サイの血族


 

 


33


「ちょっと待ちな」

 凄味を利かせた声が背後から聞こえた。

 コンビニで飲み物を買って出てきた隼人に女が声をかけたのだ。

 振り向いてみると自動ドアの脇でウンコ座りをしている。脱色した髪は根本が黒くプリン状態、いかがわしいジャージに網サンの姿は笑い出したくなるほどステレオタイプのヤンキー娘だ。もちろん眉毛はない。

「僕のことですか?」

 以前の隼人だったら逃げ出してしまったかもしれない。しかし、力を得てから自信のようなものが身につき、普通に答えることができた。

「そうだよ。お前見てると妙にムカつくんだ」

「すみません。すぐにいなくなりますから」

「だから、待てっつーの!」

 歩き出そうとした隼人に女は強い口調で言った。

 場所は静岡市のはずれ。熱海を離れてから三日経った午後遅くのことだ。「霧庵」を出た後、どうも「サイ」を使って女と交わるのがためらわれ、隼人は歩き続けていた。やり過ぎなのだ。「サヒ」の力にも限界があるらしい。途中で美しい女性を見かけても、あまり関心が湧かなかった。欲望を感じたらすぐに「サイ」をかけろという服部早苗の言葉が逆にブレーキになってしまったのかもしれない。

「待てっつーてるだろ」

 女は隼人の前に立って顔を斜めにしてすごんだ。

「どうして僕のことなんか気になるんですか?」

「わかんねぇけどよ、なんか、すっげえムカつくんだ」

「僕は旅の途中なんです。すぐにいなくなりますから」

 隼人は、これ以上からまれるのだったら「サイ」をかけてジュースでも奢らせ、その場を立ち去ろうと思った。

「ちょっと顔貸せよ」

 女はコンビニの裏の方を顔で指した。

 そこなら人目に触れることもないだろうから「サイ」をかけるにも好都合だ。結花との一件から、隼人は人の中で「サイ」をかけるコツをつかんでいた。

「あたいの名前は服部杏奈。このへんじゃ、ちょっとした顔なんだ」

 わざとらしいヤンキー言葉で女が言う。

 隼人は女の苗字が引っかかった。傍系の者と言った服部早苗の言葉を思い出した。それなら、隼人を見てなにかを感じるのもおかしくない。

「僕は斎部隼人。どうして僕が気になるのかわからないけど、かかわらない方がいいと思いますよ」

「なにぃ!」

 冷静な受け答えに腹を立てたらしい女は隼人の襟首をつかんだ。

「ちょっと、やめてください。人が見てますよ」

 その場で「サイ」をかけようかと思ったとき通行人がこっちを見ているのに気がついた。

「チッ!」

 女は地面にツバを吐いた。

「お前、あたいが怖くないんか?」

 上目遣いで隼人を睨む。

「そりゃ、怖いですよ。いきなり声かけられて・・・逃げようと思いました」

 逆らうのは得策じゃないと思った隼人はそう答える。

「その、すましたツラが気に食わねえんだ」

「すみません。ですから、すぐに消えますから勘弁してください」

 目が合った。

「ふん・・・なんか・・・いい度胸してるじゃないか・・・」

 女の口調が変わる。張り詰めたものが影をひそめ、なんとなく場の空気まで変わった感じだった。隼人の発する「気」が影響しているのかもしれない。

「気に触ったらごめんなさい。僕は旅の途中で急いでいたものですから、なんか悪いことしちゃったかも」

「そんなんじゃねぇよ。お前を見た途端に、胸騒ぎがして声をかけちまったんだ」

 やっぱり怪しいと隼人は思った。

「なんだか忍者みたいですね」

 隼人はカマをかけてみる。

「どうして知ってんだよ?」

 女は一瞬考えた後に言う。なにか引っかかりがあるようだ。

「なにを・・・ですか?」

「あたいの先祖が忍者だってこと」

「いえ・・・ただ思いついただけで・・・知りませんでした」

「あたいん家はさぁ、みんなスポーツ万能なんだ。無茶しても怪我なんかしたことねぇ。自分でも忍者なんだって思うときがあるよ。でも、どういうわけか表に出るなって言われて・・・あたいのバイクの腕はそうとうなもんだよ。旅の途中だって言ったね。あたいのバイクで途中まで送ってやろうか」

