ヘブンズダイブ
翌朝。
天気、快晴。
まるで太陽まで私を応援してくれているみたいだ。
短いスカート。
手のこんだメイク。
真っ赤に塗った爪。
そして、金髪のポニーテール。
どこからどう見ても『ギャル』だ。
ローファーやオシャレなスニーカーは用意できなかったけれど、とりあえずアリィを返してくれるようにカナエ達と交渉する、という目標は達成できるレベルだろう。
問題は、いつどうやって話をするか、ということ。
考えた結果、学校に行けばどこからどう見ても『ギャル』の私は『運命の分かれ道』で五十嵐先生に捕まるだろう。
そして、きっと体育教官室に監禁される。
そうしていれば、そのうち登校してくるアリィやカナエ達もそこに連れて来られるはずだ。
カナエ達よりも少し早く登校して、一般の生徒から隔離された場所で確実に待ちぶせできる、これは最良の計画である。
さっそく実行すべく、私は意気揚々と家を出た。
目立つこと、人と違うことは、悪だと思っていた。
でも、私を見た瞬間にみんなおののいて道を開ける、この快感。
カナエ達があれだけ偉そうにしている理由が分かった。
人は見た目をおおいに重視して、その者への態度を変える。
こんな扱いを受けていれば、勘違いしてしまうのもうなずけた。
いつもの通学路には、海が割れる神話のように、私のための道が拓けていく。
みんな私を遠巻きに見ている。
今までの、差別的な、排除的な目じゃない。
私という存在に驚き畏怖する目だ。
もう私は人の目を気にして地味に徹しようとしてできなかった中途半端なはみ出し者じゃない。
守りたい者のために、闘うために、あえて歌舞伎者を演じる勇者だ。
正門が見えてきた。
あの先には、五十嵐先生が立っている。
これまではその屈強な体で子供を威嚇できてきただろうけれど、残念ながら私はそう簡単に屈しない。
それどころか利用してやろうと思われているなんて、想像すらしていないだろう。
門をくぐる。
いよいよ時計台の下に、腕組みをして立っている五十嵐先生を認めた。
さあ、来い。
何とでも言え。
そして私を捕まえるんだ!
案の定、『運命の分かれ道』は私の登場によって騒然となった。
どよめく生徒達。
「お前……」
五十嵐先生は絶句している。
次から次へと問題児が現れて、可哀想に。
同情はする、でも反省はしない。
どんなに怒鳴られたってののしられたって、この心は揺るがない。
そんな私の気合に押されたのか、五十嵐先生は予想に反し、静かに私を促した。
「こっちに来なさい」
私はおとなしく五十嵐先生の後に続いた。
五十嵐先生が向かったのは、運動場の方向。
このまま体育教官室に連れて行かれるのだ。
計画通り。
これでアリィに会える。
しかし、目の前の大きな背中は教官室の扉の前を通り過ぎて行った。
どういうことだ。
五十嵐先生が歩みを止める気配はない。
教官室でないなら、職員室だろうか。
しかし、この方向に職員室はない。
だってその先は教室があるのとは別棟の、健康な生徒にはあまり馴染みのない校舎。
渡り廊下の先にあるのは、事務室と、それから。
「ここで靴を脱いで、スリッパに履き替えなさい」
あるのは、この先にあるのは。……
私を迎え入れた女性は、五十嵐先生同様絶句した。
「すみませんが、この生徒をあずかっていてくださいますか。
すぐに親御さんへ連絡をしますので」
「……え、ええ……」
「至急、担任にも報告してこちらへ向かわせますので、それまでどうか」
「はい、はい、分かりました」
五十嵐先生はこそこそと話をすませると、足早に出て行った。
この保健室から。
どうして。
どうして私は保健室に連れて来られたんだ。
アリィやカナエ達は体育教官室だったし、他の校則違反の生徒だって運動場に集められると相場は決まっている。
なぜ私だけ、こんな薬品臭くてやたらカーテンが多い白い部屋に閉じこめられなければならないんだ。
「どうして」
口に出すと、保健の先生はわずかに肩を揺らして頬を引きつらせた。
「ま、まあ、立ちっぱなしもなんだし、ほら、こっちへ来て座って。
お茶でも淹れましょうか」
四十代半ばのこの女性は、まるで腫れものにでも触れるかのように、やんわりとした口調を作りこんで、私のためのパイプ椅子を用意してきた。
その態度がしゃくに障って、私はできるだけ感情をおさえて疑問をぶつけた。
「どうして怒らないんですか、先生も、五十嵐先生も。
私、校則違反じゃないんですか」
「その前に、座りましょうよ。少し落ち着きましょ」
「私は落ち着いてます質問に答えてください!」
