[出会い] その壱
「み~ず~、み~ず~、ど~こ~み~ず~、み~ず~、み~ず~」
それはまるで質の悪い冗談の様な光景で、僕はただただ遠めに見ていた。
僕こと宝治 秋柾の目の前に、現実とは認められん状況があるのだが――。
女の子、しかし美少女と言ったらいいのか美女と言ったらいいのか。見るからに外人という、頭から脹脛に届く程のシルバーなそれは、どう考えてもTHE外人。
涙を滲ませるその瞳には、左にワインレッド右にスカイブルーの所謂オッドアイというやつで。まさかそれがヌルヌルと日本語で水を求めているのだ。
そんな訳で、甘いものに集る蟻の如く人が存在するのに、誰もが我関せずと携帯できる電話で写真を撮って去っていく。
斯く言う僕も、それに関しては当てはまる類の人間で在るわけなのだが。
しかし、どうして、この日この時には何故か、この存在をスルーできるはずのスキルが封じられていたらしく。
自分でも始めて使う日本語を口に出していた。
「水が欲しいなら、家すぐそこなんだけど来る?」
ナンパであるとすれば、及第点には程遠いと言わざるを得ないであろうセリフ。
これが、僕こと宝治 秋柾と彼女の始まりである。
目の前がぐわんぐわんする。もう限界が来たのかな。人がいる――――助けて。
「み~ず~、み~ず~」
咽の渇きが限界に達したみたい。水としか言えない。ああっ私、紅花 梓はここで死ぬんだ。死因は脱水症状・・・・って死ねるか!
ここまで来て水が原因で死ぬなんて、絶対にやだ。死んでも死にきれない。
「み~ず~、み~ず~、ど~こ~み~ず~、み~ず~、み~ず~」
どうして人間は見えているのに、目の前で苦しんでる私がいるのに助けてくれないの。
私の“存在の本質”を知っているかのように、人間は私を人ではない“別の何か”と気付いてるかのよに避けている。
母は鬼、父は吸血鬼の混血である私は高位吸血鬼という、妖怪・化物と呼ばれる存在なのだ。ゆえに、私の体に流れるそれには人の要素を含まない。完璧なほど醜悪な生き物。
紅花 梓・フレイマスター。これが、私のフルネーム――ていうか!水をくれ!写メを撮るなら水をくれ!
「水が欲しいなら、家すぐそこなんだけど来る?」
唐突だった。彼が言った言葉はすごく変な、それでいて私を、世界の境界線で死にかけている私を見つけてくれた。
これが、紅花 梓・フレイマスターこと私と彼の始まりの時。
蛇口から出る液体をコップに受け取り並々と注いだ。ちなみにこの家は、僕こと|宝治≪ホウジ≫ |秋柾≪アキマサ≫の家で現在は分け合って一人暮らしだ。
少し溢しながら玄関へ向かうと、そこにはオッドアイの銀髪っ子がいて、待ち望んだものを受け取らないままに、僕の手元で音を鳴らしながら飲み乾した。
「ん~あぁ~!沁みる~!生き返えりゅぅ~」
そう言うと、彼女は手に持つコップをサッと僕の方に突き出す。仕方なく二杯目を入れに台所へ向かう。そういえば、冷蔵庫にはオレンジの炭酸ジュースがあったな―――と思い出し、それをコップに入れて彼女の所へ戻る。
予想どうり、再び僕の手元でそれを一口飲むと目を見開きコップを凝視しその後、僕の手ごと持ち上げ一気に飲み乾した。
「くぅ~あぁぁああ!なにこれ!?ね!ショワワワって!すごく、お味味!」
「お味味?美味しいって事?大げさな、ただのオレンジの炭酸だよ。コンビニに行けば買えるし、自販機でも買えるただのジュースだよ」
僕の言葉を聞いてるのか聞いてないのか、彼女は僕の手を掴んだまま余韻に浸っていた。
しばらくこのままでも―――とも思ったが、ひとまず気になる事を聞いておこうと思う。
「君、外国人だよね。あんなところで何してたの?」
「私は日本生まれで日本育ちです?」
なぜに疑問系だ!とツッコミを入れることもできなかった。
それは、とても大きい獣が唸る様に僕の家に響いた。赤面している彼女のお腹が出した音とすぐ気付いたのだが――。
「私じゃない!決してわた―――」
グルルゥ~ギュゥゥウルルルゥ~!と再び鳴ると今度は、涙を浮かべて開き直ったように認めた。
「そうですよ!わ!た!し!の!お腹が!鳴りました!」
「お昼にはまだ早いけど、ブランチってことでパスタ作るけど食べる?」
彼女は大きく頭を上下させると満面の笑みで答える。
「作ってくれるの?食べる食べる!パスタ~!」
そして、今更ながら彼女の名前も知りたくなり、まずは自らということで・・・。
「宝治 秋柾です。よろしく」
彼女は長い銀髪をなびかせながら、黒のニーソの絶対領域を見せ付けるが如く、白い膝丈ワンピースの裾を広げて軽く会釈すると。
「紅花 梓・フレイマスターです。母は日本の鬼、父は純血の吸血鬼。つまり、私は混血の高位吸血鬼、Japanese妖怪です」
そう言った彼女の目が、少し光ったような気がした。
パスタは二人前作ったが、彼女がペロリと食べてしまった。僕は仕方なく、チャーハンを有り合わせで作って食べた。
彼女の、自分は妖怪だ!宣言は冗談と思ってしまった。
この時の僕は、後の僕に謝らなくてはいけないだろう。彼女は本当に――人ではなかったのだから。
「秋柾。お腹いっぱいになったし、食後の“アレ”が欲しいな~」
僕は彼女の言っている“アレ”には、全然心当たりがない。てか、初対面の人間の食生活を知るわけがないんだが。
「紅花さん、“アレ”って何のことかさっぱりなんだけど聞いてもいいかな?」
