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  アリィ 作者:慧子
変身
学校には行けなかった。

気がついたら、いつもの駅の、トイレの個室の中にいた。

制服を着ている子供が平日の日中に存在していい場所なんて学校以外にないことを私は無意識のうちに分かっていて、それで誰の目にも止まらない絶対不可侵の孤独な箱に逃げこんだのだと思う。

あまり記憶がない。

ただ手が、足が、体の芯から震えが止まらなかったことだけを覚えている。

洋式の便座にふたをして座り、二匹のクマを握りしめながら、ずっと震えていた。


二回ほど清掃員がやってきてガタガタと音を立てては出て行った。

でもさすがに三回目になっても一番奥のドアが閉まったままなのを不審に思ったらしく、ぶしつけなノックのあとに中年のしわがれた女性の声がした。

「どなたかお入りで?」

これ以上ここにはいられないと判断した私は、場をつくろうことさえせず、無言で個室を飛び出した。

清掃員の女性がどういう顔をしていたかなんて、見ることもせずに。


外に出ると、五時間目の授業が始まって少し経ったくらいの時間だった。

もう、家に帰っても許されるだろう。

ずいぶん長いこと閉じこもっていたものだ、と感心することもなかった。

頭は少し動くけれど、心は全然動かなかった。

自宅マンションの敷地に入り、駐車場脇の歩道をのろのろと歩いていると、後ろから声をかけられた。

「……由紀子、か?」

振り返ると、両手いっぱいに荷物を持った男が立っていた。

父だ。

父が、そこにいる。

それ以外の感慨はいっさい湧いてこなかった。

「なんだ、もう学校終わったのか」

参ったな、とうなだれて見せているが、その顔に負の感情は浮かんでいない。

「今日はな、ちょっと話があってな。豪華な晩飯買って来たんだ。
驚かそうと思ったのになぁ、失敗だ」

からからと笑っている。

今まで私達、どうやって暮らしていたっけ。

ぼんやり思い返してみたら、テーブルの上の一万円札しか浮かんでこなかった。

水曜日の一万円札。

起きて、諭吉の存在を確認し、それを手に取り机の所定の位置にしまう。

毎週の恒例行事。

私の机の中には諭吉がひしめきあっている。

諭吉がひとり、諭吉がふたり。……

数えていたら、寒いから早く家に入ろう、と父が言った。

そういえば今は冬だ。

私は父の背中を眺めながら、冬は寒いことを思い出していた。

「ずいぶん早いけど、冷めないうちに食ってしまおうか」

テーブルに広げられたのは、高級ホテルのフルコースみたいな料理の数々。

「どうだ、うまそうだろう。高かったんだぞ」

誇らしげな父。

スーツを着ていないから、今日は休みだったんだろうか。

父は仕事では偉い人。

偉い人にも休みはある。

社長にも、スポーツの監督にも、総理大臣にも。

でも仕事を休めても人間を休むことはできない、それは心臓を止めないといけないから、でも心臓を止めたら死んでしまう。

じゃあ、人間は一生休めない、私は休んだことがない、だからしんどいんだ。

「お前、ちょっと痩せたんじゃないか?」

制服を脱いで部屋着に着替えリビングに出てきたら、そんなことを言われた。

父の眉は、おおいに下がっている。

眉が下がるというのは、どういうときであったか。

犬のしっぽが下がるときと、似ていたような気がする。

「たくさんあるからな。今日は、いっぱい食うんだぞ」

ほら早く座れ、と急かされて椅子に腰かけた。

いただきます、と手を合わせるよう言われて、そうする。

食え、と言われてカニの甲羅に入ったグラタンを口に入れる。

食え、と言われてトマト味の洋風煮物を口に入れる。

食え、と言われて焦げたチーズの浮いたコンソメスープを口に入れる。

「うまいか?」

うまいか。

うまいものは、メロンだ。

メロン、とても高いメロン。

アリィと食べた、あのメロン。

楽しかったお泊まり会。

「楽しかった」

そう言うと、父は一瞬不思議そうな顔をしたが、ああ、そうか、楽しいならよかった、と笑った。

目尻にたくさんしわができている。

アリィの笑った顔は、細い目がさらに細くなって、さっくり裂けた切り傷みたいで、口は、ぶりっこのためなのかタコみたいに突き出ているか、もしくは口角が異様に上がっていて、とても薄気味の悪いものだ。

