金髪とピンクのクマ
できるだけ何も考えないようにして、翌日をむかえた。
何か考えたら、息が止まってしまいそうだった。
だから一生懸命頭を真っ白にしようとしても、去っていくアリィの後姿の残像が、ふとよみがえって、そのたび吐きそうになる。
どうあがいても気になるのだ、アリィのことが。
あんなに嫌っていて、受け入れることを認めたくなかった過去など、もうどうでもいい。
いつもより三十分も早く登校した私は、席に座って正門から校舎へ流れて行く生徒の波を見守っていた。
今日も『運命の分かれ道』には、五十嵐先生が立っている。
上下揃いの青のジャージ姿で。
よくもまあ、飽きもせずに髪の色とスカートのすそばかり見ていられる。
五十嵐先生にとって、生徒とは校則を順守している者とそうでない者、どちらかに属している記号でしかないのではないだろうか。
パズルゲームに熱中している子供と一緒だ。
それならば、徹底してカナエ達のような違反者を駆逐してほしかった。
あんな奴らが身近にいなければ、アリィが『ギャル』に憧れを抱いていたとしても、
あそこまでのめりこむことはなかったかもしれないのに。
そうしたら、アリィはずっと私の隣にいたのに。……
「この前カナエ達さぁ」
その名前が耳に飛びこんできて、肩が少し揺れた。
反応せずにはいられなかった。
少し離れたところにいる女子のグループが、会話をしている。
机に頬杖をついて窓の外を眺めている体勢のまま、聴覚だけが研ぎ澄まされ、耳が勝手にその女子たちの会話を盗む。
「いきなり派手な格好して午後から登校してきたことあったでしょ?
で、あのあと五十嵐に教官室に連れて行かれて殴られたらしいよ」
「えぇ?女子殴るの?あいつサイテー」
「だよねー。そんで、その日からカナエ達学校来なくなったじゃん」
「そういえば。しばらく見てなかったかも」
「でしょでしょ?それがさー、昨日また派手な格好で午後に登校してきたらしくて。
今度は体育科の先生達みんなと散々もみ合いのケンカになったらしいんだよ」
「あ、もしかして!」
「そう、それで午後からの自由行動中止になったんだよ。
あれ、カナエ達のせいだったの。まあ、だるいと思ってたから別にいいんだけど」
「たしかにー。掲示物見て回るだけとかマジでつまんないし。ちょっとカナエ達に感謝かも」
「私も私も。そんでさ、カナエ達最終的に頭に髪色戻しのスプレーかけられて真っ黒になっちゃったんだって」
彼女は一体どこからそんな情報を仕入れてくるのだろう。
「だからノア、あんな真っ黒になってたんだ」
「マジであれはビビったよね。私、貞子が来たのかと思ったもん」
へえ、私と同じこと考えてる子がいたんだ。
「は?何、貞子って」
「知らないなら別にいーよ」
「えー気になる。でもそれよりさ、どうしてノアがこの教室に来てアリィを連れてったワケ?
そっちのほうが気になるし」
アリィの名前が出てきて、また反応してしまった。
「それなんだけど。カナエ達があまりにもひどいから、すぐに親が呼び出されたらしいの。
でも親が学校に来る前に、カナエ達逃げちゃったんだって」
だから、その情報はどこから……。
「逃げるついでにアリィを連れてったってことだよね。
でも来たのはノアひとりだけだったでしょ?意味分かんない」
「あの『負けないでっ!』のせいだよ、絶対」
「あー、あれは引いたよ。何のつもりだったんだろうね」
本当だよ。
本当だけど、他人がアリィをバカにしているのは、どうしてかすこぶる気分が悪い。
「ところでさ、そのあとカナエ達はつかまったの?」
「ううん。先生とかPTAも街中捜したけど見つかってないらしいよ」
「だから今朝も先生達、忙しそうにしてたんだ……」
「それより私は、あの後藤さんにびっくりしたんだけど」
息が止まった。
後藤さん。
私のことだ。
「ね、あれは痛かったよね」
「アリィなんかと一緒にいられる時点で普通じゃないとは思ってたけどさ」
「あのね、一年のとき後藤さんと一緒のグループだった子に聞いたんだけど、
後藤さんってすごい変で、みんな嫌がってたらしいよ」
「えー、後藤さんって、おとなしくて優等生に見えるけど」
「たしかに頭はいいけどさ。
ノリ悪いし、何かしゃべったと思ったら言うこと全部教科書みたいで、とにかく空気読めないんだって。
そんで、ときどきチョー変なことしたりするから恐いって」
「変なこと?」
「だから昨日みたいなことじゃない?