赤青のオッドアイを円くさせてから、彼女はいいよと教えてくれた。
「“アレ”っていうのは所謂“人間の血”よ。凄く魔味味なのよね~。毎日飲まされているから、もう慣れたんだけど。あれ飲まないと調子が悪くなるの」
魔味味?不味いってことかな。笑顔で答えた彼女は嘘を吐いてる感じではなく、真剣な様子だったが、僕は軽く流して冷凍庫からアイスを取るために台所へ行く。
冗談が、かなりハイセンス?な彼女をまともに取り合う必要ない訳で――。
「人間の血は出せないけどこれ、バリーテっていう自作アイスなんだけど―食べる?」
このアイスは、ポテチを砕いた上にバニラアイスをトッピングしたものである。サックと甘じょっぱいのが癖になること間違いなし。
「アイス?なになに?」
口に放り込むと、その場で彼女は反り返った。
「ん~あま~ぁ!ホッペ落ちちゃう。それにサックサク!すっごくお味味~」
笑顔も仕草も可愛すぎて、こっちの頬が笑んでしまいますよ。
オッと危ない、何かに目覚めそうだった。
とりあえず、僕は彼女の事情を聞くことにする。
「あまり詮索するのもなんだけど、お金も持たないでここに何しに来たか聞いていいかな?」
彼女は残りのアイスを一口で食べきり、体をプルプルと震わせた。少し何かを考えるのか、左右の人差し指をこめかみに当てる。お!と何かを思いつくと彼女は言う。
「ショ・ク・ム、シツ・モ~ン?」
突然の片言を挟む彼女は呆ける僕を見るなり赤面ている。彼女の全開の冗談だったらしい。
「冗談よ。私の目的は逃亡。家から家族から逃げてきたの」
最初は家出かと思った。
彼女は吸血鬼と鬼との間で初めて取り組まれた、互いの力を向上させる為に生まれた子供。
母は日本の鬼の一族の秀才を父は純血で高貴な吸血鬼。彼女の両親は愛だの恋だの抜きで、ただただ高位の存在を作りたいが為に彼女を生んだ。
それでも、彼女は生まれることを望まれていたことは確かで、愛情を注いでもらえることは確実だった。
だが両親が彼女に愛情を注ぐことは無かった。
生まれた彼女は吸血鬼の特性半分。
鬼の特性半分のまさに混血、半分半分で母は彼女を娘と認めず、父は彼女を家畜の様に見つめた。
彼女はその血ゆえに敬われ、その血ゆえに疎まれた。彼女は母方の日本の家で長い間ずっと、外の世界から隔離されていた。そうして十四年、彼女は生きてきた。
しかし、今年の初め彼女に転機が訪れた。彼女の父は、彼女に政略結婚として千二百歳になる純血の吸血鬼を相手に選んだ。母は勿論、周囲の近しい人間さえそれを良しとした。彼女には好きな男がいた、その男と駆け落ちしたが逸れてしまい。
「今に至る。ということなの」
「ん~・・・うん。わかった」
つまり、この子はファンタジックな子なのだ。
高貴な家柄の彼女は、望まない婚約に妄想を混ぜているのだ。鬼やら吸血鬼やらは設定で、単に彼女は駆け落ちが失敗したと考えるべきだ。
僕に出来る事は一つしかなかったわけで。
「これも何かの縁って事で僕が家まで送るよ。それから、君は家には入らずに僕がその・・・君の好きな人を連れ出してあげるから」
自分自身でも驚いている。これほど面倒な事に、僕のほうから関わりたいと言うなんて――。
「本当?助けてくれるの?私を・・・他人なのに?」
「他人?僕はもう友達だと思っていたのに・・・何か、傷つくな」
「秋柾!―――」
うつむき言う彼女は美しく見えてしかたなく。僕は頷くことしか出来なかった。
僕の家から、1時間くらい公共の交通機関で行くと彼女の案内でとある屋敷に着いた。
彼女の話だと・・・8時間くらい歩いて例の家の近くにたどり着いたらしい。
彼女は酷く方向音痴らしく、ボーイフレンドと離れてから色々徘徊したらしい。
母方の家と聞いてたのでTHE日本!という感じを想像していたが、見た目は西洋風の建物。城と言うより“castle”と言うのがしっくりくる。
昼間にこそこそと塀に近寄り辺りを窺う、僕はまさに不審極まれリというやつで。彼女―――紅花 梓・フレイマスターは通の反対にある建物の影に隠れている。彼女が言うには塀に前回の駆け落ちの時に開けた穴があるのだが。
「あった・・・穴ちっさ!通れるかな~?」
腰の部分が閊えたが無理やりに入れた。ここから広い庭を抜けると周りと違う赤屋根の建物に、彼女を愛し彼女をあそこまで普通の女の子にしたボーイフレンドがいる。聞けば使用人の一人だとか・・・すげー尊敬する、カッコイイよな男として。
昼ドラみたいな展開に少し動揺しながらも、ワクワクが止まらなかった。
「ここか。左から三番目の窓――!」
窓にそっと手をかける。その時、足音もなく僕の背後に来た誰かが後頭部に一撃食らわせ、その場で気を失ってしまった。
気が付くと誰かの話し声が聞こえる。二人―――、いや三人の女性の声。
「見てくださいお姉さま。人間の男です。なんと汚らわしい」
「あら本当、汚らわしいわ。人間の男――なぜここに?」
「紛れ込んだ訳ではない。姫様の香りがする。こやつは触れておる――姫様に」
「処断せよ。処断せよ」
「処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ」
「処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。」
なんだ、なんだよ、なんですか!