でも目尻にしわはない。

一本もない。

父は、ずっとしゃべっている。

変なふうに笑っているような感じがするけれど、父がもともとどんなふうに笑っていたかなんて思い出せないので、それはどうでもいい。

ふと、この時間はいつ終わるのだろうと思った。

父と向き合ってご飯を食べていることが、とても奇妙に思えた。

奇妙。

どこかからすりこまれたステレオタイプの家族像……父と母と子供は二人くらい、にぎやかに穏やかに食卓を囲む微笑ましい光景、それとは違うし、そもそも家族とは何なのだろう、私には分からない。

この状況は、いったい何なのだろう。


不思議、とても不思議。……


「おい、由紀子」

名前を呼ばれて、どこかへ旅立っていた焦点が父の元へ呼び戻された。

「お前、なんだかおかしくないか?」


おかしい。


私のどこが?


それは全部だ。


知っているんだ、この世でひとりぼっちの人間が当たり前じゃないことくらい。


聞くまでもないこと、分かりきったこと、これでも自覚はあるだけマシでしょう?


「大丈夫」


「そう、か……?」


父は納得のいかない顔をした。


不思議、不思議、不思議なことだらけ。


それから父は黙りこんだ。

あれを食べろこれを食べろ、とせっつかれなくなったから、私は食べるのをやめた。

静か。

なんだかとても眠くなってきた。

ベッドに行きたいけれど、動くのさえおっくうなほど眠たい。

まぶたが重い、こんなに重いなんて、私はもう一生まばたきすらできないかもしれない。

目をつぶったままでいる生活はどうだろう。

嫌なものを見ないで済むのはとても気が楽だけど、本が読めなくなるのはとても残念。

それに、視覚の思い出がこれ以上増えなくなるなんて、寂しい。

もっと綺麗なものをたくさん見ておけばよかった。

だって思い出すのがアリィの不細工な顔ばかりだなんて、いたたまれない。

いたたまれない。

「あのな、由紀子。父さん、由紀子に話したいことがあるんだ」

さらにいたたまれないのは、最後の記憶が『ギャル』になってしまったアリィだってこと。

「いきなりのことで戸惑うかもしれないが、父さんは真剣だから、ちゃんと聞いてほしい」

あんな誰なのかも分からなくなってしまった顔で、『親友の証』を思い切り踏みにじられてしまった。

「まずは謝る。今までお前とまともに向き合いもしなかったこと、本当に悪かった」

アリィ。

私の知らない顔をしてた。

「これからは、もっと父親らしくなりたいと思ってるんだ」

アリィ。

アリィ。

アリィ……だったのか?

「それと、家族ってのをな、もう一度築きたい、とも思っているんだ」

だって、あんなの私の『親友』のアリィと全然違うじゃないか。

「それでだな、あの……その、なんだ」

あれは、あれは、もしかすると。


本当のアリィじゃないのかもしれない。


「結婚したい人がいるんだ」

そりゃあ、顔にあれだけいろんなものを塗りたくれば、本当の人格はその下に閉じこめられて、別人格になってもおかしくはない。

そうだ、そうに決まってる。

あれはアリィの本当の姿じゃない、本音じゃない。


私の知ってるアリィは『ギャル』に浸食されてしまっているんだ!


「突然のことで、驚いたかもしれないが……」


「結婚したらいいよ」


父は豆鉄砲を食らったような顔で私を見た。

「あの白いスーツの人でしょ?よかったじゃない、結婚するといいよ。
おめでとう」

「そ、そうだ、けど……いいのか?」

「なんでわざわざ私に聞くの?そんなのお父さんの勝手で私には関係ないでしょ?
別にお母さんだって死んでるんだし、浮気じゃないし、何にも悪いことないじゃない」

「お前……」

「は?何、その顔。結婚したらいいって言ってるんだから、これ喜ぶところじゃないの?
だいたい今まで勝手につきあってたんだから、これから先だって勝手にすればいいじゃない。
それとも反対してほしかった?
私とお母さんを裏切って、よそで若い女と、汚らわしい、裏切り者とでもののしればよかった?
でもそんなの今さらでしょ、だってアンタはとっくの昔に私を捨てたじゃない!」

私のことを見てくれていたのはアリィだけ。

そのアリィが今、『ギャル』の仮面をかぶせられて苦しんでる。

カナエ達にそそのかされて、本当の自分を見失っている。



私が助けなきゃ!