彼女は表情を硬くし、押し黙ってしまった。
いけない、怒鳴ってしまった。
でも納得がいかない。
これじゃあ計画が台無しだし、アリィを取り戻せない。
私があせるのは当然だ。
「どうしてですか」
感情の激流を必死に押さえこんで再び問うと、先生は硬い表情のまま、静かに言った。
「おしゃれが、したかったの?」
難しい質問だった。
オシャレにまったく興味がなかったといえば嘘だし、着飾っている過程はとても楽しかった。
それそのものを楽しんでしまったという結果からしてみれば、答えはイエスでも間違ってはいないのかもしれない。
でも、目的は『ギャル』になることであり、これはアリィを奪還するための作戦であることは揺るぎない。
ただ単にオシャレがしたかったわけではない、ここはノーと答えるほうが圧倒的に正しい。
しかし、この作戦をこの無関係な大人に話して何になるのか。
この大人がアリィを取り戻してくれるとでもいうのか。
そんなの、考えるまでもない。
結局黙ったままでいると、先生はまっすぐに私を見すえて「こちらへ来なさい」と言った。
その目にもう動揺は見当たらず、むしろ私と向き合おうとする決心のようなものが見て取れたので、私はそれに従うことにした。
「さあ、この姿見で自分のことをよくごらんなさい」
何をいまさら。
鏡など見たって、そこには完璧な『ギャル』が映し出されるだけであるのに。
それでもしかたなく、渋々姿見の前に立って。
私は思わず鏡に飛びついて、映った自分の顔を手でこすった。
「……やっぱり、気づいてなかったのね」
なにこれ、おかしい、嘘、絶対こんなの。
だって、私は『ギャル』になったんだ。
一晩かけて、あんなにがんばってアリィ達と、雑誌のモデルと同じようになったのに。……
「あなた、今ひどい顔してるのよ」
「嘘だ!ウソだウソだウソだ!」
そんなわけない。
目の周りが真っ黒ににじんでいて、上まぶたの真ん中には油性ペンで引いたみたいな線が一本通っていて、下まぶたにはクマみたいにインクが溜まっていて、眼球と頬はバカみたいに真っ赤で、口の端にはグロスがヨダレみたいに垂れていて、ゲジゲジの芝生に一本線を引いたみたいなそれはもう眉毛ではなくなっていて、髪の毛はまだらなヒョウみたいで、頭皮から額は赤くただれていて、スカートも綺麗に縫ったはずなのに折り返した部分が一カ所べらんと垂れ下がっていて、ハサミで切った部分からほつれた糸が大量になびいていて、そんなボロボロの短いスカートと野暮ったいままの大きめなジャケットとのバランスがあまりにも悪すぎて、ひどすぎて、あんまりで、
「これは違う!こんなの違う!」
叫んでいたら、姿見が倒れて粉々に割れていた。
「落ち着いて!現実を見なさい!あなたは自分を見失ってる!」
「違う、現実を見失ってるのは私じゃない、アリィだ!
私はアリィを助けないと!私はカナエ達みたいな『ギャル』になったんだ!
カナエ達に会わせて!アリィに会わせて!」
「しっかりして、渡辺さん!」
肩を大きく揺さぶられて目を見開くと、そこには麻生先生がいた。
「渡辺さん、どうしたの?何があったの?」
麻生先生の黒目がちな目からは大粒の涙がぼろぼろこぼれていて、小さいけれど温かい手が私の手をぎゅうぎゅう握ってくる。
「悩みがあるの?有田さんのことなの?」
麻生先生。
体育教官室までアリィを追いかけて行ったとき、五十嵐先生は関係ないと切り捨てた私のことを、麻生先生はフォローしてくれた。
「先生……」
「大丈夫よ渡辺さん。先生、渡辺さんのお話ちゃんと聞くから」
麻生先生なら分かってくれるかもしれない。
だって麻生先生はいつも一生懸命だし、私なんかのことを気にかけてくれてる。
「ゆっくりでいいから」
その場にしゃがみこんだ私の肩を抱いて、
「だから教えて。何をそんなに苦しんでるの?」
そっと寄り添ってきた、麻生先生の白いスカートが目に飛びこんできた。
その白いスカートの下、太ももにベージュのガードルのレースが浮いて見えている。
白いスーツ。
確信犯の目配せ。
甘い香水のにおい。
ざあっと鳥肌が立った。
あの白いスーツの女と同じ。
こいつも『メス』だ。
信用できない。
「触るな!」
私は麻生先生の手を払いのけた。
「渡辺、さん……?」
「近寄るな!」
ものすごい吐き気に襲われる。
『たかがせいりつうで』
『あ、もしかしてぶちょうのむすめさん?』
『かわいらしいおじょうさんですね』
『けっこんしたいひとがいるんだ』
敵だ。
みんな私を裏切る、みんな敵だ、敵だ!