逃げなきゃいけない。
けど、体は自由を奪われ動けずに。ただただ、そこに倒れてる。彼女に僕は何もしてあげられなかったな。昔話をしている時に、彼女はそのオッドアイから涙を流していたんだ。実際、それを見たら何かしなくてはいけないという衝動に駆られた。
なんか、遺書めいたセリフが浮かびそうになるのを即行で消して、僕は逃げる為の算段をつけようと辺りを見渡した。
だめだ!なんも見えない――視力がなくなっている。こうなったら、体を縛られていない事が唯一のアドバンテージだ。
動けー体ぁあ!足ぃい!腕ぇえ!
「こやつ、意識が戻った様だぞ」
「汚らわしいです。お姉さまこの人間何かしようとしてますよ」
「早く処断せねば。この汚らわしい人間を!お姉さま」
ようやく視力が戻ってきた僕は驚愕した。目の前、正確には頭上で覗きこむその彼女たちは、とても美しい顔が――同じ顔が三つ。そして、その一つ一つに目が三つ付いている。
人じゃない。三つ子の目の数は合計九個。人じゃない。その体は・・・一つ――。人じゃない。人じゃない。
彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。
『母は日本の鬼、父は純血の吸血鬼』事実。『つまり、私は混血の高位吸血鬼』真実。
『“アレ”っていうのは所謂“人間の血”よ』現実。
「いや!放してよ!あっ!秋柾!」
思考の渋滞から一気に抜けると、彼女――紅花 梓・フレイマスターがこれまた腕四本の巨漢の男に捕らえられていた。
「なんで・・・隠れてて・・・言ったのに」
まともに動かない体、唯一動かすことが出来た口で言った。
「なんでって。秋柾が六時間経っても出てこないからじゃない!心配したんだから!」
六時間。
僕が屋敷に入ってからそんなに経っていたなんて。気絶していたし、よく見渡すとロウソクの明かりしかないこの二十五メートルプールが入りそうな部屋は、外の光を嫌うかのように締め切っていた為分からなかったが、外はどうやら夕方らしい。
「姫様会話してはいけません。そやつは下族の者、直ぐに処断します」
「大角よ、姫様の口をお布施しなさい」
「お姉さま、それは良い考えです」
「ええ、本当に名案です。お姉さま」
そう三つ頭が言うと巨漢の男の腕が一本、そっと彼女の口元を覆う。
「ん~~~~!んーーー!」
そのとき、巨漢の後ろからすっと影が出てきて低い音程で話す。
「蘭・鈴・麗、大角。何をしておるのだ?ここで・・・」
「「「親方様!」」」
彼女たちがそう呼んだ男は彼女を見て笑った。
「ふっ。椿とフレイマスターの娘か・・・。それに人間か小僧?使いの下族と逃げたかと思えば、人間の男と帰ってくるとはな!面白い姫だ」
そう言った後、男は彼女の耳元で囁く。
「酷いのぉ。あの使いの者に利用された挙句、人間にまで汚されるとは。姫は誠酷い」
「!ん~~ん~~!」
「オッと、いかんいかん。これは奴との秘め事であった。まあ良いか、言ってしまっても」
そう言うと男は語りだした。
彼女――紅花 梓・フレイマスターが恋いした男は、吸血鬼側の使いの者で吸血鬼の下僕である擬態化できる吸血コウモリ。吸血鬼の血により服従させたコウモリと吸血鬼の混血。その名も下位吸血鬼―――。
その下位吸血鬼は高位吸血鬼である彼女と子どもを授かることで、地位を築くことができると考え彼女に優しくし・微笑み・尽くした。
しかし、彼女に政略結婚するという問題が浮上し下位吸血鬼は奪われる前に何所かで彼女と子を生そうと企んだ。その結果がこの状況を作っていると。
話を聞き終えた僕は不快感で一杯になった。しかし、彼女は僕以上に苦しいはずだ。辛いはずだ。そう考えたら――。
「嘘、だ!――それは嘘だ。そいつは―――君に――嘘をついている」
気を落としているであろう彼女に言い続ける。
「君は――君の中の彼を。彼を信じなきゃだめだ」
刹那。僕の腹を何かが突き抜ける。男の腕が赤く何かを纏っている。滴り落ちるその赤は紛れもなく僕の―――血。
体の痺れから痛みは感じないと思っていたが違った。
「ごぉ!がぁああ!―――ぐぅぅうう!」
「喚くな。
人間風情が口出しできる問題ではない」
「さすが親方様ですね。お姉さま」
「人間の腹を穿ちましたわ。お姉さま」
「苦しんでる、苦しんでる。親方様は残酷にも、死なぬように急所を外しているわ」
「「「恐ろしや、恐ろしや」」」
腹の内から痛みがする。女性が痛みに強く、男は恐怖に強いというらしいが。死に対するこの痛みと恐怖は別物らしい。
目に入らないのが幸いというしかない、痛みはあるが即死はしないようだ。
「ん~!がぁ!秋柾!放せこの!下郎が―――!」
彼女はどうやってか巨漢の男の腕を消し飛ばし、僕に駆け寄った。彼女は銀髪と瞳の溢れが僕の顔にあたる。
「・・あっぐぅ―――」
喋ろうとすると血が口から吹き出る。
「喋らないで!傷が!・・・――――。ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
君のせいじゃない。これは運命に近い回避できない現実。君のせいじゃない。君の事柄を冗談に留めた僕の責任だ。
「―――秋柾・・・・。私の―――」
彼女はそう言うと、自分の右手人差し指を噛むと血を垂らす。
「飲んで私の・・・高位吸血鬼の血を!」
口元に指を近づけ血を垂らす。しかし、それを拒むように口から血がでる。それを見た彼女は血を自ら含み、口移しした。
体の、僕のすべてが彼女の血を拒絶するように、あらゆる箇所からドクドクと血が滴る。吐くように噴くように出るその赤が周囲を染める。
「ふっ!はぁっはははははは!」
腕を赤く染めた男は笑った。
「これは傑作だ!実に愉快極まれり!血迷ったか姫よ・・・お前も知っているだろ。我ら魔族は人間の血には馴染めない。幾万と試行した結果、結合成功例は零。そいつとて例外ではないよ姫」
豪快に腕を広げて言う男は広い部屋の奥へと後ろ向きに下がっていく。
「『秋柾を助けて!』私の初めての友達だから。『秋柾を助けて!』私に優しくしてくれた人だから。『秋柾を助けて!』お願い、私のすべてをあげるから『誰か・・・』」
泣いている。彼女が―――
呼んでいる。僕を―――
助けなきゃ。彼女を―――
助けなきゃ。僕が―――
そうして彼、宝治 秋柾という人間は死んだ。彼のすべてが停止し。そして―――。
ドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっドクっドクっ。
ドクン!――――――――――――――――――――
「泣かないで姫。僕が君を護るから。悲しみすべてを背負うから」
秋柾の体が治癒、いや“自己修復”というべきか。おそらく、肺に達していたであろう傷が瞬く間に元に戻る。
そう彼は―――人ではなくなってしまった。
上体を起こすと自らの体に触れて、その後ゆっくりと両手を閉じたり開いたりしスッと立つ。
「秋柾―――」
梓が両手で強く抱き締める。
男は思考する。
馬鹿な!ありえん。人の身に我らの血が適合するはずがない。互いに拒みあい、人の血が薄れ消え行くが道理。
では、何故覚醒した?今までの幾万と違う要素。それは姫か?高位吸血鬼の血か?
