7. 裏切り
次の日、学校の教室でまた一人、席に座っていた。
一夜明けたら、ハクと会って話をしたことが夢だったようで、現実感がなくなっていた。
それより、ここに来ると嫌でも尾形と結衣のことを思い出してしまう。
この席は嫌だ。
苦痛に顔を歪める。
すると、教室の入り口から尾形と結衣が一緒に入ってくる。
そんな二人をいきなりクラスメイトが冷やかしだした。
「よっ! ご両人」
二人はそんなクラスの様子に動揺する。
私も何が起こっているのかわからなかった。
「ついに篤にも彼女が出来ましたかー」
「な、何だよ急に。結衣とはそんなんじゃねぇよ」
顔を赤らめながら否定する。
結衣も赤くなっている。
「隠すなって。みんなもう知ってるからよ」
「そうそう。昨日の夜、二人で仲良くHOTELに入って行くとこ、ちゃんと目撃してんだぜー」
(え?)
心臓が激しく動いた。
嘘だ……嘘だ。
呪文のように繰り返す。
みんな結衣たちのもとへ集まって冷やかしている中、私は一人席に座って、震えていた。
そんな様子に結衣は気付き、私の元へ駆け寄ってきた。
「恵那、違うの! 誤解しないでね。……昨日、篤がすごく元気なかったから、励ましてたらそんなことになっちゃって……。流れっていうか……」
流れ? ふざけないで!
私の気持ちを知っていたくせに。
脳裏には尾形と結衣が抱き合っている姿がよぎり、気が狂いそうになった。
平静を保とうと手のひらに爪の痕が食い込むくらい、強く拳を握り締めた。
「でもね……。なんか篤と一緒にいるうちに、いいなって思うようになっちゃって……。篤も私と一緒だと落ち着くとか言ってくれてるし……。その……」
私はその一言で堪忍袋の緒が切れた。
もう何もかもどうでもよくなり、今まで築き上げてきたものを全てぶち壊してやりたくなった。
激しく机を叩き、立ち上がる。
クラスメイトたちは、あまりに大きな音に反応して、興味の対象が尾形から私へと変わった。
みんなが注目する中、結衣も驚きの顔を隠せない。
「ふざけんな……。これも……これも全部計算通りってわけ!!」
怒鳴り声が教室に響き渡る。
私は鞄を持ち、教室を速やかに出て行った。
「ちょっ、ちょっと恵那!」
教室の入り口まで追いかけ、呼び止めに来る結衣だが、私は振り返らず、足早に学校を後にした。
怒りで早足になっていた足は、どんどん速くなり、気付けば疾走していた。
仕事で誰もいない家に帰ってきた。
乱暴に鍵を合わせ、無駄に大きな音を立てながらドアを開けた。
自分の部屋のある二階へ猛ダッシュして駆け上がる。
木製のドアを開け、勢いよく閉める。
私は生まれて初めて学校をさぼった。
我慢していた涙が一気に溢れ、子どもが大声で泣き叫ぶかのように私は声を張り上げ泣いた。
一番起きてほしくない現実が起こった。
二人とも憎い。
妬みや憎悪が押し寄せてくる。
机の上に置いてあるドレッサー鏡に映った自分をふと見つめる。
顔は涙でグチャグチャ、ボサボサの黒い髪、奥二重の目が真っ赤に腫れているなんとも醜い自分が映っていた。
こんな私を誰が好きになってくれるだろう。
鏡を鷲づかみ、醜い自分を隅々まで確認した。
もうどうでもいい。
誰も私に近づけないようにしてやる。
私の中でモラルという糸が切れる。
涙を拭き、財布だけを持って家を飛び出した。
貯金を全部下ろし、街へ買い物に出かけた。
普段は行かないおしゃれな店に行き、頭から足の先までの服や靴を何かに取り憑かれたかのように大量に買った。
アクセサリーを選んでいると目に入ったのはピアッサー。
ピアスをすることはもちろん校則違反。
しかし、自分の体に穴を開けると運勢が変わると聞いたことがある。
私は変わりたかった。
ピアッサーを握り締め、レジへ向かう。
両手いっぱいの大荷物を抱え、家に帰る。
使ったお金は今日一日で十万を超えた。
買った商品を部屋全体に広げ、その中からピアッサーを取り出した。