私もはじめはアリィなんかの相手させられて可哀想だと思ってたけど、
その話聞いたら二人はお似合いだって思うようになっちゃった」
「実際、あんな顔でアリィを引き止めてたしね」
「だから今も、ほら、あんなに寂しそうにひとりで外見てる」
「ちょっと、あんまり大きい声で言ったら聞こえるよ!」
全部、聞こえてますけど。
分かっていたよ、そんなことくらい。
私は誰からも嫌われてるんだ、私がアリィを嫌ってたみたいに。
分かっていた。
分かっていたけれど、実際に人の口から聞くときついかもしれない。
「かもしれない」だなんて言葉をにごして、とっさに強がろうとするのはますます痛々しい。
分かってる、そう言い聞かせて先回りして、傷つくのを最小限にしていたことに、今気づいた。
傷つけたほうは、とことん無邪気だというのに。
私は微動だにせず窓の外を見つめ続けている。
なんだか、さっきまでより世界が小さくなった気がする。
ふと、デジャヴにおちいった。
人工的な金色の髪をきらめかせて、正門から『ギャル』が侵入してくる。
以前、驚くほど姿を変えて登校してきたカナエ達を見つけた、あの瞬間が再現されている。
……と、三人組の後からもうひとり『ギャル』がついてきているのが見えた。
違う、これはデジャヴではない。
五十嵐先生が戸惑った仕草を見せている。
昨日からずっと捜している逃亡犯が自ら現れたと思ったら人数が増えていたのだから、そりゃあ驚くはずだ。
しかも、その増えたひとりに、私は心当たりがある。
だって、あの内股、あのひよこ走り、あの前髪の触り方。
金髪縦ロールに短いスカートで姿かたちを変えても、あんなに激しいぶりっこなら一目瞭然。
アリィだ。
頭を鈍器で殴られたような気がした。
頭蓋骨が割れて脳みそがこぼれていくような錯覚におちいる。
実際、脳みそじゃなくてもこぼれていくものがあった。
あの細い目をもっと細めて笑う顔だとか、
休み時間の度にトイレへ誘うため私の制服を引っぱる手だとか、
生返事しかしない私を的にしゃべり倒すわずらわしい声だとか、
嫌悪感を隠さず黙る私の横にそれでも寄りそっていた肩だとか、
私が嫌って嫌って嫌い抜いて、いつのまにか体の一部になって、なくてはならないものになっていたものが、
ぼろぼろと跡形もなくこぼれ落ちていった。
今日もカナエ達は、五十嵐先生に連れて行かれてしまった。
いや、連れて行かれたというよりも、場所を移した、という印象。
カナエ達は不思議なほどどっしりと構えていた。
教室は大騒ぎだ。
「もしかして、あれってアリィ!?」
「なんだよアイツの格好!」
「昨日のって、仲間にならないかって誘いだったわけ?」
「ねえ、後藤さんは何か知らないの?」
普段はこちらを見向きもしないくせに、みんなこんなときばかり話しかけてくる。
いつだったか、アリィの面倒を見るために早く学校に来いと言ってきた女子達も、食い入るように私を見ている。
「……知らない」
もう必要以上にしゃべりたくなくてそう一言つぶやいたら、みんな引きつった顔をして引き潮のように去って行った。
知るわけない。
アリィが『ギャル』に興味津々で、カナエ達にあこがれていたことを知っていた私だって、まさかこんな展開になるとはまったく想像できなかったんだから。
アリィが、本当に『ギャル』になってしまうなんて。
似合ってないよ。
どんなことしたって、アンタは不細工なんだから。
そうだ、私が教えてあげないと。
だって私はアリィの『親友』なんだ。
私だけが、ずっと、アリィの『親友』だったんだ。
どういう経緯があったとしても、今アリィは五十嵐先生達に厳しく指導を受けているはず。
今までそれなりに生きてきて怒られ慣れていないのだから、怖気づいているに違いない。
きっと、しゅんとして帰ってくるはずだ。
そのとき私は優しく諭してあげればいい。
そうしたら、アリィは元に戻るに決まってる。
そうだ、そうに違いない。……
二時間目、麻生先生が担当する国語の授業。
アリィは帰って来た……麻生先生と一緒に、五分ほど遅刻して。
静まり返った教室のなか、私の隣の席に腰を下ろすそれは、私が知っているアリィでも、さっきカナエ達と一緒に『運命の分かれ道』の前にいた『ギャル』でもなかった。
昨日のノアのように髪色戻しのスプレーをかけられたのだろう、頭から真っ黒な液を垂れ流し、崩れた縦ロールにご自慢のポニーテールの面影はない。
スカートも太ももが丸見えなほど短くて、学校指定の白ソックスじゃなく黒のハイソックスをはいている。
間近で見れば見るほど、誰なのか分からなかった。
昨日あれからどうしたの?
