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第一章 こうしてボクは変わった
その2 「だれこれ?」
 あー、マイクてすてす。ちょっと音が小さい? あーあー。こんぐらい? え? 喋ってみろ? はいはい。なまぐみなまごめなまなまこ! ……なまこってグロいけど美味しいよね。すみません噛みました。

 さて、お集まりのみなさんこんにちは。なんか知らないうちにこんな場を設けて頂いて、本当に恨みます。いや、その、なんだ。あれだ。ボクがどういった経緯でこんなことになったのか、なんてことは、別に話さなくていいんじゃなかろうか。そんな人の傷に粗塩をすり込むようなマネしなくてもさ。よし、というわけで解散っ! ……え、ダメ? ちゃんと話せ?

 なんでボクが君達に自分の過去を赤裸々に告白しなくちゃならないのか。せめて話す代わりに何か貰えればボクも快く……へ? これをボクに? マジで? 後で返してって言っても返さないけど、それでも? おー、ありがとう! すげぇー、ウニのプラモデルだ。こんなのあったんだ。部屋に飾ろう

 さて、いい物もらって気分が良くなってきた。よーし。話そうじゃないか。今日はボクのことでも美衣のことでも何でもしゃべ……ん、どうした美衣? いたたたっ。痛い痛い、痛いって。なんだよ美衣。無理矢理腕を引っ張って。しかもそんな怖い顔……え? な、なんでそんなものを持って……あ、はい、分かりました。以後気をつけます。気をつけるから、その手に握りしめたボクの下着、返してくれないかな? 

 コホン。みなさんすみません。み……お、お姉ちゃんが急にウニのプラモデルを見たいって言い出したもんだから。あははは……なんで名前呼んだだけで怒るんだよ。ウニ投げるぞコノヤロー。

 気を取り直して、ではボクが男だった頃の話から……ん? 男だった頃の話はどうでもいい? むしろいらない、話すな? いやほら、ボクがもの凄く猛勉強して希望の大学に合格した話とか、留学してしまった親友の涙溢れる話とか……あぁ、はい。それもいらない、と。

 分かりました分かりました。あー分かりましたよ。じゃあ女になってからの話をしますよ。ふんっ。

 ◇◆◇◆

 それは年度初めの四月。まだ学業に励み、青春を謳歌するボク達にとっては、嬉しい嬉しい春休みのある日のこと。

 目が覚めた。昨日までの体中にへばりつくような気持ち悪さがなくなり、窓の外に見える晴れ晴れとした青空のような、清々しい目覚めだった。

 額に手をやる。よし。熱も下がっている。昨日までの体の怠さが嘘のように体も軽い。一週間も続いた不調だったが、それもやっと完治したようだ。だーっと両足で布団を蹴り上げる。思ったほど飛ばなかった布団はベッドのすぐ横に落ちた。

 やけに布団が重かった。不思議に思うが、きっと汗を吸っていたせいだろうと納得する。後でベランダに干しに行こう。

 デジタル式の目覚まし時計を見る。四月一日。午前八時三五分。今日から新年度か。結局高熱の原因は分からずじまいだった。まぁ、治ったのだから結果オーライか。とはいえ、貴重な春休みを一週間も無駄に消費してしまった。時は金なり。非常にもったいない。

 それにしても、寝汗のせいで体がベッタベタだ。気持ち悪いことこの上ない。サッとシャワーでも浴びよう。ベッドから立ち上がり部屋を出て階段を下りる。体が上下する度にキラリと光る綺麗な繊維っぽいものが視界に入ってくる。服が盛大にほつれたのだろうか。でも糸ってこんなに細くて光ってたっけ? それに胸の辺りも気になる。肉やら皮膚が僅かに下に引っ張られるような感じ。……そうか。これが人を縛りつける重力というものか。今日は僅かに重力加速度が大きいらしい。あれ、重力加速度の単位はなんだったっけ? あーまあどうでもいいか。