 必要ないことまで女はしゃべりだす。やはり「気」のせいだ。これ以上かかわるのはやめようと隼人は思った。

「あ・・・ごめんなさい。家のしきたりで歩いて行かなきゃならないんです」

「ふ〜ん、なんだか事情がありそうだな」

「そうなんです。杏奈さん・・・でしたっけ? 厚意はうれしいんですけど、そういうわけなので。じゃあ、失礼します」

「待ちな」

 歩き出そうとした隼人を、ふたたび杏奈が止めた。しかし、その口調は強いものではなく、媚びさえ感じるものだった。

「お前って不思議な野郎だな。おとなしいツラしてんのに度胸は据わってるし、気に入ったぜ。あたいん家でちょっと休んできな」

「いえ、悪いですよ。ご家族もいらっしゃるでしょうし」

「あたいはひとりだよ。兄ちゃんがいるけど、鳶で日本中を飛び回ってる。トビだからな」

 そう言って杏奈は笑った。どうやら中身はオヤジ並みらしいと思ったが、初めて見せた笑顔はピュアでかわいらしかった。よく見ればきれいな顔立ちをしている。眉毛を剃らなきゃいいのにと隼人は思った。

「あのさ・・・なんか気になってしょうがないんだ。できれば、話を聞かせて欲しいと思ってさ・・・それとも・・・あたいなんかが相手じゃ嫌か・・・?」

 そう付け加える杏奈の言葉は、さっきの勢いとは正反対のものだった。

 また隼人は服部早苗の言葉を思い出した。吉野へ行く途中に伊賀の里を通らなければならないから注意しろと言われた。杏奈から情報を引き出せるなら役に立つんじゃないかと思った。

「じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・ちょっとだけ」

「おうっ! そうか。こっちだ、すぐそばだから」

 そう言う杏奈はすごくうれしそうだった。

 木造のアパートかなにかを想像していた隼人のイメージは見事に崩された。杏奈が案内したのは、そのあたりでは大きく高級な部類に入るマンションだった。

「意外だと思ってんだろ?」

 杏奈が笑う。

「世間が、あたいたちをどう見てるのかわかってんだ。それに、あたいひとりの力じゃ、こんなところには住めない。小さいころ、両親が事故で死んで、その保証なんだってさ。あたいが選んだわけじゃない」

 自嘲気味に言う杏奈の顔はちょっとさみしそうに見えた。

「うん。ちょっと意外でした。僕も偏見を持っていたのかもしれません。ごめんなさい。それから・・・杏奈さんって、なんだかさみしそうに見えて・・・これも違ってましたか?」

「ちぇ・・・お前といると調子狂うな。ま、いいか。中に入れよ」

 杏奈がドアを開ける。部屋の中は片付いているというよりかは、なにもなかった。慎ましやかなテレビの前には二人掛けのソファー、小さなダイニングテーブル、女が住んでいる感じじゃない。