薄い獣の血も拒む人の遺伝子に、解け混ざったというのか!
「蘭・鈴・麗、大角下がっておれ」
「「「親方様」」」
男は笑う。
「かぁっ!はぁっははは!かぁはははは!奇跡!奇跡を我は目にしておるわ!」
両腕をダラリとたらし、鬼の牙を見せ変身する男。
「平 氏時 定家!鬼の一族の筆頭であるこの我自ら!汝の手前、拝見しようぞ!」
「秋柾」
心配そうに呼びかける梓の頬を、人差し指をカタカナの‘ク’の字にして、くねると笑みを浮かべ返す。
「大丈夫。ちょっと行って直ぐ帰ってきますよ。そしたら、夕飯を食べましょう」
「うん。わかった―――」
まぶたを閉じてそれを開くと秋柾の眼には、左にワインレッド右にスカイブルーのオッドアイが妖しげに光を放つ。
動き出した刹那、部屋の壁際近くにいた秋柾はいつの間にか、部屋の中心にいた定家の目の前に移動し拳を振る。
しかし、定家もそれに反応して拳を突き出す。
ただの拳のぶつかり合いだったが、あまりの衝撃に部屋の小物や家具が壁へと叩きつけられる。拳と拳のぶつかり合いは、二度三度と続きながら衝撃を放つ。
定家が姿を消す―――。速すぎて目で追えないだけなのだが、秋柾はそれを視界に捉えて殴りつける。が、その攻撃を避けた定家はすぐさま反撃を出す。
当たったかに思えたその拳は、秋柾の残像を殴り。秋柾は定家の背後へと現れて蹴りを放つと、轟音とともに壁に激突し倒れた。定家は飛び起きると笑みを浮かべた。
「はぁははっ!結界を張ってて正解だった。なかなかに楽しいぞ!小僧!」
一瞬で秋柾に近づくと、目にも留まらぬ速さで連続攻撃をする定家。背後に渾身の突きを出すが、それさえも弾き飛ばす秋柾。定家は弾き飛んだ体を音を立てて大理石の床を削りながら止める。
「はー。僕はこれから姫と夕飯を食べる約束をしてるので。おじさんの遊
「み~ず~、み~ず~、ど~こ~み~ず~、み~ず~、み~ず~」
それはまるで質の悪い冗談の様な光景で、僕はただただ遠めに見ていた。
僕こと宝治 秋柾の目の前に、現実とは認められん状況があるのだが――。
女の子、しかし美少女と言ったらいいのか美女と言ったらいいのか。見るからに外人という、頭から脹脛に届く程のシルバーなそれは、どう考えてもTHE外人。
涙を滲ませるその瞳には、左にワインレッド右にスカイブルーの所謂オッドアイというやつで。まさかそれがヌルヌルと日本語で水を求めているのだ。
そんな訳で、甘いものに集る蟻の如く人が存在するのに、誰もが我関せずと携帯できる電話で写真を撮って去っていく。
斯く言う僕も、それに関しては当てはまる類の人間で在るわけなのだが。
しかし、どうして、この日この時には何故か、この存在をスルーできるはずのスキルが封じられていたらしく。
自分でも始めて使う日本語を口に出していた。
「水が欲しいなら、家すぐそこなんだけど来る?」
ナンパであるとすれば、及第点には程遠いと言わざるを得ないであろうセリフ。
これが、僕こと宝治 秋柾と彼女の始まりである。
目の前がぐわんぐわんする。もう限界が来たのかな。人がいる――――助けて。
「み~ず~、み~ず~」
咽の渇きが限界に達したみたい。水としか言えない。ああっ私、紅花 梓はここで死ぬんだ。死因は脱水症状・・・・って死ねるか!
ここまで来て水が原因で死ぬなんて、絶対にやだ。死んでも死にきれない。
「み~ず~、み~ず~、ど~こ~み~ず~、み~ず~、み~ず~」
どうして人間は見えているのに、目の前で苦しんでる私がいるのに助けてくれないの。
私の“存在の本質”を知っているかのように、人間は私を人ではない“別の何か”と気付いてるかのよに避けている。
母は鬼、父は吸血鬼の混血である私は高位吸血鬼という、妖怪・化物と呼ばれる存在なのだ。ゆえに、私の体に流れるそれには人の要素を含まない。完璧なほど醜悪な生き物。
紅花 梓・フレイマスター。これが、私のフルネーム――ていうか!水をくれ!写メを撮るなら水をくれ!
