朝鮮はなぜだまされてやる道を選んだのだろうか。実録は満州の横暴を懸念する王のもう一つの嘆きを「兆候がひどい。1万人余りの兵力で攻めるなら気勢に対処できないだろうから、非常に憂慮すべきことではないだろうか」と記録している。
朝鮮は南北に敵を作ることが許されなかった。だから「同じ空の下で暮らすことなど考えられない敵」に、12回にもわたり毎回400-500人の使節団を送った。典楽(宮中音楽)隊・若者・馬上才(馬芸)師…。最近の言葉で言えばオーケストラ・アイドル・サーカスとでも言うべき「韓流使節団」だった。次に王位に就いた第15代王・光海君の北方実利外交も、宣祖が治世を終える直前、汚辱に耐えて築いた南方の平和があって初めて可能なことだった。戦争の惨禍を身をもって知る王だったからこそ、国民の安危を優先させることができたのだろう。
もちろん、朝鮮の弱さを学ぼうと言っているのではない。日本の非道さに屈服するほど今の韓国が劣っている訳でもない。しかし、力があるからと言って積年の恨みをむやみに近隣外交に介入させてはならないだろう。400年前も今も大国がぶつかり合う韓半島(朝鮮半島)をめぐる環境は変わらない。だからこそ、「交隣(外交)」は今も韓半島安保戦略の生命線なのだ。永久に共に過ごさなければならない隣人だから、嫌でも日本との意思疎通を図らなければならない。
冷静に振り返ってみると、今の韓日関係は李明博(イ・ミョンバク)前政権の遺産だということが分かる。現在の大統領がなぜこの遺産だけは清算しないのか理解に苦しむ。名分に生死が懸かっていた朝鮮でさえ、犯陵賊と和解する道を選んだ。今の韓国が当時よりもかたくなにならざるを得ない理由は何だろうか。歴史は歴史、外交は外交ではないか。