 などと病み上がりのおかしなテンションで一階に下りて脱衣所兼洗面所へと向かう。洗面所には先客がいた。妹の美衣だ。美衣も今起きたところのようで、パジャマ姿のまま眠そうな目を擦りながら歯を磨いている。

「美衣、おはよう。……あれ? あーあー。……はい?」

 おかしい。挨拶をした自分の声が、まるで自分のものとは思えない、一言で説明するなら女の子のような弱々しく高い声だった。喉の調子がおかしいのか、慌てて喉に手を当てる。

「なんてこった……」

 仏様がお亡くなりになっていた。二次成長後だから、享年五歳くらい。最近やっとそのお姿を拝めるようになってきたっていうのに……安らかにお眠りください。

 ……いやいや違うから。喉仏ってそんな神々しいもんじゃないから。どちらかというと男の象徴的なものだから。

 どうも今日は無駄にテンションが高い。あ、いつもは普通に真面目な好青年なので心配しないでください。これでも最近そこそこ有名な大学に合格したばかりなんです。

 脳内ボケツッコミをして我に返ると、美衣が半開きにした口の端からだら~っと白い液体を垂らしながらボクを見ていた。

「おい美衣、口から垂らすな。汚いぞ」

 兄としてきちんと指摘する。まったくだらしがないが、これでもコイツ、今年から高校二年生なんだよな……。

 肩にかかるくらいの長さで切り揃えられたはずの黒い髪はぼさぼさで、愛らしい垂れ目も今はこれでもかというくらいにカッと大きく開いている。女の子としては平均的だと思われる身長に、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ(美衣曰く)ご自慢のぼでーは、今は皺の寄ったパジャマで見る影もない。

 それにしても、美衣はどうしたんだ? ボクの言葉にはまったく反応しないのに、目だけはまるで幽霊でも見たかのように驚愕を顔に張り付かせている。その視線の先にはもちろんボクがいる。

「どうした美衣?」

 いまだ硬直したままの美衣に近寄り、間近から見上げる。……ん? 見上げる? まただ。さっきからおかしなことが続く。なんでボクが美衣を見上げる必要があるんだ? たしかボクの身長は172センチくらいだったはず。これで見上げるとなれば、美衣は180センチ以上あることになる。しかし、洗面台の大きさと比較して、美衣の身長が180もあるようには到底見えなかった。つまりはボクの身長が低くなったと考えるべきだろう。

 さすがにスルーすることができなくなった。美衣の反応、そして起きてから続く体の違和感。これらを総合すると、おのずとその答えは見えてくる。そろそろ目を背けたい現実と向き合うときが来たらしい。気持ちを切り替え、ゆっくりと視線を下ろす。

 肩にかかった繊維は銀色の髪の毛で、引っ張ると痛いことからボクの頭から生えているのは確実だ。重力を感じた胸には二つの小さな膨らみがあって、触るとフニフニとした柔らかな感触が返ってきた。腰に手を当てればくびれがあり、ズボンの中を覗き込めばアレがなかった。

 ん~~~~…………。

 長考。いやもうなんとなく分かってはいる。けれど、だからといって「はいそうですか」と認めるわけにはいかなかった。

「お、お兄ちゃん、だよね?」

 視線を上げる。美衣がカタカタと震える手でボクを指差していた。震えたいのはこっちの方だ。

「たぶん美衣のお兄ちゃんのはずだ」

 なんか自信がなくなってきた。ボクが寝ている間に宇宙人か何かにこの体を改造されたとか、実はボクは偽物でクローンでしたとか。そういうことも無きにしも非ずだ。限りなくゼロに近いだろうけど。

