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Section.14 壊れかけのラジオ(3)
 アクセルがちぎれるほど捻っても、VFRのテールランプはどんどん遠ざかっていく。
「がああーっ! 」
 アイコはヘルメットの中で叫び声をあげた。
 次の大きなS字を、教科書のように奇麗なリーンウィズのフォームのままスローイン・ファストアウトで無造作に走り抜けていく史郎とVFRに、アイコとSDRはついていくことも出来ない。自分の限界ギリギリまでSDRを引っ張っているつもりだが、そもそも基準になる速度帯そのものが違う。タコメーターはつねにレッドゾーン手前で上下し、SDRのエンジンが悲鳴をあげる。カーブの出口からの急勾配では、シフトダウンしても速度が上がらない。
 VFRのテールランプは、坂の向こうに消えて見えなくなった。
 SDRは、半分泣き叫ぶようなエンジン音をまき散らしながら、ようやく坂を越える。
 アイコは、知っていた。もう、SDRと自分では、VFRには追いつけないことを。坂の向こうはすぐに左のヘアピン・カーブ。ここだけは、ひょっとするとSDRの方が速くクリアできるかも知れない。だが、その次は、緩い勾配の、ちょっと長い直線。
 この峠で、一番馬力がものをいう場所。
 ここで、ただでさえ開いてしまったVFRとの差は決定的になるはずだった。
 この直線の次は急激な右カーブ、出口で一度左に小さく曲がり、もう一度急激な右カーブ。ガードレールの無い、右カーブ。
 久と摩耶の死んだ場所。
 アイコは、それでも、スローダウンしなかった。
 VFRと史郎に歯が立たなかいのは口惜しかったが、それが現実だった。
 アイコが自分なりの全力で残りの道のりを走り終えると、ガードレールの切れた少し先に、VFRが停まっているのが見えた。
 ライダーのヘルメットは、ガン・メタルのシンプソン・バンディット。オレンジ色のジャック・ウルフスキンのトレイル・ジャケットに、VFRとはアンバランスなくらい小柄なシルエット。
 史郎は、シートにまたがったままヘルメットを外して、アイコを待っていた。
 アイコはブレーキをかけて、ジャックナイフ気味にVFRの隣に並ぶ。
「ちっくしょう、口惜しい! 」
 アイコは、ガン、ガンと自分のヘルメットの頭を拳で殴った。史郎とお揃いの、シンプソン・バンディット。
「おいおい、用具は大切にしろよ」
 サイドスタンドをかけ、エンジンを停止してシートから降りながら、史郎が言う。
「仮にも身を守ってくれるもんだぞ」
「きいい! 」
 アイコは金切り声をあげ、グローブを外して史郎に投げつけた。
「なんだよ、実力差見せつけてあたし凹ますのが目的?! 」
「アホか」
 ばし、とアイコに投げつけられたグローブを受けとめて、史郎はアイコに歩み寄る。じっと目を合わせられて、アイコは我を忘れ、思わず息を飲んだ。
「言っただろう。お前の質問に答える方法、思いついたって」
「……え? 」
 アイコは、一瞬何を言われたのかが分からず、ヘルメットの中でぽかんと口を開ける。史郎は薄い唇の端をつりあげてにい、と笑い、アイコのヘルメットを外してやる。
 くせのない猫毛のショートカットが、風に舞う。
「まず、俺が上泉久を殺したか、どうか。どう思う? 」
「どう、って……」
「いやしくも上泉久は、GSXーR750で俺のVFRとほぼタメを張る走りだった」
「え」
 史郎は、アイコの髪をくしゃ、と軽くつかんで、撫でながら離した。汗とヘルメットの圧力でちょっと固まっていたところをほぐすように。サラサラと、アイコの耳を髪がなぶる。史郎は、アイコの目を見たまま、言った。
「どう思う? 」
 アイコは、答えられない。何を聞かれているのかもあまりよく分からない。というより、思ったより史郎の顔が近いほうにどぎまぎし、心拍数があがっておちついて考えられない。かなりギリギリのペースでバイクを走らせたので、アドレナリンが体中を駆け巡っているみたいだった。
 アイコが答えないでいると、史郎はふっと肩をすくめ、少しアイコから離れて、もう一度尋ねた。
「いくら今より若くて、今のお前より多少腕が良かったっつっても、そのSDRで、俺があいつの前を、事故らせるようなペースで走れると思うか? 」
「あ……」
 アイコは、ようやく史郎の言わんとするところを理解した。すう、と息を吸って、言う。
「無理、だと思う」
 ついさっき、史郎を追いかけて走ったときのことを、アイコは思い出す。どれだけアクセル・グリップを捻っても追いつけない、絶対的な馬力の差。たとえちょっとくらいブレーキを遅らせ、カーブを速く曲がっても、登りの直線だけでそんな差は無くなってしまい、結局引き離される。曲芸みたいな危ない走り方をしなければならないのはSDRの方で、馬力のある大型車は基本に忠実に走っていれば余裕でリードできてしまう。