「あ、渡辺さん、どこに行くの!?」
助けて、助けて!
アリィだけなんだ、アリィどこにいるの?
私はアリィを探して駆け出した。
アリィ、アリィ、アリィ!
ぜいぜいと乱れる呼吸の中、口内で小さく唱えながら走る。
運動場を抜けて、正門を出た。
登校中の生徒達が悲鳴をあげて私から遠ざかる。
避けきれなくて肩がぶつかったりもしたけれど、倒れそうになりながらも私は走った。
私は何も間違っていない。
私はまともだ。
まともじゃないのは周りの方だ。
簡単に人を裏切る。
裏切らないのはアリィだけだ。
アリィ、アリィ、アリィ。……
走って走って、駅に近づいてきたとき、ついに見つけた。
アリィがいた!
カナエ達とも一緒だ。
通勤通学ラッシュで人が混み合う時間なのに、その四人だけが強烈な色を放っている。
ようやくたどり着いた。
この思いを、どうか話を。
「アリィ!」
私は喉をふりしぼって叫んだ。
この声はしっかり届いたようで、アリィだけでなく周囲にいた人間のほとんどがこちらへ視線を向けた。
アリィと目が合った。
それだけで気持ちがたかぶる。
「アリィ、アリィ!」
私は話ができる距離まで近づこうと、さらに走るスピードをあげた。
しかし。
「うわぁ、なにアイツ!」
「マジきめぇ!」
「ヤバいって、こっち来てる!いやぁ!」
カナエ達が、顔面蒼白になって学校とは逆の方向へ走り出した。
アリィも全身の毛が逆立ったような驚愕と恐怖の入り混じった表情で、カナエ達のあとに続いていく。
アリィが、離れて行く。
「どうして話を聞いて!ねえ見て!
アリィ達と同じ、髪も染めたしメイクもしたし、私変わったでしょう?
私も『ギャル』になったんだよ、仲間だよ!」
必死に叫ぶけれど、カナエ達は何か叫びながら逃げて行く。
「ねえ、アリィ!私アリィのためにがんばったんだよ!
こんなに、がんばったんだから!」
何度もこちらを振り返りながら、それでもアリィは足を止めてはくれない。
まるで化け物を見るような目で、おびえて、まるでこの世の終わりみたいな顔で。
私から、逃げて行く。
「待って、待って、お願い!
どうして離れていくの!?」
どうしてそんな顔をするの。
喜んでくれないの。
私は『ギャル』になったのに。
もうダサい私じゃないのに。
どうして逃げていくの。
前みたいに戻りたいだけなのに。
もどってきて、くれないの。
「あいつマジやべぇよ、頭おかしいって!ミオ、ケーサツ、ケーサツ呼べよ!」
カナエに言われたミオがカバンから携帯電話を取り出した。
「やだ、ケーサツ何番だったっけ!?分かんない!」
ミオが他の三人の顔をせわしなく見回す。
「ケーサツって、ほらアレだよ、あ、あれ?ウソ私も忘れた!どうしよう!」
ノアが髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱している。
「あれアンタの知り合いだったんじゃないの!?
どうにかしてよアリィ!」
わめくノアに肩をつかまれ、アリィがこちらを向いた。
アリィは今にも泣きそうな顔をして、首をぶんぶんと横に振った。
何も言わずに、ただただ何度も、何度も、何度も首を振った。
そして、一筋の涙が、その頬を伝った。
不細工なアリィ。
どんな表情をしても不細工で憎たらしかった。
でも今、私は初めてアリィの泣き顔を見た。
あんな悲痛な顔をさせているのは、誰?
許せない。
私はあんたを助けたいと思った。
あんたには私しかいないと思った。
私にはあんたしかいないから。
私には、アリィ、アリィだけ、アリィしか。
アリィ。
金髪の四人は白黒の横断歩道を渡っていく。
青い光が点滅しているのが見える。
私は金髪を追いかけて行く。
金色は横断歩道を渡りきった向こう側で、キラキラきらめいている。
私はまだ白黒の海を泳ぎきれないまま、青の点滅が赤に変わるのを視界の端で見た。
とたんに体が動かせなくなった。
苦しくて、苦しくて、苦しくて。
もう、息ができなかった。
おぼれていく。
遠くの金色が揺れるのを見ていたら、一瞬で闇に飲みこまれた。
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