「……じ、じゃあ、本当にお兄ちゃんかどうか、いくつか質問するよ?」

「あ、ああ」

 頷きながら、美衣は案外冷静だなと思った。

「お兄ちゃんの名前は?」

吉名努よしなつとむ

「お兄ちゃんが去年まで通っていた高校は?」

「私立蓮池高等学校」

「お兄ちゃんが一番好きなものは?」

「ウニ」

「お兄ちゃんが一番嫌いなものは?」

「Gから始まる『一匹いたら百匹いると思え』がスローガンの黒光りしてカサカサ這い回るアレ」

「私達のお母さん、お父さんはどんな人?」

「お母さんは変人。お父さんは苦労人」

「お兄ちゃんだ!」

 美衣がはあっと表情を明るくする。さっきまでの不信感が一気に払拭されたようだ。

「お兄ちゃん、その姿、どうしたの!?」

「むしろボクが聞きたい」

 はあとため息をついて肩を落とす。そんなボクの頭に美衣が手を乗せる。

「……なにしてんの?」

「えっ? えっと、凄くかわいかったからつい……」

 ついってなんだ。ついって。美衣はにへらとにやけながらボクの頭を撫で始めた。なんなんだこの緩い空気は。こっちは真剣に困っているというのに。

「そ、それでだ。美衣」

「なに?」

 美衣が気の抜けた返事をする。そんなにボクの頭を撫でることに夢中なのか?

「どうだ? ボクはどうなってる?」

「どうって……うーん。別人? 鏡あるんだから自分で見ればいいんじゃない?」

「いやそれは心の準備がまだというか、見たら折れるというか――」

「えいっ」

「ぬあっ!?」

 両手で顔を挟まれ、無理矢理に鏡に向けられた。そこにいたのは、美衣よりも一回り小柄な少女。銀色の長い髪と、赤と青のオッドアイが特徴的な、黒髪黒目が一般的なここ日本ではとても人の目を引く容姿をした女の子だった。

 彼女は美衣に顔を手で挟まれて変な顔をしていた。それでも可愛く見えるのだから、この少女のかわいさは相当のものだ。

 ギギギと音が聞こえそうなくらいにカクカクと動く手を鏡に向けて、彼女を指差す。鏡に映る彼女も指を差していた。

「……誰これ?」

「誰って、もちろんおに――」

「ち、ちょっと待った」

 美衣の言葉を制する。もうほとんどというか完全に分かっているのだが、頭が混乱していて、今その言葉の続きを聞いてしまうと折れてしまいそうだった。主に心が。とにかく落ち着こうと、ギュッと一度目を閉じて深呼吸して、ゆっくりそーっと目を開く。

 やっぱり容赦なく否応なく必然的に、目の前には銀髪オッドアイの少女がいた。う、ん……。まあ、そうだよね。目を閉じたからって変わるわけないよね。これが現実。「戦わなきゃ、現実と!」だよね。しかし現実とならこの前大学入試で嫌と言う程戦ったばかりだ。それなのにこの仕打ちとは……。ほんと、神も仏もあったもんじゃない。ああそうか。だから喉仏なくなったのか。仏だけに。うっさいわ!

 余計こんがらがってきた。美衣が不思議そうにボクを見ている。その視線が不審者を見るそれに変わる前に、何か喋らないと。落ち着いて、落ち着いて、平常心、平常心。……よしっ。

「ふ、ふぁっついずじす?」

 だめだった。しかも間違えている。恥ずかしさから顔が熱くなる。

「まいぶらざー」

 美衣が律儀に合わせてきた。あーもうこのままいくしかない。

「ぶらざー?」

「おーいえす。おーるどぶらざーいえー」

「いえーい」

 中学生も真っ青な日本語英語が飛び交い、何故か「いえーい」と言いながらハイタッチを繰り返す。なんだこれ。

 何回かハイタッチを続け、飽きたところでやめる。その頃には幾分冷静さを取り戻していた。

「……で」

 いつまでも現実逃避していては始まらない。逃げてはダメだ。進まないと。ぎゅっと拳を握り、緊張からごくりと喉を鳴らして、ついにボクは尋ねた。

「この銀髪の女の子はだれ?」

「お兄ちゃんだよ」

 心が折れた。


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