「コーヒーでいいのか?」

「はい。大好きです」

「そうか。あたいはこればっかりなんだ」

 パックに入ったドリップ式のコーヒーを見せて、杏奈はヤカンに水を入れた。

「ふ〜ん・・・」

「なんだよ?」

「杏奈さんがコーヒーを淹れてるのって・・・」

「似合わないって言いたいんだろ」

「いえ・・・そうじゃないんですけど・・・」

 どうやら、傍系といえども一族の者はカフェインを好むらしいと隼人は考えていた。

「僕の知り合いで、とってもおいしいコーヒーを出す店があるんです。杏奈さんにも飲んでもらいたいなって思って」

「ほんと、お前ってヘンな野郎だな。でも、その店、そんなにおいしいのか?」

「エスプレッソって知ってますよね」

「ああ・・・」

「そこのエスプレッソはすごくおいしいんです。トロッとして、いい香りで」

「へぇ・・・ほら、できたぞ。ブラックでいいのか?」

 杏奈はマグカップを差し出す。

「はい。ブラックで・・・」

 隼人はひとくち飲んでニッコリと笑った。

「どうしてだよ?」

「なにがですか?」

「それは、こっちが聞きたい。これでも、あたいは勘が鋭いんだ。お前はただ者じゃない。じゃなかったら、こんなに胸が・・・」

「胸・・・ですか?」

「ヘンなんだよ。最初はムカつく奴だと思ったのに・・・」

「気」のせいなのか、それとも一族の血が騒ぐのか、杏奈は自分の行動をわかっていないみたいだった。

「僕は杏奈さんの先祖のことが聞きたいな」

「忍者ってやつか?」

「はい」

 また隼人は笑う。

「やめてくれ、その笑顔。気持ちが・・・」

「気持ち悪いですか?」

「い・・・いや・・・その・・・」

 杏奈の顔が少し赤くなる。

 やはり「気」のせいかとも思う。でも杏奈は敏感すぎるようだ。

「お兄さんは鳶だって言ってましたよね。そういう家系なんですか?」

「いや・・・あたいは父さんがなにやってたか知らないんだ。小さいころ死んじゃったし・・・」

「あ・・・悪いこと聞いちゃった・・・」

「いいんだよ。あたいは兄ちゃんに育てられたようなもんなんだ。暴れん坊ですばしこくて、ケンカが強くて、いつも守ってくれた。父さんと母さんが死んだとき、ヘンな奴らがやってきて兄ちゃんをさらっていこうとした。兄ちゃんは怒って、そいつらとケンカして・・・グレて・・・」

「いつ頃の話?」

「十四年くらい前かな・・・」

 杏奈の両親が傍系の仕事をしていたなら結花の母親の死や、それにまつわる事件に関係している可能性が強いと思った。

「杏奈さんは、お兄さんがそうなったから・・・ええと・・・」

「そうだよ。兄ちゃんはあたいの憧れだったし、物心ついてから、そういう世界しか知らないしな。気にすんな。あたいは何を言われても平気だから」

「なんとなくだけど・・・わかるような気がする。僕も小さいころにお母さんを亡くして、お姉さんに世話をしてもらったから」

「そうなんだ。お前も苦労したんだな」

「いや、杏奈さんとは比べものにならないよ。でも忍者の話って・・・」

「兄ちゃんが言ってただけ。あたいは、よく知らないんだ・・・」

「そうなんだ」

「おかしいな・・・」

「なにが?」

「あんたは兄ちゃんと同じ匂いがする・・・似てるんだ・・・顔かたちじゃなくって・・・雰囲気みたいなものが」

 呼び方が「お前」から「あんた」に変わった。微妙な違いだが杏奈の心の中では大きな変化が生じているような気がした。

 それに、杏奈の顔立ちはどことなく服部早苗や奈緒と似ている。やはり彼女は傍系の者なんだろうと思った。おなじように、杏奈は隼人に対して兄の面影を見ているのかもしれなかった。