「由紀子……本当にお前、どうしたんだ……?」

その目は何だ?

なんだってお前がそんな目で私を見る権利が!

「うるさいうるさいうるさい黙れお前に何が分かるんだてめぇのことなんか知るか出て行け消え失せろこのクズが!」

わめき散らしている間にこの手はテーブルの端を引っつかみ、驚愕に顔をゆがませた男のほうへ力を放出させていた。

ひっくり返ったテーブルの下敷きになるのをかろうじて逃れた男はしかし、食べかけの料理を全身に浴びて、それはそれは無様。

こんな価値のないものを相手にしている暇はない。

私はアリィを救い出さなければならないのだ。

「……由紀子……」

もう何も聞こえない。

アリィのためにしなければならないことは何か。

それだけに全身全霊をそそぐ。

表情筋を動かすエネルギーさえ惜しい。

徹底的に集中して作戦を立てるため、私は自室へと退却した。

ひどい、なんてひどいこと。


ちょっと浮いた存在ではあったけれど、それでもまっとうに生きていたアリィをあんなふうに変えてしまうなんて、カナエ達は悪魔だ、化け物だ。

どうやったら助けられるだろう。

散々手を伸ばしたのに届かなかったここ数日のことを考えると、ただ声をかけるだけじゃだめだ。

見向きもされないで終わるのが目に見えている。


ほんとにひどい。

アリィは、たまにふて腐れることはあっても、いつもよく笑っていたのに。

あんなに『ギャル』にあこがれていたというのに、『ギャル』になってからのアリィは、まったく嬉しそうじゃない。

今日だって、みんなで同じブレスレットをつけて、ソウルなんとかだと言っていたときも、アリィはうつむいていたじゃないか。

『親友の証』を投げ捨てたのだって、ミオに耳打ちされたからだ。

あれは命令。

カナエ達に逆らえる人間なんてそうはいないんだから、従うしかなかったんだ。

可哀想なアリィ。

本当は私と一緒にいたいに違いないのに。

心にもないことを言わされて、どんなにつらかっただろう。

アリィを助けるには、カナエ達をどうにかしなければならない。

あのロールパンを耳の横にぶら下げたみたいな金髪、周囲を真っ黒に塗りたくって本物の瞳が行方不明になっている目、パンツが見えそうなほど短いバカみたいなスカート、それらを武器に社会の秩序を乱す悪しき存在から、アリィを救い出すには、どうすれば。

私は同じ場所をぐるぐると行ったり来たりしながら、必死に頭を回転させる。

いらいらする、あんな頭の悪い連中にいいようにされていることが。

私のほうが頭はいいし、精神的にも発達しているし、アリィのことを思っているというのに。

でも、大丈夫。

私は合理的に物が考えられるから、きっといいアイデアが浮かぶはず。

アリィのために、私は考える考える考える。……

その思考を、マンションの駐車場を横切っているのだろう小学生の騒ぐ声に邪魔された。

この辺りは静かだから、こういう頭がからっぽなガキが通ると悪目立ちするのだ。

ちくしょう、気が散った、低俗なもののせいで私の崇高な思考が台無しだ。

一喝してやらないと気が済まなくなった私は、つかつかと窓に歩み寄る。

その、いまだカーテンのされていなかった窓に映し出された自分と目が合って、はっとした。

手入れされていない髪、質素な顔、たるみきった服。

頭の中のほとんどを占めていたアリィやカナエ達の姿と私とでは、あまりに違いすぎた。

カナエとミオとノアが外界を遮断し、いつもつるんでいるのはなぜか。

周囲の人間と住んでいる世界が違うからだ。

それは私がクラスメートとうまくやれなかったことに似ているようだが、こちらは精神や人格の話で多少複雑だった。

でもカナエ達は単に『ギャル』であるという反社会的な趣味主張がありさえすれば、それだけでいいのだ。

だから『ギャル』にあこがれを抱いていたアリィは、簡単に飲みこまれてしまった。

その実態がどういったものかも知らないままに、あこがれを利用されて。

そうだ。

簡単なことだった。

『ギャル』と話をするためには、私も『ギャル』になればいいのだ!

