなく、国民一人一人と言う意味である。それはひとりひとりと「心を通わせて」いきたいとのお気持ちの表れである。陛下は言われたから、又は昔からやって来たから漠然と物事をされるのではなく、なさるべきことを深く勉強され、ご自分でその意義を考えられて実際に取り組んで来られたので、心を通わせることを大切にされるのである。
第3節「障害者・高齢者・被災者に心を寄せ」
 2020年の「オリンピック・パラリンピック」について、世間ではオリンピックが優先され、パラリンピックは余り意識されていないが、正式には二つ並べて呼ばれるべきである。特に陛下にとっては、パラリンピックは非常に大切である。
 陛下はご自分の大切なお務めの一つとして、福祉の対象になる障害者と高齢者の人達に「心を寄せる」ことを挙げておられるが、それは普通の人たちより重い荷物を背負い、辛い思い苦しい思いをされて一生懸命生きている人たちを、励ましたり慰めたりするためである。
 例えば、全国心身障害者スポーツ大会などの記念大会の開会式のご挨拶も、人の書いた原稿をそのままお読みになるのではなく、必ずご自分のお考えで手を入れられ、ご自分の言葉でお話になられるのである。さらに、お一人お一人に「身を寄せて」丁寧に時間をかけて真剣に話し合われるのである。
 又以上は自然災害の被災者に対しても言えることである。昔の天皇は自然災害が起これば、それは自分の不徳のいたすところであるとお祈りをされたが、陛下は被災者に「心を寄せる」ことを実践され、雲仙普賢岳から始まり、阪神淡路大震災、そして近くは東日本大震災においては七週間続けて毎週一回、現地にお見舞いに行かれたのである。
第1節「高齢化の進む遺族」
 陛下は,「終戦時の印象は疎開先から帰った時の焼け野原にトタンの家の立つ東京」であると仰せられているが、さきの大戦の犠牲者である日本傷痍軍人会と日本遺族会の婦人部、さらには近歩一会(天皇をお守りした近衛歩兵第一連隊の会)が高齢化のため組織が成り立たなくなった際の解散の式典にも出席され、お一人お一人に丁寧に声をかけられた。
第2節「黙祷と慰霊の旅」  陛下は皇太子時代の記者会見で、沖縄戦で組織的抵抗の終わった六月二十三日、広島に原爆の投下された八月六日、同じく長崎に投下された八月九日、終戦の玉音放送のあった八月十五日の四つの日は日本がどうしても記憶しなければならない追悼の日であるとされ、それぞれの慰霊祭の行われる時刻に合わせて、毎年黙祷をされていると述べられたことが、私には強く記憶に残っている。  それが原点となって、天皇になられて平成七年の戦後五十年の節目には、特に大きな戦禍を受けた長崎、広島、沖縄に行かれた他、東京大空襲の犠牲者の霊が祀られている東京都慰霊堂を訪れられた。さらに十年経った六十年の節目にはサイパン島への慰霊の旅に出かけられた。そしていずれの訪問地でも遺族を励まし慰められたのである。
第3節「沖縄への特別の思い」  特に沖縄については、特別の思いをお持ちになっている。沖縄は琉球という独立王朝であったが、薩摩の島津氏が間接統治して日本に吸収された。(尚陛下の祖母上が島津家のご出身で天皇も島津の血を引いておられることも意識されておられる)。又先の大戦においては多くの民間人を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われ、二十万以上の人が亡くなったのに、日本が主権を回復した後も取り残されて、昭和四十七年の本土復帰までアメリカの施政下に置かれていた。このような困難と苦しみに耐えてきた沖縄の特殊な歴史を深く認識することが、沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると一途に思われたのである。  ひめゆりの塔の事件があった第一回から九回訪問されているが、その訪問の際には、必ず最初に南部戦跡で戦没者の慰霊をされている。そのきっかけは皇太子時代の本土と沖縄間の「豆記者交歓」を後押しされたのがスタートであり、「琉歌」という短歌を勉強されて、心のこもった鎮魂の歌も読まれた。  陛下は沖縄の人達に対して、まさに次に述べる「国民統合の象徴」としてのお役割を、果たされているのである。
第三章 「時代とともにある天皇」第1節「象徴天皇へ思いを込めて」