「なあ・・・」

「なんですか?」

「あんたの旅って急ぐのか?」

「いえ・・・決まりや制限はないんです」

「宿とかは・・・野宿とかするのか?」

「いえ・・・知り合いのつてを頼ったりするので野宿はしたことがありません。まだ出発してから一週間くらいだし」

「だったら・・・ここに泊まっていけ・・・」

 なにかを決意するような調子で杏奈が言った。

「えっ・・・?」

「誤解すんなよ。あたいは・・・その・・・」

「うれしいよ。そうさせてもらえれば」

 外を見れば日も暮れかかっていた。誰かに「サイ」をかけて泊まらせてもらうのも面倒だった。

「ほんとか?」

「うん。ありがとう、杏奈さん」

 隼人は最大限の笑顔で答えた。

「あっ・・・だから・・・やめろってば・・・」

「なにが?」

「その顔だよ・・・あたい・・・ヘンだ・・・だって、ここに他人を泊まらせるなんて初めてなんだ・・・なんで、こんな気持ちになったのか、あたいにもわからないんだ」

 そう言う杏奈の表情は、はにかんでいるようにも見え、一種の色っぽささえ漂わせていた。

「たぶん・・・だけど、杏奈さんと僕とは近い存在なんだと思う」

「え・・・どういうこと?」

「血に縛られている・・・」

 隼人はどこまで話そうか悩んだ。

「あたいは、あの連中は嫌いだ」

 しかし隼人の言葉が直感的に答えを引き出したようだ。即座に杏奈が反応した。

「えっ?」

「兄ちゃんを連れてこうとした」

「やっぱり・・・一族だったんだね」

「そう。本家とか分家とか、あたいには関係ない」

 杏奈の口調が強くなった。

「もしかして、あんたも本家の人間なのか?」

 隼人を睨む眼には怒りが宿っていた。

「いや・・・むしろ敵なのかも・・・」

「どういう・・・こと?」

 杏奈が鼻白む。

「杏奈さんの両親ってどんな事故で亡くなったの?」

「そんなこと関係あるのか?」

「たぶんね。僕のお祖父さんや、大切な人たちも、その時期に亡くなってるんだ。関係があると思う」

「よ・・・よくわからないんだ。小っちゃかったし・・・いきなり知らない野郎たちが家に来て、父さんと母さんが死んだって知らされて・・・」

 杏奈が嘘をついている様子はなかった。そして傍系の者であることは間違いないと思った。ならば、これ以上、自分のことを話してしまうのは危ないかもしれない。「サイ」をかけるべきだと感じた。

「杏奈さん、僕を見て」

「なんだよ」

「サイ」

 怪訝そうな眼で隼人を見つめる杏奈に「サイ」をかけた。

 杏奈からヤンキー独特の虚勢が消える。

「杏奈さん」

「は・・・い・・・」

 杏奈はうっとりとした声で答える。

「杏奈さんの先祖は忍者だっていうのはお兄さんから聞いただけ?」

「そうです・・・」

「ほかに知ってることはないの?」

「兄ちゃんは、あたいたちの田舎は三重なんだって・・・言ってた。でも、行ったことないし・・・でも・・・」

「でも?」

「兄ちゃんを見てると、やっぱり忍者なんだって・・・思う。だって誰にも負けないし、強いだけじゃなくって・・・なんていうのか、人の気持ちがわかって先回りできるんだ」

「もしかして、それは杏奈さんもできるんじゃない?」

「うん・・・相手がなに考えてるかわかるときがあって・・・なのに・・・」

「なのに?」

「あんたは違った。あんたを見たときに鳥肌が立った・・・」

「それが嫌だったんだ」

「あ・・・ちょっと違う・・・気になったっていうか・・・気がついたら声かけてた・・・」

 未成熟な力が杏奈にはあるようだった。それが「気」を察したのだろう。

「お兄さんは鳶だって言ってたよね。仕事でここにいないだけなの?」

「違う・・・出ていったんだ・・・」

「どうして?」

「あたいが16になったとき本家の連中がやってきて・・・兄ちゃんに、あたいを抱けって言ったんだ。そうじゃないと仲間になれないって・・・兄ちゃんは、それを拒否って・・・あたいに、この家を頼むって言って・・・」

「そうだったんだ・・・」

「あたいは・・・ほんとは・・・」

「もしかしてお兄さんに抱かれたかった?」

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