「水が欲しいなら、家すぐそこなんだけど来る?」
唐突だった。彼が言った言葉はすごく変な、それでいて私を、世界の境界線で死にかけている私を見つけてくれた。
これが、紅花 梓・フレイマスターこと私と彼の始まりの時。
蛇口から出る液体をコップに受け取り並々と注いだ。ちなみにこの家は、僕こと|宝治≪ホウジ≫ |秋柾≪アキマサ≫の家で現在は分け合って一人暮らしだ。
少し溢しながら玄関へ向かうと、そこにはオッドアイの銀髪っ子がいて、待ち望んだものを受け取らないままに、僕の手元で音を鳴らしながら飲み乾した。
「ん~あぁ~!沁みる~!生き返えりゅぅ~」
そう言うと、彼女は手に持つコップをサッと僕の方に突き出す。仕方なく二杯目を入れに台所へ向かう。そういえば、冷蔵庫にはオレンジの炭酸ジュースがあったな―――と思い出し、それをコップに入れて彼女の所へ戻る。
予想どうり、再び僕の手元でそれを一口飲むと目を見開きコップを凝視しその後、僕の手ごと持ち上げ一気に飲み乾した。
「くぅ~あぁぁああ!なにこれ!?ね!ショワワワって!すごく、お味味!」
「お味味?美味しいって事?大げさな、ただのオレンジの炭酸だよ。コンビニに行けば買えるし、自販機でも買えるただのジュースだよ」
僕の言葉を聞いてるのか聞いてないのか、彼女は僕の手を掴んだまま余韻に浸っていた。
しばらくこのままでも―――とも思ったが、ひとまず気になる事を聞いておこうと思う。
「君、外国人だよね。あんなところで何してたの?」
「私は日本生まれで日本育ちです?」
なぜに疑問系だ!とツッコミを僕が入れる暇もなく、とても大きい獣が唸る様に家に響いた。
赤面している彼女のお腹が出した音とすぐ気付いたのだが――。
「私じゃない!決してわた―――」
グルルゥ~ギュゥゥウルルルゥ~!と再び鳴ると今度は、涙を浮かべて開き直ったように認めた。
「そうですよ!わ!た!し!の!お腹が!鳴りました!」
僕は声を出し笑った後、微笑を浮かべながら提案した。
「お昼にはまだ早いけど、ブランチってことでパスタ作るけど食べる?」
彼女は大きく頭を上下させると満面の笑みで答える。
「作ってくれるの?食べる食べる!パスタ~!」
そして、今更ながら彼女の名前も知りたくなり、まずは自らということで・・・。
「僕は宝治 秋柾。よろしくです。
名前、聞いてもいいかな?」
彼女は長い銀髪をなびかせながら、黒のニーソの絶対領域を見せ付けるが如く、白い膝丈ワンピースの裾を広げて軽く会釈すると。
「紅花 梓・フレイマスターです。母は日本の鬼、父は純血の吸血鬼。つまり、私は混血の高位吸血鬼、Japanese妖怪です」
そう言った彼女の目が、少し光ったような気がした。
パスタは二人前作ったが、彼女がペロリと食べてしまった。仕方なく、僕はチャーハンを有り合わせで作ったのだが、それも半分は彼女の胃に。
彼女の、自分は妖怪だ!宣言は冗談と思ったこの時の僕は、後の僕に謝らなくてはいけないだろう。彼女は本当に――人ではなかったのだから。
「秋柾。お腹いっぱいになったし、食後の“アレ”が欲しいな~」
僕は彼女の言っている“アレ”には、全然心当たりがない。てか、初対面の人間の食生活を知るわけがないんだが。
「紅花さん、“アレ”って何のことかさっぱりなんだけど聞いてもいいかな?」
赤青のオッドアイを円くさせてから、彼女はいいよと教えてくれた。
「“アレ”っていうのは所謂“人間の血”よ。凄く魔味味なのよね~。
毎日飲まされているから、もう慣れたんだけど。あれ飲まないと調子が悪くなるの」
魔味味?不味いってことかな。笑顔で答えた彼女は嘘を吐いてる感じではなく、真剣な様子だったが、僕は軽く流して冷凍庫からアイスを取るために台所へ行く。
冗談が、かなりハイセンス?な彼女をまともに取り合う必要ない訳で――。
「人間の血は出せないけどこれ、バリーテっていう自作アイスなんだけど―食べる?」
このアイスは、ポテチを砕いた上にバニラアイスをトッピングしたものである。サックと甘じょっぱいのが癖になること間違いなし。
「アイス?なになに?」
口に放り込むと、その場で彼女は反り返った。
「ん~あま~ぁ!ホッペ落ちちゃう。それにサックサク!すっごくお味味~」
笑顔も仕草も可愛すぎて、こっちの頬が笑んでしまいますよ。
オッと危ない、何かに目覚めそうだった。
とりあえず、僕は彼女の事情を聞くことにする。
「あまり詮索するのもなんだけど、お金も持たないでここに何しに来たか聞いていいかな?」
彼女は残りのアイスを一口で食べきり、体をプルプルと震わせた。
何かを考えてるのか、左右の人差し指をこめかみに当て、お!と何かを思いつくと彼女は――。
