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  アリィ 作者:慧子
懺悔と慟哭と白い部屋

夢をみた。

死んだ母の夢。

私を抱きしめて、「大好きよ」とほほえむ母の夢。

何度となく繰り返されてきた、この記憶の自動再生。

ただ、いつもと違うところがあった。

ずっと幼いままだった私は、今の私に成長していて、コントロールできる意識を持っていた。


「ほんとに?」


だから私は母の肩越しにたずねた。

――本当に私のこと、好き?

母は優しくうなずいた。


「じゃあ、今の私は?」


母は不思議そうな顔をした。


「今の私のことも、好きでいてくれてるの?」


臆病で、人とうまくやれなくて、勝手に自分の殻に閉じこもって、屁理屈ばかりこねて。

たったひとりの『親友』さえ守れなかった、こんな私を。


「……もう、疲れちゃったよ」



――お母さんのところに、行きたい。



でも、母は首を縦に振ってはくれなかった。

柔らかい笑顔でもう一度私を抱きしめると、名残惜しそうに離れ、そのままどこかへ歩き出した。


追いかけることは、しなかった。

母の言わんとすることは分かったのだ。

私はまだ、苦しみ続けなければならないらしい。


初めて見た母の背中。

もう、夢でさえ会えなくなるのだな、と思った。

それなら、しっかりと焼きつけておこう。

母の背中を、ほほえみを、ぬくもりを。


私を苦しみばかりの世界に産み落とした張本人は、とても穏やかに消えていった。

不思議と憎しみは湧いてこなかった。

私が消えるときも、ああして穏やかに消えることができるだろうか。

ただ、そうぼんやりと思って、目を閉じた。




次に目が開いたとき私を襲ったのは、白い天井と気がふれそうなほどの激痛だった。


いたい


声に出したいのに、うまく喉が鳴らない。

シューシューと聞こえるのは、口元を覆う透明なマスクから。

なんだこれ。

手を伸ばそうとしたけれど、できなかった。

体が五倍くらいに腫れ上がったようで、とても動かせない。

痛い、痛い。

辺りをぐるりと見回すと、たくさんの管が見えて、それは全部私に繋がっていた。

それと同時に、右目が見えないことにも気がついた。

何かに目隠しされているようだが、暗闇の下がじぐじぐと痛んでいる。

どうなっているんだ。

やっとのことで出せたのは、声にもならないうめきだった。

それすらも体にかなりの負担がかかって苦しい。

ふうふうと浅い息を繰り返していると、青い布をかぶった父が視界の端に現れた。

「おい、由紀子!気がついたのか!?」

給食係みたいな格好をして、バカみたい。

それなのに父は、そんなこと気にもしないで私の枕元にすがりついてきた。

「大丈夫か?俺が誰だか分かるか?」

大きな声を出されると、ますます痛みが増す。

非難の意をこめてうめくと、父はその場に崩れ落ちた。

「悪かった!俺が悪かった!俺がちゃんとお前のことを見ていなかったから……
気づけなかったんだ、お前がそんなに苦しんでたなんて。
こんな、こんなことに……俺がちゃんとしていれば、お前はこんなことにはならなかったのに……!」

酔っ払いよりも心もとない、震えた声だった。

「俺のせいだ!俺のせいでお前はおかしくなって、だから事故なんかに……」


事故。

違う。


「お前が、し、死んだら……どうしようかと思った……!」


だんだんと状況を把握できてきて、私は今、この意識のある現実に愕然とした。

私は事故に遭ったんじゃない。

向かってくる車を、きちんと認識していた。

私はあのとき、わざと。



あれは自殺だった。



自分が『ギャル』になりきれていないことは分かっていた。

アリィが、もう戻ってこないってことも。

それでも認めさえしなければ、現実から逃げ続けていれば、いつか本当に狂って楽になれると思った。


でもダメだった。

狂いきれなかった。

だから死ぬしかないと思った。

今なら死ねると思った。

車に跳ねられて、この体がぐちゃぐちゃに飛び散れば、私を苦しめていた奴らをこれ以上なく不快にしてやれると思った、それなのに。


私は、死にきれなかったんだ。


これからどうするんだ、一体。

生きていても仕方がないのに。

私はみんなに嫌われているし、害にしかならない、いっそ死んだ方がマシだった。

それなのに死ねなかった上に、ベッドの上でぐるぐる巻きになって、管を突っこまれて、こんな気が狂いそうなほどの痛みに『生』を突きつけられている。

腫れ上がった肉体が、「お前は生きている」と思い知らせてくる。


情けない。

情けない。

でも、もっと情けないのは、死ななかったことにほっとしている自分が心のすみっこに確かに存在していることだった。


母について行くことだって、きっとできたはずだ。

でも、私は行かなかった。

別れは寂しかったけれど、ついて来るなと突き放され、それをすんなり受け入れてしまった。

本当は生きたかったのだ。

そうじゃなかったら、とっくの昔に綺麗さっぱり死んでいた。

それでもそうしなかったのは、私がそれだけ『生』に執着していた証拠。

みっともない。

こんなに痛いのに。

生きていてもつらいだけなのに、息をすることを止められない。


苦しい。

苦しい。



「しに……たい……」



酸素吸入器の下でつぶやいた瞬間、父はわあっと泣きだした。

「由紀子、ごめんなあ……ごめんなあ……!
もうどこにも、いかないから……!お前のそばにいるから!
だから、死なないでくれぇ……!頼むよぉ……!」


何を、いまさら。

全部、いまさらだ。


「しにたい……しにたいぃ……」


「ごめんなあ、ごめんなあ由紀子……!」


死にたいと繰り返す私に、ひたすら泣いて謝り続ける父。

消えない憎しみと、怒り。

だけど、どこかで消しきれていなかった家族という意識が、忘れていた愛情というあたたかい光をわずかに灯した。

今の私に、このぬくもりは悲しすぎた。


「由紀子、許してくれ由紀子……!」


途絶えぬ嗚咽。

明るすぎる照明。

真っ白な視界。

胸がえぐれる。



痛い。

死にたい。

痛い。



……生きたい。



左の目尻に涙が伝った。





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