一杯目
ジリリリリリリリリリリリリリリ!
カチャン。
「……ん……く……眠い……」
喧しい目覚ましを止めると、太陽が鬱陶しく俺に降り注いだ。ベッドの位置を今度変えようと思う。
「痛っ」
この頭皮を引っ張られる感覚は、髪の毛を掴んだとき。しかし、ベッドついた手がどうして髪の毛に絡まるのか。
確認しようと目を向けた。銀糸のそれがベッドの上にこれでもかとこぼれ落ちていた。重力に逆らって体を上っているのは、きっと俺の頭から生えているから。
「そんなバカな」
純国産日本人の俺は例に漏れず、優性遺伝の黒髪の持ち主だ。それに、男のくせに腰を越えそうな髪の毛を持っていてたまるか。
悪い予感がする。
胸がある。股間にない。それなんてTS?
「なにがなんだか」
昨日やったことって……あれか。
たしか、そう。商店街からの買い物の帰り道で。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うし、買い物終わり」
そんな俺が持つビニール袋の中身は、カレールー、人参、辛口カレールー、ジャガイモ、甘口カレールー、肉、中辛カレールー、卵、激辛カレールー、牛乳という素敵な組み合わせ。カレーは至高の食べ物。異論は認めない。たとえおばちゃんズにすごい目で見られても俺は引かない。媚びない。省みない。
「お母さん、あの人カレールー見てにやにやしてて気持ちわるーい」
「しっ、見ちゃいけません!」
ぶろーくんまいはーと。
「最近の子供はしつけがなってないな」
路地裏に入ったのは用事を思い出したからである。けっして逃げたわけではない。
一度入ってしまったからには、何となくすぐに戻るのも気まずくてぐいぐいと石塀の間を進んで行った。相手が気まずかろうと配慮してだな。
ん? あそこだけ一段と狭く……あれ?
「狭い道に鳥居がなにゆえ。なるほど、忘れ去られた神社か、香ばしいな」
ただの路地裏かと思えばなかなかやるじゃないか。家の間にたまたま出来てしまったようなデッドスペースのくせに。
これも何かの縁だ。鳥居を潜ろう。ちゃんと鳥居の脇を通る俺かっこいい。すごくムナシイ。
じゃりじゃりと音を鳴らせて歩くと、すぐに小さな祠が見えた。見えた。祠?
「汚すぎワロタ。いくら何でも神様かわいそす」
土煙、埃、蜘蛛の巣、雑草、およそ想像する限りの汚さを見せつける様相だった。本体が倒壊していないのが不幸中の幸いか。
本当に忘れ去られていたようだ。あってもなくてもいいとか、いてもいなくてもいい俺がシンパシー。ふっふっふ……つまり俺がこの祠にとってのあいつになればいいんだな。
「よろしい、ならば掃除をしよう」
二時間後、長い戦いを終えた俺は清々しさと共に、生まれ変わった社を見つめた。……まさかあそこであれが出てくるとは、とっさにこれを使わなかったらどうなっていたか。
「綺麗になったらそれなりに威厳がある気がする不思議」
ぽつねんと俺の身長ほどの小さな社が佇んでいるだけなのに、なにかがいそう……中二病は卒業したはず。
では目的を果たそうか。
すっすっぱんぱんすっ。二礼二拍手一礼。
「カレールーを見つめてても気持ち悪いって言われないようにして下さい!!」
しーん。
「……帰ろう」
大丈夫だ、心の傷は深い。
仕方がないな。また暇が出来たら掃除をしに来てやろうではないか。べ、別に何度か来てたら願いが叶うんじゃなかろうか、とか思ってないんだからね!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「昨日の記憶を辿ってみたけど、大体全部祠のせい。恩を仇で返すとか、最近の神様もなっちゃいない」
朝起きたら、変わっていた。ただ、願いと今の姿が=【イコール】で結びつかないのは、きっと神様のせい。痴呆症はじまた。
「あらためて鏡で見てみれば凄まじいな……なにこの髪質髪色、北欧系かよ」
洗面台の前に立っているからには、やはりこの子が俺なんだろうけど。声が違和感しか訴えてこないほど、綺麗なソプラノヴォイス。わけわかめ。