「ショ・ク・ム、シツ・モ~ン?」
突然の片言を挟む彼女は、呆ける僕を見るなり赤面ている。
彼女の渾身の冗談だったらしい。
「じょ、冗談よ。私の目的は逃亡。家から逃げてきたの」
その言葉通り最初は家出かと思った。けど、詳しく聞くとどうやらそうではないらしい。
彼女は吸血鬼と鬼との間で初めて取り組まれた、互いの力を向上させる為に生まれた子供。
母は日本の鬼の一族の秀才を父は純血で高貴な吸血鬼。彼女の両親は愛だの恋だの抜きで、ただただ高位の存在を作りたいが為に彼女を生んだ。
それでも、彼女は生まれることを望まれていたことは確かで、愛情を注いでもらえることは確実だった。
だが両親が彼女に愛情を注ぐことは無かった。
生まれた彼女は吸血鬼の特性半分。
鬼の特性半分のまさに混血、半分半分で母は彼女を娘と認めず、父は彼女を家畜の様に見つめた。
彼女はその血ゆえに敬われ、その血ゆえに疎まれた。彼女は母方の日本の家で長い間ずっと、外の世界から隔離されていた。そうして十四年、彼女は生きてきた。
しかし、今年の初め彼女に転機が訪れた。彼女の父は、彼女に政略結婚として千二百歳になる純血の吸血鬼を相手に選んだ。母は勿論、周囲の近しい人間さえそれを良しとした。彼女には好きな男がいた、その男と駆け落ちしたが逸れてしまい。
「今に至る。ということなの」
「ん~・・・うん。わかった」
つまり、この子はファンタジックな子なのだ。
高貴な家柄の彼女は、望まない婚約に妄想を混ぜているのだ。鬼やら吸血鬼やらは設定で、単に彼女は駆け落ちが失敗したと考えるべきだ。
僕に出来る事は一つしかなかったわけで。
「これも何かの縁って事で僕が家まで送るよ。それから、君は家には入らずに僕がその・・・君の好きな人を連れ出してあげるから」
自分自身でも驚いている。これほど面倒な事に、僕のほうから関わりたいと言うなんて――。
「本当?助けてくれるの?私を・・・他人なのに?」
「他人?僕はもう友達だと思っていたのに・・・何か、傷つくな」
「秋柾!―――」
服を掴む彼女は美しくもあり、どこか儚げで僕は頷くことしか出来なかった。
僕の家から、1時間くらい公共の交通機関で行くと彼女の案内でとある屋敷に着いた。
彼女の話だと・・・8時間くらい歩いて例の家の近くにたどり着いたらしい。
彼女は酷く方向音痴らしく、ボーイフレンドと離れてから色々徘徊したらしい。
母方の家と聞いてたのでTHE日本!という感じを想像していたが、見た目は西洋風の建物。城と言うより“castle”と言うのがしっくりくる。
昼間にこそこそと、塀に近寄り辺りを窺う僕はまさに不審極まれリというやつで。彼女―――紅花 梓・フレイマスターは通の反対にある建物の影に隠れている。
彼女が言うには塀に前回の駆け落ちの時に開けた穴があるのだが。
「あった・・・穴ちっさ!通れるかな~?」
腰の部分が閊えたが無理やりに入れた。ここから広い庭を抜けると周りと違う赤屋根の建物に、彼女を愛し彼女をあそこまで普通の女の子にしたボーイフレンドがいる。聞けば使用人の一人だとか・・・すげー尊敬する、カッコイイよな男として。
ドラマみたいな展開に少し動揺しながらも、ワクワクが止まらなかった。
「ここか。左から三番目の窓――!」
窓にそっと手をかける。その時、足音もなく僕の背後に来た誰かが後頭部に一撃食らわせ、その場で気を失ってしまった。
どれだけ時間が過ぎただろか、気が付くと誰かの話し声が聞こえる。
二人―――、いや三人の女性の声。
「見てくださいお姉さま。人間の男です。なんと汚らわしい」
「あら本当、汚らわしいわ。人間の男――なぜここに?」
「紛れ込んだ訳ではない。姫様の香りがする。こやつは触れておる――姫様に」
三人が交互に言う。
「処断せよ。処断せよ」
「処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ」
「処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。処断せよ。」
なんだ、なんだよ、なんですか!
逃げなきゃいけない。
けど、体は自由を奪われ動けずに。ただただ、そこに倒れてる。
彼女に何もしてあげられなかったな。昔話をしている時に、彼女はそのオッドアイから涙を流していたんだ。実際、それを見たら何かしなくてはいけないという衝動に駆られた。
なんか、遺書めいたセリフが浮かびそうになるのを即行で消して、僕は逃げる為の算段をつけようと辺りを見渡した。
だめだ!なんも見えない――視力がなくなっている。こうなったら、体を縛られていない事が唯一のアドバンテージだ。
動けー体ぁあ!足ぃい!腕ぇえ!