袋を破り捨て、鏡の前で思いっきり右耳に穴を開けた。
ガンッと頭を殴られたような衝撃と少しヒリヒリする耳。
私はその勢いで五つもの穴を開けた。
左耳も同じように何個も何個も。
両耳合わせて十一個の穴が開いた。
耳はかなり赤く腫れ上がり、汁のようなものも出てきた。
それでも私はこの痛みが嬉しかった。
そして次は髪を染めた。
ブリーチで色を抜き、金髪に近い茶色に染めた。
真っ黒だった髪が変わるのは快感で、暗い気持ちも少し明るくなった。
だんだん楽しくなってきた私は化粧やファッションショーを空腹すら忘れ、一人部屋にずっとこもって夜遅くまで楽しんでいた。
次の日、親とは一切顔を合わすことなく、家を出た。
街行く人たちの視線を感じながら堂々と学校の校門をくぐった。
生徒たちは私の姿を見て、ヒソヒソと奇妙だと話している。
あの子も、あの子も。
それもそのはず。
頭は茶髪、耳には十一の穴にワッカのピアスを着け、化粧もヤマンバギャルほどの濃いメイクではないが、マスカラやアイライナーを派手目に塗り、スカートも短い。
ルーズソックスを履いて、イマドキの派手なコギャルに一晩で変身していた。
私の学校は校則にかなり厳しく、こんな派手な校則違反者など全生徒探してもいない。
私はこの学校がみんな同じの白黒世界としか思えない。
カラーになった気分の私は、白黒写真に土足で入り込んでいる異端者になっただろう。
教室に入ると、クラスメイトが当たり前のように私に注目する。
黙って席に着いた私をまるで珍獣を見るかのようにコソコソ話をしながら見ていた。
結衣と尾形も唖然としている。
結衣は誰も近寄ろうとしない私に恐る恐る近づいてきた。
「え、恵那?」
みんなが注目する。
結衣も畏懼しているのがわかる。
私はもうあんたたちとは違うと主張できたようで、心の中でいい気味だと思った。
すると、教室のドアが勢いよく開く。
担任の春日がすごい形相で私を見つける。
「さ、佐々木。その格好はなんだ? ちょっと職員室に来なさい」
私の腕を引っ張り、職員室まで連れて行く。 予想通りの反応だ。
これからくだらない説教が始まるんだろなと思いながら、大人しく引っ張られる。
クラスメイトは私が教室から連れ出された後、一気に騒がしくなる。
私は全ての事柄を冷静に受け止めていた。
職員室に入り、私は奥のほうにある、生徒指導室へと連れて行かれた。
他の先生からの目線は当然冷たい。
ここでは全員私の敵だ。
生徒指導室に入ると、他の学校からも恐れられている、怖いと有名な生徒指導の武山先生が座っていた。
担任の春日は机を挟んで、武山の斜め前に私を座らせ、春日は私の目の前に座った。
「佐々木、一体どうしたんだ? 何かあったのか?」
春日は優しい口調で私に問いかけた。
「……」
私は下を向いたまま返事をしなかった。
「話してくれないとわからないだろう? 何か辛いことでもあったんじゃないのか?」
「……」
「校則違反をしているっていうことはわかってるよな? 何があったかわからないが、こんな格好で授業に出させるわけにはいかないんだ」
「……」
「一応、校則だから、家に帰って髪を染め直してきなさい。あと、服装もきちんとして」
「……出来ません」
ポツリと口を開いた。
私の拒絶の言葉に先生たちは狼狽した。
「私は、学校生活が苦痛でした。みんな同じように校則を守って、同じ格好をして、同じ生活をする。私はきっと印象にも残らない生徒です」
先生たちは黙って私の話に耳を傾ける。
「友達もいません。自己主張もできません。そんな自分が嫌いでした。校則違反だとわかってましたけど、変わりたかった」
「気持ちはわかるが、学校は社会に出るためのマナーや知識を学ぶところ。規則は最低限守らないといけないことなんだ。学校で出来ないと社会に出てからも出来ないだろう?」
身を乗り出し、熱く語る。