 憲法によれば、天皇は日本国及び日本国民統合の「象徴」であると規定されているが、何をどうすれば象徴天皇に相応しいかを、陛下は毎日毎日考えておられるのである。
 昭和天皇も象徴天皇であられたが、明治憲法の時代は統治権の総攬者であられたので、そこからあるものを引けば自然に象徴になるので、元入江侍従長がこの方は人間であると広められた。
 然し今上天皇は始めから象徴であり、人間的であることは当たり前となるのである。
第2節「両陛下の素顔のお人柄」
 陛下は純粋で真面目で勤勉であり、無駄にぼんやりされていることがない。従って休んでいただくことが難しく、「やりたいことをやっているので疲れない」と言われるのである。また一つ一つのことに手を抜かれることがない。
 皇后陛下におかれても、ものを流すことをなさらないので、一度お会いした人達のことをよく覚えておられ、再び会われた時に、その人の琴線に触れる会話をされるのである。それは毎日沢山の人と会話されるのに、適当に話しを合わされるのではなく、その人と集中して真剣に相対しておられるからである。
第3節「皇位継承について」
 これからは私見である。将来天皇に跡継ぎの方がおられなくなった場合のことを考え、戦後に臣籍降下された旧皇族に皇族へ復帰していただき、その中から天皇になっていただくべきという主張があるが、私はそれに与するものではない。
 即ち、「血の一滴が繋がっている」ことが大切なのか、「皇族として陛下が毎日なされることをお近くで見てこられている」ことが大切なのかの問題である。天皇の背中を直接見ていないのに、ただ血の繋がりだけで天皇になっても、現在及び将来の皇室の役割は果たせないだろう。
 従って過去に八名おられ、立派にその役割を果たされた「女性天皇」を可能とするべきであり、「女系天皇」についても、確かに百二十五代男系が続いた歴史的事実があるが、それはその時の社会情勢がそうしたのであり、又一夫多妻が許されていたことが大きいことを考えるならば、同じく可能とするべきである。
「質疑応答」 質問1
 ここ何年間、ほぼ毎週のように週刊誌に皇室のことが書かれている。記事を見ると宮内庁の「ある関係者」が情報源と書かれているが、そのリークに対してどのような対策がなされているのか、あるいはなされていないのか、宮内庁のガバナンスはどうなっているのか?
「応答」  週刊誌のソースの書き方はなるべく誰か判らないように「宮内庁関係者」などと書かれているが、その関係者は宮内庁高官ではない。それは宮内庁担当の記者である場合が多いと思われるが、そもそも関係者という言葉自体が、どこまでが関係者なのか不明確である。宮内庁の人は弁護こそすれ、悪いことを漏らすことは、ありえない。
質問2
 民主党時代、30日ルールを破って習近平氏の天皇陛下への拝謁が行われたがどのようなプロセスで行われたのか
「応答」  具体的プロセスについては自信を以ってお答え出来ないので回答を差し控え
たい。私見になるが、基本的には時の官房長官が30日ルールを知らなかった民主党政権の未熟さによるものである。然し例外的かもしれないが、結果的には会われてよかったのではないか、会われなかったら問題がこじれたかもしれない。
質問3
 皇太子時代の小泉信三氏やバイニング夫人の教育が陛下にどのような影響を与えたか?
「応答」  世間ではご両人とも陛下に大きな影響を与えたと言われている。然し陛下はお二人だけでなく、その他にも大勢の先生に(帝王)教育を受けて来られた。お二人の内では小泉先生の影響が強いと思われるが、バイニング夫人の評価は定かではない。ただ夫人が「ご自分でものを考えなさい」と教育されたことが、夫人の書物に書かれている。上記の通り陛下のご自分でものを考える習慣に影響を及ぼしたのかもしれない。
質問4
 陛下が新嘗祭を執り行っておられる間、皇后陛下はどうされているか?
「応答」  陛下のなされる祭りごとは、宮中三殿を中心に、年20回位あり、それぞれ目的がある。それは国としての平安と国民の幸せへの祈りであり、私心なきものである。なお憲法では政教分離が決められているので、天皇は国の機関として祭りごとをなされるのではなく、皇室の私的な行事としてなされている。然し実体としては上記の通り私事ではなく、国と国民のために行うのである。新嘗祭の際、皇后陛下は「おしずまり」で拝礼はなされず、御所におられて遥拝をされている。