「こやつ、意識が戻った様だぞ」
「汚らわしいです。お姉さまこの人間何かしようとしてますよ」
「早く処断せねば。この汚らわしい人間を!お姉さま」
ようやく視力が戻ってきた僕は驚愕した。目の前、正確には頭上で覗きこむその彼女たちは、とても美しい顔――同じ顔が三つ。そして、その一つ一つに目が三つ付いている。
人じゃない。三つ子の目の数は合計九個。人じゃない。その体は・・・一つ――。人じゃない。人じゃない。
彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。
『母は日本の鬼、父は純血の吸血鬼』事実。
『つまり、私は混血の高位吸血鬼』真実。
『“アレ”っていうのは所謂“人間の血”よ』現実。
「いや!放してよ!あっ!秋柾!」
思考の渋滞から一気に抜けると、彼女――紅花 梓・フレイマスターがこれまた腕四本の巨漢の男に捕らえられていた。
「なんで・・・隠れてて・・・言ったのに」
まともに動かない体、唯一動かすことが出来た口で言った。
「なんでって。秋柾が六時間経っても出てこないからじゃない!心配したんだから!」
六時間。
僕が屋敷に入ってからそんなに経っていたなんて。気絶していたし、見渡すと外の光を嫌うかのように窓を締め切って、ロウソクの明かりしかないこの二十五メートルプールが入りそうな部屋の外はどうやら夕方らしい。
「姫様会話してはいけません。そやつは下族の者、直ぐに処断します」
「大角よ、姫様の口をお布施しなさい」
「お姉さま、それは良い考えです」
「ええ、本当に名案です。お姉さま」
そう三つ頭が言うと巨漢の男の腕が一本、そっと彼女の口元を覆う。
「ん~~~~!んーーー!」
そのとき、巨漢の後ろからすっと影が出てきて低い音程で話す。
「蘭・鈴・麗、大角。何をしておるのだ?ここで・・・」
「「「親方様!」」」
三つ子たちがそう呼んだ男は彼女を見て笑った。
「ふっ。椿とフレイマスターの娘か・・・。それに人間か小僧?使いの下族と逃げたかと思えば、人間の男と帰ってくるとはな!面白い姫だ」
そう言った後、男は彼女の耳元で囁く。
「酷いのぉ。あの使いの者に利用された挙句、人間にまで汚されるとは。姫は誠酷い」
「!ん~~ん~~!」
「オッと、いかんいかん。これは奴との秘め事であった。まあ良いか、言ってしまっても」
そう言うと男は語りだした。
彼女――紅花 梓・フレイマスターが恋いした男は、吸血鬼側の使いの者で吸血鬼の下僕である擬態化できる吸血コウモリ。吸血鬼の血により服従させたコウモリと吸血鬼の混血。
その名も下位吸血鬼―――。
その下位吸血鬼は高位吸血鬼である彼女と子どもを授かることで、地位を築くことができると考え彼女に優しくし・微笑み・尽くした。
しかし、彼女に政略結婚するという問題が浮上し下位吸血鬼は奪われる前に、何所かで彼女と子を生そうと企んだ。その結果がこの状況を作っていると。
話を聞き終えた僕は不快感で一杯になった。しかし、彼女は僕以上に苦しいはずだ。辛いはずだ。そう考えたら――。
「嘘、だ!――それは嘘だ。そいつは―――君に――嘘をついている」
気を落としているであろう彼女に言い続ける。
「君は――君の中の彼を。彼を信じなきゃだめだ」
刹那。僕の腹を何かが突き抜ける。男の腕が赤く何かを纏っている。滴り落ちるその赤は紛れもなく僕の―――血。
体の痺れから痛みは感じないと思っていたが違った。
「ごぉ!がぁああ!―――ぐぅぅうう!」
「喚くな。
人間風情が口出しできる問題ではない」
「さすが親方様ですね。お姉さま」
「人間の腹を穿ちましたわ。お姉さま」
「苦しんでる、苦しんでる。親方様は残酷にも、即死せぬように急所を外しているわ」
「「「恐ろしや、恐ろしや」」」
腹の内から痛みがする。女性が痛みに強く、男は恐怖に強いというらしいが。死に対するこの恐怖は別物らしい。
目に入らないのが幸いというしかない、痛みはあるが即死はしないようだ。
「ん~!がぁ!秋柾!放せこの!下郎が―――!」
彼女はどうやってか巨漢の男の腕を消し飛ばし、僕に駆け寄った。彼女は銀髪と瞳の溢れが僕の顔にあたる。
「・・あっぐぅ―――」
喋ろうとすると血が口から吹き出る。
「喋らないで!傷が!・・・――――。ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
君のせいじゃない。これは運命に近い回避できない現実。君のせいじゃない。君の事柄を冗談に留めた僕の責任だ。
「―――秋柾・・・・。私の―――」
彼女はそう言うと、自分の右手人差し指を噛むと血を垂らす。
「飲んで私の・・・高位吸血鬼の血を!」
口元に指を近づけ血を垂らす。しかし、それを拒むように口から血がでる。それを見た彼女は血を自ら含み、口移しした。
体の、僕のすべてが彼女の血を拒絶するように、あらゆる箇所からドクドクと血が滴る。吐くように噴くように出るその赤が周囲を染める。
「ふっ!はぁっはははははは!」
腕を赤く染めた男は笑った。
「これは傑作だ!実に愉快極まれり!血迷ったか姫よ・・・お前も知っているだろ。
我ら魔族は人間の血には馴染めない。
幾万と試行した結果、結合成功例は零。そいつとて例外ではないよ姫」
豪快に腕を広げて言う男は広い部屋の奥へと後ろ向きに下がっていく。
「(秋柾を助けて!)私の初めての友達だから。(秋柾を助けて!)私に優しくしてくれた人だから。(秋柾を助けて!)お願い、私のすべてをあげるから(誰か・・・)」
泣いている。彼女が―――
呼んでいる。僕を―――
助けなきゃ。彼女を―――
助けなきゃ。僕が―――
そうして彼、宝治 秋柾という人間は死んだ。彼のすべてが停止し。そして―――。
ドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっドクっ。
ドクっドクっドクっドクっドクっドクっ。
ドクン!――――――――――――――――――――
「泣かないで姫。僕が君を護るから。悲しみすべてを背負うから」
秋柾の体が治癒、いや“自己修復”というべきか。おそらく、肺に達していたであろう傷が瞬く間に元に戻る。
そう彼は―――人ではなくなってしまった。
上体を起こすと自らの体に触れて、その後ゆっくりと両手を閉じたり開いたりしスッと立つ。
「秋柾―――」
梓が両手で強く抱き締める。
男は思考する。
馬鹿な!ありえん。人の身に我らの血が適合するはずがない。互いに拒みあい、人の血が薄れ消え行くが道理。
では、何故覚醒した?今までの幾万と違う要素。それは姫か?高位吸血鬼の血か?
薄い獣の血も拒む人の遺伝子に、解け混ざったというのか!