「正解……お前、やっぱ天才だな」
 史郎が、嬉しそうに言う。
「この峠の登りで、同じレベルの腕ならSDRでGSX−Rを振り回すなんてことは不可能。上泉久の腕は俺と同レベルか、若干上。つまり、」
「先生のせいで、久さんが死んだわけじゃない、ってことですか」
 アイコは、探るように、尋ねる。
「その通りだ。直接話したことはないが、なんどか峠で絡んだことがあるから分かる。あいつの腕は俺以上さ。それにしても、」
 史郎は、少し眩しそうに目を細めて、アイコの姿を改めて確かめるように眺めた。
「バレエで身体鍛えてたおかげで、筋力、反射神経、集中力とも、ライダーとしては理想的だと思ったんだ。これから特訓してレーシング・ライダー目指すっつっても笑われないぜ」
「……レースとか、興味ないです」
 アイコは、何故か俯いて、小さな声で答えた。サイドスタンドをかけてエンジンを停め、両足を揃えてシートにちょこんと腰かける。
「じゃ、どうして一樹さんは、あんな風に……先生が殺した、なんて……言ったんだろう」
「一樹さん……北原一樹のことか」
 史郎は、何故かちょっと苛立ったように目を細める。
「ついさっき、本人にも言ったんだが。それはあいつの……お前の彼氏の、早とちりだよ」
 史郎は、大げさに両手を上げて、天を仰いだ。
「あいつの基準じゃ、久が事故るなんて夢にも思わなかったんだろうな」
「それで、原因を相手に求めた? 」
 アイコはシートから飛び降りて、上目遣いに史郎をにらみながら言った。下がりかけていた血がまた、頭にのぼる。
「まあ、そんなとこだろうな……」
 アイコににらまれて、史郎はちょっと驚いたような、意外そうな顔をした。
「……どうした? 」
「……」
 アイコは、史郎から目を逸らして、背中を向けた。
 なんとか、我慢しようとして、結局、抑え切れない。アイコは両手で顔を覆ってしゃがみ込むと、急にしゃくりあげ始めた。
「わ、どうした? 」
「先生、酷い」
 結局、ぼろぼろ涙がこぼれるのを止められない。自分の情けなさも含めて、いろいろな感情が吹き出してくる。
「……じゃない」
「なんだ? どうした、アイコ! 」
「……一樹さんは、彼氏、なんかじゃないよう……」
 アイコは史郎に向き直り、史郎の胸をぽかぽか叩きながら、わめく。
「一樹さんは鈍感だけど優しいし、雨降ったときに迎えに来てくれて、お風呂入れて着替えさせてくれたりしたけど。嫌いじゃないけど、彼氏じゃないよう! なんでそんなこというんだよう。意地悪だよ、先生は! 」
「ええ?! 」
 史郎は、本気で驚いたようだった。思わず、がし、とアイコの肩を掴む。
「そうなのか? 」
「そうだよう、何勝手に思い込んでるんだよう! 」
 アイコは泣きじゃくりながら、史郎の手を振りほどこうとするように無茶苦茶に暴れる。
「だいたい、前にあたしの前を通り過ぎるとき、ひとっつも気付かないでさあ! 」
「はあ? なんのことだ? 」
「下のドライブインのところで、GPzに乗ってるあたしを見たでしょ! 大声で先生のこと、呼んだのに、全然気付いてくれなかった! 」
 史郎は一瞬考え込み、それから、何かに思い当たったように、あ、と小さく声をあげた。
「あれ、お前だったのか。誰かに呼ばれた気がしたんだが、確かに。でも、髪が金髪に染めてなかったから見過ごした……」
 史郎は少しバツが悪そうに目を伏せ、それから、気を取り直して、言った。
「……あはは。あの雑誌の表紙、もう金髪じゃなかったのにな。どうも、家庭教師やってたときの印象が強すぎたんだな」
 史郎の知っているアイコは、金髪に髪を染めた、学校にはちょっと目をつけられている不良生徒だった。アイコは、金髪を頑としてやめようとしなかった。その理由は、「お母さんと同じ髪になりたい」という素朴なものだったのだが。その金髪のおかげで、アイコは悪い意味で目立ち、札付きのワル扱いを受けていた。本人には全く不良っぽい意識はなかったのだが、自然とそういう友人に囲まれていた。ぶっきらぼうで無口、結構腕っ節が強かったおかげで、勝手に回りに取り巻きができていた。アイコが髪を地色に戻したのも、そもそも史郎が「ママになろうとするより、アイコであった方がいい」とかなんとか言ったせいなのだが。
「気付かなかったのは悪かった。だけど、それが、二つ目の答え、でもある」
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