カナエ達とどうなったの?
あんたは今、一体なにを思ってるの?
勇気を出して確かめようとしたのに、口から出てきたのは何とも頭の悪い質問だった。
「……大丈夫?」
そんなことを聞いたところで、どんな答えを期待しているというのだ、私のバカ。
後悔する私を、アリィは何も言わずに横目で確認しただけで、すぐにうつむいて動かなくなった。
黒目を大きく見せるコンタクトをしているらしく、異常に白目の比率が少なくて化け物のよう。
それよりも、今まで見たこともないその冷たい態度に私は震えた。
私はあなたと違う世界の人間なのよ、容易く話しかけないで。
まるでそう言われているようだ。
手足の先が、だんだん冷たくなっていく。
何なんだ、これは。
「さぁ、遅くなっちゃったけど、授業を始めましょう」
いつも通りを装って麻生先生は笑うけれど、目がまったく笑えていない。
こんな化け物が教室にいたのでは、いつも通りなどできるわけがないのに。
ほら、あまりのことにみんな呆然としていて、浮き足立っている感情が手に取るように分かる。
何より今、私の心はこんなにもちぎれている。
平静でなんていられない。
どうして?
どうしてこうなった?
授業を進める麻生先生の声なんて、届かなかった。
何もできないまま、一日が終わった。
アリィはずっと動かなかった。
私も隣の席に座ったまま動けなかった。
みんな遠巻きにアリィを見ていたけれど、その横で打ちひしがれている私だって奇怪の目で見られていたのだろう。
終礼が終わると、アリィは麻生先生に連れられて教室を出て行った。
本来の私なら、いくら気になったとしても、何か行動を起こすなんてできなかったに違いない。
でも、見つけてしまったのだ。
アリィのカバンにくくりつけられたままの、薄汚れたピンクのクマを。
あれは、私とアリィの『親友の証』。
それをまだ身につけているということは。……
私は立ち上がらずにいられなかった。
立ち上がって、動悸をおさえながらしばし逡巡して、冷静になれ、と呪文のように口の中でつぶやきながら、呼吸を整えてアリィと麻生先生の後をそうっと静かに追いかけ始めた。
二人が向かった先は、やはり体育教官室。
麻生先生が開けたドアの向こうに、カナエ達の姿が見えた。
しかし、当たり前だが二人が入室するとドアはすぐに閉められてしまった。
どうしよう、これじゃあ何も分からない。
体育館の中と外、教官室の出入り口は二ヶ所ある。
部活を始めようとする生徒達が、体育館の中にはちらほら現れ始めている。
ここじゃ中の様子をうかがうには目立ちすぎてしまう。
私は上靴のまま外に飛び出した。
運動場に面している外側の教官室のドアの前に、私は立った。
中から、大きな声が聞こえてくる。
でも運動場で練習を始めた野球部のかけ声に邪魔されるせいもあって、何を言っているのかまでは分からない。
もう少し、近づいてみよう。
私はドアにぴったりと耳を寄せて、必死に会話を聞き取ろうと集中した。
すると、今まで聞こえていた大声がぴたりとやんだ。
不思議に思ってドアから耳を離すと、内側からドンドンとノックが聞こえて、私は驚いて後ずさった。
その直後、ドアが開いて五十嵐先生が顔を出した。
「さっきからそこで何をしているんだ!」
あまりに突然のことに固まってしまっていると、麻生先生が声をあげた。
「後藤さん、どうしたの?」
駆け寄ってくる麻生先生の肩越しに、アリィの姿が見える。
「あ、アリ……有田さんが……」
私はたぶん、そうとう青い顔をしているに違いない。
まともに口も動かない。
でも麻生先生は私の気持ちをくみ取ってくれたようで、私がアリィの友達であることを五十嵐先生に説明してくれた。
「心配で見に来てくれたのよね?」
しかし、五十嵐先生は。
「誰であろうと関係ない。聞き耳立てるようなマネはやめて早く帰りなさい」
と吐き捨てて、ドアを閉めてしまった。
閉め出されてしまった。
私は、関係ないそうだ。
少しだけうかがい知れたアリィの表情は、ずっと険しかった。
すぐ元に戻ると思っていたのに。
諭すどころか、まともに顔を合わせることもできない。
もう、何もできない。
とぼとぼと歩き出すと、右の上靴の裏に石がはさまっているのに気づいた。
踏み出す度に、足の裏に違和感が走る。
でも、それをどうにかする気さえ起きなかった。
ただただ、薄汚れたピンクのクマのことだけが、頭にこびりついていた。
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