「じゃあ、どうすれば私の存在を知ってもらえるんですか? 不謹慎だとは思いますけど、私はここまで変われた自分が少し好きだと思いました」
「外見だけ変わっても意味ないだろう? 中身を変えていかないと」
「出来なかったんです。不思議な話かもしれませんが、外見を変えると自然に中身も変わってくると思うんです」
うつむいたまま、同じ声のトーンで話す私に春日は頭を悩ました。
そこで、ずっと黙って話を聞いていた武山が口を開く。
「君がしていることは、たぶん他の生徒もやりたいと思っていることだ。君一人が悩んでいるんじゃない。君以上に深い悩みを抱えている子もいる」
私は少し顔をあげ、武山を見る。
それはいつもの全校生徒の前で怒鳴っている武山とは違い、怒るわけでもなく、今まで聞いたことのないくらい穏やかな口調で話し始めた。
「そんな子たちも必死で自分の欲望を抑えながら校則を守っている。君、一人が列を乱すと他まで崩れる。わかるだろ?」
「……わかります。でも、私は列を乱せたことが快感だと思いました。私は異常ですか?」
武山は困惑の表情を浮かべる。
私は春日のほうを向き、少し笑う。
「先生、私は今までいい子だったでしょう? 校則もちゃんと守って、先生の言うこともきちんと聞いて、困らせたことなかったでしょう?」
「……あぁ」
そして、武山に問いかけた。
「先生、いい子だった私の名前覚えてましたか? フルネームで言えますか?」
「……全校生徒は千人近くいるんだぞ? 先生だって人間だ。正直、覚えていない生徒だっている」
少し、開き直ったような言い方をする。
「私も人間です。みんなに私の存在を知ってもらいたい。もう、いい子でいるのは疲れました。こんな私は学校にはいりませんか?」
二人は顔を見合わす。
「迷惑ですか? 汚いと思いますか? おかしいと思いますか?」
しばらく沈黙が続く。
私はこんな状況であるにも関わらず、先生たちが初めて私のことで悩んでくれていると嬉しかった。
でも、最初で最後だ。
この格好でいる限り、学校には拒絶されるだろう。
それでもよかった。
先生公認で学校に来なくていいなんてこれ以上にないくらい幸せなことだ。
あの教室にはもう、二度と帰りたくないから。
早く私に処分を下してください。
覚悟は出来ています。
先生たち二人は小声で話し合い、私にこう言った。
「とりあえず、今日は帰宅して、後日お母さんと一緒に話し合おう。佐々木がこんな風になるまで追い詰められていたなんて、先生はわからなかった。いい解決法を一緒に考えていこう」
私はその言葉に驚いた。
先生は私を更生させようとしている。
自分たちでは無理だから、親を交えて一緒に説得しようとしているのだ。
世間一般から見たら、いい先生なんだろうが私には迷惑にしか過ぎない。
それならいっそう、全部元通りになるまで学校には来るなとでも言って欲しかった。
話し合いなんて平行線をたどるだけだ。
この先を考えるだけで思いやられる。
私は嫌気がさし、勢いよく立ち上がる。
「話し合っても無駄です。もう学校には来ないんで、それでいいでしょう?」
私は指導室を出ようとする。
「佐々木、待ちなさい! 話を……」
呼び止める声にも反応せず、職員室を飛び出す。
そのまま学校から逃げるように走り去り、追ってくる先生たちを振り切る。
家には帰れない。
きっと先生からの連絡がいっている。
帰る場所がなくなった。
全てを失って、自由になって望んだ通りだ。
嬉しい? いや、淋しい。
この道のゴールが天国なら幸せ。
だって目的地があるんだもん。
みんなが一番行きたい場所だよね?
私は行けないだろうけど。
ボロボロになったら誰か救ってくれるかな? きっと救ってくれる。
走り続けて疲れるとみんなは優しさをくれるから。
私は自分の息が続く限り走った。
誰も私を見つけられないところへ行くために走った。
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