銀髪スーパーロングのストレート、腰を越えるとか頭が重すぎてヤバい。パッチリお目目はエメラルド、しかし中身が俺のせいか、若干死んでる。病的一歩手前くらいの健康的な白い肌。矛盾してるのは気のせいだ。後は全体的に小さい。身長返せ。やっと170の大台に乗ったのに、確実に160台前半にダウンしてやがる。
胸がせいぜい今の小さい手で包めるくらいしかないのが、せめてもの救いか。
……ええ、当然触りました。ただ、二度と男に戻ってこれない感覚を味わいそうになってすぐに離しましたとも。俺はあくまでも男を辞めるつもりはないからな。
「とりあえず歯を磨こう。話はそれからだ」
どうしてだろう、愛用の歯磨きを使う気が起きなくて新しい歯磨きを手にしたのは。
……深く考えないようにしよう。
歯を磨き、トイレという男のプライドをメタメタにするイベントもこなした。では、まじめに考察をしよう。俺は鳥居で願い事をした。女の子になった。どうしようもねえな。
座椅子でくいっくいっと後ろに倒れてみても、見えるのは逆さまの台所と、銀色のMy髪。なにも浮かばない。
「あー」
口をぽけーっとしてみてもやはり浮かばない。
さて、困った。自分でも今の自分がアイドルなんて歯牙にもかけない美少女だって自覚はあるんだけど、だからどうしたって話で。
「いー」
あー、そういえばカレー作ってあるんだっけ。昨日の余りというか、今日がカレー的には本番っていうか。……食べたいなぁ。でも、胃もたれしそうだよなぁ。
「うー」
カレーの匂いがこの部屋に充満してるけど、いいのかね。カレー臭の美少女とか誰得。ああ、俺得。
「えー」
今更だけど、この格好だいぶ危険かも。パジャマは胸の辺まで捲れあがって、ズボンは白い長い足を惜しみなくさらけ出している。いま誰かに見られたら襲われても文句は言えないかもしれない。
「おっ」
玄関の前でがちゃがちゃと鍵を開ける音がする。そういえば、今日はあいつが来る日だっけ忘れてたな。立ち上がるのメンドクサいなぁ。
玄関のドアが開いた。あいつは狭い玄関をちょんちょんと千鳥足のように歩いていた。なにやってんだか。
「お、おい千里! この乱雑な玄関どうにかしておけって前言わなかったか。足の踏み場もないぞってかカレーくせぇ!」
ぬっ、相変わらず小姑みたいなことを言う。別に、傘が何本もあって、三足の靴が並べられずにおいてあるだけじゃん。それで足の踏み場がなくなる玄関が悪い。そしてカレーは悪くない。
「あーとーでー」
「あとでってお前……なんか声ちが……」
魔の玄関で四苦八苦しながら靴を脱いだ孝がようやくこちらに歩いてきた。だけど俺を見た瞬間固まった。ああ、そういえば。
「俺、女になりますた」
「意味わかんねぇ!?」
座椅子で逆さまに転がったまま、千里は能天気に右手をひらひらさせて言った。まさしくその姿はさっき千里が言った襲われても仕方がない格好で、
「って、誰か知らんが隠して! 見えそう! 色々見えそうだから!」
顔を背けるへたれの孝にはまるっきり関係ないことだったが。
千里は怪訝そうな顔をして立ち上がった。
「いや、俺が千里」
あれ、これってもしかして信じてもらえない感じ?
と、今更ながら千里は危機感を抱いたのだ。
少しだけ不安に揺れる瞳がその現れだろう。
「いやいやいや、千里は男ですって」
笑いながら言う孝には、きっと目の前の白銀の彼女が冗談でも言ったと思ったのだろう。
実際、性別体型出身国さえ違いそうな子が、私はあなたの知り合いの誰々です、と言っても信じる人はまずいない。その事実にようやく千里が思い立ったとき、彼女は立っていられないような目眩を覚えた。
「千里なんだってヴァ」
その声にはすでに力がない。お腹が焼けるように熱い。吐き気がする。
千里はついに座椅子にぽすんと軽い音をたてて収まった。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
「……大丈夫じゃない」
焦って駆け寄る孝とうなだれる千里。その表情は苦しそうに染まっていて、
「……お腹、減った……カレーライスよそって孝ぃ……」
空腹を訴えた。
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