「蘭・鈴・麗、大角下がっておれ」
「「「親方様」」」
男は笑う。
「かぁっ!はぁっははは!かぁはははは!奇跡!奇跡を我は目にしておるわ!」
両腕をダラリとたらし、鬼の牙を見せ変身する男。
「平 氏時 定家!鬼の一族の筆頭であるこの我自ら!汝の手前、拝見しようぞ!」
「秋柾」
心配そうに呼びかける梓の頬を、人差し指をカタカナの‘ク’の字にして、くねると笑みを浮かべ返す。
「大丈夫。ちょっと行って直ぐ帰ってきますよ。そしたら、夕飯を食べましょう」
「うん。わかった―――」
まぶたを閉じてそれを開くと秋柾の眼には、左にワインレッド右にスカイブルーのオッドアイが妖しげに光を放つ。
動き出した刹那、部屋の壁際近くにいた秋柾はいつの間にか、部屋の中心にいた定家の目の前に移動し拳を振る。
しかし、定家もそれに反応して拳を突き出す。
ただの拳のぶつかり合いだったが、あまりの衝撃に部屋の小物や家具が壁へと叩きつけられる。拳と拳のぶつかり合いは、二度三度と続きながら衝撃を放つ。
定家が姿を消す―――。速すぎて目で追えないだけなのだが、秋柾はそれを視界に捉えて殴りつける。が、その攻撃を避けた定家はすぐさま反撃を出す。
当たったかに思えたその拳は、秋柾の残像を殴り。秋柾は定家の背後へと現れて蹴りを放つと、轟音とともに壁に激突し倒れた。定家は飛び起きると笑みを浮かべた。
「はぁははっ!結界を張ってて正解だった。なかなかに楽しいぞ!小僧!」
一瞬で秋柾に近づくと、目にも留まらぬ速さで連続攻撃をする定家。背後に渾身の突きを出すが、それさえも弾き飛ばす秋柾。定家は弾き飛んだ体を音を立てて大理石の床を削りながら止める。
「やりおるの小僧!我と互角といったところかの」
すると秋柾は両手を腰に当て、首を左右に振って言う。
「僕はこれから姫と夕飯を食べる約束をしてるので、おじさんの遊びにはもう付き合えませんけど。―――いいですよね」
言い終わるや否や、秋柾の全身を黒い邪気を纏い額の両端に、黒く尖った角が生え両眼が青く染まる。
「鬼の能力の第二段階か。力の堰を外し戦うことが出来る代わりに、自我を無くし周りにいる者全てを殺すまで戦い続ける。小僧、姫をも殺す気か!」
定家の言葉に、秋柾は笑みを浮かべると同時に首を傾げる。
「僕が姫を殺す?何を言っているんです。おじさん」
「まさか!自我があるというのか!その黒い邪気を纏いながら!―――」
頬に汗がたれ『この我が冷や汗を・・・』と、戸惑う定家に秋柾は問う。
「まだ続けますか?これ以上は死を意味しますが―――」
その言葉を聞いて少し思考した後、定家は両手を上げ首を振ってから答えた。
「止しておくとしよう。我もまだ死にたくはないからの」
「引き際も恐ろしく素直で、僕的には少し不気味ですけどね」
纏った邪気が消えるようになくなると、眼も青からオッドアイ、そして本来の黒へと戻る。
「何、汝等の行く末が気になるが故。それだけの事」
屋敷を出る時彼はいつもと違うそう感じていた。意識が違う、彼を構成する根本が変化したからだろうか、彼が変わることで世界さえも変わったと思えるほどに。
門まで案内してくれたのは定家だった。
その時、彼女の着替えなどの荷物を持って行こうとしたが、時間が無かった為できなかった。
「今、我しかこの屋敷に居らぬことが幸いしたな。
・・・小僧。名前は何と言う?」
定家が重々しく聞くと、彼は起立して答えた。
「宝治 秋柾です」
「うむ。―――あと姫よ、一言汝に申す。汝は囚われ隔離され寂しい思いをしたやも知れぬ。
だが、それは蘭・鈴・麗・大角あれ等も何ら変わらん。
それは、胸に留め置いて欲しい」
「・・・・」
彼女は分かっているのであろう。
それが特別ではなく、この世界ではよくあることだと理解できている。
実は、定家は彼女の後見人で祖父だということを、この時初めて聞かされる。
鬼は自分より高位の存在に従いやすく。鬼よりも高位の吸血鬼に当たる彼女とは、会うだけでも従わされかねない。
ゆえに、今日始めて会った時も眼を合わさなかった。いや、合わせられない――そっと影から見ることしか出来ない。
彼女が苦しい時、寂しい時にそれゆえに何も出来ない自分を無力だと感じる。
だから、祖父だと名乗れなかったらしい。
「その資格すら我は持っておらぬ」
背を向け話すその後姿は悲しげで、その辛さが窺える。
「そんなことないです!」
彼女が定家の背にそっと触れて言った。
「私はそんなことさえ知らずにいました。誰も眼を合わせてくれないのも、私を避けるのも。全部、訳があったんですね。
でも、教えて欲しかった!知っていたかった―――だから、教えてくれてありがとう。
“お祖父様”―――」
気のせいか―――定家が背中で泣いているようだった。
「秋柾・・・汝の生を奪っておいて言うのも、筋違いなんだが―――。姫を頼む」
彼はあえて間を空けて。
「もちろんです。お祖父ちゃん」
それを聞いた定家は少し肩を揺らしながら笑った。
帰り道、彼は今日の一日を振り返る。
新しい出会いと新しい思い。
そして、命を亡くして生まれ変った自分。
とりあえず、今日から彼と彼女は一緒に暮らすこととなる訳だが、雑貨屋で食器等を買い揃えておこうとバス停で話し合った。
「ねぇ。秋柾」
「はい。何です?姫」
バスが到着すると同時に、彼女が唐突に彼を呼ぶ。
「姫じゃなくて、梓って呼んでいいよ」
白い頬を赤らめ、真っ直ぐ見つめる彼女に彼は少し照れ気味で話す。
「ええ、いいですよ。あ・・・あっ―――」
この時、すでに彼は――――彼女、紅花 梓・フレイマスターを。
梓と呼ぶことが―――――――――――――二度と出来なくなっていた。
〔――つづく――〕
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