【中韓サヨナラ…世界の親日国】メキシコ、不平等条約改正の“恩義”と高まるWin-Winの経済関係
10.24
★(3)
日本とメキシコの絆は、1609年(慶長14年)、メキシコ船サンフランシスコ号の遭難事件から始まった。メキシコは当時、「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」と呼ばれ、スペインの植民地だった。同様の植民地フィリピンから、ドン・ロドリゴ前総督ら373人を乗せてメキシコに向かった船は、現在の千葉県御宿沖で座礁し、現地住民の献身的な努力によって317人が救助されたのだ。
ドン・ロドリゴは、江戸で徳川2代将軍・秀忠に会い、さらに駿府城(静岡市)に引退していた家康にも謁見した。家康は一行を歓待しただけでなく、座礁した船に代わって120トンの船を新造し、ドン・ロドリゴなどを無事メキシコに送り届けたのだ。
その369年後、1978年に来日したメキシコのロペス・ポルティーヨ大統領は御宿にヘリコプターで飛び、現地住民が遭難者に与えた人道的な救助に対し、丁重な感謝の言葉をささげた。
明治における不平等条約の改正と、敗戦後の日本の国際社会への復帰に関して、日本はメキシコから受けた恩義を忘れてはならない。
1888年、日本はメキシコと通商条約を締結したが、これは日本がアジア以外の国と初めて結んだ平等条約であった。日本が関税自主権を確立し、治外法権を撤廃した最初の条約だったのである。日本はこれを実績として、次々と西洋諸国との条約改正に成功する。これは駐米公使の陸奥宗光が発案し、実行した戦略であった。日本政府はメキシコの不平等条約改正に感謝し、その大使館用地として、永田町の一等地を譲渡した。
1948年の国連総会では、メキシコは日本との講和条約を提案し、51年にはサンフランシスコ講和条約をいち早く批准してくれた。メキシコは42年に日本に宣戦布告したが、日系人は米国のように収容所生活を強制されることはなく、差別や弾圧もなかった。
2005年に日本・メキシコEPA(経済連携協定)が結ばれて以来、両国間の経済関係は発展し、日本の対メキシコ直接投資は著しく増大している。05年から12年までの累積投資額は93億ドル(約9121億円)を超え、米国を上回った。自動車関連産業の進出が目立っている。
メキシコはもうすぐ日本の人口を越えるし、人口ボーナスは今後20年は続く。メキシコの輸出製造業は、中国のそれを凌駕しつつある。メキシコの輸出競争力は、労働力とエネルギー、輸送コストの安価さと、通貨安で支えられている。
「反日」の中国より、「親日」のメキシコに進出する企業が増えている。メキシコは食糧輸出も盛んで、日本は近年、豚肉やカボチャ、アボカドなどを大量に輸入している。長い歴史に裏打ちされたメキシコの親日度は高まるばかりだ。
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)
日本とメキシコの絆は、1609年(慶長14年)、メキシコ船サンフランシスコ号の遭難事件から始まった。メキシコは当時、「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」と呼ばれ、スペインの植民地だった。同様の植民地フィリピンから、ドン・ロドリゴ前総督ら373人を乗せてメキシコに向かった船は、現在の千葉県御宿沖で座礁し、現地住民の献身的な努力によって317人が救助されたのだ。
ドン・ロドリゴは、江戸で徳川2代将軍・秀忠に会い、さらに駿府城(静岡市)に引退していた家康にも謁見した。家康は一行を歓待しただけでなく、座礁した船に代わって120トンの船を新造し、ドン・ロドリゴなどを無事メキシコに送り届けたのだ。
その369年後、1978年に来日したメキシコのロペス・ポルティーヨ大統領は御宿にヘリコプターで飛び、現地住民が遭難者に与えた人道的な救助に対し、丁重な感謝の言葉をささげた。
明治における不平等条約の改正と、敗戦後の日本の国際社会への復帰に関して、日本はメキシコから受けた恩義を忘れてはならない。
1888年、日本はメキシコと通商条約を締結したが、これは日本がアジア以外の国と初めて結んだ平等条約であった。日本が関税自主権を確立し、治外法権を撤廃した最初の条約だったのである。日本はこれを実績として、次々と西洋諸国との条約改正に成功する。これは駐米公使の陸奥宗光が発案し、実行した戦略であった。日本政府はメキシコの不平等条約改正に感謝し、その大使館用地として、永田町の一等地を譲渡した。
1948年の国連総会では、メキシコは日本との講和条約を提案し、51年にはサンフランシスコ講和条約をいち早く批准してくれた。メキシコは42年に日本に宣戦布告したが、日系人は米国のように収容所生活を強制されることはなく、差別や弾圧もなかった。
2005年に日本・メキシコEPA(経済連携協定)が結ばれて以来、両国間の経済関係は発展し、日本の対メキシコ直接投資は著しく増大している。05年から12年までの累積投資額は93億ドル(約9121億円)を超え、米国を上回った。自動車関連産業の進出が目立っている。
メキシコはもうすぐ日本の人口を越えるし、人口ボーナスは今後20年は続く。メキシコの輸出製造業は、中国のそれを凌駕しつつある。メキシコの輸出競争力は、労働力とエネルギー、輸送コストの安価さと、通貨安で支えられている。
「反日」の中国より、「親日」のメキシコに進出する企業が増えている。メキシコは食糧輸出も盛んで、日本は近年、豚肉やカボチャ、アボカドなどを大量に輸入している。長い歴史に裏打ちされたメキシコの親日度は高まるばかりだ。
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)
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