そうするだけで、きっとカナエ達は私への見方を大きく変えて聞く耳を持つだろう。

これ以上ない良案だ。

思い立ったら即行動に移すしかない。

早くアリィを助けたい、私の元へ帰ってきてほしい。

私は机の中から一万円札を全部かき集めてポケットにつっこみ、家を飛び出した。

そういえば部屋を出たときリビングはいつもの通りだったような気がする。

誰かがいる気配もなかったから、邪魔者は消えたのだろう。

『ギャル』になるには、どうすればよいか。

まずは化粧だ。

私は化粧品をひとつも持っていないので、一通り買いそろえなければならない。

何を買えばいいのか分からないし、やり方も分からない。

でも、私はアリィからオシャレのうんちくを毎日聞かされていたので、迷わずにコンビニへ向かった。

「今はコンビニコスメがチョー充実してて、質もいいんだって」

そう言っていたのを思い出し、まるでアリィが今の私を手引きしてくれているような感覚におちいる。

ありがとう、アリィ。

私がんばるからね。

いつものコンビニの、しかし立ち入ったことのないスペースへやってきた。

毎日入り口からお弁当のコーナーへまっしぐらだったから、こんなに雑貨が豊富に置いてあるとは知らなかった。

そしてアリィの言っていたとおり、化粧品コーナーには色とりどりの商品が盛りだくさんだった。

それを片っぱしから買い物カゴの中に入れていく。

どれが何のための物なのか分からないので、とりあえず全種類買うことにした。

それから、染髪料。

これも何種類かあったから、髪色戻しと書いてあるもの以外全部をカゴに入れた。

でも、これだけで満足してはいけない。

私は初心者なのだから、手引書が必要だ。

雑誌コーナーで、『ギャル』が表紙のものを、ここでもすべて手に取っていく。

立ち読みしている部活帰りらしき高校生が、ぎょっとした顔でこちらを見るけれど、全然気にならない。

以前は周りの目が気になってしようがなかったのに、今はどうってことない。

今の私は勇気に満ちあふれている。

できる。

私には、なんだってできる。

レジでも店員から怪訝な目で見られたけれど、私は客だ。

しかもこんなにたくさん買い物をして、店にたくさん金を落としていくんだ、文句なんてあるまい。

両手いっぱいの荷物を抱えて、ふらつきそうになるのさえ愉快な心持ちで家路を急いだ。



やはり家には誰もいなくて、もうここは私の城だ。

リビングに買って来たものをばらまき、雑誌のメイク関連のページを読みあさった。

今まで触れることのなかった未知の世界。

目の周りは、ただ真っ黒に塗ればいいわけではなかった。

何事にもちゃんと手順があるのだ。

これは学校の勉強より難しいのではないだろうか。

しかも、まつ毛の生え際の粘膜にまでラインを引くなんて、勇気まで必要だ。

『ギャル』の見方が少し変わった。

案外ああいう人種というものは、賢い部分があるのかもしれない。

そしてヘアスタイルのページを読み進めて行くうちに、アリィのような金髪は染めるのではなく髪の色素を抜かなければならないことを知った。

ブリーチと言うらしい。

買ってきた染髪料を並べてみたら、そのブリーチという代物はひとつしかなくて、あとは白髪染めと、茶髪とも呼べないくらいにしか色のつかないヘアカラーだった。

ありったけ全種類買ってきて、まったく正解だった。

さっそく箱を開けて説明書を読みながらブリーチを始めた。

なんだ、いろいろ準備するものが多くて面倒だ。

最終的には洗髪しなければならないらしいので、風呂場に移動した。

体にビニールをかぶって、手袋をはめて、ぎこちなく薬剤を髪につけた。

すごい臭いだ。

鼻が曲がりそうで、目にしみて涙も出てきた。

これはひどい、『ギャル』になるにはこんな苦行が必要だったなんて。

しかし、こんなことで負けていられるものか。

私は髪の毛全体に、これでもかと薬剤をしっかり塗りこんだ。

すると、次第に頭皮がひりひりしてきた。

針のむしろにされているような感じだ。

痛い、痛い、と私は泣きながら、それでも指定されている放置時間が終わるまで耐えた。

やっと薬剤を洗い流し、添付されていたトリートメントをして、はやる気持ちを抑えつつ鏡をのぞきこんで、私は感動した。

アリィほどではないが、確実に髪の色が抜けている。

ところどころ色が抜け切れていないところがあるが、うまくヘアアレンジすればごまかせるだろう。

雑誌にあったいろんなヘアスタイルを真似してみよう。

髪の毛は、これで完璧だ。

まだ濡れているが、ドライヤーで乾かしている暇はない。

やらなければならないことは山積みなのだ。

次に取りかかったのは、制服の改造。

スカートは太ももが丸見えになるくらい短くしなければならない。

ウエスト部分を巻き上げるのも限界がある。

やはりすそを切って縫わなければならないだろう。

家庭科の授業のために無理矢理買わされた裁縫道具をクローゼットの奥から引っぱり出した。

大きな裁ちバサミを、スカートにつきつける。

気持ちが大きくなっているとはいえ、これはさすがに緊張する。

これを切ってしまったら、もう元の長さには戻らないのだ。

だけど、ためらっているうちにもアリィはどんどん遠くへ行ってしまっているような気がしてあせった。

迷っている暇はない。

ひざ下丈のスカートを、思いきって二十センチ切った。

そして、それをさらに五センチ折り返して縫うことにした。

スカートの色と同じ濃紺の糸を探す。

が、ない。

あるのは黒と白と赤だけだ。

しかたないので黒い糸で縫うことにした。

しかし、裁縫は学校の授業で一度や二度しか経験がない。

糸の留め方からして分からない。

端っこをなんとか固結びしたが、今度は縫い方が分からない。

ミシンのような細かく綺麗な縫い目にしたいのに、幅もまばらでガタガタにしかならない。

しかも折り返した部分のプリーツは織り目が今までと逆になってしまうので、ごわごわ浮いてしまう。

あいにく我が家にアイロンはないので、一晩重しを乗せて型をつけるしかなさそうだ。

やっとこさ縫いあげたスカートを綺麗に伸ばして、その上にたくさんの本を乗せた。

明日の朝にはきちんとなっているように祈るばかりだ。

時計を見れば、いつのまにか深夜になっていた。

寝てしまおうかとも思ったけれど、メイクやヘアアレンジの練習をしなければならないので徹夜することにした。

ここまできたら、目がさえて眠れやしないのだ。

洗面所の鏡の前に立ち、前髪をあげて、まずは眉をそる。

雑誌の通りに、眉尻を細くし、眉全体の毛を短くカットした。

平安時代の麻呂みたいになってしまったけれど、こうしたほうがメイクをするのには都合がいいらしい。

髪色に合わせた、アイブロウと言うらしい鉛筆のようなもので、眉を書いていく。

左右対称にするのはなかなか難しい。

なんとか書き終えたら、次はアイメイクだ。

アイラインを引いて、ぼかして、アイシャドウを塗って、またアイラインを引いて。

まつ毛の生え際の粘膜にもラインを引いたら、手が震えて眼球をつついてしまって痛みにもだえた。

血走って真っ赤になった目を、さらにマスカラで痛めつける。

ブラシでまつげをなでたいだけなのに、どうして目につっこんでしまうのだろう。

異物を排除しようと生理的な涙が一筋頬を伝ったら、それはアイラインで黒くにごっていた。

あわててティッシュで押さえたけれど、ラインはにじんでしまった。

四苦八苦してアイメイクを終えたら、ああ、まだファンデーションを塗っていなかったことに気づく。

ベースメイクはアイメイクの前じゃないといけなかったのに。

しかたないので、アイメイクを崩さないように化粧下地を塗り始めた。


アリィのために、私は徹夜でがんばった。

ほどよい疲労感に朝日が心地いい。

一晩で、私は立派な『ギャル』になった。

がんばりは絶対に実を結ぶはずだ。


これで、アリィを取り戻せる。




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